#226 2017年02月09日 23:41:06
#227 2017年02月10日 02:51:39
- run
- ゲストユーザー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
土の器のかけらさん、初めまして。
私は自分自身が、ペテロ第一 4章15節から19節などのクリスチャン、神の家の者であると思いません。
上の発言を拝見し、ちょっとびっくりしました。
もし、「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」と捉えておられるのでしたら、それは聖書的な教えではありません。
聖書の教える「神の家」とは…
Ⅰテモテ 3:15
万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。
「教会」という訳は、新世界訳では「会衆」と訳されています。
もし貴方が会衆の一員であれば、貴方はもうすでに神の家の一員であることを聖書は教えています。
#228 2017年02月10日 03:38:16
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
土の器のかけらさん、初めまして。
土の器のかけら さんの発言:私は自分自身が、ペテロ第一 4章15節から19節などのクリスチャン、神の家の者であると思いません。
上の発言を拝見し、ちょっとびっくりしました。
もし、「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」と捉えておられるのでしたら、それは聖書的な教えではありません。聖書の教える「神の家」とは…
Ⅰテモテ 3:15
万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。「教会」という訳は、新世界訳では「会衆」と訳されています。
もし貴方が会衆の一員であれば、貴方はもうすでに神の家の一員であることを聖書は教えています。
runさん、はじめまして。
私の書いた文章が「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」という内容になっていましたら、申し訳なく思います。誤解を与えたことを深くお詫びします。
私は、ペテロ第一 4章15節から19節などからクリスチャンは神の家の者と考えています。特に、17節で「[今]は,裁きが神の家から始まる定めの時だからです」と記述されています。16節の「 クリスチャンとして[苦しみに遭うの]であれば」のクリスチャンと同じ意味で「神の家」を指しています。
また、『洞察,第2巻』672–682ページ 「復活」によると「『神の家』であるそれらの人たちは、ペンテコステの時の成員をはじめとして、クリスチャンの歩みを続ける間、ずっと裁きのもとにあります。(ペテ一 4:17)」と説明されている文章表現からも、クリスチャンとは神の家のものであると考えました。
したがって、私は「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」であるとは考えていません。テモテ第一 3章15節の「真理の柱また支え」と同じで、「神の家」も霊的または比喩的な用法だと思います。
runさんが提示したテモテ第一 3章15節と併せて、エフェソス 2章19節、ヘブライ 3章6節、テモテ第二 2章2節などからも考えることできます。
runさんのご指摘にこころから感謝するとともに、誤解を訂正します。今後とも至らないところがあれば、どうぞご遠慮なく指摘してください。
もし、よろしければ、どのような理由で私が「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」と捉えているという誤解を与えたのか教えていただけるでしょうか。自戒するための参考にしたいと思います。
編集者 土の器のかけら (2017年02月10日 08:01:10)
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#229 2017年02月10日 06:31:52
- run
- ゲストユーザー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
つまり、神の家に属するのは天的級のクリスチャンであって、地的級のクリスチャンはそうではないと考えておられるのですね。
もし、よろしければ、どのような理由で私が「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」と捉えているという誤解を与えたのか教えていただけるでしょうか。自戒するための参考にしたいと思います。
オンラインライブラリーで「神の家」を検索した結果上記のような説明があったからです。しかし今改めて検索してみても、どこに記されていたか なぜか探せなくなっちゃいました。しかしGoogle検索ではトップにありましたので、それを貼り付けたいと思います。
あと、「ベテルにいったよ」という賛美の歌詞にも、「ベテルに行ったよ 神の家に 家族で楽しく見学したよ 愛するベテルの兄弟たち いっしょうけんめい働いてるよ」とありまあしたので、「神の家=ベテル・ホーム」というのがJWの教えなのかと思いました。
#230 2017年02月10日 08:34:40
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
つまり、神の家に属するのは天的級のクリスチャンであって、地的級のクリスチャンはそうではないと考えておられるのですね。
では、「神の家の者たち」でかまいません。
今私が訊きたい事は、私が考えている「クリスチャン」ではなく、あなたが考えている「クリスチャン」での定義ですから。
runさん、お返事ありがとうございます。
