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#1 2017年09月12日 15:19:22

iris
メンバー

宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

このトピックのテーマは、私たち人間にとって宗教や救いは必要なのかということです。
議論の発端はこちら

私は、「世界から宗教がなくなって、すべての人が無宗教になるのがよい」という考え方は、「すべての人がカトリック信者になるのがよい」という考え方と同程度以上には乱暴だと思います。
心の中で亡き人に語りかけたり、信じていないはずの神に祈ってしまったりするような素朴な宗教心は、どんな人にもあるはずのものだからです。

このサイトの管理人でいらっしゃるカレブさんは、「宗教組織はないほうがよい」
「世界から宗教がなくなって、すべての人が無宗教になるのがよい」というお考えだと伺っています。
カレブさんは、日本で最近主流になっている「自称無宗教」の人がどんどん増えていけば、いつかは世界から宗教が要らなくなるとお考えなのではないかと思います。

私は、「自称無宗教」の人がどんなに多くなっても、宗教そのものが不要になることはないと考えています。
また、宗教をなくすことはできないのだから、よい宗教が必要であると思っています。

皆さまのご意見をお寄せください。

オフライン

#2 2017年09月12日 15:36:02

てつてつ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん こんにちはトピ立てられたんですね 自分もその方がすっきりしていいと思います また後ほど自分も書き込みしたいと思います kiss

オフライン

#3 2017年09月12日 16:09:19

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

てつてつさん、コメントありがとうございます。
御意見を楽しみにしています。

ところで、「宗教・宗教団体と救い」トピックの#374をてつてつさんが編集されたのが、
ページが変わって見えにくくなってしまっていましたが、

てつてつ さんの発言:

映画 沈黙の ロドリゴ神父も表面上は棄教したけど心の中では最後までイエスキリストを信じていたと思います
人の心の中はなかなかわからないものですね
(箴言 20:5) …人の心の中にある計り事は深い水のようだ…

私もそう思います。形の上で棄教することによって、自分の信仰を守ったのですね。
ものみの塔は、目に見える形だけを問題にしますが、本当に大切なものは目に見えないと思います。

オフライン

#4 2017年09月12日 17:44:52

カレブ
Administrator

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

iris さんの発言:

このサイトの管理人でいらっしゃるカレブさんは、「宗教組織はないほうがよい」
「世界から宗教がなくなって、すべての人が無宗教になるのがよい」というお考えだと伺っています。
カレブさんは、日本で最近主流になっている「自称無宗教」の人がどんどん増えていけば、いつかは世界から宗教が要らなくなるとお考えなのではないかと思います。

私は、「自称無宗教」の人がどんなに多くなっても、宗教そのものが不要になることはないと考えています。
また、宗教をなくすことはできないのだから、よい宗教が必要であると思っています。

皆さまのご意見をお寄せください。


iris さん こんにちは。

まず初めに 誤解されている点があるのでその点を指摘します。
わたしが「すべての人が無宗教になるのがよい」と述べる場合、それはあっという間に起きる出来事のことではなくて、方向性としてこれまでの無知の時代に築き上げたられてきた宗教の影響が縮小し、人々が子供のころから洗脳されて宗教を次の世代に受け継ぎ続けるような状況がなくなったほうが良いであろうということです。

これは人が今すぐに宗教心を捨てたほうが良いという意味ではありません。
例えば今アメリカ人のすべてが突然キリスト教を捨てた場合、深刻なカオスになります。
それはすでに宗教によって動機づけられた道徳観をもっていて、
それが突然消えるとそれまでの利他性や自制心が一気に崩れるからです。

しかし世界の統計は利他性や道徳心、秩序に”信仰”は不可欠ではないことを
示しています。この点は前にもどこかで指摘していると思います。


irisさん > 宗教をなくすことはできないのだから、よい宗教が必要である

この点に関して、確かにそのような面は若干あるとは思います。
しかしそれは狭い角度から見た考えとも思います。

例えばフランスでは40%、スウェーデンでは34%の人が「神や霊は存在しない」と
考えていて「神はいる」と主張する人より多くなっていますが、
他の国に比べて道徳や秩序、犯罪率において何も問題がありません。

