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#1251 2020年08月30日 08:18:58

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

私も弾かなくなり、聞き専門です(*ノωノ)

バイオリンはアクロン作曲へブルメロディというちょっと重くて美しい曲があります。
これはハイフェッツがいいと思います。大変な美曲なのですが、暗い旋律なので明るい
部屋で聴くといいかもしれません^^

ユダヤ人は作曲家としても優れているようで、メンデルスゾーンもそうですよね。

ダビデも竪琴を弾きながら歌っていましたが、夕暮れ時、これまた大変な美男子のダビデが竪琴を
弾いていたら、それはそれは少女漫画の王子様のようだったでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=8H4opBX … no&index=1

ガリラヤ湖も竪琴の形をしていて、非常に音が反響する事で有名ですね。

#1252 2020年08月31日 04:39:12

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ガッツだぜpart2 さんの発言:

ところで、ラハムさん、復活の希望についてですが、
ラハムさんは地上での復活(奇蹟の癒しを含む)に
望みを持っていると書いておられましたね。
実は私も命の水を信じています。
(ちまたでも霊峰水とか流行っていますが^^)
本当の事を言うと命の水は湧くと思っています。
イエスの教えでは、地ではなく天に希望を持つようにと
読めるのですが、黙示録で地の希望について書いてあるので。

聖書を創世記から読み始めると、
神が人をご自分の像に創造されたと記録されています。

ものみの塔の理解では、
この神の像というのは、愛、知恵、力、公正という
神の特質を指しているということでした。

しかしながら、
岩波版の創世記分冊版にも記載されているのですが、
最近の発見で、古代中東ではこの「神の像」というのが、
「王」を意味しているということなのです。
それで、この意味が正しいとすれば、
最初の人アダムは、王だったことになります。
その役割は、この地上を王として
神と共同管理することだったことになります。

でも、記録が示しているようにアダムは堕落して、
この職務を十分に果たすことができなくなりました。
しかしながら、キリストの贖いによって、
この職務を十分果たすことが可能になると思われます。

創世記1章の最後の部分で、神が創造されたものに関して、
「非常に良かった」と宣言しています。
70人訳日本語版では「非常に美しかった」となっています。

非常に良かったもの、非常に美しかったものが、
神の目的を果たすことができず、潰えてしまうなどと
いうことが果たしてあり得るでしょうか。
現状が続くのであれば、そうなるかもしれません。
神は全地を治める支配者として、
キリストを任命して、天上と地上の全権をゆだねられました。
現在起きていることは、キリストが全権をゆだねられた状態で、
生じているものです。まだ、完全な支配は実現していません。

もし、ほんとうのところ、地上にいる人間すべてが、
死んでから天国と言われているところに、移住してしまえば、
地上を直接管理できなくなってしまいます。
ですから、地上で生きて王として管理するというのは、
当初からの人間に対する神の目的だったのです。

聖書の神が実在するなら、
地上に対する神の目的は絶対実現します。
神にとっては敗北などはありえないからです…。

復活については、また…。

編集者 ラハム (2020年08月31日 17:06:48)

オフライン

#1253 2020年08月31日 13:32:14

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

神に敗北はあり得ない。私もそう思っています。

#1254 2020年08月31日 14:47:59

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

仰天さんの説明も参考にするとよいと思います。

ここ4年程の調査と研究で、キリスト教世界には、
仰天さんが説明してくださる解釈が存在することは知っています。

わたしは自分なりに聖書を読んで得た理解をガッツさんに知らせました。
ものみの塔組織やエホバ教の焼き直しではありません。
焼き直しに見えるのは、同じ聖書を読んでいるからだと思います。
翻訳は問わないことにしています。
エホバの証人教えや解釈が全部間違っているとは思っていません。
わたしは、自分の解釈が絶対正しいと思いません。
現在得ている、理解や解釈を書いているだけで、
将来的に理解や解釈を修正する可能性は非常に大きいです。
それで、仰天さんが、説明してくださることもしっかり考慮したいです…。

仰天 さんの発言:

キリスト教でも地上の楽園に相当する千年期間の地上の生活がありますが、
ものみの塔組織の見解とは異なります。
もちろん、エホバの証人の教えは間違いです。
新しい天と地に関しては以前、どこかで説明しましたが、
現在存在している万物、諸要素は火で燃え尽きなくなってしまいます。
(※こう書きますとまた、ほいさんが断言するなと言いそうですが、キリスト教の教理ではそうです。)

この考えから世の終わりは近いので地球も滅び去るのだから
環境破壊してもいいとかの極端な発言をした一部の人もいましたが、それは支持しませんが。

ラハムさん、エホバ教ではなく、キリスト教での新しい天と地、
また、クリスチャンに与えられる新しい栄光の体、最後の審判の際に体が与えられ復活して、
魂の苦しみに加えて身体的な永遠の苦痛まで加えられる悪人についても調べてみてはいかがですか?
永遠の滅びとは消滅ではありません。死にたくても死ねない、死のない世界、永遠の生命は聖書の教えです。

ヨハネの黙示録/ 20章 13節
海は、その中にいた死者を吐き出し、死と陰府も、その中にいた死者を吐き出した。
死者はおのおの、その行いに応じて裁かれた。

ヨハネの黙示録/ 20章 14節
死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

ペトロの手紙二/ 03章 10節
しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。
その日、天は激しい音を立てて消えうせ、自然界の諸要素は焼け崩れ、
地とそこで造り出されたものも焼けてしまいます。

ペトロの手紙二/ 03章 12節
神の日の来るのを待ち望み、それが来るのを早めなさい。
その日には、天は燃え尽き、自然界の諸要素は火で溶け去ってしまいます。

ヨハネの黙示録/ 21章 01節
また私は、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は過ぎ去り、もはや海もない。