「私は自分自身が、ペテロ第一 4章15節から19節などのクリスチャン、神の家の者であると思いません」というのは、リッチさんの質問の前提での答えです。他の人の考えではなく私個人の主観です。明確に示すことを怠りました。これからは注意します。
少し理解の異なるところがありますが、私の考えではクリスチャンとはペテロ第一 4章15節から19節の「神の家」の人たちのことです。また、#223で「『クリスチャン』とは、『油をぬられて』天に招待されている人々のことに限定されるという考え方があります。(ペテ一 4:16)」と書きました。
これは、私個人の主観で、他の人が「神の家=ベテル・ホーム」と考えていることとは問題がありません。
オンラインライブラリーで「神の家」を検索した結果上記のような説明があったからです。しかし今改めて検索してみても、どこに記されていたか なぜか探せなくなっちゃいました。しかしGoogle検索ではトップにありましたので、それを貼り付けたいと思います。
あと、「ベテルにいったよ」という賛美の歌詞にも、「ベテルに行ったよ 神の家に 家族で楽しく見学したよ 愛するベテルの兄弟たち いっしょうけんめい働いてるよ」とありまあしたので、「神の家=ベテル・ホーム」というのがJWの教えなのかと思いました。
丁寧に教えていただき感謝しています。Googleは検索履歴、閲覧履歴で表示されますから、runさんと私が同じ表示とは限りません。runさんが教えてくれたページを探してみます。
また、賛美の歌の歌詞は筆者のイメージがあるので、そのままではなく掲載されている聖句も併せて読んだ方が理解できると思います。
日本語に翻訳されたものは、制限された文字数で書かれていることもあり、難解な表現が多いと思います。
その場合、私は引照聖句で意味を判断します。聖句の翻訳は幾つかあるので正確な理解に近づくと思います。それでも意味がわからない、意味が通じないときはギリシャ語をそのままカナ表記で用います。日本語に翻訳するとと余計にわからなくなる言葉もあります。
編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 06:04:17)
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#231 2017年02月10日 08:54:51
#232 2017年02月10日 10:02:01
- run
- ゲストユーザー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
なるほど。「神の家」ではなく「ベテル」で再検索しちゃったから探せなくなってたんですね。失礼しました。
そこで改めて「神の家」で検索した結果、次のようにありました。
今日,エホバの家とは,エルサレムその他の場所にある石造りの建造物ではなく,わたしたちがキリストの贖いの犠牲に基づき崇拝においてエホバに近づくための取り決めのことです。
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2009 … E%B6&p=par
「エホバの家とは,…エホバに近づくための取り決めのことです」とは何ですか?JW用語ですか?聖書で聞いたことがありません。
また、賛美の歌の歌詞は筆者のイメージがあるので、そのままではなく掲載されている聖句も併せて読んだ方が理解できると思います。
「ベテルに いったよ」という賛美の参照聖句は詩編122:1です。
詩編 122:1
人々がわたしに,「エホバの家に行こう」と言うとき,わたしは歓んだ。
♪「ベテルに いったよ」の歌詞
ベテルに行ったよ 神の家に
家族で楽しく見学したよ
愛するベテルの兄弟たち
いっしょうけんめい働いてるよ
※ ベテル 「神の家」
エホバに仕えるところ
ベテル 「神の家」
ここでの奉仕は最高
書籍や聖書が作られてる
王国のたより 伝えるために
見学に行こう すごいんだよ
エホバのみ業をこの目で見よう
(※繰り返し)
どう見ても、「エホバの家=神の家=ベテル・ホーム」となっちゃってますよね。これじゃ勘違いされても仕方ないでしょう。
#233 2017年02月10日 10:27:01
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
「ベテルに いったよ」という賛美の参照聖句は詩編122:1です。
詩編 122:1
人々がわたしに,「エホバの家に行こう」と言うとき,わたしは歓んだ。♪「ベテルに いったよ」の歌詞
ベテルに行ったよ 神の家に
家族で楽しく見学したよ
愛するベテルの兄弟たち
いっしょうけんめい働いてるよ※ ベテル 「神の家」
エホバに仕えるところ
ベテル 「神の家」
ここでの奉仕は最高書籍や聖書が作られてる
王国のたより 伝えるために
見学に行こう すごいんだよ
エホバのみ業をこの目で見よう
(※繰り返し)どう見ても、「エホバの家=神の家=ベテル・ホーム」となっちゃってますよね。これじゃ勘違いされても仕方ないでしょう。
run さん、丁寧な説明をありがとうございます。
「ベテルに いったよ」の歌詞は子ども向けにアレンジされています。確かに、この歌詞だけでは勘違いするかも知れませんね。そのため、詩編 122:1の注解もされると思いますが、地域によって違うこともあります。
詩編 122:1の「エホバの家」については、引照聖句の詩編 27:4では「神殿」と表現され、詩篇の他の聖句でも「神殿」と書かれています。また、ミカ 4章2節で「来なさい。エホバの山に、ヤコブの神の家に上ろう」と書かれていることから、ベテルではなく霊的または象徴的なエルサレムの神殿であることが明らかです。
私は、ミカ書の「ヤコブの神の家」の預言成就を「ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居」とすることができません。しかし、そういう人がいたとしても何も言えません。
