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#1 2017年04月16日 08:36:54
- 黒ちゃん
- ゲストユーザー
エルサレムの陥落 607年問題
こんにちは。
私はJW自然消滅してる者ですが、余り熱心ではなかったため研究を怠っていました。
なので元JWでありながらお恥ずかしいのですがエルサレムの歴史を今一良く解っていないです。
世界史も苦手でしたので歴史そのものがよくわかっていません。
でも最近、このサイトの議論を見ていてJWの信じている事が正しいのか間違いなのかきちんと調べて見てみたいと思うようになりました。
熱心なJWの姉を救いたい気持ちもあもあります。
エルサレムの歴史を調べる資料となるものをネットで探してみたのですが何から手をつけたら良いのか困っています。
何かよい資料はないでしょうか?
#2 2017年04月16日 10:00:17
- カレブ
- Administrator
Re: エルサレムの陥落 607年問題
>wikiを参考にされるときはご注意ください。
>現JWが捏造記事をUPしている場合があります。
Wikipedia では
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90 … 5%E5%9B%9A
西暦前607年の部分のエホバの証人の改ざんは訂正されましたが、いまだに「バビロン捕囚の終焉」の部分が
ものみの塔記事のコピペによる捏造のままになってますね。
http://ameblo.jp/jwstudy/entry-12141545957.html
バビロンからの帰還は聖書によるとBC537ではなくBC538になるのですが
ものみの塔やyangmaskさんは「シミュレーション」でBC537年になると主張します。
WTも同じですが、聖書を使ってWTの間違いを指摘すると聖書を無視します。
さらに考古学も無視します。WTが何かの年代を支持する場合、それはWTの教理を守るという動機しかないからです。
上記のWikipediaを改ざんしたエホバの証人も同じで
まずはWTの教理をどうしても守らなくてはならないという動機で動きます。
それ以外のあらゆる確固たる証拠は全部無視してしまいます。
>エルサレムの歴史を調べる資料となるものをネットで探してみたのですが何から手をつけたら良いのか困っています。
正確な情報を得るには図書館などで調べるほうが良いとは思います。
エホバの証人が改ざんした資料以外にはWTを支持する証拠はおそらく一つも出てこないと思います。
残念ながら一般の歴史家や考古学者はWTやその主張を相手にしていません。
これは国立極地研究所が若い地球創造論者を相手にしないのと同じです。
一般の聖書のバビロニア(新バビロニア)の年代は
確固たる証拠に基づいています。
しかしWTの主張の間違いを指摘するという目的で一般の歴史書が
文章を書くことはまずありません。図書館で”新バビロニア”に特化した
資料を調べるのにはそれなりの努力が必要になると思います。
WTの執筆者であったレイモンド・フランズはニューヨーク中の
図書館をまわって資料を探しましたが、出てくる考古学上の証拠は
すべてWTの年代を否定する証拠だったと証言しています。
オフライン
#3 2017年04月16日 11:24:40
- 黒ちゃん
- ゲストユーザー
Re: エルサレムの陥落 607年問題
ささらほーさらさん、カレブさん私の質問に答えてくださってありがとうございます。
私は理解力が余りなく、難しい話が苦手です。
まずは簡単な一般的な歴史の流れから勉強した方が良いのかな…。
基本ができてないもので…。すみません
m(__)m
#6 2017年04月16日 20:05:59
- 黒ちゃん
- ゲストユーザー
Re: エルサレムの陥落 607年問題
皆さんありがとうございます。
カレブさんのサイトなども参考にしながら少しずつ調べてみようと思います。
#8 2017年04月21日 12:57:09
- 一応現役
- ゲストユーザー
Re: エルサレムの陥落 607年問題
ズバリ解説致します。
難しく考えなくても、以下の最重要点を理解すれば十分です。
極論、607年が間違いかどうかはどうでも良いのです。
協会創立期から既に、607年説を説明するのに
「嘘の引用を大量に用いた」ことが既に致命傷なのです。
よくある例
JW:「歴史家の○○はこう述べています」
歴史家:「そんなこと言って無いゾ。逆だぞ」
↑調べれば判りますが、こんなのが大量に出てきます。
◆◆教義にウソが「宗教が出来たときから」入っていた。◆◆
(※↑「途中から」ではないことが重要。つまり、時間の経過とともに教えが腐敗したのではなく、「最初から」偽りにより構成されていたという事。つまり清い時点に戻ることは不可能)
(※2↑「勘違い・間違い」の類では無く、「意図的な嘘」であることにも注目。
勘違いであればまだ許せるが意図的な嘘は直球の「悪」である)
◆以上が、JWが少なくとも「偽りの宗教」であることの動かぬ証左です。◆
あるいは「真理の説明のためには多少の嘘」も許される?
