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#1 Re: 親睦・相談 » JW辞めてよかった体験 » 2021年05月25日 21:48:22

Jay

通りすがりさん、深い話をありがとうございます。

仰ることを読ませていただいた時、パスカルの「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」という言葉を思い出しました。自然界においての個々の人の存在はか弱いものです。しかしそれらが群となり「考える存在」となった時、多くのことを成せる力を持ち得ます。
その意味では、人間は海岸の砂粒のような存在ではないでしょう。

人が考える神性は、実のところ人の内奥にあると考えます。しかし自分自身の内奥を見ることは困難です。ですから神という客観的存在を置き、それを介して自身の内奥と対話しているのではないでしょうか。ですからその神がどのようなものであるかは関係ないのです。それが岩や山などの八百万の神であってもいいのです。

祈りも同様のものではないかと考えます。神への祈りとは実は自分の内奥への語りかけなのです。祈りに対する応えが与えられてそれに基づいて行動するとは、自分の深層心理(潜在意識)の声を聞きそれに基づいて行動する、と近いものではないかと。

こう考えると異なる言語圏・文化圏・宗教圏でそれぞれに異なる神がいることも、同じ名前の神であっても解釈が異なることも、ある教義に共感する人が群となることも(あくまで僕的にですが)説明がつきます。

#2 Re: 親睦・相談 » JW辞めてよかった体験 » 2021年05月18日 03:25:16

Jay

通りすがりさん、

私もいろいろありすぎます。
また貴殿の見解、ほぼほぼ同意します。

かつての長老より

#3 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年04月02日 01:28:46

Jay

洗脳の結果ですよね・・・。
ちょっと冷静になって客観視すれば「正しい」ではなく「おかしい(変&可笑しい)」ということに気付くと思うのですが、洗脳とは恐ろしいです。

#5 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年03月22日 09:35:14

Jay

夫婦って互いに真の友みたいなものではないでしょうか?
親子や兄弟は・・違うかな?

「真の友」という言葉は新世界訳の表現ですよね。英訳は単に「a friend」です。(ヘブライ語原文はどのような表現になっているかは知りませんが)

そして「兄弟」という表現ですが、これは同じ信仰を持っている仲間を指していう言葉でしょうか? 必ずしもそうではないはずです。何故なら互いに兄弟と呼び合うケースは色々あるからです。(ここ、ツッコミを受けそうですが。・・・)

ところで、JWはこの聖句を引用して、「同じJWの仲間は兄弟であり、真の友である」なんていう身勝手な解釈にいく場合(人たち)もあるでしょうが、冷静に客観視すれば、彼らの人間関係なんて薄っぺらなものです。何かあれば村八分する人たちですから。

とは言え・・・、友の存在は大事です。

#6 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年03月20日 01:36:53

Jay

A friend loves at all times,
And a brother is born for adversity.
(Proverbs 17:17)

日本語ではなくあえて英語で「箴言17:17」を見てみると、そこにあるメッセージはすごくシンプルです。
誰であってもこのような友を求めているのではないでしょうか?
私もそうです。

聖句は多くの場合、一つの聖句を切り取って考察されます。本来は文脈ありきだと思うのですが、なぜかそうされず、個々の聖句を取り出し、時には異なる書の聖句をつなぎ合わせて見解を示したりもされます。

それに倣いこの聖句だけを見るならば、言わんとしているところは非常に簡潔です。
ここにはいわゆる「条件」は付されていませんので、同じ宗教にいるものであること、同じ神を信じていること、同じ国民であること等は何も関係ないはずです。

自分が悩み苦しんでいる時に寄り添ってくれる異教徒の人、
人間の性向と弱さに起因する罪を犯したものを排除するJW・・・、
悩み苦しんだ結果離塔した途端に言葉をかけることもせず一切の交渉を断つJW・・・・、
どちらが「友」と言えるでしょうか?

宗教の壁、文化の壁、人種の壁・・・を超えた、いわゆる「無条件の友」が友ではないでしょうか?

私は離塔して「JWの友」は全て失いました。しかし、彼らはそもそもここで言うような「友」ではなかったのでしょう。Forever Friendでもありませんでした。

ですから新たな友を必要としました。
そして、時間はかかっていますが、その友を見つける機会をようやく見いだすことができました。

皆さんはいかがですか?

