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#26 2013年11月28日 11:21:50

もんもん
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

エイズウイルスに感染した人の血液が、献血の際の検査をすり抜けて2人に輸血されていた問題で、このうちの1人の60代の男性が、エイズウイルスに感染していたことが日本赤十字社の検査で分かりました。
HIV感染の献血 輸血の1人が感染

最近、輸血用の血液にHIVウイルスが混入していた事故が報道されました。
輸血関連の話題なので、貼り付けておきます。

オフライン

#27 2014年07月18日 21:11:52

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

調べてるのは「輸血の起源」~いつごろ始まり、どのように広まっていったのか、
という全く別の事なんですけどね…検索上位にあるためか、このHPがよく目に留まります。

「輸血拒否 – 間違った土台」の記事

「犠牲になる正しい理解」の項目

> ユダヤ人がそれを食べても宗教上清めが必要な「汚れた」状態になるとだけ述べられています。

読んだ瞬間違和感を覚えたのですが、調べてみると案の定、勇み足のようです。
申命記 14章21節という、どちらにも出現する聖句を目を見開いて改めて読んでみましょう。
イスラエル人が自然死した動物の肉を食べる事は明確に禁じられていますよ。類似聖句として出エジプト記 22:31も挙げる事ができます。
従って、レビ記のその部分は外人居留者が食した場合の規定と考えた方が自然です。





で、書き込むついでにここまでの議論も拝見したのですが、

> エホバの証人が輸血を拒否する本当の理由は「聖書が輸血を禁じている(と教えている組織に逆らえない)から」であるにもかかわらず、

のように的外れな個人的推論を動かしがたい真実であるかのように吹聴されるのは迷惑でしかないので、
私が輸血拒否を選択したに至るロジックを解説しておきます。

・「血を避けなさい」という使徒15章の聖句が存在する
1.輸血も禁止されていると解釈すべき(ものみの塔協会の見解)
2.輸血禁止は聖書の甚だしい曲解(反対者側の主張)
3.輸血禁止という解釈は理論上可能、曲解とまでは言いがたい(私の見解)

次に考えたのはこうです。

ヨブは「もしかすると~かもしれない」という仮定の罪に対する犠牲を捧げました。
この行動は神の目に良い事と映りました(ヨブ記 1:5,8)

神が実際には輸血拒否までは求めていないとしましょう。輸血拒否によって死亡した人は神の目にどう映るのでしょう?
神が実際に輸血拒否まで求めているとしましょう。それを批判し妨害しようとする人々は神の目にどう映るのでしょう?

安全側に倒すなら、輸血拒否を実践した方が無難であろうという結論になりました。
今の世の中に不満こそあれ命が惜しいと思ったことなどありませんのでね、何のためらいもありませんでした。
補足するなら、「神を第一に求めなさい」「自分の魂を救おうとする者はこれを失い、主のためにこれを失う者は命を得る」
「忠実であることを死に至るまでも示しなさい、そうすれば命の冠を与えよう」など、
いわば殉教死的な考えを後押しするかのような言葉は幾つでも見つかるのですが、
反対の意味の言葉はいくら頭をひねっても一つも思い浮かばないのが実情です。

そこで、少なくともクリスチャンを自負する人で、輸血禁止という解釈が理論上不可能という事を自分自身で立証できない人については、
この件をもっともらしい言葉で批判しないでおいた方が良いですよ、と一応の忠告をしておきます。
だってその行動は神に敵対する行為そのものであるのかもしれないのですから(使徒 5:39参照)。



それから、そもそも輸血の起源に関して調べていたのは、
「輸血の是非に関しては当初、エホバの証人以外にも否定的な態度を示すクリスチャンが少なからずいた」
というような経験談を雑誌(たぶん目ざめよ)で見て以来、
20年近くは(とはいっても数年に1度くらいの気まぐれペースで)探しているんですが、
情報が少なすぎて「これぞ」という情報には未だにたどり着いていません。
つまり何が言いたいのかというと、輸血という行為が神の掟を踏み越えているかもしれないという懸念は、
個々人レベルにおいてはなにもエホバの証人だけが抱いた疑問ではなかった疑いがあるという事です。
そもそも、キリストが現世に生きていたとして、輸血を推奨するとお思いですか?
どんな病もたちどころに癒し、死者でさえ蘇らせる事ができるほどの力をお持ちであったというのに。





ついでなので、当事者が子供であった場合の子供の人権についても一言。

実際のところ、輸血拒否に関する幾つかの議論を追ってみると、成人については自己責任なんだから外野がとやかく言う事はないんじゃない?
という意見が昔と比べてかなり増えた…というか今ではすでに大勢を占めているように感じます。

しかし子供については、親が決定すると子供の人権を奪う事になるのでこれはNG、これがほぼ全体の一致した意見です。

ところが、よく似たケースで全く逆の現象が起きている、という事を指摘している人がいました。
何年か前に国会を通過した改定臓器移植法案のことです。

以前は親が移植に同意したとしても、子供が死ぬ前に拒否していた事が明らかならば臓器移植は行えませんでした。
しかし法案の通過によって、親の同意さえあれば子供の生前の意思は無視して臓器移植をする事が可能となったわけです。
こうした変更に異議を唱えた人は少なくなかったのですが、異議を唱えた人は「人でなし」呼ばわりされていましたね。
中には、子供を失ったばかりの放心状態の両親に対し、
臓器待ちの立場の(1秒でも時間が惜しい)人たちから圧力が強まる事に繋がるのでは、
という懸念を示していただけの人もいたのにです。

親の決定が疑問視され決定権を取り上げよとするケースがある一方で、子供の決定を度外視する法案が拍手喝采で迎えられる。
前者が人権侵害であるならば、後者も当然ながら人権侵害なのでしょう、この現象はあまりにも不可解ではありませんか?
では両者に共通点は無いのかというと、きちんとあります。どちらも「救える命は救ったら?」という点に尽きるんです。

エホバの証人の子供の場合、人権がうんぬん~と主張していた人は、改定臓器移植法案に反対した人達なのでしょうか?たぶん違うと思っています。
では今からでも反対意見を表明するのでしょうか?これもたぶんやらないでしょう。
ではこうした人達が人権だと信じて疑わなかったものの正体は何なのでしょう?
あとは各人の判断に委ねます。





などと書いていたら、次の記事も題名が気になったので軽く目を通してみました。

「輸血拒否 – 子どもたち」

> しかし4年前の自らの雑誌の中では輸血を拒否して亡くなった若者たちを称えて次のように述べています。

え~と、なんというか…

「輸血を拒否して亡くなった若者たち」×

これはたぶん読み違いです。

「エホバの証人以前の過去の忠実なイスラエル人の若者たち」△

これもちょっと違うな。

「ナチスドイツの強制収容所で亡くなった若者たち」○

たぶんこうです。

#28 2014年07月18日 23:16:00

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

こんばんは、


血に関する宗教的意義は別にして、輸血は極めて危険な医療行為と考える必要があります。


医療行為は何でもOKとみなすべきではありません。
虫歯の治療に用いられていたアマルガムは、水銀や銅の溶出の問題を持っています。

歯科治療に金属を用いること自体、問題視されています。
金属は体内電位を狂わせます。
それにより、菌の繁殖やその他の不利な影響が生じます。

また、治療に用いられる薬は、全て毒といえます。
ずべて、副作用とのバランスを取りながら処方されます。
製薬会社の利益や利権のために各種ワクチン、その他の危険な治療薬が生産されて使用されています。
それにより、毎年のように薬害事件が報告されています。

ネットを活用し注意深く調べてみると「うんざり」させられるでしょう。

輸血の危険について警告している医療ジャーナリストがいます。


それで、輸血を含め医療行為をどう見なし扱うかは個人の判断に任されます。
そこに、宗教組織が出てくる必要はないと思います。



「血を避けなさい」について、

使徒 15:19-20, 28-29
19 ですから,わたしの決定は,諸国民から神に転じて来る人々を煩わさず,20 ただ,偶像によって汚された物と淫行と絞め殺されたものとを避けるよう彼らに書き送ることです。

28 というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。29 すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物とと絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください」。

ここで、「血」と「淫行、偶像崇拝」に多少の違いがあるとおもいます。

モーセの十戒には、「淫行、偶像崇拝」は含まれていますが、「血」についての言及はありません。
また、啓示の書は永遠の命の祝福を得られないものについて述べていますが、そこでも、「淫行、偶像崇拝」を上げていますが、「血」についての言及はありません。

啓示 22:15
15 その外にいるのは,犬,心霊術を行なう者,淫行の者,殺人をする者,偶像を礼拝する者,また,すべて偽りを好んでそれを行ないつづける者である』。


それで、「血を避ける」ことをどう見たらよいでしょうか。

聖書の中で「血」は命や魂の象徴とされています。
そして、宗教的な贖いの儀式に限って「血」は用いられています。
宗教的に「血」は罪の許しと関係していました。
動物の肉を食するとき「血」を食物として扱うことは禁じられていました。

これらの聖書的な「血」の用法は、キリストの贖いの犠牲の「血」に対する認識を築きます。
それは、いわば世俗的に用いることのできないものといえます。

これらの聖書的な背景は、各クリスチャンが「血」をどう扱うかを判断する助けとなります。
命に関わる治療で「血」の一部をどの程度用いるかなどは、宗教組織が決めることではなく、自分で決めるべきでしょう。(蛇にかまれたときの血清の使用とか、その他)


一般的に、血を飲んだり食べたりする民族は少数だと思います。
そのような民族を神がどうご覧になり扱われるのかを、宗教団体や個人が決められないと思います。
それは、神の問題であり、私たちのものではありません。

私たちの問題は、自分がどう「血」を見なし扱うかということです。
この点で、神以外の他人に裁かれる理由はないと思います。

ローマ 14:4
4 . . . その人が立つも倒れるも,それはその主人に対してのことなのです。実際,その人は立つようにされるでしょう。エホバはその人を立たせることができるからです。

同じことが、淫行や偶像崇拝、その他の悪行についてもいえます。
わたしたちを、裁く方は、宗教団体や単なる人間ではなく神(及びキリスト)だからです。

ものみの塔協会の司法制度は、クリスチャンの自由を逸脱していると思います。
審理委員会や排斥や組織への復帰などは聖書的な根拠がありません。
ものみの塔協会の資格も能力もない雇われ牧者たちによる見せかけの権威の誇示に過ぎません。

コリント第一 4:4-5
4 わたし自身,責められるようなことは何も意識しないからです。しかしそれによって,わたしは義にかなっていると証明されているわけではありません。わたしを調べる方はエホバなのです。5 それゆえ,定めの時以前に,つまり主が来られるまでは,何事も裁いてはなりません。[主]は,闇の隠れた事柄を明るみに出し,また心の計り事を明らかにされます。その時,人は各自神からの称賛を受けるのです。


それらの無能で何の役にも立たない司法制度や、雇われ裁き人たちは神に言い開きを求められでしょう。

編集者 sk (2014年07月19日 05:46:48)

オフライン

#29 2014年07月19日 10:18:55

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

skさんへ

一応ここは輸血拒否に関するトピックのはずなので、それ以外の事を主張したいのであればそれに相応しいトピックで行われると良いと思いますよ。

排斥に聖書的根拠が無いと言っておられますが、これも上記と一緒なんですよ。

・「(悪行者を)除き去りなさい」というコリント第一 5章の聖句が存在する
1.排斥には聖書的根拠がある(ものみの塔協会の見解)
2.排斥は聖書の甚だしい曲解(反対者側の主張)
3.排斥という解釈は理論上可能、曲解とまでは言いがたい(私の見解)

正直、「口もきいてはなりません」などの厳格な適用はやりすぎなんじゃないかな…
と思うことがある事も確かなんですが、それは私の人間的な考えであって、
重要なのは神の視点だと思うわけです。



