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#1 2020年12月19日 15:03:42

ぜんざい美味しい
ゲストユーザー

マリアとマルタ 白か黒か

8年ほど前に組織と断絶した者です。
家族で脱塔したので、Jの聖書解釈について
「これ、おかしくね?(笑)」と思う点を論じ合っています。

聖書ではたびたび対照的な兄弟や姉妹を
比較して悪を強調する傾向にありますよね…

マリアとマルタの場合はどうでしょうか。

マルタの場合
メシアに最高のおもてなしをしたいという一心で食事の支度に明け暮れていて、
(化粧に何時間もかけていたなら話は別)
空気を読まなさすぎる妹への苛立ちが高じたのでしょう。

マルタは言います、
「主よ、私を手伝うよう妹に言ってください」

「マルタ、マルタ。あなたは余計なことに気を取られすぎています。マリアは良い方を選んだのです」とキリストは言いました。

ここでキリストはマルタを叱ったとは書かれていませんし、
マルタの頑張りをけなしたわけでもありません。

「そうですよ、マリア。あなたはもっとお姉さんを手伝うべきです」とは言わず、あくまで
「マルタよ、お気遣いなく。落ち着いてここに座りなさい」という意味で謙遜したのだと思います。

「主よ、まだ支度ができていないので、その辺に座っててください」と言われてマリアとマルタが2人で動き回ろうものなら、
「早く来すぎたかな…」と申し訳ない気持ちになって落ち着きません。
マリアは姉に支度を任せて、キリストがぼっちにならぬように気を遣ったとも取れます。

できれば「お姉さん、お客様が退屈しないようにお話相手をしていますから後はお願いしますね」という
ホウレンソウができていれば良かったのかもしれませんけど…^^;

それなのに
「マリアは良い手本」「マルタは悪い手本」
とする自己流解釈が横行し、王国第一優先で
家族の世話を顧みない主婦の多かったこと。
(きちんとする几帳面な人もいましたけど)

何かにつけて「私達はマルタではなくマリアの手本に倣うのよね!」と、
王国のことに没頭することを正当化する人たちもいました。

性格的に手を抜いたりできないマルタ寄り人間なので、
マルタを責めるような解釈には未だ釈然としないものがあるのです…

#2 2020年12月19日 16:13:15

てつてつ
メンバー

Re: マリアとマルタ 白か黒か

ぜんざいさん書き込みありがとうございます

協会の公式の解釈も 一般的なキリスト教の解釈も基本的に この状況ではイエスの話を聞くことのほうが重要だよとの解釈で同じかと思います

>「マリアは良い手本」「マルタは悪い手本」とする自己流解釈が横行し、王国第一優先で家族の世話を顧みない主婦の多かったこと。

奉仕者が自己流解釈「または巡回や長老からの間違った適用の助言もあったかもしれませんね cry 」で家事の手抜きの言い訳に使っているとすればふさわしくないかもしれませんね「ハァ?なんで女性だけが家事しなきゃならないわけ yikes という炎上の元になりそうなことはここではおいときます kiss

編集者 てつてつ (2020年12月19日 17:07:13)

オフライン

#3 2020年12月20日 19:35:33

ぜんざい美味しい
ゲストユーザー

Re: マリアとマルタ 白か黒か

てつてつさん

そうなんですね。
一般的な解釈でもイエスの話を聞くことの方が大事ということですか。。
私達は現役の頃、家族で客(巡回、または一般の信者や家族)を
もてなす側が多かったせいか、
マルタの方にどうしても肩入れしてしまうのです。

別の例ですが、
放とう息子と腹を立てた兄の例え話で
好き放題やらかした弟(はっきり言って自業自得)の生還祝いに、羊をほふると言い出した父親に反発する兄。

「自分は家のために一生懸命働いているのにここまでしてくれたことがない」と憤る兄に共感する人も少なからずいると思いますが、

まるで物分かりが悪いと言わんばかりの諭し方をする父親にモヤッときます。

アベルとカインに関しても、
アベルは本当に可哀想だったのか?
犯行に及ぶまでのカインの心境は?

両親のみならず神にまでえこひいきされる弟に
溜まりかねた鬱憤が弾けたのでは…?