それらの国で「神はいる」あるいは「宗教は必要だ」と主張する人が
徐々に減少していっても何も問題ないですし、現に宗教が減退している
傾向はずっと続くであろうと思います。

さらに意見を述べると
「宗教をなくすことはできないのだから、よい宗教が必要である」という
考えは、恩着せがましいものを感じます。

それは ”わたしたちは宗教が真理じゃないことは知っている、でも人々には宗教が必要だから、それを真理のように教えよう」と言っているように聞こえます。

iris さんが、”キリスト教も含めて宗教は人間が造ったものなのはわかっているけど、人々は宗教に頼る必要があるからカトリック教会にはそれなりの価値があると思う” と述べるなら、それにはある程度同意できます。
しかし実際に人々にカトリックを教える場合、それを”真理”のように教えるのではないでしょうか?

オフライン

#5 2017年09月12日 20:46:24

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

なるほど

人々が宗教を脇に追いやる場合その「速度」というのは無視してはいけないポイントかもしれませんね

無宗教も一種の宗教!というフレーズもJW時代に散々聞かされた気がしますが・・・・

私は決してそうは思いません



カレブさんが書き込んだ最後の問いかけですがサンタクロースを扱う感じでカトリック信仰を扱うわけにはいかないでしょうか?

https://www.ygk.ed.jp/emotion/45.html

#6 2017年09月12日 21:26:23

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

さやか666さん

書き込みありがとうございます。
私も、カトリックの物語とサンタクロースとに本質的な違いはないと思います。

私の言いたいことを書いてくださって嬉しいので、取り急ぎ。

オフライン

#7 2017年09月12日 23:57:08

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

サンタクロースについてさらに書き込みますけれど

毎週人を集めて大真面目にサンタクロースの話をする男は世界で何人いるでしょうか

その点カトリックの神父は違いますよね、現時点でも世界中に大勢いるはずです


いろんな職業があるとはいえ、自身が信じてもいないことを大真面目な顔で皆に伝え続けるのって辛いと思いますけど

少なくとも教会では大切な教えを知っているかの如くそれらしくふるまうのではないでしょうか

そういえば懺悔室って今でもあるのかな・・・

#8 2017年09月13日 00:27:50

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

カレブさん、早速のお返事をありがとうございます。

カレブ さんの発言:

まず初めに 誤解されている点があるのでその点を指摘します。
わたしが「すべての人が無宗教になるのがよい」と述べる場合、それはあっという間に起きる出来事のことではなくて、方向性としてこれまでの無知の時代に築き上げたられてきた宗教の影響が縮小し、人々が子供のころから洗脳されて宗教を次の世代に受け継ぎ続けるような状況がなくなったほうが良いであろうということです。

私も、カレブさんのお考えはそのように理解しております。

さて、まず用語の定義を確認したいと思います。
簡明であることを最優先して、あえて子ども向けの定義を採用します。
(チャレンジ小学国語辞典第6版より)

宗教:神や仏を信じることによって、安心や幸福を得ようとすること。また、その教え。
真理:いつでもどこでも変わらず、正しいとされることがら。

この定義はまずまず妥当であると私は考えます。

カレブ さんの発言:

しかし世界の統計は利他性や道徳心、秩序に”信仰”は不可欠ではないことを
示しています。この点は前にもどこかで指摘していると思います。
(中略)
例えばフランスでは40%、スウェーデンでは34%の人が「神や霊は存在しない」と
考えていて「神はいる」と主張する人より多くなっていますが、
他の国に比べて道徳や秩序、犯罪率において何も問題がありません。

私は、宗教は道徳教育のためにあるのではないと思っています。
宗教の役割は、まず安心や幸福を得させること、すなわち救いをもたらすことです。

アメリカ人には、滅ぼされるのが怖くないと道徳を守れない人がいるかもしれませんが、
日本人の道徳心は、宗教の教義によって保たれているわけではありません。

カレブ さんの発言:

iris さんが、”キリスト教も含めて宗教は人間が造ったものなのはわかっているけど、人々は宗教に頼る必要があるからカトリック教会にはそれなりの価値があると思う” と述べるなら、それにはある程度同意できます。
しかし実際に人々にカトリックを教える場合、それを”真理”のように教えるのではないでしょうか?

