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#326 2017年08月13日 22:55:52

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

irisさん こんばんは。
以下「同窓会」スレッドの投稿ですが こちらで返信します。

iris さんの発言:

おそらく、カレブさんをはじめとして、ここでキリスト教のことを悪い宗教だと思っている方々は、キリスト教というのは不寛容な宗教だと思っているのではないかと思います。
最近までの多くのキリスト教の態度は、まさに不寛容なものでしたから、それも仕方のないことです。

しかし本来のキリスト教は、不寛容になってしまったユダヤ教を厳しく批判したイエスの精神を受け継ぎ、「愛は寛容にして慈悲あり(一コリント13章4節)」と教えているはずです。
自分はクリスチャンであるとお考えの証人の皆さん、このことを忘れないようにしましょう。

キリスト教は不寛容な宗教ではない、との主張に関してですが

以下の聖句を iris さんはどのように解釈されているのでしょうか?

(マタイ 25:41) 41「ついで彼は自分の左にいる者たちにこう言います。『のろわれた者たちよ,わたしから離れ,悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入りなさい。

羊とやぎのたとえの中の一文ですが、JWはこれをハルマゲドンでの滅びと解釈しています。
ものみの塔は続く 25:46のギリシャ語コラシンを「切断」と訳しています。
どう考えても当時のギリシャ語を話す読者があの文脈でコラシンを「切断」などと解釈することは考えられません。当時すでに悪魔のために用意された永遠の責め苦の教理が概念として定着しつつあった時代にあって、マタイの言葉はほぼ100%「永遠の刑罰」として理解されたと考えられます。
当時すでに「タルタロス」や「悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火」といった
フレーズは地獄を連想するものとして使用されていました。

質問としては

・iris さんは個人的に上記の聖句をどのように解釈されているのですか?

・カトリック教会は公式に上記の聖句をどのように解釈されていますか?

よろしくお願いします。

オフライン

#327 2017年08月14日 06:19:37

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん こんにちは

どう考えても当時のギリシャ語を話す読者があの文脈でコラシンを「切断」などと解釈することは考えられません

そうでもないようです

まあ 永遠の刑罰であろうと 切断であろうと 自分たちの神のいうこと聞かないものは排除するわけですので全体的な 趣旨としては不寛容だとおもいますが


・カトリック教会は公式に上記の聖句をどのように解釈されていますか?

ちょっとみあたりませんでしたが

カトリック教会のカテキズム


125ページでは


地獄とは、自らの自由な選択によって大罪のうちに死ぬ人々の永遠の責め苦のことです。地獄の主要な罰は、神から永遠に離れることにあります。ただ神においてのみ、人間にはいのちと幸福があり、これらのために人間は創造され、これらを切望しているというのにです。キリストはこの地獄の現実を次のことばで表現しておられます。「呪われた者ども、わたしから離れ去り、....永遠の火に入れ」(マタイ25.41)。

とのべていますので神様のいうこと聞かない人は最終的には地獄へ行くのが公式教理だと思います

ただirisさんは このトピの187で

素朴な信仰心の大切さを強調して

イエスと共に生きようとする者にとっては、このような素朴な教えこそが重要であって、それに比べたら、後から作られた教会の組織や難解な教理などには、何万分の一かの価値しかないと思います。

とのべていますので

しかし本来のキリスト教は、不寛容になってしまったユダヤ教を厳しく批判したイエスの精神を受け継ぎ、「愛は寛容にして慈悲あり(一コリント13章4節)」と教えているはずです

というirisさんの考えのほうが カトリックの公式教理より強いのかもしれません

編集者 てつてつ (2017年08月14日 06:31:41)

オフライン

#328 2017年08月14日 06:31:37

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

てつてつ さんの発言:

カレブさん こんにちは

どう考えても当時のギリシャ語を話す読者があの文脈でコラシンを「切断」などと解釈することは考えられません

そうでもないようです

まあ 永遠の刑罰であろうと 切断であろうと 自分たちの神のいうこと聞かないものは排除するわけですので 趣旨としては不寛容だとおもいますが

てつてつさん 引用ありがとうございます。
てつてつさんの「そうでもないようです」という返信は
具体的にどの部分を指しているのですか?