編集者 土の器のかけら (2017年02月10日 11:28:33)
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#234 2017年02月10日 11:01:34
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
今日,エホバの家とは,エルサレムその他の場所にある石造りの建造物ではなく,わたしたちがキリストの贖いの犠牲に基づき崇拝においてエホバに近づくための取り決めのことです。
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2009 … E%B6&p=par「エホバの家とは,…エホバに近づくための取り決めのことです」とは何ですか?JW用語ですか?聖書で聞いたことがありません。
もう少しわかりやすい表現をすれば、エホバの家とはエルサレムの霊的神殿のことですが、そこには、「イエス・キリストの犠牲を通して人間の贖罪を行なうために神が定められた取り決め」「イエスの血によって聖なる場所へ入る道」 があります、と言い換えることができるかも知れません。(ヘブ 9:11,12)
『洞察,第2巻』19–20ページ 「聖なる場所」の「象徴的な意味」という箇所に詳細な説明がされています。かなり難解な日本語訳の言い回しですね。
編集者 土の器のかけら (2017年02月10日 11:39:55)
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#235 2017年02月10日 11:34:39
- run
- ゲストユーザー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
ありがとうございます。読ませて頂きましたけど…よく分かりませんでした。
聖書の言葉の方がとてもスッキリします。
Ⅰテモテ 3:15b
神の家というのは、生ける神の教会(会衆)のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。
#236 2017年02月10日 11:47:25
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
runさん、こちらこそ、ありがとうございます。
私にとっては、神の家とは「エルサレムの霊的神殿」または「エルサレム神殿」というイメージがわかりやすいと思いました。「生ける神の教会」というのもロマンがあります。
少しづつわかりやすい言葉を考えていきたいと思います。
https://youtu.be/zWsvWCWU13k
編集者 土の器のかけら (2017年02月10日 12:05:53)
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#237 2017年02月10日 14:02:10
- iris
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
土の器のかけらさん
結局、あなたの考える「クリスチャン」=「神の家の者たち」というのは
どういう人のことなのですか?
ものみの塔の聖書研究のようにペトロの手紙の該当箇所から切り出すと、
「神の福音に従って善い行いをする正しい人」となるのでしょうか?
神の福音、善い行い、正しい人、というのも、
それぞれ人によって解釈が多様になりそうですが。
土の器のかけらさんの参照されている聖書個所(新共同訳)
あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、
苦しみを受けることがないようにしなさい。
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。
むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。
今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、
神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
「正しい人がやっと救われるのなら、
不信心な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりです。
だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、
真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。(ペトロの手紙一 4章15-19節)
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#238 2017年02月10日 14:12:14
- iris
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
「5のクリスチャンは、聖書を信じ、聖書の神の教えを守ろうとつとめ、聖書の神を崇拝する者」ということですが、リッチさんの前提条件では真のクリスチャンではなく自称クリスチャン、偽クリスチャンになりますが、それでよろしいですか。真のクリスチャンの重要な条件が欠落している自称キリスト教信徒という意味ですか。
結論として、リッチさんが用いる言葉には、リッチさん独特の思考、主観による意味づけが多いため、コミュニケーションが難しく返答することができません。
これは、私がリッチさんの意見や批判に反対しているという意味ではありません。
どちらかというとリッチさんの定義のほうが一般的で、
土の器のかけらさんのお考えのほうが独特ですよ。
真のクリスチャンの重要な条件とは何ですか?
