#226 2015年04月12日 22:53:02
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: News
「親族で排斥された人」という形容詞が付いています。
カレブさん
そうなのですか....。
そもそも、私は、長老に「マニュアル」があることがずっと疑問なのですが....。
#227 2015年04月13日 00:50:33
#228 2015年04月13日 16:01:17
#229 2015年04月14日 04:31:14
- ニコラ
- ゲストユーザー
Re: News
はじめまして
長老の教科書が改定されたとの事ですが、排斥者の復帰については何か変わっているんでしょうか?
ものみの塔15/4/15では、復帰出来そうな人に長老が援助する?様な事書かれていましたが。
復帰の扱い方についてはどうでしょうか?
そのへんについてわかればよろしくお願いいたします。
#230 2015年04月14日 16:23:57
- Namu
- ゲストユーザー
Re: News
排斥や復帰について話題に上っているようなので、現在の組織の方針について
少々説明させていただきます。
まず、今奉仕年度の初めに、S-77 「排斥または断絶の通知」の用紙が改訂されました。
この用紙は、審理委員会が排斥や断絶の決定を下した後、その決定を支部に通知する
ための用紙です。
改訂前の用紙には
「どんな違反により排斥に至ったのか」
「どんな行動により自ら関係を断絶したのかか」という点だけでなく、
「この件の詳しい次第を述べ、何が生じたのかを厳密に説明する」
ための欄も大きくスペースが取られており、スペースが足りなければ別紙を用いる
ように指示されていました。
しかし、今回の用紙の改訂により、排斥や断絶の決定に至った「詳しい次第」につい
て記入する欄が廃止され、「事件の要約を記す必要はありません」と記されています。
そのため、以前のように「何が生じたのかを厳密な説明」を支部に通知する必要が無
くなったというわけです。
これはつまり、地元の審理委員会が全責任を負って問題を扱うようになったというこ
とを意味しています。
これまでは、この用紙の説明を読んだ支部の奉仕部門から、横槍が入るということも
あったわけですが、今後はそうしたことは無くなると考えられます。
これはもしかすると、法的な問題が生じた場合に、排斥の決定を下したのはあくまで
もその問題を扱った「審理委員会」であり、その決定に支部は一切関与していないと
いう事実をはっきりさせることによって、たとえ裁判沙汰になったとしても、支部は
知らん顔を決め込むつもりなのかもしれません。(これは私の想像ですが…)
この用紙の改訂に伴って、関係する手順について述べている
KS-10(牧者の教科書)の該当箇所の修正も指示されています。
また、この春に各地で行われている、長老たちを対象とした「王国宣教学校」の中でも、
「上訴委員会」や「復帰委員会」の扱い方について、ビデオ教材を用いた授業に多くの
時間が取られていますが、前述した変更に伴う手順の調整の確認はありましたが、
基本的な扱いや判断基準については、これまでと変わるところは全くありません。
というわけで、排斥や断絶、復帰などについての扱いが、最近になって緩くなっている
という訳では無いというのが実情です。
2015年4月15日号の記事の中で「排斥された人が歩み方を変えようとしている証拠
を幾らか示しているなら、(長老たちは)その人を周期的に訪問し、どうすればエホバの
元に戻れるかを思い起こさせることができます」と記されていますが、これも以前から取
り決められていたことであり、特に最近方針が変わってきたというわけではありません。
周期的な訪問とありますが、これは通常は「年に一度」の頻度で行なわれることになっ
ています。
#231 2015年04月14日 17:06:44
#232 2015年04月14日 18:26:38
- ボアネルゲス
- ゲストユーザー
Re: News
はじめまして
審理委員会はこの件について今までは排斥として扱うことも出来ましたが(好み?)