わたしは「当時のギリシャ語を話す読者があの文脈でコラシンを「切断」などと解釈することは考えられない」と指摘しました。
当時のギリシャ語を話す人でマタイの聖句を”永遠に無意識になることだ”と解釈した人が一人でもいるでしょうか?
いるなら例を挙げてください。
そして逆にあの聖句を当時の常識で解釈した人々が、どのように解釈したかも調べてみてください。

なぜ当時の人々がほぼ100%地獄と解釈するであろう表現を神は用いられたのですか?
この点で新約聖書はかなり調和しています。

オフライン

#329 2017年08月14日 06:36:53

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん 書き込みありがとうございます ちょっと今から仕事のだんどりするので「お盆の休みの間会社にだれもいないのでその間に仕事してくれという方がおられるので休みなしです cry 」また のちほど見てみます

オフライン

#330 2017年08月14日 14:49:30

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさんこんにちは
まだ仕事中で全然調べてないのですが
自分はいずれの意味でも不寛容と言っているのでどちらでもいいのではないでしょうか

あとカレブさんがこのことで何をいいたいのかよくわからないのですが?

カトリックは地獄を信じるのでより不寛容とか?

編集者 てつてつ (2017年08月14日 15:27:52)

オフライン

#331 2017年08月14日 15:30:55

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

てつてつさん

>自分はいずれの意味でも不寛容と言っているのでどちらでもいいのではないでしょうか

キリスト教が不寛容であるという部分を認めている立場であれば
付加的な部分で間違った情報を提供しても良いのですか?

>あとカレブさんがこのことで何をいいたいのかよくわからないのですが?

具体的にどの部分がわからないのですか?
わたしの主張も、リンク先のエホバの証人側の主張も、どちらもわからない状態で
「そうでもないようです」と書き込んだということでしょうか。

オフライン

#332 2017年08月14日 15:44:34

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

てつてつさん

>カトリックは地獄を信じるのでより不寛容とか?

わたしはエホバの証人と比べてどちらが不寛容かとか全くふれてないですよね。

単に iris さんのキリスト教は不寛容ではないという主張に対する反論です。
文脈上どこか理解できない点があるのでしょうか?

てつてつさんに向けた今回の質問は irisさんとは無関係です。
これはわかりますよね。

オフライン

#333 2017年08月15日 01:28:13

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん、お久しぶりです。

私は、マタイ25章41節をハルマゲドン(人間の諸政府と神との間の最終的な戦争:JW.ORGより)での滅びとは解釈しません。
当然カトリック教会もハルマゲドンでの滅びとは解釈しません。

31節から46節までがひとまとまりの話であり、
「わたし(人の子=王=イエス)の兄弟であるこの最も小さい者の一人」に親切にしなかった人は永遠の罰を受け、親切にした人は永遠の命にあずかるという意味にしか読めないと思います。
イエスは当時の人々にわかりやすいように、地獄を持ち出して罪とは何かを教えたのでしょう。

さて、ヨハネによる福音書8章には、姦通の現場で捕まった女の話が出てきます。ここで、イエスは明らかに罪を犯した女に対して「わたしもあなたを罪に定めない。」と言っています。自分の罪を自覚して、悔い改め、もう罪を犯さないと決心した人は、罪に定められません。
したがって、小さな人々に親切にしなかった人も、回心してもう罪を犯さないと決心するなら、永遠の罰には定められないでしょう。

マタイ25章31〜46節のお話は、地獄を恐れさせるためのものではなく、罪とは何かを教えるためのものだと思います。

オフライン

#334 2017年08月15日 01:47:25

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

上の聖句に関連して、地獄に関するカトリック教会の教えについてもお答えしたほうがよろしければ、また後程。

先日の私からの質問(#241)のお答えもお待ちしております。
カレブさんからの御質問への答えの続きを書きたいと思います。

オフライン

#335 2017年08月15日 02:22:09

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

irisさん こんばんは。

iris さんの発言:

マタイ25章31〜46節のお話は、地獄を恐れさせるためのものではなく、罪とは何かを教えるためのものだと思います。

「地獄を恐れさせるため」という単独の目的の話でないと言いたいのかもしれませんが
現実に初期クリスチャンは2世紀から明確な地獄への恐れを発展させていますので、
もしイエスが地獄などを恐れさせたくないと考えていたなら、そもそもすでに発展していた
地獄の教理を利用しないでしょう。

マタイ25章を指摘したのは結末が地獄であろうと、ハルマゲドンの滅びであろうと、
自分たちの音信を受け入れない者たちに悲惨な結末を予告する教理を「不寛容でない」と
主張するのは間違いです。

以下の言葉は「滅ぼす」という言葉で人々を恐れさせるものではないと言えるでしょうか?

