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#26 2013年11月28日 11:21:50

もんもん
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

オフライン

#27 2014年07月18日 21:11:52

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

調べてるのは「輸血の起源」~いつごろ始まり、どのように広まっていったのか、
という全く別の事なんですけどね…検索上位にあるためか、このHPがよく目に留まります。

「輸血拒否 – 間違った土台」の記事

「犠牲になる正しい理解」の項目

> ユダヤ人がそれを食べても宗教上清めが必要な「汚れた」状態になるとだけ述べられています。

読んだ瞬間違和感を覚えたのですが、調べてみると案の定、勇み足のようです。
申命記 14章21節という、どちらにも出現する聖句を目を見開いて改めて読んでみましょう。
イスラエル人が自然死した動物の肉を食べる事は明確に禁じられていますよ。類似聖句として出エジプト記 22:31も挙げる事ができます。
従って、レビ記のその部分は外人居留者が食した場合の規定と考えた方が自然です。





で、書き込むついでにここまでの議論も拝見したのですが、

> エホバの証人が輸血を拒否する本当の理由は「聖書が輸血を禁じている(と教えている組織に逆らえない)から」であるにもかかわらず、

のように的外れな個人的推論を動かしがたい真実であるかのように吹聴されるのは迷惑でしかないので、
私が輸血拒否を選択したに至るロジックを解説しておきます。

・「血を避けなさい」という使徒15章の聖句が存在する
1.輸血も禁止されていると解釈すべき(ものみの塔協会の見解)
2.輸血禁止は聖書の甚だしい曲解(反対者側の主張)
3.輸血禁止という解釈は理論上可能、曲解とまでは言いがたい(私の見解)

次に考えたのはこうです。

ヨブは「もしかすると~かもしれない」という仮定の罪に対する犠牲を捧げました。
この行動は神の目に良い事と映りました(ヨブ記 1:5,8)

神が実際には輸血拒否までは求めていないとしましょう。輸血拒否によって死亡した人は神の目にどう映るのでしょう?
神が実際に輸血拒否まで求めているとしましょう。それを批判し妨害しようとする人々は神の目にどう映るのでしょう?

安全側に倒すなら、輸血拒否を実践した方が無難であろうという結論になりました。
今の世の中に不満こそあれ命が惜しいと思ったことなどありませんのでね、何のためらいもありませんでした。
補足するなら、「神を第一に求めなさい」「自分の魂を救おうとする者はこれを失い、主のためにこれを失う者は命を得る」
「忠実であることを死に至るまでも示しなさい、そうすれば命の冠を与えよう」など、
いわば殉教死的な考えを後押しするかのような言葉は幾つでも見つかるのですが、
反対の意味の言葉はいくら頭をひねっても一つも思い浮かばないのが実情です。

そこで、少なくともクリスチャンを自負する人で、輸血禁止という解釈が理論上不可能という事を自分自身で立証できない人については、
この件をもっともらしい言葉で批判しないでおいた方が良いですよ、と一応の忠告をしておきます。
だってその行動は神に敵対する行為そのものであるのかもしれないのですから(使徒 5:39参照)。



それから、そもそも輸血の起源に関して調べていたのは、
「輸血の是非に関しては当初、エホバの証人以外にも否定的な態度を示すクリスチャンが少なからずいた」
というような経験談を雑誌(たぶん目ざめよ)で見て以来、
20年近くは(とはいっても数年に1度くらいの気まぐれペースで)探しているんですが、
情報が少なすぎて「これぞ」という情報には未だにたどり着いていません。
つまり何が言いたいのかというと、輸血という行為が神の掟を踏み越えているかもしれないという懸念は、
個々人レベルにおいてはなにもエホバの証人だけが抱いた疑問ではなかった疑いがあるという事です。
そもそも、キリストが現世に生きていたとして、輸血を推奨するとお思いですか?
どんな病もたちどころに癒し、死者でさえ蘇らせる事ができるほどの力をお持ちであったというのに。





ついでなので、当事者が子供であった場合の子供の人権についても一言。

実際のところ、輸血拒否に関する幾つかの議論を追ってみると、成人については自己責任なんだから外野がとやかく言う事はないんじゃない?
という意見が昔と比べてかなり増えた…というか今ではすでに大勢を占めているように感じます。

