ログインしていません。

#301 2017年07月29日 18:39:04

萬燈
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

なんでしょうね?
友人から
「エンヤってカトリックだからやめといたほうがいいんじゃない」
とか、サラっと言われましたね。それくらいです。
クラシックはうちの会衆にオーディオマニアの友人がいて普及活動(笑)をやってたことから、よくFM放送のクラシックはわりとその界隈では聴いておりました。
で、まあ、当然宗教曲も流れてくるわけで、今で言う「いいね!」状態でした。 wink

いいものはいい、それでいいんじゃないですか hmm

オフライン

#302 2017年07月29日 20:28:06

ワーゲン
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

irisさん

返信ありがとうございます。
iris不在の時に、irisさんがらみのコメントをしていましたが、もしなにか失礼な発言があったとしたらお詫びします。
以下にirisさんへの返信を書きます。

iris さんの発言:
ワーゲン さんの発言:

irisさんの発言をみると、カトリック教会に属しておられると思いますので(違っていたらすみません)、表面的にはカトリック教徒ですが、カトリックの教義を全て信じているわけではないという意味で、内面的にはカトリック教徒とは言えないのかもしれません(これまた勝手な批評ですみません)。

多くの場合、キリスト教は日本人にとってよい宗教にはなりにくいと私は思っています。
キリスト教の核心となるイエスの教えそのものは普遍的なものですが、キリスト教の教理や形式を全体として見ると、それはやはり西欧の文化の中で育まれたものであり、日本人の心にはしっくり合わないのです。
私がカトリック教会を誰かに勧めるつもりがないのも、そのためです。

ただ、信徒としてカトリック教会に関わっていると、教会が信徒を支配するための教えや独善的な教えは、どんどん修正されてきているのがわかります。
現代においてカトリック教会が本当に普遍的な宗教であるためには、今までの西欧中心の価値観を押し付けるだけではいけないということを、教会も認識しているのです。

私の信仰は、初めからカトリック教会で育まれたものではなく、私だけの信仰であり、他の誰とも違います。
けれども、現代のカトリック教会の教えとならば、無理なく重ね合わせることができると判断し、カトリックとして生きていくという選択をしました。
ですから、私はカトリック教会に籍があるだけでなく、内面的にもカトリックであると思っています。
(他のキリスト教会では、無理でした…)

詳細を説明してくださりありがとうございます。
以前よりだいぶirisさんのお考えが分かった気がします。
私は詳しくないんですが、irisさんのお話を聞くと、今のカトリックは信仰心の多様性について、昔よりかなり寛容になってきているということなんでしょうね。
どちらかというと白黒はっきりさせるタイプの従来の聖書の教えから、日本人にもなじみやすいグレーゾーンを容認する教えに替わりつつあるのかなと思いました。

iris さんの発言:
ワーゲン さんの発言:

irisさん>宗教組織が組織を優先するために個人の宗教心を不当に侵すことは不適切

私は、これは必ずしも不適切とは言えないと思います。もちろん服従を強制するというのであればそれは問題ですが。宗教団体の教えが個人の宗教心にそぐわないのであれば、その宗教団体に属するのをやめればいいだけですから。

「個人の宗教心を不当に侵す」というのは、個人の精神の自由を奪い、宗教組織に逆らえない(辞めることもできない)状態におくことを指しています。

なるほど、辞めることもできずに宗教組織に逆らえないとなると、それはまさに服従を強制することになるので、それは不適切という意見には全面的に同意します。

iris さんの発言:
ワーゲン さんの発言:
iris さんの発言:

エホバの証人の中に精神を病む人が多いのは、ものみの塔の組織が個人の本来の「宗教心」を否定し、組織に従わせるための「宗教心もどき」を植え付けることによって、精神的に大きな負担をかけ、追い詰めているからではないかと思います。

