ログインしていません。

#51 2019年06月09日 00:30:48

めぐママ
メンバー

Re: 聖書・その背景を考える

カレブさんが教えてくださった ストローマン  論法

ダビデも パペット人形 だと考えることにすると  楽しく 読めます。

娯楽  というとらえかた

道楽ですね。  やはり。

あまりに打ち込むと 三昧 の境地に堕ちます。

オフライン

#52 2019年06月09日 01:09:38

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

民数記の記録が大本営発表なら(実は数えていない)ばれたら困ります。
いわゆる粉飾決済を今までずっと隠蔽していたなら、それを掘り起こされたら
真実が明るみになってしまう。だから調べたら、つまり今までの戦果やその他諸々
きちんと数えて在庫調査、決算を行われたら非常にまずい。
ダビデの災厄の話は、それを誤魔化すために誰かが書き加えたかと思います。
全能の神の御業でない事を祈ります。

#53 2019年06月09日 02:27:59

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

訂正
粉飾決済 → 粉飾決算

ほいさんの主張と私の主張、そんなにずれてると思えないのです。
話し合う機会が得られたら面白いかも。多少の齟齬はあるかもしれませんが。
原理主義に走ると実情と合わなくなる→聖書が書かれた背景を考える→原理主義的な解釈ではなく、よりソフトな宗教観が持てるような感じに思っています。
聖書を全て否定ではなく、文献やデータを見ながら分析する仲間が増えるといいなと思いますが、需要がないのかなと思ったりもします。神学者が言うことが全てではないし、色んなところから科学的なデータを持ってきたり、もう一度検証した
り、楽しいと思うのですが・・・聖書を読んで疑問に思うことを書いたり・・・自由にしてはいけないのでしょうか?

閲覧者の方は増える一方なんですよね、なぜか・・・
夜更かしし過ぎました・・・おやすみなさい。

#54 2019年06月09日 03:15:31

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

眠れず、書き込み・・・ちょっとお休みします。
まとめてカキコ。

*ヘブライ人は正確に大きな数を数えられたのでしょうか。あまりにヘブライ数字は数字として使いづらい。

もし、民数記の戦勝記録もすべて「大本営発表」だとしたら・・・失礼かもしれないが「極端に言うと1,2,3,後いっぱい」みたいに大きな数を数える時に丼勘定のように表現していた可能性は?

確かにそれでは神の御心通りに他部族のジェノサイドも完了しなかったと思います。

ヘブライ人は自分たちを大きく見せるために誇張表現をとる癖があるのかもしれない。

しかし、普段からそういう「粉飾決算」をする癖があると都合が悪くなる事がある。つまり、ダビデ王が「このたび在庫調査・会計報告を一度きちんと執り行う」的な発言をした場合、「大本営発表」やら「粉飾決算」やら噴出し、もはや神の威光に関わる、信仰心が揺るぎかねない事態に陥る。

そう考えれば、虚偽の記録・報告を揉み消そうとしてダビデの災厄話をでっち上げた可能性も考えられる。
「数える事は神に背くことなので神罰が与えられた」
何という都合のいい聖句。統治体も「正確に数えることは悪いこと~♩」とか言い出しかねません。