しかし子供については、親が決定すると子供の人権を奪う事になるのでこれはNG、これがほぼ全体の一致した意見です。

ところが、よく似たケースで全く逆の現象が起きている、という事を指摘している人がいました。
何年か前に国会を通過した改定臓器移植法案のことです。

以前は親が移植に同意したとしても、子供が死ぬ前に拒否していた事が明らかならば臓器移植は行えませんでした。
しかし法案の通過によって、親の同意さえあれば子供の生前の意思は無視して臓器移植をする事が可能となったわけです。
こうした変更に異議を唱えた人は少なくなかったのですが、異議を唱えた人は「人でなし」呼ばわりされていましたね。
中には、子供を失ったばかりの放心状態の両親に対し、
臓器待ちの立場の(1秒でも時間が惜しい)人たちから圧力が強まる事に繋がるのでは、
という懸念を示していただけの人もいたのにです。

親の決定が疑問視され決定権を取り上げよとするケースがある一方で、子供の決定を度外視する法案が拍手喝采で迎えられる。
前者が人権侵害であるならば、後者も当然ながら人権侵害なのでしょう、この現象はあまりにも不可解ではありませんか?
では両者に共通点は無いのかというと、きちんとあります。どちらも「救える命は救ったら?」という点に尽きるんです。

エホバの証人の子供の場合、人権がうんぬん~と主張していた人は、改定臓器移植法案に反対した人達なのでしょうか?たぶん違うと思っています。
では今からでも反対意見を表明するのでしょうか?これもたぶんやらないでしょう。
ではこうした人達が人権だと信じて疑わなかったものの正体は何なのでしょう?
あとは各人の判断に委ねます。





などと書いていたら、次の記事も題名が気になったので軽く目を通してみました。

「輸血拒否 – 子どもたち」

> しかし4年前の自らの雑誌の中では輸血を拒否して亡くなった若者たちを称えて次のように述べています。

え~と、なんというか…

「輸血を拒否して亡くなった若者たち」×

これはたぶん読み違いです。

「エホバの証人以前の過去の忠実なイスラエル人の若者たち」△

これもちょっと違うな。

「ナチスドイツの強制収容所で亡くなった若者たち」○

たぶんこうです。

#28 2014年07月18日 23:16:00

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月19日 05:46:48)

オフライン

#29 2014年07月19日 10:18:55

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

skさんへ

一応ここは輸血拒否に関するトピックのはずなので、それ以外の事を主張したいのであればそれに相応しいトピックで行われると良いと思いますよ。

排斥に聖書的根拠が無いと言っておられますが、これも上記と一緒なんですよ。

・「(悪行者を)除き去りなさい」というコリント第一 5章の聖句が存在する
1.排斥には聖書的根拠がある(ものみの塔協会の見解)
2.排斥は聖書の甚だしい曲解(反対者側の主張)
3.排斥という解釈は理論上可能、曲解とまでは言いがたい(私の見解)

正直、「口もきいてはなりません」などの厳格な適用はやりすぎなんじゃないかな…
と思うことがある事も確かなんですが、それは私の人間的な考えであって、
重要なのは神の視点だと思うわけです。



トピックの趣旨から外れているので説明はここまでで終わりにしておきますが、
ついでなので、排斥に関する話も1つ残しておきましょう。
アメリカの本部から日本支部に伝えられた話として、「日本人は優秀だ」というのがあります。
どういう事かというと、日本のエホバの証人は排斥されて戻ってきた場合、
2度目の排斥になる率が極めて低いという事です。
つまりエホバの証人の海外事情は(以下省略、確か年間の排斥者数も万人単位だったような気が…)

#30 2014年07月19日 10:47:23

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月19日 10:53:39)

オフライン

#31 2014年07月19日 11:36:13

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

オフライン

#32 2014年07月19日 14:15:29

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

> 記事の要点はこうです。

え~と、私は記事の要点や結論等について指摘したのではなく、
引用したまさにその部分について、
等価なものを不等号記号で結んでいるかのような違和感を覚えたという事です。
一応、指摘すべき点は指摘しましたので、今の記述を修正する必要がないとお考えであれば、
部外者がこれ以上、何かを言うべきではないのでしょう。





> 以下の考えは大変危険だと思います。

> 「神が実際に輸血拒否まで求めているとしましょう」という想定ですが、
> そのような神の存在を想定すること自体が
> 健康的ではないと思います。

たぶんここが主流派とエホバの証人の最大の違いなんですよ。
確かに論理としては常軌を逸しているのかもしれません。「神への依存度が高すぎる」と。
でもそれを指摘するのは神の存在すら信じていない一般人の役割であって、
神の存在も力も信じると公言するクリスチャンの役割ではないとも思っています。
なぜなら、「あなた方は神を軽んじている」と反論された時に何も言えないではありませんか。
神を軽視し侮る事こそが正しい信仰のあり方である、というのであれば話は別ですが。