私がエホバの証人の問題だと思うのは、エホバの証人の教え自体ではありません。それよりも、一度信者になってしまうと抜け出すのが非常に困難な点ではないかと考えています。排斥された(又は断絶した)人を村八分にして、これまでの人間関係を完全に破壊してしまうことや、一般の社会に適応しづらい生活を推奨しているので、高齢になるほど組織を抜けた後の生活が困難になることも問題でしょう。このように退路を断たれてしまうと「宗教団体をやめる」という選択が事実上非常に難しくなり、精神的に大きなダメージを受けてしまうのかもしれません。
逆に言うと、これらの問題がなければ、あとは信じるか信じないか個人の自由意思ですので、あまり大きな問題はないのだと思います。

私も、エホバの証人にとって最大の問題は、主として排斥制度によって、組織に逆らうことができない(辞めることもできない)仕組みになっていることだと思います。

ただ、「辞めたい」と思える人はまだ精神的には大丈夫です。
私が本当に精神的な負担が深刻だと思うのは、組織に従うために自分の心を殺している生活が辛いのに、組織を疑うことができずに「うまくいかないのは自分の信仰が足りないためだ」と自分を責め、さらに無理を重ねてしまう人です。
組織に従わせるための教え(ハルマゲドンの恐怖など)を植え付けられていることが、その背景にあると思います。

これは本当に解決の難しい非常に大きなテーマですよね。
こういう思考パターンに追い詰められてしまうのは、何も宗教に限った話ではないと思います。
仕事のストレスが原因で自殺してしまう方が毎年たくさんいますが、客観的にみると「だったら仕事辞めたらよかったのに」と思うものの、本人はすでにそういう考えができないところまで追いつめられて余裕がないがために非常に残念な選択をしてしまうのだと思います。
この点については、自分でも考えがまとまっていないので、宿題にさせてもらって、もう少し深く考察してみます。

#303 2017年07月29日 20:43:29

ワーゲン
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

一言に信仰心と言っても、人によってそこに求めるものは違うのかなと考えています。
ある人は、信仰の先に答えを求めるため、規律や教えを重視します(エホバの証人はこのタイプかなと思います)。
またある人は、信仰心を持っており各個人が努力して生きているなら皆救われるという考え方を好みます(カトリックはこちらでしょうか)。
はたまたある人は、信仰仲間とのつながりを最も重要視する場合もあります。

オウム真理教のテロ事件の後、この教団はとんでもないペテン師&犯罪者集団であることが明るみに出ましたが、にもかかわらず少なくない信者が後継組織であるアーレフ(アレフ)に留まっていることは非常に興味深いです。
やはり人間とはとても弱いもので、これまでの考え方や生き方、人間関係というものをなかなか変えることができないんだなと感じています。

すいません、ちょっと抽象的で何を言いたいのか伝わらないですよね。
自分でももう少し考えを整理したいと思います。

#304 2017年07月29日 22:17:39

ユーリ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

たいていの人は人生の何かの場面で「自分はなんとおろかで弱い存在であることか」ときづくことになります。

たとえば(あまり例えたくはないのですが)、たいへんな災厄に見舞われたり、最愛の人間と死に別れたり、往々にして自分の無力さを痛感するときに、全員とは言わないまでも、人間に完全な情報を求める心が芽生えます。このことには、何か意味があるに違いない、どこかに答えがあるはずだと考えるようになるのです。


人の脳のシステムについては、かなり研究が進んできました。オウム真理教のことを信じている人は、その人の脳が本当にそこに真理を見出したと認識してしまっているのです。

その他の宗教も同じです。

視覚情報や、自分で納得した答え=エホバの証人であるなら、聖書研究で 出版物から質問の答えを見つけそれを注解したとき、それは自分の考えとして脳に記憶されてしまうのです。

シャーマニズムにおいては集団に属する人々は、自分たちにはどうにもできない問題を解決してくれる存在として、巫女や祈祷師をあがめるようになります。(もちろん、科学的には解明されている方法によってです。)