私はキリスト教の教えのうち、
「人間として最も大切なことは、隣人を自分のように愛すること」という教えは、
真理だと思っています。
「イエスは処女マリアから生まれ、死んで3日目に復活し、生者と死者を裁くために来られる」
という教えのほうは、カトリックの物語だと思います。
カトリックの物語を共有する人々の間でだけ通用する真理ではあるかもしれませんが、
単なる真理ではないと思っています。

“真理”のように教えるとは、どのように教えることを指すのでしょうか?

オフライン

#9 2017年09月13日 06:34:52

てつてつ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

さやかさん おひさしぶりですね お元気そうでよかったです

irisさん 書き込みありがとうございます

日本人の道徳心は、宗教の教義によって保たれているわけではありません。

ウキの道徳の項目にも
現代の日本の道徳と宗教の関係を、イギリスの文化人類学者は、宗教が道徳の根源になっていない事を認めている
とありました

このトピの主題については 現時点では自分は創造者はいるとおもいますが 今存在しているすべての宗教は神様から啓示されたものではなく人間が考えたものでそれが時代とともに発展.変化してきたものではないかと思っていますので真の宗教というものは存在しないと思っています

それで宗教について教える場合 これこれという考え方がある 自分は信じているというのは自由ですからよいと思いますが ものみの塔のように自分たちの教えが唯一絶対でまちがいのない真理でほかのすべての宗教は悪魔サタンの偽りの宗教だと教えるのは間違いだと思います

編集者 てつてつ (2017年09月13日 06:35:22)

オフライン

#10 2017年09月13日 10:12:19

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

てつてつさん、御意見ありがとうございます。
私もほぼ同様の考えです。

オフライン

#11 2017年09月13日 11:03:00

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

カレブさんは、宗教というのは「神の救いをエサにして、あるいは神の裁きを脅しに使って、人間の行動を支配するためのもの」とお考えのように感じます。

確かにものみの塔はそのような組織であり、そのような組織は当然ないほうがよいと私も思いますが、以前も述べたとおり、それが宗教組織のあり方の標準ではありません。

ただ、宗教組織はその性質上、すべてカルト化してものみの塔のようなあり方に陥ってしまう危険性を秘めており、宗教指導者は常に自分たちの組織がカルト化する方向に傾いていないかということに注意を払う必要があります。

ものみの塔の組織を宗教組織の標準と考えた場合は、「素朴な宗教心」と「(ものみの塔式の)宗教組織」とは別個にしか考えようがありませんが、本当に人を救う宗教はそのようなものではなく、ひとりひとりの「素朴な宗教心」を大切に包み込んで守るのが本来の宗教組織のあり方であると私は思っています。

オフライン

#12 2017年09月14日 01:07:56

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

(ひとりひとりの「素朴な宗教心」を大切に包み込んで守るのが本来の宗教組織のあり方)


美しいフレーズですね


今の時代だから思いつくフレーズかもしれませんが

#13 2017年09月14日 16:36:48

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

さやか666 さんの発言:

美しいフレーズですね

今の時代だから思いつくフレーズかもしれませんが

ものみの塔みたいなのが「宗教」だと思っておられる方にとっては、嘘っぱちだとしか思えないでしょうね。きっと。

宗教の本質は変わらなくても、宗教組織のあり方は時代によって変わるものかもしれませんね。

オフライン

#14 2017年09月14日 19:37:19

てつてつ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ささらさん こんにちは 弟さん残念でしたね cry
元気になってチョウのお話聞けないかなーなんて思ってたんですが

オフライン

#15 2017年09月14日 20:13:10

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ささらほーさらさん、お悔やみ申し上げます。

私は宗教が生まれたのは必然だと思っています。人間がものごとを認識する仕組みがそのように進化してきたからです。
ヒトがヒトである限り、社会のあり方に影響を受けながらも、宗教は存在し続けるでしょう。

