#1626 2026年01月02日 14:44:21
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“仲間のために祈ることを忘れないでください(43)”で、仲間のJWのために時々祈りなさい、という内容です。」
「年末年始でもJWには休みはない。過酷な宗教だ。仲間のために祈るわけだけど、もちろん、その中には統治体も入っているので、大会などでは統治体をほめたたえる祈りがこれからますます増えるということね。」
「2025年も何事もなく終わり、JWはさぞ失望しているのでしょうね。」
「2026年こそハルマゲドンだ、と思いを新たにして、JW活動を頑張るぞと決意している人が多いんじゃないの。」
「2025年度の奉仕活動の報告がアップされていますが、日本は昨年より伝道者の平均は213745人で驚くことに26人も増加しています。」
「3分の1はチェックするだけの人でしょう。重要なのは会衆数。2835で昨年より31減少。どんどん減ってほしいね。」
「3節で“私たちはほかの人のために祈るのを忘れてしまうことがあります。どうしてでしょうか。”と問いかけています。サブリナ姉妹の答えは“毎日忙しくて,息つく暇もありません。自分の悩みで頭がいっぱいになって,ついつい自分のことばかり祈ってしまいます。”というもので、多忙を理由としています。ウソですよ。」
「他の人のことなどどうでもいいと思っているからでしょう。それに多忙なのはJWだから。JWをやめれば、生活にゆとりができて、他人のことを配慮できるようになるよ。」
「4から7節が“ほかの人のために祈るのが大切なのはどうしてか”です。 3つ理由が出ています。4節は①“ほかの人のために祈ることには「大きな力があ[る]」。(ヤコブ 5:16を読む。)ほかの人のために祈ると,その人の状況は良くなるでしょうか。良くなることもあります。”です。翻訳がヘンですね。」
「英文ではCan praying for others really affect the outcome of a situation? Yes, it can.(他の人のために祈ることは本当に結果に影響を与えるのでしょうか?はい、そうです。)というもの。それを”良くなることもあります。”と狂信度を弱めている。翻訳者は祈りの力を信じていないね。」
「祈っても、祈らなくても、その人の状況は良くなることがあります。」
「祈った結果は、状況が変わる、変わらない、しばらくしたら変わる、の3つでしょう。それは祈らなくても同じ。」
「読むように指定されているヤコブ5:16には“ですから,互いに罪を告白し,互いのために祈ってください。そうすれば癒やされます。”とありますから、これは病気の人に向けて言っているものですよ。互いに罪を告白し、互いに祈れば病気が癒されると言っているわけです。どんなことでもお互いに祈れと言っているわけではありません。」
「病気に対する古代的な見解が出ているところだね。そんな文脈は無視し、過剰に一般化し、何でも互いに祈れ、とするのがJW流の聖書理解。」
「5節では“でもエホバは,私たちがどれほど強い願いを持っているかに注目していて,祈った通りにしてくれることもあります。”とあります。知りませんでした。100万回祈ると願いが叶うこともあるのですか?」
「そこで、同じことを100万回祈った○○姉妹の体験談が出てくると完璧だったけれど、体験談はないね。祈りによって神の行動を変えられるというのはかなり傲慢な思想。古代宗教の思想。」
「6節は②“ほかの人のために祈ると「温かい思いやり」を育める。(ペテロ第一 3:8を読む。)”です。引照聖句にはそんなことは書いていません。」
「“温かい思いやりを持ち,謙遜であってください。”とあるけれど、他の人のために祈ることは出てこない。」
「7節は③“ほかの人のために祈ると自分の問題ばかり考えなくて済む。(フィリピ 2:3,4を読む。)”ですが、引照聖句には祈りのことは出てきません。」
「他の人のために祈ればこんないいことがあるよ、みたいなことは聖書には書いていない。それでテキトウに聖句を引っ張ってくる。」
「他の人のために祈ると、思いやりが育めるし、自分の問題から一時的に逃れることができると言っています。他の人のために祈ると自分のためになるからしなさいということです。」