オフライン

#1255 2020年08月31日 16:32:04

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

アダムが王であったというのも私も知っていました。地上の王である最初のアダムと、同じく王である
最後のアダムであるイエスと調和していますね。
私はそれに、聖書は意図して嘘はついていないと思いますから、命の水は湧くと思っています。
そもそも命の起源は水でもありますので。
私が生きている間に望みが叶うのか、それとも先人のように願いながらも冥府に下るのかは解りませんが。

ラハムさんの、「神に敗北はない」という言葉、とても勇気づけられました。希望を捨てず、一緒に今の時代を
生き抜きましょう。
聖書談義は楽しいですね^^

#1256 2020年08月31日 16:39:13

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

こんな感じにお互いのトピを自由に横断できるといいですね^^
今日も何も起きなかった、きっと明日も起きないだろうと嘆息
しながらも希望を失わないという点で、ものみの塔時代と同じかも
しれないとは思いますが、やはり互いに励ましながら、生き抜きたい
ですね・・・^^

#1257 2020年08月31日 23:03:20

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

http://israel.bona.jp/wp/archives/2360/

個人の方の旅行記です。羊の門とベツザタの池の再現模型の写真が載っています。

大変参考になります。百聞は一見に如かず
外野からだとその国の事情はどこまでも考察になりますが、やはり本国の人が一番よく知っていると
思います。

#1258 2020年09月01日 07:42:26

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ガッツだぜpart2 さんの発言:

http://israel.bona.jp/wp/archives/2360/

個人の方の旅行記です。羊の門とベツザタの池の再現模型の写真が載っています。

大変参考になります。百聞は一見に如かず
外野からだとその国の事情はどこまでも考察になりますが、
やはり本国の人が一番よく知っていると思います。

ベツザタの池の奇跡も含めて、
イエスにとって癒せない病気などなかったことを知るのは、
大きな励みになりますね…。
出来事の場所が発掘されて、存在が明らかなので、
奇跡も実際生じたのだろうと思います…。

オフライン

#1259 2020年09月01日 08:24:56

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

「聖書を理解するためのヒント」トピックは丸ごと削除しました。
もう一度仕切り直ししようと思っています…。

オフライン

#1260 2020年09月03日 08:03:19

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

先月からの出来事で、カレブさんにはメールを四通送っている。
最初の二通は返事をいただいている。
あとの二通の返事をいただいてから新規トピックを始めようとした。
だが、しばらくたっても返事がいただけないので、
とりあえず立ち上げてみて、ふさわしくないということであれば、
それなりの対応をしようと考えていた。

それにしても、これもよい経験だと思っている。

わたし自身も掲示板上で返事をしないことがあると、
さんざん、詰め寄られてきたからだ。

だが、ここまでで振り返ってみると
わたしの質問に対して答えようとしない者も大勢いることが分かる。
主宰者のカレブさんからどうして返事がないのかわからない。
でも、主宰者だからといって、いちいちすべての質問に
答えるようなことをしていれば、身がもたないだろう。
悪く言うなら、無責任だともいえるし、
良く言うなら、臨機応変ということになるだろう。
わたしはそれでいいと思う…。

逆を言うなら、
わたしもすべての質問に答える必要もないということだ。
わたしに質問してきた者たちに、
わたしにとって重要だと思える質問をしても、
答えが返ってこないことも多々あった。
だから、彼らにもわたしを非難する資格などないのだ。
これはたしかなことだと思う…。

もう一点だが、過去ログのほうで、
わたしがだれかに会ったか、会わなかったかということで、
うそをついているという話しが浮上していた。

正直言って、これが何のことかさっぱりわからない。
わたしは書き込むうえで、勘違いや間違いはあったと思うが、
うそを述べてきたことはたぶんないだろう。

わたしがだれかに会ったとか、会わなかったといって、
直接名前をあげられてきたのはタニタさんと鬼太郎さんだったと思う。
先月からの事件で、めぐママなる人物から、
タニタさんと会ったことがあるのかと名指しで質問してきたから、
それは肯定の返事をしておいた。

だが、それ以前は、もとJWと会うことが少人数でも、
オフ会になるかならないのかという話題があったのだが、
わたしの認識ではオフ会に相当しないということを主張した。
仮にタニタさんと会うことがオフ会であったとしても、
そのオフ会に相当するところで、
タニタさんに会ったのですかとは、誰も質問してこなかったと思う。
もしかすると、誰かが質問しているかもしれないが、
わたしには、まったく覚えがない。

そのようなわけで、誰かに会ったとか、会わなかったという話題で、
わたしがうそをついているという主張があるのは、
わたしにとって、摩訶不思議なことなのだが…。

オフライン

#1261 2020年09月04日 09:02:47

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

過去ログのほうで誰かが、
わたしの素行に関する嫌疑は晴れたのだろうか、
ということを述べていた。

実のところ、
わたし自信も晴らすことができたとは思っていない。

某国某女がわたしについてまき散らしてくれた悪評は、
わたしから聴くことができた話をパン粉のように思い切り膨らませて、
実に、もっともらしく真実であるかのように書かれていた。
だから、思い込みの傾向が強いもとJWたちは、
わたしがそのような人物だとたやすく信じ込んでしまうだろう。

けれども、正直言って、わたしが述べることになる、
事情説明も真実であると証明できないこともたしかだ。
某国某女の述べることも同じように真実であると
証明することもできない。

わたしが言えることは彼女はわたしの生活ぶりを
一度たりとも見たことがない。
あたかも見たことがあって、自分の言うことが、主張が、
真実、事実であるように述べているにすぎない。
当事者のわたしにはそれがよくわかる。

わたしからすれば、笑止千万、こっけい極まりない主張だ。
一例として、彼女の最後のほうの書き込みには、
わたしのところに訪問する長老について述べられていた。
書いてあることを読んでみると、
その長老がやってきて、何をして過ごしているのか、
まったく知らないことがわかる。
要するに、想像上の話を書いているのだ。
実にこうしたことが多い…。

だから、事情説明を続けて、閲覧者自身が、
どちらの主張がもっともな話なのか、
判断してもらう以外にないだろう。

それをもって、わたしの素行について結論してほしい…。

編集者 ラハム (2020年09月04日 14:36:58)

