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#1 2013年10月13日 18:19:29

もんもん
メンバー

排斥制度に関する議論

排斥制度に関する議論をこちらでしたいと思います。

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#2 2013年10月13日 18:21:37

もんもん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

長い間疑問に思っていたことがあったので、もし知っておられる方がおられましたら教えてください。

排斥された人と会話をした場合、その人はどんな罪に問われるのでしょうか。
具体的な指示や手紙って存在するんでしょうか。

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#3 2013年10月13日 19:30:40

カレブ
Administrator

Re: 排斥制度に関する議論

もんもんさん

他人の場合

*** 塔81 11/15 25ページ 27節 排斥―それに対する見方 ***
しかし本人が排斥された人との交友をやめないなら,その人は自ら『その邪悪な業に(それを支持したり行なったりして)あずかる者』となるのであって,会衆から除かれなければ,つまり追放されなければなりません。

ちなみに この1981年の ものみの塔によって エホバの証人を自分の意思で辞めた人(断絶)も忌避するようになりました。

それまではエホバの証人という宗教を辞めると宣言すれば一般人と同じ扱いに戻るという考えでした。

親族の場合

*** 塔81 11/15 27ページ 11節 もしも親族が排斥されたら…… ***
排斥された人は,会衆から霊的には切り断たれました。以前存在していた霊的なきずなは完全に断ち切られました。この点は,すぐ身近にいる家族を含め,その親族に関しても真実です。ですから,家族の成員は,家族のきずなを認めながらも,本人との霊的な交友はもはや持ちません。


親族の場合に協会が禁じているのは「霊的な交友」です。
しかしながら,協会は常にあいまいなメッセージを供給し続け
実際の現場ではJWが排斥された親族や断絶した親族も忌避するように仕向けています。

あるときは「Eメールもしないように」などと言い
別の時は「霊的な交友はもたないように」と言います。

「霊的な交友はもたない」ということはEメールで健康を気遣ったり親切な言葉をかけたりすることは
許されているわけです。

カナダのジェームズ・ペントンは上記のような あいまいなメッセージを発する協会の意図は
組織に対する不満や不信を家族内で広げないための方策であろうと指摘しています。

わたしもペントン氏の言うことが当たっていると思います。
この点で協会に誠実さは欠如しており,こうしたあいまいなメッセージで
どれだけ多くの家族が困惑し,傷つくかという点に全く目を向けていないことが
表れていると思います。

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#4 2013年10月13日 23:10:48

もんもん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

1981年というのは、30年以上も前ですけれど、この教えというのは、今でも保持しているんでしょうか。

*** 塔81 11/15 25ページ 27節 排斥―それに対する見方 ***
しかし本人が排斥された人との交友をやめないなら,その人は自ら『その邪悪な業に(それを支持したり行なったりして)あずかる者』となるのであって,会衆から除かれなければ,つまり追放されなければなりません。

そもそも、こんな命令を、一団体に過ぎないものみの塔協会が、別の団体である他の会衆に対して行うことに、現代において正当性はあるんでしょうか。もしかしたら、直接、ものみの塔協会に問い合わせれば、「これは命令ではない」といってくるのでは?

無視やのけものあつかいというのはハラスメントに該当するので、こういう扱いを保持し続けることは、社会的な団体としては、大問題だと思います。

編集者 もんもん (2013年10月13日 23:15:13)

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#5 2015年05月03日 15:30:36

ポチポチ
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

みなさん、初めまして。
まずは自己紹介。
2世で長老ですが、何年も前に覚醒しています。
内部からじっくり観察中です。

みなさんの知恵をお借りしたくて書き込みします。
状況
A姉妹  主婦  離れて暮らすエホバの証人の息子がいる。  F会衆
B夫   A姉妹の長男    J会衆
         B夫は、4ヶ月前に未信者の彼女と、こっそり付き合い始める。
         先月、彼女の妊娠が発覚。
         J会衆の長老に状況を話す。
         審理委員会が開かれるも、生まれてくる子供と彼女の事を考え、排斥を受け入れる。

このような状況で、F会衆にいるA姉妹が私に近ずいて子供のために自分はもう、何もしてあげることができないのだろうか?
と、相談を受けました。私自身は排斥という方法は人間としての倫理に反してると考えて反対なのですが、立場上公には出来ません。
それで、親として、また人間として最低限体の心配や状況を知る事はできるんじゃないか。また、生まれてくる子供や、奥さんになる人には罪は無いので普通に付き合い、援助をしてあげたら良いのではないか。

このような事を伝えてあげたいと考えています。

しかし、他の長老たちは、子供に気遣いを示す事に加えて奥さんになる人や生まれてくる子供とも、一切関わりを持たないようにと言う考えです。愛のかけらどころか、人間としても、どうかと思うような考えをしています。

私の考えを正当化出来るような出版物など、ないでしょうか?
マイコン長老には、出版物で話すしか方法がなくて...
また、出版物以外にも良い知恵がありましたら、お聞かせください。

よろしくお願いします。

オフライン

#6 2015年05月03日 17:47:59

ささらほーさら
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

ポチポチさん、こんにちは。

私は姉妹ですから、長老のマニュアルに関しては詳しいことはわかりません。

ただ、実例をいくつか存じあげていますので書いてみます。
(ただ、長老という立場でそう言っていいものかどうかはわかりません。)

〇同じ会衆のM姉妹は娘さんが二人排斥されていて未信者と結婚しています。
それぞれお子さんがおられます。
M姉妹は時々お孫さんを預かったり、
娘さんの体調が悪い時は届けものをしたりしています。
でも、会衆から咎められたことはないそうです。
何故なら、排斥された娘さんたちの霊的な状態について
会衆の長老たちには関心がなく、安否を気遣われたことも一度もないそうです。
そして、長老たちはM姉妹の行動も知らないわけです。

〇一方、息子さんが排斥されているA姉妹。(別の会衆)
彼女は電話も、メールも、facebookや他のSNSの友だち登録も全部拒否っています。
当然、息子さんが高熱で寝込んでいても情報は入りません。
一切合切の接触がダメと信じておられます。

〇また、前に交わっていた会衆の独身の姉妹が妊娠して排斥になりました。
神権家族でしたが、
家族はすぐに彼女を別の区域に引っ越させました。
そして、自分の区域の手の及ばないところで出産までの世話をし、
出産後家に戻してしばらく後に復帰しました。
(結婚はしませんでしたから、シングルマザーのままです)