「JWは自分が得にならないことはしない人たちなのだろう。それでご利益を強調する。」
「8から11節は“誰のために祈れるか”です。 もちろんJW限定なのですが、そうははっきり書かないところがズルいです。8節では、困っている様々な人に祈りなさいとあります。次がこの記事が一番言いたかったことです。9節では“エホバから責任を与えられている兄弟たちのためにも祈れます。統治体と援助者,支部委員会,ベテルの監督,巡回監督,会衆の長老,援助奉仕者などです。”とあります。これって偉い順番ですね。」
「統治体は神のような人だから、統治体のために祈るとご利益があるんだよ。」
「なぜ彼らのために平信者が祈らなければならないのかというと、9節では“そういう兄弟たちは私たちのために一生懸命働いてくれていますが,それぞれに心配事を抱えています。”というものです。理由としては取って付けたようなもので、説得力がありませんね。そんなに心配事が多ければ、役職を辞任すればいいだけです。」
「平信者の方が心配事を抱えているよ。平信者の寄付で生活している恵まれた身分のくせに、自分たちのために祈ることを要求するというのは、カルトのリーダーそのもの。」
「9節では、“そういう兄弟たちをよく支えている妻たちのためにも祈れます。”とあります。なぜですか?苦労が多いからですか?」
「特権階級だからでしょう。平信者は特権階級のために寄付をし、奉仕し、祈りを捧げる奴隷なんだよ。そうしないと楽園に行けませんと書いてあれば面白かったのに。残念。」
「12から15節が“特定の人のために祈るとき”です。 3つの指示が出ています。12節は①“よく気を配る。”です。“特定の人のために名前を挙げて祈ることもできます。”とあります。」
「統治体の誰かの名前を挙げて、早く天に行って、天の王国でご活躍ください、と祈ればいいわけだ。統治体の老人は早く天に行きたくてウズウズしているよ。」
「13節が②“名前を挙げて祈る。”です。“一度も会ったことがない人のことも,名前を挙げて祈れます。”名前を挙げて祈ることは必須のようです。一度もあったことがなくても。統治体の全員の名前を覚えて、祈れということですよ。」
「統治体だけでなく、日本支部の人の名前を憶えて、実名を挙げて祈ろう。ご利益があるよ。」
「13節では“例えば,エリトリア,クリミア,シンガポール,ロシアなどで収監されている兄弟姉妹のために祈ることができます。”とあります。そう人たちの名前も覚える必要があるようです。」
「こうやって、自分たちは迫害されている=真のクリスチャンだ、という確信を強めさせようという作戦だね。収監されている人たちのために組織は何かしているの?残された家族に金銭的援助はしているの?まさか祈るように呼び掛けているだけじゃないよね。」
「14節が③“具体的に祈る。”です。収監されている兄弟姉妹のことを具体的に祈るようです。15節では“例えば,看守が親切にしてくれるようにとか,自由にエホバを崇拝することを認めてくれるようにと祈れます。(テモ一 2:1,2)また,地元の兄弟姉妹が,収監されている仲間の強い信仰から力をもらえますように,とも祈れます。刑務所での兄弟姉妹の良い振る舞いを見た人たちが聖書に興味を持ってくれますように,とも祈れます。”とあります。」
「最期の例が気になるね。収監されている人たちを使って、信者集めに利用するつもりなの?」
「現在“看守”という言い方は好まれませんよ。刑務官というと思います。」
「看守というときっと嫌われると思うよ。将来JWは唯一の真の宗教ということで政府の弾圧にあって刑務所に収容されるのでしょうから、刑務所の職員の正しい呼び方を教えるべきだね。看守は刑務官の一番下の階級。その一つ上は看守部長、その上が副看守長で、その上が看守長。一番上は矯正監だ。」
「ロシアの刑務所に20年入れられた○○兄弟はその立派なふるまいで、多くの看守をひどく感心させ、ある看守はJWこそが真の宗教だと確信しました。その看守は今ではアメリカに亡命し、長老として奉仕しています・・・、という話が来年当たり出ますかね。」