でも、それでも私は「神」自体の存在は信じているのです。

#55 2019年06月09日 18:42:17

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

まあ、あまり需要もなかったし、もしまた機会があれば書き込むかもしれません。
さまよえるユダヤ人かな・・・

もう一度、出エジプト記を振り返りいったん中止します。

まず、出エジプト記を読むと、そのルートに新たな可能性がある事が分かります。
聖書の記述では、エジプトを出て荒野を紅海に沿って回った事が書いてあります。その後、エジプト軍をおびき寄せる
ために一度もと来た道を戻り、再び海を渡ったとありますが、紅海を渡ったならもう一度エジプト国内に戻った
ことになりますので不自然です。アカバ湾を渡ったならアラビア半島に渡ったのち、シナイ半島に戻り、エジプト軍をおびき寄せて全滅させ、再びアラビア半島に渡り、そののち、途中までモーセの舅のエテロの道案内でアラビア半島を40年間彷徨ったことになります。これなら「ハッピーアラビア」と呼ばれたイエメンに向かおうとしていたのでは?という疑問が浮かびます。イエメンもけして良い条件ではありませんが、「緑のアラビア」と呼ばれており、「アデン」などの都市があり貿易の中心地となったこともある「裕福な事で有名だったシバの女王」の国です。イエメンの人たちはノアの息子セムの子孫と言われており、そこにモーセは人々を導こうとしていたのかもしれません。しかし、アラビア半島は気候も厳しく集団の長旅には向いているとは言い難い。砂漠は目印もないので、大キャラバンを率いての旅には無理がある。結局、今のイスラエル周辺に戻ることになったのかもしれません。エジプト軍もヘブライ人の残した土地や家に気を取られ、深追いはしなかったのかもしれません。実際、ヘブライ人は周囲を異民族に囲まれてしまいました。そして行く当てもなくシナイ半島まで戻り40年間を費やしてしまったのかもしれません・・・・・

#56 2019年06月09日 20:15:12

三太郎
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

大昔の砂漠の民って、集団で目印もない砂漠を移動するとき、どうやって水を確保してたんですかね。カラハリ砂漠のサン人はスイカで水分補給していたみたいだけど。弥生時代のボートピープルもスイカ積んで日本に来たようですね。

日本もそうだけど、昔の人の体力や忍耐力ってすごいと思う。
仏僧たちが登った日本各地の山にはいろいろな伝説がありますが、登山やったことがある人ならわかると思いますが、山って上の方は石だらけで普通のスニーカーで登ると、ヘタしたら一回で靴底がダメになる。それを地下足袋みたいなものと粗末な装備で登ったんだろうけど、感服してしまう。同じ人間とは思えません。現代人が失ってしまった能力って沢山あるんだろうなあ。

#57 2019年06月09日 23:13:25

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

私は他の方と違いあまり高度な内容も書けませんが楽しければいいという遊びの部分が
あっても良いと思いまして・・・・

同じ光景が続くと人間は無力ですね。私は森林公園で迷った事があります。ちょっと大きな公園
ですが、公園というより整備されていない山。人を探してちょっと立ち入り禁止すれすれの奥まで
入ってしまい二次災害。当の本人は無事戻ってきていました・・・
元の駐車場に戻るまでに数時間。昼頃迷い始め、駐車場に辿り着いたのは夕方遅く。辺りも暗く死ぬか
と思いました。遭難するというのはこういう事をいうのかと冷や汗をかきました。それが同じところを
ぐるぐる回るんです。おかしいこの案内さっきも見た・・・と。遭難する時は思考のスポットにはまって
いる時でもあるんですよね。記憶を頼りに戻りたくても同じ光景ばかり。パリダカールでサッチャーさん
の息子が遭難した話を思い出します。

シナイ半島で40年間彷徨ったというのはその点、違和感があります。シナイ山という砂漠で目立つ目印
があるので平坦なシナイ半島を歩くなら、どちらの方向にシナイ山を見たか、またシナイ山に登る太陽の
方向、北極星などで3周もすればぎりぎり自分がどこを通ったか分かると思います。しかし・・・シナイ
ではなく、アラビア半島を彷徨ったと考えると恐怖を感じます。
地図のない時代、案内役のミディアン人舅が頼りだったでしょう。もしイエメンに向かおうとしていたの
ならミディアン舅に騙されたのか・・・シナイ半島迷子説はやはり疑問が残ります。シナイ半島にはモーセ
ゆかりの湧水地が残されているのですが・・・意図的にモーセが迷ったか。

砂漠で水を見つける方法・・・考えづらいのですが水の匂い?オアシスの匂い?
私が山で迷った時はとにかく上を目指しました。下に降りても出られないんですよね。谷だから・・・
気づくのに時間が掛かりました。砂漠は?シナイ山に登った?シナイ山の頂上からオアシスを探した?

