#76 2018年09月07日 05:40:11
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
「すずめのかあさん」
子どもが
子すずめ
つかまえた。
その子の
かあさん
わらってた。
すずめの
かあさん
それみてた。
お屋根で
鳴かずに
それ見てた。
金子みすゞ
*本当に悲しい時には声さえ出ない、
そして、だれもそれに気づかない。
昔、子すずめを拾い
餌を与え、手乗りにして遊んだり
したことを思い出す。
親が見放したと
思いながら、
精一杯の愛情を注いだ。
餌の捕り方さえ教えられない
その残酷さを考えずに。
大義や善意を吹聴し、時に
「仲間」から称賛を得るも
その実、
足元の偽善や冷酷さ、
悲しみには無頓着なことがある。
#77 2018年09月22日 09:47:19
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
中秋節に寄せて
『叱られる兄さん』
兄さんが叱られるので、
さっきから私はここで、
袖無の紅い小紐を、
結んだり、といたりしている。
それだのに、裏の原では、
さっきから城取りしてる、
ときどき鳶もないている。
『くれがた』
兄さん
口笛
ふき出した。
わたしは
袂を
かんでゐた。
兄さん
口笛
すぐやめた。
表に
こっそり
夜がきた。
*何気ない日常に
人生の根幹が埋もれている
どれほど坑えど
月影の如く陰り
陽光の如く
また煌めく命
狂わしく
愛しいほど
それは確実に
時の渦に包まれていく
#78 2018年10月12日 06:52:56
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
「肩車」
人前でよく
その影に隠れたものです。
貴方の前では
心置きなく
泣いたり笑ったりできました。
その大きな肩に乗ると
急に地面が遠ざかり、
怖くて
うれしくて
しがみつきました。
しかしそれも随分
昔のことになりました。
時代遅れだ
野暮だと批判し、
その純朴さを笑い、
能書きを覚え
大人を装い、
あれから
擦れっ枯らしの日々でした。
そして今、
これほど小さくしぼんだ
貴方の背中を見て
私はただの子供に帰ります。
父さん、
もう一度肩車をしてください。
#79 2018年11月16日 21:13:35
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
「落 葉 松 」
北 原 白 秋
一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
#80 2018年12月11日 22:19:44
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
「喫茶店にて」
山あいの街に
迷子のように
辿りつくと
夕暮れが駆け足でやった来た
人気のない
まるで閉じているような
佇まいの喫茶店
角張った白磁に入った
薄味の珈琲を飲みながら
雑誌を見ようとすると
何やらカサカサ音がする
ふと足元を見れば
小さな木の葉が舞っている
扉の隙間から
木枯らしに乗り
やって来たのだろうか
だれが悪いわけでもなく
かように
突然の別れに茫然とする
私の中にも
いつしか
枯葉が舞い込んで来た
懲罰星にようこそ!
#81 2018年12月27日 12:51:21
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
非常に古いアジア的・神秘的理想が、ヨーロッパ的となりはじめ、ヨーロ ッパの精神を食いつくし始めている。
それが、わたしがヨーロッパの没落と呼ぶところのものだ。 この没落は、母(原初的な母)に帰ることを意味する。
それはアジアへ、源泉へ、ファウストの母たちへ帰るこ とであり、もちろん地上のすべての死がそうであるように、新しい誕生に通じるであろう。
ヘッセ『カラマゾフ兄弟 - ヨーロッパの没落 』より
「羽化へのprayer」
愛憎と苦楽
痛みと歓喜の潮流を越え
古(いにしえ)より秘された
永ごうなる母の
無償の笑みに会う
願わくばひと時
子なる我らに
炎と
氷結の日々を御する繭を
良いお年を!