オフライン

#1262 2020年09月05日 08:22:40

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

某国某女の言では、
わたしが付き合っている人々は、ヘルパー以外は、
不道徳な者、精神障害者、生活保護受給者だそうだ。
こうした指摘は、言外に差別的、軽蔑的ニュアンスが含まれると
感じるのはわたしだけだろうか…。

わたしたちが不道徳という場合、性に関することだろう。
不道徳だと指摘されているのは、NというもとJWのことだ。
Nとは、もう15年以上音信不通になっている。
生死も不明なのだ。
彼のことを例にして、障害があっても何を必要としているのか、
どのようにしなければならない状態の追い詰められるのか、
悲しむべき現状を知ってもらおうと思う。
それでも、彼は不道徳な人間だと判断されるかもしれない。
あるいは、その程度なら当たり前で、なんでもないさっ、かもしれない。
判断は、読む人に任せよう。
この話は何度かに分ける必要がある。

もう、20年以上前から話を始めることにする…。


ときとして、真実を知り、真実を直視するのは非常に怖いものだ。
ひとつの例として、不治の病に罹患しているのを直視することがある。
それは、人生の後戻りもできず、近い将来の死を宣告されたことになる。
あるいは、その病を背負って、長い残りの人生を過ごすことになる。
残された道は、できる限りの情報を集め、必要なサポートを受け、
できる限りの最善を尽くす以外にはない。
でも、障害や死から遠ざかるのは不可能なのだ。

わたしの場合、
この出来事は組織から出ようとしたときに生じている。
わたしより重度の脳性まひだったNという人物がいた。
Nはわたしと違って自動車の運転はできず、
電動車いすで移動する生活を送っていた。
彼とは、どこかの地域大会で知り会った。笑顔の素敵な男だった。
男のわたしが見てもとても良い感じの笑顔の持ち主だった。
彼とは住所交換をしてそれからの付き合いになった。
30年以上たっただろう。
わたしの居住地から100km程度の道のりだった。

彼の障害はたぶん右腕だったと思うが、
不随意運動が激しく、その腕を前に突き出すことは不可能で、
筋力のアンバランスのため背面に突き出しているような体勢だった。
もう一方の腕もそうとう不自由だった。
だから、キーボードは口にくわえた棒のようなもので打っていたし、
絵画を描こうとするときは絵筆を口でくわえていた。
それで、自力でトイレの用を足すことは不可能だったと思う。

同じ年ということもあり、最初は意気投合していたと思う。
そのころは互いに組織に忠実であったから、
それぞれの信仰を強める交友からの始まりだったのだ。

しかし、わたしは会衆内での自分の扱われ方に
疑念や不満を抱くようになっていたので、彼に打ち明けるようになった。
彼は彼で、JWになってから相当の年数が経過しているのに、
長老になることができなかったので、
「障害者は長老になれないのか」とぼやいたことがあった。
これはわたしも同じ状態だった、この問題には非常に悩まされた。

あるとき、わたしは例のごとく組織に対する不満を述べると、
彼は「そんなことを言いに来たのか」といって、わたしをたしなめた。
だが、半年ぐらいあとだったと思うが、彼の言うことが急に変わった。
半年前には、わたしの言っていたような不満が、彼に口から出てきたのだ。
わたしはあまりの変わりように「どうして、急激に変化したのか」と
彼に質問せざるを得なくなった。

それは、当時JW社会をにぎわせていたニュースに端を発していた。
日本支部委員の本間年男(こう書いたと思う)が排斥されたことだった。
Nはこの原因が知りたくてネット検索したといっていたが、
JW問題の老舗JWICを閲覧することになってしまった。
もちろん、排斥ニュースは記載されていたが、
本間年男の排斥原因については述べられていなかった。
だが、JW問題について山のようなおびただしい資料があり、
それを閲覧して、組織の実態を認識するようになったというわけだ。

そこで、彼の家にあったパソコンで見せてくれるよう頼むと、
「兄弟が、真実を知りたいなら、見たほうがいいよ、
兄弟が、組織に忠実でありたいなら、見ないほうがいいよ」と
わたしに念を押してきた。
後日、わたしに打ち明けてきたことだが、
彼が何を見ているにか話すことは怖かったということだった。
まっとうなJWであれば、
それが何を意味するのか火を見るより明らかなのだから…。

わたしは21歳のとき浸礼を受けていて、
30代前半、1968年のものみの塔を読んだことから、
組織の根幹にかかわる1914年について疑問を持ち始めていたこともあった。
重大な疑問だったが、それを正当化する根拠に乏しかった。
だから、JWICを紹介されて、最初に目に飛び込んできたのが、
レイモンド・フランズの良心の危機だったし、
1914年問題に関する説明だったのは、実に衝撃的だった
25年以上人生をかけて築き上げてきた信仰が
ガラガラ音を立てて崩れていくようだったし、真っ暗闇に
放り出されたような気分だった。

それからというもの、当然なのだが、集会の準備や野外宣教は、
そっちのけで、ネット三昧の日々が続くようになった。
この組織はいったい何だったのか、
わたしの知らない内側で一体何が生じていたのか、
ことの詳細を知ることになった。
主に閲覧したサイトは、JWICに加え、昼寝する豚やSTOP OVERその他だった。
昼寝する豚の主宰者には何度も会っている。オフ会や個人的にも…。

組織に関する事実の詳細を知るようになり、
半年以上はぼうぜんとした状態の日々が続いていた。
集会に参加していても何も聞いていなかったし、
活発に注解に参加していたこのわたしが、
両腕を組み何か考え事をしているような状態に陥ったのだ。
注解にはまったく参加しなくなっていた。
自動車の運転中にもボーッとしていたぐらいだから、
日常生活においても、かなりの程度危険な状態だったと思う。

