#1 2016年11月23日 22:34:31
- 元証人クリスチャン
- ゲストユーザー
信仰を維持する
エホバの証人の間違いに気付いて信仰を棄てるのも自由ですが、神への信仰を維持している方もいらっしゃるはずです。
何かと聖書の信憑性まで疑うような書き込みも多い中、聖書を信じられる根拠を集めてみるのも楽しいのではないかと思います。
よろしくお願いします。
#2 2016年11月23日 22:50:09
- 元証人クリスチャン
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
みなさんは、氷床コアや年輪などからノアの洪水もなかったと確信して信仰を失われたのですか?
それとも、創世記の記述は神話として見ていても神はおられて進化という方法で創造されたと考えておられるのですか?
#4 2016年11月23日 23:05:53
- 元証人クリスチャン
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
という事は、鬼太郎さんも万物が偶然に発生するのはおかしな事と考え、創造主の存在は信じておられるのですね。
ちなみに、ノアの洪水が事実であったとしてもエホバの証人の輸血拒否は聖書の曲解であり、聖書からは導き出せません。
#6 2016年11月24日 07:49:15
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
ストーリーというのは教訓を教える為の物語という事ですよね?
それでは神話扱いと変わらないですから、最低限、文字通り聖書が正しいとする見解と神話とする見解の両方を教えるべきだと思います。
もちろん、教会での話ですが。
#8 2016年11月24日 12:58:21
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
カレブさん、こんにちは。
あなたの経歴をよく知らないので、すみませんが、元エホバの証人の方でしょうか?
徳のように考えていると言われますが、クリスチャンなら当然でしょう。
ここの元エホバの証人の方々の何人かは、聖書を信じる者は何か頭の悪い人、もしくは盲目的に信じているという偏見を持っておられませんか?
以前は信じる事は素晴らしい事と考え、信じる根拠も色々と確信していたはずですが、
その純粋な気持ちも忘れてしまわれたのでしょうか?
信じる根拠は色々とありますよね。
イエスに関する預言は350箇所ほど成就しています。
神なくしては、宇宙も生命も存在し得ない。
それが、クリスチャンの信仰です。
#9 2016年11月24日 13:34:32
- akame
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
元証人さん
>以前は信じる事は素晴らしい事と考え、信じる根拠も色々と確信していたはずですが、
→しかし、さらに深く広く調べた結果、以前のように信じることができなくなった。
問題ないと思います。
#10 2016年11月24日 14:18:42
- カレブ
- Administrator
Re: 信仰を維持する
元証人さん こんにちは。
わたしは経歴や現在について公に書かないようにしていますので返信できない部分があります。
個人的に親しくしている人には状況によって個人的な話もしています。
”信じる”ことを”徳”と考えることについて
元証人さん
>徳のように考えていると言われますが、クリスチャンなら当然でしょう。
はい、そのような考えをお持ちであることを読み取ったうえで書いています。
イスラム教でも”コーラン”や”ムハンマド”を疑うことを非道徳的なことと考えるわけですが、
ムスリムであればコーランを信じることを”徳”のように考えるのは当然という答えと
何も変わらないように思います。
本来は道徳というものは別のものであるとわたしは考えます。
そして”信じる”ことを”徳”と考えることこそ、人々を偽りに縛り付ける役割を果たしていると思っています。
>ここの元エホバの証人の方々の何人かは、聖書を信じる者は何か頭の悪い人、もしくは盲目的に信じているという偏見を持っておられませんか?