他にも例はあるのですが、
お子さんが排斥された時の長老の資質によるところは大きいのではないでしょうか?
また、区域が違うと(原則として)別の会衆の長老は問題を扱えませんよね。
それで、他の会衆の区域に引っ越している排斥者である子供や孫と交わっている方は
けっこういらっしゃるようです。
それに、お嫁さんとお孫さんとは普通におつきあいできるはずですよね。

#7 2015年05月03日 20:50:54

sk
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

こんばんは、



ポチポチ兄弟、およびJWの長老の皆さん。




排斥について書きます。


まず、インチキ「も塔」規則集に解決を求めるより、聖書に導きを求める方が勝っています。

「も塔」は巧妙にも無価値な自分たちの伝統(規則)により神のことばを無効にしています。




「も塔」の排斥の規則は、1980年代にレイ・フランズの口をふさぐために作られました。
そのような規則に聖書的な根拠があるはずがありません。


ヨハネ第二 9-11
9 先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っているのです。10 この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。11 その人にあいさつのことばをかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです。


これは、どんな人を想定して書かれた指示ですか。
不道徳などの一般的な罪ですか。
それともキリストを否定する偽教師についてでしょうか。

答は明白です。
それは反キリストの活動家に対する指示です。


では、不道徳などを犯した信者はどのように扱われますか。

コリント第一 5:11
11 しかし今わたしは,兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように,と書いているのです。


ここに挙げられている淫行の者その他は弱さにのために生じた罪のことでしょうか。
それはむしろ、神の義の要求を意に介さない行為のことではありませんか。

では、若い男女が婚前交渉により子供を作って結婚した場合、たいていの場合は弱さに起因する罪でしょう。
その場合、会衆との交わりが絶たれることは無いでしょう。


イエスは罪人を招くために来たと述べています。

マタイ 9:11-13
11 ところが,パリサイ人がこれを見て,彼の弟子たちに,「あなた方の教師が収税人や罪人と一緒に食事をするのはどういうわけか」と言いだした。12 [これを]聞いて[イエス]は言われた,「健康な人に医者は必要でなく,病んでいる人に[必要]なのです。13 それで,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』とはどういうことなのか,行って学んできなさい。わたしは,義人たちではなく,罪人たちを招くために来たのです」。


では、若い男女が無知ゆえにあるいは不覚にも自分の体の機能を制御できずに失敗した程度の問題をどう見るべきですか。

それは、理解を示し正しく歩む決意を強め、正しく歩むように励ますべきときではないですか。
その種の問題は個人的な問題であり公にしたり、懲らしめと称して宗教的な制裁を加えることも必要はないと思います。

また、パウロの助言を規則として捉え、それをもって宗教的な制裁の対象とすることはブヨを濾しとる行為でしょう。

コリント第一 7:39-40
39 妻は夫が生きている間はずっとつながれています。しかし,もし夫が[死の]眠りにつくことがあれば,彼女は自分の望む者と自由に結婚できます。ただし主にある[者と]だけです。40 しかし,わたしの意見では,彼女はそのままでいたほうが幸福です。わたしは自分も神の霊を持っていると確かに考えています。


パウロのここでの助言は強力であるとはいえ、何らかの宗教的制裁を要するものでしょうか。
それは、個人的な問題であり、個々の人が自分の判断の実を刈り取る種類の問題ではないでしょうか。
パウロは宗教的な制裁について何にも述べていません。
ということは、誰も彼の助言を、それによって人を裁く律法に出来ないことを意味していると思います。


ですから、若い男女が若さの盛りのために失敗し、未信者の女性が妊娠し結婚した場合、それは極めて個人的な問題であり、会衆と関わる必要はないと思います。

これは、起きた事を大目に見ているのでも、肯定しているのでもありません。
その失敗が他の人を同種の過ちに誘うような脅威が存在しないなら個人的な問題として扱えば良いと思います。

もし、信者のほうが罪の意識を持ち助けを必要としているなら会衆の年長者の援助を求めると良いと思います。

「も塔」のシステム自体は聖書的なものではありませんので、その中での処置を考慮する意味は無いと思います。例えば、懲らしめと称して、注解、神権学校の割り当て、その他の割り当てを制限することなどを「も塔」長老たちは考えるでしょうが、そのような「くだらない」ことで人を助けることなど出来ません。



これから頭に来て書きます。

イエスが多くの罪人をどのように扱ったか黙想しなさい。
そうすれば、人をどのように助けたら良いか分かるでしょう。

「も塔」裁判所の無価値な基準、インチキ長老たちの偽善的な牧羊ごっこは考えただけで腹立つ!


「も塔」インチキシステムの中では本当に罪人を助けられませんよ。
むしろ、そのシステムは罪科のないものを罪に定めるシステムです。
また重荷を人に担わせ罪悪感を助長するシステムです。

マタイ 12:7
7 しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう。

マタイ 23:3-4
3 . . .  彼らは言いはしますが,実行しないからです。4 重い荷をくくって人の肩に載せますが,自分ではそれを指で動かそうともしません。(JWインチキ長老は重荷を一緒に担うことなんかしませんよ。)




いつまでインチキ組織のマイコンロボット長老のままでいるつもりですか。


つづく

編集者 sk (2015年05月03日 22:39:11)

オフライン

#8 2015年05月03日 22:01:00

ガリレオくん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

初めましてボチボチさん、JW.ORG内の↓
「エホバの証人ではなくなった人を避けますか」

バプテスマ を 受け て エホバ の 証人 に なっ た もの の 伝道 を やめ,仲間 と の 交友 から 遠のい て いる 人 たち を 避ける こと は し ませ ん。むしろ,その 人 を 訪ね,信仰 を 再び 強める よう 励まし ます。

重大 な 罪 を 犯し た 人 で あっ て も,自動 的 に 排斥 さ れる こと は あり ませ ん。と は いえ,バプテスマ を 受け た エホバ の 証人 が 聖書 の 道徳 規準 を 破っ て 悔い改め ない なら,排斥 さ れ ます。聖書 は「その 邪悪 な 人 を あなた方 の 中 から 除き なさい」と はっきり 述べ て い ます。―コリント 第 一 5:13。