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#239 2017年02月10日 16:05:30
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
どちらかというとリッチさんの定義のほうが一般的で、
土の器のかけらさんのお考えのほうが独特ですよ。
真のクリスチャンの重要な条件とは何ですか?
irisさん、こんにちは。
ですから、リッチさんの定義ではなく私自身の主観でよいのかという確認をしました。リッチ さんからも、「「今私が訊きたい事は、私が考えている『クリスチャン』ではなく、あなたが考えている『クリスチャン』での定義ですから」と許可されました。これが今までの経緯です。
当初から、ペテロ第一 4章15節から19節など聖句として提示していますが、私が特に重要と考えているのは、16節の「クリスチャンとして[苦しみに遭うの]であれば、その人は恥じることはありません。むしろその名によって神の栄光をたたえてゆきなさい」というところです。また、13節の「キリストの苦しみにあずかる者となっていることを歓びとしてゆきなさい」も同じような意味になると思います。
新共同訳など他の翻訳では少し異なるようですね。他の翻訳や参照聖句を調べてみたいと思います。尚、私が参考にしたのは、『洞察,第1巻』807–810ページ「クリスチャン」です。同書では「油そそがれた追随者」という表現もされていますが、私の主観で「神の家(霊的神殿)の者」を選びました。どちらでも構いません。#241で「神の家」の考察をしています。
これは私の主観です。正しいかどうかについては述べていません。また、他の人の考えを排除するものではありません。
編集者 土の器のかけら (2017年02月10日 23:11:51)
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#240 2017年02月10日 19:02:36
- リッチ
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
もう一つ曖昧なところがあります。「肉体的、精神的に傷つけるような偽りを行うか」という箇所の意味が曖昧です。
「肉体的、精神的に傷つけるような裁きを行うか」「肉体的、精神的に傷つけるような処罰を行うか」「肉体的、精神的に傷つけるような試練を与えるか」ではありませんか。または「肉体的、精神的に傷つけるという加害行為をするか」という意味ですか。
リッチさん、お手数ですが、「偽りを行う」の意味を説明してください。
騙す行為です。
例えば神がクリスチャンに向かって「お前を不幸にする」という嘘をつき、クリスチャンの心を傷つけたりする事です。
それと、私と土の器のかけらさんのクリスチャンは違うという事がわかったので、
聖書を信じ、聖書の神の教えを守ろうとつとめ、聖書の神を崇拝する者に対して、神は精神的、肉体的に傷つけるような偽る行動を行うか?
という質問もさせてください。
土の器のかけらさんが定義するクリスチャンの場合と、上記の場合の両方で答えて下さい。
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#241 2017年02月10日 21:33:46
#242 2017年02月10日 22:48:16
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
一般的には、イエス・キリストを救い主だと信じてその信仰を告白し、教会で洗礼を受けた人を示す言葉だと思います。
クリスチャン、という言葉の元が、初期キリスト教会の人たちを指して「キリストさん」ぐらいの意味で周りから付けられたあだ名なんです。もっと小馬鹿にした感じで「キリストもん」ぐらいのニュアンス。
それを自分たちで名乗り出して、クリスチャンという名称が一般的になったそうです。
リッチさん、こんばんは。
そうですね。牧師さんのいうとおりです。
牧師さんのいう「イエス・キリストを救い主だと信じてその信仰を告白」というのは、ペテロ第一 4章16節の「クリスチャンとして苦しみに遭う」、13節の「キリストの苦しみにあずかる者となって」という意味も含まれると思います。
ここでも「信じる」(思考)、および「告白」(結論の導出・決断・決定)のプロセスがあります。さらに実行行為として、「クリスチャンとして苦しみに遭う」「「キリストの苦しみにあずかる」ということも加わります。
これは私の主観です。他の人の考えを批難してわけではありません。宗教的な行事にあずかる行為がクリスチャンである意味づけとしても、その人の思考の自由であり私は何も言えません。
また、「教会で洗礼を受けた人」「洗礼」(実行行為)については、宗派によって諸説があります。
編集者 土の器のかけら (2017年02月11日 00:33:46)
オフライン
#243 2017年02月11日 00:55:21
#244 2017年02月11日 03:31:44
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
ま、それはそれで、
聖書を信じ、聖書の神の教えを守ろうとつとめ、聖書の神を崇拝する者に対して、神は精神的、肉体的に傷つけるような偽る行動を行うか?