#82 2019年01月28日 13:21:28
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
生まれた世界に戸惑いながらも、
身を投じ味わうことでしか
普遍性に近づけない。
人はなんと哀しくも
驚くべき存在なのだろう。
「冬の再会」
ゴゴォン
凍えた廃墟から
欲ばりと威張ん坊が
起き上がり
ノシノシ歩く
息をきらせ
燻んだ道を抜けると
階段の奥に
あの温かく柔らかな鼓動が
はにかんで
待っていた
他のことは
霞んで逝き
凝固していた時が
沸き立つと
わたしは再び
明日を手繰り寄せる
#83 2019年02月04日 18:52:09
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
以前、厚木市のアパートから5歳幼児の白骨遺体が見つかったことがある。遺体は(多重の問題を抱えていた)斎藤の長男のものだった。電気、ガス、水道が止められたゴミまみれの部屋で放置された長男は冬、オムツと一枚のTシャツだけを身につけて絶命していた。
斎藤によると、帰宅すると、幼い長男はいつも「パパ、パパ」と喜んで近づいてきた。
斎藤が雑誌を細かく千切って紙ふぶきのように宙に散らすと、それを見た長男は喜んでいたという。最後に見たのは、か細い声で「パパ、パパ」とすがる姿。それに「怖くなり」斎藤は家を出た。
絶望的な環境下、
まるでゴミのように
消えてしまった
一つの命にさえ
多くの物語がある。
#84 2019年02月25日 19:15:47
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
「痕跡」
樹皮に宿った
懐かしい陽射し
蝉や
青大将の抜け殻に
ムササビの巣の下には
枯れ散らかった
シラカシの食痕
冬に夏の痕が見つかるように
神を探れば
悪魔と出会うことになる
#86 2019年02月25日 20:40:58
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
以前、厚木市のアパートから5歳幼児の白骨遺体が見つかったことがある。遺体は(多重の問題を抱えていた)斎藤の長男のものだった。電気、ガス、水道が止められたゴミまみれの部屋で放置された長男は冬、オムツと一枚のTシャツだけを身につけて絶命していた。
akameさん
初めまして。私は仏教を信じている者です。
上記のあまりにも可愛そうな事件ですが、仏教では因果応報を説いており、この可愛そうなお子さんも、過去においてこの様な結果になる原因を作ってしまい、その原因が今の命で起きてしまったと捉えます。(原因と縁があう事で結果となります)
このお子さんに起きた事はキリスト教ではどの様に捉えれば良いのでしょうか。
(サタンの仕業だとしたら、なぜその子が対象となったのでしょうか)
いきなりの質問となり大変恐縮ですが、宜しくお願い致します。
#87 2019年02月25日 21:20:08
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
仏教の信憑性は?
#88 2019年02月25日 21:44:31
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
シュウイチさん
結論から申しますと、特定の宗派を信じない私には確定的なことはわかりません。
敢えて言えば、因果応報は否定しませんが、私的には多様な解釈や意味があると思っていますから、「殺された者は前世で殺していた」といった解釈はごく限られた条件下だけだと考えています。(殺した者もある意味犠牲者。実は私たちとそれほど変わらない存在)
根拠が限られ、比喩の多い聖書の内容、また聖書の神自体も変容を遂げ、また今後もわからないと感じていますから、とりわけ画一的な解釈は今は無理があると考えています。(限界がありますが、要は解釈次第、定義次第)
唯、虐待された命、また虐待した命にも「個々の状況に応じた」魂としての救い、「最善の境遇が再度与えられる」世界があることを強く信じています。所謂、救いがたきを救うのが神々の世界、弥勒の救いです。これは、あくまでも個人的な考えです。
大雑把ですみません。
#89 2019年02月25日 22:08:54
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
仏教の信憑性は?
