#51 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年01月04日 09:11:24
#53 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2020年12月31日 16:56:07
知り合いで、心がJWから完全離脱した彼が、
「JWの聖書研究は答え合わせだ」と言ったのを思い出す。
最近、40年来の知り合いで現役長老がやって来ると、
わたしの部屋に置いてある酒を飲みたいというので、
さかなも出してやり毎週飲むことが多くなった。
それはそれでいいのだが、彼が地元会衆の公開講演に誘ってくれた。
要するに、彼自身が話すので聞いてみないかということなのだ。
わたしはもう、18年ぐらいはものみの塔研究、
公開講演に参加していないと思う。
20代前半からの旧友だから聞くぐらいはいいかと思った。
参加すると言っても、言わずと知れたコロナ騒ぎで
ネット上の参加でしかない。
だが、聞き始めてみると、
どこかで聞いたことがあると思い始めた。
わたしも現役時代は100回ぐらい講演しているし、
同じ内容を何度か扱ったこともあった。
彼の話を聞いているうちに
わたしもそれを二度ぐらいしていることを思い出した。
若いころと比べると話し方がうまくなったなあという印象だ。
だが、不思議な気持ちにもなった。
何だか物足りないというのか幼稚というのだろうか、
そのように感じているわたしがいることに気が付いた。
どうしてそのように感じるのかあれから考え込んでいる。
せっかくだから、答え合わせのものみの塔研究も参加した。
聖書についての質問さんが扱ってくれた記事だ。
特に9節は大きな疑問だった。
わたしが現役だったとき、現在のJWが使用しているような
カートという出版物を展示するアイテムはなかった。
だから、自分で考えて音楽の譜面台を使うことにした。
これを三つ持ち歩いて、雑誌や書籍を展示していた。
風が強いと倒れてしまうのが難点だったし
寒い日は体の芯まで冷えて辛いものがあった。
現在のように見張り番はいなくて、一人で立っていた。
おっと、わたしの場合は座り続けただなあ…。
孤独との戦いだったと思うし、
記事に記載されているように印刷物を受け取る人は、
ほとんど現れなかった。
たぶん、1995年前後だっただろう。
わたしは二つの警察署に道路使用許可書をもらいに、
直接出向いていたので、上記のことはよく記憶している。
2011年ごろニューヨーク市で試験的な取り組みが始まっただなんて、
わたしたちや、過去のJWたちがずっと前から行ってきたと、
とても強く指摘したいと思うのだが…。
#54 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2020年12月31日 16:47:24
知り合いで、心がJWから完全離脱した彼が、
「JWの聖書研究は答え合わせだ」と言ったのを思い出す。
最近、40年来の知り合いで現役長老がやって来ると、
わたしの部屋に置いてある酒を飲みたいというので、
さかなも出してやり毎週飲むことが多くなった。
それはそれでいいのだが、彼が地元会衆の公開講演に誘ってくれた。
要するに、彼自身が話すので聞いてみないかということなのだ。
わたしはもう、18年ぐらいはものみの塔研究、
公開講演に参加していないと思う。
20代前半からの旧友だから聞くぐらいはいいかと思った。
参加すると言っても、言わずと知れたコロナ騒ぎで
ネット上の参加でしかない。
だが、聞き始めてみると、
どこかで聞いたことがあると思い始めた。
わたしも現役時代は100回ぐらい講演しているし、
同じ内容を何度か扱ったこともあった。
彼の話を聞いているうちに
わたしもそれを二度ぐらいしていることを思い出した。
若いころと比べると話し方がうまくなったなあという印象だ。
だが、不思議な気持ちにもなった。
何だか物足りないというのか幼稚というのだろうか、
そのように感じているわたしがいることに気が付いた。
どうしてそのように感じるのかあれから考え込んでいる。
せっかくだから、答え合わせのものみの塔研究も参加した。
聖書についての質問さんが扱ってくれた記事だ。
特に9節は大きな疑問だった。
わたしが現役だったとき、現在のJWが使用しているような
カートという出版物を展示するアイテムはなかった。
だから、自分で考えて音楽の譜面台を使うことにした。
これを三つ持ち歩いて、雑誌や書籍を展示していた。
風が強いと倒れてしまうのが難点だったし
寒い日は体の芯まで冷えて辛いものがあった。
現在のように見張り番はいなくて、一人で立っていた。
おっと、わたしの場合は座り続けただなあ…。
孤独との戦いだったと思うし、
