ログインしていません。

#126 2016年09月28日 18:04:07

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

聖書に記述されている神を信じることと
神というものを信じることはまったく別次元だと思います。

正直言うと、わたしは脱塔してものみの塔の言う
「エホバ」を信じなくなったら
天罰があるかもしれないと思っていたのです。
自分に悪いことがたくさん起きるんじゃあないかって…。
でも、何もなくて気分爽快になりました。

たしかにエホバっていうのは何世紀前からもあります。
その概念はものみの塔の創作だと思うのです。
これを書いて罰(バツではなくてバチです、
バビロン的って言われそうです)が
当たったらあきらめますが…。

聖書の誤りを指摘されて、
聖書に記述されている神を信じられなくなっても、
聖書の神がまこと、真実、神かどうか
現在のわたしたちには証明できません。
だからといって、神というものが存在しない
ということにはならないと思います。

わたしが脱塔する頃もっともお世話になった
JWICの運営者、村本治(むらもとおさむ)氏の著作、
「神の神経学、脳に宗教の起源を求めて」は
「外なる神」と「内なる神」という概念を発表しており、
ものみの塔が主張するエホバなどは「外なる神」に
分類されることがわかります。
「内なる神」については宗教全体にかかわる
壮大な解説がなされていますので、
ご自分でぜひお読みください。

神という存在を信じるのをやめる必要のないことが
はっきり理解できることを期待しております。

オフライン

#127 2016年09月28日 18:23:22

iris
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能(Jesse Bering)も面白いですよ。

オフライン

#128 2016年09月28日 19:11:20

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ラハムさん

>聖書に記述されている神を信じることと
神というものを信じることはまったく別次元だと思います。

私もそう思います。

#129 2016年09月28日 23:18:24

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

なんだか、みなさん哲学的になってきてますね(・・)
JWでは世の哲学を「愚かな人間の知的営み」くらいに軽蔑していたはずですが(笑)ラハムさんirisさんの本も読んでみないと(汗)

自然科学の分野でも人類にはまだまだ分からないことだらけなので、行き着く先は不可知論かと・・・(笑)

ただ、組織の説くエホバは、ずいぶん小さな神様だな~と思います。毎月どれだけ「時間を入れたか」っていう物差しで評価されるシステムなんて、どう考えたって世の会社の発想でしょう。

てつてつさん
「もう少し他の本も読んでみますが自分も多分同じ結論になりそうです  うっうっうー涙」って(笑)
なんでそんなに結論急ぐんですか~(笑)

#130 2016年09月29日 09:19:07

すずめ
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

はじめて投稿させていただきます。
みなさんの書き込みを読ませていただいて
いつも勉強させていただいている者です。
みなさんには本当に感謝しています。

てつてつさんが、YouTubeにupしていらっしゃる
いろいろなプロテスタントの先生方のお話や、脱会者のお話で
以前は見ることが出来たのに、
最近見ることが出来なくなっているビデオがあるように思うのですが
どうしたら見ることが出来るのでしょうか。

また、それとは別ですが、今でもYouTubeで見ることが出来る
「河村姉妹の証し」ですが、ビデオの途中で、エホバの集会のような映像が入り
重要な部分が消されているように思うのですが
どうしてでしょうか。

こういう場に慣れていないので
場違いな質問でしたら申し訳ありません。

よろしくお願い致します。

#131 2016年09月29日 09:36:22

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

すずめさんこんにちは 動画見ていただいてありがとうございます

てつてつさんが、YouTubeにupしていらっしゃる
いろいろなプロテスタントの先生方のお話や、脱会者のお話で
以前は見ることが出来たのに、
最近見ることが出来なくなっているビデオがあるように思うのですが
どうしたら見ることが出来るのでしょうか

申し訳ありません 原田さんからダイジェスト程度のものならいいけどあんまり全編のものは上げないでほしいといわれたので削除したものありますのでもうユーチューブではみれません ちょっと自分でパスワード忘れてしまって削除できなくなったものだけ残っています ヘブンズフラワーメール 原田康次  さん  heavensflowermail@yahoo.co.jp  0949-26-5561 に連絡すれば全部 手に入ります 多少費用はかかります1枚1000円程度

「河村姉妹の証し」ですが、ビデオの途中で、エホバの集会のような映像が入り
重要な部分が消されているように思うのですが
どうしてでしょうか。

長いので自分は役に立ちそうな部分だけ切り取ってあげたのですが 特別つぎはぎはしていないのでちょっとわからないです 原田さんから現物手に入れてご自分でご確認お願いします
以上よろしくお願いします