#8 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年02月10日 13:03:43

Jay

深いですね・・・。

まずは手を差し伸べるのがいいのか・・・
自分の限界をわきまえて、中途半端になるのであれば、最初から関らない方がいいのか・・・

責任持って元気になるまで寄り添うのがベストなのでしょうが、これはすごく難しいです。
かと言って「元JWを助ける専門家」などいないと思いますし・・・。

このようなカルト宗教被害者を産まないことが何よりも大事なんでしょうね。

#10 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年02月09日 23:58:39

Jay

疑点さんが仰った「メンタル回復の途上での励まし合い」「元JWとは別の視点からの気付きや助け」はとても必要だと思います。でも、励ましの言葉や助けを受けるのを期待し待つのではなく、「励ますこと」「助けようとすること」がキーです。励ましの言葉を考え発すること、それこそが自分自身を励まし強めていきます。励ます方も励まされる方も、双方が励まされます。

ですから疑点さんとのやりとりによって私も強められました。ありがとうございました。

「元JWとは別の視点からの気付きや助け」もそうだと思います。私みたいにスピリチュアル方面の行動や体験(まだごく一部しか書いていませんが)もいわゆる「別の視点」的なものかもしれません。まあ、助けになるかどうかは別として・・・元JWですし・・・。

受動ではなく能動が大事という意味では、脱党後の生き方においても同じかもしれません。変化が必要な時、変化を待つのではなく変化する勇気を持つこと。人の目や失敗することを恐れていては変われません。人に迷惑をかけず&巻き込まずに注意しながら、好きなことやJW時代にはできなかったことに取り組んでみるとか。。。

私の「スピリチュアル方面の行動」はいわば足がかりです。ボルダリングの最初の一歩なのかもしれません。そこがゴールではなく、見えないゴールに向かう「一歩」です。この一歩、確かに二歩目三歩目と新しい世界を見せてくれました。

JW時代には「今を生きずに楽園で生きる」ために「今の自分を殺すことや無個性になること」を学んでしまったと思います。待つのではなく、とことん考え悩み、そしてその後は行動することが大事だと考えます。その選択肢は山ほどありますよ。世の中捨てたもんじゃありません。

#11 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年02月09日 09:20:38

Jay

<追記です>

依存してくる人の気持ちも理解できます。だからこそ無視できないんです。で、自分も苦しむ・・・という危険なループもあるのですが・・このように考えてみました。

脱党すると、生真面目に「世の友人」を作らずにいた人ほど孤立します。パートタイムの仕事だけで生活していた人は、将来への不安も大きいでしょう。様々な理由と原因でそのような人は「自尊心」にダメージを受けていると考えられます。「自尊心が傷つき孤立する」・・・これは苦しいです。なので自然と「誰かに気にかけてほしい」「自分の存在を認めてほしい」という思いが生まれます。これは承認欲求というほど強いものではないかもしれませんが、自分に接してくれ認めてくれる「友」を求めているのだと考えます。

とは言え、こうした人の力になるには精神力・忍耐力・持続力・共感力、そして文字通りの体力が必要です。ダメージからの回復も一朝一夕にはいかないでしょう。そのプロセスも一人一人異なります。

本当に社会復帰の為の受け皿となるリハビリ・システムが必要だと思います。

#12 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年02月09日 04:30:37

Jay

疑点さん、レスポンスありがとうございます。

読ませていただいて一番「これはしんどいだろうなあ」と思ったのは、「個人情報プライバシーまで全開示で依存してくる人」という部分でした。この「依存」が常軌を逸した形で現れると、時間関わらずに電話をしてきたりということになるだろうと容易に想像できます。

多くの場合「その種の依存傾向はその人が本質的に持っているもの」だと思います。元JWだからというのではなくて、です。その人がJWであった時には周りの人があれやこれやとかまってくれたのでしょうが、脱塔すると周りに自分に気にかけかまってくれる人が激減します。時には全くいなくなってしまうこともあるでしょう。

そうなると誰かに「死ぬ死ぬ」と言ってでも注目をしてもらい、かまってもらいたくなるのです。いわゆる依存ですね。(私もこのタイプの人を知っています。)

しかし、その声に応えられる時とそうではない時があるのは仕方ありません。しかし、応えられない時は・・・一転して逆恨みされてしまうというリスクがあります。で、次に起こるかもしれない状況は「攻撃」や「中傷」です。これも依存の一症状と言えますが、これはキツイです。

こちらに無視できる精神的体力があればいいのですが、真面目な人は無視できないですよね。これだと「巻き込まれて」メンタルが疲弊してしまいます。これは絶対に避けなければなりません。