幾つかのページを調べた結果、カレブさんご自身はまともな推論のできる方であろうと感じました。
ただ、今後も批判を続けようとお考えなのであれば、問題の本質やアプローチのあり方について、
今一度じっくりと考察をされた方が良いとも感じます。

#33 2014年07月19日 16:15:06

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

通りすがりの信者Aさん

幾つかのご指摘ありがとうございました。
指摘されていた部分を読み返してみました。
誤解を与えそうな部分は 時間があれば何か注記を入れたいと思います。

輸血に関連する記事は当時もどのように書くか悩んだ記憶もありますので
読み返す機会になったことを感謝します。

輸血関連の記事を書く際は、何らかの人間的な「妥協」を匂わせるような
文面がないように気を付けていました。
読む人によっては「妥協的」な見方に否定的な感情をもつからです。

輸血の問題は
”人間の命より神への従順が尊い”という気持ちが
本来考えるべき 論議の妨げになると思っています。

オフライン

#34 2014年07月20日 06:39:23

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月20日 14:06:50)

オフライン

#35 2014年07月20日 12:39:24

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

オフライン

#36 2014年07月20日 13:01:46

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

オフライン

#37 2014年07月20日 15:39:22

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

要点だけお伝えします。

> 元の iris さんの発言は「的外れな個人的推論」だとは思えませんでしたが、

> おそらく「聖書が輸血を禁じている(と教えている組織に逆らえない)から」の
> 文面の(教えている組織に逆らえない)という言葉に反応されたんですよね。

言葉が断定調になっている事からして、これは後の続く自身の説明を真実なものと
読者に納得させるための、いわば定義文です。しかしそんな事実は無い。
ですから、その定義に全く当てはまらない私のような者がいる以上、
こうした憶測を真実のように語られるのは「迷惑でしかない」、と申し上げているのです。
(極端から極端に走りすぎる人によく見られる傾向なので、「ああ、またか」という感じです)





> 通りすがりの信者Aさんは もし ものみの塔協会が公式に
> 自分たちの輸血拒否の解釈が間違っていたことを認めたら
> (仮に jwstudy の記事と同じような説明で協会が説明してきたら)
> それでも
> 輸血拒否を貫く自分を想像できますか?(致死量の出血があった場合です)

残念ながら、協会が公式に間違いを認める、という事は、天地がひっくり返っても無いと思います。
この辺は見通しが甘すぎるというかなんというか…「間違いを認める=我々の勝利だ!」
という願望がそういう甘い見通しに導いているのであろうという事が容易に推測できるわけでして…

エホバの証人の教義変更のプロセスでは、例外なく、
「根拠は○○の聖句で、これこれこうで、こういうわけです」
といった具合に、信者に対してなんらかの説明がなされる事でしょう。
これは他のどんな教理についても全く同じ事が言えます。
そう、一つの例外もなく、です。

輸血に関しては、仮に輸血を教義から削るべきと判断したとしても、
「信者全てが従うべき教義」から「個人が判断し結論すべき事柄」へと降格する程度かと思います。

ではその時、私はどうするのか?

協会の新しい説明が納得できるものであれば、輸血拒否の信念を取り下げる事もあるかもしれません。
しかし、輸血拒否が自由意志であり、説明が納得いくものでないならば、
引き続き輸血拒否という立場を堅持していく事でしょう。

あくまで仮定の話ですが、質問自体が仮定の話ですし、これで回答になるでしょうか?

ちなみに、私の乏しい知識でいくら考えを巡らしても、
協会が輸血拒否に関する条項を緩和するとは思えません。
なぜならば、そこには輸血を避けるべきではないという明確な論証が必要不可欠なのであって、
その論証も無いまま、的外れな字句の論議のみで協会が教義を改めるなどとはとても思えず、
そうした中核の証明を放り出したまま仮定のみで結論を論じるのは、
絵に描いた餅であるとしか映らないからです。





skさんの投稿については、聖句を含む部分については Watch Tower Libraly からの長文転載、
そこに都合のいい意図不明の解釈を並べて自説を披露しているようにしか見えず、
対話する姿勢でもなければ、私の説得を試みているようでもない。
つまり批判だけが目的の恣意的な内容と感じますのでノーコメントとさせて頂きます。
(聖句の無い部分については一考の価値はあるのでしょうが、私には全く興味のない事柄ですし)

#38 2014年07月20日 17:01:21

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月20日 17:07:39)

