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#76 2014年07月29日 04:43:00

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

う~ん、寝苦しい、という事で変な時間に起きてしまったので投稿も変な時刻です。



もんもんんさんへ

> どうして、こんな内容を知っておられますか。この事件についての、何らかの関係者なのですか。

毎週の公演を扱う人ですが、半数くらいは依頼を受けてやってきた、他の会衆の長老です。
で、そうした外部からの公演者を招いた場合、集会終了後に経験談が話されるのが普通です。
どの会衆のどんな知識を持っている人が、どんな経験談を話すのかについては、
その長老自身の裁量に任されているので、興味深い話の事もあれば、単なる笑い話の事もある。
その件に関しては、情報源はそうした集会後の経験談です。どこの誰が話したかまでは覚えていません。
つまり、長年エホバの証人やっていれば、たまたまそういう情報が耳に入ってくる事もある。
もっとも、物理的に距離が離れていたりすると、長年やっていても聞く機会すら無いかもしれませんが、
聞いたのは私が横浜の東部に住んでいた頃の事です。
恐らく地域大会等を通して知り合ったんだと思いますが、
町田、調布あたりからの公演者というのもそれほど珍しくなかったんですよ。





隠れんぼさんへ

> ※本当に信者であれば 「ものみの塔」の見解=「聖書」の内容 と信じておられるでしょうから
> 「ものみの塔」に対する批判は出来ないと思いますので。
> 「ものみの塔」の見解≠「聖書」の内容とは考えられないと思われます。

むしろ、「ものみの塔」の見解=「聖書」の内容、などと本気で信じていたら、
論理的な思考の持ち主であれば、とてもではありませんが教理の変更にはついていけませんよ?
例えば啓示の書(黙示録)の解説なんて、「まっさか~」と言う人もけっこう多かったりします。
つまりあなたが説明するようなそんなネジのぶっとんだような人は、いても少数派かと。

批判については誰もしませんね。むしろ理解できないのであれば、
納得できる回答を示してくれそうな人に質問するのが、
周囲の人にも認められる一般的な傾向のように思います。

記憶として一番鮮明に残っているのは、集会後、長老と話していたときに、
横から姉妹が割り込んできて(というか、その長老とずっと話続けていた私も悪いんですが)
「この部分はどう解釈したらよいのでしょう?」
「油注がれた人のうち、女性を想定しているのでは?」
などですか、自分は疑問にすら感じなかったのですが、
横でそれを聞いて、なるほどと思ったものです。
結果的に誰も批判をしない事に繋がるわけなんですが、
疑問をそのまま放置し続ける人が、何かの拍子に離れて行くんだと思います。


> 「通りすがりの信者A」さんの見解=「聖書(とは言っても所謂新世界訳聖書ですが)」の内容=「ものみの塔」の見解
> となっていることがちょっと混乱してしまいます。

キリストが実によって見分けられると言っておられるように、
エホバの証人の示す行動という実によって、この教えに賭ける決定を自ら下し、
自分の理解と異なる部分が多少なりともあるとしても、協会の指示に服す、というのが正解です。
(しかし今のところそういうのは無いですね。疑問はその都度解決するよう心がけていますので)
つまりもし、他にもっとふさわしい実を示している団体が出現したならば、
そちらに乗り換える事もあるかもしれません。が、そんな組織は皆無なのが実情です。
神の目的を考慮するならば、救いを知らせる世界規模の活動であるべきだ、という視点
(神を認めない事それ自体ですら死に値する罪なのです)から考えると、
代わりとなるものがこれから現れるとも、ちと考えにくいわけでして…
とりあえずこの点、目ざめているようにとのキリストの指示には従っているつもりです。
教義の実践をすら必要としない他のキリスト教はむしろ、
まどろみの内にあるようにすら映る、という事です。
私達が命がけの宣教をすらしているというのに、
その間、あなた方はいったい何をやっていたのですか、と。
(よく分かる具体例も出せるんですが、また長文になるので出すのは保留しておきます)
ちなみに輸血拒否の証明に用いられている聖句自体は特殊な訳出をしているわけではないので、
新世界訳なんて使わなくても普通の聖書ならば同じ結論が導けるわけなんですが…


> ※ここに書き込むのは元より、ものみの塔の文書以外からの引用や、

> 各会衆における真の特権者(長老)レベルの人は無理だと思いますので;

マサダに関する事であるとか、海の遭難であるとかに関する外部の資料に基づく情報は、
私がエホバの証人になる以前から、すでに知識として持っていたものなのですが…
しかし、こうした外部の資料に言及する事は、決して築き上げる話とはならないので、
普段はそういう話は意図的に避けて封印しています。これで説明になるでしょうか?

あなたに関しては、もっと良い動機で議論されているとばかり思っていたんですがね…
こうした事にばかり目が向いて、主にあなたを想定して作成した力作である
#68には言及無し。完全に無駄骨に終わってしまった事が、大変残念に思います。
教わった神権戦術なるものに言及したあたりから変だとは思っていたのですよ。
どこかの教会の関係者の方ですか?





私の個人的な事柄にまで関わる質問への回答も、もうこの程度で十分でしょう。
最後に、まだわかっていない人もいるようなので、
要点を絞り、改めてもう一度だけ説明します。

海で4人の人が遭難しました。
救援が来る気配はなく、やがて1人が死亡しました。
2人の人は死亡した人の肉を食べましたが、
残る1人である牧師は食べようとしなかったそうです。
2人はたいへん怒り、死亡した人の肉を無理やり牧師に食べさせ、大いに満足しました。
その後、牧師が生き残ったのかどうかについては不明です。

#67における1を否定しながらも、その否定すべき理由の証明については「完全に放棄」し、
本来、段階証明を経てから着手すべきである、2や3についてまでも声高に批判する行為というのは、
この無理やり牧師に人肉を食べさせた人たちと大して変わりません。
指摘されても軌道修正できないのであれば、科学的どころかすでに理性的ですらないのですよ。

こうした自己の正義を他人に押し売りする行為に、いったいどんな意義があるのでしょう?
それが第三者の目にさえ不寛容と映るという事実に、どうして気づけないのですか?
むしろ、自由意志が尊重されるべきであるという最初の大義名分ですら、
そこには欠片ほども残っていないという事実にこそ、まず気づくべきなのです。

#77 2014年07月29日 06:42:58

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

おはようございます、


他の人の建設的な意見や聖書の理解を聞かないマイコンロボットは自らの狭量な見方に満足しているようですね。



マイコンロボット さんの発言:

キリストが実によって見分けられると言っておられるように、
エホバの証人の示す行動という実によって、この教えに賭ける決定を自ら下し、
自分の理解と異なる部分が多少なりともあるとしても、協会の指示に服す、というのが正解です。
(しかし今のところそういうのは無いですね。疑問はその都度解決するよう心がけていますので)
つまりもし、他にもっとふさわしい実を示している団体が出現したならば、
そちらに乗り換える事もあるかもしれません。が、そんな組織は皆無なのが実情です。
神の目的を考慮するならば、救いを知らせる世界規模の活動であるべきだ、という視点
(神を認めない事それ自体ですら死に値する罪なのです)から考えると、
代わりとなるものがこれから現れるとも、ちと考えにくいわけでして…
とりあえずこの点、目ざめているようにとのキリストの指示には従っているつもりです。
教義の実践をすら必要としない他のキリスト教はむしろ、
まどろみの内にあるようにすら映る、という事です。
私達が命がけの宣教をすらしているというのに、
その間、あなた方はいったい何をやっていたのですか、と。



ものみの塔は、信者Aさんみたいなパリサイ-マイコンロボットを世界中で製造してきました。
その数は700万ほどあるそうです。


ものみの塔パリサイ人たち(天才バカボン、マイコンロボット)に、次のキリストのことばが当てはまります。
彼らの誇る世界的な伝道活動は神の目に無価値で、人々の真の救いの障害に過ぎません。
つまり、ものみの塔の伝道で真のクリスチャンは生み出されません。
ものみの塔はパリサイ人製造所です。


マタイ 23:13-15
13 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は人の前で天の王国を閉ざすからです。あなた方自身が入らず,また入る途中の者が入ることをも許さないのです。14 ――
15 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は一人の改宗者を作るために海と陸を行き巡り,それができると,これを,自分に倍してゲヘナに行くべき者とするからです。



ものみの塔のパン種に気をつけなさい。

マタイ 16:6, 12
6 イエスは彼らに言われた,「じっと見張っていて,パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」。
12 その時,彼らは,パンのパン種ではなく,パリサイ人とサドカイ人の教えに気を付けよと言われたのだ,ということを会得した。

ルカ 12:1
1 . . . 「パリサイ人たちのパン種に気を付けなさい。それはつまり偽善のことです。


ものみの塔の偽善的な聖書解釈に気をつけなさい。



ものみの塔は白く塗った墓です。

マタイ 23:27
27 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは,外面はなるほど美しく見えますが,内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。28 そのように,あなた方もまた,確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,内側は偽善と不法でいっぱいです。

編集者 sk (2014年07月29日 17:41:54)