事実を知ってしまった自分はいったいどうするべきなのか…。
たぶん、エホバに真剣に祈っていただろうが
明確な答えなどは何もなかった。

人間関係を失いたくなかったので、
組織にとどまって外部から見ているような仕方で、
交友を続ける手段がとれないかどうか模索もしていた。
だから、断絶することや排斥の憂き目を見ることは避けようとした。
組織の教義は信じられないが、個々の仲間を嫌ってはいない。
それは現在でも同じだ…。

だが、その方策も無理らしいことがわかってきた。
けっきょく、組織の教えていることは聖書的に無理があるし、
集会に参加していれば、うそだとわかっていることを
信じているふりをすることになってしまう。
要するに、偽り者の仲間になってしまうわけだ。
真実を愛して組織に交わるようになったはずなのに、
うそ、偽りだと知ってしまったことを
信じているふりをし続けることなど、できない相談だ。
神からの直接的な答えは何もなかったけれど、
自分の良心に従うことにした。

それで、将来の必要も考え抜いて、自然消滅を決意した。
そのころ、父親が90歳を超えたこともあり、
父の必要を顧みるという正当な理由で、
割り当てがある集会以外不参加を決め込んだ。
これは事実だから、誰にも疑われなかったと思う。
父のところには、それまでも継続して週一回は通っていた。
だが、集会を休むようになり、その時間帯は、
食事をしてすこしずつ酒を飲むようになっていた。
集会時間中なので、まっとうなJWが訪問してくることはない…。

そのころ7年間以上続けていた群れの書籍研究の司会者を、
理由もろくに説明されず交代させられていた。
長老たち4人と話し合ったが、問題点をすり替えられて、
まったく事情をたしかめることができなかった。
会衆での奉仕の役割もだんだん窓際に追いやられるようになり、
わたしの存在は無視されるようになっていた。
なにがあったのかはここには書かない。
公開講演も事実と異なることを45分も話すので、
嫌気がさして苦痛だった。
長老の引き起こしている問題点を
巡回に相談しても、相手にされなかった。
仲の良かった兄弟と連名で
巡回に手紙を書いてもまったく効果なしだった。

だから、愛すべき人物も多かったが、組織を去ることにした。

オフライン

#1263 2020年09月05日 10:00:33

さやか666
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハム さんの発言:

某国某女の言では、
わたしが付き合っている人々は、ヘルパー以外は、
不道徳な者、精神障害者、生活保護受給者だそうだ。
こうした指摘は、言外に差別的、軽蔑的ニュアンスが含まれると
感じるのはわたしだけだろうか…。

わたしたちが不道徳という場合、性に関することだろう。
不道徳だと指摘されているのは、NというもとJWのことだ。
Nとは、もう15年以上音信不通になっている。
生死も不明なのだ。
彼のことを例にして、障害があっても何を必要としているのか、
どのようにしなければならない状態の追い詰められるのか、
悲しむべき現状を知ってもらおうと思う。
それでも、彼は不道徳な人間だと判断されるかもしれない。
あるいは、その程度なら当たり前で、なんでもないさっ、かもしれない。
判断は、読む人に任せよう。
この話は何度かに分ける必要がある。

もう、20年以上前から話を始めることにする…。


ときとして、真実を知り、真実を直視するのは非常に怖いものだ。
ひとつの例として、不治の病に罹患しているのを直視することがある。
それは、人生の後戻りもできず、近い将来の死を宣告されたことになる。
あるいは、その病を背負って、長い残りの人生を過ごすことになる。
残された道は、できる限りの情報を集め、必要なサポートを受け、
できる限りの最善を尽くす以外にはない。
でも、障害や死から遠ざかるのは不可能なのだ。

わたしの場合、
この出来事は組織から出ようとしたときに生じている。
わたしより重度の脳性まひだったNという人物がいた。
Nはわたしと違って自動車の運転はできず、
電動車いすで移動する生活を送っていた。
彼とは、どこかの地域大会で知り会った。笑顔の素敵な男だった。
男のわたしが見てもとても良い感じの笑顔の持ち主だった。
彼とは住所交換をしてそれからの付き合いになった。
30年以上たっただろう。
わたしの居住地から100km程度の道のりだった。

彼の障害はたぶん右腕だったと思うが、
不随意運動が激しく、その腕を前に突き出すことは不可能で、
筋力のアンバランスのため背面に突き出しているような体勢だった。
もう一方の腕もそうとう不自由だった。
だから、キーボードは口にくわえた棒のようなもので打っていたし、
絵画を描こうとするときは絵筆を口でくわえていた。
それで、自力でトイレの用を足すことは不可能だったと思う。

同じ年ということもあり、最初は意気投合していたと思う。
そのころは互いに組織に忠実であったから、
それぞれの信仰を強める交友からの始まりだったのだ。

しかし、わたしは会衆内での自分の扱われ方に
疑念や不満を抱くようになっていたので、彼に打ち明けるようになった。
彼は彼で、JWになってから相当の年数が経過しているのに、
長老になることができなかったので、
「障害者は長老になれないのか」とぼやいたことがあった。
これはわたしも同じ状態だった、この問題には非常に悩まされた。

あるとき、わたしは例のごとく組織に対する不満を述べると、
彼は「そんなことを言いに来たのか」といって、わたしをたしなめた。
だが、半年ぐらいあとだったと思うが、彼の言うことが急に変わった。
半年前には、わたしの言っていたような不満が、彼に口から出てきたのだ。
わたしはあまりの変わりように「どうして、急激に変化したのか」と
彼に質問せざるを得なくなった。

それは、当時JW社会をにぎわせていたニュースに端を発していた。
日本支部委員の本間年男(こう書いたと思う)が排斥されたことだった。
Nはこの原因が知りたくてネット検索したといっていたが、
JW問題の老舗JWICを閲覧することになってしまった。
もちろん、排斥ニュースは記載されていたが、
本間年男の排斥原因については述べられていなかった。
だが、JW問題について山のようなおびただしい資料があり、
それを閲覧して、組織の実態を認識するようになったというわけだ。