「そして、その兄弟はまだ刑務所で立派なふるまいを続けています、皆さんその兄弟のために祈りましょう・・・と続くかも。刑務所に入っているJWは組織の宣伝に使えるようだから、組織は釈放されなくても気にしない。」
「16から18節は“祈る時に覚えておきたいこと”です。 16節では“ここまで考えてきたように,祈って状況が変わることもありますが,いつもそうなるとは限りません。”と、過剰な期待をしないように注意しています。」
「最初から期待なんかしていないよ。祈っても祈らなくても状況は変わるときもあれば、変わらない時もある。それぐらいJWなら知っているよ。」
「16節に“私たちが何を必要としているか,私たちが気付く前からエホバは知っています。(マタイ 6:8を読む。)”とあります。やっとマタイ6章が出てきました。そこには祈りについていろいろ書いてあるのですが、今まで全く無視していました。」
「JWにとって都合の悪いことが書いてあるからね。例えばマタイ6:5では“また,祈るとき,偽善者たちのようであってはなりません。その人たちは,人に見えるように会堂の中や大通りの角に立って祈ることを好みます。”とあるけれど、JWは大会などで長々と祈るのが好きでしょう。」
「マタイ6章には主の祈りも出ていますが、これについても全く触れませんでしたね。」
「その祈りは“天におられる私たちの父よ,お名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたの望まれることが,天と同じように地上でも行われますように。”で始まる。これは古代宗教が神を人間の願いをかなえるための道具としてみているのに対し、人間ではなく神の望まれることを行ってください、といって、そのような道具としての神という見方を否定している。JWの神に対する見方は古代宗教と同じようなものだから、主の祈りは触れたくないのさ。」
「18節が結論で、“エホバは私たちが互いのことを思い,互いのために祈ることを願っています。”です。でも、そのような聖句はヤコブ5:16の病人に向けての聖句しかありませんでした。」
「JWは、互いの悪口を言いあったり、批判しあったりと信者同士の関係が悪いので、少しでも良くしたいということじゃないの。」
#1627 2026年01月02日 21:21:02
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界
この記事の末尾に「統治体の新しいメンバー」として二人の追加が発表されています。
人が年を取ったなあと実感するのは、プロ野球チームの監督や日本の総理大臣が自分より年下になった時だそうですが、
統治体の成員のバプテスマ日付が自分のより後なのを見ても同じ感覚になります。J・ジェドリー兄弟のバプテスマが偶然、私のと同じ日付だったので、やれやれです。
#1628 2026年01月03日 19:04:06
- ラハム
- メンバー

Re: アブラハムの神の限界
1,000時間奉仕者さん、これまでよく頑張りましたねえ。
42年以上ですか、わたしたちには長大な時間ですね。
記事は、ライブラリーから読みました。
こんなの、みんな、嘘っぱちに見えますよ…。
わたしは、東松山の東京大会ホールでバプってますが、
研究生に1975年になったので、この2026年にJW関係者になり50年以上です。
2003年の暮れに脱塔しました。
でも、奉仕の僕がやっとのところで、
いくら頑張っても長老にはなれませんでした。
同じ障害の兄弟と、障害者は長老にはなれないのかと、
嘆いたことがあります。
でも、ここまできて、古希も近づき、振り返ると、
まっとうなJWとして生きようと、人間らしくありたいと
自分を押し出したことが災いしたのかなあと、気が付きました。
わたしも、お医者さんを含めて、先生と呼ばれている人たちは、
自分より年上だとずっと思っていたのですが、
いつの間にか、30代、40代の人たちが若者に見えてきて、ショックでした。
現在の総理大臣もわたしより若いなあ。
おととし、入院生活で、
わたしは4人部屋でしたが、わたし以外は90代で、60代だったわたしは、
まるで、彼らの子どものようで、小僧に見えただろうと思ったものです。
でも、上には上がいるもので、
入院患者には102歳のおばあさんがいましたよ、
これにはびっくり!