#58 2019年06月09日 23:16:48

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

ちょっと週末まで休みます。

#59 2019年06月10日 18:57:51

ほい
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

シセイさん、お疲れさまです。
独特の視点をお持ちのシセイさんの投稿は面白いと思いますよ。ご自身のトピックですし、楽しく読んでおられる方々もいるでしょうから無理のない範囲で続けられていいのではないでしょうか。

残念ながら、私は仕事や家族、更には会衆のことに追われて猫の手も借りたいような状況で、クリスチャンからは不謹慎と言われるでしょうが、なかなか腰を落ち着けて改めて聖書を研究するという時間がほとんどとれないのが現状です。
子供たちが成人して、もう少しゆとりをもって自分の時間が持てるようになったら、いろいろ調べてみたら面白いかもしれないとは思っているのですが。

また、何かの議題で交流できると嬉しく思います(^^)

#60 2019年06月10日 22:16:02

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

ほいさん、こんばんは。多分、私は誤解されるタイプだと思います。私自身は「神」の
存在は信じているしイエスに対してもこれから自分で調べていこうと思っています。
たまにいると思いますね。こういうタイプ・・・・自分で調べたいタイプ。
閲覧者の方もおられるようですので、続きを書きますか・・・
私のHNを見るのも嫌だという方もおられると思いますが、しばらく休む前に
ひとつ・・・

モーセたちが食したうずらですが、ヨーロッパウズラという種で、日本のウズラとは異なります。
このウズラ、人によっては体質の関係で「急性腎不全」を引き起こすこともあるそうです。
何でもそういう体質の人にとっては注意を要するそうです。この話は学者の間では知られている
とか。ググってみてください・・・以下リンクです。

ヨーロッパウズラ 

モーセたちを襲った病は、このヨーロッパウズラが原因ではないかと言われているようです。
ヨーロッパウズラはアフリカ~中東(シリア辺り)間の渡りをするそうです。
エジプト~アラビア半島北西部でしょうか。私的な話ですが、ちょっとした聖書の一文を見落とさず
拾うとまた楽しからずや。
モーセたち一行はエジプト~アラビア半島北西部ミディアン人居住区~アラビア半島西部山岳地帯
~カナーン人の土地へと移動したと想像できるかも・・・

聖書は誇張表現もあり、しかし本当の事も書いてある。注意深く読むとまた面白い発見も
あるかもしれません。
出涸らしみたいな話題ですみません。私のトピは「閑話休題」的に読まれるとまた面白いかもしれません。

#61 2019年06月11日 06:54:40

三太郎
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

堂々とブレずに続けたらいいですよ。

今までになかったマニアックな視点はなかなか面白いと思う。『新しい光』か。。。(笑)

読む人の反応に一々媚びてたら出るものも出なくなってしまいます。勿体無いですよ。外野のノイズなどドルビーNR (古い...)でカット。図太くでOK牧場。

ウンザリ再放送を目にするより、新鮮で刺激的。

#62 2019年06月11日 07:18:51

めぐママ
メンバー

Re: 聖書・その背景を考える

おはようございます

シセイさん その通りですよ。  でも わたくしは  少し投稿を控えますね。

何か 誤解しておられるようですので 。 三太郎さんのところも  とても良いですから楽しみにしてますけど  何やら こんがらがっておかしな事になってきました。

オフライン

#63 2019年06月11日 15:51:49

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

Wikisourse  民数記より

32 そこで民は立ち上がってその日は終日、その夜は終夜、またその次の日も終日、うずらを集めたが、集める事の最も少ない者も、十ホメルほど集めた。彼らはみな、それを宿営の周囲に広げておいた。