オフライン

#78 2014年07月29日 07:47:09

信者B
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

お、まだ続いていたんですね。

それにしても執拗に、輸血を人喰いに例える信者Aさん・・

血抜きされた人肉なら、食べるんですかね。

それ、血を避けよ、という聖書の文字にすら関係ないような。

臓器移植を人喰いとして禁じていたのはものみの塔でさえ、大昔ですよ・・

聖書に書いてないものに例えちゃだめじゃないですか・・

輸血拒否がイエスの語った「つまずきの石」とか、

ものみの塔にもおそらくない過激な解釈を言い出しておられます。

だから、あなたはエホバの証人を擁護しているようで、諸刃の剣だと言ったのです。

一応、まだ信者である自分でも、読んでいて背筋が寒くなるコメントですよ。

自分についてですが、この掲示板を見つけるまでもなく、ヤコブの発言を含め聖書
を通して血についての掟とは、犠牲や食用のために屠られた血(ゆえにその命を表す)
に関するもので、誰の命も奪わない医療行為について聖書は複雑な規定を設けて
いるどころか、単純に何も述べていないとの結論に至りつつあるので、この組織
との関わりを考える必要があると感じています。

できるだけ、できるだけ、安全側に倒したい人の決定も尊重されるでしょう。
でもそれを集団として行ない、律法の周りに安全策のような独自の垣根を巡らし、
それを踏み越えた時点で、信者とはいえ他者でもある仲間の信仰を裁くのは
イエスよりもパリサイ集団に近いと考えます。

何度も繰り返しますが、この掲示板では、そのものみの塔の解釈を批評して
いるのであって、ものみの塔をさらに独自に解釈する一個人の私的信念の是非を
問うとか、輸血を成人した大人にも強制できる法整備をしろ!なんて主張して
いませんよ。

一体、あなたは何をそんなに必死になって擁護しているのでしょうか。

#79 2014年07月29日 08:09:45

信者B
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

イエスが語った、でのはなく、イエスがユダヤ人にとって「つまずきの石」となった、
と述べたのはパウロでしたね。訂正します。

#80 2014年07月29日 08:35:37

TTHDPG
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

信者Aさんは非常に知的に高い方のように見受けられます。
skさん、信者Bさん、隠れんぼさん、カレブさんとのやり取りの中で、結論が明白だと思うのは私だけではないはず。にも関わらず輸血拒否を擁護するのが不思議です。

私はAさんの意見を、ある意味JW信者の代表的な意見として読んでいます。もっと知りたいので皆さん、もう少し彼が発言し易いように言葉使いなど、配慮してあげてはどうでしょうか。

#81 2014年07月29日 18:36:21

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者A さん

あなたの投稿を見て感じるのは、まず

1.自分が宗教団体としてのエホバの証人を選んだ(輸血拒否の教理とは無関係に別の何かに魅力を感じた)
2.エホバの証人である以上、おかしな教理があったとしても、教理全体を受け入れざるを得ない
3.であれば、どうにかそれを肯定できる根拠を見出したい

という気持ちがそれぞれの投稿に表れているという点です。

放置すると読む人にも勘違いを与える投稿もあるので
幾つかの点にこたえたいと思います。

投稿 #27
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic. … 1654#p1654

通りすがりの信者A さんの発言:

神が実際には輸血拒否までは求めていないとしましょう。輸血拒否によって死亡した人は神の目にどう映るのでしょう?
神が実際に輸血拒否まで求めているとしましょう。それを批判し妨害しようとする人々は神の目にどう映るのでしょう?

神がこの問題に関心があるとした場合、

1.輸血拒否によって死亡した人は、ものみの塔の被害者とみられると思います。

2.そして、仮に 神が輸血拒否を人類に求めていたとした場合、ものみの塔の間違いを指摘する人は、それが利己的な目的でない限り、邪悪な人とはみなされないでしょう。クリスチャンで輸血拒否の解釈に反対する人はみな根拠を指摘しています。

3.輸血拒否を求めていないのに、勝手に「エホバは輸血拒否を求めている」と主張する ものみの塔は 忌々しき存在でありえます。なぜならたとえ勘違いに基づくにしても、それは現実に神の名に非難をもたらし、貴重な命を失う場合があるためです。

あなたは省略していますが、本来は登場人物は4タイプあるはずです。

A 輸血拒否を信じる人(この場合、それで亡くなる人)

B 輸血拒否を教える人(この場合、それで他人や子供を死なせる人)

C 輸血拒否は神が求めていないと信じる人(この場合、殉教者になる機会を失う人)

D 輸血拒否は神が求めていないと教える人(この場合、殉教の機会を阻害する人)

上記の中で 神から見て一番危険な人になりえる人やグループはBであると言えます。

理由は 例えDとBが確率的に同じであると考えたとして、神の名に非難をもたらし、救命の機会を無駄に失わせているという点で、Dにはない要素をBが持っているからです。



続いて
あなたは子どもの輸血拒否を受け入れるべきだという主張を展開するにあたり
臓器移植における子供の意思表示の問題に言及しました。

通りすがりの信者A さんの発言:

以前は親が移植に同意したとしても、子供が死ぬ前に拒否していた事が明らかならば臓器移植は行えませんでした。

恐らく臓器移植法の要点を誤解してるのだと思います。
子供が死ぬ前に臓器移植を拒否するかいなかは、臓器移植法案の論議と無関係に思います。

しかし仮に上記のコメントのような例が実在したとして
子供が死後の臓器提供を拒否する場合の問題について考えてみます。

まず 臓器提供の問題は当人(子供)が死んだ場合の臓器の処理について
ですので、子供自身の生死とは無関係です。

一方、輸血拒否は子どもの生死に直結した問題です。
10歳の子どもが自分の生死にかかわる決断を、正しく決めているとみなせるでしょうか?

逆に質問しますが、

あなたは今までエホバの証人を沢山見てきたと思いますが、
10歳でバプテスマを受けた人で30歳、40歳までエホバの証人を続けている人は
どれだけいますか?

ざっと人数や割合をあげてもらるだけでも構いません。

わたしが観察してきた割合で言うと10歳前後でバプテスマを受けた人の
8割がエホバの証人を辞めています。この8割というのは もしかしたら
たまたま多い割合かもしれませんが、全国平均で言っても5割以上、
つまり半分の人は成人後にエホバの証人を辞めています。

そのような実態があるのに10歳の子どもの輸血拒否を受け入れるべき
なのでしょうか?



投稿 #48
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic. … 1682#p1682

通りすがりの信者A さんの発言:

輸血拒否にはいろんな動機付けがあって、
1つには他の信者の「つまずきのもと」とならないためであったり、
(新約の教えの1つ。信仰に堅く立つ仲間を動揺させるような行為への戒めだと思ってください)
1つには死の危険を顧みないような宣教を行っている仲間への負い目みたいなものであったり、
そうした利他的な要因も大きく働きます。少なくとも私の場合には。
ちょっとキリスト教に詳しい人ならピンとくると思うんですけど、
いわゆる「利他的」というのはクリスチャンが示すべきとされる「愛」そのもの…
とまでは言えないか。少なくともそれに近似するような精神だと思っています。
要するに、こうした精神下で示した輸血拒否という決定を軽んじて欲しくは無いと思います。

輸血拒否を高尚な神への愛という話にもっていければ
それは受け入れやすい話になるでしょうが

この論議では自爆テロも高尚な精神だから
軽んじて欲しくないとも言えてしまいます。

使徒15章の非ユダヤ人の会衆に対する通達にある
「血を避ける」という言葉を神への愛と結び付けたいなら
まずすべきことは、神が本当に人類に輸血という医療を拒否することを
望んでいるのかという点を吟味することだと思います。

ものみの塔の輸血拒否の論議は「誕生日拒否」の論議と似ていて、
神を、偏屈オヤジ、変人 に仕立て上げていると思います。

クリスチャンは基本的に神を「愛ある父親」のようにみたてると
思いますが、輸血拒否の精神はこれに対抗しています。


投稿 #53
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic. … 1687#p1687

通りすがりの信者A さんの発言:

実際のところ、輸血を拒否する事それ自体には大きな意義があるわけではありません(ローマ 14:6-9,14)。
神への従順(愛)を示すことによって信仰の質(ヤコブ 1:3)が試されているのですよ。
もし、輸血の教理が崩れたとしましょう。
しかし神に示された愛と質の高い信仰は、神の記憶になお残り続けます(コリント第一 13:13)。
そうした真理の前に、教理の変更などというものがどれほどの意味を持つのでしょう?
キリストは「実によって見分けられる」と言っておられるからです。あなたに聞く耳があるならば幸いです。


もし、あなたのこの理屈が正しいのであれば
自分の息子や娘を神への犠牲だと考えて捧げた古代の人にも同じことが当てはまるでしょう。

しかし聖書はこう述べています。

エレミヤ書 7:31 そして,彼らはヒンノムの子の谷にあるトフェトの高き所を築いた。自分たちの息子や娘を火で焼くためである。それはわたしが命じたこともなければ,わたしの心に上りもしなかったことである』。

理屈からすれば「神に犠牲を捧げよ」という言葉を抜き出して
自分や子供の命を捧げることを高尚な行為、神への愛と主張することも可能です。

ものみの塔は「血を避けよ」という言葉を輸血拒否に当てはめ
それによる殉教を崇高な行為、神への愛と主張しています。



通りすがりの信者A さんの発言:

医療現場でも似たような現象が起きているようです。
エホバの証人はきちがいじみた教理で怒りの矛先を向けられていますが、
臨床データのほかにも、斬新的な新技術の開発であるとか技術の向上の裏に、
輸血拒否を理由としてモルモットとなったエホバの証人がいた事が忘れ去られています。
批判者はエホバの証人を憎むと共に、その行動から生まれた副産物の恩恵に、
当たり前のようにあずかっているだけなのではないでしょうか?
それともそこから得られた副産物までも徹底的に憎むのでしょうか?