だから、1,000時間兄弟も頑張ってきて来たんだと、
わたしは尊敬できるんです。たいへんだったと思うのです。
若いメンバーが選ばれて、統治体に参入できたのは、
その若者が現在のメンバーの言いなりになるような、
雰囲気が醸し出されたからではないでしょうか。
レイモンド・フランズのような人物は、
絶対的に参入されたくないでしょうから…。
JWには人間的な良心を発動させようとする人間は、
邪魔以外何者ではないと思います。
正月のほろ酔い加減での書き込みでおかしいところもあるでしょうが、
1,000時間奉仕者兄弟にコメントしたくて書き込みました。
兄弟の書き込みは、楽しみにしています。
オフライン
#1629 昨日 14:06:38
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“明るい気持ちで年を重ねるには(44)”で、高齢のJWは文句や愚痴ばかり言っていないで、少しは組織の役に立つように努力しなさい、という内容です。」
「高校を卒業する前に楽園が来て、永遠に若いまま、とだまされたJWも高齢者となり、JWもいよいよ高齢者問題に取り組まざるを得なくなったというわけだね。終わりの日は当分来ないことを認めたようなもの。高齢JWはさらに落ち込むよ。」
「100年以上前から終わりはもうすぐ、と言い続けて、高齢者問題など存在しないはずだったのに、今やJWの半分以上は高齢者ですよ。」
「終末カルトから少しずつ普通の宗教に移行して欲しいね。老人をこき使うのではなく、老人が余生を楽しく過ごせるよう配慮する宗教になって欲しいね。」
「2節には、老人というと定番の格言16:31が出ています。そこには“正しい道を歩む人の白髪は美しい冠である。”とあるのですが、訳がヘンですよ。格言は1節が2行からなる形式で書かれているわけで、その形式を無視するのはダメですよ。」
「英語訳ではちゃんと2行からなるようにしている。日本語訳者はただ訳せばいいという程度のやる気しかないということ。」
「英訳を直訳すれば、“白髪は美しき冠/それが正義の道の中に見出されたとき。”です。この訳もヘンです。」
「協会共同訳では“白髪は誉れある冠/正義を行う道に見いだされる。”となっているが、これが普通の訳。意味は白髪になるまで長生きするのは正しい生き方をした人へのご褒美だ、ということ。長寿は神を畏れる人へのご褒美という思想は格言のあちらこちらで見られる。」
「格言3:1-2では“わが子よ,私の教えを忘れてはならない。私のおきてを心から守ってほしい。そうすれば,長く生きて平和な日々を送れる。”とありますね。」
「格言4:10では“わが子よ,聞いて,私の言葉を受け入れよ。そうすれば,あなたは長く生きられる。”とある。長寿は正しい人という証拠なわけで、それゆえ白髪は名誉なわけ。白髪を“美しい”と訳するのはダメだね。」
「2節で高齢の兄弟姉妹を“元気に生い茂る木に例えています。(詩編 92:12-14を読む。)”とありますが、違いますよ。デタラメです。」
「そこには、正しい人は“年を取っても衰えない。元気ではつらつとし”とある。引照聖句は正しいものが繁栄することを言っているだけ。老人を“元気に生い茂る木に例えて”いない。」
「2節では“例えば桜の木は,樹齢1000年を超えても,息をのむほど美しい花を咲かせることがあります。エホバに仕え続けてきた高齢の兄弟姉妹たちは,その桜の木のようにエホバにとって美しく大切な存在です。”とあります。高齢のJWが1000年桜のように美しく大切な存在なわけありません。」
「そんな聖句はないでしょう。執筆者が高齢者を持ち上げているだけ。」
「ベテルでは高齢になったら、退職金も年金もなしに追い出します。ベテルは神の家という意味ですが、神の家は民間企業よりもひどい扱いです。」
「そうだから、せめてものみの塔の記事で高齢者を少し持ち上げてあげようという配慮でしょう。」