編集者 てつてつ (2016年09月29日 09:37:25)

オフライン

#132 2016年09月29日 10:18:46

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

irisさん 書き込みありがとうございます また考えて見ます

オフライン

#133 2016年09月29日 11:13:56

すずめ
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

てつてつさん、
お返事ありがとうございます。
早速、原田さんという方にご連絡させていただきたいと思います。
ありがとうございました。

てつてつさんがいろいろなビデオをupしてくださったおかげで
そこから多くのことを知り、救われた者です。
いつも感謝しています。

#134 2016年09月29日 11:44:30

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

すずめさん 自分のしたことで何かの助けになったのなら大変うれしいです ただこれからも人生死ぬまでいろいろな波乱万丈あることとおもいますが 少なくとも協会からの悪影響は減ったという点では良いことだと思います 残りの人生しっかり生きてくださいね すずめさんの幸福な人生をお祈りしています smile

オフライン

#135 2016年09月29日 15:22:55

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

KAOさんこんにちは アーマンさんのキリスト教の成立の謎 大体読ませていただきました

130ページからの 福音書の筆者について 紀元一世紀に、パレスチナの田舎で、下級の農民だったということはどういうことか、いくつか分かっている。一つには、彼らはほぼ確実に文盲だった。イエスは、明らかに読むことができたという点で、極めて例外的だった(『ルカ』四章十六‐二十節)。しかし、彼が書くことができたことを示す証拠は何も残っていない。古代には、読むことと書くことは別個の能力だった。従って、文字を読むことはできても書くことができなかった人間は大勢いた。識字率はどれくらいだったのだろうか?ローマ帝国では、文盲率は非常に高かった。最高時でも、人口のたった十パーセントしか読み書きができなかった可能性もある。しかも、その十.ハーセントは有閑階級であり、つまり教育を受ける時間と金に恵まれた上流階級だった(また、仕事上、読む能力が求められた奴隷や使用人が、読む訓練を受けていた)。それ以外の人間は、幼い時分から働き、教育を受ける時間も費用もまかなうことができなかった。イエスの弟子が文字を書くことはおろか、読むことができたことを示唆する記述すら、福音書にも『使徒言行録』にも見当たらない。事実、『使徒言行録』には、ペトロとヨハネが「無学」であると書かれている(四章十三節)。「無学」とは、古代では文盲を指す言葉である。イエス同様、ガリラヤのユダヤ人であるイエスの弟子は、アラム語をしゃべっていたはずである。田舎出身の彼らは、おそらくギリシャ語の知識が皆無だっただろう。たとえ知識があったとしても、かなりいい加減なものだったに違いない。なぜなら、彼らは、その日暮らしのアラム語を話す文盲の農民と共に生活していたのだから。端的に言って、イエスの弟子はどのような人びとだったのか?彼らは文盲で、アラム語をしゃべる、ガリラヤの下層階級の農民だった。ならば、福音書記は誰か?彼らの身元は伏せられているが、福音書にはいくつかの手がかりが残されている。福音書から分かることは、私たちがイエスの弟子について知っていることと完全に食い違う。福音書の作者は高学歴で、ギリシャ語が堪能なキリスト教徒であり、おそらくパレスチナには住んでいなかった。彼らが教育程度の高い、ギリシャ語を話す人びとであったことは、論を待たない。福音書がもともとアラム語で書かれていたと考える学者もいることにはいる。しかし、今日では、様々な専門的、言語学 第的理由から、全ての福音書はギリシャ語で書かれたというのが大方の見方である。先に述べたように、ローマ帝国の人口のせいぜい十パーセントしか、読むことができなかった。文章を書くことができたのはそれ以下で、初歩的な物語を書くことができた人間はさらに少なく、福音書のような長編文学を書くことができた人間にいたっては、それこそほんの一握りだった。福音書が、ローマ帝国時代に書かれた、最も優れた文学作品であるわけではない。もっと素晴らしい作品はほかにたくさんある。しかし、福音書が、一貫した主題を持った物語であることに変わりはない。物語を構築し、洗練された技法をもって文学的な目的を遂行する術を知っている、高度な教育を受けた作者によって書かれたのである。作者が誰であれ、彼らは類まれな才能を持った後世のキリスト教徒だった。学者は、彼らがどこに住み、何を生業としていたのか議論を戦わせている。彼らがパレスチナの地理やユダヤ教徒の慣習に疎いことから、パレスチナではない帝国のどこかで福音書を執筆したのだと推測できる。それなりの教育を受けることができ、比較的大きなキリスト教徒の共同体があった都市部に彼らがいた可能性は高い。