そこで、彼の家にあったパソコンで見せてくれるよう頼むと、
「兄弟が、真実を知りたいなら、見たほうがいいよ、
兄弟が、組織に忠実でありたいなら、見ないほうがいいよ」と
わたしに念を押してきた。
後日、わたしに打ち明けてきたことだが、
彼が何を見ているにか話すことは怖かったということだった。
まっとうなJWであれば、
それが何を意味するのか火を見るより明らかなのだから…。

わたしは21歳のとき浸礼を受けていて、
30代前半、1968年のものみの塔を読んだことから、
組織の根幹にかかわる1914年について疑問を持ち始めていたこともあった。
重大な疑問だったが、それを正当化する根拠に乏しかった。
だから、JWICを紹介されて、最初に目に飛び込んできたのが、
レイモンド・フランズの良心の危機だったし、
1914年問題に関する説明だったのは、実に衝撃的だった
25年以上人生をかけて築き上げてきた信仰が
ガラガラ音を立てて崩れていくようだったし、真っ暗闇に
放り出されたような気分だった。

それからというもの、当然なのだが、集会の準備や野外宣教は、
そっちのけで、ネット三昧の日々が続くようになった。
この組織はいったい何だったのか、
わたしの知らない内側で一体何が生じていたのか、
ことの詳細を知ることになった。
主に閲覧したサイトは、JWICに加え、昼寝する豚やSTOP OVERその他だった。
昼寝する豚の主宰者には何度も会っている。オフ会や個人的にも…。

組織に関する事実の詳細を知るようになり、
半年以上はぼうぜんとした状態の日々が続いていた。
集会に参加していても何も聞いていなかったし、
活発に注解に参加していたこのわたしが、
両腕を組み何か考え事をしているような状態に陥ったのだ。
注解にはまったく参加しなくなっていた。
自動車の運転中にもボーッとしていたぐらいだから、
日常生活においても、かなりの程度危険な状態だったと思う。

事実を知ってしまった自分はいったいどうするべきなのか…。
たぶん、エホバに真剣に祈っていただろうが
明確な答えなどは何もなかった。

人間関係を失いたくなかったので、
組織にとどまって外部から見ているような仕方で、
交友を続ける手段がとれないかどうか模索もしていた。
だから、断絶することや排斥の憂き目を見ることは避けようとした。
組織の教義は信じられないが、個々の仲間を嫌ってはいない。
それは現在でも同じだ…。

だが、その方策も無理らしいことがわかってきた。
けっきょく、組織の教えていることは聖書的に無理があるし、
集会に参加していれば、うそだとわかっていることを
信じているふりをすることになってしまう。
要するに、偽り者の仲間になってしまうわけだ。
真実を愛して組織に交わるようになったはずなのに、
うそ、偽りだと知ってしまったことを
信じているふりをし続けることなど、できない相談だ。
神からの直接的な答えは何もなかったけれど、
自分の良心に従うことにした。

それで、将来の必要も考え抜いて、自然消滅を決意した。
そのころ、父親が90歳を超えたこともあり、
父の必要を顧みるという正当な理由で、
割り当てがある集会以外不参加を決め込んだ。
これは事実だから、誰にも疑われなかったと思う。
父のところには、それまでも継続して週一回は通っていた。
だが、集会を休むようになり、その時間帯は、
食事をしてすこしずつ酒を飲むようになっていた。
集会時間中なので、まっとうなJWが訪問してくることはない…。

そのころ7年間以上続けていた群れの書籍研究の司会者を、
理由もろくに説明されず交代させられていた。
長老たち4人と話し合ったが、問題点をすり替えられて、
まったく事情をたしかめることができなかった。
会衆での奉仕の役割もだんだん窓際に追いやられるようになり、
わたしの存在は無視されるようになっていた。
なにがあったのかはここには書かない。
公開講演も事実と異なることを45分も話すので、
嫌気がさして苦痛だった。
長老の引き起こしている問題点を
巡回に相談しても、相手にされなかった。
仲の良かった兄弟と連名で
巡回に手紙を書いてもまったく効果なしだった。

だから、愛すべき人物も多かったが、組織を去ることにした。







番外編といいますか、ひとつのサンプルとしてNさんを取り上げて話が進んでゆくんですか

きっと最後にラハムさんの主張したい教訓のようなモノが出てくると思うのです


トラブって自己弁護する際のこの手の話し方のパターンですが

確か零細企業の社長さんなんかに多かったと思います




事情に詳しくない人や、過去や世の中をしらない方にはドンピシャで効き目があると思うのですが、あと対等でない目下とか


うまくいけば話がごちゃごちゃになってピンチをしのげるんですよね

でも効力は限定的だと思いますよ


ちょっぴり心配してみました



どうぞお続けください

#1264 2020年09月06日 07:47:23

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

さやかさん、
あなたがどのように考えるかは自由です。
でも、わたしとしては、
「うまくいけば話がごちゃごちゃになってピンチがしのげる」なんて考えていません。
わたしと、わたしの関係者にとって、間違った情報が垂れ流されたので、
わたしの側の真実を説明しようとしているのです。
効果が限定的でも一向にかまいません。
投げ出された言葉というのは、キャッチボールの球のように、
受け取り方が相手によって変化することは避けられません。

とにかく事情を説明しない限り、
某国某女の主張が正当なものになってしまうのは、
どうしても防いでおきたいというのが、わたしの現在の気持ちです…。

オフライン

#1265 2020年09月06日 23:44:02

さやか666
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハム さんの発言:

さやかさん、
あなたがどのように考えるかは自由です。
でも、わたしとしては、
「うまくいけば話がごちゃごちゃになってピンチがしのげる」なんて考えていません。
わたしと、わたしの関係者にとって、間違った情報が垂れ流されたので、
わたしの側の真実を説明しようとしているのです。
効果が限定的でも一向にかまいません。
投げ出された言葉というのは、キャッチボールの球のように、
受け取り方が相手によって変化することは避けられません。