”聖書を信じる者は何か頭の悪い人と思われている”と少なくとも元証人さんは感じたわけですね。
わたしは”聖書を信じる”という行動の背景にはいろいろあると思っていますが、その人が必ずしも頭が悪い人とは思いません。
オウム真理教でも幹部になる人たちは頭が良い人たちでしたし
幸福の科学もかなりの学力の人たちがいることを認めるのと同じです。
しかし、どの宗派でも信仰ゆえに論理的な話が通じなくなるということはよくあることだと思います。
「純粋な気持ち」について言及していますが
何かを信じる純粋な気持ちが悪ではありませんが、徳であるとも限りません。
その「純粋な気持ち」がどのような精神や行動に向かっているかが重要だと思います。
クリスチャンがもつ純粋な気持ちが例えば人を平等に扱うことであったり
殺人や強盗を思いとどまらせたり、他の人の権利を尊重することにつながったり、
など真に道徳的な事柄につながっていれば、そのときに初めて”徳”と呼ばれるべきであると思います。
>イエスに関する預言は350箇所ほど成就しています
これについては例えば一番有名な「処女が妊娠して子供を産む」は
ギリシャ語訳の誤訳から来ています。
パウロは、神が人のようになってイエスとして登場したという
神学を組み立てていますが、後に福音書の中で語られる処女マリアの話には
触れてもいません。
イエスに成就した預言について検索してみたら
あるサイトでは31、別のサイトでは44、
そして一番がんばってるのは365個成就したと主張していました。
以下は353個成就したと主張しているサイトですが
http://www.accordingtothescriptures.org … ecies.html
ざっと見ても 後付け あるいは こじつけ の連続にしか見えませんでした。
例えばベツレヘムで生まれてナザレで育つ(実際はあいまいな記述)が
成就したという主張についていうなら
「ベツレヘムで生まれた」の件が
クレニオがシリアの総督であった時に行なわれた人口調査の
年代のズレからして後の創作であると考えられています。
元証人さんのスレッドの趣旨である
「聖書を信じられる根拠を集めてみる」
というのは面白い企画だと思います。
それ自体に反対しているわけではないので、いろいろチャレンジしてみてください。
オフライン
#13 2016年11月24日 17:25:50
- てつてつ
- メンバー
Re: 信仰を維持する
ラハムさんありがとうございます 本当にそう書いてありました いかにいいかげんに読んでいるかバレバレです KAOさんお手数かけなくてもよくなりました すみませんでした
オフライン
#14 2016年11月24日 23:23:18
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
先輩筆者のイザヤの預言をマタイが勘違いして
うっかり、ハチャメチャストーリーにしちゃったということですか
さすがにそれはどうなんだろ?
そこまでのポカ、ユダヤ教徒が力一杯ツッコミを入れると思いますよ
ググってみます
#15 2016年11月25日 00:05:39
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
「マタイ 処女 勘違い」でググると、かなり出てきます
こりゃ知らなかった、「論じる」とかの話題に含まれてましたっけ
カトリックなら、このツッコミに対する強烈なトンチや返し技もあるはずですが、なかなか出てきません
#16 2016年11月25日 00:11:34
- カレブ
- Administrator
Re: 信仰を維持する
さやか666さん
>先輩筆者のイザヤの預言をマタイが勘違いして
マタイが勘違いしたというよりも、
たまたまギリシャ語を話すユダヤ人がセプトゥアギンタ訳という翻訳を作る際に
「処女」と訳してしまったのがはじまりです。
処女マリアの話は、イエスの死の前に追随していた人たちは発想さえなかったと思います。
ギリシャ語訳の誤訳はイエスの誕生秘話を作る面で良い刺激になったと思います。
>そこまでのポカ、ユダヤ教徒が力一杯ツッコミを入れると思いますよ
はい、ずばり2世紀にツッコミを入れられています。
シノペのアキラという人が正しい訳を作成してしまい
彼が処女ではなく正しく「若い女性」と訳してしまいました。
英文だとWikiの
https://en.wikipedia.org/wiki/Septuagint#Christian_use
のところに説明が出ています。
今ではイザヤ署はほとんどの訳で「乙女」とか「若い女性」と訳されてしまっているため
旧約と新約でちぐはぐな状態になってしまっています。
オフライン
#17 2016年11月25日 00:24:03
- KAO
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
はい! どなたか私を呼びました?