となると、人類初の殺人を生み出した原因を作った「人類初の兄弟差別」を作ったのは誰か?

…など、HSPの私はどこまでも聖書の人物の背景を推察せずにはいられないのです(苦笑)

#4 2020年12月21日 17:38:48

てつてつ
メンバー

Re: マリアとマルタ 白か黒か

ぜんざいさん書き込みありがとうございます HSPて初めて聞きました大変ですね


>別の例ですが、
放とう息子と腹を立てた兄の例え話で好き放題やらかした弟(はっきり言って自業自得)の生還祝いに、羊をほふると言い出した父親に反発する兄。「自分は家のために一生懸命働いているのにここまでしてくれたことがない」と憤る兄に共感する人も少なからずいると思いますが、まるで物分かりが悪いと言わんばかりの諭し方をする父親にモヤッときます

放蕩息子のたとえも基本的な解釈は協会もティンデル聖書注解も大体同じかなと思います「天的級と大群衆の解釈は別」


それで弟が父親からもらった自分の財産を散財して身を持ち崩して落ちるところまで落ちたときやっと自分の愚かさに気づいて悔い改めて もう子として認めてくれなくてもよいのでなんとか父の家で使用人としてでも使ってほしいと考えて戻ってきたところ 父親は大喜びして飛んで出てきて使用人どころか最上の衣と食べ物で実子として祝って喜んでくれたということで  罪びと「ざいにんという意味ではなくイスラエルの神に信仰もっていなかった人だと思います」が イスラエルの神に信仰持つようになれば自然の情愛持つ親がどんな子供であれ死んでいたと思っていた子がまた戻ってきたときに示すであろう愛と喜びに満ちて迎え入れてくれるよ という点を強調する例えだと思います それで例えというのは物事のある面をわかりやすくまた印象に残る仕方で説明することかなと思いますのでこの例えであまり兄の怒りについて注意を向けるのはこの例えの重要な要点を見誤ることになるのではと感じました 「例えで完全に現実と一致するものはないと思います」

ネットみますとHSPの人は以下のような特徴があるとのことでした
①深く情報を処理する
場や人の空気を深く読み取る能力に長けていますが、情報を読み取りすぎるために必要以上に疲れてしまう原因にもなります。

それでこの場合は一生懸命がんばっていた兄に対する不公平な扱いと思われるものより 弟に対する神様の深い愛について思いを強めればよいのではないかと思います


あと兄の怒りについては協会もティンデル聖書注解も基本的に当時のパリサイ人またはそのような気質を持つような人たちを表していて ティンデル聖書注解では現在神から受けている良い物の価値を正しくは理解してはいないと説明されているかと思います

319ページ兄息子はそれらすべてを持っていた。しかし、パリサイ人のように、自分の特権の及ぶ範囲を理解していなかった。

というわけで

ぶどう園のたとえ

(マタイ 20:8‐15) …「夕方になったとき,ぶどう園の主人は管理の者に言いました,『働き人たちを呼んで,賃金を払いなさい。最後の者から始めて順に最初の者にまでゆきなさい』。9第十一時の者たちが来て,各々一デナリを受けました。10それで,最初の者たちが来たとき,自分たちはもっと受けるものと考えました。ところが,彼らもやはり一デナリの割で支払いを受けました。11それを受けると,彼らは家あるじに向かってつぶやきはじめ,12『これら最後の者は一時間働いただけだ。それなのに,あなたは彼らを,一日の重荷と焼けつく暑さに耐えたわたしたちと同等にした!』と言いました。13しかし家あるじは彼らの一人に答えて言いました,『君,わたしはあなたに何も不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリで合意したではないか。14あなたの分を受け取って,行きなさい。わたしはこの最後の者にもあなたと同じように与えたいのだ。15わたしが自分のもので自分の望むことを行なってもよいではないか。それとも,わたしが善良なので,あなたの目はよこしまになるのか…

の神様が事情によって少ししか働けなかったものにも憐れみ示して同じ賃金与えたときに約束のもの受け取っているはずの他のものが怒ったというのと同じかと思います「本当ならその人にたいしてよかったね とか雇用者の寛大さに喜ぶべきだった」