33 その肉がなお、彼らの歯の間にあって食べつくさないうちに、主は民にむかって怒りを発し、主は非常に激しい疫病をもって民を撃たれた。

34 これによって、その所の名はキブロテ・ハッタワと呼ばれた。欲心を起した民を、そこに埋めたからである。

=========================================================

** ヨーロッパウズラには毒があり、人によっては腎不全を起こす。それは今でもそうです。この時だけの出来事ではない
のです。しかし当時の人はそれを知らず、「神が激しくお怒りになった」と捉えた。ヨーロッパウズラは砂漠の貴重なタンパク源です。取り過ぎた民は確かに強欲だったかもしれない。しかし、彼等はそれを食べていたのです。無駄にしていた訳ではない。たまたま耐性が無かっただけ。この一文をみれば分かるのですが、古代の人は科学的に解明されていなかった事象を神の力、お怒りと捉えた。

民数記では神の怒りに触れたと言って幾人も処刑されている。この一文に表されているように、理解不能もしくは都合の悪い事が民衆に起きた時、「お前のせいだ」と言われ処刑されていた可能性が・・・というよりそうでしょう。処刑されていた。これを読み解くのはどれだけ苦しいか・・・

これの背景に目を向け、単なる歴史と考えなければ精神のバランスを失う。

#64 2019年06月12日 04:14:40

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

深夜に書き込み・・・少し余裕が出来たので・・・私的な事ですみません・・・
駆け込みでカキコ。本当にこうやって書き込んで申し訳ない。管理人さんも閲覧者の方も
少しは楽しんで頂けているでしょうか?これでも何とか自粛しながら書いています。閲覧者の
方がいらっしゃるので・・・・・


では民数記、読んでいきます。皆さんも心の中で突っ込んでおられるでしょう。ヘブライ人の大群衆は
どうやってパンにするための小麦を手に入れたのか?彼等は旅をする遊牧民です。小麦の栽培はできない
でしょう。

「釜土が一つあれば6人の食する者がいる。」(by 曹操)
この通りだったとすれば、ヘブライ人は400万人前後はいたことになり、これはもはや、当時の規模で言えば
「国家」レベル

民数記とは文字通り民の数を数えた記録。この大集団がせめて数千人規模だったとして、各個人が小麦を手に入れる
ために交渉に当たったとします。当然、地元民にはぼったくられます。このぼったくりに遭わないためには「責任者」
が実力で交渉に当たる必要性があったのかもしれません。そのためには「責任者」が各戸から小麦の取引に使う銀を徴収
し、武力で威嚇しながら「代表として事に当たったかもしれません。」民数記の銀等の徴収に関する記録は裏にこういう
事情があったのでしょう。食料を公平に分配しなければ、旅において脱落者が出てしまうため、一度銀を中央に集め代表が小麦を購入し、各戸に人数分分配するというシステムが構築されたのかもしれません。

民数記は、出エジプト記と違い、記録の書という性質があります。残虐話に目が行きますと精神に負担が掛かります。
古参の方、ごめんなさい。もう知り尽くした内容でしょう。現役の方、いかがでしょうか?

#65 2019年06月12日 04:36:03

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

民数記の謎に、モーセたちは、「天幕の上に雲がある時はそこに留まり、雲が天幕から離れ上る時は進んだ」という
事がありますが、これについては知られている事かもしれず、私なんぞがもはや書くことではないと思うのですが
念のため・・・
三太郎さんがおっしゃっていたように砂漠で何を目印にしたのだろうという疑問なのですが、確かに砂漠には目印は
無いです。ですからこの時はシナイ半島や砂漠を移動していないかもしれません。
雲の話ですが、「日本気象協会」の世界気温というサイトを見れば、偏西風がアフリカ~中東に向け吹いているのが
衛星写真により、雲の移動を見られるので分かります。この雲は地中海、エジプトを通過するとシナイ半島上空で消えて
しまいます。また、サウジアラビアの山岳地帯を越えて砂漠の上空に達すると消えます。地中海を渡った雲はイラン辺り
まで届きます。モーセたち一行は偏西風に乗って移動する雲を見て、方角を見定めていた可能性もあります。
という事は、雲の掛かる地域を旅していたのでしょう。
銀のラッパや警報で順に隊を動かしていたと記されているので、それなりの常識的な規模の隊なら旅が出来た可能性も
あったかも・・・