土の器のかけらさんが定義するクリスチャンの場合と、上記の場合の両方で答えて下さい。
リッチさんの考えるクリスチャンと私が考えるクリスチャンが見解の相違があることを、既に#230において告知しています。リッチさんも「私と土の器のかけらさんのクリスチャンは違うという事がわかったので」と書いています。
さらに、リッチさんによる現役の牧師さんの答えから「教会で洗礼を受けた人」ということも前提ですね。その前提でしたら、信仰している神が異なります。信教の自由の保障がされていますから、それはその人の自由であり不問です。
結論としては、リッチさんが考える神が騙す行為を行うか、行わないか、私には答えることができません。よくわかりません。
また、私が考えるクリスチャン(神の家の者)に対して、神は精神的、肉体的に傷つけるような騙す行為を行いません。例えば、「お前を不幸にする」という嘘をつき、自分の家の者の心を傷つけたりすることはありません。
(これは私の主観です。正しいかどうかについては述べていません)
編集者 土の器のかけら (2017年02月11日 03:46:45)
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#245 2017年02月11日 03:51:13
- リッチ
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
さらに、リッチさんが支持している現役の牧師さんの答えから「教会で洗礼を受けた人」ということも前提ですね。そうなると 信仰している神が異なります 。信教の自由の保障がされていますから、それはその人の自由であり不問です。
私は別にその牧師さんを特別支持してるわけではありませんよ。1つの見解として参考に貼っただけです。
結論としては、リッチさんが考える神が騙す行為を行うか、行わないか、私には答えることができません。よくわかりません。
では神を土の器さんが考えているようなものと前提した時、その神は、聖書を信じ、神の教えを守ろうとつとめ、神を崇拝する者に対して、精神的、肉体的に傷つけるような偽る行動を行いますか?
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#246 2017年02月11日 04:36:05
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
土の器のかけら さんの発言:結論としては、リッチさんが考える神が騙す行為を行うか、行わないか、私には答えることができません。よくわかりません。
では神を土の器さんが考えているようなものと前提した時、その神は、聖書を信じ、神の教えを守ろうとつとめ、神を崇拝する者に対して、精神的、肉体的に傷つけるような偽る行動を行いますか?
私が考える神を前提とした場合、その神は、聖書を信じ、神の教えを守ろうとつとめ、神を崇拝する者に対して、精神的、肉体的に傷つけるような「騙す」行為を行いません。「偽りを言って騙す」というようなことはありません。
例えば、「お前を不幸にする」という嘘をつき、自分の家の者であれ、他の神々の崇拝者であれ、どのような者であれ、その人の心を傷つけたりすることはありません。(ヨハ一 4:16; ヨハ 3:16)
リッチさん、意味が曖昧で正確な理解ができませんが、一応、私の主観による神を前提として答えました。
編集者 土の器のかけら (2017年02月11日 04:48:36)
オフライン
#247 2017年02月11日 04:53:50
#248 2017年02月11日 05:07:05
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
聞き忘れていましたが、土の器のかけらさん自身は、「聖書を信じ、神の教えを守ろうとつとめ、神を崇拝する者」ですか?
私の考える神とリッチさんの考える神が異なるという前提で考えると、リッチさんの神を崇拝する者ですかという質問になります。そうであるなら、私は違います。
また、リッチさんのいう「聖書を信じ、神の教えを守ろうとつとめ、神を崇拝する者」という意味が正確に理解できているわけではありませんが、例えば、私は神の教えを守り、全ての隣人を愛しますということができません。
これは私の主観です。正しいかどうかについては述べていません。また、他の人の考えに反論するものではありません。
リッチ さんの発言:所で、あなたは自分はクリスチャンだと思いますか?
私は自分自身が、ペテロ第一 4章15節から19節などのクリスチャン、神の家の者であると思いません。
#234において、リッチさんのこの質問にも答えています。
編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 00:35:48)
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#249 2017年02月11日 05:24:44
- 土の器のかけら
- メンバー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
それと、神はどんな事でも実現できる力を持っていると思いますか? それとも、神にでも実現できない事は存在すると思いますか?
この「神」という意味づけを私の主観でよろしければという前提にします。神は自らが創造した被造物において、どんなことでも実現できる力を持っています。
また、これは仮定ですが、神に実現できないことは存在するとすれば、神の力が及ばない被造物以外になると思います。しかしながら、被造物以外にも実現できる力があるかも知れません。どちらなのかよくわかりません。
編集者 土の器のかけら (2017年02月11日 05:25:15)
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#250 2017年02月11日 06:25:59
- run
- ゲストユーザー
Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~
irisさん、初めまして。
結局、あなた(土の器のかけらさん)の考える「クリスチャン」=「神の家の者たち」というのは
どういう人のことなのですか?
JWには2種類のクリスチャンがいます。
① 天国に行ける14万4千人のクリスチャン。この人たちのことを油そそがれた追随者(天的級)と言います。
② 天国に行けないクリスチャン=地上の楽園で永遠を過ごすクリスチャン。この人たちのことを大群衆(地的級)と言います。
で、土の器のかけらさんの考える「クリスチャン」=「神の家の者たち」というのは、油そそがれた追随者(天的級)のことのようです。