ある 人 が 排斥 さ れ た もの の,妻 や 子ども が 引き続き エホバ の 証人 で ある 場合 は どう でしょ う か。宗教 的 な 結びつき は 変わり ます が,家族 と し て の きずな は 変わり ませ ん。結婚 関係,家族 の 愛情 や かかわり は 続き ます。

排斥 さ れ た 人 も わたしたち の 集会 に 出席 でき ます。望む なら,会衆 の 長老 から 聖書 に 基づく 助言 を もらう こと も でき ます。わたしたち の 願い は,排斥 さ れ た 人 が 再び エホバ の 証人 の 一 人 に なる こと です。排斥 さ れ て も,ふさわしく ない 行ない を やめ,聖書 の 規準 に 沿っ て 生き たい と いう 誠実 な 願い を 表わす 人 は,再び 会衆 の 一員 に なれ ます。

↑これだけを素直に読むと絆を絶つようなことは決してしないような意味合いとして取れますよね。これ全面に出したぐらいでは通用しないですかね・・・外ヅラと内部の違いぐらい君にも分かるだろう的なことで片付けられるのでしょうか。立場が兄弟を苦しめていますね、大変だと思います。ミルトン・ヘンシェルは「判断に迷う時はいつでも親切にするのは良いことだ」と言ってましたよね、あの言葉好きだったな~ cry

オフライン

#9 2015年05月03日 22:13:50

ささらほーさら
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

だから会衆や長老によって対処の仕方がさまざまなんですね。
聖書に明確な教えがないのに勝手に作って押し付けるから....。

納得しました。

sk さんの発言:

コリント第一 7:39-40
39 妻は夫が生きている間はずっとつながれています。しかし,もし夫が[死の]眠りにつくことがあれば,彼女は自分の望む者と自由に結婚できます。ただし主にある[者と]だけです。40 しかし,わたしの意見では,彼女はそのままでいたほうが幸福です。わたしは自分も神の霊を持っていると確かに考えています。

これもずっと不思議に思っていました。
未信者と結婚すると「助言の対象になりますよ」と言われたことがあります。
しかもそんな気配もないのに....。


sk さんの発言:

いつまでインチキ組織のマイコンロボット長老のままでいるつもりですか。

これもホントは言いたかった。
私も知り合いの長老にいるんですよね。
組織の本性を見抜いているのに、バリバリの元特開奥さまや身内のJWの手前留まっている方が....。
家族を愛しているなら行動するべきなのに....。

ちょっとスッキリしました~。

#10 2015年05月04日 16:35:50

ニコラ
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

はっきり言って、排斥は立ち直れなくするシステムです。
弱って罪を犯した人です。援助が必要なはずです。

それを突き放しはす。
援助無しに戻れと言う。
援助されなければ、更に弱ります。
弱つた人には、永遠に悔い改めを認めません。

この繰り返しです。

ものみの塔の最悪な規則です。

#11 2015年05月04日 17:46:39

トッカン
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

「排斥された人たちの中には悔い改めて再びクリスチャン会衆に戻った人々も多い」………
べつに嘘ではありませんが、「多い」は「大半」という意味ではないと分かったのは最近です。日本人のわたしの皮膚感では10~15%ぐらい?
日本国内で何人なのか分かりませんが、世界中で年間8,000人の排斥者(伝道者数の1%が目安だそうです)のうち、仮に15%=450人の復帰………決して少なくはないし、多いのは事実ですが、大半ではないですね。

それからわたしは、排斥=悔い改めを促す、のが主眼ではなく、最大の目的は「認めない」ことだと理解しています。メンバーシップの剥奪=「こんな人は我々の仲間じゃないので一緒にしないでくれ」と世間にアピールすることです。こっちが最重要事項だと思います。復帰者の発生はオマケ、じゃないですか。

#12 2015年05月04日 20:09:23

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

ここで僕がいた会衆の実例をあげます。 20年間の記録ですが、、
奉仕の僕 開拓者 S 排斥後復帰~長老に
奉仕の僕 開拓者 Y 排斥後復帰~長老に

      姉妹Y 独身で妊娠で排斥~復帰

奉仕の僕Y夫妻 断絶 復帰せず

その他 不道徳で制限 開拓者削除 F姉妹~補助開拓~正規開拓者へ
     
監督達のレベルが高かったせいか、復帰され、以前よりも謙遜で立派になったケースが目立ちます。 以上

#13 2015年05月05日 08:21:12

sk
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

おはようございます。




ニムロデ・ピラミッドシステムの行動基準について書きます。



人々を集めて統制するために必要なものは何でしょうか。


ニムロデシステムにおいて、それは「アメと鞭」です。

つまり、特権(権威)と制裁です。
別の表現では、昇進と降格です。

行政機関や企業などの組織体はすべて昇進、降格の世界です。
組織に貢献し、また組織を擁護しなければ昇進は望めませんし、昇進するとよりいっそうの貢献、擁護を期待されます。
もし、組織の意向にそぐわなければ、あるいは批判的であれば降格となります。

昇進と降格により条件付けを受け組織人事により人々の振舞が形作られて行きます。



本来、キリスト教はニムロデシステムではありませんが、残念ながら宗教組織もまたニムロデシステムを用いています。



「も塔」の場合、昇進は宗教的な特権であり、それは多岐に渡ります。人々は組織が提供する無数の割当により差別化を受けます。昇進すれば、つまり「も塔」が提供する割当を沢山もてば特権とみなされ、模範的とされ、組織のための発言力を増すことになります。そのようにして組織を代表する立場を与えられ組織を擁護することが期待され、組織崇拝のチーム・リーダーとなります。これは、伝道者からスタートして、開拓者、奉仕のしもべ、長老、旅行する監督、支部の職員という人事制度が生み出す組織崇拝のプロセスです。

「も塔」組織崇拝プロセスの中で組織の意向にそぐわなかったり、意見を異にしたり、批判の声を上げると何が生じるでしょうか。
降格が生じます。割当、発言の機会は制限され、組織に不都合なその人の影響力は弱められるでしょう。

組織内の「アメと鞭」(昇進と降格、特権と制限)が機能するのは、組織の提供する取り決め、割当を前提としています。
仮に、組織に人事の取り決めや差別化を生む様々な割当がなければ、「アメと鞭」は機能しないでしょう。