下書きしてたらちょっとカレブさんに先越されちゃいました。
今日は早朝から通学路の雪かき。20分休み・昼休み・放課後と雪合戦でビショビショになり、疲れ果ててもう眠くなりました。今夜中に書き終えることができたらUPします。
今思いましたが、JW児童も雪合戦に参加しましたが、これは本来NGですよね!?
合戦ですよ合戦!! なんだか目覚めちゃった…これもダメって、アホらし~
MOONさん
フランシスコ会訳の新約聖書分冊版ですが、このシリーズは副題に「原文校訂による口語訳」とついているものがそれにあたります。プロテスタントが聖典としている27文書の部分だけで計9分冊になっています。
注が豊富で訳に立つのですが、なにぶん1962年から1978年まで16年もかかって完成したものなのでやや文体が古いですし、各巻の担当者の裁量に任された部分が大きいので、やや不統一の感を免れません(この点、合冊版では文体の統一が図られています)。
それから固有名詞の表記が全てカトリック方式なので、プロテスタントの人間には違和感があります(この点も合冊版では新共同訳にならって改訂されています)。
それよりも岩波翻訳委員会による分冊版の方がよろしいかと思います。これも合冊版は注が大幅に縮小されていますが、分冊版は全5巻で完成が新しく(といってももう20年になりますが…)、各書物の専門研究者が集まって比較的短期間に進められた仕事です。表紙が濃いブルーのものです。マタイ・マルコで1冊、ルカ文書(福音書と使徒書)で1冊、ヨハネ文書(福音書と書簡123)で1冊、パウロ真正書簡で1冊、パウロ偽書簡と黙示録で1冊という構成です。
究極的に注が充実しているのは田川建三訳ですが、これを揃えるには大金と本棚1段が必要です。また、私は立ち読みしかしていませんが、「バイブルNAVI」という、解説付き大型版聖書は聖書の勉強にとても便利だと良い評判を聞きます。どうぞご検討ください。
AMAZON、ヤフオク、日本の古本屋、etc一番安いところを探してお求めください。
てつてつさん
アーマンさんの説明(または翻訳に起因)は、一般読者には意味が通り難い表現が多く(「どの福音書にも書かれていない」と言いながら、結局それぞれの福音書に書いてあることになっています。誤訳とは言わないまでも不適訳の可能性がありますが、原著を持っていないので確認できません)、ちょっと舌足らずで分かりにくいので補足しながら説明します。
処女懐胎については、アーマンさんのご指摘通り、イエスの死後20~30年という比較的早い時期に著述を進めたパウロやマルコはこの話を知りません。これは初期キリスト教徒が七十人訳をキリスト証言の書として積極的に使い始めた1世紀末頃に成立した「伝説」です。
問題となっているイザヤ書の引用「おとめ」は、ヘブライ語聖書では「アルマー」という語が用いられていて、これは妊娠・出産が可能な適齢期の女性一般を指す語です。これが七十人訳で「ホ パルテノス」と「訳」されてしまいます。この語が狭義の「処女」を意味するので、マタイはそれを真に受けちゃったという理屈です。もしヘブライ語で文字通り「処女」と言いたかったのであれば、「ベスラー」という言葉が別にあります。
また、アーマンさんは、マタイ本人はこのこと(処女懐胎)について、神学的説明を何も加えていないと書いていますが、世の神学者たちは勝手にいろいろと想像をめぐらせてはいます。例えば、神の子がなんとも人間的な営みから生まれていては興ざめだというのでしょうか「HOLY」であることの意味づけであったとか、または「ものみの搭的」解釈に近い理解ですが、「神の救いは人の手によらない」という意味があったとか…そんな感じです。
とにかくMOONさんが先ほど、いくつかの翻訳を比べて読んでみただけで「訳し方次第で文章や解釈はどうとでもなるんだなぁ…という印象を受けます」と吐露されていましたが、ヘブライ語聖書がギリシャ語に翻訳された時点で、まさにそういう事態が発生していたということです。
試しに一段落だけでいいですから、辞書を引きながら自分で聖書を翻訳してみるとすぐに了解できると思いますが、翻訳するには大前提として厳密な釈義が必要になります。
翻訳=解釈とまで直接的に表現することはできませんけど、やってみると限りなくそれに近い作業をしていることに気づかれることでしょう。
聖書の「史実性」に信仰の土台を据えたい方には申し訳ないですが、こんなことで躓かないでくださいね。私も石臼を首にかけられて海に沈められたくないですから。
あっ、新約のエホバ忘れるとこでした!