とにかく事情を説明しない限り、
某国某女の主張が正当なものになってしまうのは、
どうしても防いでおきたいというのが、わたしの現在の気持ちです…。




すいません、書き込みに気づきませんでした


ラハムさんの強い気持ちがあって「どうしても」ということですね

#1266 2020年09月08日 07:58:55

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

わたしはものみの塔を去る以外に道はないと判断した…。
Nはわたしより半年ぐらい早く去っていた。

たぶん、わたしが脱出するころだったと思う。
彼に会いにゆくと性的な欲求をどう解消しているのかと質問してきた。
彼の言ははっきり聞き取れなかったが、射精を自分でしているのか、
自然に任せているのかという質問だったと思った。
わたしにもこれについてははっきり返事はしなかったと記憶している。
しかしながら、体液が体にたまってくれば、
夢精によって自然に排泄されるんじゃあないかと言ってみたが、
彼の場合、自然に排泄されないと話していた。
脳性まひの場合、夢精は起こりにくいのだろうか…。

それで、彼はネットを活用して、
セックスボランティアを探しているといっていたのだが、
海外では存在しても、当時の日本では見つけられなかった。

おそらく、その後、彼に会ったときには、
ソープランドに行き、性的な欲求を満たしてきた、
という話しを聞かせてくれた。
わたしには、考えたことのないような話だった。
ソープランドがどこにあるのかわたしにはわからなかったが、
彼に話では電動車いすで行けるような距離ではなかった。
そこで、彼が言うにはヘルパーとソープランドの入り口まで
行ってもらうと、体格にいい従業員の男性が彼を
肩に担ぎあげて中に連れて行ってくれた、ということだ。
ヘルパーは処理を終えるまで外で待機している。
これ以上は説明不要だと思う。

手の不自由な彼は、これ以外に方法がなかった。

このようなことを小学生前からの知り合いの、
Aという脳性まひ者に話すと、
ソープランドに行きすぎて、親から相続した財産を
すべてつぎ込んだ者もいるので、注意するよう話してくれた。

だから、手が不自由で自分で性的な欲求を満たせない、
重度障害者が多く、ソープランドを活用していることを知った。

わたしは、このころ神に対する信仰は失っていたし、
Nも完全にものみの塔信仰から離れてしまっていたと思う。

彼は、どうしてものみの塔に心を奪われたんだろう、
もし、ものみの塔に入らなければ何をしていただろう、
というようなことを話し、
障害者運動をしていたかもしれない、
結婚して孫もいたかもしれないなどと言っていた。

彼は近所のデイサービスに行き、口で絵筆を加えて、
きれいな絵画を描いていた。カラオケにいっしょに行ったこともある。

だが、わたしたちはものみの塔を離れて、時間の経過とともに、
生き方や趣味が異なっていたこともあって、徐々に疎遠になり、
付き合いが切れて、今日に至っている。
互いに生死を確認していない。
どうしているだろうか…。

そのころ、新聞掲載の書籍の広告を見ていると、
「わたしは障害者専門のデリヘル嬢だった」という
衝撃的な内容が目に入ってきた。
それって、どういうことなのだろうと考えた、
わたしはさっそく、取り寄せて読んでも見ることにした。
内容的には、好奇心を誘うようなものではなくて、
一人の若い女性が障害者を相手にした、
デリバリーヘルスという仕事をしていたというものだった。
最後のほうに、医師だったと思うが、コメントがあり、
書かれているような内容のことは障害者には、
生じえることだというものがあって、
内容に信ぴょう性があることを説明していた。

幾つかの内容は今でも記憶しているが、これは書かない。
その書物も、わたしのところに来てくれたデリヘル嬢に
読むよう渡して、戻ってこなかった。
わたしはこのころ暗やみだった…。

わたしの場合、一人で生活しているので、
ソープランドよりもデリヘルのほうが利用しやすいと思った。
しかしながら、ほんとうに障害者専門のデリヘルなどというものが
存在するのだろうか、半信半疑だった。

そこで、ネット検索すると確かに存在していて、
健常者相手のデリヘル嬢より利用料金が安かった。

そのころのわたしの心情としては、
もう、50歳になろうとしているのに、妻を得ることもできない、
どのような努力を払っても恋人のひとりも見つからない、
このままではいのちの限りが来てしまうだろう、
だから、合法的な方法であるのなら、
多少の金銭的代価を支払ってでもいいから、
女性の柔肌に触れて楽しんでみたい、
このまま死んでしまうのは、どうしてもいやだ、
とういうものだったのだ。

しかし、JWとしての良心が多少なりとも残っていたので、
それはどうかと、少しは躊躇することもあったが、
勇気を振り絞って決行することにしたわけだ。

そのような気持ちの中でデリヘルを依頼したのだが、
正直なところ絶望感と失望感だけが残されることになった。

そのころより、10年ぐらい前、福祉専門学校を卒業したばかりの、
女性と車内で濃密な接触があったことは正直に述べている。
彼女はわたしのことをほんとうに好いていてくれたし、
わたしもほんとうに彼女が好きだった。
好き合っている者同士しか得られないであろう感触があった。
これを味わいたかったのだが、それはまったくの期待外れだった。
好きでもない、愛してもいない異性に触れることができても、
その快い感触はまったくないことを知ることになった。
だから、何度かは依頼しているが、いやになった。
金もかかるし…。
それ以来、まったく頼まなくなり、10年以上たつだろう。

性的な欲求を感じるよう人を創造された神は、
何らかの方法で、その欲求を満たそうと必死になっている、
重度障害者を断罪されるのだろうか…。

こうした記述を読む閲覧者の皆さんはどう感じるのだろうか。
Nやわたしのような者たちを不道徳な者と決めつけるのだろうか。
このような問題は、この世の中が続く限り存在するだろう…。
誰も解決することはできないであろう、と思う…。

もし、不道徳な者と決めつけるのであれば、
それに代わる何か、言葉だけでなく、実際的な方法をもって、
ぜひとも助けてほしいものだ、と願う。

人が、他の人の最善の福祉を顧みることは、
なんと難しいのだろうか…。

オフライン

#1267 2020年09月08日 20:28:31

さやか666
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

省略しすぎだったらごめんなさいね

整理すると

知り合いのNさんが風俗を利用していたことを知った

そしてその後

新聞広告等をきっかけにラハムさんも何度か風俗を利用したこと

現時点の社会では重度障害者の性に関する十分なケアがなされていない

(すいません、ケアという言葉は上から目線で相応しくないかもしれませんが… )


性欲が3大欲求のひとつとはいえ



じゃあ「他者との性関係は当たり前の権利なのか?」と考えたら、私はそれは違うのかなと思っちゃいます。


きっと、射精だとか夢精だけの問題ではなくて

人との繋がりや尊厳みたいな話にもなってくると、めちゃくちゃフォローが難しいのではないでしょうか

あと重度障害者の中でも性的嗜好がそれぞれ違ったりしませんか?