オフライン

#39 2014年07月20日 19:08:03

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

オフライン

#40 2014年07月20日 23:05:35

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#41 2014年07月21日 01:01:15

TTHDPG
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

横槍入れてすいません。
輸血云々の各論の前に通りすがりさんの立ち位置(生い立ち、現在の状況、輸血拒否を擁護せねばならぬ事情)などをupして下されば幸いです。背景の情報から結論に至る事も有り得るかと。

#42 2014年07月21日 05:55:55

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

おはようございます。

通りすがりのマイコンロボットの説明は、相変わらず意味不明ですね。

まず、このロボット何を証明したいのだろうか。

ものみの塔インチキ「神の代理店」の正しさだろうか。
それとも、自分の信仰だろうか。

「血を避けなさい」の聖書の命令を個人的に適用すれば良いだけのことを強調したいのだろうか。
それとも、ものみの塔の言うことに従うべきだと言い張りたいのだろうか。

この人は、はっきり自分の立場や考えを表明すべきです。
自らを隠しておきながら他人の論議を意味不明の文章で批判することは止めなさい。

話になりません。


マイコンロボットさん

あなたは、ものみの塔を擁護したいのですか。
それとも、ものみの塔の間違いを謙虚に調査し事実を直視したいのですか。

わたしに対する要求は、他人経由ではなく直接本人に伝えましょうね。
それは、大人としての常識です。
あなたは、それすらできないマイコンロボットです。

編集者 sk (2014年07月21日 11:53:21)

オフライン

#43 2014年07月21日 16:04:52

隠れんぼ
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#44 2014年07月21日 21:39:38

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

どういう解釈されても勝手だけど…
というつもりで出したのでいちいちコメントしませんが、
知らない人のために2点ほど解説。


1.医療機関連絡委員会について

交通費や電話代などは全て自腹だと伺った事があるので、
普段は地元会衆の長老、いざ問題が起こった時に、
医療関係者とのパイプ役になる、文字通りの連絡係なんだと思います。
過去にここで推論されていたような医学の知識とか
そういうのは全くといっていいほど無いかと。

ちなみに、個人の信仰に平気で土足で上がりこんでくる長老もいますけど、
そういうのはネット上で「パリサイ長老」と呼ばれています。
リンク先で登場した連絡委員のような反応のほうがむしろ多いかと思います。


2.ヘモグロビン値

輸血の目安として使われてきた判断材料の1つ。
成人男性が12~14くらい?成人女性が10以上?が正常値で、
それを下回ると貧血という具合になるんだとか。

昔はヘモグロビン値10を下回った場合に輸血を開始するケースが多かったそうなんですが、
エホバの証人の無輸血手術で3やら4という状況になっても(主に脳の)後遺症なしという報告が
医師会ジャーナルなどにバンバン上がってくる(死亡報告0)…これが20年くらい前のアメリカの状況。
血圧については輸液でなんとかなるとしても、
ヘモグロビン値の減少で脳への酸素供給が十分なのかが不安視されていたわけです。
これに対し、そもそも起床時の数値を麻酔状態の患者に当てはめる事がナンセンスだったのだろう
というのが当時の協会の見解だったかと(確か目ざめよで記事になっています)。
今ネットで調べると1.7というのを挙げている病院も見つけることができます。
要するに海外ではあなた方が思っている以上に無輸血への対応というのは進んでいます。


興味深い資料として紹介したのは、
医師の本音の部分が吐露されていたりとか、問題があるのは外科よりもむしろ内科のほうであるとか
そういう面でも興味深いと思うのですけど、個人的に興味を引いたのは、
国循のマニュアルの件で、厚生労働省主導との事。
国としても双方のトラブルが避けられるだけでもメリットがある事が判っているわけで、
重い腰を上げようとしない学会への働きかけを裏でしていたんだなぁ、と思ったわけです。
あとは関谷という人物の存在。たぶんこの人が本気で意地悪な質問をしていたら、
懇談は物別れになっていた可能性すらあると感じました(顔色に言及していたあたりのタイミングで)。
ただ、会議をぶち壊すのが目的ではなかったので自制したのかな?。このあたりの対応は大人かと。
救急搬送だとか医師の良心の問題などについては想定済みなので、
「ああやっぱりそういう問題があるのね」と再確認した程度です。

世界の医療分野における対応がすでに無輸血がベター、仕方のないときに輸血する、
という方向性にシフトしている。特にものみの塔本部のあるアメリカでは、
日本より10年以上は進んでいると思っていいでしょう。そうした点からも、
輸血教義の緩和というのは周りが見えてないな、とこう申し上げているわけです。
さらに教義の中核を突き崩しているかというと、こちらも十分とは思えないわけです。