記事に記載されているように印刷物を受け取る人は、
ほとんど現れなかった。
たぶん、1995年前後だっただろう。
わたしは二つの警察署に道路使用許可書をもらいに、
直接出向いていたので、上記のことはよく記憶している。
2011年ごろニューヨーク市で試験的な取り組みが始まっただなんて、
わたしたちや、過去のJWたちがずっと前から行ってきたと、
とても強く指摘したいと思うのだが…。
#56 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年12月19日 05:53:37
#145の続きです。
律法に通じた人がイエスに対して、
律法の中で最も重要なおきてはどれですか、
という問答が記録されているのは、
マタイ22:34-40、マルコ12:28-34、ルカ10:25-28です。
どの聖句も命令形で述べられています。
さて、わたしがエホバの証人と距離を置くようになってから、
自力でギリシャ語本文から
日本語に聖書を翻訳している人と出会ったのです。
そこで、思い切って彼にその質問をぶつけてみました。
そうしたところ、ギリシャ語では命令形になっておらず、
「愛するであろう」という未来形になっているということでした。
だから、神と隣人を愛する「であろう」という意味だったのです。
わたしは、この説明を聞くことができて大きく安堵しました。
人に愛するという特質を付与された創造者は、
人に決して無理な要求をされる方ではないとわかったからです。
さらに最近になり、もう一度聖書の真意を知りたくなりました。
エホバの証人の長老と聖書研究をしたことのある、
牧師さんとも出会うことになったのです。
彼は地域大会や巡回大会、会衆の集会にも積極的に参加していました。
ただ、王国宣教をもらえるところまでいかなかったことを
残念がっておられましたが、エホバの証人は
良い人が多いとほめておられます。
彼が言うには、聖書にもどればいいんだ、
聖書があるのだから、自分で読んで考えるんだ、が口癖です。
エホバの証人も集会で聖書通読がプログラムされているし、
毎日読むようしきりに励まされていると思います。
そこで、わたしは思いついたのです。
「論じる」の本の見開きに紹介されていた
現役時に、日本語訳聖書は全部読んだことがありました。
探してみると日本語訳はもっとたくさんあることがわかったので、
それらを収集し、活用して聖書の意味合いを探ろうと考えたのです。
その一つとして岩波書店が発行している、
「聖書翻訳委員会訳」があり、これを分冊版で、
ヘブライ語部分とギリシャ語部分を全巻購入することができました。
さて、岩波版聖書は分冊で発行されているほうが、
写真や図版がはいっており、脚注の豊富なので一冊ずつ購入してきました。
神と隣人を愛することが最大のおきてであると述べている聖句には
マタイ、マルコ、ルカがあるわけですが、どれも脚注が付いています。
代表としてマタイ22:37,38を引用してみます。
するとイエスは彼に言った、
「お前は、お前の主なる神を、お前の心を尽くしつつ、
お前のいのちを尽くしつつ、お前の思いを尽くしつつ、愛するであろう。
これが最も大いなる、そして第一の掟である。
第二の掟もこれと同じである。
「お前は、お前の隣人をお前自身として愛するであろう」。
この聖句の脚注ですが、
「申命記6:4,5.他の邦訳は命令形に訳すが、原文では二人称単数未来形」。
同じくマルコ12:29の脚注は、
「申命記6:4,5。また文面に関してはヨシュア記22:5(70人訳聖書版も参照)。
なお、他の邦訳ではすべてこれを命令形で訳す。
命令的ニュアンスはたしかにあるが、元来は翻訳のように未来形」。
さらに、ルカ10:27の脚注では、
「本節の『愛するであろう』は命令的要素を持つ未来形」。
「邦訳」というのは「日本語訳」という意味です。
ギリシャ語から自力で日本語に聖書を訳している人から説明を聞いていたことが、
日本語に訳された聖書と脚注によって証明されることになって
大いに納得でき、とても晴れやかな気持ちになりました。
命令的要素を持っているのですから、
命令調で述べられても間違いではないと思います。
しかし、神の特質や人に対する愛情深い扱いを知り、経験することにより、
自然の心の発露として、神を愛するようになるということでしょう。
神の人間に対する期待感を込めた未来的な命令だったと思います。
こうして、人を創造された方は、その心の傾向をご存知であり、
決して、無理な要求はされないことを知って、大いに安堵したのです…。
長いことかかりましたが、一つの聖句の意味合いを知ろうという、
探求は大きく報われることになりました…。
#58 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年12月12日 10:36:43