エホバの証人が人体実験に役立っているという点と、
エホバの証人の輸血拒否によって生じる医療現場の混乱は
別の問題です。

医者の中には割り切ってエホバの証人を実験台にする人も
いるでしょうが、医療ってそんな単純なものでしょうか?

「副産物までも徹底的に憎む」って何でしょう?

わたしはエホバの証人が自分たちの信条のゆえに徹底的に憎まれている
という妄想を抱くことが多いと感じます。

医療関係者で無輸血医療を憎んでいる人っているんですか?

一般の人も術前に輸血同意書にサインする際に、輸血のリスクに対して
客観的な説明を聞いて、誰だって輸血しなくて済めばいいなって
思うものじゃないんですか?



投稿 #57
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic. … 1687#p1687

通りすがりの信者A さんの発言:

現在、輸血拒否問題は主に、「親の信条を子供に~」という点に集約されます。
子供が親のために犠牲となるのはおかしい、という事です。
まるでカナン人が我が子をバアルに捧げるようなものではないか、という事なのでしょう。
その思考は全く正常で健全なものであって、
非難されるに値するものであるはずがありません。
しかしどうでしょう。父はみ子キリストを、人類の罪を贖うと称して
むざむざ敵の手に渡して死に至らしめた極悪非道の神様なのでしょうか?
そうではありませんよね?贖いという過分のご親切によって、
死の未来しかなかった私たちに、命の見込みを与えてくださったのですから。

エホバの証人が子供たちを犠牲にするのは
人類を救うためなのですか?

むしろ輸血拒否で子供を犠牲にすることは先ほど引用した聖句のほうに近いと思います。

エレミヤ書 7:31 そして,彼らはヒンノムの子の谷にあるトフェトの高き所を築いた。自分たちの息子や娘を火で焼くためである。それはわたしが命じたこともなければ,わたしの心に上りもしなかったことである』。

子供を犠牲にささげるという行為について
以前にブログに書いたことがあります。
http://ameblo.jp/jwstudy/entry-11689601343.html
http://ameblo.jp/jwstudy/entry-11689603265.html





投稿 #58
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic. … 1692#p1692

通りすがりの信者A さんの発言:

2.医療ネグレトとして児童相談所に通報、という安易なテンプレート対応を続けた場合
親権停止の法的手続きを取る時間的猶予はあるのに、
転院の手続きを取る時間的余裕が無かったなどという事はありうるのか?
との主張に正面から耐えうるものでは無く、ここに専断的医療行為としての主張が
認められる可能性は少なくないように思われます。
今はまだ実績不足で、転院後の手術成功率が高ければ、
いずれアメリカあたりで先行して大きな裁判が起こるかも?。


これも何か勘違いしていると思います。
まず、転院の手続きの話は この問題に無関係です。
子供の命の危険を増すことになる治療決定は
それ自体が虐待と判断されるのですから、
例えば、エホバの証人の医者がいて、その人が
エホバの証人の 子どもが死ぬことがあっても
自分が手術しましょうと主張したとして、
そこに転院させる病院は人道上問題があるのです。

そもそも裁判所が「医療ネグレクト」と判断してる内容だってことは
理解してますよね?

通りすがりの信者A さんの発言:

今はまだ実績不足で、転院後の手術成功率が高ければ、
いずれアメリカあたりで先行して大きな裁判が起こるかも?。

転院後の手術成功率って何??
すべての症例で統計でもとるんですか?
仮に個人が裁判を起こそうとしても、ものみの塔協会がストップかけるでしょう。
武田みさえさんの裁判は もっとも協会にとって有利な条件がそろっていましたけど
不利な条件だらけの子供の輸血拒否に関連した裁判を ものみの塔が協力するなんて
ことはあり得ません。

逆に裁判する 狂信的な信者が出てきたら問題をより浮き彫りにできると思います。


投稿 #61
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic. … 1695#p1695

通りすがりの信者A さんの発言:

「主要」か「分画」か、などと言ってる時点で、
あなたはこうした基本ですらまるで理解していないようにも感じます。
主要もまた「分画」であることは、まぎれもない事実なのですから。

それを言うなら一番理解してないのはエホバの証人でしょう。
エホバの証人を相手にする人は、相手に合わせて分画という
言葉を使いますが、
主要成分と分画という言葉を好んで使って、まるで違う成分で
あるかのように扱おうとするのは ものみの塔であり
エホバの証人の側だと思います。

医者から見れば すべて「血液成分」であって、どれも
「血液製剤」になる血の一部です。


通りすがりの信者A さんの発言:

・エホバの証人が輸血拒否を導入した当時、全血輸血しか手段は無かった。
・分画技術の登場。「血は命だからである」とする聖書の言葉を根拠に、
生命維持と直結すると思われる4つの分画のみを「主要分画」と便宜上定義した。
・主要分画の定義(赤血球、白血球、血小板、血漿)は今日まで変化無し。
これが真相のはずなのですが、それでも「コロコロ」という表現が妥当でしょうか?
カレブさんのHPを調べてみても、これに反する歴史的な変化を認めることはできないように思います。

コロコロ変わってきていると思います。
変化のない部分もありますが、全体をみたらコロコロ変わってきたという表現は当たっていると思います。
協会がどのように見解を変えてきたか、そのうち表にしてアップしたいと思います。


#67
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic. … 1701#p1701

通りすがりの信者A さんの発言:

2.エホバの証人が赤血球・白血球・血小板・血漿の4つを避けるのは、
「魂は血」「血は魂」のような意味を伝える数多くの聖句の言葉からして、
生命維持に直結すると考えられるこの4種類については
掟を踏み越える可能性があるように見えるからです。
これもまた、安全側に倒しているのです。

それを言ったら
アルブミン、凝固因子、ヘモグロビン、フィブリノゲンも同様に
「生命維持に直結する」ものでしょう。
協会が「分画」としているものもみな同様に生命維持に直結する
成分ばかりでしょう。
血液中の水分であっても「生命維持に直結する」ものです。

どれも血液の成分であり、どれが「血」を表しているかを
分析していること自体が ものみの塔のゆがんだ推論だと
思います。

・・
今見たら skさんも同じように答えられてますね。
重複になりますが、書いておきます。


続きは また時間がある時に書きます。

オフライン

#82 2014年07月29日 22:28:30

もんもん
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者A さん

僕も、通りすがりの信者A さんの発言について、気になった部分を書いておきます。

通りすがりの信者A さんの輸血拒否に関する見解は、いろいろな説明を試みていますが、結局のところ、ものみの塔協会の見解をなぞっているだけのようにしか思えません。自分で考えて納得したように、ご自分で信じているように思えるかもしれませんけれど、結論は、協会の見解とまったく同じなのですから。

もし、通りすがりの信者Aさんが、はじめから、聖書と、自分の頭だけでだけ考えていたとしたらアルブミンはOK、血漿はNGという見解がでてくるはずがないではないですか。自分がゼロから考えたとしたら、どんな見解にいたるだろうかということを考えてほしいです。

申し訳ないですけれど、通りすがりの信者Aさんの見解は、単に協会の見解をなぞっているようにしか見えないです。Aさんの発言や行動は、以下の発言に集約されているように思います。

キリストが実によって見分けられると言っておられるように、
エホバの証人の示す行動という実によって、この教えに賭ける決定を自ら下し、
自分の理解と異なる部分が多少なりともあるとしても、協会の指示に服す、というのが正解です

通りすがりの信者Aさんは、いろいろな資料にも言及されていますが、どんな資料を言及しようとも、結局のところ、「協会の見解をなぞるのが正解」と考えているようにしか見えないです。

通りすがりの信者Aさんは、他人の命をないがしろにしすぎだと思いますよ。命を失うかどうかというのは、小さな問題ではないんです。想像力が足りなさすぎです。

「この教えに賭ける決定を自ら下し」とおっしゃりますが、バプテスマを受けるときには、輸血拒否をすれば、断絶をさせられ、すべてのエホバの証人から忌避されるなんてことは、まったく教わらないですよ。輸血拒否には、それほど重きをおかないが、しぶしぶという人だっていますよ。全員が全員、通りすがりの信者Aさんのような姿勢を持っているべきだというのは、あまりにも一方的過ぎます。

オフライン

#83 2014年07月29日 23:46:25

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

カレブさんへ

> 1.自分が宗教団体としてのエホバの証人を選んだ(輸血拒否の教理とは無関係に別の何かに魅力を感じた)
> 2.エホバの証人である以上、おかしな教理があったとしても、教理全体を受け入れざるを得ない
> 3.であれば、どうにかそれを肯定できる根拠を見出したい

1は真実です。

2は違いますね。まず、輸血拒否はバプテスマの討議で必ず扱われる主題なので、
この問題を個人的にクリアしない限り、誰もエホバの証人になる事はできません。
ということで、輸血を「おかしな教理」という一般論で括るのは、アプローチの仕方が間違っています。
なお、その他の聖書解釈に関しても、おや?と思うところはその都度理解する努力を払う。
ただし、難解な解釈が重要教理で無い場合(当たるかどうかわからない予言解釈など)では、
理解を放置する事もある、というのが正解になろうかと。