(マタイ 10:28) そして,体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはなりません。むしろ,魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

悔い改めればキリスト教に回心すれば滅ぼさないのだから、キリスト教は寛容な宗教だと主張するのであれば
エホバの証人が排斥された人を忌避することも寛容だと主張できてしまいます。
彼らにしてみれば悔い改めて真のキリスト今日に回心すれば忌避しないのだから、と主張できるからです。


続いて#241にお答えします。

iris さんの発言:

皆さんに質問です。

ここに生後まもなくカトリックの幼児洗礼を受けた人がいると思ってください。
小学校に上がる頃に初聖体も済ませたとしましょう。
(幼児洗礼の幼児は御聖体の意味を理解していないため聖体拝領を許されません。学齢になるころ一応の勉強をさせ、初めての聖体拝領を初聖体といって祝います)
教会にはめったに行かず、イースターやクリスマスにパーティー目当てで御ミサにも与る程度。
ただ、大事な試験の前には教会で神頼み。
そろそろ結婚、結婚式は教会で挙げるべき?

さて、この人はカトリック信者と言えるでしょうか?
それとも無宗教になったのでしょうか?

カレブさんや鬼太郎さん、他の皆様もぜひ御意見をお聞かせください。
御意見を伺いましたら、前回の続きを書きたいと思います。

カトリックの家の子供が カトリック信者であるかどうかは
本人がどのように主張しているかによるのではないでしょうか?
子供が初聖体を済ませているとか、幼児洗礼を受けているかとかで
判断すべきものではないと思います。

本人が「わたしは無宗教です」と答えるなら
その人が宗派の名簿に載せられていようが無宗教の人として
扱われるべきです。本人が「わたしはカトリック信者です」と主張するなら
わたしはそのように判断します。

オフライン

#336 2017年08月15日 06:59:12

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん こんにちは

てつてつさんの「そうでもないようです」という返信は
具体的にどの部分を指しているのですか?

コラシンを100%刑罰と訳すか切断という意味が多少でもあるのかという点です

リンク先の宮原崇さんの切断と訳している論議も一応一理あるのではと感じたのでそのように述べただけです

キリスト教が不寛容であるという部分を認めている立場であれば
付加的な部分で間違った情報を提供しても良いのですか?

まちがったものはよくないとおもいますが ひとつの意見として述べさせていただいただけです
なお これ以上調べるのは自分にはちょっと無理だとおもいますので この件はこれで終わりにしていただければうれしいです 脱線させて申し訳ありませんでした

>あとカレブさんがこのことで何をいいたいのかよくわからないのですが?

カレブさんの 最初の325のirisさんへの質問の意図がわからないという意味です 335をみてわかりました

以上 またよろしくお願いします

編集者 てつてつ (2017年08月15日 20:13:59)

オフライン

#337 2017年08月16日 06:54:52

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさん、お返事ありがとうございます。

「善い行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」というのは、洋の東西を問わず善悪を教える話の基本的な型であって、イエスが地獄を否定しなかったからと言って、特別に責められるほどのことはないと思います。
カレブさんも以前、日本で信じられてきた仏教の地獄は問題ないとおっしゃっていましたね。どこが違うのでしょうか?
責められるべきものがあるとすれば、むしろ地獄の恐怖を強調したその後の教会のほうでしょう。

イエスの言動全体を見るならば、イエスの発言の趣旨は罪の概念を変更することにあったということがわかります。
当時のユダヤ教の社会では、律法の細々とした決まりを守る余裕のある人が神の前に正しいとされ、生きることだけで精一杯の弱い立場の人は罪人として虐げられていました。そのようなユダヤ教のあり方を批判し、神の前に正しいかどうかは、ただ見返りを求めずに隣人を愛したかどうかだけで決まると教えているのがこの部分でしょう。

またカレブさんの「キリスト教に改宗すれば滅ぼさない」という言い方にも問題があります。
イエスは命懸けでユダヤ教の改革を呼びかけましたが、ユダヤ教を否定していると言質を取られないよう、慎重に発言しています。
当時の人々にとっては「無宗教」などという選択肢はなく、細々とした決まりを守りきれない立場の人は、従来の教えによって「自分は救われない」と惨めな気持ちで生きるか、イエスを信じて「自分も救われる」と希望を持って生きるか、ふたつにひとつであったということを考慮する必要があります。

聖書にあるイエスの言葉は、まず当時のユダヤ人に向けて語られたものです。現代の日本人向けにはアレンジされていません。

オフライン

#338 2017年08月16日 07:28:39

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

エホバの証人の皆さんも、御自分がクリスチャン(キリストとともに生きる者)であるとお思いならば、統治体の言いなりになって辛い生活をする必要はありません。ただ隣人を愛することだけが、神の是認を受ける唯一の方法です。
組織に従うために、隣人が苦しんでいるのを無視し、手をさしのべないなら、いつの日か「あなたたちのことは全然知らない」と言われてしまうかも知れませんよ。

オフライン

#339 2017年08月16日 10:54:21

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

irisさん
おはようございます。

iris さんの発言:

カレブさんも以前、日本で信じられてきた仏教の地獄は問題ないとおっしゃっていましたね。どこが違うのでしょうか?