仰天さん
初めまして。
私は日蓮正宗という仏教の信仰をさせて頂いておりますが、そこでは仏教の信憑性を色々な角度から確かめるための方法があります。
たとえば、三証というものがあります。
ーーー以下、日蓮正宗のサイトからーーー
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jp … nko_6j.htm
三証(さんしょう) 文証、理証、現証のことをいいます。
文証とは、経論などによる証拠であり、教えが独断ではなく、仏の説いたお経によっても裏付けられるかどうかを確かめることです。
理証とは、教えが因果の道理にかなっているかどうかを確かめることです。
現証とは、その教えがたんに理論のみの観念ではなく、現実の人間の生活の上にどのように証明されるかを確かめることです。
ーーー以上、日蓮正宗のサイトよりーーー
他にも、仏教の教えの勝劣浅深を判定する基準として、五重相対(ごじゅうそうたい)、五重三段(ごじゅうさんだん)、四重興廃(しじゅうこうはい)、四重浅深(しじゅうせんじん)、三重秘伝(さんじゅうひでん)などがあります。
もちろん、仏教と仏教以外の教えを比較検討するためのものもあります。
ご質問の意図に適ってない場合はご指摘のほど、宜しくお願い致します。
#90 2019年02月25日 22:17:14
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
補足します。
>厚木市の5歳幼児の遺体
原因は様々でしょう。
家族的、個人的な病質的性向。孤立。
地域社会的なインフラ整備の問題。
悪因が重なったのでしょう。
現世に生きる私たち全員の責任、問題と言えなくもありません。
こうした場合、私は見えざる世界からの介入、宗教的な「原因」は、あまり意味がないので、ほとんど考えていません。
#91 2019年02月25日 23:23:41
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
敢えて言えば、因果応報は否定しませんが、私的には多様な解釈や意味があると思っていますから、「殺された者は前世で殺していた」といった解釈はごく限られた条件下だけだと考えています。
多様な解釈で良いとなると、エホバや教祖などが与えた教えを個人が自由に解釈して、エホバや教祖などの意図とは違う解釈をしても良いとお考えなのでしょうか。
エホバや教祖などの意図と同じように捉えないと、どこかで意図の整合性がとれなくなると思います。(算数の1+1の答えを3とか4とか捉えたら整合性がとれないように)
(殺した者もある意味犠牲者。実は私たちとそれほど変わらない存在)
殺した者も「殺した」という原因を作ったので、いつかはその結果を受けること(単純に考えると「殺される」こと)になるのでいつかは「犠牲者」なります。
根拠が限られ、比喩の多い聖書の内容、また聖書の神自体も変容を遂げ、また今後もわからないと感じていますから、とりわけ画一的な解釈は今は無理があると考えています。(限界がありますが、要は解釈次第、定義次第)
聖書に関しては私もその通りだと思います。
ただ、どんなに比喩が多くても、エホバの根本の考え方を判る方であれば正しい判断が出来るはずです。
しかし、キリスト教には仏教で言うところの「唯授一人」(教えの奥義をただ一人にだけ伝え、教義などの解釈の混乱を最小限に抑える方法)の様なことが無い事が「聖書の正統な解釈者」を決められない原因だと思います。
(「唯授一人」の様な事が有りましたらご教授のほど、お願い致します)
例えば、エホバが唯一人にだけエホバの教えの奥義を教え、「唯授一人」で後世に伝える、と聖書に書かれてあれば、正統で唯一のエホバの教えの後継者が決まり、聖書の解釈もエホバの意図のまま、伝えることができるはずです。
(後継者と呼ぶのは変ですが、お許し下さい)
唯、虐待された命、また虐待した命にも「個々の状況に応じた」魂としての救い、「最善の境遇が再度与えられる」世界があることを強く信じています。所謂、救いがたきを救うのが神々の世界、弥勒の救いです。これは、あくまでも個人的な考えです。
仏教では命は永遠に続くと説かれ、自分の行いにより「最善の境遇」を得ることが出来、何度失敗しても「最善の境遇」を得られるチャンスはあります。
>厚木市の5歳幼児の遺体
原因は様々でしょう。
家族的、個人的な病質的性向。孤立。
地域社会的なインフラ整備の問題。悪因が重なったのでしょう。
現世に生きる私たち全員の責任、問題と言えなくもありません。
こうした場合、私は見えざる世界からの介入、宗教的な「原因」は、あまり意味がないので、ほとんど考えていません。
では、このお子さんがこの家庭に生まれたのは偶然とお考えなのでしょうか。