横レスですが、これまでも「霊的な交わり交わりを断固として続ける」か「排斥の決定を公に批判」しなければ、審理問題として扱われませんでしたので、基本的に方針は変わってないと思います
#233 2015年04月14日 18:43:06
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: News
周期的な訪問とありますが、これは通常は「年に一度」の頻度で行なわれることになっ
ています。
はじめまして、情報ありがとうございます。
私の会衆のM姉妹、娘さんが2人7年程前に次々排斥されたそうですが、
一度たりとも訪問どころかM姉妹への打診もないそうですよ。
#234 2015年04月14日 18:51:47
#235 2015年04月14日 19:17:21
- ボアネルゲス
- ゲストユーザー
Re: News
改定については、実際に改訂版を見ないとわかりません
日本の会衆で使用されているのは2010年版で、それに随時書き込みによって訂正を加えていますが、
現時点で116頁6節への変更の指示はありませんので、詳細はわかりません
#236 2015年04月14日 19:53:17
- Namu
- ゲストユーザー
Re: News
近頃ネット上で出回っている
Ks-10-Eの、2012年印刷版と、その前の2010年印刷版の116ページ
6節の本文を相互に比較してみましたが、文面は全く同じであり、
この個所については、特に改訂はされていませんでした。
ちなみに、Ks-91-J(1991年版)には以下のような文章が載せられ
ています。
「普通、近親者が、排斥された人と交わるとしても、霊的に交わる
のでなければ、あるいは排斥された人の間違った歩みを正当化した
り弁護したりしようとするのでなければ、その人自身が排斥される
ことはないでしょう。」(ks-91 P104)
というわけで、この件に関する協会の指針は、基本的に以前から変
更されてはおらず、Ks-10ではKs-91よりも、さらに具体的な記述が
なされていることが分かります。
いずれにしても、排斥された親族との交わりの問題については、
霊的な交わりや、決定への批判や問題の正当化などが関係していな
い限り、審理問題として扱う必要は無かったことが分かります。
参考までに、Ks-10の日本語版のこの部分を以下に引用いたします。
「6.会衆の成員が、同居していない排斥された親族や断絶した親族
と不適切な交わりを持っていることが分かったなら、長老たちはそ
の成員に助言を与え、聖書から筋道立てて話し合うべきです。
(中略)
クリスチャンが不適切な交わりにより、排斥という取り決めの精神
を明らかに踏みにじり、助言に応じないなら、模範的な人にのみ与
えられる会衆の特権にあずかる資格はないでしょう。霊的な交わり
を断固として続けたり、排斥の決定を公に批判したりしない限り、
審理問題として扱われることはありません。」(116ページ6節)
#237 2015年04月14日 19:57:31
#238 2015年04月14日 20:25:09
- sk
- メンバー
Re: News
こんばんは、
2015年改訂版長老の本の116p ¶6を貼り付けます。
もし、会衆の成員たちが家族以外の排斥または断絶の親族と過度に交わっていることが分かれば長老たちは助言を与え、それらの会衆の成員たちと聖書から論じるべきです。彼らと一緒に「神の愛」の本のp207-208、ものみの塔88/4/15 p26-30、または2002/8月の王国宣教の「親族が排斥されたときクリスチャンの忠節を示す」の記事からの情報を復習してください。もしあるクリスチャンが、この点で排斥の決定の精神に違反し続け、また助言に応じないことが明らかであれば、おそらくその人は模範となることが求められる会衆の特権のための資格はないでしょう。霊的な交わりに固執したり、排斥の決定を公に批判したりしていなければ、彼は審理問題として扱われないでしょう。
リックのところでは、以前は排斥だったけど特権削除に改訂されたといっていました。
2012年版をお持ちの方、比較をお願いします。
2015年版を用いた長老の学校はいつあるでしょうね。
その際、また加筆訂正があるのだろうか。
覚醒長老のみなさん、遠慮せずにネットカフェから書き込みお願いします。
編集者 sk (2015年04月14日 21:32:24)
オフライン
#239 2015年04月14日 21:34:44
- ボアネルゲス
- ゲストユーザー
Re: News
ネットで出回っている最新版の教科書を拝見しました
自分で訂正するように指示されている部分が青字で訂正されているだけで、本文そのものは2010年版から変わっていないようです