そして、人は死への根源的な恐怖があります。もし、それがなければ人間は絶滅していたに違いないからです。それは、脳の大脳辺縁系などに刻まれている、根源的な恐怖です。

死を恐れ、生をもとめ、死んでしまった人に対する畏敬の念は当然あるものです。神の存在とは関係なく。

オフライン

#305 2017年08月07日 02:40:36

SMG
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

>
ただ、「辞めたい」と思える人はまだ精神的には大丈夫です。
私が本当に精神的な負担が深刻だと思うのは、組織に従うために自分の心を殺している生活が辛いのに、組織を疑うことができずに「うまくいかないのは自分の信仰が足りないためだ」と自分を責め、さらに無理を重ねてしまう人です。
組織に従わせるための教え(ハルマゲドンの恐怖など)を植え付けられていることが、その背景にあると思います。

=============================

その通りです。ハルマゲドンの恐怖故に素直な自分を取り戻せないのです。
それゆえ彼らは ロシアで最高裁命令の禁令をも平然と反故にして頑なに組織を抜けることを拒み、身内や世の人間に迷惑をかけています。
だから、ヨブやイエスキリストを引き合いに出しては乱用します。
「懲役なんか怖くない」とね。

だから、エホバの証人を親に持つ子学校でいじめられてもいじめた生徒を先生が擁護したり、職場を追われるのです。
学校としても職場としても困るのです。違法行為を学校や職場で平気でしている生徒や職員が居座られては。学校や職場の立場や気持ちになって考えたことはありますか?自分が社長や校長なら法律を守らない人を学校や職場に置いておけますか?



JW.ORGは自分たちの非を棚に上げて頭ごなしに,「王国会館への放火や,証人たちの失業,学校でのいじめは悪魔サタンが私たちをエホバの組織から引き離そうとするための試練だ」だとのたまってる。
あんたたちも全くネチネチとしつこいね。要するに自分たちの自己満足のために最高裁で決まったことに対してて駄々をこねてるだけだろうが。
まぁこちらも言いたいことはしつこく言わせてもらう。あんたたちは自分の太刀の思い通りにならないと、馬鹿の一つ覚えみたいに「人権侵害だ、憲法で保障されている信教の自由の侵害だ。差別だ偏見だ。悪魔サタンの仕業だ」の一点張りだが、自分たちが迫害を受ける井理由や自分たちを冷静に客観視する精神的作業を怠っている。
ロシアやジョージア、カザフスタンなど世の事情や気持ちを考える優しさと思いやりが全然ない。教書や冊子を通じて反対者へのヘイトスピーチの限りを尽くしておいて自分自身への理解やしかるべき発信を怠っておきながら、今更悪魔サタンや世の人や反対者に怒りをぶつけるのは筋違いも甚だしい。つくづく見苦しくてみっともない。
幼稚園の駄々っ子と同じだ。

お願いだからいい加減現実を受け入れて行動してください。少しは大人になってください。
学校でのいじめや失業はあなたたちが いもしない理不尽な神エホバからきっぱりと足を洗えば これらの迫害や苦悩はきれいさっぱりなくなります。

社会福祉を受ける権利も帰ってきます。あなたたちの将来的かつ長期的な益につながります。

冷静に考えてみてください。
露最高裁の命令は各界、多方面からの熟慮の末に決められた「法律」なのです。
そんな熟慮の末に決められた法律を守らない人を社会は信用するでしょうか?
もしそれを否定するなら それはどうしてですか?
そしてその宗教団体に対して世界中からどういうイメージが刻まれるでしょうか?

では・・・ どんな目で見られますか?

自分ならどう思うか考えてみてください。

私が個人的に思うには そんな法律を軽視する人間は・・・
「法律を守らない奴は何をしでかすかわからない。何か盗むかも。誰か殺すかも。」
そう思いますけどね。

決して拡大解釈じゃないです。
「お前はあの解散命令が言い渡されたカルト ものみの塔の信者か?なら今すぐ家に帰れ。明日から二度と来なくていい。話は終わりだ。」

私が社長だったらこう言う。取引先に迷惑がかかるし、メインバンクの役員にビビられるから。

#306 2017年08月07日 02:59:15

SMG
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

「ヨブが受けた苦悩に比べれば懲役なんか怖くない」
と言いますが、
刑務所で朝昼晩出る飯や衣服や風呂のお湯、電気、布団などのお金は誰のお金で賄われると思いますか?
サタンが牛耳る世の人たち、反対者が毎月毎年納めることが法律で義務付けられている税金です。
囚人一人当たりの維持費は日本円に換算すると200万円。ロシアの首都モスクワの平均年収以上です。日本でも一人頭350万円なんです。