物事には全て原因と結果があります。でも、「生き物の生まれる境遇は偶然」と「ここは原因と結果は関係ない」と考える方が不自然だと思うのですが、いかがでしょうか。
大雑把ですみません。
いえいえ、ご返答いただけだだけで有り難いです。
これからも宜しくお願い致します。
#92 2019年02月26日 01:05:01
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
シュウイチさん
私には質問全てに答える時間や体力は今ありません。
例えば、若い時は2、3日ほとんど寝ずに法華経について青年部幹部の方々と議論したこともありますが、今は無駄と思っています。所詮、人は今自分の信じたいもの、必要とするものしか信じません。それか他者から洗脳されるか、です。
また、今の私は言葉の定義がほとんど貴方とは異なります。それをいちいち説明する時間もありませんし、また説明する必要も感じません。
このトピは議論のために立てた訳ではありません。
同じ絵を見ても、感じ方は人それぞれです。
宗教的真実や解釈は、それに近いものです。
計測して数値数式化したり映像化して証明する科学や数学とは異なります。
宗教的信念は「人それぞれの主観が入る余地が大きい、いやむしろその方が良い」と様々な理由、特に組織宗教の暴走(この教理が絶対、他は排除)などから私は感じています。
ご自分の道を示されるのなら、どうぞご自身のトピックを立てていただければ幸いです。
#93 2019年02月26日 06:26:36
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
シュウイチさん返信ありがとうございます。
そうですね。ご自分のトピックを立てられたほうがよいかもしれないですね。
立ったら遊びに行きます。
最近、大乗非仏説についての本と無門関の本を購入したところです。
#94 2019年02月26日 06:35:16
- 山のアザミ
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
シラカシ について (o_o)
調べてみたら、
ブナ科コナラ科常緑高木。カシ類の一種。
材質は白色、樹皮は黒色なので、黒カシとも呼ばれるとか。
主に関東地方に多く生えているようです。
(╹◡╹)
#95 2019年02月26日 23:51:46
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
akameさん
私には質問全てに答える時間や体力は今ありません。
はい。勝手に私が質問したものですからお答えにならなくても構いません。ご返事を頂けただけで有り難く思います。
例えば、若い時は2、3日ほとんど寝ずに法華経について青年部幹部の方々と議論したこともありますが、今は無駄と思っています。所詮、人は今自分の信じたいもの、必要とするものしか信じません。それか他者から洗脳されるか、です。
はい。人は理屈ではなく好き嫌いで判断すると思っております。
また、今の私は言葉の定義がほとんど貴方とは異なります。それをいちいち説明する時間もありませんし、また説明する必要も感じません。
はい。それは私も面倒なので出来るなら省きたいです。(笑)
このトピは議論のために立てた訳ではありません。
すみません。質問ばかりになってしまいました。以後気を付けます。
同じ絵を見ても、感じ方は人それぞれです。
宗教的真実や解釈は、それに近いものです。
計測して数値数式化したり映像化して証明する科学や数学とは異なります。
上記はとてもキリスト教的なお考えだと思いました。
聖書の解釈は、前回書きました「唯授一人」の様な仕組みが無いので、この解釈だけが正しい、と言えず、どの解釈でも正しい、となってしまいます。なので、「同じ絵を見ても、感じ方は人それぞれです。宗教的真実や解釈は、それに近いものです。」との発想になるのだと感じました。「人それぞれ」に解釈しても良いというのがキリスト教の根本的な考え方だと。
私は宗教は「絵」の様な抽象的で色々な解釈が出来るものではなく、「言葉」による具体的な意味を持つ正しい解釈が一つのものだと思います。(もちろん、最初から複数の意味を持たせた言葉もあると思います)
宗教的信念は「人それぞれの主観が入る余地が大きい、いやむしろその方が良い」と様々な理由、特に組織宗教の暴走(この教理が絶対、他は排除)などから私は感じています。
この世界では算数の「1+1」の答えは絶対に2です。3や4と教える人や団体がいたら、絶対に間違っている、と誰しも思うはずです。そして忠告すると思います、「貴方は間違っている」と。逆に「貴方の答えも良いですね」と間違った答えでも良いと認めてしまえば、その間違った考え方が原因で新たな問題を発生させ、さらにその人を悩ますことになります。それでも「暴走」というのであれば、それは悪を助長することと同じです。
