#76 2017年10月04日 21:41:06
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
旧皇族の竹田恒泰さんと言う方の主張をコピペしてみます
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神話というものは、必ずしも史実だけが書かれたものではない。
世界の主な神話類には、史実とは思えない物語の数々が収録されている。
ところが、近代合理主義の権化ともいえる米国は、対日政策とは裏腹に、しっかり子どもたちに神話や聖典を教え込んでいる。
「史実ではない」「科学的ではない」などという理由で、神話や聖典を学ばなくてよいうといくことにはならないのである。日本人なら、好き嫌いに前に、日本神話に何が書かれているかは、知っておかなくてはならい。
よく、「天孫降臨は歴史的事実ではない」とか「神武天皇は実在しなかった」という人がいるが、「古事記」は神話であり、聖典であり、事実かというかという読み方、読み方としては間違っている。ここに書かれた記述は「真実」なのであって、「事実」かどうかはさして重要ではない。
このことは「聖書」に置き換えて考えると分かりやすい。「聖書」には天地創造やマリアの処女懐胎をはじめ、とても事実とは思えない記述も多い。しかし、欧米ではこうした記述を「事実」ではないと言うのは、愚かな主張とされている。
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以上コピペでした
「事実かは分からないが真実である」という主張
もっと言えば
「事実ではない真実」があるということですよね
#79 2017年10月04日 22:57:54
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
もっと大雑把に言えばこうですかね
ノアの洪水のように完全にNGな話は潔くあきらめて神話扱いしちゃう
土俵を割っていない(事実の可能性が微レ存)たぐいの記述は、温存しておく
ロジカルな世界に引きこもる事無く、場合によっては精神世界のフィールドも利用する
#80 2017年10月05日 01:38:20
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
ここで発言される方の中には、「妄想に基づいた物語を現実に信じるなんて、論理的に考える人間のやることじゃない」とお思いになる方が多いのではないかなと勝手に妄想してみます。
しかし、人間が他人と交流して生きるには、妄想に基づいた物語を信じて行動するしかないんですよ。
「irisさんは他人の心の中を客観的に事実として観察できるのですか?」と質問されたことがありますが、そんなことできる人がいるんでしょうか? 他人が実際に何を考えているか、科学的に証明できますか?
他人と交流しながら社会生活を営むには、他人の行動を観察して、相手の意図を推測(妄想)し、その妄想に基づいて、自分なりの物語を構成して、自分の役割を演じることになります。ですから、多くの人が同じ経験をしても、その経験に関する物語は人によって違うものになりますし、場合によっては知らず知らずのうちに事実と違う物語になってしまうこともあります。客観的な事実と異なる物語になったとしても、その人が意図的に捏造したのでない限りは、その物語がその人にとっての真実となります。
「物語の中の事実(真実)」に基づいて行動することは、理性のない人間のやることなどではなく、社会性を身に付けた人間なら誰もが日常的にやっていることです。それができないと、他人との間に人間関係を築くことができないからです。なにしろ他人の心の中は、客観的な事実として科学的に証明できるものではありませんからね。
神仏の「意図」を妄想することは、本人と周囲とに著しい悪影響がない限りは、他人の意図を妄想するという誰もが日常的に行っている作業の延長でしかありません。ヒトというのは他人の意図を妄想せずにはいられない生物なのですから、仕方のないことです。
編集者 iris (2017年10月05日 01:45:27)
オフライン
#81 2017年10月05日 05:28:43
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
「神仏の「意図」を妄想することは、本人と周囲とに著しい悪影響がない限りは、他人の意図を妄想するという誰もが日常的に行っている作業の延長でしかありません」
この点に関してはまさにその通りだと思います
気になるのは子供への影響です
子供に「妄想や事実でないかもしれない事柄」を事実と錯覚させるような説明をするのは慎重にならなければいけませんね
#83 2017年10月12日 08:26:54
- てつてつ
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