それから、逮捕されたら裁判中にいくらかかるかご存知ですか?
弁護士料(国選だって慈善事業じゃないので)、保釈金、差入、留守家族の生活費。
安くても年に2000万円かかるんですよ?

それでも 「懲役なんか怖くない」なんて言っていられますか?

自分たちがサタンが牛耳る世の人たちや反対者によって生かされているんだ ということを忘れないでください。

#307 2017年08月08日 09:06:25

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

ヨブの苦悩て何でしょうね

子どもが皆殺しにされても、「主は与え、主は奪う」と言い聞かせて自分の神を呪わなかったことですか


国が認可を取り消した宗教法人の教材をどうしても使いたい、その宗教法人の不動産施設にどうしても行きたくて勝手に迫害を受けたいだけなのに、どの神を呪いたくなるんでしょうか

#308 2017年08月09日 01:06:30

ユーリ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

ヨブの苦悩ですよね。

ヨブ記を読んだ宗教的背景のない人は 、途中までは感動的なんだけど
最後、一番聞きたい質問の答えは、問答無用で 結局 現世ご利益でがっかりしたといっていました。

よく、ものみの塔や目覚めよの苦労された姉妹たちの経験で、さんざんエホバに頼って試練を耐え忍んだ挙句 最後に
「現在姉妹は、長老兄弟と結婚して霊的な活動に励んでいます。」とかいう結末で、げんなりしたものです。

JWに限らず神が神たるゆえんを考えるならば 、神の許されている事柄に関して 神を呪うか呪わざるか・・・。
実は、本当に考えなくてはいけないことから目を逸らさせること・・・。それが宗教の役割なのかもしれませんね。

だからとても吸引力があって魅力的なのかもしれません。

オフライン

#309 2017年08月10日 01:27:09

SMG
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

ロシアの件です。
何度も言いますように、
自分たちが失業や子供の学校のいじめなど自分たちの不都合の原因を自分たちで作っておきながら、馬鹿の一つ覚えのように頭ごなしにサタンの仕業だと決めつけてくるんです。
二言目には「憲法で保障された信教の自由の侵害だ。欧州人権裁判所に訴えてやる!」と
今度はサタンの象徴である民主主義を振りかざしてきました。つくづく呆れたよ。

そんなに文句があるならロシア人じゃなくなればいいんです。ロシア籍を捨て、ロシアの隣国(フィンランド、ベラルーシ、モンゴル、ロシア飛び地カリーニングラード、リトアニア、エストニア、ラトビア等)に帰化してロシア語を喋るロシア系住人の住む町で活動をする分にはロシア政府も干渉しません。よって、ロシアは「欧州憲法の法の信教の自由」までを侵害しているとは言えません。ロシアのエホバの証人さんは居場所が完全になくなるわけではないからです。

学校側としては違法行為をしている生徒を黙認することできないし、保護者会でも

「うちの子が学校で他の生徒から配られた変な本に興味持って困ってるのよ!これ この前テレビでやってた あの最高裁で解散命令が言い渡されたカルト教団の教書じゃない!学校として親になんとか言ってよ!法律で禁止されてることをするのは犯罪だってことを!もう耐えられない!犯罪者とその子供を学校に置くなんてまっぴらよ!何しでかすかわからないもん(そーだそーだ!)」

なんて騒がれて いざこざを起こされては困るんです。だからこそ担任の先生も余計にいら立ってると思うんです。それは会社の役員会でも同じです。社員の違法行為を看過することはできません。
学校と会社が望むことはただ一つ。違法宗教となったエホバの証人から足を洗えばすべては丸く収まります。いじめはなくなり首も取り消されます。社会福祉を受ける権利も帰ってきます。ましてや、解散命令が言い渡されたのだからちょうどいいじゃないですか?