という部分は残念ながら自分もそうだと思いました
それで 他の情報ともあわせて考えてみると 4つの福音書はそれぞれの名前の筆者のものではないことになり 普通に考えるならばマルコが最初に書かれ そのあとマタイとルカの筆者がそれを参考に書き最後にヨハネの筆者がヨハネ1.1のようにイエスは神であったという自分が信じる信条を書いたものと推論するのが当然の流れかと思いました

317ページの結論の部分で 聖書への歴史的・批判的アプローチが、必ず不可知論や無神論に行き着くと考えるのは間違いである。実際には、こうした手法が、信仰をより知的で思慮深いものにすることもある...問題点を、ことごとく無視して聖書を読むよりも、ずっと奥の深い内面的な信仰になる...

とあるように 自分も考え方が変わりました KAOさんとは違うかもしれませんが 現時点での証拠ではこれ以上解き明かすことはできない文字みたいに 一例 線文字A 何かが書かれているのは間違いないが それを解き明かす情報が足りない のように聖書も現時点ではこれ以上はわからないというのが現在の自分の心境です それで今までは神様の本である聖書にこう書かれていますということで物事の真偽または最終決定を決めてきたわけで人にも話してきましたが残念ながら分からないとしか答えられなくなりました 「今まで私から聖書の話聞いた人すみませんでした」これから先 古代エジプト文字がロゼッタストーンの発見により解読されたみたいに新しい考古学の発見かまたは神様の新しい啓示でもあればわかるかもしれませんがそれまでは保留になってしまいそういう意味での不可知論になりました「それに聖書が全部は神様の本ではないとなると 少し前にこの掲示板で質問したユダ書が神の言葉ではない外典のエノク書から引用されているのに正典になっているわけとか それぞれの書が食い違っている理由とか ヨハネ1.1の言葉は神の聖句をめぐって2000年近くも論争が続きいまだに答が出ないわけが 人間の考えだったのに神の言葉と信じているからけんけんごうごうの論争になるんだと 説明がつくのです」

自然科学の分野でも人類にはまだまだ分からないことだらけなので、行き着く先は不可知論かと

残念ながらKAOさんの言うとおりになってしまいました 「やはり暗黒面の力は強大ですね」ラハムさんごめんなさいね 転んでしまったのでラハムさんの転がる方向はラハムさんが決めてくださいね

神という存在を信じるのをやめる必要のないことがはっきり理解できることを期待しております

ラハムさんありがとうございます でも自分は全面的に神の存在を信じなくなったわけではないです やはり聖書は間違いの部分も多いことが分かったとはいえこれほどのものが長きにわたって一冊の本に編纂され大筋としては話が通っているというのは人間以上の力を感じますし この世に存在するいろいろなものを見るにつけ偶然では存在し得ないと感じています 一例 私たちの住んでいる地球が特異な環境を持っている
進化論はおかしい 遺伝子の配列は偶然では生じえない12と思うなどです


あとirisさん 218ページには 聖書が神の啓示により書かれたというある種の考え方は、私も十代後半のときに傾倒したが、本文批評に耐えうるものではない。私自身がかつて信じていた、保守的な福音主義的見解を持たない多くのキリスト教徒は、私が書いた聖書のテキストにまつわる事実に、興味をそそられるかもしれない。しかし、そうした事実は、彼らの信仰心を否定するものではない。なぜなら彼らの信仰心は、神が人間に授けた聖書の言葉以外のものに根ざしているからだ。 とかかれていましたので それぞれの人がそれぞれの信仰持てればよいと思いますよ

なんだか いっぱい書きすぎて支離滅裂になったと思うのですが みなさん適当にスルーしてください またよろしくお願いいたします

編集者 てつてつ (2019年10月25日 05:18:13)

オフライン

#136 2016年09月29日 16:06:50

iris
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

てつてつ さんの発言:

聖書への歴史的・批判的アプローチが、必ず不可知論や無神論に行き着くと考えるのは間違いである。実際には、こうした手法が、信仰をより知的で思慮深いものにすることもある...問題点を、ことごとく無視して聖書を読むよりも、ずっと奥の深い内面的な信仰になる...
(中略)
しかし、そうした(私が書いた聖書のテキストにまつわる)事実は、彼らの信仰心を否定するものではない。なぜなら彼らの信仰心は、神が人間に授けた聖書の言葉以外のものに根ざしているからだ。

てつてつさんすごい読書力ですね。短期間で理解されていくのがすごいと思います!