ここを訪れて最初にしたのは、新世界訳の記事があったので、
まずはどんなものか、そのページに移動してみました。
結果、「お~これはすごい、この人まともだ」という感想を持ちました。
世の中には、どこをどう読んでもメリバの岩と類推されるものを、「岩=神様」ということで
文字通りの岩を神にまで祀り上げてしまうような残念な方もおられるのです…

私自身はあなた方とお友達になりたくてここに書き込んだわけではありません。
ただ、上記のように、カレブさんご自身に対しては好印象を持ちましたので、
ちょっとお節介を焼いてみたくなった、というのが
最初の投稿(「エホバの証人はキリスト教か」のトピック)の動機となりました。
今はまだ、名誉ある撤退を良しとせず、玉砕覚悟で突っ走るのもいいでしょう。
ただ、やはりあなたの行動は神の掟を踏み越えているようにしか見えず、
その辺が心配なのですよ(ヤコブ 4:11-12)。

#45 2014年07月22日 05:44:05

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

オフライン

#46 2014年07月22日 21:32:59

隠れんぼ
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#47 2014年07月23日 01:15:59

seiei00r
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

「通りすがりのエホバの証人A」のような、偽善を偽善とも感じない馬鹿なエホバの証人がいることによって、自分が「エホバの証人の反対者」と呼ばれることが恥ずかしくて仕方がない。

その一方で、

「安全側に倒すなら、輸血拒否を実践した方が無難であろうという結論になりました」
と、こんな発言は、「エホバの証人として恥ずかしい」とは思わないのだろうか?

大ちゃんのお父さんだって、こんな程度の「覚悟」で、自分の子どもを死なせたわけではないだろう。
同様に、いま、この時に、輸血拒否で死んでいく人間はどうなのか。

ところで、「輸血拒否を実践したほうが無難」と書いてあるが、この「エホバの証人A」は、どのように輸血拒否を無難に「実践」しているのか。
少しは、恥を知れよ。

エホバの証人は、いつからこんな「通りすがりの信者A」のような発言をする人間を「信者」として認めるようになったのか。
いつから、この程度の信仰で、バプテスマを受けさせるようになったのかという意味である。

………

とはいえ、信者Aにとって、なにか明白な論証が必要ならば「論証」しておくことも必要かもしれない。

………

「イエス・キリストは食事の前に手を洗わなかった、ゆえに律法に違反している」
と訴えたパリサイ人に対して、信者Aならこう答えるだろう。

そう、そのとおり、パリサイ人の言うとおりだ、
腕だって手に含まれるのだから、食事の前には肘の上まで洗っておいたほうが神の目からみて無難だ。
少なくともそうしておいたほうが、問題がないと思われる。

そして、イエス・キリストに向かって、こう言うだろう。
「だから、食事の前に肘の上まで洗わなかったあなたは、エホバの裁きを受ける可能性がありますよ」

#48 2014年07月23日 21:51:14

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

えと、いろいろ順序を前後します。
まず、ここが一番の誤解されている部分だと思うのですが、
輸血をしなければ命の危険にかかわる場面に遭遇するかもしれない、
という事はエホバの証人であれば先刻承知、知らない人はまずいません。

輸血を拒否して死亡した人は、その経験談が雑誌に載ることはありません。
なぜなら本人死亡しているわけで、すでに経験談を聞けるような状態ではないのですから。
しかし、そういう経験は大会のスピーチでは扱われるんです。
これこれこういう信仰を示した人がいましたと。会場の1000人以上が涙する事もある。
(誤解のないよう説明すると、外科手術ではなく、白血病のようなケースです)

また、影でこっそり輸血を受け入れる信者の存在についても、くだんの議事録で質問され、
連絡委員がバツの悪そうに口を濁していると思います。なぜそういう人がいるのか?
その人が博識で他の信者が知らない輸血拒否による死亡のリスクを知っているから、
という解釈も一応可能ではありますが…(この判断はご自由にどうぞ)。

ここでちょっと緩急話題。海外では輸血どころか
普通の宣教でさえ命がけな地域があります。こんな経験談がありました。
昔、会衆を訪問したべテル公演者によって公演後に話された内容で、
細部については正確ではない可能性があるので、その点についてはご容赦願います。
べテル長老の話なので、当時のリアルタイムのものと推察されます(約15年前)。