だからこそ、宗教の質を見極め、賢く付き合う知恵を持たなくてはならないと思います。

オフライン

#16 2017年09月14日 20:46:36

ガリレオくん
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ささらさん
しばらくおられなかったので心配してましたが・・
大変でしたね、私も以前に事故で突然に祖父を亡くした経験があって、現役時代でしたが
ニュースで知って現実を受け入れるのに時間がかかりました。
突然いなくなるとまだどこかしらに生きてるんじゃないかって感覚になります。

生きてる以上、年を重ねるごとに避けられない現実に向き合わなければならないのは残酷ですが
これが現実なんですね・・ cry

心の空白を宗教が埋めてくれるなら(救い?)それはそれで存在する価値はあると思います。
Jの経験上、ウソの上に成り立つものであるなら断じて受け入れることはありませんが・・

どうお声掛けしたものか迷いますが、ささらさん頑張って下さい。

オフライン

#17 2017年09月14日 23:28:20

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

この掲示板でもとてもパワフルでいらっしゃるささらほーさらさんですが、弟さんを亡くされた悲しみは御家族と変わらないのではないでしょうか。悲しいときはしっかり落ち込んで悲しむことも必要だとか申します。お節介とは存じますが無理をなさいませんように。

編集者 iris (2017年09月15日 07:33:28)

オフライン

#18 2017年09月15日 21:49:11

てつてつ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ささらさん こんにちは あんまり関係ないかもしれませんが

簡単な例として「殺人」を考えてみます。
よく単純に「人殺しを是認する人種や社会はない」などと言われますが
実は、これもその文化や社会・時代によって異なってきます

ひとたび「戦時下」に置かれると「殺人」は犯罪ではなくなります

ボクシングのスーパーウェルター級チャンピオンだったカシムも6才のころに誘拐され兵士にされてそのころは人を拷問して殺してもなんとも思いませんでしたが むしろ楽しかったことさえあった アメリカに来てからはそれが悪いことだと感じるようになり毎日神様にざんげしているといっています

人の脳は自分をも騙すという事実があります

戦場でワルツをつくった監督のアリ.フォルマンも自分がかつて参加したサプラ.シャティーラの虐殺の記憶がなぜかごっそりぬけおちていることに気づきその原因について調べていくのですが
その一つに人間は時には自分の都合のよいように記憶を置き換えることがなされるようです

編集者 てつてつ (2017年09月15日 22:12:10)

オフライン

#19 2017年09月17日 00:48:50

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

皆さまこんばんは。

先日、宗教の質や付き合い方について書き込んだのですが、翌朝になって読んでみたら、自分の言いたいことがうまく伝わらない気がしたので、一旦削除しました。

さて、宗教の教義の本来の役割は具体的な行動の善し悪し(道徳)を決めることではなくて、世界や人間をどのようなものと考えるか、よい生き方とはどのようなものか(思想)を示すことだと思います。

道徳(行動規範)は時代や地域によって変わるものです。しかし、宗教を支える思想は、それほど変わるものではありません。

ものみの塔が証人たちに押し付けている行動規範のほとんどは、反社会的なものではありません。ですから、道徳という面ではあまり問題がないように見えます。
しかし、そのような行動規範をハルマゲドンや排斥で脅すことによって守らせようとしているところに、大きな問題があります。

子どもをしつけるのに、「怒られるからやめなさい」というのは、子どもが肝心なことは何も学ぶことができない、いちばんまずいやり方です。
ものみの塔は大人に対してもそのまずいやり方を押し付けています。つまり、「滅ぼされたくなかったら統治体の命じるとおりに行動せよ」というわけです。宗教としての質が悪くてまともな思想がないから、そうするしかないのだと思います。

編集者 iris (2017年09月17日 01:05:43)

オフライン

#20 2017年09月17日 01:13:20

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ささらほーさらさんのように、子育ての苦労からエホバの証人と関わるようになる女性は多いようですね。

私も、知らない土地での初めての子育てはとても孤独に感じました。他人の子育てを支える立場の私でも心細かったのです。エホバの証人の姉妹とのおしゃべりは、ものみの塔の正体を知っていても楽しかったです。