私は、現代の信仰は誰かと同じであることよりも、
自分自身の人生を大切にするためのものであることが重要だと考えています。
その人の人生はその人だけのものですから、信仰もその人だけのものであってよいのです。

そして、このような意見交換でそれぞれの信仰を深めていくことができたらいいですね。

オフライン

#137 2016年09月29日 22:02:51

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

irisさんに賛成です。
てつてつさん、そんなに簡単に躓かないでくださいよ。私が石臼を首にかけられて深い海に沈められてしまうじゃないですか(汗)
私も先の投稿では、学問的研究を経ると伝統的な信仰は「そのままの形では維持できなくなる」って書いてたと思います。
聖書学者の先生たちもフツーに教会生活をしてて、バザーの時にはエプロンしてたこやき焼いたりしてますよ。

#138 2016年09月30日 05:37:24

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

いーえ KAOさんに躓かされました 責任とってもらいます
1475181377_ilovepdf_com.jpg
1475181408_ilovepdf_com-1.jpg

追伸 ところで 今思いついたんですけど ダニエル書の予言が当たっていると思われる点についてはどういうことなのでしょうか あとだしジャンケンではないといわれていますけど

編集者 てつてつ (2016年09月30日 06:40:58)

オフライン

#139 2016年09月30日 15:45:54

iris
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

KAO さんの発言:

私も先の投稿では、学問的研究を経ると伝統的な信仰は「そのままの形では維持できなくなる」って書いてたと思います。
聖書学者の先生たちもフツーに教会生活をしてて、バザーの時にはエプロンしてたこやき焼いたりしてますよ。

KAOさん、伝統的な信仰をそのままの形で維持していない聖書学者の先生たちは、
どういうつもりで教会生活をしていらっしゃるんでしょうか?

私の経験したいくつかのプロテスタント教会は、けっこう「正しいこと」が
大事みたいな感じでした。私みたいなのはカトリックの一信徒としては許されても、
プロテスタント教会では許されない感じがして遠慮したんですが。

まあプロテスタント教会は様々でしょうけれど、教会の伝統的な教えに対して
どのような態度でおられるのかお聞きしたいです。

またプロテスタントの牧師さんたちが、KAOさんが学ばれたような聖書学を
学ぶとしたら、原理主義的な教えには疑問を持つと思うのですが、
原理主義的な教えを続ける教会がなくならないのはどうしてでしょう?

編集者 iris (2016年09月30日 15:55:29)

オフライン

#140 2016年09月30日 18:14:46

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

てつてつさんが躓くなんて考えもしませんでした。
あるはずありませんよね…。あるわけない。

でも、「躓く」っていう言葉久しぶりに聞きましたね。
ちょっと思い出したことがあります。
もう、35年以上前、わたしが20代前半でしたが、
「躓くのは躓く方に問題がある」って発言です。
直接聞いていませんが長老夫人が言ったそうです。
その真偽は置いておき、
「そんなのってありかなあ」と思ったものです。
KOAさんも言っているように、いやキリストの言ですが、
「人を躓かせるものはロバのひく臼石を首につけられて
海に沈められたほうがいい」と教えられました。
これを読んだことがないのかなあって、思ったんです。

いまでも、会衆内でこんな発言あるんでしょうか。
わたしたちは統治体に躓き、
ものみの塔に躓き、
その聖書解釈に躓き、
会衆でのわたし自身の扱いに躓き、
その人ととしての扱いにうみ疲れました。

長老夫人の言ったことを借用すれば、
組織の側から見ると躓いて組織から離脱したのは、
すべてわたしたちが自分で転がりすべったということでしょう。

人間の弱さに鈍い集団だと思います…。

オフライン

#141 2016年09月30日 20:12:50

鬼太郎
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ラハムさん この組織が国内でこれほど拡大し、一大勢力となった原動力、、、、、。
それは特権意識とそのための出世競争だと思っています。
開拓者をスタート地点として出世するか、弱くなって落ちるか、、
結果として、弱い人に対しては脱落者落伍者のように見なす傾向が生まれたと推察します。
長老になって、成員の弱さやその後の人生を考えていたら、、とても開拓奉仕など勧められません。
そんな弱い長老も、、結局は出世競争の落伍者となります。
  ※これは僕のことです