トピックの趣旨から外れているので説明はここまでで終わりにしておきますが、
ついでなので、排斥に関する話も1つ残しておきましょう。
アメリカの本部から日本支部に伝えられた話として、「日本人は優秀だ」というのがあります。
どういう事かというと、日本のエホバの証人は排斥されて戻ってきた場合、
2度目の排斥になる率が極めて低いという事です。
つまりエホバの証人の海外事情は(以下省略、確か年間の排斥者数も万人単位だったような気が…)

#30 2014年07月19日 10:47:23

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの兄弟、

おはようございます。

兄弟のように自分で考えるクリスチャンの自由をもつ人は、いずれものみの塔のインチキを見破れるでしょう。

違うトピックに関するご指摘は、ごもっともです。
わたしも、ここで排斥のトピックを発展させるつもりはありません。
後日、聖書の教えコーナーで論じます。


ここでは、ものみの塔インチキ「神の代理店」の偽善と聖書的な根拠のない裁きによる犠牲者が存在するので、簡単にものみの塔のインチキを指摘しました。

このサイトは、明らかにものみの塔のインチキを暴露し、犠牲になっている多くの方々を、精神的にもまた現実的にも、その洗脳と権威主義から開放するために存在していますので、それぞれの記事でその趣旨に合った発言をすることを阻む理由や妥当性はないと思います。


もし、兄弟がものみの塔の教理や権威機構を擁護したければ、聖書を用いてそうしてください。
わたしも、聖書を用いてお答えします。





輸血は、癌治療(手術、抗がん剤、放射線治療)と同じ医療利権の産物です。

吸血ビジネス


こちらは、カントンの犬 証拠証言集読み上げ5時間ものです。

編集者 sk (2014年07月19日 10:53:39)

オフライン

#31 2014年07月19日 11:36:13

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者A さん こんにちは。
ざっと読んで返信しています。

通りすがりの信者A さんの発言:

> ユダヤ人がそれを食べても宗教上清めが必要な「汚れた」状態になるとだけ述べられています。

読んだ瞬間違和感を覚えたのですが、調べてみると案の定、勇み足のようです。
申命記 14章21節という、どちらにも出現する聖句を目を見開いて改めて読んでみましょう。
イスラエル人が自然死した動物の肉を食べる事は明確に禁じられていますよ。

要点を誤解されていると思います。
わたしは サイトの記事でイスラエル人が自然死した動物の肉を食べることを禁じられていないとは
述べていません。

記事の要点はこうです。

聖書の中では 動物の命を奪った場合の「血」の意味と
命を奪ったわけではない場合の「血」の意味では違いがあるということです。

輸血に関してい言うと
人の命を奪って、その血を食べるわけではありません。

ですから創世記のノアに関連する記述の 血を伴う肉を食べてはならない
という聖書の命令と輸血はまったく無関係であるということです。

イスラエル人はモーセの律法によって「汚れ」に関連する様々な
規定が与えられています。

その中に血液や体液、らい病に関連する規定が含まれます。

例えば 月経中の女性にふれると「汚れた」状態になるとされています。

しかし例えば、月経中の女性が井戸に落ちて 彼女に触ると汚れるからと
言って彼女を見殺しにする人がいたら神はどう感じると想定しますか?

通りすがりの信者Aさんは神が輸血拒否を求めているか求めていないのか判断がつかないというスタンスであることを言われましたが、以下の考えは大変危険だと思います。

神が実際には輸血拒否までは求めていないとしましょう。輸血拒否によって死亡した人は神の目にどう映るのでしょう?
神が実際に輸血拒否まで求めているとしましょう。それを批判し妨害しようとする人々は神の目にどう映るのでしょう?
安全側に倒すなら、輸血拒否を実践した方が無難であろうという結論になりました。

「神が実際に輸血拒否まで求めているとしましょう」という想定ですが、
そのような神の存在を想定すること自体が
健康的ではないと思います。


あと skさんが紹介されている
船瀬俊介氏、内海聡氏の輸血に関する主張は
注意喚起を極端に拡大しすぎて、逆に危険なものだと思います。

内海聡氏のツイッター記事を少し見たことがありますが
相対的輸血拒否と絶対的輸血拒否がごっちゃになって論じられていて
意図的に極端な主張をして注目を集めようとしているようにしか
思えませんでした。

内海氏の抗がん剤の危険に関する主張や他の主張についても
同じような傾向を感じました。

オフライン

#32 2014年07月19日 14:15:29

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

> 記事の要点はこうです。

え~と、私は記事の要点や結論等について指摘したのではなく、
引用したまさにその部分について、
等価なものを不等号記号で結んでいるかのような違和感を覚えたという事です。
一応、指摘すべき点は指摘しましたので、今の記述を修正する必要がないとお考えであれば、
部外者がこれ以上、何かを言うべきではないのでしょう。





> 以下の考えは大変危険だと思います。

> 「神が実際に輸血拒否まで求めているとしましょう」という想定ですが、
> そのような神の存在を想定すること自体が
> 健康的ではないと思います。

たぶんここが主流派とエホバの証人の最大の違いなんですよ。
確かに論理としては常軌を逸しているのかもしれません。「神への依存度が高すぎる」と。
でもそれを指摘するのは神の存在すら信じていない一般人の役割であって、
神の存在も力も信じると公言するクリスチャンの役割ではないとも思っています。
なぜなら、「あなた方は神を軽んじている」と反論された時に何も言えないではありませんか。
神を軽視し侮る事こそが正しい信仰のあり方である、というのであれば話は別ですが。

幾つかのページを調べた結果、カレブさんご自身はまともな推論のできる方であろうと感じました。
ただ、今後も批判を続けようとお考えなのであれば、問題の本質やアプローチのあり方について、
今一度じっくりと考察をされた方が良いとも感じます。

#33 2014年07月19日 16:15:06

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者Aさん

幾つかのご指摘ありがとうございました。
指摘されていた部分を読み返してみました。
誤解を与えそうな部分は 時間があれば何か注記を入れたいと思います。

輸血に関連する記事は当時もどのように書くか悩んだ記憶もありますので
読み返す機会になったことを感謝します。

輸血関連の記事を書く際は、何らかの人間的な「妥協」を匂わせるような
文面がないように気を付けていました。
読む人によっては「妥協的」な見方に否定的な感情をもつからです。

輸血の問題は
”人間の命より神への従順が尊い”という気持ちが
本来考えるべき 論議の妨げになると思っています。

オフライン

#34 2014年07月20日 06:39:23

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

おはようございます。


聖書を信じる者として、わたしは「血を避けるように」との助言を軽く見てはいません。

それが何を意味するか内心の疑問はありません。
とはいえ、わたしの確信を他の信者の基準にするつもりはありません。

ものみの塔インチキ「神の代理店」は、想像上の神から与えれた権威を誇示し、この問題で基準を作り、それを守るように世界中の他の信者に要求し、ものみの塔の勅令を守るかどうかによって信者の神への信仰を裁くことまで行います。

全く馬鹿げている点は、ものみの塔の統治体の無能な頭が思いついた基準が数年ごとに変わることです。
それによって、過去に排斥された人がいたり、これから排斥される人が出てきます。

彼らの普遍性のない、「現時点での真理」により人生を振り回される盲従のJWたちを哀れに思います。

横暴なものみの塔も、また主体性を失った(マインドコントロールの結果クリスチャンの自由を放棄した)哀れなJWたちも何か間違っていませんかね。


使徒パウロは復活のキリストから直接任命を受けた人でした。
しかし、彼は自分が他の信者の信仰の主人ではないと述べています。
また、独自の信条で他の信者を支配しようとした偽教師たちにおもねることはありませんでした。
彼は、クリスチャンの自由のために戦いました。

彼は、すべてのことを確かめるように勧め、自分の信仰でしっかり立つように他の信者を励ましています。

そこには、ものみの塔協会とエホバの証人たち、つまり宗教権威と平信徒というような関係は存在しません。


コリント第二 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。


ガラテア 2:4-5
4 むしろ,それはこっそり連れ込まれた偽兄弟たちによるのです。その人々は,わたしたちがキリスト・イエスと結ばれて持っている自由をうかがうために忍び込んで来たのであり,わたしたちを完全に奴隷にしようとしているのです― 5 そのような人たちに対してわたしたちは屈服して譲歩したりはしませんでした。そうです,一時といえどもです。それは,良いたよりの真理が引き続きあなた方のもとにとどまるようにするためでした。



パウロは、クリスチャンたちがユダヤ教の体制から自由にされた点を論じ、次のように結んでいます。

ガラテア 5:1
1 キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい

つまり、キリスト教は宗教支配者と平信徒という関係ではありません。

ところが、ものみの塔エホバの証人、また多くのキリスト教会は、未だに宗教権威と平信徒スタイルで機能しています。これは真のキリスト教ではありません。


コリント第一 7:23
23 あなた方は代価をもって買われたのです。もう人間の奴隷となってはなりません


マタイ 23:8-10
8 しかしあなた方は,ラビ(統治体)と呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。9 また,地上のだれをも父(統治体)と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。10 また,『指導者』(統治体)と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです


見える目、聞く耳のあるJWの皆さん、自らの逸脱に気づきなさい。



では、本論の「血」について、

ものみの塔の度重なる見解の変更と、他の信者の信仰を支配しようとする横暴な振る舞いについて解説します。


基本的にJWは、赤血球、白血球、血漿、血小板のような血の主要成分や全血は受け入れません。

しかし、血清を含め血液が作り出す成分を医療目的で用いるかどうかは個人で決めることができます。

そこで話が終われば良いのに、ものみの塔は「これは良い」とか「これは良くない」とかさらに細かく決めて公表し、その基準に基づいて排斥など人を裁くことまで行いました。

行き過ぎと思いませんか。

また、ものみの塔協会により「変更される見解」についていくために、JWは不要で余計な勉強を強いられます。本質を見失って、協会の最新情報に精通していることが信仰の証明であるかのように錯覚し喜んだり、それによって他の人を裁いたりします。


加えて、協会はまるでJWの信仰の主人でもあるかのように輸血拒否カードをJWに携帯させたり、協会の準備した輸血拒否宣言書を提出させたりしました。

このようなやり方に疑問を抱いたことがないなら、あなたは完全に協会の奴隷です。

このような組織第一印象派的なアプローチは真のクリスチャンのものでしょうか。

さらに悪いことに、この血に対する決定が協会からのものであるとの印象を他の人に与えないように、「これは、聖書に基づくわたしの信仰です。」と言いなさいと、協会はJWに指示しています。

本当に聖書に基づく個人的な信仰の表明であれば、他のだれからも指示される必要はないでしょう。
協会がしていることは、極めて偽善的です。





もっと本質的なことを考える。

食べ物は、血となり肉となります。
栄養は血を経て肉となります。
飢餓状態であれば、体は自分の肉を消費(つまり食べる)していきます。
また出血があれば、体が失われた血を補います。
つまり肉が血に戻ります。

何が言いたいのでしょうか。

肉は血の生成物といえます。
神は肉を食べることを許しています。
では、動物から取られる血清にしても、他の血液生成物にしても食べることができるということではありませんか。

また自分の肉は自分の血に戻ることができます。
自分の血を輸血するすることに何の問題がありますか。
わたしには個人的なことにしか見えません。

これほど単純なことを、複雑にしているのは誰ですか。
各クリスチャンの信仰や理解力を統制しようとしているのは誰ですか。
聖書に明確に述べられていないのに、なぜそのようなことが必要なのでしょうか。


かって、ものみの塔協会は現在許可されている血液生成物を禁じていたときがありました。
そして、それによって子供も含め何人かが忠誠のうちに命を落としました。
しかし、ものみの塔協会は過去の誤りによりどれほどの人が不必要に命を落としたのか把握していません。なぜなら、それらの指示が、尋ねてきたJWに電話により口頭でなされ、その正確な記録をとっていなかったからです。

その後、見解を変更する際、これまでどおり過去の過ちについての言及やお詫びは一切ありませんでした。
いつでも、「増しゆく光」の名の下に命を左右する解釈の変更が無責任になされます。