「3節に“エホバは高齢の人たちにも大切な役割を与えました。例えばエホバは,高齢のサラが大きな国民の母,またメシアの先祖になると言いました。(創 17:15-19)”とありますが、これもズレていますね。高齢のサラが子どもを産むから、神の働きとわかるわけですよ。若い女性が子どもを産んでも何の不思議でもありません。」
「不可能を可能にして、神は崇拝される。神の奇跡物語の一つに高齢の女性が子どもを産んだ!!というのが定番としてある。似たような話は世界のどこにでもある。」
「3節には、高齢なのに神に用いられた人として、モーセと使徒ヨハネを挙げているのですが、なぜノアを取り上げないのか不思議です。大洪水が起きた時、ノアは600歳ですよ。600歳の高齢で箱舟を作らせられて、かわいそうです。そんなことはもっと若い時に言ってよ、とノアは絶対思ったはずです。」
「ノアは950歳まで生きる。600歳は高齢じゃないんだよ。恐らく、組織はノアの大洪水の話は取り上げたくないんだよ。あれは史実というのがJWの一貫とした立場だけど、そんな証拠がないことは、無学なJWでも知っているからね。」
「4節では“でも,前向きな気持ちがあれば,そういう中でもめげずにやっていけます。 (格言 15:15を読む。)”とあり、引照聖句には“陽気な心の人には毎日が宴会である。”とあります。そんなことはありませんよ。誇張がひどすぎます。」
「格言はどこにでもある通俗道徳が並んでいるというレベルのもの。まじめに受け止める必要はないね。」
「5から8節が“明るい気持ちでいるのが難しいのはどうしてか”です。 高齢JWが明るい気持ちでいられないのはJWだからですよ。JWをやめれば、くだらない集会や奉仕などから解放されて、それだけで気分が明るくなります。」
「そういう不都合な真実は書けないので、一般的な高齢者問題に話をすり替えるわけだね。」
「5節では“例えば,以前できたことができなくなって,がっかりするかもしれません。”とあります。6節では“自分一人でできていたことができなくなって,切なくなることもあります。”とあります。高齢者一般の問題です。」
「介護が必要になるとJWからは見捨てられて、サタンの政府の福祉にたよることになるわけだね。エホバは信者たちがそんな境遇になっても助けてはくれないようだね。」
「7節はJWならではの問題です。“もしかすると,自分の生きているうちに終わりは来ないかもしれないと思って悲しくなるかもしれません。”とあります。終わりがクルクル詐欺に騙されたと絶望している高齢JWのことですね。この宗教の犠牲者です。」
「終わりがクルクルと言われて、開拓者という低学歴低収入の生活を選んだせいで、貯蓄なし、年金ほとんどなしのJW高齢者は結構いるよ。間違った選択をしたことは明らかで、これが明るい気持ちでいられない大きな理由だ。それには全く触れないとはズルい。」
「ここで統治体は謝罪すべきですよ。終わりが間もなく来ると長年だまし続けたことを心よりお詫びします、ぐらいは言って欲しいです。」
「統治体は謝罪しない。統治体は間違えることはない。間もなく終わりが来る。これが統治体の立場。」
「7節では“エホバが待っているのには十分な理由があります。たくさんの人がエホバについて知り,エホバとの友情を育てられるようになるためです。”と、いつもの言い訳を言っています。毎日世界では約38万人生まれています。その人たちがエホバの友達になれるまで待つわけですね。でも英文には“エホバとの友情”という言葉はありません。」
「“エホバと友達”とか“エホバとの友情”という言葉が好きなのは日本語の翻訳者。英文になくても勝手に挿入する。そのせいで、日本のJWという宗教はますます子供じみた幼稚な宗教になっている。」