ご自分の道を示されるのなら、どうぞご自身のトピックを立てていただければ幸いです。
はい。その様にさせて頂きたいと思います。場違いな事を書いてしまい申し訳ございません。
これに懲りず、これからも宜しくお願い致します。
#96 2019年02月27日 00:00:36
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
仰天さん
そうですね。ご自分のトピックを立てられたほうがよいかもしれないですね。
立ったら遊びに行きます。
はい、その様にさせて頂きたいと思います。
最近、大乗非仏説についての本と無門関の本を購入したところです。
「大乗非仏説」は聞いたことがあります。お釈迦様が最初に説かれたのは華厳経と呼ばれる大乗経です。ですから最初から大乗の考えがあるので「大乗非仏説」とはならないと思います。
「無門関」は初めて聞きました。自分でも調べてみます。
#97 2019年02月27日 06:54:39
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
「大乗非仏説」は聞いたことがあります。お釈迦様が最初に説かれたのは華厳経と呼ばれる大乗経です。ですから最初から大乗の考えがあるので「大乗非仏説」とはならないと思います。
「無門関」は初めて聞きました。自分でも調べてみます。
華厳経が成立したのは他の大乗経典と同様、釈迦の死後数百年後のことですから直説ではありません。
そもそも、小乗は口伝で伝えられてきましたが、大乗はそうではなく数百年後まで存在もしませんでした。単に釈迦が語ったとされているだけです。それは法華経もそうです。
大乗経典は小乗と違って覚えやすい形式ではなく最初から文書の形式で現れています。
また、シュウイチさんはよく仏教とキリスト教を比較されるようですが、エホバの証人は厳密な意味でのキリスト教ではなく、キリスト教系新興宗教です。
そして、ここの人達は主に二世として嫌々ながらエホバの証人をやっていた人か、一世でも妻が先に信じたからとか、自分から入ったもののエホバの証人の組織の間違いに気づいて辞めた人達でしょうから聖書や宗教については懲り懲りな感じの人が多いのではないかと思います。
もちろん中には今でも聖書が好きで読んでいる人もいるでしょうけれども。
新トピックお待ちしてます。
#98 2019年02月27日 07:49:21
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
シュウイチさん
貴方、独断し過ぎです。
>特に組織宗教の暴走(この教理が絶対、他は排除)などから私は感じています。
「この世界では算数の「1+1」の答えは絶対に2です。3や4と教える人や団体がいたら、絶対に間違っている、と誰しも思うはずです。そして忠告すると思います、「貴方は間違っている」と。逆に「貴方の答えも良いですね」と間違った答えでも良いと認めてしまえば、その間違った考え方が原因で新たな問題を発生させ、さらにその人を悩ますことになります。それでも「暴走」というのであれば、それは悪を助長することと同じです。」
このサイトにおける私の言葉を少しでも調べられたなら、私の述べた暴走とは、自分たちだけが正しい他は許さないと、異教徒を虐殺したり精神的に虐待したりした組織宗教の暗黒面であることを理解されたはずです。
しかし、貴方は私の述べた暴走の中身を考察せずに、間違えた計算を引き合いに出し「悪を助長すること」としました。殆ど意味不明ですし、また元来の日本的な寛容さとは異なる二者択一的で排外的な危うさを感じます。
このようにほんの少しのやりとりを考えても、貴方との討議は(私には)かなり難しく思います。
匿名の掲示板とはいえ、真に互いを築き上げる機会を求めておられるなら、上辺の丁重さより、まずは話しかけようとする相手のことを他のトピックやスレなどから最低限調べる努力をされたら如何でしょうか?
それと、私が述べるのはおこがましいのですが、貴方にトピ立てを勧めましたが、カレブさんが非常に寛大な方とは言え、サイトの趣旨を尊重し行動されますようにお願いします。
#99 2019年02月27日 08:00:52
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
まぁ、排他的なのは日蓮さん特有のものですからね。
エホバの証人も自分達だけが正しいという点で共通のものを感じて少し対話したい気持ちもあります。
#100 2019年02月27日 08:25:56
- akame
- ゲストユーザー
Re: 人生の一駒
仰天さん
日蓮正宗
それこそ、数学レベルでの正しさの検証をお願いします。