では、無駄に命を落としたJWたちについてどう見たらよいでしょうか。
それは、不必要な死であったとはいえ誠実な信仰の表明だったのでしょう。
とはいえ、誰に対する信仰ですか、本当に神に対するものですか、それともものみの塔協会に対するものですか。

信仰の対象を誤ることは、その人にとって損失となるでしょう。


ものみの塔に全面的に依存することの危険性を軽く見るべきではありません。


ものみの塔が行っていることは、パリサイ人が行っていたことと全く同じです。

マタイ 23:23-24
23 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は,はっか・いのんど・クミンの十分の一を納めながら,律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです。これらこそ行なうべきことだったのです。もっとも,それら他方の事柄も無視すべきではありません。24 盲目の案内人,ぶよは濾し取りながら,らくだを呑み込む者たちよ


マタイ 12:7
7 しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう

もし、ものみの塔協会が本質を理解しているなら、信者に不必要な殉教を強要しなかったでしょう。

ものみの塔の指導者たちは、イエスの時代の宗教指導者たちの子孫です。


おまけ、

血液製剤の危険性については、それらが殺菌のために放射線処理を受けているので発がん性が高まるといわれています。

医療ジャーナリストの船瀬さんや、内海医師の警告は考慮に値すると思います。
輸血や抗がん剤で助かっている人もいますし、害を被っている人もいます。
統計的には、害を被っている人が多いでしょう。
生命力の強い人は100歳までタバコを吸い続けて肺の中が真っ黒になっていても元気でいます。

各自は自分自身でよく調べ内心に疑問のない決定をすべきと思います。
ものみの塔協会のような宗教組織の権威に単に盲従することが神への忠誠ではありません。


「血」の問題のものみの塔協会の無責任な扱いは、レイモンド・フランズの「In Search Of Christian Freedom」の9章「Blood and Life, Law and Love」に詳しく書かれていますので参考になさって下さい。

編集者 sk (2014年07月20日 14:06:50)

オフライン

#35 2014年07月20日 12:39:24

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者Aさんの指摘を参考にして
jwstudy の記事本文に追記を入れました。


以下のページの ものみの塔の文面について補足説明を増やしました。
http://www.jwstudy.com/docs/blood_and_children/

*** 目94 5/22 2ページ  ***
昔,多くの若者は神を第一にしたために死にました。今でも若者たちは神を第一にしていますが(*),今日では輸血を争点として,病院や裁判所を舞台にドラマが繰り広げられています。

(* 英文では「今でも彼らはそうしている」つまり前の文章の神を第一にして死を選択するという点を述べている。そして、この雑誌の表紙には輸血拒否による”殉教”の死を遂げた若者と思われる写真が複数掲載されている。)


さらに
以下のページに自然死した動物の肉についての補足説明を追加しました。
http://www.jwstudy.com/docs/blood_inconsistency/

オフライン

#36 2014年07月20日 13:01:46

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者Aさん

通りすがりの信者Aさん さんの発言:

> エホバの証人が輸血を拒否する本当の理由は「聖書が輸血を禁じている(と教えている組織に逆らえない)から」であるにもかかわらず、
のように的外れな個人的推論を動かしがたい真実であるかのように吹聴されるのは迷惑でしかないので、
私が輸血拒否を選択したに至るロジックを解説しておきます。

元の iris さんの発言は「的外れな個人的推論」だとは思えませんでしたが、

おそらく「聖書が輸血を禁じている(と教えている組織に逆らえない)から」の
文面の(教えている組織に逆らえない)という言葉に反応されたんですよね。


通りすがりの信者Aさん さんの発言:

・「血を避けなさい」という使徒15章の聖句が存在する
1.輸血も禁止されていると解釈すべき(ものみの塔協会の見解)
2.輸血禁止は聖書の甚だしい曲解(反対者側の主張)
3.輸血禁止という解釈は理論上可能、曲解とまでは言いがたい(私の見解)

「輸血禁止という解釈は理論上可能、曲解とまでは言いがたい」
とのことですが、

通りすがりの信者Aさんは もし ものみの塔協会が公式に
自分たちの輸血拒否の解釈が間違っていたことを認めたら
(仮に jwstudy の記事と同じような説明で協会が説明してきたら)

それでも
輸血拒否を貫く自分を想像できますか?(致死量の出血があった場合です)

あるいは ものみの塔の信者の中で
どのくらいの人が 協会が見解を変えても絶対的な輸血拒否を
貫くでしょうか?

わたしは協会が「血に関する聖書の原則を輸血を拒否する方法で当てはめるのは
間違いである」と断言し、その理由を説明したら

次の日から 死に直面したエホバの証人は輸血の受け入れOKのサインを
病院に出すと思います。(例外はあっても大多数という意味です)

でも、通りすがりの信者Aさんの論理からすると

通りすがりの信者Aさんは輸血拒否を貫くべきなのです。

なぜなら

「2.輸血禁止は聖書の甚だしい曲解(反対者側の主張)」

が そのまま

「2.輸血禁止は聖書の甚だしい曲解(ものみの塔の新しい主張)」

になるだけなのですから

エホバが輸血拒否を望んでいる可能性が1%でもあれば
通りすがりの信者Aさんは輸血拒否を貫くんですよね?

いじわるな質問になって申し訳ないですが
考える糧になればと思って書きました。

オフライン

#37 2014年07月20日 15:39:22

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

要点だけお伝えします。

> 元の iris さんの発言は「的外れな個人的推論」だとは思えませんでしたが、

> おそらく「聖書が輸血を禁じている(と教えている組織に逆らえない)から」の
> 文面の(教えている組織に逆らえない)という言葉に反応されたんですよね。

言葉が断定調になっている事からして、これは後の続く自身の説明を真実なものと
読者に納得させるための、いわば定義文です。しかしそんな事実は無い。
ですから、その定義に全く当てはまらない私のような者がいる以上、
こうした憶測を真実のように語られるのは「迷惑でしかない」、と申し上げているのです。
(極端から極端に走りすぎる人によく見られる傾向なので、「ああ、またか」という感じです)





> 通りすがりの信者Aさんは もし ものみの塔協会が公式に
> 自分たちの輸血拒否の解釈が間違っていたことを認めたら
> (仮に jwstudy の記事と同じような説明で協会が説明してきたら)
> それでも
> 輸血拒否を貫く自分を想像できますか?(致死量の出血があった場合です)

残念ながら、協会が公式に間違いを認める、という事は、天地がひっくり返っても無いと思います。
この辺は見通しが甘すぎるというかなんというか…「間違いを認める=我々の勝利だ!」
という願望がそういう甘い見通しに導いているのであろうという事が容易に推測できるわけでして…

エホバの証人の教義変更のプロセスでは、例外なく、
「根拠は○○の聖句で、これこれこうで、こういうわけです」
といった具合に、信者に対してなんらかの説明がなされる事でしょう。
これは他のどんな教理についても全く同じ事が言えます。
そう、一つの例外もなく、です。

輸血に関しては、仮に輸血を教義から削るべきと判断したとしても、
「信者全てが従うべき教義」から「個人が判断し結論すべき事柄」へと降格する程度かと思います。

ではその時、私はどうするのか?

協会の新しい説明が納得できるものであれば、輸血拒否の信念を取り下げる事もあるかもしれません。
しかし、輸血拒否が自由意志であり、説明が納得いくものでないならば、
引き続き輸血拒否という立場を堅持していく事でしょう。

あくまで仮定の話ですが、質問自体が仮定の話ですし、これで回答になるでしょうか?

ちなみに、私の乏しい知識でいくら考えを巡らしても、
協会が輸血拒否に関する条項を緩和するとは思えません。
なぜならば、そこには輸血を避けるべきではないという明確な論証が必要不可欠なのであって、
その論証も無いまま、的外れな字句の論議のみで協会が教義を改めるなどとはとても思えず、
そうした中核の証明を放り出したまま仮定のみで結論を論じるのは、
絵に描いた餅であるとしか映らないからです。





skさんの投稿については、聖句を含む部分については Watch Tower Libraly からの長文転載、
そこに都合のいい意図不明の解釈を並べて自説を披露しているようにしか見えず、
対話する姿勢でもなければ、私の説得を試みているようでもない。
つまり批判だけが目的の恣意的な内容と感じますのでノーコメントとさせて頂きます。
(聖句の無い部分については一考の価値はあるのでしょうが、私には全く興味のない事柄ですし)

#38 2014年07月20日 17:01:21

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

これはスゴイ、意外な結果になりましたね。



通りすがりの兄弟は、柔軟な頭と心の持ち主かな、と思っていました。

ところが、ものみの塔のマイコンロボットでした。
どうしようもありませんね。

見る目と聞く心のあるJWの兄弟たち、

このような通りすがりのAさんのような方が、いつまでもものみの塔バビロンに居残るタイプです。
このようなタイプの人から、あなたのクリスチャンの自由を侵害されないようにしてください。

わたしとしても、このタイプのものみの塔マイコンロボットと関わるつもりは一切ありません。

この意味不明の変な人はこの掲示板あらし担当者かもね。

ベテルは、よっぽどこのサイトを潰したいのだろうなぁ~。

まだまだ、つづくよものみの塔インチキ「神の代理店」暴露。


ものみの塔のインチキ権威ではなく神を恐れる全てのJWの皆さん、輸血の問題でものみの塔が行った無責任な扱いを美化すべきではありません。


復習 (現代のパリサイ人への糾弾)

自分たちの間違った解釈で既に数万人が不必要な殉教の死を遂げています。
事実を知った何人かは、訴訟を起こしています。

ものみの塔は、それら犠牲になった人々に、「それはその時におけるあなたの信仰であり、協会とは関係がない。」と主張しています。

協会は、JWの信条に深く関わっておきながら、JWに「協会が言っているから輸血を避けます。」みたいな印象を与えないように、「聖書によって培われた自分の信仰で輸血を避けます。」と言いなさいと、わざわざ念押しすらしています。


輸血に限らず、一事が万事すべてこのパターンです。

そして、不都合が生じると、「それは、あなたの個人的な信仰でしょう。」と言い放ち、決して責任を負うことをしません。



それで、ものみの塔雇われ長老たち、またマイコンロボットたちを再度糾弾します。

マタイ 23:33-35
33 「蛇よ,まむしらの子孫よ,どうしてあなた方はゲヘナの裁きを逃れられるでしょうか。34 このゆえに,わたしは今,預言者と賢い者と公に教え諭す者たちをあなた方のところに遣わします。あなた方はそのうちのある者を殺して杭につけ,ある者を会堂でむち打ち,都市から都市へと迫害するでしょう。35 こうして,義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。


ものみの塔雇われ長老たち、またマイコンロボットたちは、外部からの道理にかなったものの見方や助言を一切聞きません。Newsで報道されているJWの悪行についても、一切責任を感じません。
また、自らの気ままな解釈により命を失った多くのJWの血(輸血やマラウィにおける中立の問題)について無頓着です。

ものみの塔の気ままな聖書解釈による全ての殉教者の血が、やがてあなた方に臨むでしょう。

編集者 sk (2014年07月20日 17:07:39)

オフライン

#39 2014年07月20日 19:08:03

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

iris さんは #19 の投稿で以下のように述べています。

わかりやすく色づけと下線を引いています。

エホバの証人が輸血を拒否する本当の理由は「聖書が輸血を禁じている(と教えている組織に逆らえない)から」であるにもかかわらず、
医学的にも輸血をしないことが正当であるかのように主張するのはおかしいですね。

わたしは iris さんの投稿は 下線の部分が要点であると思いました。

それに対して、通りすがりの信者Aさんは括弧の青字の部分に注目されました。

通りすがりの信者A さんの発言:

言葉が断定調になっている事からして、これは後の続く自身の説明を真実なものと
読者に納得させるための、いわば定義文です。しかしそんな事実は無い。

わたしは iris さんの括弧の一文は その後に続く説明とそれほど関係があるとは
感じませんでした。なので 通りすがりの信者A がその部分にこだわって
続く部分を否定的に読んでいることが不思議でした。

それで、文章全体を斜めに読んでいるのはないかと感じたのです。

つづいて、協会が公式に見解を変えた場合の話にうつります。

前の投稿

通りすがりの信者A さんの発言:

残念ながら、協会が公式に間違いを認める、という事は、天地がひっくり返っても無いと思います。
この辺は見通しが甘すぎるというかなんというか…「間違いを認める=我々の勝利だ!」
という願望がそういう甘い見通しに導いているのであろうという事が容易に推測できるわけでして…

協会が公式に間違いを認めるのは難しいでしょうが
「我々の勝利だ!」とか そういう次元の問題なんでしょうか?
むしろ、誰がどう感じようと、協会の見解に振り回されている
現役信者が一番の敗北者なのではないでしょうか?