オフライン

#142 2016年09月30日 21:16:05

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

まずはirisさんへ

プロテスタント教会はものすごく「振れ幅」大きいです。原理主義的な教派は独自の神学校を持っていて、それは海外でも同じことです。そういった神学校ではかなり保守的な聖書学をやっています。国内の出版社でいえば「いのちのことば社」などで出している注解書などはそういう傾向ですが、当然ながら牧師さんなんかにとっては、そういった本が実用的です。

あまり突っ込んだお話はしたことないですが、批判的聖書学をやっている先生でも、素朴な信仰を持っていらっしゃる方は多いですよ。実際にこういった疑問に答えるため、最先端の学問をやっている先生が、信仰と学問との関係を論じてくれている書物を書いてくれています。

① 「批判的信仰の論拠」 G・タイセン岩波書店 1983年
② 「どう読むか、聖書」 青野太潮 朝日選書 1994年
③ 「聖書の読み方」   大貫 隆 岩波新書 2010年

これらの著者は、まさに歴史的批判的聖書学の最先端をやっている新約学者たちなので、お知りになりたいことが「てんこ盛り」だと思います。①はドイツ人特有の難しい理屈が分かりにくいと思うので、②③が参考になるかと思います。一般向けに書かれた小冊なので、お値段もお手ごろです。

#143 2016年09月30日 23:17:13

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

てつてつさん

明確に「後出しジャンケン」(事後預言)ですね。現代聖書学はダニエル書の背景を、(その内証から)アンティオコス・エピファネス4世による迫害下の時代に置き(7~12章)、その最終的な成立をマカベア戦争末期のBC.165~164年と特定しています。
外証としては、このダニエル書が、七十人訳やヴルガタ訳でこそ聖典区分の「預言者」に入れられていますが、ヘブライ語聖典では「諸書」の中に分類されていることです。これは聖典区分の預言者が閉じられた時点ではまだ成立していなかったことを示唆しています。また、七十人訳ダニエル書にはヘブル語原典にはない付加があり、第3章に「アザルヤの祈りと3人の若者の賛歌」が加えられ、他にも「スザンナ」「ベルと竜」の物語も付加されています(これらは外典を聖典に加えるカトリックには必要なので、新共同訳続編付で読むことができます)。これも七十人訳成立の時代にはダニエル書がヘブル語聖典に入れられていなかった証拠とされます。

自分の現在での時点を、過去のよく似た時代状況の中に置くことによってオーバーラップさせ、伝えるべきメッセージをより強いものにしようという文学的手法です。たとえば映画「ゴッドファーザー」は、自分の成長と父親の下積み時代とを重ね合わせながら描いていきますが、私は子どもの頃、訳が分かりませんでした(笑)
ダニエル書においては、そのテーマは、「異教支配下(バビロン・ペルシャ)における信仰の貫徹」とでもまとめておきましょうか。ヨハネ黙示録にも通じるテーマです。

とりあえず協会の見解を知るために、私のお気に入り『霊感』の「ダニエル書」の項目も見てみました。当然バカ正直に「書き終えられた年代:西暦前536年ごろ」としています。私は持ちませんが、てつてつさん御用達のティンデル聖書注解なんかもおそらくそういう立場でしょう。

『霊感』P138の「聖書の高等批評を行なう人は・・・」以下の記述は無視してください。進化の著しい考古学の世界で、わざと古い参考文献(1929~1958年!)を引っ張り出してきて「論破」しているつもりになっているだけです。「組織の研究は奥が深いなぁ~」なんてフムフム感心してちゃダメです。
それより、しっかり中身を読んでいきましょう。バビロンの宮廷(紀元前6世紀前半)に仕えていたというダニエルは、1章の21節では「ダニエルは(ペルシャの)キュロス王の元年(BC549?)まで仕えた」となっています。それが6章29節にくると、今度は「ダニエルはダレイオスとペルシアのキュロスの治世を通して活躍した。」となっています。キュロスとダレイオスの時代が史実とは逆になっています。これは内容にもそのまま反映されていて、基本的には各章は年代ごとに王の名と結びつけられているのですが、1~4章はバビロンのネブカドネツァル、5章はその息子ベルシャツァル、6章はメディアのダレイオス、そして年代的には一度逆戻りし、7~8章がまたベルシャツァル、9章もまたメディアのダレイオス、そして10章以下がペルシャのキュロスです。決して『霊感』の本が言うように、「数々の経験を時代順に述べてい」る訳ではありません。
ダニエル書は複雑な編集過程を経ているので時代状況が錯綜しており、最終編集者には混乱や思い違いが生じています。