#66 2019年06月12日 04:55:18

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

ではこれで今日はラスト・・・

マナについてはがっつり民数記に書いてあります。wikisourseより引用で申し訳ないのですが
11章
7 マナは、こえんどろの実のようで、色はブドラクの色のようであった。

8 民は歩きまわって、これを集め、ひきうすでひき、または、うすでつき、かまで煮て、これをもちとした。その味は油菓子の味のようであった。

9 夜、宿営の露がおりるとき、マナはそれと共に降った。

こえんどろ、すなわちコリアンダーの事ですが、コリアンダーの実は茶色くて丸い小さい粒で密集して採れます。
コリアンダーの実にそっくりな挽き臼で挽いて粉にして、釜で煮て餅にできる雑穀があります。それは「粟」
です。
粟は中東でよく食されている雑穀です。イエメンなどでも栽培されています。
これにギョリュウという乾燥地域に適した樹の樹液をエサにする虫がいるのですが、この虫の排泄物が
糖分でできており(虫が消化出来なかった糖分)中東の人は甘味料として現在でも使用するという話です・・・
を混ぜて食していたのではないかと思われます・・・・・。この虫の排泄物は白くて霞みのようであり、朝方霜の
ようにうっすらと地面に積もっているそうです。
粟にせよ、ギョリュウの樹液にせよ、自生している、もしくは畑で栽培している地域に行けば普通に手に入るもの
ですが、モーセたち一行は、勝手に畑の粟を食べてしまったかもしれません。天からの恵み物だと言って
しかし飢えには勝てなかったのかもしれないし、生きるためには必要だったのかもしれません。
どこかで聞いたエピソードですが、それはここではこれ以上追究しません・・・・

手前味噌ですが、結構面白い事言ってると思うのですが・・
それじゃネタ探しときます。いかがでしょうか。現役JWの方、統治体ではこういう事は言わないでしょう.....

#67 2019年06月12日 05:14:30

めぐママ
メンバー

Re: 聖書・その背景を考える

天からの パンが降って来た。  という説は  今なら  支援物資がヘリコプターで
という映像が浮かびますが 。
どんなに考えても  信仰の力では  説明できないのではないでしょうか。
物語  としては  ステキな  演出ですね。

イスラエルの物語の中では戦闘シーンが多くて  今日まで それを引き合いに出して 戦争をすることの正当性にしていた 将軍 がいます。
これも 夢みる者  ですし  晩年には 後悔している人  あくまでも  あれは 正しい事だったと言い張り続けた人も います。在郷軍人会  の同窓会  ただの 同窓会とは違う雰囲気です。

イスラエル が分捕りもの  とした物 よそんちの 果樹園から 頂いた物 や 敵国の娘  周囲のアッシリア人とは 区別して描かれていました。
現在ではどうなんでしょうか?

マナ  について  ありがとうございます。
虫  ですか。それなら分かりますよ。

オフライン

#68 2019年06月12日 10:13:54

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

シセイ さんの発言:

民数記の謎に、モーセたちは、「天幕の上に雲がある時はそこに留まり、雲が天幕から離れ上る時は進んだ」という
事がありますが、
                        ~省略~



モーセたち一行は偏西風に乗って移動する雲を見て、方角を見定めていた可能性もあります。
という事は、雲の掛かる地域を旅していたのでしょう。
銀のラッパや警報で順に隊を動かしていたと記されているので、それなりの常識的な規模の隊なら旅が出来た可能性も
あったかも・・・

追記
天幕の上に雲があれば風が無く、雲が無ければ風が吹いているということで・・・

モーセたちがフェニキア人のように海洋民族だったらどうだったでしょうね、イエメンまで下った後、南インドまで行ったかな・・・
風を読む・・・風が吹いてきた・・・風は弱冠ガスティ・・・帆を風に立てろ!!さあ迎え約束の新天地へ・・・俺たちの新天地へ・・・・・・・・・