irisさん こんにちは
すこしカトリックの教え読んでいるのですが
>♯32 iris流くらいで腰を抜かしていては、パパさま(ローマ教皇)は務まりませんよ。
画一的な教えだけでは、全世界の多様な信徒には対応できないのです
とか
>♯56私は、キリスト教が日本の「神道&仏教」よりも特に優れているとは思いません。以前も述べた通り、キリスト教は日本人にとってよい宗教にはなりにくいと私は考えています。「神道&仏教」は日本に根付いて、日本人に安心や幸福を得させるという役割を立派に果たしています
は 自分は正しい神様の崇拝方式があってそれ以外はダメという ものみの塔で教えられた名残があって ちょっとうーん これって十戒の あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない 出エジ20.3の違反じゃないのー?と思っていたのですが
19ページに
キリスト教以外には神からの恵みも救いもないというのでしょうか。教会は「諸宗教の中に見いだされる真実で貴いものを何も排斥しない」(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』2)とし、キリスト教以外での神からの救いの可能性を肯定しています(『教会憲章』略も参照)。神が「多くの形で、また多くのしかたで」(ヘブライ1.1)語られたとすれば、諸民族がさまざまな宗教や世界観・信念をもって神の真理と恩恵に向かっていることは当然です。
とあって こうした教えからirisさんの上記の言葉が出てきたのかなと思いました
自分にとってはカトリックが他の宗教自体を認めていること自体が 目からうろこでした
これが正しいかどうかはわかりませんが ものみの塔は自分たち以外の宗教はすべて悪魔サタンからのものだと教えられていますので
まあ歴史上カトリックがこの言葉のとおり行動してきたかは疑問ですが いちおう書かれていることはよいと思いました
編集者 てつてつ (2017年10月12日 08:28:41)
オフライン
#84 2017年10月12日 13:12:30
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
てつてつさんこんにちは。
自分は正しい神様の崇拝方式があってそれ以外はダメという ものみの塔で教えられた名残があって ちょっとうーん これって十戒の あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない 出エジ20.3の違反じゃないのー?と思っていたのですが
今までも書いていますとおり、私にとって「わたしの神」は、イエスが示された父なる神のほかにありません。私は十戒の第1戒をちゃんと守っていますよ。
ただ、その神がてつてつさんの神、つまりてつてつさんにとっての「自分の神」である必要はないと思います。てつてつさんの神はてつてつさん御自身が見つけるべきです。
神仏は、ひとりひとりの人生の物語の中で働かれるものだからです。
まあ歴史上カトリックがこの言葉のとおり行動してきたかは疑問ですが いちおう書かれていることはよいと思いました
逆の行動に走った時代もありましたね。
世界中の人々とともに生きる時代になって、多様性を認めるという当然のことに、カトリック教会もやっと気づいたのでしょうね。
編集者 iris (2017年10月12日 16:22:03)
オフライン
#85 2017年10月12日 13:58:50
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
iris流カトリックは普通のカトリックとは違うとお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、私は至って普通のカトリック信者のつもりでいますよ。
例えば、将棋などはルールがきちんと決まっていますが、特徴的な棋風をもっているプロ棋士もいるようですね。谷川浩司九段は「谷川前進流」、米長邦雄永世棋聖は「泥沼流」とか。ルールの範囲内でも個性が現れるのが、生身の人間が対戦する面白さではないでしょうか。スポーツ選手でも戦術に個性が出ますよね。
カトリック信者も基本的な教えは共有しながら、それぞれの個性に合った生き方(信じ方)をしているのが普通です。
カトリック教会は、ものみの塔のように一挙手一投足に干渉するようなことはしませんからね。
オフライン
#86 2017年10月15日 17:31:49
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
先ほどの信条は最初から物語として信者さんに言わせていたのですか?それとも途中から物語に変わったのですか?そうだとしたら事実だと信じている信者さんは間違いを信じていて救われないのですか?
事実はいつから物語になるのでしょうか?