JWは、宗教といってよいのかどうか、正体を知らない方にとっては、出会ってしまったのが災難と言うべきかもしれません。

オフライン

#21 2017年09月17日 17:15:18

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ささらさん、irisさんこんにちは。

私は別の角度から、考えてみました。

孤独に子育てをしている人に必要なのは「宗教」ではないというのは、この掲示板を見ている人だれもが同意されるでしょう。

この場合、救いとなるのは専門機関です。

それぞれ個別の問題にはそれの専門家、研究機関からの情報や助けが得られるのがベストでしょう。

もちろん現在すべての人がその助けを得られるわけではありません。ですが筋違いな受け皿である宗教の存続に払う努力をするよりも、正しい知識を得られるようにする方がよりよい対策なのではないでしょうか?

今宗教が実際に存在してしまっているので、それから利益を得ている人がいる限り、あらゆる努力を払って信者を増やしていくでしょう。


しかし研究者の努力によって、宗教に頼らなくてもよくなってきつつあるのが現状です。

カレブさんの言うように宗教離れも進んでいます。よい傾向だとおもいます。。

気をつけなくてはいけないのが、irisさんがおっしゃるように宗教に関しての知識がないことです。


次に最近読んだ本から、興味深い点を一部抜粋します。省略はしておりますが内容は変えていません。

著者は、エリエザー・J・スタンバーグ    イエール・ニューヘイブン病院神経科医。

編集者 ユーリ (2017年09月17日 17:20:31)

オフライン

#22 2017年09月17日 17:19:11

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ロバートは47歳の時に交通事故にあい一命を取り留めたが、右側頭葉の頭蓋骨骨折と頭蓋内損傷により後遺症が出るようになった。家族の説明によると、まず空虚を見つめ表情がうつろになり、そのあと突然体をよじり頭を激しく左にひねる。その後、床に転がって痙攣し始め、背中をそらし、手足を激しく振り回す。やがて発作がおさまると普通に戻るという。

しかし、本人が発作の体験を説明すると、まず、どこまでも広がる天国の”美しい光”が左側から差す。穏やかで安らかな気持ちになり、「悪いことは起こらない」とわかっている。まもなく光が形をとりはじめ、空へ続くトンネルをなす。
魂はそのトンネルに入り、上へ上へと進んでいくと、天使のような姿が見える。
その天使が「ロバートあなたが来る時ではありません!」と声をかける。突然、炎の槍が胸に突き刺さる。だが、驚くことに痛みはなく「無条件の愛」だけを感じる。一連の”体験”から「神は私を愛していることを確信した、ロバートはそういっている。


いうまでもなく、これは神との邂逅である。とほうもない話に感じられるかもしれないが、奇妙なことにこうした話を最初にしたのはロバートではない。のちに研究者は、ロバートの見たものがローマカトリックの教会の聖人・神学者であるアヴィラのテレサによる1595年の記述と類似していることを発見した。


「私は左側のすぐ近くに肉体をもった天使の姿を見た。その天使は大きくはなく、背が低くて、最高に美しかった。最上位の天使であるかのように顔が燃えていた。手に長い金の槍を持っていて、鉄製の先端が小さな炎のように見えた。その槍をときおり私の心臓や腸に突き刺した。そして、槍と一緒に内臓も引き抜くと、私は神の大きな愛で燃えていた。」

ロバートの体験は、アヴィラのテレサtの体験とほぼ一致する。どちらも左側に光を見て、天使に会う。そして、炎の槍で胸を疲れているのに、痛みではなく神の深い愛を感じる。


ロバートはローマカトリック教徒として育ち、ハイスクールで宗教教育を受けたとはいえ、アヴィラのテレサについては聖人だということくらいしか知らなかった。精神疾患の既往もない。最近受けた心理評価の結果も正常だった。しかし、MRIの結果では、炎症のため右側頭部に軟化が見られた。さらに、脳波も同じ領域に異常波が出現した。脳の右側で発作が起きたため、左側に幻覚が現れたのだ。かくして、ロバートが”神の啓示”だと感じた出来事は、側頭葉の異常活動に過ぎないと、精神科医は結論を下した。