ホワイトハンズさんみたいな団体が増えてサービスが行き届いたとしても、不満はゼロにはならないでしょう


それでですね、悩み抜かれたラハムさんなりの「こうなったらいいな」というアイデアとか要望はありますか?

#1268 2020年09月09日 00:38:17

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

独身の人はラハムさん以外にもいますから。今、凄い勢いで増えてます。
むしろ独身でいいとか、それどころか本当に何も知らない人いますから。
ラハムさんに本当に足りないのは、人生を費やしていいものを見つけて
いない事だと思います。
結婚はついでについてくるものなので御縁があればするし、それまでの事です。
ちなみに私の弟はいい年ですが独身です。自分なりの信念があって、独身を
通すそうです。

#1269 2020年09月09日 00:44:41

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

女性でも独身を貫き通そうとしている人もいます。

どうしてもこうでなければいけないという固定観念はいらなく
なるかもしれません。

結婚は心と心の結びつきでするものですから、まずはそれを最初に考えるべきだと
思います。そうすれば、自分がこの人と結婚する事によって、この人は今後どんな
人生を生きる事になるのだろうと真っ先に浮かぶと思います。

#1270 2020年09月09日 02:58:48

恥ずかしい
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハム さんの発言:

わたしはものみの塔を去る以外に道はないと判断した…。
Nはわたしより半年ぐらい早く去っていた。

たぶん、わたしが脱出するころだったと思う。
彼に会いにゆくと性的な欲求をどう解消しているのかと質問してきた。
彼の言ははっきり聞き取れなかったが、射精を自分でしているのか、
自然に任せているのかという質問だったと思った。
わたしにもこれについてははっきり返事はしなかったと記憶している。
しかしながら、体液が体にたまってくれば、
夢精によって自然に排泄されるんじゃあないかと言ってみたが、
彼の場合、自然に排泄されないと話していた。
脳性まひの場合、夢精は起こりにくいのだろうか…。

それで、彼はネットを活用して、
セックスボランティアを探しているといっていたのだが、
海外では存在しても、当時の日本では見つけられなかった。

おそらく、その後、彼に会ったときには、
ソープランドに行き、性的な欲求を満たしてきた、
という話しを聞かせてくれた。
わたしには、考えたことのないような話だった。
ソープランドがどこにあるのかわたしにはわからなかったが、
彼に話では電動車いすで行けるような距離ではなかった。
そこで、彼が言うにはヘルパーとソープランドの入り口まで
行ってもらうと、体格にいい従業員の男性が彼を
肩に担ぎあげて中に連れて行ってくれた、ということだ。
ヘルパーは処理を終えるまで外で待機している。
これ以上は説明不要だと思う。

手の不自由な彼は、これ以外に方法がなかった。

このようなことを小学生前からの知り合いの、
Aという脳性まひ者に話すと、
ソープランドに行きすぎて、親から相続した財産を
すべてつぎ込んだ者もいるので、注意するよう話してくれた。

だから、手が不自由で自分で性的な欲求を満たせない、
重度障害者が多く、ソープランドを活用していることを知った。

わたしは、このころ神に対する信仰は失っていたし、
Nも完全にものみの塔信仰から離れてしまっていたと思う。

彼は、どうしてものみの塔に心を奪われたんだろう、
もし、ものみの塔に入らなければ何をしていただろう、
というようなことを話し、
障害者運動をしていたかもしれない、
結婚して孫もいたかもしれないなどと言っていた。

彼は近所のデイサービスに行き、口で絵筆を加えて、
きれいな絵画を描いていた。カラオケにいっしょに行ったこともある。

だが、わたしたちはものみの塔を離れて、時間の経過とともに、
生き方や趣味が異なっていたこともあって、徐々に疎遠になり、
付き合いが切れて、今日に至っている。
互いに生死を確認していない。
どうしているだろうか…。

そのころ、新聞掲載の書籍の広告を見ていると、
「わたしは障害者専門のデリヘル嬢だった」という
衝撃的な内容が目に入ってきた。
それって、どういうことなのだろうと考えた、
わたしはさっそく、取り寄せて読んでも見ることにした。
内容的には、好奇心を誘うようなものではなくて、
一人の若い女性が障害者を相手にした、
デリバリーヘルスという仕事をしていたというものだった。
最後のほうに、医師だったと思うが、コメントがあり、
書かれているような内容のことは障害者には、
生じえることだというものがあって、
内容に信ぴょう性があることを説明していた。

幾つかの内容は今でも記憶しているが、これは書かない。
その書物も、わたしのところに来てくれたデリヘル嬢に
読むよう渡して、戻ってこなかった。
わたしはこのころ暗やみだった…。

わたしの場合、一人で生活しているので、
ソープランドよりもデリヘルのほうが利用しやすいと思った。
しかしながら、ほんとうに障害者専門のデリヘルなどというものが
存在するのだろうか、半信半疑だった。

そこで、ネット検索すると確かに存在していて、
健常者相手のデリヘル嬢より利用料金が安かった。

そのころのわたしの心情としては、
もう、50歳になろうとしているのに、妻を得ることもできない、
どのような努力を払っても恋人のひとりも見つからない、
このままではいのちの限りが来てしまうだろう、
だから、合法的な方法であるのなら、
多少の金銭的代価を支払ってでもいいから、
女性の柔肌に触れて楽しんでみたい、
このまま死んでしまうのは、どうしてもいやだ、
とういうものだったのだ。