#59 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2020年12月10日 17:18:11
#62 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年12月07日 16:10:38
読書感想文です…。
「清い崇拝」第二章ですが、
心からエホバ神を愛することについて説明されていると思います。
それは人間として当然のことで、最大限重要なことだと思うのですが…。
「あなたは、心を尽くし、力を尽くし、自分の全てを尽くして、
あなたの神エホバを愛さなければなりません」と述べられています。(申命記6:13)
これは知っての通り、律法の中でどれが最大のおきてですかと、
イエス・キリストに質問した人物に答えとして引用された聖句でした。
「イエスは言った、あなたは、心を尽くし、知力を尽くし、自分の全てを尽くして、
あなたの神エホバを愛さなければならない。これが最も重要な第一のおきてです」。(マタイ22:37,38)
この後の会話で、隣人を自分のように愛することが二番目に重要なおきてであると言われました。
たしかにこの通りで神と隣人を愛することが最重要なことだと現在でも思います。
ですが、わたしは長いこと不思議な聖句だとも思い続けてきました。
なぜなら、愛することが命令されているからなのです。
なぜなら、人間の強大な支配者である一国の王たるものが、
自分の好ましいと思った女性に対して、自分を愛するよう厳命したとしても、
はたして、そのような女性に王を心から愛させることができるのだろうか、と思ったのです。
聖書中の実例として、ソロモン王を考えることができそうです。
彼は繁栄を極めた絶頂期のイスラエルの王でした。
彼は貧しいブドウ園を管理するシュラムの乙女に言い寄ったわけですが、
彼女を自分の妻にすることはできませんでした。もちろん愛させることも…。
聖書に収録されている「ソロモンの歌」は彼の失恋の歌としても知られています。
だから、そのような実例もあって、人間は命令されたからと言って、
神や他の人を愛するようにはなれないだろうと考えたのです。実際には無理だって…。
そして、人間を創造し、愛するという心の働きを与えた方は、
そのような人間の特性を理解されずに、ご自分を愛することを命じられたのかと、
ずっと思い続けてきました…。これは大きななぞだったのです。
#66 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年11月15日 06:09:51
ローマ9:5にあらわれる、
「万物の上におられる神であるキリスト」についてです。
新改訳聖書2017年版の訳出は、
「キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です」が、
第三版では脚注に別訳が紹介されていました。
「万物の上にある神はとこしえにほめたたえるべきかたです」です。
フランシスコ会訳合本では、
「万物の上におられる神であるキリスト」となっています。
注解もそこに付されていました。
ところが、最近手に入れた分冊版では、
「万物の上におられる神は永遠にたたえられますように」という訳です。
ここには合本版より長い注が付いていて、
ここで「キリスト」は、約束された「メシア」(救い主)の意を含んでいると解される。
本節後半は、前半との関連上キリストに対する栄唱と解し、
「万物の上におられる神である彼(キリスト)は、
永遠にたたえられますように。アーメン」と訳すことが、
テキストの区切り方によって可能であり、
また、人間キリストと神キリストとの対比が見られる文脈に合っているようにも思われる。
このような対比はすでにローマ1:3,4にも見られた(1注3参照)。
しかしながら、パウロはそのすべての書簡のいかなる箇所においても、
キリストを直接に神とは呼んでいないので、
本訳のように、神に対する栄唱と解する方がよいと思われる。
このような神への栄唱は他の箇所にもよく見られる(特にローマ1:25、コリント第二11:31参照)。
なお、「彼〔キリスト〕は万物の上にいます。神はとこしえに祝福あれ。アーメン」と読む者もいる。
所蔵の日本語訳ぜんぶを見ていませんが、10ぐらい比較してみました。
キリストを神としている翻訳と、していない翻訳が半分ぐらいありました。
ティンダル聖書注解では、ここの解説と反対のことが述べられていました。
やはり、解説者の信条が表れやすい聖句なんだろうと思います。
参照資料付きの新世界訳の付録も詳しい解説があります。
フランシスコ会の分冊をちょっとずつ購入して良かったかなという感じです。