学校も職場も楽園じゃないんです。

#310 2017年08月10日 01:44:07

SMG
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

あるロシアの地方では校長先生が帰り路にエホバの証人の親を持つ生徒の家を訪問して、
うちの子は正しいと言ったうえ、担任の先生に教師の資格はないとそうおっしゃり、十字架を崇拝し、神を知らない奴は馬鹿だ。
と怒鳴って言い争いになったそうです。校長先生をも勧誘しようとする始末。
御説によれば「エホバ」という紙に書いたような名前の神を。

#311 2017年08月13日 22:55:52

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

irisさん こんばんは。
以下「同窓会」スレッドの投稿ですが こちらで返信します。

iris さんの発言:

おそらく、カレブさんをはじめとして、ここでキリスト教のことを悪い宗教だと思っている方々は、キリスト教というのは不寛容な宗教だと思っているのではないかと思います。
最近までの多くのキリスト教の態度は、まさに不寛容なものでしたから、それも仕方のないことです。

しかし本来のキリスト教は、不寛容になってしまったユダヤ教を厳しく批判したイエスの精神を受け継ぎ、「愛は寛容にして慈悲あり(一コリント13章4節)」と教えているはずです。
自分はクリスチャンであるとお考えの証人の皆さん、このことを忘れないようにしましょう。

キリスト教は不寛容な宗教ではない、との主張に関してですが

以下の聖句を iris さんはどのように解釈されているのでしょうか?

(マタイ 25:41) 41「ついで彼は自分の左にいる者たちにこう言います。『のろわれた者たちよ,わたしから離れ,悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入りなさい。

羊とやぎのたとえの中の一文ですが、JWはこれをハルマゲドンでの滅びと解釈しています。
ものみの塔は続く 25:46のギリシャ語コラシンを「切断」と訳しています。
どう考えても当時のギリシャ語を話す読者があの文脈でコラシンを「切断」などと解釈することは考えられません。当時すでに悪魔のために用意された永遠の責め苦の教理が概念として定着しつつあった時代にあって、マタイの言葉はほぼ100%「永遠の刑罰」として理解されたと考えられます。
当時すでに「タルタロス」や「悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火」といった
フレーズは地獄を連想するものとして使用されていました。

質問としては

・iris さんは個人的に上記の聖句をどのように解釈されているのですか?

・カトリック教会は公式に上記の聖句をどのように解釈されていますか?

よろしくお願いします。

オフライン

#312 2017年08月14日 06:19:37

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん こんにちは

どう考えても当時のギリシャ語を話す読者があの文脈でコラシンを「切断」などと解釈することは考えられません

そうでもないようです

まあ 永遠の刑罰であろうと 切断であろうと 自分たちの神のいうこと聞かないものは排除するわけですので全体的な 趣旨としては不寛容だとおもいますが


・カトリック教会は公式に上記の聖句をどのように解釈されていますか?

ちょっとみあたりませんでしたが

カトリック教会のカテキズム


125ページでは


地獄とは、自らの自由な選択によって大罪のうちに死ぬ人々の永遠の責め苦のことです。地獄の主要な罰は、神から永遠に離れることにあります。ただ神においてのみ、人間にはいのちと幸福があり、これらのために人間は創造され、これらを切望しているというのにです。キリストはこの地獄の現実を次のことばで表現しておられます。「呪われた者ども、わたしから離れ去り、....永遠の火に入れ」(マタイ25.41)。

とのべていますので神様のいうこと聞かない人は最終的には地獄へ行くのが公式教理だと思います

ただirisさんは このトピの187で

素朴な信仰心の大切さを強調して

イエスと共に生きようとする者にとっては、このような素朴な教えこそが重要であって、それに比べたら、後から作られた教会の組織や難解な教理などには、何万分の一かの価値しかないと思います。

とのべていますので

しかし本来のキリスト教は、不寛容になってしまったユダヤ教を厳しく批判したイエスの精神を受け継ぎ、「愛は寛容にして慈悲あり(一コリント13章4節)」と教えているはずです