元証人さんのおっしゃる通り、エホバの出てくる新約聖書は(新世界訳を除き)皆無です。
ラハムさんが見つけてくださった「あなたを幸福にする良いたより」(この本で大勢不幸になったんだろうな~)の、1887年(本当は1888年)の日本最初の旧新約聖書(合冊という意味)の「初期のいくつかの版には」新約にエホバが出てくる、という記事は大嘘です。こう打ちながら現物をパラパラめくってます。どこにも出てきませんよ。
それ以前の明治元訳に先行する明治十年代の「新約全書」のどの版にもエホバなんて出てきません。
これも自分で検討してみれば容易に納得できます。新世界訳のエホバ237箇所を自分でエホバを指すのかイエスを指すのか、分けてみてください。特にパウロはわざとじゃないかと思うくらいにどっちとも取れるような文脈で「主」を連発します。両方の意味を含めていた可能性大です。神について言っているのかと思ったら結局イエスだったりします。
これは分けて翻訳しようと思っても、すぐにその試みを断念せざるを得ない結果を招きます。これは原文に書いてある通り「主キュリオス」にしておくしかないと…
これをやった新世界訳は、あちこちで墓穴を掘って自己矛盾を来たしています。
眠いですが、MOONさんの「スカッと脱搭」を後押ししたいので、もう少し頑張ります。
実は私、聖典外文書も含めた初期キリスト教文書の中に、ものみの搭協会が主張するように「YHWH」の痕跡を残す文書(またはその写本)が1つくらいあってもおかしくはない、と思っていました。それで旧約学専攻で初期キリスト教文書についてはほとんど勉強らしいことをやったことのない私が、も搭と関わりだしてから少し勉強してみました。新約聖書の中でも比較的後期に書かれたヨハネ文書や偽パウロ書簡、黙示録等とほぼ同時期に書かれた使徒教父文書、その中でも特に「クレメンスの手紙」「ディダケー」「バルナバの手紙」「ヘルマスの牧者」といった、ある時期聖典同様の位置を占めていた書物の中にも、あるいはそれらの中にいっぱい出てくるヘブライ語聖書からの引用部分にも、一切「YHWH」やその省略形または音訳らしきものも見出せませんでした。全て「キュリオス」で一貫しています。
前にも書き込みましたが、これがサタンの仕業ならエホバの完全敗北です。このあたりの事情を一度まとまった記事にしてみたいと思いますが、それには膨大な時間が必要で、なかなか思うにまかせません。
今後単発的にではありますが、長老さんの心にも響くような「不都合な真実」を見つけては、「スカッと脱搭」のお手伝いをさせていただこうと思います。
#19 2016年11月25日 05:33:55
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
元証人さん
>以前は信じる事は素晴らしい事と考え、信じる根拠も色々と確信していたはずですが、
→しかし、さらに深く広く調べた結果、以前のように信じることができなくなった。
問題ないと思います。
ですがね、バート・D・アーマンや田川建三などももちろん読んで、さらに調べて信じている人々もいるので何ら問題はないと思います。
なぜか、ここの人達はアーマン等を読んで揺れ動くか棄教した人に偏っているようですが、アーマンの師であるブルース・メツガーさんの文章でも読まれたらどうでしょうか。
アーマンは世界的な権威であるメツガーの弟子であった事で注目されましたが、同じ研究をしていても素晴らしい信仰を保っておられる聖書学者の方もいらっしゃいます。
#20 2016年11月25日 05:48:54
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
また、マタイが若い乙女を表すアルマーではなく処女を表すパルテノスを用いた事を問題であるかのような流れになっていますが、クリスチャンなら聖書を読む時に新約を持って旧約を理解しなければなりません。
旧約で暗に示されていた事が新約で解き明かされているのです。