それは客観的な事実に主観的な解釈が加えられた時です。
小学校1年生の子どもが学校で友だちに意地悪されたと思い、家に帰って母親に訴えます。
母親がわが子の口から聞くのは、客観的な事実が何割か含まれた「物語」です。母親が子どもの考え方をきちんと把握していれば、実際の出来事がどのようなものだったのか推測することはできますが、その場にいたように正確に把握することは難しいでしょう。つまり母親がわが子の話から知ることができるのは、学校で起きた事実そのものではなく、わが子の物語であるということです。物語の中の事実が客観的事実であるかどうかを判断するのもまた、母親の主観になります。
(そして客観的事実と思われる事件が重大な問題であれば、他者の物語と突き合わせて真相を究明する必要が出てきます)
信条や聖書が成立したのは、イエスの復活・昇天を目撃できた(かもしれない)人々の死後です。信条を信じる人々は、その場で目撃したわけではありませんから、物語(伝承)の中で語られる事実を信じるしかありません。それが客観的事実であるかどうかも、直接的な証拠がない限り、信じる人の意思によって決まることになります。
信条や聖書の物語を信じるということは、その中で語られる事実が科学的に立証されなくてはならないということを意味しません。信仰とは望んでいることがらを確信することだからです。
科学的事実を認めるのには、信仰は要りません。
編集者 iris (2017年10月15日 17:39:06)
オフライン
#87 2017年10月15日 18:02:51
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
一応補足しておきますが
ゼロから物語を作ることもありますよ
虚偽報道なんて言葉もあります
#88 2017年10月16日 07:15:03
- てつてつ
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
irisさん 書き込みありがとうございます
信条や聖書が成立したのは、イエスの復活・昇天を目撃できた(かもしれない)人々の死後です。信条を信じる人々は、その場で目撃したわけではありませんから、物語(伝承)の中で語られる事実を信じるしかありません。それが客観的事実であるかどうかも、直接的な証拠がない限り、信じる人の意思によって決まることになります
カトリックの教えの25ページに にたようなことが書かれていました
福音の「真理と規律は書かれた書物と、書かれていない伝承とに含まれている」。トリエント公会議は、福音の「救いの真理と道徳律の源泉」として、聖書と伝承を挙げています。そこで、この両者の関係について考察してみます。初期の教会においては今日のような新約聖書はまだ存在しておらず すべては伝承でした こうした使徒伝承の主要な部分が文章化し、長年の教会の吟味を経て、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)と一つになってキリスト教の聖書とされたのです。つまり聖書は伝承が生み出したものであり、伝承の最重要部分といってもよいでしょう。それ以降、教会は啓示の伝承行為においてつねに聖書を規範としてきました。その意味で後の伝承にとって、聖書は規範的役割を果たすといえます。しかし文字に残された聖書の真意を正しく解釈できるのは教会の生きた信仰です
また 聖書のある部分は実際に起きた事実ではなく物語であるみたいなこともかかれていました
31ページ
楽園の中央にいのちの木と善悪の知識の木があったといわれています。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」.... 楽園は、大昔どこかに存在したものではありません。人間が本来あるべき理想的秩序を示しています。楽園は、いわば各人のあこがれと希望の中に存在する心の原風景とでもいえるでしょう。
>iris流カトリックは普通のカトリックとは違うとお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、私は至って普通のカトリック信者のつもりでいますよ
が 少しわかってきました
編集者 てつてつ (2017年10月16日 08:41:28)
オフライン
#89 2017年10月19日 09:46:19
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
~あるクリスチャンたちの会話~
「新約は、信仰の観点で語り継がれた伝承だから、史的資料とは見なされません」
「では、あなたはどんな資料があれば、キリスト復活の証拠と見なすのか」
「警察の検分報告書が1枚あれば」
#91 2017年10月19日 10:24:16
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
警察もねつ造しますからね
この会話も伝聞なので実際にその通りに交わされたのかは分かりません
#92 2017年10月19日 10:53:01
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
「真の宗教」とはどんな宗教でしょうか?
実際に証明できること、つまり歴史的事実や科学的事実だけを教える宗教でしょうか?