というirisさんの考えのほうが カトリックの公式教理より強いのかもしれません

編集者 てつてつ (2017年08月14日 06:31:41)

オフライン

#313 2017年08月14日 06:31:37

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

てつてつ さんの発言:

カレブさん こんにちは

どう考えても当時のギリシャ語を話す読者があの文脈でコラシンを「切断」などと解釈することは考えられません

そうでもないようです

まあ 永遠の刑罰であろうと 切断であろうと 自分たちの神のいうこと聞かないものは排除するわけですので 趣旨としては不寛容だとおもいますが

てつてつさん 引用ありがとうございます。
てつてつさんの「そうでもないようです」という返信は
具体的にどの部分を指しているのですか?

わたしは「当時のギリシャ語を話す読者があの文脈でコラシンを「切断」などと解釈することは考えられない」と指摘しました。
当時のギリシャ語を話す人でマタイの聖句を”永遠に無意識になることだ”と解釈した人が一人でもいるでしょうか?
いるなら例を挙げてください。
そして逆にあの聖句を当時の常識で解釈した人々が、どのように解釈したかも調べてみてください。

なぜ当時の人々がほぼ100%地獄と解釈するであろう表現を神は用いられたのですか?
この点で新約聖書はかなり調和しています。

オフライン

#314 2017年08月14日 06:36:53

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん 書き込みありがとうございます ちょっと今から仕事のだんどりするので「お盆の休みの間会社にだれもいないのでその間に仕事してくれという方がおられるので休みなしです cry 」また のちほど見てみます

オフライン

#315 2017年08月14日 14:49:30

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさんこんにちは
まだ仕事中で全然調べてないのですが
自分はいずれの意味でも不寛容と言っているのでどちらでもいいのではないでしょうか

あとカレブさんがこのことで何をいいたいのかよくわからないのですが?

カトリックは地獄を信じるのでより不寛容とか?

編集者 てつてつ (2017年08月14日 15:27:52)

オフライン

#316 2017年08月14日 15:30:55

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

てつてつさん

>自分はいずれの意味でも不寛容と言っているのでどちらでもいいのではないでしょうか

キリスト教が不寛容であるという部分を認めている立場であれば
付加的な部分で間違った情報を提供しても良いのですか?

>あとカレブさんがこのことで何をいいたいのかよくわからないのですが?

具体的にどの部分がわからないのですか?
わたしの主張も、リンク先のエホバの証人側の主張も、どちらもわからない状態で
「そうでもないようです」と書き込んだということでしょうか。

オフライン

#317 2017年08月14日 15:44:34

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

てつてつさん

>カトリックは地獄を信じるのでより不寛容とか?

わたしはエホバの証人と比べてどちらが不寛容かとか全くふれてないですよね。

単に iris さんのキリスト教は不寛容ではないという主張に対する反論です。
文脈上どこか理解できない点があるのでしょうか?

てつてつさんに向けた今回の質問は irisさんとは無関係です。
これはわかりますよね。

オフライン

#318 2017年08月15日 01:28:13

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん、お久しぶりです。

私は、マタイ25章41節をハルマゲドン(人間の諸政府と神との間の最終的な戦争:JW.ORGより)での滅びとは解釈しません。
当然カトリック教会もハルマゲドンでの滅びとは解釈しません。

31節から46節までがひとまとまりの話であり、
「わたし(人の子=王=イエス)の兄弟であるこの最も小さい者の一人」に親切にしなかった人は永遠の罰を受け、親切にした人は永遠の命にあずかるという意味にしか読めないと思います。
イエスは当時の人々にわかりやすいように、地獄を持ち出して罪とは何かを教えたのでしょう。

さて、ヨハネによる福音書8章には、姦通の現場で捕まった女の話が出てきます。ここで、イエスは明らかに罪を犯した女に対して「わたしもあなたを罪に定めない。」と言っています。自分の罪を自覚して、悔い改め、もう罪を犯さないと決心した人は、罪に定められません。
したがって、小さな人々に親切にしなかった人も、回心してもう罪を犯さないと決心するなら、永遠の罰には定められないでしょう。