マタイは実際に起きている事を見て、処女と表し、イエスの中に神を見たので、イザヤ書のインマヌエル(神は私達と共におられる)に言及したのです。
また、パウロは、アダムを血肉、イエスを御霊のもの、天からの者と書いています。
聖霊による者としてイエスを認識しています。
もちろん、万物がイエスによって創造されたとしてイエスを主、神としていると言えます。
ここでは、パウロがイエスを神としていなかったという意見には敢えて触れません。
#21 2016年11月25日 05:57:24
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
パウロ書簡が福音書より早い時期に書かれたのは周知の事実ですが、そのような早い段階でイエス・キリストの復活が大々的に告げ知らせられていたのです。
そうです。早い時期にです。
イエスを直に知る人々が大勢いる時期に福音が伝えられて多くの人が調べて信仰を持ったのです。
ですから、キリストの復活の信憑性は高いと言えるでしょう。
福音書は、イエスを直に知る人々が減ってきて、イエスの活動の記録を残しておく必要から書かれたのでしょう。
福音書がパウロ書簡より後から書かれたからといって信憑性がなくなるわけではありません。
#22 2016年11月25日 06:13:50
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
連投ですみませんが、新約(エホバの証人で言うクリスチャン・ギリシャ語聖書)部分で『エホバ』を用いた聖書はないと見て間違いはありませんが、ものみの塔協会に問い合わせたところ、
新約でエホバを用いている聖書として協会は「引照 新約全書」ナタン・ブラウン訳、バプテスト共同伝道会発行、明治39年(1906、初版1900)を挙げてきました。
非常に古く入手困難で確かめようがありません。
もちろん、そこにエホバと書いてあってもギリシャ語本文にYHWHの文字がない事には変わりはありません。
誰かこのナタン・ブラウンの「引照 新約全書」について詳細をご存知の方は情報をお願いします。
まぁ、ものみの塔協会の引用はあてにならないものが多く、信用できませんが。
#24 2016年11月25日 08:20:52
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
元証人 さんの発言:マタイは実際に起きている事を見て、処女と表し、
マタイは税を集める職業であったところをイエスに見出されて使徒となったとされています。
だとしたらイエスが生まれたときのことを知らないはずです。
マタイは実際に起きている事を見てとはどういうことですか?
それに処女かどうかを実際に見て確かめるのは現実的ではありません。
使徒や弟子達、またイエスの親族から聞いて、そして、直にイエスの行われた力ある業やしるしを見て確信したという事です。
#25 2016年11月25日 09:33:32
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 信仰を維持する
カトリックなら、このツッコミに対する強烈なトンチや返し技もあるはずですが、なかなか出てきません
仮に惑星間の超光速通信がいつか実現して、数千光年先の惑星から地球西暦1世紀のパレスチナ映像がリアルタイム中継されて、そこでヨセフとマリアの逢瀬シーンや、イエスの墓からせっせと遺体を運び出している弟子たちの姿が確認されてもキリスト教信仰には何の影響もない、と言い放つ神学者がいました。
カトリックは「事実」を信仰する宗派ではなくなっているので、反論しないと思います。
事実ではなく「知識」の(無からの)創造というプロセスはネオダーウィニズムにも通じるものがあります(カレブさん間違っていたらすみません)。宗教も自然発生し、選択圧にさらされながら進化or絶滅する。
JWという変異種も例外ではないですが。