ですから、「も塔」は、この世の組織と変わらないニムロデシステムであり、本物のクリスチャン会衆ではありません。

「も塔」は、地上における神の唯一の見える組織と言っている分、組織崇拝の力は最強と言えます。

宗教組織の恐ろしいところは、神の名によって絶対的な支持を理不尽にも要求してくることです。
宗教組織の教理や方針は絶対視され、それによって人事が決定され組織崇拝が促進されてゆきます。
宗教組織の決定は絶対視され、意見を異にしたり破れば制裁が課されます。



鬼太郎兄弟は復帰後長老まで回復した方たちの例をあげていますが、「も塔」ニムロデシステムへの逆戻りを歓迎する気にはなりません。

奉仕の僕 開拓者 S 排斥後復帰~長老に
奉仕の僕 開拓者 Y 排斥後復帰~長老に
     
監督達のレベルが高かったせいか、復帰され、以前よりも謙遜で立派になったケースが目立ちます。


「も塔」のアメと鞭システムで形作られるものは本物のクリスチャン人格ではなく「イエスマン」でしょう。
それは、白く塗り上げた墓しか生み出せません。
腐った木が立派な実を生み出すことは出来ません。

復帰して長老になった方は真理のために堅く立つでしょうか、それともインチキ「も塔」を擁護するために働くでしょうか。
復帰した人は「も塔」のインチキを見破り糾弾しバビロンを離れるでしょうか。
それが出来れば本物のクリスチャンになる可能性が大きいでしょう。


「も塔」の人事は神とキリストの目に何の価値もありませんん。
なぜなら、それがサタンと人間に由来する権威だからです。
「も塔」は、その始まりから神の器などではありません。それはサタンの器のひとつに過ぎません。
神はそこから出るように呼びかけているのに、サタンの器に再び戻ることを喜ぶ理由はありません。
「も塔」は、組織の利益のためにJWに聖書ごっこを演じさせているだけです。


マタイ 23:27
27 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは,外面はなるほど美しく見えますが,内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。

マタイ 7:16-18
16 あなた方は,その実によって彼らを見分けるでしょう。いばらからぶどうを,あざみからいちじくを集めることなどないではありませんか。17 同じように,良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです。18 良い木は無価値な実を結ぶことができず,腐った木がりっぱな実を生み出すこともできません

コリント第一 5:6
6 あなた方が誇りにしている事柄は良くありません。あなた方は,少しのパン種が固まり全体を発酵させることを知らないのですか。



「も塔」の排斥の取決めや方針は、組織擁護のために統治体と呼ばれる決定機関の一部の人々により決められました。その取り決めについて一般の信者がその聖書的な根拠を公に論じる場はありません。「も塔」のシステムはトップダウンのニムロデ・ピラミッドシステムです。

これから示す聖書的な論議は「も塔」内では誰も展開できないでしょう。
あえて声を上げるなら、鞭が待っていますよ。
特権剥奪、降格、最終的には、神の組織の方針に異議を唱えた者として、また統治体の権威を低めた者として、傲慢、不敬、不従順な背教者として排斥されるでしょう。


「も塔」にとって背教者とは、「も塔」のインチキを見破って「も塔」を糾弾する人のことです。
「も塔」にとっての背教者の全てが神やキリストへの信仰を捨てた人ではありません。




ヨハネ第二 9-11の聖句は、反キリスト、神とキリストへの信仰から背教したものについて述べています。

ヨハネ第二 9-11
9 先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っているのです。10 この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。11 その人にあいさつのことばをかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです。


ここでの指示は、かつての信者が反キリストの活動家として来るならキッパリと拒絶することを求めています。

「も塔」がしているように、ここでの拒絶の指示を全てのケースに適用する聖書的な根拠はありません。




個人レベルの罪の扱いは、マタイ 18:15-17に説明されています。


マタイ 18:15-17
15 「さらに,もしあなたの兄弟が罪を犯したなら,行って,ただあなたと彼との間でその過ちを明らかにしなさい。彼があなた[の述べること]を聴くなら,あなたは自分の兄弟を得たのです。16 しかし,もし彼が聴かないなら,あなたと一緒にあと一人か二人を連れて行きなさい。一切のことが二人または三人の証人の口によって確証されるためです。17 もし彼がそれらの人たち[の述べること]を聴かないなら,会衆に話しなさい。もし会衆[の告げること]にさえ聴かないなら,その人を,あなたにとって,諸国民の者また収税人のような者としなさい。


ここで扱われている罪は、個人的なレベルで解決できる種類の罪ですが、過ちを正すことをせず義の原則をあざ笑うものは会衆によって扱われ諸国民や収税人のように扱われます。

つまり、信仰において結ばれる仲間としての親しい交友が断たれることになります。

では、それは背教者のように挨拶もせずにその人を拒絶することが求められていますか。

いいえ求められていません。
この場合は、諸国民の者または収税人のような者とみなされることが書かれています。

では、イエスは諸国民の者や収税人をどのように扱われましたか。
背教者を扱うように挨拶も会話も避けたでしょうか。
そのようなことはありませんでした。
不必要に交友を求めることは無いにしても、必要に応じて食事を共にしたり、その際に霊的な会話もしました。



また神の義の基準を無視した歩みをする人も基本的に同じように扱われます。
仮にそのような人が会衆内にいるなら、友としての交友はしないでしょう。
しかし、それは誤った生き方をしている人を無視することではないでしょう。
その判断は、各自ができるでしょう。


テサロニケ第二 3:6, 13-15
6 さて,兄弟たち,わたしたちは,主イエス・キリストの名においてあなた方に命じます。あなた方がわたしたちから受けた伝統にしたがわないで無秩序な歩み方をするすべての兄弟から離れなさい

13 兄弟たち,あなた方は,正しいことをする点であきらめてはなりません。14 しかし,この手紙によるわたしたちの言葉に従順でない人がいれば,その人に特に注意するようにし,交わるのをやめなさい。その人が恥じるようになるためです。15 それでも,その人を敵と考えてはならず,兄弟として訓戒し続けなさい。


背教して反キリストの活動を行う者、さまざまな罪(不道徳、偶像礼拝、分派、その他)や、無秩序な歩みをする人を個人として、また会衆としてどう扱うかは以上の聖句で説明されているだけです。


「も塔」は、組織的な統制のために書かれていることを超えて独自の決まりを押し付けています。
聖書の裏付けを欠く「も塔」の独自の排斥の方針は、自らの権威を印象付けるため、また不都合な事実を隠すためのものであり、罪を犯した者を含め真に会衆を助けるものではありません。