わたしがいつ「日本で信じられてきた仏教の地獄は問題ない」のようなことを述べたでしょうか?
そのような発言があったとしたら全く文脈の違う発言だと思います。
何か勘違いして記憶されてるのではないでしょうか。

わたしは日本昔話の中にあるような怖い話系の話で”道徳”を教えるのは良いと思っていません。

それでも大人になったらそれらの話を単なる寓話として解釈できるようになるので悪影響は限定的です。

それに対してキリスト教の教義は”真理”であるかのように教え込まれますので悪影響は桁違いになります。

子供に対して虐待的なことです。

オフライン

#340 2017年08月16日 11:50:08

鬼太郎
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

横レスで失礼します。スルーしてけっこうですから、、、。

以下は僕の独り言です。

悪いことをすれば地獄へ、良いことをすれば極楽へ という教えと、、、
イエスを信じなければ救われない という教えは別物では?
それとも、、、イエスを信じなくても良い行いをしていれば救われるのですか?

付記 仮にイエスを信じる必要がないならキリスト教会はナゼ宣教師達を海外に派遣して
    改宗活動に熱心だったのでしょうか?

このトピを立てた時に念頭に置いたメインテーマなので、よけいなカキコをしました。
どうぞ、カレブさんとirisさん 続けて下さい

編集者 鬼太郎 (2017年08月16日 21:45:47)

オフライン

#341 2017年08月18日 14:13:37

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

パウロの刑罰は「主の福音に従わない者たち」

イエスの刑罰は「小さき者に善を行わなかった者たち」


カトリックは聖書から演繹されるものではないようですし、プロテスタントにも「自分はパウロの物言いは好まない」と公言する人はいます。


この世の生を超えた刑罰は、言語に絶する仕打ちを小さき者に与えた、善から酷く逸脱した者たちの安らかな死を受け入れらない人にとっては、今でも寓話ではないと思います。


その刑罰も、逸脱の程度によって温度幅があるという方もいますし、ある日、天国にかわいくもないみすぼらしい子犬がいて、かわいくもなさそうに仕方なく頭をなでてやっている人がぽつりと、「こいつ、昔はヒトラーだったんですよ」と語る光景をイメージする人もいます。


寓話上の設定としてなら、後者の方がほっこりします

#342 2017年08月19日 13:10:19

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

そうそう、カレブさんは以前も同じことをおっしゃっていましたよ。

カレブ さんの発言:

はい。 ところがキリスト教では 大人になっても
「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ、悪いことをすると地獄に落ちるよ」
真理だと信じるように教えるのです。

通常の道徳教育ではそのようなことはありません。

私は宗教と道徳とを同一のものとは考えていませんし、必要以上に地獄の恐怖を強調することはイエスの意図に反すると思います。
イエスの功績は、容赦なく裁く神のイメージを覆し、「神にはすべての人を赦す用意がある」ということをはっきりと示したことです。

その後の教会が、イエスの功績を台無しにしてくれましたけれどね。キリスト教会も、ユダヤ教と同じ失敗を繰り返しています。力を持ってしまうと、本当に大切なことは忘れてしまう人間が多いのでしょう。

オフライン

#343 2017年08月19日 21:38:46

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

irisさん おはようございます。

「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ、悪いことをすると地獄に落ちるよ」
というような教育方法をわたしは肯定していません。
むしろそのような安易な方法にわたしは否定的で、かつ宗教的な家庭環境が
虐待性を強めているという点を指摘しています。
http://www.jwstudy.com/bbs/viewtopic.ph … 272#p15272

iris さんの発言:

私は宗教と道徳とを同一のものとは考えていませんし、必要以上に地獄の恐怖を強調することはイエスの意図に反すると思います。
イエスの功績は、容赦なく裁く神のイメージを覆し、「神にはすべての人を赦す用意がある」ということをはっきりと示したことです。
その後の教会が、イエスの功績を台無しにしてくれましたけれどね。キリスト教会も、ユダヤ教と同じ失敗を繰り返しています。力を持ってしまうと、本当に大切なことは忘れてしまう人間が多いのでしょう。