しかし、JWとしての良心が多少なりとも残っていたので、
それはどうかと、少しは躊躇することもあったが、
勇気を振り絞って決行することにしたわけだ。

そのような気持ちの中でデリヘルを依頼したのだが、
正直なところ絶望感と失望感だけが残されることになった。

そのころより、10年ぐらい前、福祉専門学校を卒業したばかりの、
女性と車内で濃密な接触があったことは正直に述べている。
彼女はわたしのことをほんとうに好いていてくれたし、
わたしもほんとうに彼女が好きだった。
好き合っている者同士しか得られないであろう感触があった。
これを味わいたかったのだが、それはまったくの期待外れだった。
好きでもない、愛してもいない異性に触れることができても、
その快い感触はまったくないことを知ることになった。
だから、何度かは依頼しているが、いやになった。
金もかかるし…。
それ以来、まったく頼まなくなり、10年以上たつだろう。

性的な欲求を感じるよう人を創造された神は、
何らかの方法で、その欲求を満たそうと必死になっている、
重度障害者を断罪されるのだろうか…。

こうした記述を読む閲覧者の皆さんはどう感じるのだろうか。
Nやわたしのような者たちを不道徳な者と決めつけるのだろうか。
このような問題は、この世の中が続く限り存在するだろう…。
誰も解決することはできないであろう、と思う…。

もし、不道徳な者と決めつけるのであれば、
それに代わる何か、言葉だけでなく、実際的な方法をもって、
ぜひとも助けてほしいものだ、と願う。

人が、他の人の最善の福祉を顧みることは、
なんと難しいのだろうか…。


ポルノ系ですか?  この掲示板は。

ラハムさんは 頭の毛がないとの事ですが それ自体に問題はないです。ユル ブリンナー
ブルース ウィリス  カッコいいです。
でも、ラハムさんには  タコオヤジ  というか、頭の中 脳みそがなくて、頭の中に 精巣  睾丸 が詰まっている という印象です。
イイダコ なら売れます。

デリ@@も 障害者は恩恵を受けて 安いのですか?  車椅子から 担いでもらうのに別途料金もかからず。  冷蔵庫を捨てるにも 別料金がかかりますよ。
充分に 福祉の恩恵を受けているではないですか?  社会が無秩序にならないように はけ口、 補助もあるのですね。

甘えるにもほどがある。  いい加減にしなさい!

#1271 2020年09月09日 05:25:54

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

早朝からおはようございます。

ラハムさん、昭和から令和へ女性も変わりました。
理想とする女性は同年代かもしれません。
ちなみにイスラム圏でも少しずつ変わっていくようですね・・・
https://www.youtube.com/watch?v=Yh_OuuiUkTI
https://www.youtube.com/watch?v=q9XvlXN9cnI

#1272 2020年09月09日 06:42:27

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

つまり聖書は何の役にも立たなかったという事ですね。

#1273 2020年09月09日 07:57:09

赤面症
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

テストステロン強者にして健常者の仰天さんさえ、性欲を制御するのに苦心の毎日を送っておられます。障碍者、健常者は関係ありません。

仰天さんは熱い信仰心と独自の聖書解釈と女性の尊厳を考えて、お金で女性を思い通りにするデリヘルや風俗を利用しようなどと頭をかすめたことさえないでしょう。

この世に生を受けて以来、柔らかい女性の肌に触れたのはママのおっぱいだけです。
サンダースさんでしたか統治体のお坊さんのような兄弟と同じです。

仰天さんは大勢の見守るなか堂々と男らしく、シセイさん、ゆりさん、ぽんちゃんさんに粉をおかけになって来ました。
そして彼女たちに無視されると
>>掲示板で見つけようとは思ってません。ユーモアでした。と清く引きます。
引き際の美学をご存じです。

そんな仰天さんはどのように明るく前向きに愚痴をこぼさず毎日を過ごしておられるかと言うと、日によっては何十回と掲示板に投稿することでご自分を昇華させておられるのです。

さてラハムさんですが正直に過去を告白された今、もはや事件前のラハムさんではありません。
某国某女(野の花氏のことですね)が言った偽善者ラハムは卒業しました。
障碍者の日常生活も具体的に説明しましたから理解者も増えつつあるのではないでしょうか。

ラハムさんの勇気ある告白と事件前からの変わらぬ聖書への関心の高さから、もしかすると
ラハムさんの心と体に寄り添いたいという女性が出て来るかもしれません。
”叩き続けなさい、さらば開かれん”とありますから、頑張って下さい、もう少しです。


追伸、脱塔まえに書籍研究司会を降ろされて窓際に追いやられて、長老たちからも冷たくされ巡回監督にも無視されたとはひどい話です。いったい何があったのか、冤罪かもしれません。
教えていただけると幸いです。

#1274 2020年09月09日 12:11:23

何が望みなの
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさんは結局何が望みなのですか?

私が理解した範囲では、

1.ラハムさんは不道徳ではない、ラハムさんのような人が金銭を払って性的サービスを受けるのは当然だと、言ってもらいたい。

2.障がい者用の性的サービスをもっと充実してほしい、できれば金銭面で公的な補助をしてほしい。

3.特に望みはないが、書きたかったので、だらだらと書いた。

という3つくらいが思いつくのですが、どれなのでしょうか?それとも別な望みがある?

追伸:赤面症さんの書き込みの前半はとてもおもしろい内容ですね。

#1275 2020年09月10日 07:45:58

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ガッツだぜpart2 さんの発言:

つまり聖書は何の役にも立たなかったという事ですね。

親友Nの場合、そうだったかもしれない。
わたしの場合は、どう考えるべきだろうか。
聖書ではなく、
役に立たないのは、ものみの塔の教理だろうと思うが…。

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