中国の需要を調査するために、イギリス人奉仕者が1人派遣されましたが、
しばらくすると連絡が取れなくなりました。
次にアメリカ人奉仕者を派遣しましたが同様の結果です。
そこで、同じアジア人なら目立たないであろうという事で、
3番目に協会は日本人の奉仕者を送る事にしました。
まず目的は、行方の判らなくなった兄弟たちの捜索に変更。
期間も1週間だか10日だか(正確な日数は忘れましたが)、限定的なものにしました。
結局、帰国予定日になっても何の成果も得られなかったのですが、
空港で男性とぶつかったそうです。

兄弟、こっちを見ないで下さい。あそことあそこにいるのが警察です。
あっちにいるのが仲間の兄弟です。
最初に来た兄弟は殺されました。2番目の兄弟は投獄されています。
私たちは大丈夫ですから心配しないで下さい。
それよりも物質主義の誘惑に負けないよう気をつけてください。

一方的にこのように話しかけられ、その場を後にしそのまま帰国、報告したそうです。
にわかに信じがたい話と思われるかもしれませんが、他にも
厳格なイスラム圏などでは改宗を迫る行為それ自体が
死に値する罪とされている地域も存在すると聞いています。
エホバの証人の年次報告で、国名を明かされていない
「その他」という地域があるのにはそういう裏事情もあるわけです。

輸血拒否にはいろんな動機付けがあって、

1つには他の信者の「つまずきのもと」とならないためであったり、
(新約の教えの1つ。信仰に堅く立つ仲間を動揺させるような行為への戒めだと思ってください)
1つには死の危険を顧みないような宣教を行っている仲間への負い目みたいなものであったり、
そうした利他的な要因も大きく働きます。少なくとも私の場合には。
ちょっとキリスト教に詳しい人ならピンとくると思うんですけど、
いわゆる「利他的」というのはクリスチャンが示すべきとされる「愛」そのもの…
とまでは言えないか。少なくともそれに近似するような精神だと思っています。
要するに、こうした精神下で示した輸血拒否という決定を軽んじて欲しくは無いと思います。
で、便宜上説明を最後にしましたが、
神への服従というのが無視しがたい最大ファクターである事もまた事実です。
神への服従は、神を喜ばせたいという意思の表れ、
文字通りのキリスト教の愛であるという認識で捉えられています。

輸血拒否の論拠については、

使徒15章29節「血を避けなさい」(新約なのでクリスチャンが縛られる命令です、本丸)
引用される他の聖句(上記命令に神学的な解釈を加えるための材料、所詮は支城)

つまり、輸血が安全だとか危険だとか、そういう目線では最初から見ていません。
神への服従すべき命令と映る、というか余計な枝葉をバッサリ落として使徒15章のみに注目すると、
もうそのようにしか見えない。理由はそれだけで十分となります。
使徒15章の解釈がひっくり返るような反証が示されない限り、まず変更はありえないと思います。
遠く離れた支城をいくら叩かれたところで、本丸を落とされない限り何の影響もないという事です。
そしてそれはまず不可能、なぜなら言葉があまりにもダイレクトだから、
というのは前に説明した通りです。


> しかし、だからといって無輸血であることが安全などと思うのはかなり極端な発想です。

> 輸血しなくても助かる見込みが高い場合もありますが、しなければ助からない見込みが高い場合も確実に存在するのです。

についてはこんな感じで解答になるでしょうか?
少なくともそれを匂わせるような発言を私はした覚えがないので、
もし事実関係の点で理解の齟齬があるようでしたら全ログを再確認してみてください。
むしろ死よりも厄介な「後遺症が残った場合」についても、ほとんどのエホバの証人が考慮済みかと思います。


> なお「輸血」解禁が不可能というのは「全血輸血」が現在の医療制度が整っているところでは

についても医療分野ではなく、主軸はあくまで教理面からの考察になります。
最後の方では確かに医療面から説明しておりますが、それは向かい風が以前より弱まっているので、
教義の変更についてはますます不要になっている状況を説明しているに過ぎません。



> 我々の甘受している先進的な医療を受けることができない
> 貧しい地域にも大勢いることを忘れないで下さい。

> ですが教義において「輸血」を禁止、または「良心の決定」に委ねられるなどといって
> 暗黙の了解の下、実質禁止している事は、本当に「全血輸血」もしくはそれに準じる「血液」が必要な
> 重症・重篤な人や非医療先進国の人々を放置し、見殺しにしているとしか思えません。

この辺は無宗教者と宗教者で感じ方がかなり変わるんじゃないかな、とは思うのですが、
エホバの証人の場合、死はマラソンのゴールテープなんですよ。褒章はその先にある。
では自殺すればという事になるかもしれないけど、自殺は罪なので途中棄権ですね。
褒章は貰えない可能性のほうが高いという解釈です(不受理確定ではない)。