もし、JWの皆さんが上記の聖書の助言に従うつもりなら、「も塔」との交わりをやめ無秩序な歩みをする「も塔」から離れる必要があります。
なぜなら、「も塔」の非聖書的で無秩序な歩みは明らかだからです。

一例として、
「も塔」の王国会館乗っ取り作戦を読んで「も塔」のクリスチャンらしくない行為を戒めなさい。

いつまでも、そんなところにいないで、「も塔」の悪に特に注意するようにし、交わるのをやめなさい。

編集者 sk (2015年05月06日 09:56:40)

オフライン

#14 2015年05月05日 10:50:30

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

排斥制度の是非に関する論議でしたら、排斥制度は非とされます。いわば、信者を組織のロボットにする制度とも言えるからです。
しかし、排斥からの復帰の数の根拠はどこにありますか?教えていただけませんか?
それとも、個人的な経験値でしょうか?
背教以外は大半が、知る限り過半数が復帰している、というのが僕の感覚です。

#15 2015年05月05日 15:10:20

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

なお、、ものみの塔組織を擁護する意図は一切ありません。
排斥から復帰するのは、二元論の愛と脅しのマイコンが有効なためです。
つまり、排斥のまま⇒ハルマゲドンで滅び
    復帰⇒再度永遠の命の希望

さらに、、JW歴が長いとこの世では、とても生きていくことができない価値観を持ちます。
加えて、家族 友人との絆もあり、いわば人質をとられているようなものですから、、。

ナゼ、数字に関して伺うかといえば、それがここ最近10年間の傾向なのか知りたいためです。
僕が現役時代と、排斥や復帰の基準が変わったのか? そんな疑問があるためです。

例えば、ネットでは審理委員で姉妹の不道徳を扱うと、酷いセクハラまがいで組織から出た といったことが話題になりますが、、
僕の周囲で二人の若い独身の姉妹が同様の問題で裁かれましたが、(制限だけでしたが)その後開拓者に戻りました。

#16 2015年05月05日 15:18:50

ラハム
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

排斥という処置に伴う村八分的な扱いは
非常に人を傷つける方策だと思います。
鬼太郎兄弟は長年長老だったそうですから、
排斥された人がどのような理由で排斥され、
復帰できたのかを知る立場にあったと思います。
わたしは26年以上JWとして生活してきましたが、
長老になることができませんでした。
わたしもこの期間排斥や断絶の発表は何度も聞いていますが、
それらの人たちの復帰について発表は一度も聞いた記憶がありません。
同じ会衆で排斥された兄弟が、集会に出席しているのを
見たことはあるのですが、復帰まで行かなかったと思います。

わたしも排斥という処置に伴う村八分的な扱いは
聖書的に間違っていると思います。
エホバの証人が排斥された人との交際を忌避する根拠として
用いるコリントの聖句があります。
コリント第一5:9-11です。
「わたしは自分の手紙の中で,淫行の者との交友をやめるようにと
あなた方に書き送りましたが, 10それは,この世+の淫行の者+,
あるいは貪欲な者やゆすり取る者,また偶像を礼拝する者たちと
全く[交わらないようにという意味]ではありません。
もしそうだとすると,あなた方は実際には世から
出なければならないことになります+。
11  しかし今わたしは,兄弟と呼ばれる人で,
淫行の者,貪欲な者+,偶像を礼拝する者,
ののしる者,大酒飲み+,あるいはゆすり取る者がいれば,
交友をやめ*+,そのような人とは共に食事をすることさえしないように,
と書いているのです。」

ここでパウロは世の人に対するクリスチャンの対処方法と
クリスチャンではあるが世の人たちと同じような行為を
行なう人に対してクリスチャンがどのような行動を
するべきかについて述べていると思います。
ここでパウロは「兄弟と呼ばれる人で」と現在まだ兄弟の立場にいるが、
淫行や大酒飲みの行為を行ない続ける人とは交友をやめて、
ともに食事さえしないよう強く戒めています。

ですから、それらの行為によって排斥され、
世の人に戻ってしまった人は「兄弟と呼ばれた人」と過去形で
表現されるべき立場になったというべきでしょう。
クリスチャンでなく、ここに述べられている悪徳を
行ない続けている人たちと交わることをやめるのは
事実上不可能なことを説明しており、
これは道理にかなっています。

排斥になった人と一緒に生活する場合は特にそのように言えます。
エホバの証人の聖書解釈は家族を動揺させ多くの混乱を引き起こします。

排斥され、世の人に戻ってしまった人は、
交友をやめ、ともに食事をしてはいけない信者とははっきり区別されるべきだ、
というのがわたしの考えで、エホバの証人の排斥処置に伴う、
村八分的な方策は間違っていると思います。

オフライン

#17 2015年05月05日 17:54:38

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

ラハム兄弟 書き込みありがとうございます
復帰が皆無 というのはショックです。
断絶して、あるいは背教で戻らないのは理解できますが、、、。
審理委員の最初に『私達は、兄弟を助けるために集まりました、、云々、。』
審理委員の結論が排斥の場合は、
『不満なら上訴もできます。復帰を願うなら、、、』と説明したはずですし、、。
僕の周りの排斥~復帰したケースは、、全て不道徳でした。
都会のため誘惑が多かったのか?
ともかく、現役時代は、『このままではエホバの公正さの基準でハルマゲドンでの滅びとなる。
排斥処分~復帰で罪を償うのは愛ある親切ゆえ』
また、『会衆内の基準を高く保つため。』
特に、、『仮に不道徳や喫煙 偶像崇拝をしていながらJWであることを許せば、世の人達に対する最悪の
評判となり、エホバのみ名に非難が寄せられる』と信じていましたから、、、。

脱会後は、この村八分の取決めが如何に信者に対する脅しとなっていたか、と改めて考えてしまいました。
しかし、、復帰が皆無 でしたか、、、。

僕の会衆では1980年代前半のことでが、一時的に 元兄弟二人と元姉妹一人、、
二十代の男女三人が排斥され、王国会館の集会では三人が後ろに座っていましたが、
三人とも復帰しました。