3は、2の前提が正しい事が必要な3段論法の結論ですが、
2が間違っている以上、カレブさんご自身の空論です。



> 放置すると読む人にも勘違いを与える投稿もあるので
> 幾つかの点にこたえたいと思います。

それは考える糧です。あまりにも視野が狭く見えたもので、
様々な角度から考えて欲しかったのです。
議論したいわけではないのですよ。



> あなたは子どもの輸血拒否を受け入れるべきだという主張を展開するにあたり

私はそんな事を求めた覚えはないのですが?
改めてログを読み直し、それでもそう感じるのであれば、
どこをどのように読み解いてそう結論したのか、
私にもわかるよう説明してください。
カレブさんの勘違いなのであれば、回答は不要です。

臓器移植法については、逆の現象が起きている、と説明した通り、
それ以上の意味でも、それ以下の意味でもありません。



> エレミヤ書 7:31 そして,彼らはヒンノムの子の谷にあるトフェトの高き所を築いた。自分たちの息子や娘を火で焼くためである。それはわたしが命じたこともなければ,わたしの心に上りもしなかったことである』。

その聖句が何を意味しているのかご存知ないのですか?
背教したイスラエル人が、モレクに犠牲を捧げているのです。
(というか、エレミヤ書という時点で気づいて欲しかった)
彼らが犠牲を捧げた対象は、唯一真の神ですらないのですよ。
崇拝の対象からすでに間違っているのでは、神に認められるわけがない。
そして肝心のイエスキリストの贖いについては完全にスルーですか…



> 「副産物までも徹底的に憎む」って何でしょう?

え~と、「それとも」以降は明らかに仮定の話なんですが…(常識的に考えて)



> エホバの証人が子供たちを犠牲にするのは

> 例えば、エホバの証人の医者がいて、その人が
> エホバの証人の 子どもが死ぬことがあっても
> 自分が手術しましょうと主張したとして、
> そこに転院させる病院は人道上問題があるのです。

ちょっと違うんですけど(転院先の医師は協力的ではあってもエホバの証人ではない)
しかし、そうした事も踏まえたうえで、さらに親の心情も勘案し、
#72において「複雑でセンシティブな問題」であるとしか語っていないのです。
この点に関しては、どうした方がいい、という結論めいた事を語った覚えはありません。



> 転院後の手術成功率って何??
> すべての症例で統計でもとるんですか?

まず、すべての症例ではなく、医療ネグレトの通報のあったケース、
つまり最初の病院で、医師が輸血なしでは無理と判断した場合のみです。
輸血無しで十分助かるケースは最初から除外されているという事です。
これに関しては、まず間違いなく、
医療機関連絡委員が間に入るので、本部に情報が集まる。
そうすると、輸血無しでは治療できないと判断されたケースの
何割が無輸血で成功したかの統計は取ることができるでしょう。

この統計が出て、その成功率が8割、9割といった数値であった場合、
子供を親から取り上げて手術を強行してきた過去の対応が、
本当に妥当であったのかの議論は当然ながら起こるのではありませんか?
つまりはそういう事なのです。なにも子供を死なせろと言っているわけではない。
しかし、今の対応は親の心を完全無視した対応でしかないのです。

この点に関しては、もちろん腹案もあります。
15歳規定は撤廃し、完全に書面の有無で判断してしまう方法です。
10歳であっても免責証書さえ持っていればこれを尊重し、
16歳であっても証書なしでは医師の裁量に任せる。
もちろん、子供を持つほとんどのエホバの証人は心情的に納得しないでしょう。
しかし、輸血拒否それ自体は救いの絶対条件でない事は確かだし、そうすると、
本当に子供に対してまで輸血拒否を適用してしまってもいいのか、とは常々考えるのです。
あくまで重要なのは、意思決定の際の心のあり方なのであって、
つまり、親の考えは必ずしも子供の心を代弁しているわけではないからどうなんだ?と。
しかし、やはり親としては子供に輸血させたくはないだろうな…(以下エンドレス)
したがって、繰り返しになりますが、安易な結論の出せない難しい問題なのですよ。



> それを言ったら
> アルブミン、凝固因子、ヘモグロビン、フィブリノゲンも同様に
> 「生命維持に直結する」ものでしょう。

アルブミン=血漿をさらに細分画したもの
ヘモグロビン=赤血球をさらに細分画したもの
凝固因子=フィブリノゲン?

という指摘はそれとして、正直言うと、こうした細かな部分については
解釈誤ってる可能性はあるな、とは思います。
しかし、バプテスマの討議では、輸血拒否を受け入れるかどうかは確認されますが、
そんな分画などについてまで事細かに話されるわけではないのです。
これに関しても私なりの見解はありますが、これまでの反応からすると、
証明の存在しないアホみたいな論理で叩かれるだけで終わりそうなので、
出すのはやめておきます。

ところで、エホバの証人の輸血拒否を受け入れられない人が
それを主張してどんな意味があるのでしょう?
エホバの証人の輸血拒否に、さらに縛りを増やすのが目的なのでしょうか?
こうした指摘をするのであれば、
こうであれば納得できる、という代案をまず示すべきでしょう。
そのうえで、どちらの分類がより優れているのかを、
読者に判断させるのであればまともと映りますが…
要するに、今のような形の批判では、納得できないから納得できない、
よし、あらを探してつっつこう、としか見えないんですね。
というか、#67を読んでさえこんな反応しか返ってこないのでは、
期待はずれもいいとこです。この2番目以降の解説については、
この回答をもって最後とします。





もんもんさんへ

なぞっているようにしか見えない~の件に関しては、
上の子供の扱いに関する部分を読んでから改めて判断していただければと思います。

回答が重なりますが、バプテスマの討議の時点で
輸血拒否の方針を受け入れるのかは確認されます。
なので、輸血拒否を受け入れなければそもそもエホバの証人になれないのです。
嫌々な人も確かにいるでしょう。しかし、そんな決定を神が喜ぶでしょうか?
救い目的の軽い気持ちで始めるのも構わないし、
自分もそうだけどみんなもそうなのか、安心した~と言う人もけっこういますが、
最終的に自分がつまづいた理由まで教理のせいにするのはおかしいのではありませんか?

普通に考えれば、輸血を受け入れてしまう軽薄な信者がいることによって、
他の信者の動機さえ疑われることに繋がる事くらい、簡単にわかりそうなものです。
せっかく全体で真剣に取り組んできたのに、1人の浅はかな行動がブレーキをかけてしまう。
それでも自分に罪はないと考えるのであれば、
そうした生ぬるい考えでも受け入れてくれる教会に移ったほうが、
周囲のためにも本人のためにもなるのです。
エホバの証人にしがみついて影で不満を言うのはなんか違うでしょう。

#84 2014年07月30日 02:01:31

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者A さんの発言:

> エレミヤ書 7:31 そして,彼らはヒンノムの子の谷にあるトフェトの高き所を築いた。自分たちの息子や娘を火で焼くためである。それはわたしが命じたこともなければ,わたしの心に上りもしなかったことである』。
その聖句が何を意味しているのかご存知ないのですか?
背教したイスラエル人が、モレクに犠牲を捧げているのです。
(というか、エレミヤ書という時点で気づいて欲しかった)
彼らが犠牲を捧げた対象は、唯一真の神ですらないのですよ。
崇拝の対象からすでに間違っているのでは、神に認められるわけがない。
そして肝心のイエスキリストの贖いについては完全にスルーですか…

わたしがエレミヤ書を引用したのは
エホバの証人の親による子供の犠牲は、キリストの贖いよりは
エレミヤ書の記載されている 実在しない神への犠牲に例える方が
より適合するという点を指摘するためです。

イスラエル人もヒンノムの子の谷での犠牲を
「唯一真の神」に対するものだと思っていたでしょう。

しかし、そのような犠牲を求める神は実在しませんでした。

同様に子供を輸血拒否で犠牲にする人は偽りの神に犠牲を
捧げているのと実質上変わりありません。
「エホバ」という名前を使えば あなたの推論する神が
正しい神になるのではありません。

>そして肝心のイエスキリストの贖いについては完全にスルーですか…

別にスルーしてわけではないですが、通りすがりの信者Aにとっては
自信があった例えだったんですね。


子供の輸血拒否に関して

通りすがりの信者A さんの発言:

この点に関しては、もちろん腹案もあります。
15歳規定は撤廃し、完全に書面の有無で判断してしまう方法です。
10歳であっても免責証書さえ持っていればこれを尊重し、
16歳であっても証書なしでは医師の裁量に任せる。

これは、めちゃくちゃな案です。

親であれば10歳の子どもにどんな書面でもサインするように
導くことができます。

あなたは10歳の時に決めた事を20歳になっても維持してましたか?

10歳の時に決めたことで死んでしまう子供たちは
大人のエゴの犠牲者です。


>ところで、エホバの証人の輸血拒否を受け入れられない人が
>それを主張してどんな意味があるのでしょう?
>エホバの証人の輸血拒否に、さらに縛りを増やすのが目的なのでしょうか?

つまり、輸血拒否自体が聖書の解釈の誤りだと信じる人は
協会の輸血解釈が矛盾だらけであるという主張をしては
いけないということですか?

わたしが血液成分に関する協会の推論の矛盾について書くのは
協会が聖書の血に関する本来の意図よりも、人間的なおかしな
推論にこだわっているということを指摘するためです。

>エホバの証人の輸血拒否に、さらに縛りを増やすのが目的なのでしょうか?