また この兄の本性がイエスを殺した耕作人と同じだとすると最悪かもしれませんね

(マタイ 21:28‐41) 28「あなた方はどう考えますか。ある人に二人の子供がいました。彼は一番目の者のところに行って,『子供よ,今日,ぶどう園に行って働きなさい』と言いました。29この者は答えて,『[行き]ます,[父上]』と言いましたが,出かけて行きませんでした。30二番目の者に近づいて,彼は同じことを言いました。この者は答えて,『[行き]ません』と言いました。後ほど彼は後悔して出かけて行きました。31この二人のうち,どちらが父の意志を行ないましたか」。彼らは,「後の者です」と言った。イエスは彼らに言われた,「あなた方に真実に言いますが,収税人や娼婦たちがあなた方より先に神の王国に入りつつあるのです。32ヨハネが義の道をもってあなた方のところに来たのに,あなた方は彼を信じなかったからです。ところが,収税人や娼婦たちは彼を信じました。あなた方は,[それを]見ながら,あとから後悔して彼を信ずるようにはなりませんでした。 33「別の例えを聞きなさい。ある人,つまり家あるじがいました。その人はぶどう園を設け,その周りに柵を巡らし,その中にぶどうの搾り場を掘り,塔を立て,それを耕作人たちに貸し出して,外国へ旅行に出ました。34実りの季節が巡って来たとき,彼は自分の実りを得ようとして耕作人のもとに奴隷たちを派遣しました。35ところが,耕作人たちは彼の奴隷たちを捕まえ,ひとりを打ちたたき,もうひとりを殺し,もうひとりを石打ちにしました。36彼は再びほかの奴隷を最初より大ぜい派遣しました。しかし彼らはこれらにも同じことをしたのです。37最後に彼は,『わたしの息子なら尊敬するだろう』と言って,自分の息子を彼らのもとに派遣しました。38その息子を見ると,耕作人たちは互いに言いました,『これは相続人だ。さあ,こいつを殺してその相続財産を手に入れよう!』39そうして彼を捕まえ,ぶどう園から追い出して殺してしまったのです。40それで,ぶどう園の持ち主が来るとき,これらの耕作人をどうするでしょうか」。41彼らは言った,「その者たちは悪らつですから,惨めな滅びをもたらし,そのぶどう園をほかの耕作人たち,[納める]べき時に実りを納める者たちに貸し出すでしょう」。

収税人や娼婦たちが悔い改めてイエスの下に来たときパリサイ人をはじめとする宗教指導者は喜ばず あげくにイエスを殺してしまいました

クリスチャンであろうとするならこのような悪い特質は避けなければならないと思います

あと自分は現在は聖書もキリスト教も信じてはいません cry 
ぜんさいさんの疑問に関して聖書的な答えならこうなのではと思っただけです
ここまで読んでいただきありがとうございます 長文失礼しました

編集者 てつてつ (2020年12月21日 18:31:11)

オフライン

#5 2020年12月23日 23:39:04

ぜんざい美味しい
ゲストユーザー

Re: マリアとマルタ 白か黒か

てつてつさん、こんばんは。

長文で丁寧な解説をしてくださりありがとうございます。
例え話ひとつに「これってどうなの…」と思うのって変なのでしょうかね…。

>クリスチャンであろうとするならこのような悪い特質は避けなければならないと思います。

趣旨はわかりましたが、それをそのまま適用してマインドまでJW色に染めなくてはならないのはもう御免です、と言ったところですね。

単刀直入に言うと、
すべてにおいて自分や家族には無理がありすぎた、今も戻る意思はゼロであるとしか言いようがないということです。

超人的すぎて、現実離れしてるところがあり、やっぱり自分には受け入れられないと、つくづく思います。せっかく情報をくださったのにすみません。

自分は断絶を決意した日から聖書もキリスト教もすべて捨てたつもりですが、

バプテスマを受けて2年ほど経った頃から世的な趣味嗜好を持つようになったことで、度々開拓者や長老から、聖書を用いて「こう書いてあるでしょ」的な説教を受けていました。
毎週水曜日に聖句と一筆箋を送られてくるという非常にありがた迷惑なこともありましたね…
(本人は神のみ前で善いことをしているつもりでいたので迷惑だと言えませんでしたが)

