- ホーム
- » Search
- » うえになおじ の投稿
ページ: 1
#1 Re: 総合フォーラム » 生きてくのに「人生の目的」は必要か? » 2017年09月03日 22:33:08
自分は「人生に目的」は必要ないと思っています。
「生きるために人生に目的がなくてならない」と決めてしまうと、反対に「人生に目的がなかったら生きる価値がない」ということになりかねないからです。
さて周りを見てみましょう。
公園で楽しく遊んでいる子どもたちは、人生に目的を持って生きているから楽しいんでしょうか。
人間だけでなく動物たちは「人生に目的」があるから生きているのでしょうか。
そんなこと考えていないように思います。
まずは日々の糧を得ること、そして可能であれば3食それなりのご飯を食べること、そして十分な睡眠を取ること、です。
それから自分にできること、自分のやりたいことをしていく。あまり遠くを見ないで、距離的にも時間的にも自分のそばにあるものから手をつけていけばいいんじゃないでしょうか。
JWはその教義を刷り込むために、生きる意味だとか目的とかを強迫的に信者に用いているような気がします(うちのツマもよく使います)。
そして人生の目的を見つけられないで焦る人に「中東書記(聖書)を読めば人生の目的が見つけられますよ」とかどわかすのです・・・
#3 Re: 総合フォーラム » リチャード・ドーキンス+進化論アレコレ » 2015年10月04日 23:16:17
ただの生物という立場でいえば、一夫多妻制も一妻多夫制もありだと思います。
生物の目的が「自分の遺伝子をどれだけ増やせるか」ということだとすれば、変な規制がかからない限り、雄はよい子供を産んでくれそうな雌を集め、雌はよい子を産みそうな雄に寄り添うか、集めるかするでしょう。
それを規制し、秩序を作ろうとしたものの一つが「宗教」だったのでしょう。支配者はそれをうまく利用したように思います。
一夫多妻制も一妻多夫制も、権力を集中するような形になります。支配者にとっては少々気になるところだったのかもしれません。
支配者の権力を優位に保つため、または民衆の中で存在感の大きな者が出てこないようにするため、さらには支配者の遺伝子を増やす邪魔をする存在を減らすために「見えない存在」によって一妻一夫制を強要する宗教は便利なツールだったのかもしれません。
あくまでも個人的な推測です。
しかしドーキンスの「自分の遺伝子をどれだけ増やせるか」という考えを基本にして「統治体の行っていること」の意味を考えるのは面白そうだな、と思っています。
#5 Re: 総合フォーラム » リチャード・ドーキンス+進化論アレコレ » 2015年09月11日 23:17:15
#7 Re: 総合フォーラム » 善悪の知識の木 » 2015年07月30日 23:28:14
こんばんは、はじめまして。皆様の投稿を今まで興味深く読ませてもらっていました。
自分はJWではありません。妻がエホビアンにはまってしまったことで様々な情報収集をしている内にここにたどり着きました。
人によっていろいろな考え方があり、とてもためになります。
自分自身は中東神話(皆様が「聖書」と呼ぶ書物のことです)の知識はほとんどありません。新共同訳の旧約部分半分も読まない内に挫折しました。
そんな自分ではありますが、創世記付近のことは中東神話を読まなくとも情報は入ってきました。また、子供のころ「アニメ親子劇場」で中東神話のダイジェスト版?を観た記憶があります。
少ない情報の中で自分が思ったことは、エデンの園で知恵の実を食べる前のアダムとイブは、母親の乳房にむしゃぶりつく乳児のような存在でしかなかったのでは、という印象でした。楽園だったかもしれませんが、すべては母(神)の庇護あってのもので、自由とは程遠い生活、むしろ生活を支配されていたように感じました。
そして知恵の実を食べた後のアダムとイブは、エデンの園を追われました。しかしそこで得たものは「自由」でした。自分でものを考え、自分の意志で行動することのできる自由でした。もちろん自由には責任が伴います。リスクもあります。しかしいつまでも親にしがみついている子供には成長がありません。
中東神話のほとんどの解釈は、アダムとイブが知恵の実を食べたことを罪としているようですが、自分にとっては人間が人間として自立した、祝福すべきイベントだったと思うのです。「原罪」などではないと思うのです。
ページ: 1
- ホーム
- » Search
- » うえになおじ の投稿