わたしの指摘している点を読んで
「アルブミンも血液の成分なんだから私は拒否しよう」
なんて決定して より縛られる人がいるとは思えません。


>こうした指摘をするのであれば、
>こうであれば納得できる、という代案をまず示すべきでしょう。
>そのうえで、どちらの分類がより優れているのかを、
>読者に判断させるのであればまともと映りますが…

つまり 協会の血液成分の分類に いちゃもんつけるなら
協会と同じ低レベルな思考になって
血液を成分に分けて どの成分が絶対NGで何が自由裁量か
を決めろってことですよね?

あなたに返答している何人もの人が、そもそも協会が
血液成分に線引きして絶対NGと自由裁量を決めること自体が
おかしいと指摘しているのですよ。

苦言を言わせてもらうと 通りすがりの信者Aさん は
自信満々な割には、奇妙な主張が多すぎます。


通りすがりの信者A さんの発言:

最終的に自分がつまづいた理由まで教理のせいにするのはおかしいのではありませんか?
普通に考えれば、輸血を受け入れてしまう軽薄な信者がいることによって、
他の信者の動機さえ疑われることに繋がる事くらい、簡単にわかりそうなものです。
せっかく全体で真剣に取り組んできたのに、1人の浅はかな行動がブレーキをかけてしまう。

これって要するに最初に騙された奴は騙され続けろってことと変わらないですよ。

つまり以下の主張と根本的に同じです。

「詐欺にあったやつは、自分が馬鹿だったんだから
詐欺師のせいにするのはおかしいでしょ?
詐欺にあったと気が付いたやつが一人で騒いじゃうと
せっかく全体でうまく騙されてるのに、1人の人が
途中で騙されたことに気がついちゃって、それを主張し
始めると困っちゃうんだよね。」

通りすがりの信者A さんの発言:

それでも自分に罪はないと考えるのであれば、
そうした生ぬるい考えでも受け入れてくれる教会に移ったほうが、
周囲のためにも本人のためにもなるのです。
エホバの証人にしがみついて影で不満を言うのはなんか違うでしょう。

どうして こうなるんでしょう?

輸血拒否の教理の間違いに後で気が付いて
それを啓蒙しちゃうと「罪」になるんですね?

通りすがりの信者A さんの発言:

そうした生ぬるい考えでも受け入れてくれる教会に移ったほうが、
周囲のためにも本人のためにもなるのです。

それが ものみの塔協会や 通りすがりの信者Aさんの本音だと思います。
でも私にとっては不思議な思考です。

オフライン

#85 2014年07月30日 13:07:26

iris
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

私たちは、状態のよくない方の万が一の場合の処置(輸血、気管内挿管など)についての同意を得る場合、
あらかじめ十分な説明を聞いて方針を決めたとしても、その方針はいつでも変更できることを説明します。

本当に緊急の事態になってからでは、十分に説明する余裕もありませんし、説明された方も考える余裕がないでしょう。
ですから、本人や家族のおおよその考え方を把握しておくために、事前に説明をして方針を伺いますが、
どんなに状態の悪い方でも、実際に緊急事態になってみないとどうしたいか決まらなくても無理はありません。

バプテスマを受けるときに、実際に自分や愛する家族が生命の危機に瀕する場面を具体的に想像できる人が
どれほどいるでしょうか。
どんなに経験を積んだ医師にでも、思いもかけない症例に出くわす場面というのはあるものです。
一般の方なら、想像もつかないのが普通だと思います。
それなのに、輸血拒否を受け入れてバプテスマを受けたら、証人である限りその方針を変えることができないというのは
非常に酷です。想像力(思いやりともいう)に欠けた人間たちの作り出したきまりであるとしか言えません。

#86 2014年07月30日 14:45:35

黒河内隆
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

クリスチャンがサタンの体制化の迫害や反対によって命を落とし殉教の死を遂げることは聖書の中にも記録されていて
イエスも予告していましたが、輸血拒否と言う組織の作り上げたきまりによって死を迎えるなどということは全能の神様のご意思かどうか
よく考えてみる必要があると思いますね

#87 2014年07月30日 18:26:07

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

こんばんは、

エホバの証人の社会の閉鎖性について述べたいと思います。


輸血の問題を含め、JWの会衆においては、天才バカボン(長老たち)の監視の下、教理に関してものみの塔の解釈以外の自由な意見交換はあり得ません。

ものみの塔研究、書籍研究、はすべてものみの塔の協会の見方や解釈だけで推論が進められそれ以外の注解は歓迎されません。

例えば、あるものみの塔研究で、高等教育について消極的な解説がなされている節で、一人の兄弟が以下のような仲介をしました。

「大学に行かないで、アルバイトやその他の仕事についたとしても、世の人との接触は避けられず、どこにいても、つまり大学に進学しても、しなくても条件は同じであり、大学だけが特に危険であるかのように強調するのはおかしい。
むしろ大学教育を活用することによる益のほうをなぜ強調しないのか。
自分は大学に行かずにアルバイト人生を始め、低賃金労働に甘んじなければならない多くの兄弟たちの経済苦を見てきて協会の方針に疑問を感じる。
この問題における協会の教えは個人の事情や立場を無視した上からの命令であり、キリストの教えと異なっている。」


わたしは、その兄弟の注解を聞いて、拍手しました。
すると、集会が「しら~っ」と白けました。

ものみの塔司会者は、何も答えずに次の節へ進みました。

その後、わたしが協会の方針と異なる注解に拍手したことについて、会衆のある長老(天才バカボン)から「もし、このようなことが再びあるなら、兄弟の注解は指名しません。」との警告がありました。

注解した当の兄弟は、会衆から追放され、別の会衆へ移りました。



エホバの証人は、このような閉鎖的な風土の中で、ものみの塔の教えをいわば無理やり食べさせられています。



おそらく、多くの兄弟姉妹たちは、高等教育、誕生日、乾杯、スポーツとしての格闘技、新年の挨拶、地域社会の宗教的な意味を失った風習や習慣、輸血、排斥、野外奉仕、集会、寄付その他について協会の強引な解釈とは異なった見方を持っていると思います。


しかし、それらについて自由に自らを表現することができないため、また違反に対する協会の制裁処置のために、それらの個人的なことを自分で決めることを放棄していると思います。

ある人の場合、それが精神的な負担となり、うつ病になったり自殺にまで至ります。

ものみの塔は、その独善的な教えにより人々の肩に背負いきれない重荷を課していると思います。



輸血の問題も、エホバの証人の視点から別の視点(一般的な視点)で考えてみると、それがキリストの教えに反しているとは思えないでしょう。


エホバの証人は、輸血を「血を避けなさい」という戒律を犯す行為とみています。
しかし、一般的に輸血は命を救う行為と見なされています。



聖書中では、血は命を表し、罪の許しのために用いられています。
血による贖いにより、死すべき命が救われます。

つまり、聖書の教えでは血は人命救助においてのみ使用が限定されれていると見なせます。


贖いについて、イエスは自らを「天から下って世に命を与えるパン」にたとえました。
そして、「わたしの肉を食べ、血を飲まない限り命は得られない」と教えました。


ヨハネ 6:48-51, 53-58
48 「わたしは命のパンです。49 あなた方の父祖は荒野でマナを食べましたが,それでも死にました。50 これは天から下って来るパンであり,だれでもそれを食べる者が死なないためのものです。51 わたしは天から下って来た生きたパンです。だれでもこのパンを食べるなら,その人は永久に生きます。そして,本当のことですが,わたしが与えるパンとは,世の命のためのわたしの肉なのです」。

53 そこでイエスは彼らに言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなた方は自分のうちに命を持てません。54 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち,わたしはその人を終わりの日に復活させるでしょう。55 わたしの肉は真の食物であり,わたしの血は真の飲み物なのです。56 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は,ずっとわたしと結びついているのであり,わたしもその者と結びついています。57 生ける父がわたしをお遣わしになり,わたしが父によって生きているのと同じように,わたしを食する者,その者もまたわたしによって生きるのです。58 これは天から下って来たパンです。それは,あなた方の父祖が食べてもなお死んだようなものではありません。このパンを食する者は永久に生きるのです」。


イエスは、人類を罪と死から救済するためにご自分の命(血)を用いました。
もちろん、輸血によってではありませんが、この命(血)の用い方自体は、自分の愛するものを死から救うために自分の命(血)を用いることを否とするでしょうか。


親はわが子が助かるなら自分の肉や血を惜しまないでしょう。
その気持ちはキリストが人類に対して示された愛と変わらないと思います。


ヨハネ 15:12-13
12 わたしがあなた方を愛したとおりにあなた方が互いを愛すること,これがわたしのおきてです。13 友のために自分の魂をなげうつこと,これより大きな愛を持つ者はいません。


全てのクリスチャンは、キリストが弟子たちを愛したとおりに互いを愛するように命じられています。
キリストは人類のためにご自分の命を用いました。
そうであれば、親が我が子の為に自分の命(血)を用いることを非難できますか。


輸血という医療処置をどう見るかによって、この問題の扱いが変わってきます。
一般の人々は輸血を命を救う行為とみています。
他方、エホバの証人は「血を避けなさい」という戒律を犯す行為と見るように教え込まれています。