なお、、、無意味なカキコをしたかもしれません、、、。
この復帰の人数の件は、、もうスルーされて話題を変えてもいいですよ。

#18 2015年05月06日 09:29:58

ラハム
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

鬼太郎兄弟のていねいなご返事をありがとうございます。
わたしが「ラハム」というペンネームを使うのは憐れみを意味するからです。
長年会衆と交わり、ネットから会衆を去ることにした人々の
いきさつを読んだとき、この組織にかけているのは
キリストの精神に基づく憐れみという特質だと感じるようになりました。
キリストは独自の規則を作り上げ、民衆に重い荷を背負わせていた
パリサイ人に向かい「『わたしは憐れみを望み犠牲を望まない』とは
どういうことなのか、行って学んできなさいと」何度も言われました。

鬼太郎兄弟が交わっていた会衆では、排斥者の復帰が多かったようですが、
キリストの精神が大きく反映されて、戻りやすかったのではないでしょうか。
人は表面上の言葉より雰囲気に左右されやすいものです。
特に兄弟が長老として審理問題を扱うとき、
キリストの精神に基づく憐れみの特質が大きく反映されて、
問題を抱えた兄弟や姉妹はほんとうに助けてくれるんだ
と感じてもらえたとわたしは思います。
そうでなければ人を動かすことはできません。

わたしが組織を去る直前まで交わっていた会衆の長老たちにも
そのような憐みの特質を感じることはありませんでした。
直接の聖書の言葉や出版物からの提案支持にも反していることを
説明しても、わたしたち立場の低い者たちの意見は
重んじてもらえませんでした。
けっきょくは自分たちの保身と権益を守ることが
優先されたのだろうと思います。

鬼太郎兄弟が長老として奉仕してくださっていた会衆は
幸福だっただろうと思います。
そして兄弟のような方はごく少数だったのでしょう。
やはり、考え深く良心的な人はこの組織にとどまり続けることは
不可能なのでしょう。
良心的な人々のためにこのサイトが役立つことを願っています。

オフライン

#19 2015年05月06日 12:17:31

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

ラハム兄弟 お疲れましでした
このサイトと排斥論議の方向性とは真逆の話となりますが、、、

尊敬していたI長老に助言されると、たいていの兄弟姉妹は泣いてしまうものでした。
I長老は、どんなに態度の悪い兄弟でも、たとえ公けの場で自分に逆らった姉妹でも、、
助言する前に自問していました『自分は本当に心からの愛をもって助言できるか それとも怒りの感情が少しでもあるか?』
曰く『相手に対する本当の愛がなければ助言する資格はありません』
ある態度の悪いオバサン姉妹に対しては、助言する必要が生じてから助言するまで三週間も経過しました。
I長老は毎日、聖書と神とイエスと、その態度の悪い姉妹のことを黙想し祈り、、本当に愛をもって助言できるまでに
三週間かかったとのことでした。
助言された、その態度の悪い開拓者のオバサン姉妹は、号泣しました。
感激したそうです。自分のような態度の悪い者なのに、これほどの愛情をもって助言してくれたことに、、。
それから、そのトラブルメーカーの姉妹は態度を改めました。
またM長老は、『少し弱いタイプの成員が組織から離れたら と心配で夜眠れないことがある』と言われてました。
監督が成員をいじめる というのは想像できないことでした。

しかし、、親友のK兄弟が近隣の県の会衆に引っ越すと、、、
最悪の独裁者長老がおられて、自分は他の長老の悪口を言いたい放題、会衆の姉妹が『そのようなお話は聞きたくありません』と
いうと『姉妹は不従順だ 注解の特権は制限する』。
奉仕の僕が『どうか私たちの会衆も王国会館をもてますように』と祈ったところ、、
『王国会館の件を祈りに含める許可をしていない 排斥にする!』、、、夫婦でその場で土下座して許しを請うたとのこと。
この独裁者は、自身に完全なイエスマンで自分よりも能力のない兄弟しか長老に推薦しないものでした。


ラハム兄弟、ご苦労されましたね
僕はこの種のバカ長老は少数派と考えていましたが、、、
まともな監督のほうが少数派だったようですね。
見方を変えます。

そうなると、、
現状の排斥制度が、、一種の粛清の手段となる という恐ろしい現実を認めざるをえなくなります。

#20 2015年05月06日 22:16:15

sk
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

こんばんは、



「も塔」の長老たちについて書きます。



「も塔」はロスチャイルドの資金で創られ運営されています。
ラッセルは高位フリーメイソンで、フリーメイソンのシンボルや聖書解釈を用いてシオニズムのために働きました。

「も塔」は、キリスト教世界の多くの教会と同様、イルミナティ貴族の世界戦略のための一つの器です。


*イルミナティ貴族とは、世界の資産の大半を独占する人類の1%の大富豪たちのことです。彼らは彼らの所有の各国の中央銀行を通して国際サラ金業務を営み、国や国際機関、国際企業のほとんどを意のままに動かしています。地域紛争や戦争、好景気、不景気をつくり世界を動かしている者たちです。フリーメイソンは社会の建築のために彼らが用いる秘密結社のひとつです。彼らは世界政府をもくろみ、その実現のために働いています。



「も塔」は、将来の世界政府のための宗教的な社会実験かもしれません。
絶対的な権威が、いかに人をコントロールできるかの国際的な社会実験です。

JWに対する「も塔」の統治体の神からのものと称する絶対的な権威は、将来の世界政府が必要とする人々に対する権威の雛形とみなされているかもしれません。


JWはある意味で野獣崇拝にも近い「も塔」崇拝をしています。
たいていのJWは「も塔」を否定しては生きられないと思っています。
それは、野獣のしるしを持たなければ生きられないのと似ています。

それで、将来の野獣崇拝は、今の「も塔」システムと似たものとなるかもしれません。

つまり、長老のような世界政府の権威代行人が任命され絶対服従が強要され、異なる意見や見方を持つ者を排斥するでしょう。


JWの会衆の長老たちは、長老の学校(も協会の長老のためのセミナー)でJWから偶像視されている「も協会」の方針を繰り返し教えられ、会衆に対して行政官のごとく振舞うことを期待されます。長老たちは、兄弟関係の仲間というより「も協会」の権力の象徴となっており、「も塔」の雇われ人のように、会衆の羊の必要より「も塔」優先に振舞います。