わたしは間違いを認めない協会は ぜひとも敗北してほしいと
思いますが、それはエホバの証人にとっての敗北ではないと思っています。

あと よくわからないのは 通りすがりの信者Aさんにとっては
「間違いを認める」ということは何を意味しているのでしょうか?
例えば協会はかつて臓器移植を排斥事項から個人の自由に変更しましたよね。
それは協会が臓器移植に関する理解に関して何らかの「間違い」があった
からではないのですか?
通りすがりの信者Aさんにとって「間違いを認める」のは
白が黒になるような正反対の解釈に切り替わることだけなのでしょうか?

通りすがりの信者Aさんの言われているように
輸血拒否の教理の変更はこれまで道理、徐々に変更して
骨抜きにするようなものだと思います。

でも少なくとも、協会がこれを排斥事項から個人の良心に任せる
ようになる可能性はあると考えておられるのですよね?

ものみの塔の異常さは この部分に表れていると思います。
つまり、昨日まで排斥にしていた事柄が 次の日には他の人が
良い悪いを判断すべきではない問題になるのです。
そして、個人の良心の問題になったとたんに 長老、巡回監督
統治体を含めて、輸血を良心的に受け入れるかどうかでは
自分の問題で、誰からもそれによって悪く言われることもなく
善悪の評価対象外になります。

オフライン

#40 2014年07月20日 23:05:35

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

問いかけられたりしなければ、私は早い段階でここへの書き込みをやめるつもりだったのですが、
一度書き込んだ以上は、経過を見届けるのは自分に課された責務と考え、こうして書き込みを続けてきました。
ご迷惑であればすぐにでも辞めますので、はっきりそうおっしゃってください。
以下、質問部分にお答えします。



>> 医学的にも輸血をしないことが正当であるかのように主張するのはおかしいですね。

> わたしは iris さんの投稿は 下線の部分が要点であると思いました。

そうなんでしょうね。でもそうすると、私が問題視した前置き部分は不要なのではありませんか?
そうした印象操作は勘弁願いたいわけです(あちこちで見飽きてるのでもうお腹いっぱい)。
これに関しては「そういうもんか~」くらいで矛を収めて頂ければ幸いです。
議論したところで有益とは思えませんので。



> 例えば協会はかつて臓器移植を排斥事項から個人の自由に変更しましたよね。
> それは協会が臓器移植に関する理解に関して何らかの「間違い」があった
> からではないのですか?

そういう理解でいいと思います。そうした点は明確な論証をもって存分に批判するとよろしいかと。
批判されてしかるべきことをすら甘受しないのであれば、それは問題ありと考えます。



> でも少なくとも、協会がこれを排斥事項から個人の良心に任せる
> ようになる可能性はあると考えておられるのですよね?

そうでしょうか?これには大いに疑問を感じます。
なぜなら、臓器移植とは違い、輸血はまさに血の問題であるので、
もっと根本的に使徒の聖句が当てはまってしまうからです。
そういうわけで、そうした段階的な緩和という可能性が少しでもあるとお考えであれば、
繰り返しになりますが、見通しが甘いと言わざるをえないのです。



> あと よくわからないのは 通りすがりの信者Aさんにとっては
> 「間違いを認める」ということは何を意味しているのでしょうか?

> 白が黒になるような正反対の解釈に切り替わることだけなのでしょうか?

便宜上、回答の順序を前後させました。これについては質問の趣旨がよくわかりません。
間違い云々については、あなたご自身が「いじわるな質問」と言っておられる仮定の話で、
「通りすがりの信者Aさんは もし」という具合に
明らかに私個人に向けられたと思われる言葉で始まる質問の、
「間違っていたことを認めたら」という表現の変化形に過ぎないのですから。



> ものみの塔の異常さは この部分に表れていると思います。
> つまり、昨日まで排斥にしていた事柄が 次の日には他の人が
> 良い悪いを判断すべきではない問題になるのです。

これは耳の痛いご指摘です。ただ、この論理を輸血拒否問題に当てはめるのは
やはり無理があると思います。なぜなら前述したとおり、
輸血拒否の教理は根本的な部分でダイレクトに解釈可能であるからです。
これを突き崩すには、先ほども申し上げたように、
反論の余地のない明確な論証が必要不可欠なのですが、
その論証は「悪魔の証明」に類するものである事が明白なのです。
(この点は、問題点を整理してみると比較的簡単に理解できると思います)。



カレブさんご自身の動機そのものについては、良いものであろうと思います。
ただし、その良い動機は内側にしか向いていないとも感じるんですね、そこが大変残念に思います。
skさんについては、「塩で味付けされた言葉」を用いると説得力が増しますよ、と教えてあげてください。
罵詈雑言を並べ立てるだけの今の論調は、とても常識人が見るに耐えうるものではありません。



出すかどうするかを迷っていたのですが物はついでです。
近年の医療サイドの取り組みが読み取れる、
興味深い資料に出会いましたのでお知らせします。
http://kyoto-min-iren-c-hp.jp/rinri-ken … iroku.html
http://kyoto-min-iren-c-hp.jp/rinri-ken … iroku.html
http://kyoto-min-iren-c-hp.jp/rinri-ken … iroku.html

#41 2014年07月21日 01:01:15

TTHDPG
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

横槍入れてすいません。
輸血云々の各論の前に通りすがりさんの立ち位置(生い立ち、現在の状況、輸血拒否を擁護せねばならぬ事情)などをupして下されば幸いです。背景の情報から結論に至る事も有り得るかと。

#42 2014年07月21日 05:55:55

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

おはようございます。

通りすがりのマイコンロボットの説明は、相変わらず意味不明ですね。

まず、このロボット何を証明したいのだろうか。

ものみの塔インチキ「神の代理店」の正しさだろうか。
それとも、自分の信仰だろうか。

「血を避けなさい」の聖書の命令を個人的に適用すれば良いだけのことを強調したいのだろうか。
それとも、ものみの塔の言うことに従うべきだと言い張りたいのだろうか。

この人は、はっきり自分の立場や考えを表明すべきです。
自らを隠しておきながら他人の論議を意味不明の文章で批判することは止めなさい。

話になりません。


マイコンロボットさん

あなたは、ものみの塔を擁護したいのですか。
それとも、ものみの塔の間違いを謙虚に調査し事実を直視したいのですか。

わたしに対する要求は、他人経由ではなく直接本人に伝えましょうね。
それは、大人としての常識です。
あなたは、それすらできないマイコンロボットです。

編集者 sk (2014年07月21日 11:53:21)

オフライン

#43 2014年07月21日 16:04:52

隠れんぼ
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者Aさんの提示してくださった京都民医連中央病院の「倫理委員会」についての内容を読ませて頂きました。
大変参考になりました。
特に最後の「第三十六回 倫理委員会 議事録」では
「エホバの証人の医療機関連絡委員会京都委員会の豊福」氏がオブザーバーで入ってきて話をしていますが

>「事前資料①-E「エホバの証人への無輸血治療-倫理的・医学的・法的考察」のP4に~」
から始まる論文内容について著者を
>「いえ、海老名の医療機関情報デスクの者です。」
とハッキリ明言されており、私も論文ネットで確認しましたが著者3人とも全員エホバの証人の医療機関情報デスクの方ですね。
それじゃあ組織側にとって良好なデータになるに決まってますよね。。

また各種医療に関しても
>「私どもは医療の専門家ではないので全く分かりません」
>「私どもは医学の専門家じゃございませんので、その部分については全く分からない。」
と発言されているのにも驚きを隠せませんでした。
まあこういった部分はごまかすだろうと思っていましたがここまで予想以上に酷いものだとは思ってもいませんでしたので・・・。
「医療関係者と信者である患者との間で、より良い信頼関係を築くための架け橋」と言う名の
「医療機関連絡委員会」がこれでは・・・。

また輸血を行った証人の方に対しての組織や会衆側からの処置に関して質問されても
>「受け入れる側の問題というよりも、まず本人の良心がものすごく痛むのではないかなと考えるのです。」
>「神の命令に背いた思いが強くて、戻ってくるのがなかなか難しいのかも知れないという気がします。」
と言っており、組織の排斥制度について全く触れていないというのも面白い部分ではありました。
私達も習った通りの神権的戦術ではありますが、こういうのらりくらりとかわして「会衆側が」本人にどのような措置をとるのか
と言う話題から見事にそらしていますね。
ハッキリ言えば良いのにと思いますが、さすがに会衆の全成員から無視されるという「愛ある」処分を受けながらも
毎回の集会に出席して暫くの期間(長老達から見て本人が悔い改めたかどうかという気分的に霊的な証を見た)後にようやく会衆に
復帰することが出来るシステムですなんて言えませんもんねw
現役の方が見たらなぜそこをハッキリ言わないんだ!とも思ってしまうところでしょうが。

全血輸血や自己血輸血以外の輸血(血液分画等)に関しては、神の愛にも
「クリスチャンは自ら決定しなければなりません。」という「個人の良心」で決定すべき
内容であり、組織ではなく個人と神との祈りと信仰で決めなさいというようなあやふやな言葉で示されていますし。
「組織」が言うからダメなのか、「神」が言うからダメなのかという事をハッキリ教えられてない信者の方が殆どだと思います。


私がこの輸血問題で一番恐ろしいと考えるのは、「組織」が輸血も新しい光が増し加わると言う名の色々な理由を付けて
良心の自由で大丈夫だと言ってしまえばそれまで「神が聖書に書いてあるから」輸血を拒否していたはずの多くの兄弟姉妹たちが、
「組織」の述べる理由に納得したから(もちろん多くの葛藤はあるでしょうが)輸血も良心の自由に沿って可否を決めようと
急に考えが変わってしまうであろうことが、これまでの14万4千人や終わりの日の解釈変更や選挙についての良心の自由についての
変更を受け入れていった兄弟姉妹の多さを考えると容易に想像できる事です。
そこには「組織」の納得のいく教えはあるかもしれませんが、「聖書」の内容を信仰していたはずのそれまでのクリスチャン兄弟姉妹は
どこにいったのか疑問でなりません。

だって、それまでは輸血したって事を公言した兄弟姉妹をみんなして「排斥者」扱いしてた兄弟姉妹が、
輸血が良心の自由で大丈夫だと発表あったら、急に輸血したって人が兄弟姉妹にいても
「まぁ、兄弟姉妹の良心の決定だからね。神と個人の関係だから。」なんて「実に寛容な」姿勢に変わるんですよ。

組織が言うから大丈夫もしくはダメなのか、聖書または神が言うから大丈夫もしくはダメなのかは大きな違いであると思うのですが
ここに疑問を挟まず、海老名支部はもとより特権者の兄弟達に意見しないのがエホバの証人社会の中で平穏に生き残る方法ではあるんですがね。

#44 2014年07月21日 21:39:38

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

どういう解釈されても勝手だけど…
というつもりで出したのでいちいちコメントしませんが、
知らない人のために2点ほど解説。


1.医療機関連絡委員会について

交通費や電話代などは全て自腹だと伺った事があるので、
普段は地元会衆の長老、いざ問題が起こった時に、
医療関係者とのパイプ役になる、文字通りの連絡係なんだと思います。
過去にここで推論されていたような医学の知識とか
そういうのは全くといっていいほど無いかと。

ちなみに、個人の信仰に平気で土足で上がりこんでくる長老もいますけど、
そういうのはネット上で「パリサイ長老」と呼ばれています。
リンク先で登場した連絡委員のような反応のほうがむしろ多いかと思います。