難しいですね・・・。

#13 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年02月08日 05:39:21

Jay

カウンセラーに関して書ける範囲で書きますね。

はじめに言えることは、私はカウンセラーを信じてはいなかった、ということです。カウンセラーはいわゆる「聞き手」です、クライアント(相談者)はカウンセラーに話し、時には対話することによって何らかの解決策を自ら見出します。確かに話すこと自体に意味があると言えますが、カウンセラーはそのアシストをするだけです。対して、コンサルタントは積極的に解決案を提案してくれるでしょうが、果たして元JWの心情を理解できるかどうかは疑問です。医師に至っては「大変だったら薬を出しましょうか」で感情を鎮静するだけでしょう。精神科医とはそのようなことしかできないと思います。

もし冷静に自分を見つめ考察することが難しい場合は、カウンセラーの助けを借りて話し「思いを整理」することは良いのかもしれません。しかし、私は精一杯自分自身に向き合った後でしたから、再度誰かに話をすることの必要性は感じていませんでした。カウンセラーの元へ行ったのは家内の「お願いだから一度行ってみてほしい」という言葉があったからです。幸い保険で100%カバーできるということなのでダメもとで行ってみました。しかし結果は思った通りでした。事の次第を説明し、時々挟まれる質問に対してまた説明し・・・の連続・・・、正直いって面倒臭い作業(?)に終始しただけでした。

もちろん一度で全て説明できるわけではありませんので何度か通いました。で、4回ほど行った時に「これで終わりにします」とカウンセラーに言い、行くことをやめました。やめた理由はいくつかありますが、いくら説明しても真意(JWの経験)は伝わらないという虚しさ、そして解決案の提案は一切ないという時間の無駄さ、等でした。(注:全て私の経験における私個人の見解なので、カウンセラーを否定する意図はありません)もちろんカウンセラーは医師ではありませんので薬の処方もありません。よしんば処方されたところで、薬で精神を抑制するつもりはありませんでした。

ですからカウンセラーの元に行ったことは「一つの経験」以上でも以下でもなかったわけです。むしろその後に取った一連のアクション(このトピック書いてきた事柄です)の方が助けになりました。

実は、最近はいろんな相談を受けて何人かの方と個人的にお話をさせていただいています。自分にできる手助けがあるならしたい、と思っているからです。ここでは書けない話しも含めて、です。

私の生業としては2−3足の違う草鞋を履いてますが、その一つはビジネス・コンサルタントです。ですから今は相談を受けることも仕事の一つになってきています。「JW関連に強いメンタル・カウンセラー&コンサルタント」といった感じですね。カウンセラーを信じていないと書いておきながら、カウンセリングをしているのは矛盾しているわけですが、「しっかりと耳を傾けて話を聞く大切さ」も痛感していますから、この面ではカウンセリングでもあるわけです。

もちろん私は資格を持ったカウンセラーではありません。しかし、資格を持った評判高いカウンセラーであったとしても元JWが置かれた状況や辛さを理解できるのかといえば、それは難しいと思っています。であれば「経験者」の方が適役ではないでしょうか?カウンセラーと相談者の間において、双方向で話が通じやすいと思うからです。

なんでも話せて理解を示してくれる相談できる人がお近くにおられると良いですね。

#14 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年02月07日 07:18:49

Jay

「決して他人を巻き込まない」

誰でも誰かに支えられて生きています。完全に孤立して生きていける人などいません。ですから「他人との関係を絶つ」ことは無理ですしそうする必要もありません。美味しい店を見つければ友人に話し「一度行ってみれば?」と勧めるでしょうし、いい映画を見ればやはり人に話すでしょう。勧めることはしなくてもその人は「自分も観てみよう」となるかもしれません。

こうした言動は「人を巻き込む」ことでしょうか? そうでは無いと思います。

では、自分の信仰とその信仰ゆえの恩恵を他人に勧めるとなるとどうでしょうか? 始めは純粋に「自分にとってよかったから」という思いと動機で他人に話すことはあるでしょう。この段階であれば「人を巻き込む」ことでは無いと思います。もちろん、その行動が真に自発的なものであるならば・・です。

しかし、宗教組織が設けたシステムと刷り込まれた価値観でそうした場合は全く違う意味になります。野外奉仕を「取り決め」で行うことはもはや「奉仕」でも「自発」でも無いです。WTはこの「自発」という言葉を巧みに利用します。周りに追い込まれ、刷り込まれた価値観により、取り決めによって取った言動など決して「自発」では無いはずです。心の中では野外宣教などに行きたくないのに行かされていた、もしくは行っていた人は少なくないはずです。