イエスは当時の地獄観以上の恐怖を強調する意図はなかったということですよね、
わたしもそれはその通りだと思います。

福音書が成立した時代には”ゲヘナ”はすでに死後の”責め苦”を意味するものとして
理解されていました。(イザヤの昇天 1:3)
しかし地獄が地獄絵図のように生々しく描写されるようになったのは
ずっと後代のことなので、
イエスは当時のユダヤ人の地獄観以上のものはなかったと思います。
ユダヤ教文書では ゲヘナ では人が12か月苦しんだ後に贖われる可能性があることを指摘しています。
これはカトリックの煉獄に近いものと思います。

>イエスの功績は、容赦なく裁く神のイメージを覆し、
>「神にはすべての人を赦す用意がある」ということをはっきりと示したことです。

「キリスト教は寛容である」という主張が
1世紀のユダヤ教に比べて寛容である、と限定するなら
その通りだと思います。

しかし「神にはすべての人を赦す用意がある」というのはイスラム教でも同じです。
アラーはムハンマドを最後の預言者として受け入れ服従するものに
人種国籍にかかわらず”許す用意”があります。

イエスが寛容な人であったかは福音書を言葉通りに信じて
そこに現れている文面から解析する必要がありますが、
少なくとも聖書全体に基づく”キリスト教”は このスレッドの#2、#3で
元証人さんが表明したような裁く態度を助長してきたと思います。
それは寛容からはほど遠いと思います。

(修正)別スレッドの話題一部消しました。

編集者 カレブ (2017年08月19日 22:05:34)

オフライン

#344 昨日 21:43:07

iris
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

カレブさんこんばんは。

カレブ さんの発言:

イエスは当時の地獄観以上の恐怖を強調する意図はなかったということですよね、
わたしもそれはその通りだと思います。

あら珍しくこんなところで意見が一致しましたね。

カレブ さんの発言:

「キリスト教は寛容である」という主張が1世紀のユダヤ教に比べて寛容である、と限定するならその通りだと思います。

イエスは当時のユダヤ教の制約の中で教えましたが、「神はすべての人を愛している」「人間として最も大切なことは、隣人を自分のように愛すること」という教えには、時代も文化も超える普遍的な価値があると思います。
また、イエスは「人を裁くな。赦しなさい」と教えています。神があなたを赦してくださるのだから、あなたも人を赦すのが当然というわけです。このように「寛容であること」もイエスが特に求めた事柄です。

カレブ さんの発言:

しかし「神にはすべての人を赦す用意がある」というのはイスラム教でも同じです。
アラーはムハンマドを最後の預言者として受け入れ服従するものに人種国籍にかかわらず”許す用意”があります。

私はイスラム教についてはあまり詳しくありませんが、本来のイスラム教は平和の宗教だそうですから、アラー(英語ではGod)が赦す神であるという点はキリスト教と共通であってもおかしくないと思います。

カレブ さんの発言:

イエスが寛容な人であったかは福音書を言葉通りに信じて
そこに現れている文面から解析する必要がありますが、
少なくとも聖書全体に基づく”キリスト教”は このスレッドの#2、#3で
元証人さんが表明したような裁く態度を助長してきたと思います。
それは寛容からはほど遠いと思います。

長い間、キリスト教会がイエスの教えに背いてきたことは間違いないですね。
ものみの塔のように、イエスの教えをまったく別の教えに変更したわけでもないのに、特に力を持っていた人々の間では、イエスの教えは飾られていただけでした。
本来、教会の教えはイエスの教えを守るためにあるべきなのに、教会の教えがイエスの教えよりも幅を利かせ、教会が自ら人々を苦しめる原因にもなってきたことはたいへん罪深いことです。

オフライン

#345 昨日 23:04:49

カレブ
Administrator

Re: 宗教・宗教団体と救い

iris さん 返信ありがとうございます。

基本部分ではirisさんと意見が一致してると思います。

WTもカトリックも糞だらけの歴史を残してきましたが
イエスの教えの良い部分は人生の指針として参考になりますし
良い生き方のエキスを抽出することは可能と思います。

>私はイスラム教についてはあまり詳しくありませんが、本来のイスラム教は平和の宗教だそうですから、

ちなみに「本来のイスラム教は平和の宗教」というフレーズは
ブッシュ元大統領のリップサービスと池上彰の嘘っぱちで
本来のコーランとムハンマドの教えと行動は平和からはほど遠いものです。

>アラー(英語ではGod)が赦す神であるという点はキリスト教と共通であってもおかしくないと思います。

これは「アラーに帰依するなら」という条件付きで、もちろんキリストに帰依するなら滅びが定められています。
逆もまた同じですので、確かにキリスト教と共通だと思います。

またイスラムから異教したら”死刑”というのも、精神としてはキリスト教と共通だと思います。

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