日本でもヨーロッパでも、昔は寺や教会があらゆる学問の場であり、教育や医療も担っていました。信仰に関する事柄だけでなく、実学でも寺や教会が実質的に最高学府として機能していたのです。
現在、実際に証明できる歴史的事実や科学的事実を示すのは科学者の仕事です。客観的に証明できる事実を確定するという分野において、宗教には科学の成果を否定するだけの力はありません。つまり、自分たちだけが「本当のこと(客観的に証明できる事実)」をすべて知っていると言う宗教があるとすれば、その宗教の言うことは明らかに嘘あるいは勘違いです。
ものみの塔やエホバの証人の多くは、宗教と科学の区別がつけられていないために迷走するしかないのだと感じます。
客観的に正しい事実を知りたいなら、宗教ではなく科学者に教わりましょう。
編集者 iris (2017年10月19日 11:29:20)
オフライン
#94 2017年10月19日 11:46:35
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
新約聖書が重要な史料であることは間違いない
それを否定する学者はどの分野にもいないと思います。
おそらく、この会話は「証拠」という概念の観点から交わされたもので、警察もねつ造しますが、この場合は「動機」が存在する蓋然性は低いと判断されるであろう、くらいの意味に解釈することが可能です。
#95 2017年10月24日 15:34:18
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
NHKで「100分de名著」という番組が放送されています。
今月の名著は「歎異抄」で、昨日第4回(歎異抄の最終回)が放送されたのですが、来週の月曜日(10/30)にもまた第4回が再放送されます。
宗教とは何なのか考えたい方にはとても参考になると思います。
歎異抄は浄土真宗を開いた親鸞の教えの解説書のようなもので、皆さまも中学校で書名くらいは習ったはずです。
私は、カトリックの教えと親鸞の教えとはとてもよく似ていると思います。
私がイエスと出会う前に親鸞と出会っていたら、私にはキリスト教なんか要らなかったことでしょう。
集団の統制のための宗教もどきではなく、ひとりひとりの救いのための宗教とはまさにこのようなもので、本当に人を救う宗教は洋の東西を問わず同じなんだなと思っています。
2016年の再放送ですので、NHKオンデマンドでもまとめて見られます。お金がかかっちゃうみたいですけど。
皆さまの感想が聞けたら嬉しいです。
オフライン
#97 2017年10月27日 19:54:24
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
>カトリックの物語はカトリック信者にとっては真実
の意味がわかりません
カトリックの物語の要素のすべてが客観的な証拠に基づく歴史的事実あるいは科学的事実ではないとしても、その物語はカトリック信者にとってはウソではないということです。
あと物語を信仰の根拠にしているので救いというのは現実のものではなく本人が救われたと思っていればよいものなのでしょうか?
救いが「現実のもの」であるとは、どういう意味でしょうか?
編集者 iris (2017年10月27日 19:55:36)
オフライン
#99 2017年10月28日 05:59:20
- てつてつ
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
irisさん 書き込みありがとうございます
カトリックの物語の要素のすべてが客観的な証拠に基づく歴史的事実あるいは科学的事実ではないとしても、その物語はカトリック信者にとってはウソではないということです。
最初はこの考え方が おかしい 完全にまちがい だと否定する気持でしたがカトリックの教えの本や 最近のラハムさんの上げている中沢牧師さんの聖書を物語として理解する も 似たような考え方なのかもしれませんね それでそのような信じ方をされるということを否定する気持ちは弱くなりました ただ自分はあくまでも真実をもとに信じたいと思っています
一例として冥王星が実際に発見される前からいろいろなデータでそこに惑星があるということはいわれていたようで こんな感じで自分は信じるまたは信仰します
というわけで 進化論トピでも何度か書きましたが 生物や遺伝子が偶然存在する可能性はないとおもうので創造者はいると思うという意味で自分は信じて 信仰 しています
救いが「現実のもの」であるとは、どういう意味でしょうか?
一例として日本は神の国なので苦難の時には必ず神風がふいて助かるという神話を信じている人がいると思いますが 残念ながら昔話を根拠にしているのでそのようなことは現実にはありません 当人がそう思っておきたことを解釈しているだけだと思います
同じように 聖書の話は物語であるということなら 神様やイエス様が現実に再臨して信者さんを助けるというのは実際にはないということです
いわば 当人がそう思っている状態がすくわれたということで 残念ながら自分にはムリです
(マタイ 15:14) …盲人が盲人を案内するなら,二人とも穴に落ち込むのです…
ただこれも当人が理解してなっとくしてその状態にいるのならそれは個人の自由だと思います
編集者 てつてつ (2017年10月28日 09:13:52)
オフライン
#100 2017年10月29日 14:31:58
- てなもんや
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
NHKで「100分de名著」という番組が放送されています。
今月の名著は「歎異抄」で、昨日第4回(歎異抄の最終回)が放送されたのですが、来週の月曜日(10/30)にもまた第4回が再放送されます。
宗教とは何なのか考えたい方にはとても参考になると思います。歎異抄は浄土真宗を開いた親鸞の教えの解説書のようなもので、皆さまも中学校で書名くらいは習ったはずです。
私は、カトリックの教えと親鸞の教えとはとてもよく似ていると思います。
私がイエスと出会う前に親鸞と出会っていたら、私にはキリスト教なんか要らなかったことでしょう。
集団の統制のための宗教もどきではなく、ひとりひとりの救いのための宗教とはまさにこのようなもので、本当に人を救う宗教は洋の東西を問わず同じなんだなと思っています。2016年の再放送ですので、NHKオンデマンドでもまとめて見られます。お金がかかっちゃうみたいですけど。
皆さまの感想が聞けたら嬉しいです。
youtubeでもみれますよ