次に『霊感』の本ではダニエル書を1~6章と7~12章の2つに分けていますが、内容に関する限りそれは妥当な分け方です。すなわち、1~6章は「ダニエルの宮廷物語」7~12章が「ダニエルの幻」です。ところがよく知られているように、ダニエル書の2章4節後半から7章の終わりまではヘブライ語ではなくアラム語で記されており、この区分とは合致しません。また前半部分は物語としてダニエルは3人称で語られますが、後半部分はダニエル自身の報告として1人称で語られます。

今日の聖書学ではこのアラム語部分について、元来は独立した伝承として流布していたものと見ています。というのは、この部分の文学構造が、2章・4章が四大帝国についての幻という共通点を持っており、3章・6章も聖徒の受難物語という共通のモチーフを持っています。またその事件の推移も似ています。そして真ん中の4章(大木)・5章(壁文字)も王に対する神の裁きというモチーフで物語の中心を成しています。この見事なピラミッド形の対応関係は「キアスムス構成(交差配列)」と呼ばれ、新約聖書を含めて聖書のいたるところで見られる文学的手法です。これらはヘブライ語部分なしで意味をなします。
この物語部分は、その内容からギリシャ時代、紀元前3世紀から2世紀の初頭の成立と考えられています。伝承そのものはペルシャ時代にまで遡るでしょう。エゼキエルに言及されるダニエルの出典もこのアラム語ダニエル伝承と思われます。

7章もアラム語なので成立史的には前半に属しますが、内容が「幻」なので、ちょうどこの前半と後半を結びつける「かすがい」になっています。そして8章以下は、カルト教団が大好きな「黙示文学」になります。ヨハネ黙示録同様どんな奇抜な「適用」も可能でしょう。それにしても「悪ノリ」が過ぎると思いますが・・・

ついでですから、この部分に関する協会の「予言」についても見ておきましょう。
幻の中の像、頭が金、胸と腕が銀、腹と腿は青銅、すねは鉄、足の一部も鉄、一部は粘土という像は7章の幻と対応しており、一般的な理解では、金はバビロン、銀はメディア、青銅はペルシア、鉄はアレクサンドロス(ギリシャ)、足の一部の鉄はプトレマイオス、粘土はセレウコスを指すとします。現代聖書学はこれをキリスト紀元以降には「適用」しません(笑)。

協会は長年この対応関係を、それぞれ、バビロン、メディア‐ペルシャ、ギリシャ、ローマを表わすとしてきました。そして現代においては最後のローマから派生した(?)英米が「世界強国」を引き継いだとの説明でした。それが近年の英米の没落を受けてでしょうか、2011年の大会では「?帝国」が追加され、以降よく分からなくなってきて、近年ではこの「像」についてはあまり言及されません。
そして、これまたその正体についての説明が二転三転してきた「北の王」と「南の王」についても、近年の「ものみの搭」誌では2000年と2007年に一度ずつ言及がありますが、そこではもう正体を特定することもなく、以後の言及はありません。協会ももう「後出しジャンケン」にすればいいのに・・・
ものみの搭協会の「予言」に身をゆだねたい方はどうぞお勝手にという感じです。

#144 2016年10月01日 06:32:06

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ラハムさん ゴメンネー 本当に 時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨む… (伝道の書 9:11)です
KAOさん ダニエルの予言の詳しい書き込みありがとうございます ゴッドファーザーはパート2ですよね 自分も1も2も大好きです
さて てつてつさん御用達ティンデル聖書注解ダニエル書です
緒論のところ少し読み返してみましたがいろいろな意見あるようです ところでこのKAOさんの お答えの元となる参考図書あるとおもうのですがまた本の名前教えていただけるでしょうか よろしくお願いします

編集者 てつてつ (2016年10月01日 06:33:39)

オフライン

#145 2016年10月01日 09:25:08

ふぇい
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

おはようございます☀
おひさしぶりのふぇいです('◇')ゞ

難しいお話が白熱していて書き込んでいいものかどうかと…?

でも、ラハムさんの書き込みで感じた点があったので…。
____________
> 人間の弱さに鈍い集団だと思います…。

はい。組織は宣教以外の大切な部分にも 目を向けないといけないと感じます…

わたしがJWはオカシイ…と感じ始めたきっかけですが…
以前住んでた小さな町会で 3年間 資源回収の役や子供会等を
ペアを組んでご一緒だった キリスト教系の一派のご家族…
(子ども同士が同級生、お酒・たばこのみならず カフェイン摂取もしない事で有名な一派)

確固とした信仰を持っているのに とても柔軟な方だったのに
自分たちとの大きな相違を感じました
(此方は 宗教上の理由であれもできない、これもできないばかりで、
終いには 協調性のない人…に思われそうで大変に恥ずかしかった事が忘れられません)