2.ヘモグロビン値

輸血の目安として使われてきた判断材料の1つ。
成人男性が12~14くらい?成人女性が10以上?が正常値で、
それを下回ると貧血という具合になるんだとか。

昔はヘモグロビン値10を下回った場合に輸血を開始するケースが多かったそうなんですが、
エホバの証人の無輸血手術で3やら4という状況になっても(主に脳の)後遺症なしという報告が
医師会ジャーナルなどにバンバン上がってくる(死亡報告0)…これが20年くらい前のアメリカの状況。
血圧については輸液でなんとかなるとしても、
ヘモグロビン値の減少で脳への酸素供給が十分なのかが不安視されていたわけです。
これに対し、そもそも起床時の数値を麻酔状態の患者に当てはめる事がナンセンスだったのだろう
というのが当時の協会の見解だったかと(確か目ざめよで記事になっています)。
今ネットで調べると1.7というのを挙げている病院も見つけることができます。
要するに海外ではあなた方が思っている以上に無輸血への対応というのは進んでいます。


興味深い資料として紹介したのは、
医師の本音の部分が吐露されていたりとか、問題があるのは外科よりもむしろ内科のほうであるとか
そういう面でも興味深いと思うのですけど、個人的に興味を引いたのは、
国循のマニュアルの件で、厚生労働省主導との事。
国としても双方のトラブルが避けられるだけでもメリットがある事が判っているわけで、
重い腰を上げようとしない学会への働きかけを裏でしていたんだなぁ、と思ったわけです。
あとは関谷という人物の存在。たぶんこの人が本気で意地悪な質問をしていたら、
懇談は物別れになっていた可能性すらあると感じました(顔色に言及していたあたりのタイミングで)。
ただ、会議をぶち壊すのが目的ではなかったので自制したのかな?。このあたりの対応は大人かと。
救急搬送だとか医師の良心の問題などについては想定済みなので、
「ああやっぱりそういう問題があるのね」と再確認した程度です。

世界の医療分野における対応がすでに無輸血がベター、仕方のないときに輸血する、
という方向性にシフトしている。特にものみの塔本部のあるアメリカでは、
日本より10年以上は進んでいると思っていいでしょう。そうした点からも、
輸血教義の緩和というのは周りが見えてないな、とこう申し上げているわけです。
さらに教義の中核を突き崩しているかというと、こちらも十分とは思えないわけです。



ここを訪れて最初にしたのは、新世界訳の記事があったので、
まずはどんなものか、そのページに移動してみました。
結果、「お~これはすごい、この人まともだ」という感想を持ちました。
世の中には、どこをどう読んでもメリバの岩と類推されるものを、「岩=神様」ということで
文字通りの岩を神にまで祀り上げてしまうような残念な方もおられるのです…

私自身はあなた方とお友達になりたくてここに書き込んだわけではありません。
ただ、上記のように、カレブさんご自身に対しては好印象を持ちましたので、
ちょっとお節介を焼いてみたくなった、というのが
最初の投稿(「エホバの証人はキリスト教か」のトピック)の動機となりました。
今はまだ、名誉ある撤退を良しとせず、玉砕覚悟で突っ走るのもいいでしょう。
ただ、やはりあなたの行動は神の掟を踏み越えているようにしか見えず、
その辺が心配なのですよ(ヤコブ 4:11-12)。

#45 2014年07月22日 05:44:05

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

おはようございます。


隠れんぼさん、


医療倫理委員会の記事の解説ありがとうございます。
ものみの塔インチキ「神の代理店」の「半面事実作戦」をはっきり暴いていただきありがとうございます。

会衆からの排斥、戒め、特権の削除の銃口を背中から突きつけられて「従え」との圧力の下で、気まぐれな「血」に関する方針に従っているJWの様子が良く表現されていました。

images?q=tbn:ANd9GcQ-H2GIA8zc3D6uyYmruzV1Blf1ADBp7QiGLpwM29MRzTDx9l11


JWの「輸血」に関する決定は、個人の良心的な選択の領域を逸脱しています。
それは、宗教組織による制裁という背景を伴っています。


そこが、問題の核心です。

個人の選択の問題として、おもに2つの理由が考えられます。
1) 宗教上の理由(宗教組織の教義ではなく聖書による個人の信仰)
2) 医療上のリスク(輸血の危険を十分意識し認識している)

医療関係者は、以上の2つの理由を考慮する必要があります。


この問題におけるものみの塔協会の関わりは、組織が個人に代わり決定を支配している点です。
この点は、ものみの塔の「半面事実作戦」よって隠されていますが、次第に明らかになりつつありますね。




間違いのもと

ものみの塔協会は神の代理店という教え。
天皇は現人神(あらひとがみ)という教えと同じですね。

このインチキのために絶対服従が要求され、違反者に組織的な制裁が準備されています。

排斥、降格、立場の削除は、統制のためのものみの塔の処罰といえます。
神の裁きと何の関係もありません。


通りすがりのマイコンロボットの出現は、ものみの塔インチキ「神の代理店」にとって「やぶ蛇」となりましたね。

これで、みんながものみの塔のインチキを知るようになったと思います。
ついでに、医療産業と医療制度のインチキも知るようになったと思います。

宗教組織も、医療組織も、その他の組織(人間の集団)は全て偽りの父の管理下にありますので、その偽善に欺かれないようにしてください。

ヨハネ第一 5:19
19 [また,]わたしたちが神から出ており,全世界が邪悪な者[の配下]にあることを知っています。

日本の医学会はすべて陸軍731部隊のパリサイ人たちの天下り先であり、未だにその強力な権威主義の下にあります。
興味のある方はネットで731部隊について調査してみてください。
驚愕の真実を知ることになるでしょう。



「やぶ蛇」と同じ表現集

「天に向かってつばを吐く」
「自分の掘った落とし穴に落ち込む」



おまけ、

マイコンロボットが引き合いに出していたヤコブ4:11-12は、ものみの塔協会の天才バカボン雇われ長老たち、またものみの塔崇拝マイコンロボットのこをを指すのだろうなぁ~。

ヤコブ 4:11-12
11 兄弟たち,互いのことを悪く言うのはやめなさい。兄弟のことを悪く言ったり,自分の兄弟を裁いたりする人は,律法を悪く言い,律法を裁いているのです。そして,律法を裁くのであれば,あなたは律法を行なう者ではなく,裁き人です。12 立法者また裁き主である方はひとり,それは救うことも滅ぼすこともできる方です。しかし,[自分の]隣人を裁くあなたは,いったいだれなのですか

ものみの塔協会の天才バカボンたち、組織崇拝マイコンロボットたちは、ものみの塔のインチキを見破って警告を発している兄弟たちを背教者とみなし(裁き)、彼らの忠告や説明に一切耳を傾けず、拒絶的ですね。

彼らにたいして、[自分の]隣人を裁くあなたは,いったいだれなのですか。

このマイコンロボット最後まで自分の立場を明かしませんね。
人を欺くものみの塔の闇の業をはっきり戒めることもせず、何の目的で医学会の裏事情を披露したいのかねぇ~。

おわり。

オフライン

#46 2014年07月22日 21:32:59

隠れんぼ
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

参考に出てきた医療機関連絡委員会の方の発言内容が予想以上に
杓子定規の内容だった上に医療理解もあまりにも酷かったものですから書かせていただきました。

・「医療機関連絡委員会」とは、おっしゃられるとおり医学知識の有無に程度はあれ
(というかホントに殆ど無い)、「ボランティア」の兄弟によって構成されている
組織ですから仕方の無いことですね。
しかし緊急時にはそのような「ボランティア」の兄弟に頼らざるを得ないエホバの証人が
大勢いるというのが本当に残念な現状です。
協会はそのボランティアの兄弟が「・・・輸血に代わる有効な手段があるという事実を病院職員に知らせます。また,緊急事態が生じると,初期医療に当たる医師と,エホバの証人に関して無血で同様の症例を扱ったことのある外科医が協議できる場を設けるようにして,援助を行ないます。」と言っています…(勘弁して欲しいです)


・ヘモグロビン値についてですが、誤解される方もいると思いますので補足しておきます。
(全血輸血も含む輸血を前提として)
Hb値は輸血の目安として使われてきた判断材料の一つであることは間違いありません。
しかし、あくまでも一つであり一番重要なのは手術が必要となってくる
「患者」と「症例」によってかなり変わってきます。
また血圧に対しても「輸液でなんとかなる」、というのも一時的効果であって術中・術後の経過を
観察していくうえで「血液の成分」の大切さを軽んじられる点があるようで危ぶまれます。
血圧を維持するのと、生命を維持するために血液成分が必要なのは別ものです。
緊急時に、それこそ生理食塩液で一時的に血圧等の低下を防ぐことは出来てもその後すぐにでも
血液成分等の回復措置が求められます。

また、どの医療ジャーナルをお読みになったのかは分かりませんが、
無輸血手術で後遺症が無い時もあるでしょうが、全てのオペで全くないということはありえません。
これは輸血をしてもしなくても同じことです。
当然ながら同じ理由で無輸血手術において死亡報告ゼロなどと言うのは見聞したことがありません。
あればとっくに危険を伴う輸血はどこの病院もしていないでしょう。
※出来ましたらどの学会で報告されているものなのか教えて頂けますでしょうか。ASH学会等大雑把でもかまいません;目ざめよや他の冊子の掲載記事号でも大丈夫です。

カレブさんが書いてある記事と重複して申し訳ないのですが
勘違いしないで頂きたい部分として、輸血=危険というわけではなく、
手術=危険であり、手術が必要な状態になっている時点でかなり危険な状況なのです。
その為に必要な措置の一つとして輸血があり、他の強心剤も薬剤もすべて等しく危険を伴うものです。
(もちろん手術する=輸血しなければならない ということもありません)

無輸血手術に関しまして、当然できたらそのようにしたいというのが現場の本音でしょう。
輸血は感染症の危険性もはらんでおり、緊急時にすぐ対応出来るかどうかも関わってきます。
しかし、だからといって無輸血であることが安全などと思うのはかなり極端な発想です。
あらかじめ万全の準備していたとしてもオペ中に何が起こるのかはオペをするまでわかりません。
大量出血する事態を常に想定して置かなければなりません。
他の代用製剤は副作用の懸念が大きいものや、そうでなくても体質によってはアレルギー反応を
起こすため使えない人もいます。
そのため、非常事態を想定し、輸血の準備を行っていなければ医療過誤があると言われても仕方ありません。

Hb値等は一つの指標であり絶対ではない事は間違いありませんので
術式の最中に「Hb値が下がったから輸血しよう」という事は現在の医療現場で普通は考えられません。
もしそんな簡単に輸血するような医療従事者が今もいるのならばそちらもかなり極端な発想の医者(?)と言えるでしょう。

患者の症状と様態を踏まえて、HbまたはHt各値がどの程度降下しているかを総合的に観察した結果
輸血しなければいけないかどうか判断する必要が出て来ます。
輸血しなくても助かる見込みが高い場合もありますが、しなければ助からない見込みが高い場合も確実に存在するのです。
突発的な事故・災害などの緊急現場で、個人の「良心」に委ねられている
血液製剤・代用剤を入手出来ない場合や、大量出血の場合はもちろんのこと、
エホバの証人と言われるものみの塔を信仰している人々は世界中におり、
我々の甘受している先進的な医療を受けることができない
貧しい地域にも大勢いることを忘れないで下さい。


なお「輸血」解禁が不可能というのは「全血輸血」が現在の医療制度が整っているところでは
一般的ではなく、血液製剤や血液代用剤等も利用した「部分輸血」が現場で一般的に普及しているためだと思います。
協会側が「部分輸血」に関しては「血液分画」というおおざっぱな分け方で
分類してくれたおかげ(?)で受け入れられる「血液製剤」の幅が大きくなっており
「個人の良心」に沿って決められるようにしているため、
現在の先進国で、一般的に安全に進められる前提の症例に対する手術に関しては、
輸血の問題は殆どクリアしているといえます。
つまり先進国の医療では全血輸血が必要な症例や重篤な場合を除き、
実質「輸血」解禁はほぼされかけているのが現状だと思います。

分画したとはいっても結局血は血なのは変わりないのですが、
ものみの塔側が個人の良心に委ねている
書いてある以上、「部分輸血」を受け入れて長生きすることも自由な変わりに
「部分輸血」も拒否した事が原因で死亡したとしてもそれは本人の信仰と良心の選択の問題
言えるようになっています。
そういった意味で、現在においては「部分輸血」について教義を多少広く変えることはあったとしても
多くの方が想像する「輸血(全血輸血)」を解禁することはほぼ無いに等しいと私も思います。

ですが教義において「輸血」を禁止、または「良心の決定」に委ねられるなどといって
暗黙の了解の下、実質禁止している事は、本当に「全血輸血」もしくはそれに準じる「血液」が必要な
重症・重篤な人や非医療先進国の人々を放置し、見殺しにしているとしか思えません。

血液の専門家ではありませんのであまり詳しくは書けませんがご参考にして頂ければ幸いです。

#47 2014年07月23日 01:15:59

seiei00r
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

「通りすがりのエホバの証人A」のような、偽善を偽善とも感じない馬鹿なエホバの証人がいることによって、自分が「エホバの証人の反対者」と呼ばれることが恥ずかしくて仕方がない。

その一方で、

「安全側に倒すなら、輸血拒否を実践した方が無難であろうという結論になりました」
と、こんな発言は、「エホバの証人として恥ずかしい」とは思わないのだろうか?