神経学では、「ハイパーリリジアシティー」という言葉は、側頭葉てんかんの患者に発言しうる症状を表す。側頭葉てんかん患者の1~4%が、たいていロバートがみた幻覚と似たような宗教的出来事や目覚めを体験する。発作の影響が前頭葉にまで及び、行動に持続的な影響を与え、教義を実践する敬虔な信者になる場合もあるようだ。

たとえば、フィンセント・ファン・ゴッホは側頭葉てんかんのすべての症状を有し、キリストの復活など多くの宗教的な幻覚を見ていた。

側頭葉のそれらの脳領域に電気パルスを送ることで、霊的体験を誘発することに成功している。

編集者 ユーリ (2017年09月17日 17:40:41)

オフライン

#23 2017年09月17日 17:24:02

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

次にアリソンの症例です。



超自然的なものを信じていない、ごくふつうのアリソンという22歳の女性は7歳のときからこの側頭葉てんかんをわずらっていて、その治療(神経科医の治療が効かなかったため、外科治療が検討された)上の研究実験で(本人の許可を得て)、発作活動の測定をするため、100個以上の電極を頭皮に装着し、過度に活発なニューロン活動を誘発した。
アリソンは、電気パルスを受けた直後、それまでいなかったはずの”誰か”が部屋にいるような気がした。彼女はその存在を「影」と表現した。性別はわからないという。
「その影はどこにいますか?」研究者が尋ねた。


「私の後ろにいます。すぐ近くにいるけれど、体は触れていません」彼女は答えた。
ふたたび電気パルスを送ると、アリソンは身震いした。今度は影が隣に座っていて、彼女の腕をつかんでいるという。

次に、研究者はアリソンに課題を与える。単語をの書かれたカードをいくつか読ませた。その間に、みたび電気パルスを送った。すると、影が戻ってきて、またアリソンの隣に座った。「カードを取り上げようとしています」アリソンはいった。「私に読ませたくないみたいです。」



これらの実験から、側頭葉を正確に刺激すると、すぐ近くに他者の存在を知覚する。この奇妙な感覚に直面すると、脳は説明を求める。アリソンは自分が実験中であることを知っていたために、影に神秘的・超自然的な意味を与えなかったが、「影が側にいて、カードを読ませたくない」というストーリーを作ってしまった。



同じ刺激が自然に発生したら、同様に影を知覚すると、脳はやはり説明を求めるが、はっきりしたものはない。ロバートは、子供のころにカトリックに通っていたために、脳はそこに答えを求めたのかもしれない。無意識に幼少期に学んでいた聖テレサの物語に飛びつくかもしれない。そして気配の正体は、神の愛を教えに来た天使となる。一方、宗教心がなければ、アリソンのように単なる影だと感じるだろう。


脳内の無意識のシステムは、単純かつ論理的なシステムである。誰もいない部屋で誰かの気配を感じるというような、表面上、矛盾する刺激を感知すると、手元にある情報でできる限り最高の物語を作る。

私たちが見たり感じたりしたものの顕著な特徴を識別し、奥深くにある記憶や信念、希望、不安を探ってパターンを見つけ、満足のいく説明を考え出そうとする。意味を捜し求めるのだ。

そうして、知覚をひとつの物語にすることで、脳は人生経験を構成する。

オフライン

#24 2017年09月17日 17:38:42

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

この神経科医は



「脳が健康ならば、教育を利用して蓄積された知識を修正したり、広げたりすることができる。

信念を調整することによって、脳の論理的なシステムの基盤を新しくし、無意識のシステムをより合理的で現実的な説明に導くような信頼できる情報を提供することができる。」

と述べています。



私がカルト宗教から出た後、自ら行ってきたことは、まさにこのことでした。

オフライン

#25 2017年09月17日 17:49:20

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

カレブ さんの発言:

「宗教をなくすことはできないのだから、よい宗教が必要である」という
考えは、恩着せがましいものを感じます。

私はirisさんが本当はカトリックを信じていないのに、人には勧めているように感じられます。

カトリックに入信するのは勧めていないと何度もおっしゃっておられるので、私が感じるだけなのでしょうか。

本当のところどうなんでしょう。

編集者 ユーリ (2017年09月17日 19:14:47)

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