その一派の方は…信者優先なのは同じなのですが
でも一般のボランティアにも携わってらっしゃいました
(それも複数・・・・)
その方が特別なのかな?と思っていたところ
「うちの子たちと同じ学年に もう一人信者がいるの、紹介するね」
と言われ ご一緒にお茶をしたのですが
前々から知ってる保護者さんで やはり地域のお手伝いや参加等に熱心な方でした

やはり会話していて 固い信仰を持っているのに 柔軟な方で
凝り固まってしまってる自分と大きな相違を感じました


だからと言って その一派の教理そのものは自分とは相いれないのですが
ただ、宣教以外に時間を費やすのは無駄!的な考えではなく
地域や福祉施設・通訳ボランティア等に 時間や家族の協力で許される範囲で積極的に携わっていることがJWとの大きな違いで、勿論お子さんも良い子で…
そういう点が学校の先生方から信頼されたり良い評価を頂いたりするんだろうな…
と、あの時そう感じました
JWは温和を強調していながら その実強情だと思います
(個々の成員の気質ではなく集団として)


その一派の方々の考えは
「未来を背負う子どもたちが いかに互いに助け合って共存していけるかどうか?」
で、アイマスク体験・車椅子体験等を学校で導入してください!
など、先生に頼み込んだりしていて
宣教最優先のJWとはまるで違うと感じ JWの考えの狭さ・つまらなさを感じたものでした


話の腰を折ってすみません;;;
難しいお話を続行なさってくださいませ。。。
(ウチの主人、この板を楽しみに見ています。
昨日、ヒトはなぜ神をしんじるのか(irisさん推薦)を買ってきてました(笑))

オフライン

#146 2016年10月01日 18:10:50

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

鬼太郎 さんの発言:

そんな弱い長老も、、結局は出世競争の落伍者となります。
  ※これは僕のことです

鬼太郎さんが出世競争に参加していたんですか。
良心的な男性だからとても信じられません。

わたしは障害者だからこの世では偉くなれないと思っていました。
だから、会衆の長老ぐらいにはなって、
威張ったりするつもりはありませんでしたが、
人の上に立ってみたいという気持ちぐらいはありました。

脱塔の数年前は群れの司会者だったので、
姉妹たちの苦情聞くことが多くなってきました。
二人の長老に進言してもなかなか扱ってもらえませんでした。
彼らの一人は医療機関連絡委員のメンバーで、
もう一人は患者訪問グループのメンバーだったのです。
それぞれ主宰監督、書記、神権宣教学校の司会者でした。
支部の調整者織田正太郎兄弟とも知り合っていました。

彼らは自分たちが偉くなることに腐心していたのでしょう。
だから、会衆の個々のメンバーの必要は
表面的にだけ顧みていたと思います。

わたしは長老になれれば姉妹たちの苦情を取り上げて、
彼女たちの負担を少しでも軽減できればいいと思いました。
でも、それはとうとう実現できませんでした。

主宰は夫人と一緒に排斥で、息子は断絶です。
書記は聞いているところでは、
がんで亡くなったということでした。

無理するとあとあといいことはありませんね…。

編集者 ラハム (2016年10月01日 19:34:25)

オフライン

#147 2016年10月01日 18:57:34

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

てつてつ さんの発言:

ラハムさん ゴメンネー 本当に 時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨む… (伝道の書 9:11)です

てつてつさん、わたしのことはぜんぜん気にしなくていいです。
この一連の流れはてつてつさんがKAOさんに質問したところからです。
てつてつさんはKAOさんの説明を読んでKAOさんが、
神というものを信じているのかどうか知りたかったわけです。
わたしもそれは知りたいと思っていましたから、
とても良い質問だと思っていました。

その質問はわたしにとっても刺激的だったのです。
現在の自分がそれを質問されたら、ずいぶん考えて、
どう考えどう答えるだろうかって。

あなたは神の存在を信じるのですか。
答えは、はいでありいいえになってしまうのです。

自分にとって、世の中にとって良いことがあれば、
やっぱり神様の恵みかな、ありがたいなって
感じる瞬間があります。

自分にとって、世の中にとって災いがあれば、
神様なんていないんじゃないかって、思うんです。
神様、どうしてって。

まったくのご都合主義ですね。全部自分の感覚です。
自分の知性で判断するなんて強がりを言ったんですが、
あまりあてになりません。

生活していて神様がいるんだという一瞬があるのは確かです。

聖書の言葉は今でも役に立っています。
聖句を思い浮かべて、なるほどと思う一瞬があるからです。
だから、聖書の一字一句に固執しないで、
自分にとっての神様を発見する、あるいは近づくための
道しるべのひとつだと考えて活用するのはどうでしょうか。