大ちゃんのお父さんだって、こんな程度の「覚悟」で、自分の子どもを死なせたわけではないだろう。
同様に、いま、この時に、輸血拒否で死んでいく人間はどうなのか。

ところで、「輸血拒否を実践したほうが無難」と書いてあるが、この「エホバの証人A」は、どのように輸血拒否を無難に「実践」しているのか。
少しは、恥を知れよ。

エホバの証人は、いつからこんな「通りすがりの信者A」のような発言をする人間を「信者」として認めるようになったのか。
いつから、この程度の信仰で、バプテスマを受けさせるようになったのかという意味である。

………

とはいえ、信者Aにとって、なにか明白な論証が必要ならば「論証」しておくことも必要かもしれない。

………

「イエス・キリストは食事の前に手を洗わなかった、ゆえに律法に違反している」
と訴えたパリサイ人に対して、信者Aならこう答えるだろう。

そう、そのとおり、パリサイ人の言うとおりだ、
腕だって手に含まれるのだから、食事の前には肘の上まで洗っておいたほうが神の目からみて無難だ。
少なくともそうしておいたほうが、問題がないと思われる。

そして、イエス・キリストに向かって、こう言うだろう。
「だから、食事の前に肘の上まで洗わなかったあなたは、エホバの裁きを受ける可能性がありますよ」

#48 2014年07月23日 21:51:14

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

えと、いろいろ順序を前後します。
まず、ここが一番の誤解されている部分だと思うのですが、
輸血をしなければ命の危険にかかわる場面に遭遇するかもしれない、
という事はエホバの証人であれば先刻承知、知らない人はまずいません。

輸血を拒否して死亡した人は、その経験談が雑誌に載ることはありません。
なぜなら本人死亡しているわけで、すでに経験談を聞けるような状態ではないのですから。
しかし、そういう経験は大会のスピーチでは扱われるんです。
これこれこういう信仰を示した人がいましたと。会場の1000人以上が涙する事もある。
(誤解のないよう説明すると、外科手術ではなく、白血病のようなケースです)

また、影でこっそり輸血を受け入れる信者の存在についても、くだんの議事録で質問され、
連絡委員がバツの悪そうに口を濁していると思います。なぜそういう人がいるのか?
その人が博識で他の信者が知らない輸血拒否による死亡のリスクを知っているから、
という解釈も一応可能ではありますが…(この判断はご自由にどうぞ)。

ここでちょっと緩急話題。海外では輸血どころか
普通の宣教でさえ命がけな地域があります。こんな経験談がありました。
昔、会衆を訪問したべテル公演者によって公演後に話された内容で、
細部については正確ではない可能性があるので、その点についてはご容赦願います。
べテル長老の話なので、当時のリアルタイムのものと推察されます(約15年前)。

中国の需要を調査するために、イギリス人奉仕者が1人派遣されましたが、
しばらくすると連絡が取れなくなりました。
次にアメリカ人奉仕者を派遣しましたが同様の結果です。
そこで、同じアジア人なら目立たないであろうという事で、
3番目に協会は日本人の奉仕者を送る事にしました。
まず目的は、行方の判らなくなった兄弟たちの捜索に変更。
期間も1週間だか10日だか(正確な日数は忘れましたが)、限定的なものにしました。
結局、帰国予定日になっても何の成果も得られなかったのですが、
空港で男性とぶつかったそうです。

兄弟、こっちを見ないで下さい。あそことあそこにいるのが警察です。
あっちにいるのが仲間の兄弟です。
最初に来た兄弟は殺されました。2番目の兄弟は投獄されています。
私たちは大丈夫ですから心配しないで下さい。
それよりも物質主義の誘惑に負けないよう気をつけてください。

一方的にこのように話しかけられ、その場を後にしそのまま帰国、報告したそうです。
にわかに信じがたい話と思われるかもしれませんが、他にも
厳格なイスラム圏などでは改宗を迫る行為それ自体が
死に値する罪とされている地域も存在すると聞いています。
エホバの証人の年次報告で、国名を明かされていない
「その他」という地域があるのにはそういう裏事情もあるわけです。

輸血拒否にはいろんな動機付けがあって、

1つには他の信者の「つまずきのもと」とならないためであったり、
(新約の教えの1つ。信仰に堅く立つ仲間を動揺させるような行為への戒めだと思ってください)
1つには死の危険を顧みないような宣教を行っている仲間への負い目みたいなものであったり、
そうした利他的な要因も大きく働きます。少なくとも私の場合には。
ちょっとキリスト教に詳しい人ならピンとくると思うんですけど、
いわゆる「利他的」というのはクリスチャンが示すべきとされる「愛」そのもの…
とまでは言えないか。少なくともそれに近似するような精神だと思っています。
要するに、こうした精神下で示した輸血拒否という決定を軽んじて欲しくは無いと思います。
で、便宜上説明を最後にしましたが、
神への服従というのが無視しがたい最大ファクターである事もまた事実です。
神への服従は、神を喜ばせたいという意思の表れ、
文字通りのキリスト教の愛であるという認識で捉えられています。

輸血拒否の論拠については、

使徒15章29節「血を避けなさい」(新約なのでクリスチャンが縛られる命令です、本丸)
引用される他の聖句(上記命令に神学的な解釈を加えるための材料、所詮は支城)

つまり、輸血が安全だとか危険だとか、そういう目線では最初から見ていません。
神への服従すべき命令と映る、というか余計な枝葉をバッサリ落として使徒15章のみに注目すると、
もうそのようにしか見えない。理由はそれだけで十分となります。
使徒15章の解釈がひっくり返るような反証が示されない限り、まず変更はありえないと思います。
遠く離れた支城をいくら叩かれたところで、本丸を落とされない限り何の影響もないという事です。
そしてそれはまず不可能、なぜなら言葉があまりにもダイレクトだから、
というのは前に説明した通りです。


> しかし、だからといって無輸血であることが安全などと思うのはかなり極端な発想です。

> 輸血しなくても助かる見込みが高い場合もありますが、しなければ助からない見込みが高い場合も確実に存在するのです。

についてはこんな感じで解答になるでしょうか?
少なくともそれを匂わせるような発言を私はした覚えがないので、
もし事実関係の点で理解の齟齬があるようでしたら全ログを再確認してみてください。
むしろ死よりも厄介な「後遺症が残った場合」についても、ほとんどのエホバの証人が考慮済みかと思います。


> なお「輸血」解禁が不可能というのは「全血輸血」が現在の医療制度が整っているところでは

についても医療分野ではなく、主軸はあくまで教理面からの考察になります。
最後の方では確かに医療面から説明しておりますが、それは向かい風が以前より弱まっているので、
教義の変更についてはますます不要になっている状況を説明しているに過ぎません。



> 我々の甘受している先進的な医療を受けることができない
> 貧しい地域にも大勢いることを忘れないで下さい。

> ですが教義において「輸血」を禁止、または「良心の決定」に委ねられるなどといって
> 暗黙の了解の下、実質禁止している事は、本当に「全血輸血」もしくはそれに準じる「血液」が必要な
> 重症・重篤な人や非医療先進国の人々を放置し、見殺しにしているとしか思えません。

この辺は無宗教者と宗教者で感じ方がかなり変わるんじゃないかな、とは思うのですが、
エホバの証人の場合、死はマラソンのゴールテープなんですよ。褒章はその先にある。
では自殺すればという事になるかもしれないけど、自殺は罪なので途中棄権ですね。
褒章は貰えない可能性のほうが高いという解釈です(不受理確定ではない)。

一般のキリスト教との違いは、主流のキリスト教が、キリストの死によって全人類の罪は贖われた、
よってあなた方はすでに罪のうちにはありません、褒章はすでに約束されているのです。
という考え(マラソンなんてそもそも不要)なのに対し、
エホバの証人は、キリストの死によって贖われた(買い戻された)のは
アダム由来の罪(永遠の命の見込み)であって、個々人に帰されるべき罪深き性向は顕在である。
あくまでクリスチャンの高き道徳基準を守る努力を世に示すことによって神の威光を称え、
忠実のうちに死を迎えることによって初めて褒章を得る(救いの権利を勝ち取る)という考えなのです。
ここで「マラソン=教理の実践」と置き換えるならば、それが何を意味するのか…
もし興味があるようでしたら、様々な角度から検証してみるとよいかと思います。

自分の意思でエホバの証人をやめたり、自分の意思とは関係なく排斥されたりというのは、
コース途中で寄り道している状態であり、重要なのは死んだ時どうだったのか、となるわけです。
(と、説明してみたものの、この辺きちんと理解してるエホバの証人少ないかも、特に若い人)

この辺の解釈を理解してくれと言っても完全には無理だろうと思いますが、
宗教者であれば、信念を貫き通して死んだならその人は幸せだったのだろう、
と結論する人も多いと思います。もっとも、主流のキリスト教に所属している人からすれば、
あんな異端の教えで犬死にした…という感想になるんでしょうが、
仏教あたりの方なら納得するんじゃないかと。

先進国と途上国の貧富の差からくる問題については…
我々人間の努力でどうにかなるものではないと、もうとっくの昔に諦めてますね。
だから我々先進国に所属している身としては、良心による自由裁量の部分で、
途上国の医療水準並みにまで自身を縛るという選択をする人も、あるいはいるかもしれませんし、
逆に最大限の選択肢を選ぶことによって、「自分にはそんな真似とてもできない…」と
周囲の信仰の弱い人を悲嘆させかねないような決定を避ける人もいるかもしれません。
こうなるともう、どちらの判断が優れているとかそういう問題ではなくなります。

あと、忘れられがちなようですが、排斥というのはけっこう重い罪です。
先に毎年の排斥が万人単位と書きましたが、その8割だか9割だかが性の不道徳だそうです。
でも海外だと、2度目3度目の排斥なんて当たり前。この辺は神を侮る行為と注意されていたかと。
一方、日本人は必要以上に深刻に捉えすぎているんだろうな…とは感じます。
とはいえ、排斥者の扱いについてはもう少しやり方があるだろうに、と思う事があることも確かです。
また、排斥処分の乱用があった場合には、その処分を下した人自身がいずれ、
神の前で自己弁護をしなければならなくなるでしょう、という解釈が聖書から導けます。