一般のキリスト教との違いは、主流のキリスト教が、キリストの死によって全人類の罪は贖われた、
よってあなた方はすでに罪のうちにはありません、褒章はすでに約束されているのです。
という考え(マラソンなんてそもそも不要)なのに対し、
エホバの証人は、キリストの死によって贖われた(買い戻された)のは
アダム由来の罪(永遠の命の見込み)であって、個々人に帰されるべき罪深き性向は顕在である。
あくまでクリスチャンの高き道徳基準を守る努力を世に示すことによって神の威光を称え、
忠実のうちに死を迎えることによって初めて褒章を得る(救いの権利を勝ち取る)という考えなのです。
ここで「マラソン=教理の実践」と置き換えるならば、それが何を意味するのか…
もし興味があるようでしたら、様々な角度から検証してみるとよいかと思います。

自分の意思でエホバの証人をやめたり、自分の意思とは関係なく排斥されたりというのは、
コース途中で寄り道している状態であり、重要なのは死んだ時どうだったのか、となるわけです。
(と、説明してみたものの、この辺きちんと理解してるエホバの証人少ないかも、特に若い人)

この辺の解釈を理解してくれと言っても完全には無理だろうと思いますが、
宗教者であれば、信念を貫き通して死んだならその人は幸せだったのだろう、
と結論する人も多いと思います。もっとも、主流のキリスト教に所属している人からすれば、
あんな異端の教えで犬死にした…という感想になるんでしょうが、
仏教あたりの方なら納得するんじゃないかと。

先進国と途上国の貧富の差からくる問題については…
我々人間の努力でどうにかなるものではないと、もうとっくの昔に諦めてますね。
だから我々先進国に所属している身としては、良心による自由裁量の部分で、
途上国の医療水準並みにまで自身を縛るという選択をする人も、あるいはいるかもしれませんし、
逆に最大限の選択肢を選ぶことによって、「自分にはそんな真似とてもできない…」と
周囲の信仰の弱い人を悲嘆させかねないような決定を避ける人もいるかもしれません。
こうなるともう、どちらの判断が優れているとかそういう問題ではなくなります。

あと、忘れられがちなようですが、排斥というのはけっこう重い罪です。
先に毎年の排斥が万人単位と書きましたが、その8割だか9割だかが性の不道徳だそうです。
でも海外だと、2度目3度目の排斥なんて当たり前。この辺は神を侮る行為と注意されていたかと。
一方、日本人は必要以上に深刻に捉えすぎているんだろうな…とは感じます。
とはいえ、排斥者の扱いについてはもう少しやり方があるだろうに、と思う事があることも確かです。
また、排斥処分の乱用があった場合には、その処分を下した人自身がいずれ、
神の前で自己弁護をしなければならなくなるでしょう、という解釈が聖書から導けます。



> ・ヘモグロビン値についてですが、誤解される方もいると思いますので補足しておきます。

これについてはありがとうございます。正直よくわかっていません。
輸血拒否の立場からすると知っているメリットは無いので勉強していません。


> ※出来ましたらどの学会で報告されているものなのか教えて頂けますでしょうか。ASH学会等大雑把でもかまいません;目ざめよや他の冊子の掲載記事号でも大丈夫です。

エホバの証人の出版物にそれなりに目を通している人物ならば医師会ジャーナルで通じると思ったのですが、
アメリカ医師会ジャーナル(JAMA)の事を想定していました。
いろいろ調べてみると、これは臨床データを扱うような雑誌ではないようなので違いそう。
前の投稿は記憶を頼りに概要をササッと書いただけなのですが、
その主張は、エイズを題材にした目ざめよ誌の1990年10月22日号のP12あたりと主に符合しそうです。
医学的知識をお持ちなようなので、今読んでも得るところはあまりないようにも思います。
まぁ…25年ほど前の資料なので、もし調べるのであれば、
その辺の歴史的背景なんかも差し引いて読んで頂けたらとは思うのですが。
死亡例についても言及があるので死亡報告0というのは私の勘違いのようで…
あと、想定していた臨床データ部分はその号には付随していなかったので、
そちらの資料(特定の医師の実績)あたりと理解をごっちゃにしていたのかもしれません。
う~ん、臨床データはどこにあるんだろう。検索ワードを広げてみてもなかなか見つかりません。

> 協会はそのボランティアの兄弟が「・・・輸血に代わる有効な手段があるという事実を病院職員に知らせます。
> また,緊急事態が生じると,初期医療に当たる医師と,エホバの証人に関して無血で同様の症例を扱ったこと
> のある外科医が協議できる場を設けるようにして,援助を行ないます。」と言っています…(勘弁して欲しいです)