自分らの神様の前で同じことが言えるかな?JW諸君。
性道徳等の前に「正直さ」という幼稚園レベルの道徳の基本の基本を修めていない。
それでよくもまぁ清い真理の擁護者などとホザけるものよなぁ
こんなゴミ共に名前を担がれて、
恐らく一番迷惑しているのはエホバ神様ご自身であろうことは明白
恥 を 弁 え ろ よ 外 道 共
因みにJW共には追加の絶望情報だ
最初に607年の是非はどうでも良いと謂ったが、一応
607年が間違いであることは覆らない大量の事実で以て証明されている。
上でてつてつ殿の挙げて下さっている二冊はそれを完全に理解させてくれる。
以上です。
JWはだんだん腐敗してきたのではなく、
最初から偽りの宗教であった
607年問題はその事実をあぶりだした顕著な例ということです。
この点を繰り返し強調させて頂きます。
#9 2018年08月03日 21:55:44
- 忠野仁
- ゲストユーザー
Re: エルサレムの陥落 607年問題
カレブさんにお聞きしたいことがあります。
特集記事4 VAT4956のなかで、BM38462に関して次のように書かれています。
「この表の中で「-587 Jul 15」と記載されている部分です。これはまさにネブカドネザルの第37年に起きたと「ものみの塔」が主張している BC588年7月15日と同じ月食です。BM38462は、その月食が「ものみの塔」が主張するネブカドネザルの第37年の第三の月ではなく、第17年の第四の月に起きたとしています。」
そして、下の表が載せられています。
https://www.jwstudy.com/ja/wp-content/u … M38462.jpg
この表の見方が分からず、困っています。この表に、BC588年7月15日の月食がネブカドネザルの第17年の第四の月にあてはまることが書かれているのでしょうか。
また、初歩的な質問かもしれませんが、BC588年の月食なのに、-587を参照する意味が分からないのですが、ご教示お願いできますでしょうか?
#10 2018年08月09日 18:54:44
- 忠野仁
- ゲストユーザー
Re: エルサレムの陥落 607年問題
カレブさんは休業中ですかね? カレブさんでなくてもよいのですが…
#11 2018年08月10日 00:53:33
- caleb
- Administrator
Re: エルサレムの陥落 607年問題
カレブさんにお聞きしたいことがあります。
特集記事4 VAT4956のなかで、BM38462に関して次のように書かれています。
「この表の中で「-587 Jul 15」と記載されている部分です。これはまさにネブカドネザルの第37年に起きたと「ものみの塔」が主張している BC588年7月15日と同じ月食です。BM38462は、その月食が「ものみの塔」が主張するネブカドネザルの第37年の第三の月ではなく、第17年の第四の月に起きたとしています。」
そして、下の表が載せられています。
https://www.jwstudy.com/ja/wp-content/u … M38462.jpgこの表の見方が分からず、困っています。この表に、BC588年7月15日の月食がネブカドネザルの第17年の第四の月にあてはまることが書かれているのでしょうか。
また、初歩的な質問かもしれませんが、BC588年の月食なのに、-587を参照する意味が分からないのですが、ご教示お願いできますでしょうか?
こんばんは。簡潔にお答えします。
まず表の中で 西暦前588年を「-587」と表記しているのは、専門的な天文学の分野では年代表記を数学的に表記することがあるからです。
西暦1年 = 1
西暦前1年 = 0
西暦前2年 = -1
・
・
西暦前588年 = -587
おわかりいただけますでしょうか?
この表に、BC588年7月15日の月食がネブカドネザルの第17年の第四の月にあてはまることが書かれているのでしょうか。
この表は 著者が粘土板を解読して単純に年代を一覧にしているものなので「第〇〇年の第〇〇月」という表記は省いていますが、実際の粘土板ではそのような表記が存在しています。
具体的に言うと 英文でしか確認できていませんが以下のようになります。
[Year] 17, month IV, [omitted.]
「17,4番月」という省略形で書かれていますが丁寧に表記すると「ネブカドネザルの第17年の第四の月」という意味になります。
以下、カール・オルフ・ジョンソンの英文記事の切り抜きです。
要点は以下になります。
・BM38462(LBAT 1420)はネブカドネザル治世中の月食の記録を年(治世)と月(バビロニア歴)が判別できる状態で残されている。(一部抜けてはいるがネブカドネザルの1年から29年までの記録をカバーしている)
・これらの記録はネブカドネザルの治世が世俗の年表の通り西暦前604年から始まったとするなら全体が一致している。
・もし、ものみの塔が主張するようにネブカドネザルが西暦前624年から治世が始まったのであれば、BM38462(LBAT 1420)に記載されている数十のすべての記録が一致しなくなる。
・結論として、ネブカドネザルの統治開始年を西暦前604年から西暦前624年に移動させることは不可能。
ということです。
ものみの塔が嘘をついていることは上記の証拠だけでも十分証明できます。
オフライン
#13 2018年08月10日 23:36:02
- 忠野仁
- ゲストユーザー
Re: エルサレムの陥落 607年問題
人に説明するのに、この表をどのように理解したらよいのか困っていました。解説いただき、ありがとうございました。
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