もし、エホバの証人が輸血という医療行為をリスクが伴うにしても、他の人の命を救う行為と見なせば、キリストの教えに調和してその行為を否定できないでしょう。


輸血が血の誤用に当たらないと判断し倫理的な問題をクリアーできたとしても、輸血はリスクフリーではありません。

血は複雑な臓器です。
血は指紋と同じでそれぞれ異なります。
完全にマッチする輸血はあり得ません。
遺伝的な欠陥、感染症の危険、不適合その他など、血はそれ自体リスクを持っています。

ですから、倫理的には認められても、現実的な危険が存在している可能性を受け入れる必要があります。


各自が自分の信仰と置かれた立場、健康状態などを考慮して決定すると良いと思います。

宗教団体や他の人が当人の決定を裁いたり制裁を加えることなどできないでしょう。



おまけ、

使徒パウロは、おそらく復活したイエスの栄光を目の当りにしたために、その後生涯にわたり目が悪くなりました。
パウロの働きに感謝していた兄弟たちは、パウロに愛情を持ち彼のために何でもしたいと思っていました。

ガラテア人に宛てた手紙の中で、パウロは兄弟たちの気持ちを次のように表現しています。

ガラテア 4:15
15 . . . あなた方は,できることなら自分の目をえぐり出してわたしに与えようとさえしてくれました


親がわが子の命を救うために、自分の肉や血を与えたいと思うことは極めて自然なことです。

それを、決して犯してはいけない戒律としているのは、ものみの塔インチキ「神の代理店」です。
そして、それを愛や憐れみの視点ではなく、犠牲の視点で捉えているのが盲目のエホバの証人たちです。


マタイ 12:7
7 しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう。


もちろん、良心的に輸血を拒む人を非難することもできません。
背後に輸血をできない事情があるのでしょう。


泳げない人は、助けたくても溺れている人を助けることはできないでしょう。


個人を正確に裁ける方は、人や宗教団体ではなく神ご自身でしょう。


ヘブライ 4:13
13 そして,[神]のみ前に明らかでない創造物は一つもなく,すべてのものはその目に裸で,あらわにされており,この方に対してわたしたちは言い開きをしなければなりません。

編集者 sk (2014年07月30日 19:35:34)

オフライン

#88 2014年07月30日 18:27:59

iris
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

神は「赤血球・白血球・血小板・血漿は主要成分である。その他のものは主要成分でない」とお考えなのでしょうか?

神は人間の肉体を非常に巧妙に創造されました。
アルブミンも免疫グロブリンも凝固因子も絶対に欠かせないものであり、それがなければ生命を維持することはできません。
多量に存在するものは多量に存在することに意義があり、微量に存在するものは微量に存在することに意義があるのです。
微量元素は過剰でも欠乏しても健康を損ないます。

神の与えて下さった身体の成分に優劣をつけることができるほど、ものみの塔は優れているのでしょうか?


知恵の書 11章23‐26節
全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、/回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。
あなたは存在するものすべてを愛し、/お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、/あなたが呼び出されないのに存在するものが/果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、/あなたはすべてをいとおしまれる。

コリントの信徒への手紙一 12章21‐22節
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

#89 2014年07月30日 18:40:44

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

iris姉妹、

iris さんの発言:

神は「赤血球・白血球・血小板・血漿は主要成分である。その他のものは主要成分でない」とお考えなのでしょうか?

神は人間の肉体を非常に巧妙に創造されました。
アルブミンも免疫グロブリンも凝固因子も絶対に欠かせないものであり、それがなければ生命を維持することはできません。
多量に存在するものは多量に存在することに意義があり、微量に存在するものは微量に存在することに意義があるのです。
微量元素は過剰でも欠乏しても健康を損ないます。

神の与えて下さった身体の成分に優劣をつけることができるほど、ものみの塔は優れているのでしょうか?

知恵の書 11章23‐26節
全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、/回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。
あなたは存在するものすべてを愛し、/お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、/あなたが呼び出されないのに存在するものが/果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、/あなたはすべてをいとおしまれる。

コリントの信徒への手紙一 12章21‐22節
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。


アーメン!

オフライン

#90 2014年07月30日 20:23:58

もんもん
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者Aさん

この発言にはびっくりしました。

通りすがりの信者A さんの発言:
最終的に自分がつまづいた理由まで教理のせいにするのはおかしいのではありませんか?
普通に考えれば、輸血を受け入れてしまう軽薄な信者がいることによって、
他の信者の動機さえ疑われることに繋がる事くらい、簡単にわかりそうなものです。
せっかく全体で真剣に取り組んできたのに、1人の浅はかな行動がブレーキをかけてしまう。

あなたは「輸血を受け入れてしまう軽率な信者」「1人の浅はかな行動」といって、ひとりの兄弟・姉妹を劣った人のように扱っています。たくさんの論証や資料を出していますが、なんだかんだいって、これがあなたの、正直な本音なのだと思います。

つまり、全体が一致していないとエホバの証人が汚れて見えるから、同じ決定をしない人を許さないということです。どうして、見下す態度ばかりで、その人の気持ちを尊重できないんですか。

通りすがりの信者A さんの発言:
それでも自分に罪はないと考えるのであれば、
そうした生ぬるい考えでも受け入れてくれる教会に移ったほうが、
周囲のためにも本人のためにもなるのです。
エホバの証人にしがみついて影で不満を言うのはなんか違うでしょう。

ひとつの点で、意見が違うなら、他の教会に移るべきといっていますね。「輸血拒否をしない人は生ぬるい信仰」と決め付けて、出て行かせるような圧力をかけていますよね。こういう無神経な態度や振る舞いを、皆さんは怒っているんですよ。

編集者 もんもん (2014年07月30日 20:24:49)

オフライン

#91 2014年07月30日 20:47:26

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

各人のそれぞれの本音がどんなものであるのかについては確認できました。
もう、いちいちコメントしません。私の考えとは以下のようなものです。

親が子供にまで輸血拒否を求める事について、
まず、社会通念上は到底受け入れられないものである事は十分わかっています。

しかし、それがキリストの贖いと、構図が全く同一であること。

さらに思考を巡らせていくと、
むしろ、アブラハムの信仰の中にさえ、その同一性を認めることができるようです。
アブラハムの信仰がどのようなものであったのかは、創世記22章に具体的に書かれています。

疑問に思うことがあっても従う姿勢が悪いという指摘もわからないでもありません。
しかし、そのアブラハムでさえも、神の言葉に疑問を抱いたことがあったのではありませんか?
(創世記 17:17)

だからといって、輸血拒否を子供にまで~と言っているわけではありません。
こうした聖書の言葉と照らし合わせて考えてみても、やはり私の考え自体は、
エンドレスという言葉で示した以上の結論は導けないからです。

なお、医師が手術前から輸血が必要になる可能性について考慮するのは、
その手術で輸血が必ず必要になるからではなく、
万が一の事態となった際には、輸血無しでは助けられる自信がない、とのものでしょう。
これも、医師が安全側に倒した、命を救うことを主眼とした判断に過ぎないのです。
なにも、エホバの証人の輸血拒否に対する安全側に倒した解釈
(輸血で命が助かったところで所詮は延命、命よりももっと尊いものがある)
だけが非難されることでもないはずなのです。

命を軽視しているようにしか見えない、確かにそうです。
しかし、一般に考えられているほど輸血拒否が即、死につながるわけでもないでしょう。
この点、それを理解しながらも必要以上に批判の言葉を並べて
煽ることの方が不寛容なのではありませんか?
日本では最高裁まで争われて、細部まで検証してそれでも信教の自由として認められた権利を、
なぜ蒸し返して改めて再議論しなければならないのでしょう?
それとも最高裁の権威をすら否定なさるおつもりなのですか?
そもそも、確固たる信念と命の尊重というものは、元々相性が悪いのですよ。
人はこの両者の選択を迫られたときに、どちらかを必ず犠牲にしなければならないのですから。

あと、信仰を重視しすぎるのは爆弾テロの犯人と同じ傾向だ、というのは、
神の存在を認めない者は共産主義者だ、と言っているのも同然です。
つまり意味が無い。論点が飛躍しすぎています。

そして、こちらの掲示板では輸血の危険性を確かに認めていますが、
記事側ではきちんとスペースを確保して大々的に認めているのでしょうか?
心の片隅にも残らないような、記事の隅っこでの言及程度が実情ではないでしょうか。
つまり、私が指摘しているのは、主張が偏りすぎているのではありませんか?
という点に尽きるのです。

それでもまだ教理面から批判したいのであれば、
贖いやアブラハムの信仰なども含めて、
もっと根本的な部分から否定すれば良いものと思います。
どちらにしろ、外野がいくら騒いだところで、
輸血拒否の信条が覆るわけはないのですから。

誠実な意図からなされる質問はもう出てきそうないようですから、
私の書き込みは、これをもって終了させて頂きます。



最後にTTHDPGさんへ。
今後、大ちゃん事件をカレブさんがどう扱うのか、
この点に特に注目してみると良いと思います。
フェアではないと私が指摘した点を汲み取って、
情報提供の姿勢を公正なものに軌道修正するのか、
あるいは撤去してしまうのか、それとも全く修正しないのか。

あと、エホバの証人の名を貶めているのは、
エホバの証人の教理そのものというよりも、
元エホバの証人たちが批判者の側に回っている事実の方が大きいのです。
ナチスのSSの中にさえ、棄教に応じないエホバの証人には一定の敬意を払い、
棄教に応じたエホバの証人を軽蔑の目で見た者がいた、という現実もお忘れなく。