#69 2019年06月12日 11:11:23

山のアザミ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

シセイさんの物語

  何だかんだ言っても、さらっと見てますよ。
(ღˇᴗˇ)。o♡
一生懸命沢山調べて下さり、

ありがとうございます。

私も、聖書の歴史に興味あるから、

面白いです◝(⑅•ᴗ•⑅)◜

ただ、他の方のコメントだったか、

  エジプトのピラミッド建設の人足は、奴隷では無いこと、近年わかったから、
聖書はデタラメというの、あれ、間違ってます。

  聖書にはピラミッド建設をどんな人々にさせたか記述無いから。

私、今でも、嫌いな記述あっても聖書大好き人間ですから。

  また、続き、ゆっくりで良いから、お待ちしてます。

   待ってるし…(^o^)ソイヤッ

   ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ワクワク

#70 2019年06月12日 11:34:45

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

訂正 迎え → 向かえ

勢いで書いているから誤変換多し・・・・・後でおおお・・・となります。

#71 2019年06月12日 22:31:46

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

民数記、確かに残酷描写に目が行くと心が折れます。しかし、民数記の中に砂漠の知恵を見いだした
私は慰めを得ています。私が特定のおバカさんでも構わない。デカルトではありませんが、考える事
が出来る自分(人間ですからね)、そしてこの世に生まれた奇跡を考える時、その奇跡的な存在に
対してなんとくすしい事かと心で分かるようになりました。変な意識ではないですよ、意識のない存在が
大半のこの宇宙で、考える葦であるとは何という奇跡かという意味です。私は「神」の存在を信じています。
それが例えどんな姿でも。うまく行けばモーセのように「主の姿を知る」事ができるのなら良いのですが。
私は「神」は超越した存在だと考えています。そうする時、なぜか見えてくるものがある。

さて、民数記ですが、ここから先は私の個人的推理になりますから「閑話休題」的に見てください。
モーセは七枝のメノラーを作製するように命じました。なぜ七枝なのか・・・神学的には「神の叡智」を
表していると言われています。そうだと思います。しかし、象徴という事を考えると偶像崇拝につながる
危険もあるかもしれません。モーセはもっと合理的な人でした。
ヘブライ人は一日を日の出から日没までと考えました。そして昼間を4つの時に分けました。有名な話ですね。

Wikisourceより
ネへミヤ9章
3 彼らはその所に立って、その日の四分の一をもってその神、主の律法の書を読み、他の四分の一をもってざんげをなし、その神、主を拝した。

しかし、モーセは燭台が油切れを起こさないように灯火を絶やさないように命じました。つまり、灯火の番をする事で時間
が分かるのです。一定間隔ごとに油をつぎ足す回数で時間の経過が分かる。砂時計のようなものです。
荒野では時間の経過も分かりづらいと思います。ロビンソンクルーソーの物語ではありませんが、洞窟に傷を付け、今何日の何曜日なのかを知るような事をイメージすると良いかもしれません。ダニエル書でも黙示録でも7つの時という表現が良く
使われますね。7は時間の経過と何らかの関係はあるでしょう。
火時計をご存じですか?火時計は随分後になって中国やヨーロッパで使用されるようになりました。ろうそくの燃え具合によって時間を知る時計です。大まかな時間になりますが、大体の時を知ることができます。それと同じ理屈で燭台時計を
作製したのではないかと思います。時間を把握するという事は戦闘の作戦計画に必要な事です。
一日を7つの時に分け、七枝のメノラーを作製し灯すことで、油の減り具合、継ぎたす回数で時を知る。
ギデオンに神は伝えました。川の水に犬のように口をつけて飲む者は作戦から外すように。つまり荒野で生きるという事は
厳しく、そして持ち得る能力を出来るだけ使わなければ死が隣り合わせです。