今も時折ふつふつと思い出すことがあり、一方で超人的な愛の面を見せたかと思いきや、もう片方で「忌避」だの何だのと恐ろしく冷徹な面を見せられ、心身のバランスを徐々に崩していったことが断絶への道を選ばせたのだと思います。
(カルトあるあるな感じですね)

人や教理に対する恨みより、世から隔離された場所にいた頃があまりに空虚で友達もおらず、長い年月が孤独であったことが悲しくなりますね。

つまらない話に付き合ってくださりありがとうございました。

注: HSPとは物事を真正面から捉え、杓子定規のようにきっちりと自分に当てはめようと無意識に努力してしまう傾向があります。
私の場合は他の人からの助言(特に聖句を用いた場合)絶対に聞き従わなければいけないという気負いがあり、自分の中のもっと外の世界へ出ていきたい気持ちとのせめぎ合いで非常に苦しかったです。

職場や学校でも正直に自分の立場を証言して、大会の休暇をもらう、イベント不参加の理由を述べていましたが、

実際に組織で今も生き残っているであろう人は
「言わなくてもいいことは言わない」し、理由を聞かれたら、シンプルに「都合が悪い」の一言で済ませているとのことで、協会からの指示を真に受ける自分としては、「こんな時こそ証言しなきゃいけないんじゃないの?」と混乱したものです。

聖書の基準に適用しなくてはいけない、そのとおりに生きなくてはいけない、思考や人格を入れ替えなければいけない、自由に生きたいなんて願ってはいけない…
これらがすべて「無理」だったのです。

長文失礼いたしました。

#6 2020年12月24日 12:06:48

てつてつ
メンバー

Re: マリアとマルタ 白か黒か

ぜんざいさん返信ありがとうございます

>例え話ひとつに「これってどうなの…」と思うのって変なのでしょうかね…。

いやいやみなさんそれぞれ考え方の違いがありますのでそれはそれで良いのではないでしょうか もしかするとイエスも例えの真意は一般的に解釈されているのとは違う意図がある場合もあるかもしれませんし「本人に聞くしか本当の意味はわからないと思います」 注解書といえどあくまで著者の解釈ですのでたぶん著者が違えば別の解釈もあると思います

>単刀直入に言うと、すべてにおいて自分や家族には無理がありすぎた、
超人的すぎて、現実離れしてるところがあり、やっぱり自分には受け入れられないと、つくづく思います。

ものみの塔だけでなく一般的キリスト教 はては仏教その他あらゆる宗教にそのような一面はあると思います「ゆるいのもあると思います」

>人や教理に対する恨みより、世から隔離された場所にいた頃があまりに空虚で友達もおらず、長い年月が孤独であったことが悲しくなりますね。

自分は607年の教理がウソだとわかって断絶しました 現役のころは王国会館建設とかによく参加してましたし 会衆の方もわりと良い方が多かったですので特別孤独を感じたことはなかったと思います「独りよがりかもしれませんが 」約25年くらいいたと思いますがこれも人生勉強の一つかなと思っています あと聖書の知識とか人前での話し方とか「ネクタイの締め方も知りませんでしたし cry 」おかげでタバコもやめれたので良かったこともあったと思っています


>つまらない話に付き合ってくださりありがとうございました。

いえいえこちらこそまたよろしくお願いいたします kiss

編集者 てつてつ (2020年12月24日 12:11:59)

オフライン

#7 2020年12月29日 12:23:48

てつてつ
メンバー

Re: マリアとマルタ 白か黒か

てつてつ> 注解書といえどあくまで著者の解釈ですのでたぶん著者が違えば別の解釈もあると思います

田川健三さんの ルカ注解によるとこのたとえ話はイエスというよりルカ自身のドグマに合わせた作り話ではないかということですので 真剣に神様の言葉と読み込もうとすると細部が気になってくるので 人間が創作したお話と考えればああ全体としてこういうことをいいたいわけねと考えられて気が楽になるかもしれませんね kiss

編集者 てつてつ (2020年12月29日 13:09:49)

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