> ・ヘモグロビン値についてですが、誤解される方もいると思いますので補足しておきます。

これについてはありがとうございます。正直よくわかっていません。
輸血拒否の立場からすると知っているメリットは無いので勉強していません。


> ※出来ましたらどの学会で報告されているものなのか教えて頂けますでしょうか。ASH学会等大雑把でもかまいません;目ざめよや他の冊子の掲載記事号でも大丈夫です。

エホバの証人の出版物にそれなりに目を通している人物ならば医師会ジャーナルで通じると思ったのですが、
アメリカ医師会ジャーナル(JAMA)の事を想定していました。
いろいろ調べてみると、これは臨床データを扱うような雑誌ではないようなので違いそう。
前の投稿は記憶を頼りに概要をササッと書いただけなのですが、
その主張は、エイズを題材にした目ざめよ誌の1990年10月22日号のP12あたりと主に符合しそうです。
医学的知識をお持ちなようなので、今読んでも得るところはあまりないようにも思います。
まぁ…25年ほど前の資料なので、もし調べるのであれば、
その辺の歴史的背景なんかも差し引いて読んで頂けたらとは思うのですが。
死亡例についても言及があるので死亡報告0というのは私の勘違いのようで…
あと、想定していた臨床データ部分はその号には付随していなかったので、
そちらの資料(特定の医師の実績)あたりと理解をごっちゃにしていたのかもしれません。
う~ん、臨床データはどこにあるんだろう。検索ワードを広げてみてもなかなか見つかりません。

> 協会はそのボランティアの兄弟が「・・・輸血に代わる有効な手段があるという事実を病院職員に知らせます。
> また,緊急事態が生じると,初期医療に当たる医師と,エホバの証人に関して無血で同様の症例を扱ったこと
> のある外科医が協議できる場を設けるようにして,援助を行ないます。」と言っています…(勘弁して欲しいです)

出典は『ふれ告げる人々』ですか。
確か、協会内の一部門であるホスピタルインフォメーションサービス(HIS)が、
学会誌等からの最新の医学情報に目を光らせ、そうした最新情報を、
無輸血治療に協力的な医師や病院に知らせる~的な説明で、積極的情報発信と受け止めたんですね、当初は。
でもたまに会衆を訪れる連絡委員に聞いてみると、普段は普通の(といってもエホバ第一の)生活をしていて、
対話に応じてくれる医師が現れたら自腹でうんぬん、という話だったんですよ(まさにボランティア)。
つまり、もしかするとアメリカにおいては事実そうなのかもしれないけど、
その制度が日本には全くといっていいほどフィードバックされていないんじゃないかと疑っています。

目ざめよ1993年11月22日号P24のオーストラリアでの事例(特殊な熱帯病への対応)のような役割分担、
HIS:無輸血治療に特化したデータベース所有 ~ 支部デスク:HISへの要請窓口 ~ 連絡委員:医師との窓口
というような連携が、アメリカ以外の国での実情なのでしょう。
目ざめよのこの号からなら目新しい情報を幾つか発掘できるんじゃないかと思いました(P24-27)。
例えば、難しい事例の多い小児科用の対策マニュアルである
『エホバの証人の家族の世話と医療』(医療機関配布用/英語のみ、全260ページ)というのがあるそうで、
英語のままでもいいなら交渉次第で入手も可能なんじゃないかと思います。
いずれにせよ、連絡委員自身が、特に医療知識に優れているとかそういう事でないことは確かです。



隠れんぼさんの投稿も良い動機でなされた事が、1つ前の投稿で十二分に確認できました。
この書き込みからなにかしら得るところがあるならば幸いです。

#49 2014年07月24日 06:31:05

信者B
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

信者Aさんは現在のJW信条を本音で語ってくださっています。変にオブラートに包まない分、
JW.orgよりはるかに好感が持てます。偉そうですみません。

キリストの贖いはアダムの罪を相殺する法的根拠を備えただけで、救われるかどうかはその根拠+業=教理の実践
であり、その教理の一つが輸血拒否であるとはっきり認めておられます。その是非については論じません。

ただ思うのは、「輸血をしてはならない」であれば間違いなくダイレクトですが、「避けよ」としか書かれていないので、その
語句だけを取り出して救命行為として行なう「輸血」にも適用されるかどうかは、やはり解釈の問題かなあ、と感じます。

もちろん反証なんてできないので、拒否したい人はすればいいと思います。そう思った統治体の人が拒否して死んでも
そんなに批判しないと思います。批判されているは個の信念よりも、もともとが教義でなかったものを教義にして、その
1点で排斥にしうる組織としてのやり方が大きいと思います。WTがその理解に至って初めて、永遠の裁きを伴う禁止
事項になったのでしょうか。

先進国でも、事故や術中の不測の事態のために運ばれた病院では全血輸血以外に手の打ちようがないと判断されて
しまう可能性はゼロではありません。紛れもなく献血された血液から抽出された成分を個人の判断にしたのですから、
輸血拒否が間違っていたと認めないまでも、個人の良心(排斥・戒めの対象外)にする可能性もゼロだと言い切れますかね。
逆にそうなれば信者AさんはWT協会を見限るような印象を受けます。

「解禁になった!」とおおっぴらに喜ぶ人はさすがに少ないかもしれませんが、相当の批判は受けても、「漸進的な調整」と
唯々諾々と深く考えずに従う人が大多数でしょうね、悲しいことに。それに異議を唱えれば信者Aさんが頑なな背教者として
排斥されるのですよ。その二種類の信者いるので、WT協会もさじ加減を調整しながら、徐々に部分的緩和、
「神の明確な禁止命令」よりも「個人が判断している」ように見せたい表現の緩和にシフトしている段階と自分は見ています。

ある人にとっては1914年を起点として「その世代は過ぎ去らない」もあまりにもダイレクトで反証も否定もしようもない
聖書の真理でした。それを熱烈に支持したあまり排斥され、今は強力な批判者になった人もいます。輸血にタイムリミットはない
ので永遠に撤回しないことは可能ですが・・

WT協会を客観的に評価しながら、まず神を愛し、神に対して真摯であろうとする信者Aさんは組織にとって諸刃の剣でしょう。
このサイトに書きこむ時点で、WT協会のすべての指示に盲従してはいないのですから。

#50 2014年07月24日 18:58:40

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

こんばんは、


輸血は、人生でたびたび起こる問題ではありません。

命が極めて危険なとき、一般に命を救うという目的で輸血が行われます。
人々は助かることを望んで、リスクを覚悟で輸血を承諾します。

そして、助かり、輸血による後遺症(病気の感染その他)もなく過ごす人もいますし、助かり、その後輸血の後遺症に付き合う人生を送る人もいます。また輸血の甲斐もなくお亡くなりになる方もいます。

他方、輸血を受け入れず、
助かり、何の後遺症もなく人生を送る方もいますし、お亡くなりなる方もいます。

輸血を含む医療行為にはメリット、デメリットがあり、なにを受けるかは自己責任で決定する必要があります。
他の人がその決定を支配することはできないでしょう。

JWの場合、神との関係があらゆる決定の第一要因となります。
そして、クリスチャンは「血を避けるように」との命令の下にあります。

律法契約下において血を飲んだり、血の滴る肉を食べることは禁じられていました。
その違反は死刑でした。


では、例外的な事例がありますか。

イスラエルの王、サウルはフェリスティア人との戦いの際にイスラエルの兵士に、一気に適を全滅させるために、一切何も口にすることがないように誓わせました。イスラエルの指導者が扇動したその愚かな誓いの結果、戦いで疲弊したある兵士たちは、ある時点で動物の肉を血を抜かずに食べ始めました。

サウルの息子のヨナタンは、森で見つけた蜂蜜を口にし生気を回復し、戦いを指導し勝利をもたらしました。

神はこの事態の発展をどう扱いましたか。

サウルは、違反者の死刑を要求しましたが、民はヨナタンを贖いました。
そして、神はそのれを受け入れました。
また、動物の肉を血とともに食べた兵士たちを処罰することもありませんでした。

あなたは、この事件から何を学びますか。

少なくとも以下の点を学べるのではありませんか。
義に過ぎた愚かな要求は悲惨な結果(人に罪を誘発させる)を招く。
神は人が違反に至った背景を考慮し、憐れみの余地があるかどうかを見極め、憐れみを示される。

同じ教訓が、輸血の場合にも当てはまりませんか。

マタイ 12:7
7 しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう。


ものみの塔は、「わたしは憐れみを望み、犠牲を望まない」ということの意味を全く理解していないことをその愚かな規則とその違反に対する憐れみのない制裁処置により示しています。

彼らは、輸血に関する無意味な細かい規則を設け、それにより不必要な殉教者を生み出しました。
しかも、いまだに自らの失敗を軽く見なし、命を落とした人々に対する謝罪もありません。
また、相変わらず自らを「神の代理店」と称し人々を支配し続けています。

ものみの塔は、輸血を受け入れたJWを罪を犯した人として組織的な制裁の対象と見なします。
この態度(霊)は、肉を血のまま食べたイスラエルの兵士たちを扱ったエホバ神の霊と調和するでしょうか。


わたしは、輸血を勧めているのではなく、罪悪感の扱いについて述べています。
輸血により助かり、全く罪悪感を感じていない人もいるでしょうし、罪悪感を持つ人もいるでしょう。
それは、神と当人との問題であり、宗教組織が罪に定めて制裁を課すものではありません。
ものみの塔インチキ「神の代理店」は、横暴にもその僭越な支配を行っています。
そのことについて、彼らは言い開きを求められるでしょう。


サムエル第一 14:31-45
31 そして,その日,彼らはミクマシュからアヤロンに至るまでフィリスティア人を討ち倒していった。それで民は非常に疲れた。32 そこで民は貪欲にも分捕り物に飛び掛かって,羊や牛や子牛を取り,それを地の上にほふりはじめ,民は血のままで食べだした。33 それで,人々はサウルに告げて言った,「ご覧なさい。民は血のままで食べて,エホバに対して罪をおかしています」。そこで彼は言った,「あなた方は不実なことをした。何よりもまず,わたしのもとに大きな石を転がして来なさい」。34 その後,サウルは言った,「民の中に散って行って,あなた方は言いなさい,『あなた方は各々,自分の牛を,また各々,自分の羊をわたしのそばに連れて来て,ここでほふって食べなさい。あなた方は血のままで食べてエホバに対して罪をおかしてはならない』」。そこで民は皆,その夜,各々自分の手にある牛をそばに連れて来て,そこでほふった。35 こうしてサウルはエホバのために祭壇を築いた。これをもって彼はエホバのために祭壇を築くことを始めた。
36 後にサウルは言った,「夜のうちにフィリスティア人を追って下り,夜が明けるまで彼ら[のもの]を強奪し,彼らの中にただのひとりも残さないようにしよう」。これに対して彼らは言った,「何でもあなたの目に善いことをしてください」。それから祭司は言った,「ここで[まことの]神に近づきましょう」。37 それでサウルは神に伺いはじめた,「私はフィリスティア人を追って下って行きましょうか。あなたは彼らをイスラエルの手に渡されるでしょうか」。ところが,その日は彼にお答えにならなかった。38 そこでサウルは言った,「民の要人たちは皆,ここに近寄りなさい。今日,どのようにしてこの罪が起きたかを確かめ,見定めなさい。39 イスラエルを救い出す方であるエホバは生きておられるので,たとえそれがわたしの子ヨナタンにあっても,やはり彼は必ず死ぬことになる」。しかし民すべての中で彼に答える者はひとりもいなかった。40 そして彼は全イスラエルにさらに言った,「あなた方は一方の側におり,わたしとわたしの子ヨナタンは―他方の側にいることにする」。そこで民はサウルに言った,「あなたの目に善いことをしてください」。
41 次いでサウルはエホバに言った,「イスラエルの神よ,どうかトンミムをお与えください!」 するとヨナタンとサウルが取り分けられ,民のほうは退いた。42 そこでサウルは言った,「くじを引いて,わたしかわたしの子ヨナタンかを決めなさい」。するとヨナタンが取り分けられた。43 そこでサウルはヨナタンに言った,「何をしたのか,ぜひわたしに告げなさい」。それでヨナタンは彼に告げて言った,「私は手にある杖の先で少しばかりの蜜を確かに味見しました。私はここにいます! 私を死なせてください!」
44 そこでサウルは言った,「ヨナタン,もしお前がどうしても死なないなら,神がそのようになさり,重ねてそのようになさるように」。45 しかし民はサウルにこう言った。「イスラエルでこのような大いなる救いを施したヨナタンが死ななければならないのですか。それは考えられないことです! エホバは生きておられます。[ヨナタン]の髪の毛はただの一本も地に落ちることはありません。彼は今日,神と共に働いたからです」。こうして民はヨナタンを請け戻したので,彼は死ななかった。