マタイ25章31〜46節のお話は、地獄を恐れさせるためのものではなく、罪とは何かを教えるためのものだと思います。

オフライン

#319 2017年08月15日 01:47:25

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

上の聖句に関連して、地獄に関するカトリック教会の教えについてもお答えしたほうがよろしければ、また後程。

先日の私からの質問(#241)のお答えもお待ちしております。
カレブさんからの御質問への答えの続きを書きたいと思います。

オフライン

#320 2017年08月15日 02:22:09

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

irisさん こんばんは。

iris さんの発言:

マタイ25章31〜46節のお話は、地獄を恐れさせるためのものではなく、罪とは何かを教えるためのものだと思います。

「地獄を恐れさせるため」という単独の目的の話でないと言いたいのかもしれませんが
現実に初期クリスチャンは2世紀から明確な地獄への恐れを発展させていますので、
もしイエスが地獄などを恐れさせたくないと考えていたなら、そもそもすでに発展していた
地獄の教理を利用しないでしょう。

マタイ25章を指摘したのは結末が地獄であろうと、ハルマゲドンの滅びであろうと、
自分たちの音信を受け入れない者たちに悲惨な結末を予告する教理を「不寛容でない」と
主張するのは間違いです。

以下の言葉は「滅ぼす」という言葉で人々を恐れさせるものではないと言えるでしょうか?

(マタイ 10:28) そして,体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはなりません。むしろ,魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

悔い改めればキリスト教に回心すれば滅ぼさないのだから、キリスト教は寛容な宗教だと主張するのであれば
エホバの証人が排斥された人を忌避することも寛容だと主張できてしまいます。
彼らにしてみれば悔い改めて真のキリスト今日に回心すれば忌避しないのだから、と主張できるからです。


続いて#241にお答えします。

iris さんの発言:

皆さんに質問です。

ここに生後まもなくカトリックの幼児洗礼を受けた人がいると思ってください。
小学校に上がる頃に初聖体も済ませたとしましょう。
(幼児洗礼の幼児は御聖体の意味を理解していないため聖体拝領を許されません。学齢になるころ一応の勉強をさせ、初めての聖体拝領を初聖体といって祝います)
教会にはめったに行かず、イースターやクリスマスにパーティー目当てで御ミサにも与る程度。
ただ、大事な試験の前には教会で神頼み。
そろそろ結婚、結婚式は教会で挙げるべき?

さて、この人はカトリック信者と言えるでしょうか?
それとも無宗教になったのでしょうか?

カレブさんや鬼太郎さん、他の皆様もぜひ御意見をお聞かせください。
御意見を伺いましたら、前回の続きを書きたいと思います。

カトリックの家の子供が カトリック信者であるかどうかは
本人がどのように主張しているかによるのではないでしょうか?
子供が初聖体を済ませているとか、幼児洗礼を受けているかとかで
判断すべきものではないと思います。

本人が「わたしは無宗教です」と答えるなら
その人が宗派の名簿に載せられていようが無宗教の人として
扱われるべきです。本人が「わたしはカトリック信者です」と主張するなら
わたしはそのように判断します。

オフライン

#321 2017年08月15日 06:59:12

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん こんにちは

てつてつさんの「そうでもないようです」という返信は
具体的にどの部分を指しているのですか?

コラシンを100%刑罰と訳すか切断という意味が多少でもあるのかという点です

リンク先の宮原崇さんの切断と訳している論議も一応一理あるのではと感じたのでそのように述べただけです

キリスト教が不寛容であるという部分を認めている立場であれば
付加的な部分で間違った情報を提供しても良いのですか?

まちがったものはよくないとおもいますが ひとつの意見として述べさせていただいただけです
なお これ以上調べるのは自分にはちょっと無理だとおもいますので この件はこれで終わりにしていただければうれしいです 脱線させて申し訳ありませんでした

>あとカレブさんがこのことで何をいいたいのかよくわからないのですが?