識別するのは非常な努力が要求されますが、
世界中にちりばめられている
神を発見する宝石を探しているような気がします。

編集者 ラハム (2016年10月01日 19:02:14)

オフライン

#148 2016年10月01日 19:06:37

鬼太郎
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ラハムさん お恥ずかしいことに、、やはりゴマすりだけで先に長老になったM兄弟や、
隣りの会衆でかつての友人S兄弟(無能そのもの)が先に長老になると、、、、。
あまり面白くない、、そんな気持ちになりました。

長老になってみると、、、自分にはとても、成員の将来を犠牲にしても開拓奉仕を励ましたり、
未成年の伝道者に闇雲に高卒後の開拓奉仕を強要したりできない、、つまり組織の監督の職に向かない
ことを認めました。

奉仕の僕の時は、大会の度に出番があり、地域大会の劇にも目立つ役をいただいたり、、
それが長老になってからは、出番もなくなりました。

年長の姉妹曰く、『あんなM兄弟やS兄弟が大会でプログラムの特権があるのに、、、
鬼太郎兄弟は要領が悪いみたいね』と言われていました。

正直、、面白くありませんでした。やはり、組織の中の特権意識、その競争心理の影響は大きなもの
です。

オフライン

#149 2016年10月01日 23:01:56

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

私が持っている日本語の注解書は2冊
現代聖書注解「ダニエル書」W・S・タウナー1987
日本キリスト教団出版局
ATD旧約注解「ダニエル書」N・ポーチャアス1980
ATD・NTD 聖書注解刊行会

参考にした事典は1冊
「旧約新約聖書大事典」1989 教文館

これらの間にも見解の相違はあります。聖書の中の作者が偽名であろうと、いくつもの資料の集成であろうと、それで信じられなくなる必要はないかと思います。「聖典」と認められたのは、書物の「最終形態」であってみれば、特に問題はないかと・・・あんまりポチり過ぎないようにしてくださいね。

#150 2016年10月01日 23:32:28

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ラハムさん、含蓄のあるお言葉ありがとうございます。私とてこれからも変化していくことがあるでしょう。ただハッキリ言えることは、クリスチャンの家庭に生まれ、教会学校で育てていただいたことには死ぬ間際でも感謝できるとは思っています。たとえものみの搭を通してであれ、神に出会う機会となったという証しも聞いたことがあります。てつてつさんもきっと同じではないでしょうか?

鬼太郎さん
貴重な経験ありがとうございます。おっしゃるように「昇進競争」が自分を見失う契機になるというのは、どの組織でも言えることだと思います。「昇進」や「特権」が目標になったとたんに、「正しいこと」よりも「組織への従順」が優先されることになるわけですから、この図式はオウムでも明らかになったと思います。「正大使?」とか「正ご使?」(漢字は分かりません)、とかいって、「称号」を得るためには、教祖の無理難題に応じなければいけなかった訳ですよね。ひたすら「忠節」を強調する協会の下心も同じだと感じます。

ふぇいさん
難しい話ばっかりごめんなさい。ただ(自称)「聖書研究者」なる組織の欺瞞にだまされる人たちがあとを絶たない以上、その「聖書研究」の中味がどの程度のものであるのか、正規の神学教育を受けた経験のある者として「暴露」しておくべきかと思っています。中澤啓介牧師の著作を読んでそう思いました。

あと、モルモン?の体験談参考になりました。私も同じことを感じていました。ものみの搭は、たしかにいい人ばかりだけれど、災害時の「援助の対象」には「仲間たち」のことしか出てきません。世の人はどうせ滅びるという神学のせいかなとも思いますが、彼らにとって宣教とは狭い意味での「伝道」だけですよね。一般の教会の「宣教」とは、イエスが言うように弱者と共に歩むことをも意味していると考えています。私も、週1回と微力ではありますが、教会が貧困家庭のためにやっている「子ども食堂」で、塾に行けない子どもたちへの「学習支援」をやっています。子どもの貧困問題は、報道されている以上に深刻です。エホバの証人たちがやっている何万時間という「奉仕」のマンパワーが少しでもそちらに振り向けられると、イエス様も喜ばれるのではないかと思います。

クィック投稿

メッセージを書いて送信してください。

Board footer