こうやって考えると、民数記はろくでもない話というより「砂漠で生きる知恵」を読み取る事が出来ると思います。
確かにヘブライ人は他民族にとってろくでもない存在なのです。戦場ですから・

長くなってすみません。サバイバルについてもっと語りたいのですがこの辺で

#72 2019年06月12日 22:49:49

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

シセイ さんの発言:

ギデオンに神は伝えました。川の水に犬のように口をつけて飲む者は作戦から外すように。つまり荒野で生きるという事は
厳しく、そして持ち得る能力を出来るだけ使わなければ死が隣り合わせです。

こうやって考えると、民数記はろくでもない話というより「砂漠で生きる知恵」を読み取る事が出来ると思います。
確かにヘブライ人は他民族にとってろくでもない存在なのです。戦場ですから・

訂正  逆ですね。水ぎわに連れてきて、膝を折り、かがんで飲む者は作戦を外されました。警戒を怠らず
    手ですくって犬のように舐めるように水を飲み、周囲に警戒を怠らなかった者が選ばれました。

#73 2019年06月13日 10:07:42

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

単なる推測と片付けるまえに・・・「香時計」を参照してみてください。以下、リンクです。
コトバンク
梅薫堂さん「香時計の話」

単純な疑問です。時計のない時代、特に夜間、どうやって祭司たちは時間を計っていたの?

だから聖書もそうやって読んでいくと面白いでしょう?仲間がいればな・・・
どうしてJW時代のように「何かに縛られて」「何か聖書に発見があっても叱られ」なければならないの?

もっと楽しく交流できたらな・・・別に新興宗教立てるとか、私だけが真実だとか言ってないのにね。

私だけが真実だとか疲れると思うけどね。「キリスト教を斜め読みお茶のみ談話会連合」として楽しく
やれると思うけど・・・

#74 2019年06月13日 13:51:49

山のアザミ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

シセイちゃん、

本当に私も同感!
  マッタクʅ(´=c_,=`)ʃ

  夜はある時は月の位置で時刻を知ったかと考えられるけど、

  月のない月(駄洒落ではないよ)
はどーしたのかな?
私も努力して、調べて見ますね。

     ( ˙꒳˙  )???

  思い起こせばJW時代って、おそろしかったね。

  聖書のここ少し疑問が…とでも言おうものなら、

「姉妹、今週、長老達との話合いの時間取ります!」

とか、審理委員会騒ぎに発展されるからね。

   (*」>д<)」ォーー!(>д<*)コワイ

   用事あり、
また後で…

       (*^-^*)ノ~~マタネー

#75 2019年06月13日 14:40:23

シセイ
ゲストユーザー

Re: 聖書・その背景を考える

ヘブライ人は割と時間に関しては丼ぶり勘定に見受けられます。一日の長さを日の出から
日没まで
と考えて、現代でも過越の祭りの時に厳正にそれを守るとか・・・
でも、日の出も日没時間も変わるんですよね。当たり前ですが・・・なんせ地球は円盤だと考えられて
いた時代ですから。昼間の時間がその時によって変わるから取り決め等で苦労したでしょう。月の動き
を見て時間を計ろうにも、昼間の時間が変わっては・・・・・・
おかげで聖書の中でも一日の長さが一日から千年までと変わる変わる・・・・・・
割と時計は近代まで色々苦難の歴史があるようです。時間を正確に計るという事は意外にも難しく、海の
上でも砂時計を兼用していたとか・・・

天体を正確に計測し、暦を作るって至難の業なんですよ。その点、古代エジプトは凄い。
一年を365日と計算し、閏日まで考慮されていたから。日本なんて伊能忠敬の時代に
暦と季節が合わないと大問題になったレベルです。伊能忠敬の日本全国測量の旅のきっかけと
なった騒動です。
多分、モーセたちも月や太陽、燭台の火を利用して時間を計っていたと思います。
実際に寺院では、線香の火を絶やさぬように注意しながら、香時計を使用していたそうです。

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