カレブさんの 最初の325のirisさんへの質問の意図がわからないという意味です 335をみてわかりました

以上 またよろしくお願いします

編集者 てつてつ (2017年08月15日 20:13:59)

オフライン

#322 2017年08月16日 06:54:52

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん、お返事ありがとうございます。

「善い行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」というのは、洋の東西を問わず善悪を教える話の基本的な型であって、イエスが地獄を否定しなかったからと言って、特別に責められるほどのことはないと思います。
カレブさんも以前、日本で信じられてきた仏教の地獄は問題ないとおっしゃっていましたね。どこが違うのでしょうか?
責められるべきものがあるとすれば、むしろ地獄の恐怖を強調したその後の教会のほうでしょう。

イエスの言動全体を見るならば、イエスの発言の趣旨は罪の概念を変更することにあったということがわかります。
当時のユダヤ教の社会では、律法の細々とした決まりを守る余裕のある人が神の前に正しいとされ、生きることだけで精一杯の弱い立場の人は罪人として虐げられていました。そのようなユダヤ教のあり方を批判し、神の前に正しいかどうかは、ただ見返りを求めずに隣人を愛したかどうかだけで決まると教えているのがこの部分でしょう。

またカレブさんの「キリスト教に改宗すれば滅ぼさない」という言い方にも問題があります。
イエスは命懸けでユダヤ教の改革を呼びかけましたが、ユダヤ教を否定していると言質を取られないよう、慎重に発言しています。
当時の人々にとっては「無宗教」などという選択肢はなく、細々とした決まりを守りきれない立場の人は、従来の教えによって「自分は救われない」と惨めな気持ちで生きるか、イエスを信じて「自分も救われる」と希望を持って生きるか、ふたつにひとつであったということを考慮する必要があります。

聖書にあるイエスの言葉は、まず当時のユダヤ人に向けて語られたものです。現代の日本人向けにはアレンジされていません。

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#323 2017年08月16日 07:28:39

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

エホバの証人の皆さんも、御自分がクリスチャン(キリストとともに生きる者)であるとお思いならば、統治体の言いなりになって辛い生活をする必要はありません。ただ隣人を愛することだけが、神の是認を受ける唯一の方法です。
組織に従うために、隣人が苦しんでいるのを無視し、手をさしのべないなら、いつの日か「あなたたちのことは全然知らない」と言われてしまうかも知れませんよ。

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#324 2017年08月16日 10:54:21

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

irisさん
おはようございます。

iris さんの発言:

カレブさんも以前、日本で信じられてきた仏教の地獄は問題ないとおっしゃっていましたね。どこが違うのでしょうか?

わたしがいつ「日本で信じられてきた仏教の地獄は問題ない」のようなことを述べたでしょうか?
そのような発言があったとしたら全く文脈の違う発言だと思います。
何か勘違いして記憶されてるのではないでしょうか。

わたしは日本昔話の中にあるような怖い話系の話で”道徳”を教えるのは良いと思っていません。

それでも大人になったらそれらの話を単なる寓話として解釈できるようになるので悪影響は限定的です。

それに対してキリスト教の教義は”真理”であるかのように教え込まれますので悪影響は桁違いになります。

子供に対して虐待的なことです。

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#325 2017年08月16日 11:50:08

鬼太郎
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

横レスで失礼します。スルーしてけっこうですから、、、。

以下は僕の独り言です。

悪いことをすれば地獄へ、良いことをすれば極楽へ という教えと、、、
イエスを信じなければ救われない という教えは別物では?
それとも、、、イエスを信じなくても良い行いをしていれば救われるのですか?

付記 仮にイエスを信じる必要がないならキリスト教会はナゼ宣教師達を海外に派遣して
    改宗活動に熱心だったのでしょうか?

このトピを立てた時に念頭に置いたメインテーマなので、よけいなカキコをしました。
どうぞ、カレブさんとirisさん 続けて下さい

編集者 鬼太郎 (2017年08月16日 21:45:47)

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