WTは、宗教法人として信者を増やすためにとる手段を「強いられてではない自発奉仕、全ては個々人の自由意識での行動」という詭弁で逃げ場を作っています。この詭弁によって宗教法人は法的責任から逃れられるかもしれませんが、個々人についてはそうではないはず。なぜなら「強いられてではない自発的に個々人の自由意識でおこなった」ことになるからです。何を? (ややこしい文章ですみません)

「人を巻き込む」行為をです。

疑点さんが仰るように、洗脳から覚醒したまともな人ならば、この点において苦しむと思います。

自分が巻き込んで組織に入れてしまった人が今も喜んでそこにとどまっているならばいいですが、もしその人が苦しんで組織から離れ、今も苦しんでいるならば・・・。辛いと思います。倫理的責任を感じてしまうのではないでしょうか?

極端な例ですが、戦争に駆り出され多くの人の命を奪った経験に対する苦しみに似ているかもしれません。もしこの例えが許されるなら、元JWが精神疾患を経験することも納得がいきます。帰還軍人をケアする社会とプログラムがあるのですから、帰還宗教信者もケアが必要だと思います。

#16 Re: 親睦・相談 » 「聖書の記述は真実なのか?」 » 2021年01月07日 00:51:16

Jay

てつてつさん、ありがとうございます。

>時代も作者もちがう著者が書いたものをむりやりくっつけた本を全体で何を言おうとしているのですか という質問自体が成り立たないと思います

その通りだと思います。すなわち66の書をまとめた「聖書」にテーマを付したり、一つのことを殊更に強調して教えたりするのはナンセンスだと思います。


>あと各書については当然それぞれ 歴史を書こうとか 自分の信じていること書こうとか著者の目的あると思います

その通りだと思います。ですから私の書いたように何を言いたいのかは「書によって異なる」ことになるでしょう。


>>聖書って解釈と使い方によって、万華鏡のように変幻するものなんでしょうか???
>解釈は教祖の都合によって恣意的に変幻させることができるとおもいますよ

私の質問は聖書に親しみのない人が普通に思うことってこうなのではないか、という質問でした。
まさに解釈と使い方によってどんな主張も出来得ると思います。


>自分は聖書にスピリチュアルなものは全然ないと思っています 人間が自分の考えを書いたものだとおもっています

私もそう思います。それ以上でもそれ以下でもないと思います。


>>聖書って「そもそも」なんなんでしょうね?
>Jayさんは ものみの塔から アダムの創造と堕落 啓示の書の楽園の回復までものみの塔のオリジナルの一貫したストーリーを教え込まれて何かスピリチュアルなものを感じてしまうのでこのような質問がでるのかもしれませんね

いやこの質問も普通の人代表の質問です。インタビュアーが「このように言う人もいるかと思いますがいかがですか?」のようなものです。
この「そもそも何?」に対しては答えがない、と言うのが答えだと思います。

でもそのような「聖書」を時代を問わず世界中の人が手にし、読み、意見を戦わせ・・・・筆者(といっても一人ではないですが)にとっては「してやったり」かもしれませんね。


やはり、聖書は「オチのないミステリー」であり、自由にパーツをつなぎ合わせてストーリー構築しオチを想像する・・・・そういうものだと思います。なので別のトピックでも書きましたが、アカデミックな考察を一切しなかったのです。JWに関しても聖書に関しても、です。枝葉をとって議論や考察をしても無駄だと思います。十人十色の解釈と主張があるでしょうから・・・。それよりも感覚的に捉えればそれだけで「おかしいぞ」というのはわかります。

聖書(とJW)に忖度して擁護する必要はないと考えます。各自が思いたいことを思い、信じたいことを信じ、やりたいことをする、つまるところこれしかないのですから・・・。

#17 Re: 親睦・相談 » 「聖書の記述は真実なのか?」 » 2021年01月06日 10:38:48

Jay

仰る通り聖書を「一冊」の本と捉えるのには無理があると思います。なので中には正確な書もあればそうではない書もあることには同意します。

てつてつさんは「聖書は何を伝えようとしているのか?」についてはどのように思われますか?

書によって違うとは思いますが・・・・もしそうならJWがするように旧約新約の両方から都合のいい聖句を拾って話をするのはどうなんでしょう? 作り話の部分の正当性を正確な部分で説明したり、正確な部分を歴史の記録ということで済ませ不正確な部分をことさら強調したり。。。。

聖書って解釈と使い方によって、万華鏡のように変幻するものなんでしょうか????
聖書って「そもそも」なんなんでしょうね?

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