マイコン長老たちは、つまらないことで助言をしたがり、「も塔」の理不尽な見方を押し付けてきます。

「も塔」の間違った方針を振りかざす長老たちの余計なお節介

子供の懲らしめについて(以前は鞭を強要していた。)
子供の教育について(学校での交友、祭りや祝日や課外活動の参加、進学についてのお節介助言)
野外奉仕について(時間や定期性についてのお節介助言)
振る舞いについて(いろいろ助言したがる)
霊性について(「も塔」の目から助言したがる)

「も塔」が描く人をつくることが長老の仕事であると思っている天才バカボンがたくさんいます。



「も塔」の長老たちは雇われ牧者であり羊のことより「も塔」から与えられた自分の立場に関心があります。
彼らは真の牧者ではありません。
仮に本物なら非聖書的な「も塔」の要求や方針の間違いを見抜いて羊を守るために抗議するでしょう。
「も塔」のインチキを勇敢に指摘しない人は本物羊飼いだろうか。

「も塔」は神の羊を食い物にする羊の皮を覆ったおおかみです。
その長老たちの多くはおおかみの雇われ人です。

ヨハネ 10:12-13
12 雇われ人は,おおよそ羊飼いとは異なり,その羊も自分のものではないので,おおかみが来るのを見ると,羊たちを見捨てて逃げます―そして,おおかみは彼らをさらい,また散らします― 13 彼は雇われ人であって,羊のことを気にかけないからです。


「も塔」のマイコン長老たちの思いは、
「協会は何と言っているでしょうか。」
「協会の出版物を調べてみましょう。」です。

彼らは、協会の解釈で神のことばを無効にします。
その姿はイエスに糾弾されたパリサイ人や宗教指導者と同じです。


マルコ 7:6-8, 9, 13
6 [イエス]は彼らに言われた,「イザヤはあなた方偽善者たちについて適切に預言しました。こう書いてあります。『この民は唇でわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている。7 彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。彼らは,教理として人間の命令を教えるからである』。8 あなた方は神のおきてを捨て置いて,人間の伝統を堅く守っているのです」。
9 [イエス]はさらに続けてこう言われた。「あなた方は自分たちの伝統を保とうとして,巧妙にも神のおきてを押しのけています
13 こうしてあなた方は,自分たちが伝えた伝統によって神の言葉を無にしています。そして多くのこれと同様の事をあなた方は行なっています」。



神を恐れるJWの長老の皆さん、
「も塔」のインチキを見破ってインチキのための雇われ人ではなく、真理や真実のために働いてください。


インチキの中で真理や真実を擁護すれば、解雇されるでしょう。
それは、神から見てまことに結構なことです。

編集者 sk (2015年05月07日 07:53:43)

オフライン

#21 2015年06月17日 21:37:37

もんもん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

排斥による忌避を宗教差別だと訴える運動が各地で広がっているようです。中野っちさんのブログからの紹介です。

JW忌避は立派な犯罪/ブラジル
http://ameblo.jp/nakanokatsuhiro/entry-12038194256.html

ブラジル宗教差別被害者連合
http://ameblo.jp/nakanokatsuhiro/entry-12039026998.html

イタリアでJWの宗教差別に対する抗議
http://ameblo.jp/nakanokatsuhiro/entry-12038313256.html

世界中で訴えが広がって、協会が、排斥制度を放棄せざるをえなくなる状況になればと思います。

オフライン

#22 2015年06月18日 05:50:11

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

Q:排斥された人と話したり挨拶したりすることは「望ましいことではない」「模範的でない」程度のお咎めなのでしょうか?
それとも接触したその成員自身も排斥される恐れがありますか?

同居する身内が排斥された(断絶した)場合、“霊的な友好関係”はなくなることは同然だが、家族であることに変わりはないのだからその関係自体は断ち切られることはない、というのが原則ですよね?
で、別居家族の場合がチとややこしい。家族でなくなるわけじゃないのだが、不必要な接触は可能な限り避けるべし……ここまで間違ってませんね?

***塔2007/1/15  p.20***

排斥された子どもが未成年ではなく,親元を離れて生活している場合は事情が異なります。使徒パウロは古代コリントのクリスチャンに,「兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように」と訓戒しています。(コリント第一 5:11)家族に関係した必要な事柄のために,排斥された子どもと幾らか接触する必要があるかもしれません。それでも,クリスチャンの親は不必要な交わりを避けなければなりません。

聞いた二人のお母さん姉妹たちの経験ですが、

①    16歳で排斥され、そのまま結婚し、そう遠くではない地に引越していった娘が出産することになりました。母姉妹は長老たちと相談した結果、「これは“家族として当然必要な接触”という結論を出し、姉妹は娘の産後数日まで同居し、落ち着いたところで自宅に戻りました。以後、霊的接触はもちろんのこと、娘夫婦や孫との連絡も途絶え、今はどこに住んでいるかも分からなくなりました。

②    17歳で断絶(事実上は排斥とみなされてかねない)して出て行ってしまった娘の母姉妹は、すぐ近所に住むその子とは何が何でも接触しようとしませんでした。娘が妊娠後、ボーイフレンドと別れてしまい、身の周りの援助が必要(この場合もお産がらみですね)になっても一切、手伝いナシ。幸い、身重の娘は8ヶ月検診の時に産気づいたので、周りの人たちの援助で無事出産。その後も母姉妹は心を鬼にして関わらないようにし、数年後の娘の復帰まで乗り切りました(戻った娘は子連れで会衆内の若い兄弟と正式に結婚し、のちに開拓者に)。

何が必要で何が不必要な接触なのかは各家族でまちまちでハッキリとは区別できず、それがどう転ぶかはケースバイケースという感じです(注:私は上記の二例をもって、「やはり“キッパリ”が良い結果を招くんだね」とか言うつもりは全くありません)。

***塔2013 1/15 p.12–16***

実際,排斥されたあなたの家族は,あなたが固い決意を抱いて,家族の絆よりも何よりも,エホバを重視する態度を見る必要があります……いろいろ口実を設けて,例えばEメールなどによって,排斥された人と交わろうとしてはなりません。

Q:接触の仕方・程度にもよりますが、こういった親たち・子供たちは、戒め程度で収まるでしょうか? それともそのことで審理が動き始める、といったことがありますか?

次の、身内でない成員の場合は?