線を引いて元の文を消すよう指示されている箇所も、線が引かれているだけですので、基本的に前の指示を確認することができます。
手紙を参照するようにとの注記しか無い箇所については教科書だけでは判らないでしょうね。
#240 2015年04月14日 21:51:48
- カレブ
- Administrator
Re: News
「排斥された親族との交わり」に関しては
多少文面が変わっている程度で
1991年から基本は変わっていません。
普通,近親者が,排斥された人と交わるとしても,霊的に交わる
のでなければ,あるいは排斥された人の間違った歩みを正当化し
たり弁護したりしようとするのでなければ,その人自身が排斥さ
れることはないでしょう。
「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい」104ページ
http://ameblo.jp/jwstudy/entry-11467964036.html
長老マニュアルは8割は、一般の文書にも公開されている点ですが
この点に関しては、明確な文面が長老マニュアルにしか出てきません。
一般信者に対しては、あえて混乱した状況を作り出していると
思います。
つくづく 信者を抑え込む協会の作戦は せこいわりには
功を奏しているなと関心してしまいます。
オフライン
#241 2015年04月15日 10:00:26
- ガリレオくん
- メンバー
Re: News
アメブロ拝見しました。↓
カナダの大学教授のジェームズ・ペントンは、協会のこのような
あいまいな指針の作り方は、結果として一般のクリスチャン兄弟姉妹が
排斥された親族を全面的に忌避することにつながっていると指摘しています。
Apocalypse Delayed (2nd ed.) p.331
全くをもってその通りだと思います。一貫性のない不透明な規則集のおかげで大衆に合わせて行き着く行為がこれだと思います。どれだけの家族が理不尽さを感じつつ生活していることか。原則が規則になっている典型ですね。
「軍法会議」・・・恐ろしくマッチしますね。北海道広島会衆の金沢兄弟の生々しい経験を思い出します。彼らは今どうなっているんでしょうね・・・
オフライン
#242 2015年04月15日 10:27:28
- silentlambs
- メンバー
Re: News
一般信者に対しては、あえて混乱した状況を作り出していると
思います。
全くをもってその通りだと思います。一貫性のない不透明な規則集のおかげで大衆に合わせて行き着く行為がこれだと思います。どれだけの家族が理不尽さを感じつつ生活していることか。原則が規則になっている典型ですね。
一般信者に対しては「挨拶をしない」「会話をしない」「食事を共にしない」
というような厳格な行動規範が口伝えで教えられていますね。
そこには、まず行動規範ありきで、聖書的根拠、納得できる説明がありません。
加えて、ローカルルールで「◯◯してはいけない」と付け加えられ、
変遷しているのが実情ではないでしょうか?
会衆から離れて不活発になった人、断絶した人(断絶届の有無に関わらず)も
排斥者と同じような扱いを受けているケースもあります。
アメブロにも経験者自身の記事がありますし、相談メールも受け取っています。
編集者 silentlambs (2015年04月15日 10:42:13)
オフライン
#243 2015年04月15日 21:12:24
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: News
会衆から離れて不活発になった人、断絶した人(断絶届の有無に関わらず)も
排斥者と同じような扱いを受けているケースもあります。
不活発者が未信者と結婚した場合も、信者の親と同居はタブーなんですよね。
去年、7年程前から自然消滅している娘が結婚する
と聞きつけて、二人の長老がやってきました。
娘は彼と相談して、ひとり親でやってきた私と同居したいと言ってきました。
まあ、組織の見方は知っていたので
取りあえず同居は断っていたのですけど
やっぱり長老たちは
「同居は最後の手段ですね。」とか言っていましたよ。
私、ひとりで高齢者3人の面倒みてるのですが....最後の手段てどんな状態の時でしょうね。
#244 2015年04月16日 03:55:52
- silentlambs
- メンバー
Re: News
私、ひとりで高齢者3人の面倒みてるのですが....最後の手段てどんな状態の時でしょうね。
個人的な意見ですが、JWと、不信者、断絶しつつある人とか…
同居は絶対やめた方がいいと思います。
お互いに憎しみの溝が深まっていくだけです。また、涙が出てきます。
オフライン
#245 2015年04月16日 08:05:57