#92 2014年07月30日 21:44:19

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

こんばんは、


この掲示板を読んでいる読者の皆さん、

ものみの塔インチキ「神の代理店」がどんな人を作り出すかがよく分かったでしょう。

マイコンロボットは、神に対して熱心でありながら神を知らないイスラエル人のようです。

彼らの思いは、愛ある神を見習い憐れみ深く親切になることよりも、むしろ掟を守ることにより、あるいは律法の義の要求をもらさずに守ることにより自らの義を証明することに向けられています。


マイコンロボットにとって、そのような環境を提供しているものみの塔インチキ「神の代理店」を否定することは、自らの立場を失うことを意味している故に、しきりにものみの塔を美化するつまらない事例にこだわるのでしょう。


彼は、ものみの塔の真実の歴史を知りません。
問題は、それを知ろうともせず、ものみの塔サイドから提供される情報で物事を判断している点にあります。

このタイプの人は、自ら所属する宗教団体を例外扱いし、以下の聖書の助言を迂回しています。

ヨハネ第一 4:1
1 愛する者たちよ,霊感の表現すべてを信じてはなりません。むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。多くの偽預言者が世に出たからです。

テサロニケ第一 5:21
21 すべてのことを確かめなさい。りっぱな事柄をしっかり守りなさい。22 あらゆる形の悪を避けなさい。
(ものみの塔協会を例外扱いしてはいけません。)


インターネットを活用して調査してください。

マイコンロボットのようになる必要はありません。


ナチスもものみの塔もシオニスト銀行家により創設され運営されている事実が分かるでしょう。
ラザフォードがヒトラーに妥協案を提案した事実も分かるでしょう。
また、ものみの塔の年鑑や、その他の出版物に載っている経験は美化された歴史(嘘)であることも分かるでしょう。


マイコンロボットのように美化された神の代理店しか見えない、あるいは見ようとしない人にとって、その思いの修正は不可能でしょう。

彼は洗脳の犠牲者であり、天皇崇拝と同じです。

編集者 sk (2014年07月30日 21:48:34)

オフライン

#93 2014年07月30日 22:51:56

ベテルン
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者A さんの発言:

日本では最高裁まで争われて、細部まで検証してそれでも信教の自由として認められた権利を、
なぜ蒸し返して改めて再議論しなければならないのでしょう?
それとも最高裁の権威をすら否定なさるおつもりなのですか?
(中略)
どちらにしろ、外野がいくら騒いだところで、
輸血拒否の信条が覆るわけはないのですから。
(中略)
あと、エホバの証人の名を貶めているのは、
エホバの証人の教理そのものというよりも、
元エホバの証人たちが批判者の側に回っている事実の方が大きいのです。


ここ数日議論を見守ってきた一現役の者です。
「通りすがりの信者Aさん」は日本支部の法律部門の方でしょうか?だとしたらこの程度の論理展開しかできないようではこの先正直心配です。
私と同じように一現役の方だとしたら、「どのようなサイトであれ反論しないように」と協会が言っていることをどう思っておられるんでしょうか?

いずれにせよ、「彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理として教えるからである。」「彼らのことはほっておきなさい。彼らは盲目の案内人なのです。」というマタイ15章の聖句を、この掲示板を見ている多くの現役のエホバの証人が思い出したでしょう。

通りすがりの信者Aさん、「エホバに用いられ」ましたね。うらやましいです。

#94 2014年07月30日 23:27:47

yukahena
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者Aさんも孤軍奮闘、一生懸命付き合ってくれてそこは偉いと思うのですが、話の進め方がものみの塔と同じですね。
もちろん主張の穴もものみの塔と同じで、論理的にも同義的にも全然認められるものではないですね。聖書を辞書のように使うのならば、自分の主張を補強する聖句をいくらでも見つけられようと言うものです。
私は古代イスラエル人が血抜きをしない肉を食べても無罪放免だったことや、安息日でも緊急避難行動をすることをイエスが容認したこと、イエスが自分の血を飲まなくては~と言っていること等で輸血が何ら聖書的に非とされていないと主張できます。

エホバの人たちには自前で弁護士を用意するぐらいなら、病院を作ってそこで無輸血でも何でもすればいいのに。
どれだけ患者の家族や善良な医師たちの良心を無視して自分の良心ばかり主張して迷惑をかけているのか、それすら考えられない宗教が正しいはずがありません。何なら無人島を購入してそこに信者を集めて世間に迷惑がかからないように隔絶された生活して欲しいぐらいです。

オフライン

#95 2014年07月31日 08:29:29

サタンの僕
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

yukahenaさん、よくぞ言って下さった。同意見です。

無人島と言わず、自前でロケットを作り(そのくらいの資金はあるでしょう)、何万光年も離れた星に逝ってほしいものです。

オフライン

#96 2014年07月31日 10:42:51

TTHDPG
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

議論がここまで来た以上、とことんまで突き詰めて真実に辿り着きたくなってきました。(もう既に結論に達している方もいるでしょうが)

協会からの「ネットで反論するな」との指示には目をつぶり、現役信者で信者Aさんを支持して論理展開する方いませんか。一般の方でも結構。

#97 2014年07月31日 19:55:30

自然消滅中Ω
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

現役だったころに教えられた理論では、いわゆる”分画”については
「母体から子供へ渡されるものもあるのでそういったものは良心で決定して下さい」
といったものだった記憶しています。大袈裟に”注目しました”といった表現が使われていたような....
穿った見方をすれば、協会にとって重要な人物がそのような医療を必要としていたからではとも思ってしまいます。

#98 2014年08月01日 19:00:27

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

こんばんは。


yukahena さんの発言:

エホバの人たちには自前で弁護士を用意するぐらいなら、病院を作ってそこで無輸血でも何でもすればいいのに。
どれだけ患者の家族や善良な医師たちの良心を無視して自分の良心ばかり主張して迷惑をかけているのか、それすら考えられない宗教が正しいはずがありません。何なら無人島を購入してそこに信者を集めて世間に迷惑がかからないように隔絶された生活して欲しいぐらいです。

サタンの僕 さんの発言:

無人島と言わず、自前でロケットを作り(そのくらいの資金はあるでしょう)、何万光年も離れた星に逝ってほしいものです。


何回読んでも笑い転げます。 ゲラ ゲラ ゲラ . . . . icon_lol.gif icon_lol.gif icon_lol.gif


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おまけ、

母親から胎児に与えられるのは免疫グロブリンだけではありません。
赤血球も移ります。

母親の血液も、胎児の血液も胎盤をとおして互いに移動している事実があります。
それが、罪のために不完全になった人類にとって、母と胎児の血液の相互移動による深刻な問題が生じることがあります。
http://economic.jp/?p=9311


現代医学は人体を知り尽くしてはいません。
血の機能について、また胎児に移動する母親の血の役割についての現在の学識は完全ではありません。
それは、未だ謎のまま、あるいは意図的にアンタッチャブルにされています。


赤血球は体細胞の母体

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食べ物は血となり肉となるといわれています。

千島喜久男博士の理論によると、赤血球が肉や骨(体の各細胞)に分化すると言われています。

千島喜久男博士は、赤血球は核を持たないので、細胞とは見なせないと正確に評価しています。
そして、赤血球は極めて広い分化能をもつ細胞前段階のもので、それが人体の色々な細胞に変化すると述べています。
つまり、赤血球は多様な体細胞の母体ということです。


彼の学説から見ると、赤血球に関する既成学説はその出発点から間違った方向に進んでしまったことになります。


赤血球は、ガス代謝のほかに、もつと重要な体細胞への分化能をもっています。

血液学関係書では赤血球を“Erythrocyte”(赤色細胞)、或いは“Red Blood Cell”(赤色血液細胞)などと呼ばれ、明確な定義もないまま核を持たない赤血球がなぜか細胞とみなされています。細胞の定義は数々あるものの、細胞の構造上において不可欠な要素として「核(DNAを含む)と細胞質、そして細胞膜を有する」こととされています。しかし、人や哺乳類の赤血球には核はありません。ですから『無核の赤血球は生物学の定義上細胞ではない』と断定されるのが当然でしょう。

また「細胞は分裂によって増殖する」という生命科学の既成学説が、学界において金科玉条として今もなお信奉されつづけています。そして不思議なことに自然の状態下において細胞が分裂増殖をする様子を確認できた人は世界に一人としていません。

千島学説によれば、赤血球は極めて広い分化能をもつ細胞前段階のもので、体細胞は細胞分裂によって増えるのではなく、赤血球が細胞に変化しているということです。

既成学説では赤血球の寿命は115日前後としています。人体にある血液を5L程度として計算すると、血液の40cc(それに含まれる赤血球数は約2000億個)が体の何処かに1日で消失していることになります。

この2000億個もの赤血球が体の何処へ消えていくのか、現代医学・生物学では確認されておらず謎のまま放置されています。学者の一部は肝臓又は脾臓で崩壊しているといっていますが確証はありません。肝臓や脾臓に限らず、体のあらゆる組織で赤血球の崩壊に似た現象を見ることができます。しかし赤血球が崩壊したと見られる所で、それが消滅していく証拠をつかんだ学者は誰一人としていません。