出典は『ふれ告げる人々』ですか。
確か、協会内の一部門であるホスピタルインフォメーションサービス(HIS)が、
学会誌等からの最新の医学情報に目を光らせ、そうした最新情報を、
無輸血治療に協力的な医師や病院に知らせる~的な説明で、積極的情報発信と受け止めたんですね、当初は。
でもたまに会衆を訪れる連絡委員に聞いてみると、普段は普通の(といってもエホバ第一の)生活をしていて、
対話に応じてくれる医師が現れたら自腹でうんぬん、という話だったんですよ(まさにボランティア)。
つまり、もしかするとアメリカにおいては事実そうなのかもしれないけど、
その制度が日本には全くといっていいほどフィードバックされていないんじゃないかと疑っています。

目ざめよ1993年11月22日号P24のオーストラリアでの事例(特殊な熱帯病への対応)のような役割分担、
HIS:無輸血治療に特化したデータベース所有 ~ 支部デスク:HISへの要請窓口 ~ 連絡委員:医師との窓口
というような連携が、アメリカ以外の国での実情なのでしょう。
目ざめよのこの号からなら目新しい情報を幾つか発掘できるんじゃないかと思いました(P24-27)。
例えば、難しい事例の多い小児科用の対策マニュアルである
『エホバの証人の家族の世話と医療』(医療機関配布用/英語のみ、全260ページ)というのがあるそうで、
英語のままでもいいなら交渉次第で入手も可能なんじゃないかと思います。
いずれにせよ、連絡委員自身が、特に医療知識に優れているとかそういう事でないことは確かです。



隠れんぼさんの投稿も良い動機でなされた事が、1つ前の投稿で十二分に確認できました。
この書き込みからなにかしら得るところがあるならば幸いです。

#49 2014年07月24日 06:31:05

信者B
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

信者Aさんは現在のJW信条を本音で語ってくださっています。変にオブラートに包まない分、
JW.orgよりはるかに好感が持てます。偉そうですみません。

キリストの贖いはアダムの罪を相殺する法的根拠を備えただけで、救われるかどうかはその根拠+業=教理の実践
であり、その教理の一つが輸血拒否であるとはっきり認めておられます。その是非については論じません。

ただ思うのは、「輸血をしてはならない」であれば間違いなくダイレクトですが、「避けよ」としか書かれていないので、その
語句だけを取り出して救命行為として行なう「輸血」にも適用されるかどうかは、やはり解釈の問題かなあ、と感じます。

もちろん反証なんてできないので、拒否したい人はすればいいと思います。そう思った統治体の人が拒否して死んでも
そんなに批判しないと思います。批判されているは個の信念よりも、もともとが教義でなかったものを教義にして、その
1点で排斥にしうる組織としてのやり方が大きいと思います。WTがその理解に至って初めて、永遠の裁きを伴う禁止
事項になったのでしょうか。

先進国でも、事故や術中の不測の事態のために運ばれた病院では全血輸血以外に手の打ちようがないと判断されて
しまう可能性はゼロではありません。紛れもなく献血された血液から抽出された成分を個人の判断にしたのですから、
輸血拒否が間違っていたと認めないまでも、個人の良心(排斥・戒めの対象外)にする可能性もゼロだと言い切れますかね。
逆にそうなれば信者AさんはWT協会を見限るような印象を受けます。

「解禁になった!」とおおっぴらに喜ぶ人はさすがに少ないかもしれませんが、相当の批判は受けても、「漸進的な調整」と
唯々諾々と深く考えずに従う人が大多数でしょうね、悲しいことに。それに異議を唱えれば信者Aさんが頑なな背教者として
排斥されるのですよ。その二種類の信者いるので、WT協会もさじ加減を調整しながら、徐々に部分的緩和、
「神の明確な禁止命令」よりも「個人が判断している」ように見せたい表現の緩和にシフトしている段階と自分は見ています。

ある人にとっては1914年を起点として「その世代は過ぎ去らない」もあまりにもダイレクトで反証も否定もしようもない
聖書の真理でした。それを熱烈に支持したあまり排斥され、今は強力な批判者になった人もいます。輸血にタイムリミットはない
ので永遠に撤回しないことは可能ですが・・

WT協会を客観的に評価しながら、まず神を愛し、神に対して真摯であろうとする信者Aさんは組織にとって諸刃の剣でしょう。
このサイトに書きこむ時点で、WT協会のすべての指示に盲従してはいないのですから。

#50 2014年07月24日 18:58:40

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月24日 19:02:26)

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