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: News
個人的な意見ですが、JWと、不信者、断絶しつつある人とか…
同居は絶対やめた方がいいと思います。
お互いに憎しみの溝が深まっていくだけです。また、涙が出てきます。
たぶん、お辛い経験がおありか、見てこられたのですね。
私の経験ですと、信仰の違いというより、自前の心のキャパシティーが「鍵」のような気がしています。
心のキャパが狭いと信仰が無関係でも、消極的な感情に支配されやすいし、それ故に問題を抱えこみ安い。ただ、宗教は、そういった状況にある人々の思いに拍車をかけてしまうのは確かですね。
一時期、未信者の父、未信者の叔母、JWの母、不活発な娘、伝道者を降りた息子、初めから拒否している娘と同居していましたが、問題になることはありませんでした。
子供たちが家を出てそれぞれ自立しても、毎日連絡してきます。また、娘のお婿さんともオンラインゲームなど楽しんでいますよ。
義に過ぎる人がいると辛いかも…
case by caseですね。
#246 2015年04月16日 11:49:02
- silentlambs
- メンバー
Re: News
私の経験ですと、信仰の違いというより、自前の心のキャパシティーが「鍵」のような気がしています。
心のキャパが狭いと信仰が無関係でも、消極的な感情に支配されやすいし、それ故に問題を抱えこみ安い。ただ、宗教は、そういった状況にある人々の思いに拍車をかけてしまうのは確かですね。
本当にそうですね。人間の心は弱くて脆い、繊細なガラスのギザギザハート。
ネガティブな気持ちになって明日を生きる気力がなくなったとき、
長老の「平和を求めなさい」という助言がアタマの中を空回り…
そんなときは、友の言葉に癒されて30年間生きてきました。
毎日、電話とメールが行き交って支え合って生き伸びてきました。
人的環境は心を護り、成長させます。今日もまた愚痴メールしようかな…
もう、圏外… 届かないけれど…
編集者 silentlambs (2015年04月16日 11:51:29)
オフライン
#247 2015年04月16日 17:07:26
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: News
そんなときは、友の言葉に癒されて30年間生きてきました。
毎日、電話とメールが行き交って支え合って生き伸びてきました。
やっぱりsilentlambsさんは、ご自身が辛い思いを抱えて来られたのですね。
だから、辛い方の支援への思いがお強いのですね。
「善良であろう」とする努力やナイーブさを感じていました。
私はJWよりも、
厳格....というか自己中の父と
自分からは何もできない母
との確執の中で長く苦しみました。
自分がどうして苦しいのか
何故平安が得られないのか
いろんな本を読み漁り
いろんな人の観察をし
JWの記事に助けられたことも皆無ではありません。
子供たちとも、闘って闘って
それでも歩み寄って
そして助けられ教えられしながら生きてきました。
まあ、いろいろあって、今では相当「開き直って」います。
で、今はその両親を引き取って共に暮らしています。
良い努力は、必ず良い実を刈り取りますよね。
でも、愚痴をこぼすのも大切。
私も吐き出すときは吐き出して、
何度も何度も再出発したり、
軌道修正したりの繰り返し人生です。
#248 2015年04月16日 17:19:45
#249 2015年04月16日 20:48:13
- silentlambs
- メンバー
Re: News
自分がどうして苦しいのか
何故平安が得られないのか
いろんな本を読み漁り
いろんな人の観察をし
JWの記事に助けられたことも皆無ではありません。
そうですね。今は圏外となってしまった友と共に、
JWからの理不尽と思えるような仕打ちに泣き苦しみ、
なぜ、なぜ、どうして… と毎夜語り合いました。
その慰めと、明日を生きる力を得たのが聖書だとは、
なんと説明すればわかってもらえるでしょうか。
私の友が惨殺されて、「心のキャバシティ」をなくしそうになりました。
でも、友の嘆き苦しみを慰めてきたメールを読み直すと、
今、挫けそうな私のハートを支えてくれるのもやはり聖書です。
編集者 silentlambs (2015年04月16日 20:54:23)
オフライン
#250 2015年04月16日 22:29:33
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: News
も塔以外に排斥があるところは、カトリック(特にイエズス会)とフリーメイソンだよ。
カトリックの排斥って、聖職者だけではなかったですか?平信徒も?
で、フリーメイソンも排斥あるのですか?
知りませんでした。