■赤血球がすべての細胞に分化する

胎児、幼児時代から脳や肝臓、筋肉等の細胞は細胞分裂なしに増加しています。細胞分裂なしに増加することは学界での定説のようになっていることは事実です。その理由については、いまもって沈黙が守られたままです。また1日に約2000億個もの赤血球が行方不明のままで、これは肝臓や脾臓で破壊されているのだろうという漠然とした推測で終わっています。赤血球の行動をまったく把握できないまま放置されている現状は無責任というほかありません。行方不明の赤血球はすべて体細胞に変わっているのです。

毛細管の先端は閉鎖型になっているというのが既成学説です。しかし組織を観察するとき、毛細管の先端は諸所で開放型になっており、流出した赤血球が組織中に無数見ることができます。ことにガン組織等の炎症部においては、流出した赤血球がガン巣をとりまいている像が明瞭に見られます。ガン巣は細胞分裂で増殖するのではなく、細胞の増殖は赤血球の分化であることを明確に示しています。

毛細管先端の開放部から組織内に流出した赤血球は、その組織からの電気的誘導作用によって、組織細胞に分化します。


このように、血が肉の元であると千島喜久男博士は述べています。

彼の理論によると、

食べ物 ⇒ 腸で血になり ⇒ 血管を通して体の各部へ運ばれ ⇒ 核を持たない赤血球がそれぞれの細胞になる。

死んだ細胞は老廃物として排泄される。


という極めて分かりやすいプロセスとなります。



千島学説からすると、母親の血が胎児の細胞の母体であるといえます。
血は単にガス交換、栄養補給、老廃物除去の機能を持つだけではなく、赤血球が細胞へ分化して行きます。
赤血球は極めて広い分化能をもつ細胞前段階のもので、それがあらゆる細胞に分化して行きます。



千島学説の解説
http://www.chishima-gakusetu.com/about_chishima.html





乳腺

南方のある人種は日本語と同じように血液を『チ』といい、乳汁を『チチ』と呼んでいます。人間の乳房は二つだが、複数語を知らない彼らはこのように単数語を並べたようですが、『チチ』は『チ』の変化したものだということを、直観的に知っていたのかも知れません。事実、乳腺は乳汁分泌のために豊富な血液補給を受けています。

乳腺上皮はもとより、乳腺のすべての細胞要素は赤血球の定着とその分化によるものであることは明らかなのです。また乳汁成分のタンパク質や脂肪は赤血球から分化した乳腺上皮細胞が成熟後退行、崩壊し融合した結果生じたものです。乳腺内の血管領域は周辺組織の2倍もあるという事実からも乳汁と血液の直接な関連を窺うことができます。

乳腺細胞は成熟、崩壊、脱落した溶解物質の乳汁成分として腺内へ入るもので、その細胞補充は細胞分裂などではなく、乳腺組織の間隙へ流入した赤血球の定着と細胞への分化によるものです。乳汁分泌にはこの他、血液の液状成分が組織中に滲出したものも、乳腺管壁をとおって腺腔へ入り乳汁となるものもあります。

哺乳類の乳汁は乳腺小胞の上皮細胞が成熟した後、一定度の脂肪変成を起こし、細胞の離脱と崩壊によって乳汁中のタンパク質や脂肪の起源となるものです。一般に考えられているように乳腺小胞上皮細胞が乳汁を繰り返し分泌するのではありません。細胞自体が一回限りで乳汁の成分として退行しているのです。赤血球→リンパ球→各種組織細胞という移行過程は乳腺組織に限らず全身の組織に見られるものです。乳汁分泌が旺盛な時期にはこの分化過程が速やかに行われて、乳汁の原資となる乳腺上皮細胞の補充がされます。ただ、初乳の場合は赤血球から乳汁への移行変化が未だ遅いために、初乳中にはリンパ球や少数の白血球(流血中のものや乳腺組織中で赤血球から細胞に分化途中にあるもの)、また赤血球も含まれる可能性があります。『血乳』といわれる病的な乳汁中には多量の赤血球が含まれています。これは赤血球の細胞分化が極度に遅いための現象です。

飢餓

脂肪組織を注意深く観察すれば、絶食や栄養不良のときには、脂肪球の外面から次第に赤血球母細胞に逆分化し、ついには脂肪球全体が赤血球に戻ってしまいます。

脂肪層というものは栄養の良いときに赤血球の脂肪変成によってできたものですが、栄養が不足して消化管での造血が著しく不足したり、或いは造血が停止してしまうと、脂肪を始め体の組織中で今現在で余り重要性がない組織から赤血球に逆戻りして不足分の補充をする、体に備わった応急処置だといえるでしょう。逆分化の最優先対象は脂肪です。重い飢餓が続いた人では肝や心臓その他の器官に脂肪浸潤が見られますが、現代の既成学説ではこの原因が難解とされ解明されていません。

この脂肪浸潤は固定組織細胞が赤血球に逆戻りする際、一度リポイド性の物質に変わり、リポプロテインとなって赤血球に変化する過程での状態なのです。組織の可逆的分化の理論を理解できたとき脂肪浸潤の謎は容易に解明できる筈です。

脂肪は飢餓のときには体の組織中で最も早く赤血球に変えられるものです。脂肪の消失は『赤血球への逆分化』という過程によるものです。


飢餓と心臓
千島喜久男の研究グループは各種飢餓動物の心筋には非常に多数のリンパ球様の核が現れ、これらが赤血球に逆分化する途中過程を観察しています。また筋線維が細くなって間隔が広くなった部分では、線維がバラバラになり、古い線維は赤血球へ逆戻りすることができず退化、崩壊してゼラチン状の物質に変わることも観察しています。心筋は従来の説とは逆に、飢餓になると全体が著しく萎縮し心臓壁も薄くなるのが真の姿です。

飢餓と血管
千島喜久男の研究グループによる飢餓実験では各種固定組織、器官には新しい多数の毛細血管が出現し、元の組織との境界がはっきりしないことを確認しています。この新しい毛細血管群は、固定組織から逆戻りした赤血球を運び出すためのものなのです。

千島学説は、経験、観察、及び聖書と調和しているので極めて真実に近いとわたし(sk)は見ています。




生物学者の中には、千島博士のように現代の学校教育で習う見方と全く異なった見方で生命を捉えている人たちがいます。フランスのアントワーヌ・べシャン(Antoine Béchamp 1816-1908) や、アメリカのロイヤル・ライフ (Royal Raymond Rife 1888-1971) などが、千島喜久男博士と同じように、細胞と細菌(微生物)の関係について極めてユニークな洞察をしています。

興味のある方は、調べてみてください。

編集者 sk (2014年08月01日 20:32:25)

オフライン

#99 2014年08月01日 21:24:39

目覚めた
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

エホバの病院いいですね!世の人に迷惑かけませんもんね。何故作らないのでしょうか?

#100 2014年08月01日 22:12:04

iris
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

みなさまこんばんは。
skさんが千島喜久男博士の理論を紹介されていますので、私は医学界の常識を紹介することにいたします。


skさんが紹介してくださったRh血液型不適合の例では、
母親の血液が胎児の血液に移行するのではなく、胎児の血液が母体に移行することが問題となります。
胎児の血液が母体血中に流入することを胎児母体間輸血といい、微量の胎児母体間輸血は全妊娠のほぼ100%に起こっています。
まれに大量に流入することがあり、そうなると胎児が出血多量の状態になって命に関わります(胎児母体間輸血症候群)。

逆に、母親の血液が胎児に移行するという話を聞いたことはありません。


赤血球は発生学的に肉や骨と同じ系統に属します。けれども、赤血球が肉や骨になるわけではありません。
血球成分(赤血球、白血球、リンパ球、血小板など)はすべて造血幹細胞から分化します。
造血幹細胞には核がありますが、赤血球になる細胞は、成熟するときに核を捨てます(脱核)。
ですから、赤血球には核がなく、もう分裂することができません。
細胞分裂なしに細胞が増加することはありません。

赤血球は古くなると主に脾臓や肝臓で分解されます。
古い細胞が壊されて、新しい細胞に入れ替わるのは、赤血球に限ったことではありません。
人体は巨大な化学工場です。

あなたが食べたものはどこに消えていくのでしょうか?
ごはんとか、お味噌汁とか、消滅していくところを見たことはありますか?
あなたが心配しなくても、神さまはちゃんと消化・吸収のしくみをつくり、
気の遠くなるような化学反応が間違いなく進行するように備えて下さっています。
自分自身の古い細胞や老廃物も、ちゃんと処理されているのですよ。


脊椎動物の血管系は閉鎖血管系であり、赤血球が外に出ることはありません。
けれども、血管が破れて出血すれば、当然赤血球も血管外に出ることになります。

がん組織は、正常組織よりもたくさんの栄養を要求します。
ですから、活発に分裂して急速に大きくなるがん組織を栄養するために、急ごしらえの血管もたくさんできます(血管新生)。
この血管の壁はつくりが雑なので、正常な血管にくらべて出血しやすいのです。
ですから、がん組織の周囲に赤血球がみられるのは、脆弱な血管が破綻して出血したためと考えられます。


sk さんの発言:

彼の理論によると、

食べ物 ⇒ 腸で血になり ⇒ 血管を通して体の各部へ運ばれ ⇒ 核を持たない赤血球がそれぞれの細胞になる。

死んだ細胞は老廃物として排泄される。


という極めて分かりやすいプロセスとなります。

ん? 死んだ細胞は老廃物として排泄される?
赤血球の行方はわからないのに、その他の細胞の行方はわかるんでしょうか???

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