「8節では“高齢になると,病気のせいでその人らしくない言動が増えてくるかもしれません。”とあります。そんなときは“素直に謝りましょう。”と言っています。いつもは何か言われてもすぐに許しましょうと言っているのに、高齢者にはすぐ謝れというのはヘンですよ。」
「まず統治体からお手本を示したらと言いたいね。絶対謝らないのが統治体なのだから、末端の信者が謝る必要はないよ。ウソを垂れ流しても謝らない統治体を見倣おう。」
「9から13節が“明るい気持ちでいるには”です。 5つのことが出ています。9節は①“周りに助けてもらう。”です。周りの人とは福祉関係の人ですね。」
「JWは高齢の役立たずなど助けたりしないからね。助けるとしたらお金をもらえる時だけでしょう。」
「10節が②“感謝を伝える。”です。10節には“ベテルで高齢者の介護をしているリア姉妹はこう言います。「私がお世話しているある姉妹はよくお礼のメモをくれます。・・・”とあるのですが、これってベテルでは高齢者の介護をするのが普通だと誤解させるためのものですよね。」
「ベテルで高齢者の介護をすることがあるけれど、それは特別な高齢者だよ。それ以外は、不要になったら、高齢になる前に無一文で追い出される。」
「11節が③“人のためになることをする。”で、“エホバが教えてくれている通りに生きれば必ず幸せになれる,ということを伝えましょう。”とあります。これは人のためになりませんね。詐欺です。」
「そう伝えると、なぜ明るい気持ちになれるのか理解できない。もしJWでない人から、あなたはエホバの言うとおりの人生を送ったようだけど、少しも幸せそうじゃないよ、と反論されたら、なんて答えるのかな?」
「12節が④“祈ってエホバから力をもらう。”です。祈りはなんにでも効く魔法です。12節では“イザヤ 46:4を読む。”とあるのですが、これも聖句の誤用です。」
「そこには“あなたが年を取っても私は変わらない。あなたが白髪になっても背負い続ける。・・・”とあるけれど、これはイスラエル国民に向けた言葉。46:3に“ヤコブの子孫よ,イスラエル国民の残っている全ての人よ,私の言うことを聞きなさい。”とあるよ。JWとは関係ないね。」
「13節が⑤“今の状況は一時的だと自分に言い聞かせる。”です。楽園での暮らしを想像して、自らを慰めるわけですね。これはJWならではの明るい気持ちになれる方法です。」
「でも楽園がどんなものか聖書はほとんど何も言っていない。何を食べて、何を着るの?それとも裸でくらすの?乗り物はあるの?電気はあるの?何もわからない。楽園の生活など想像できない。」
「14から17節が“周りはどんなふうにサポートできるか”です。 3つのことが出ています。14節が①“定期的に高齢の兄弟姉妹を訪ねたり電話したりする。”です。大多数のJWはそんなことをするつもりはないでしょう。みな自分の生活とJW活動で忙しいです。16節が②“病院に一緒に行ってあげる。”です。家族がいないJWが多いので、病院にもひとりで行くしかないわけです。病院にどうやって行くかが深刻な問題になっているようですね。」
「いくら楽園を夢見ても、病院に行くのをやめるわけにはいかない。子どもが排斥されたり、JWをやめたりすると、親の方が一方的に関係を断つことが結構ある。孤独な老後になるのも組織の言いなりになって、頼りにできる家族と縁を切るからだよ。」
「17節がJWらしいです。③“一緒に伝道する。”です。真冬でも高齢者を伝道活動に連れ出すわけです。高齢者虐待です。」
「伝道に行かないと、病院に連れて行ってもらえないのだろうね。それで仕方なくJW活動をやっている高齢者はどれくらいいるのかな?」
「最後の18節がまとめです。“最高の日々はこれからやって来ます。その時が本当に楽しみです。”とあります。高齢者を元気づけるのは楽園幻想しかないということですね。これでは落ち込む高齢JWが増えるのは仕方がないですね。」
「来週は介護問題を扱うようだ。JW流のインチキ聖書研究よりも介護の仕方を学んだ方が役立つよ。」