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#1 2015年04月20日 06:32:35

トッカン
ゲストユーザー

外国語会衆で

自分で勝手にトピック作っちゃっていいですか?(ダメなら別スレッド、立ててください)>管理人さん

聴覚障害者(ろうあ者)たちへの伝道は今、どうなっているのか知ってる方、教えて下さい。知らなくても、そういう現状をどう思うか、意見をお願いします。

縁あって、手話会衆のメンバーと仲良くなりました。他言語の会衆・群れは大抵、その言語のネイティブスピーカーよりも、「必要の大きな土地(私、この言い方キラい)に入ってきた、ハッキリ言って下手な日本人」の数の方が多いそうですね。手話の場合も同じで、ろうあ者よりも健聴者の方が多い会衆だそうです。

その姉妹が言うには、「日本語(元の英語も)には、記事の書き方にバリエーションが多くて、場合によってはオブラートに包んだような、ぶっちゃけ、どうとでも取れる表現方法があるけど、手話の場合は“ストレートど真ん中”みたいな翻訳とか言い方が必要、ろうあ者に伝わらないから」そうです。聞こえない人生を送って来たので、学校教育の理解度の遅れで(つまりは読解力が低くて)、回りくどい言い方では通じない、という事情でそうなっている、と。
終わりの日、ハルマゲドン、性道徳、世の人との交わり、輸血、排斥(排斥者と交流しない)、良心的な決定……etc. のような、「ビミョー」な教理を説明するなどの時、そして、新しい光、理解の調整の時には迷う。

日本語だったら、「~しない方が良いと思うかもしれない」「~することもできる」みたいな、どうとでも取れる表現でお茶を濁す?ところを、手話では「~は良い・悪いです」「~してもどっちでもいいです」「以前の教えは勘違いでした」と“直球勝負”的な言い方に変えなければならない。
初めて聞く事情に驚きの連続でした。

「ハルマゲドンはいつか?」という、私たちにとって最大関心事は、日本語で説明するのもためらってしまう(近いのは確か(?)なんだが、ドンピシャリの日付は分からない、とか)のを、「○○年△△月××日」とも言えず……

たぶんベテルの近所では、手話動画撮影関係で奉仕してる兄弟たちが常駐?してるから大丈夫だろうけど、遠隔地の会衆では集会に出席してる人だけでなく、伝道で会うろうあ者とか、研究生になったろうあ者に「ハルマゲドン、いつ?」とかはどういうふうに説明してるのか、知りたいです。

どの外国語会衆でも限らないことでしょうが、何か知ってることがあれば、教えてください <(_ _)>

#2 2015年04月20日 08:26:44

ボアネルゲス
ゲストユーザー

Re: 外国語会衆で

手話会衆の伝道ではかなり前からポータブルDVDプレイヤーを使用して協会の用意した手話の証言ビデオを見せる方法が行われて来ました
集会でもビデオが用いられるので、基本的に協会の翻訳した手話表現を目にする機会は多いので、個人が注解や話をするときもそれに倣っているのではないでしょうかね

#3 2015年11月06日 04:25:11

ヤブアリ クロシ
ゲストユーザー

Re: 外国語会衆で

ヤブアリ クロシ

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#4 2015年11月06日 05:23:48

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 外国語会衆で

ずいぶんお詳しいですね>トッカンさん、ボアネルゲスさん

DVD資料の出現は手話会衆の活動に劇的な変化をもたらしました。もちろんVHSビデオも歓迎されましたが、あれはいわば「巻物の聖書」のように頭出しが大変で、目指す聖句や出版物のページをぴしゃりと呼び出すのに一苦労だし、プレーヤーはかさばるし。

その点DVDは各章各節ごとに目盛り?がついているので、ピンポイントでそこにたどり着けますからね。巻物 ➡ コーデックス(冊子本)への進歩と似ています。使い過ぎて劣化、とかもありません。

タブレットの登場はさらに劇的に野外奉仕のスタイルを変えました。DVDだと各出版物ごとにプレーヤーを止めてディスクの入れ替えをし、「さっきの続き」に戻る段になったらまた入れ替える……の繰り返しが必要ですが、タブレットはほぼすべての出版物が一枚に格納できるので煩わしさから解放されるわけです。また、家の人・研究生にディスクをブツで渡すより「自分でダウンロードして読んでね」と言い残すほうが、受け取る側も気楽ですしね。

ただ日本手話では、入手できる出版物の数がかなり限られているようで、新世界訳聖書すら発表されていません(なんでだろう?)ゆえに「聖書を定期的に読みましょう」という勧めはイコール、「研究記事や書籍を個人研究で何度も見ましょうね」という意味になるそうです。

ということは、ろう者(ろうあ者)の学ぶ資料は、聖書そのものではなく必然的に「協会の見解のみ」ということになります。この点は私も個人的には問題だと思います。ころころ変わる ”調整された見解” とやらの根拠になっているはずの聖句を見せてもらえないからです。協会の腹一つでどうとでもなる、というか……

メジャーでない他の諸言語でも似たような状況じゃないんですか? ヤブアリさん言及のアラビア系(右から左に向かって書く)言語も遅れを取っているはずです。インドネシアで開拓奉仕している皆さんも「ムスリムには近づけない」と言っていました(改宗=死刑だからおいそれと証言できない)

「人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう ➡ 終わりが来るのです」(マタイ24:14)まだ伝わってない人々がこんなに大勢いるのに、ハルマゲドン近い近い、の?

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