*** 塔74 11/1 p.659 ***

5 したがって,会衆の長老,および会衆の個々の成員は,ユダヤ教のある律法学者たちがあおったような見方,つまり異邦人を事実上の敵と見なすような見方に近づかないように注意すべきです。排斥された人が犯した悪行を憎むのは正しいことですが,その人そのものを憎んだり,そうした人を無情に扱ったりするのは正しくありません。すでに述べたとおり,律法学者のある書物は,異邦人が死の危険に臨んでいる場合でもそれに助けの手を差し伸べてはならないとさえ述べていました。仮に,クリスチャン会衆の一員が湖でボートに乗っていて,排斥された人の乗る別のボートが転覆し,その排斥された人が水の中に投げ出されて必死にもがいているのを見たとしましょう。溺死の危険に臨んでいるのが排斥された人で,「諸国民の者」のように見なされるべきだということで,クリスチャンがその人の危険を見過ごし,その場をこぎ去ったとすれば,そのクリスチャンは神の前で有罪の意識を持たないでいられるでしょうか。そのようなはずはありません。それは残酷で無情なことです。キリスト・イエスがそのようにするとは想像できません。また,第一世紀のユダヤ人で,平衡の取れた見方をする人であれば,そうした窮状にある異邦人や収税人に対してやはりそうした態度は取らなかったはずです。
6 しかし,これほど極端でない場合のことを考えてみましょう。ある排斥されている婦人が会衆の集会に出席しましたが,会館を出てみると,近くに止めておいた車はパンクしていました。会衆の男子の成員は,彼女の窮状を見ても彼女の援助を拒み,だれか世の人が来て彼女を助けるにまかせるべきでしょうか。これも必要以上に不親切で無情なことです。しかし,ちょうどそれと同じような事が実際に起きました。それは全く良心上の理由でなされたものと思われますが,それでも平衡の取れた見方が欠けていました……



私が駐車場部門だった会衆で、復帰を目指す元兄弟は集会の開会直前に大き目のライトバンで通っていたので、私は彼のクルマが出やすい場所(アーメンダッシュで帰れるところ)まで誘導してから館内に入ることにしていましたが一応、長老団からは何も言われませんでしたし、②の女の子が土砂降りの中、子連れで自転車で帰ろうとするのを止めて、知り合いのタクシーを電話で呼んでチケットを渡したこともあります(これも特にお咎めなし)。

寛容な会衆で良かったものの、神経過敏な会衆だったら私も呼び出されていたかもしれません……

#23 2015年06月18日 07:26:12

sk
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

おはようございます、


排斥についての、いくつかの聖句をまとめます。




反キリストの活動家に対する指示

ヨハネ第二 9-11
9 先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っているのです。10 この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。11 その人にあいさつのことばをかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです。



肉の弱さによる罪

コリンと第一 5:11
11 しかし今わたしは,兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように,と書いているのです。



個人間の問題(金銭の貸し借り、中傷、暴力、その他)

マタイ 18:15-17
15 「さらに,もしあなたの兄弟が罪を犯したなら,行って,ただあなたと彼との間でその過ちを明らかにしなさい。彼があなた[の述べること]を聴くなら,あなたは自分の兄弟を得たのです。16 しかし,もし彼が聴かないなら,あなたと一緒にあと一人か二人を連れて行きなさい。一切のことが二人または三人の証人の口によって確証されるためです。17 もし彼がそれらの人たち[の述べること]を聴かないなら,会衆に話しなさい。もし会衆[の告げること]にさえ聴かないなら,その人を,あなたにとって,諸国民の者また収税人のような者としなさい




無秩序な歩みをする人

テサロニケ第二 3:11-14
11 ところが聞くところによると,あなた方の間で,ある者たちが無秩序な歩み方をし,少しも働かないで,自分に関係のないことに手出ししているとのことです。12 そのような人たちに,主イエス・キリストにあって命じまた勧めます。静かに働いて,自分の労によって得る食物を食べなさい。
13 兄弟たち,あなた方は,正しいことをする点であきらめてはなりません。14 しかし,この手紙によるわたしたちの言葉に従順でない人がいれば,その人に特に注意するようにし,交わるのをやめなさい。その人が恥じるようになるためです。15 それでも,その人を敵と考えてはならず,兄弟として訓戒し続けなさい。





クリスチャン各自は、上記の聖句に導かれて行動できます。
「も塔」は真のクリスチャン会衆ではないので、彼らの規則は無価値で腐った実を生み出しています。


「も塔」のインチキ裁判は罪科のないものを罪に定めます。

マタイ 12:7
7 しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう。



「も塔」の司法システムは自分たちの悪を指摘する者たちを排斥沈黙させるためのものです。そのシステムからは真のクリスチャンは生まれません。「も塔」偶像崇拝者を作るだけです。

ヨハネ第三 10
10 ですからわたしは,自分が行ったら,彼が行ないつづけている業,わたしたちについてよこしまな言葉でしゃべっていることを思い出します。また,彼はこうしたことで満足せず,自分が兄弟たちを敬意をもって受け入れないだけでなく,受け入れようとする者たちを妨害して,会衆から追い出そうとさえします


排斥を考える前に、インチキ審理委員会について考えるといいですよ。

北海道広島会衆で起きたこと、レイモンド・フランズ、エド・ダンロップ、80年代に世界本部で起きたこと、また地方の会衆で起きているインチキ裁判を考えると「も塔」の司法制度に公正を期待することはできません。

彼らは、唇で正義、公正、憐れみを讃えますが、いつも逆のことを平気で行います。


「も塔」は、ダブル・スタンダードの宗教指導者たちの集まりです。


マタイ 23:2-3
2 「書士とパリサイ人たちはモーセの座に座っています。3 それゆえ,彼らがあなた方に告げることはみな行ない,また守りなさい。しかし,その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです。

編集者 sk (2015年06月19日 18:54:55)

オフライン

#24 2015年06月19日 13:09:06

もんもん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

日本でもしこの問題を裁判にするならどういう形でできると思いますか。現実的な解決に向かうことはできるでしょうか。

オフライン

#25 2015年06月19日 16:44:25

ニコラ
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

今の方針は、同居の家族が排斥された場合、追い出しなさい、とのことです。
何家族も2011年頃から、同居していた排斥者が家から追い出されているのを見ています。
また、それ以降排斥された人も、ほぼ例外なく追い出されています。

今は溺れている人を見ても、見捨てる様な方針になっているようですね。

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