ものみの塔マイコンロボットのコメントについて、
マイコンロボット さんの発言:

この辺は無宗教者と宗教者で感じ方がかなり変わるんじゃないかな、とは思うのですが、
エホバの証人の場合、死はマラソンのゴールテープなんですよ。褒章はその先にある。
では自殺すればという事になるかもしれないけど、自殺は罪なので途中棄権ですね。
褒章は貰えない可能性のほうが高いという解釈です(不受理確定ではない)。


まず、救いは褒章ではありません。
それは、神の側の過分のご親切に因ります。
罪人は、自らの義を立証する行為により、救いを勝ち取ることはできません。
自殺に至る苦しみを知る神は、それぞれの自殺者に憐れみをお持ちです。

ヨブは厳しい試練の下、死を望みました。
聖書も、苦境の下にあるより、死が勝っていると教えています。


伝道の書 4:1-3
1 そして,わたしは日の下で行なわれているすべての虐げの行為を見ようとして自ら引き返した。すると,見よ,虐げられている者たちの涙がある。しかし,彼らには慰めてくれる者がいなかった。彼らを虐げる者たちの側には力があった。それで彼らには慰めてくれる者がいなかったのである。2 そしてわたしは,なお生き長らえている生きている者よりも,既に死んでしまった死者に祝いを述べた。3 したがって,その両者よりも勝っている者は,まだ存在していない者,日の下で行なわれている,災いの多い業を見ていない者なのである。


死は苦痛からの開放であり、復活までの心地よい眠りです。
死の眠りから覚めて後、憐れみの神により全ての不公正が正され、不正の犠牲者たちは味わった苦痛を何倍も上回る慰めと祝福を受けるでしょう。



ものみの塔のパリサイ人的な教えや環境の中で洗脳をされているJWたちは、このキリスト教の真髄を捕らえ損なっています。そのことをマイコンロボットのコメントは如実に示しています。


ガラテア 2:16
16 . . . 律法の業(自分の義を証明する業、あるいは宗教的行為や犠牲)によっては,肉なる者はだれも義と宣せられないからです。

ローマ 4:3-7
3 聖句は何と言っているでしょうか。「アブラハムはエホバに信仰を働かせ,彼に対してそれは義とみなされた」。4 さて,働く人に対して,給料は過分の親切ではなく,債務とみなされます。5 他方,業を行なわなくても,不敬虔な者を義と宣する方に信仰を置く人に対しては,その人の信仰が義とみなされるのです。6 ダビデも,神が業を別にして義とみなしてくださる人の幸いについて語っているとおりです。7 「その不法な行ないを赦され,罪を覆われた者は幸いである。8 エホバがその罪を考慮に入れることのない人は幸いである」。


わたしたち罪人は、神へ宗教的犠牲を捧げ自分の義を証明して、義を獲得することはできません。
むしろ、自分の罪を認めキリストの贖いにより許しを請うことによってのみ憐れみを示されます。

ルカ 18:9-14
9 しかし[イエス]は,自分は義にかなっているのだと自負し,ほかの人たちを取るに足りない者と考えるある人々にも次の例えを話された。10 「二人の人が祈りをするため神殿に上りました。一人はパリサイ人,他の一人は収税人でした。11 パリサイ人は立って,これらのことを自分の中で祈りはじめました。『神よ,わたしは,自分がほかの人々,ゆすり取る者,不義な者,姦淫をする者などのようでなく,またこの収税人のようですらないことを感謝します。12 わたしは週に二回断食をし,自分が得るすべての物の十分の一を納めています』。13 一方,収税人は離れたところに立って,目を天のほうに上げようともせず,胸をたたきながら,『神よ,罪人のわたしに慈悲をお示しください』と言いました。14 あなた方に言いますが,この人は,先の人より義にかなった者であることを示して家に帰って行きました。自分を高める者はみな辱められますが,自分を低くする者は高められるのです」。



信者B さんの発言:

キリストの贖いはアダムの罪を相殺する法的根拠を備えただけで、救われるかどうかはその根拠+業=教理の実践であり、その教理の一つが輸血拒否であるとはっきり認めておられます。その是非については論じません。

これもマイコンロボットと同じ推論の延長線上のものの見方です。
悔改めにふさわしい業とは宗教団体が既定する宗教教理の実践ではありません。
JWの思いは、ものみの塔の決めた宗教活動の実践が神への愛と感謝の実証であるというものですが、
その考えに立脚した崇拝の様式は、砂の上に立てられた家のようなものであり、洪水や嵐に耐えうるものではありません。

なぜなら、従順が神のことばに対するものではなく、人間の教理に対するものだからです。

マタイ 7:24-27
24 「それゆえ,わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな,思慮深い人に例えられるでしょう。それは岩塊の上に家を建てた人です。25 そして,雨がどしゃぶりに降って洪水が来,風が吹いて打ちつけても,その家は崩れ落ちませんでした。岩塊の上に土台が据えられていたからです。26 そしてまた,わたしのこれらのことばを聞いてもそれを行なわない者はみな,愚かな人に例えられるでしょう。それは砂の上に家を建てた人です。27 そして,雨がどしゃぶりに降って洪水が来,風が吹いて打ち当たると,その家は崩れ落ち,その崩壊はひどいものでした」。


宗教組織の教理ではなく、神のことばに従いなさい。



ものみの塔の中にいる聞く耳を持つ天才バカボン、マイコンロボットたち、自らのキリスト教からの逸脱を恥じ悔改めなさい。

そうすれば、ものみの塔インチキ「神の代理店」は倒産するでしょう。

ものみの塔の崩壊は、ものみの塔のインチキにより騙されてきた多くの羊のようなJWたちを、バビロンのひとつの支店から解放するでしょう。

仮にあなた方が悔改めずものみの塔の偽りを暴かなくても、救いは外部からもたらされるでしょう。
ものみの塔インチキ「神の代理店」には、神の恵みも将来もありません。


ものみの塔バビロンにいる全てのJWの皆さん、

ものみの塔協会は、神とキリストの名を用いて騙りを働く国際宗教詐欺企業です。
「現時点での真理」や「増しゆく光」のキャッチフレーズは、身勝手な聖書解釈を続けるための欺きです。
これまで、彼らが公表した予言的な期待は全て外れました。
それによって、人生を棒に振った人々は単に宗教詐欺に騙されたに過ぎません。
そして、詐欺師は決して被害の責任を取りません。

しかし、話はこれで終わりではありません。
神は、この国際宗教詐欺集団に言い開きを求めるでしょう。

ものみの塔を含むサタンの世の全ての詐欺団体(政府、企業、宗教、教育、医療、その他の組織)は、やがて公正な裁きにより終わりを遂げるでしょう。

キリストの到来は人類にサタンの世とその欺きと圧制からの開放をもたらします。

ペテロ第二 3:10-13
10 しかし,エホバの日は盗人のように来ます。そのとき天は鋭い音とともに過ぎ去り,諸要素は極度に熱して溶解し,地とその中の業とはあらわにされるでしょう
11 これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,12 エホバの日の臨在を待ち,[それを]しっかりと思いに留める者となるべきではありませんか。その[日]に天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです。13 しかし,[神]の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります。


おまけ、

輸血という医療行為に対するskの見方
これは、単に1個人の見方であり宗教的な基準ではありません。

わたしはこれまで輸血を必要とするような緊急事態に至ったことはありません。

宗教的な教えを抜きにして、全く医療上のリスクの視点でものを見た場合、わたしは全血輸血を受け入れる気持ちにはなりません。

医療処置に対する個人的な見方と、ものみの塔JWの輸血に対する宗教的な見方は別物です。

聖書が輸血を禁じているかどうかを争点にしても答は得られないでしょう。
なぜなら、聖書にそのような記録はないからです。
血について、聖書はクリスチャンに「血を避ける」ように指示しています。

ものみの塔の問題は、その解釈を細かく規定し全てのクリスチャンに適用する律法とし、それによって人々を裁き制裁を課しているところにあります。

そのような権威を神から与えられている人、団体はありません。
ものみの塔がなぜあえてそのような僭越なことをするかというと、同じ弱さをもつ人間であるにもかかわらず自らを「神の代理店」と思い込んでいるからです。

この「神の代理店」という偽りはサタンによって作られました。
サタンは、ものみの塔が始まった1876年から今日まで、ものみの塔を「神の代理店」に仕立て上げ、それによって神を求める羊のような人々を世界中で700万人欺くことに成功しています。

同じことが、他の宗教組織にも当てはまります。
他の宗教組織も同じように自分たちを「神の代理店」と見なしているでしょう。

それは、サタンの欺きに因るのであり、多くの人は「神の代理店」というマントラによって騙されます。


テサロニケ第二 2:3-4, 9-12
3 だれにも,またどんな方法によってもたぶらかされないようにしなさい。なぜなら,まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表わし示されてからでなければ,それは来ないからです。4 彼は,すべて「神」と呼ばれる者また崇敬の対象とされるものに逆らい,自分をその上に高め,こうして神の神殿に座し,自分を神(神の代理店)として公に示します。

9 しかし,不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い,10 また,滅びゆく者たちに対するあらゆる不義の欺きを伴っています。彼らが[こうして滅びゆくのは],真理への愛を受け入れず,救われようとしなかったことに対する応報としてなのです。11 そのゆえに神は,誤りの働きを彼らのもとに至らせて,彼らが偽りを信じるようにするのであり,12 それは,彼らすべてが,真理を信じないで不義を喜びとしたことに対して裁きを受けるためです。


とはいえ、本当に真理を愛している人々は、最終的に真理(あるいは真実)を知るように助けられるでしょう。真理や真実の前に偽りや欺きは、火で焼かれる紙くずであり、焼かれた紙くずにはそれ以上人を欺く力はないでしょう。


それで論ずべき核心は、
輸血拒否が聖書的な要求かどうかとか殉教かどうかではなく、
ものみの塔協会は本当に「神の代理店」かという点です。

不完全な人間の団体であるものみの塔が本当に神を代表しているのでしょうか。
彼らがJWの信仰の主人であるかのように、輸血の問題で人々を裁き制裁を課す権威を本当に神から託されているのでしょうか。これまでのものみの塔の問題の扱い方は何を物語っていますか。

わたしは、ものみの塔の独善的な霊が神に由来するとは到底思えません。


この掲示板で暴露してきた、ものみの塔協会の実態は作り話や偽りではありません。
これらの都合の悪い事実を見ないように、あるいは聞かないようにとしきりに要求しているのは、ものみの塔協会の方です。

また、ものみの塔協会は、自ら出版している美化された自らの歴史の記録だけを読むようにJWに強要していますが、そのような教育は本当の教育でしょうか。それは全ての国家が行っていることと同じことではありませんか。少なくとも国家の方は、国家批判を読むことができますが、ものみの塔の場合それは完全にタブーとされ、あえてそれをするなら、背教者とされ、排斥されるでしょう。

外部の情報は見るな、聞くな、読むなと規制し、ものみの塔が提供する情報だけが偽りで汚染されていない清い水であるという考えを植え付ける行為を情報統制といいます。

ものみの塔協会は情報統制を行い、JWはそれによって洗脳されています。


エホバの証人の兄弟姉妹、事実を調べることを恐れないで下さい。

テサロニケ第一 5:21-22
21 すべてのことを確かめなさい。りっぱな事柄をしっかり守りなさい。22 あらゆる形の悪を避けなさい

編集者 sk (2014年07月24日 19:02:26)

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