ログインしていません。

#326 2016年08月30日 23:39:37

ばんマスお
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

すいません、途中で送信してしまいました。続き書きます。
思い始めているぐらいなのです。ただ,隣人や敵を愛したり、意味のわからん例え話などのことを頭の中で巡らしているうちに、15歳のとき、自分の親の宗教のことを一切考えまいと思ってやめて、蓋をして自分の考えだけでやってきた心が、だんだん溶けてきて柔らかくなってきたのに気ずいてきたのです。ここまでくれば、誰も戦争などしない、平和を考えてくる。ということはイエス様の教えは、深い。かなわん。すごい。
今はこんなところです。乱筆乱文失礼しました。

#327 2016年08月31日 14:51:09

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

かおり さんの発言:

私自身が幼少から(両親が入信した時、3歳)26歳で断絶するまでの手記を綴ったものがpdfファイルにあります。

かおりさん、書き込みありがとうございます。
壮絶な人生を送られたようですね。
わたしも差しさわりなければ、
かおりさんのPDFファイルを読ませていただきたいです。

オフライン

#328 2016年08月31日 15:03:44

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

今も模索中 さんの発言:

そんな中でも その高齢の姉妹は
「あなたのお姑さんは あなたをよく教育した人なのね」
「あなたはお姑さんといつもこんなふうに仲良くおしゃべりしていたの?」
と、いつもいつも優しく気遣って下さった数少ない中のお一人でした。

今も模索中さん、
その優しい高齢の姉妹、お元気だといいですね。
わたしも現役中、脱塔後も実の息子のように
優しくしてくださった高齢の姉妹はいました。

組織は全体としては優しくありませんし、
物分かりもよくありません。
でも、個人的には優しく物分かりの良い方もいます。
わたしに親切にしてくれた姉妹は高齢ゆえ
この世の舞台から去る日が来てしまったのです。
王国会館でのお別れの話を聞きながら
わたしは声を上げてむせび泣きました。
ほんとうに大事な人だったのです。

だから、わたしは今でも復活があれば
どんなにいいだろうと思っています。

今も模索中さんはその姉妹にお会いできるといいですね。
それが実現できるよう願っています。

オフライン

#329 2016年09月01日 13:56:13

今も模索中
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん

温かいメッセージありがとうございます。

ラハムさん、お辛い体験なさっておられたのですね…
男の人が人前で声をあげて泣くなど…どれほど悲しかったことでしょう…
わたしは今 復活や永遠の命等は WTが作り出した解釈だと思って信じていませんが
それでも わたしを「妹」と呼んでくれた姉妹に関しては
お嬢様と楽園に行ってほしいと 今でもふと思ったりします…


先に書いた 高齢の姉妹は うちの家族が半年ほど前に出かけ先で見かけたとの事、
お元気そうに見えた、と言っておりましたが…



ラハムさんのお言葉…
「組織は全体としては優しくありませんし、
物分かりもよくありません」
全くその通りだと感じます、

でも 物分かりの良い方…確かにいらっしゃいます

そういう方々と 挨拶も交わせないのが組織に対して悔しいやら悲しいやら…

オフライン

#330 2016年09月03日 18:11:34

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

今も模索中さん、
心温まるご返事をありがとうございました。

わたしは現役時代も含めて、
お葬式より結婚式に参加するほうが多かったです。
その姉妹の葬儀は脱塔後10年ぐらいたってからでした。
わたしが声を上げてむせび泣いたのは事実です。
だから、周囲の声は聞こえなかったかもしれません。
でも、わたしは不思議に思いました。
わたし以外の泣き声が聞こえなかったからです。
葬儀の話の最中でしたから、
話し手の声以外聞こえるものはない状況です。
だれも、彼女が亡くなって悲しくないのだろうかって
ほんとうにあとから思ったものです。
JWは葬儀中に泣くことを禁じられているのでしょうか。

そういえば、その姉妹のご主人が亡くなって
-未信者でしたが-王国会館で葬儀をしたとき、
責任者の兄弟からその姉妹に泣かないよう言われたことを
わたしに話していました。

復活を信じていないのを
アピールすることになってしまうからかなあ。

葬儀の話の後で、わたしに近づいて来た、
息子兄弟やお孫さん姉妹の
王国会館での笑顔が
わたしには妙に違和感があったのを思い出します。

オフライン

#331 2016年09月04日 23:51:21

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

久しぶりの独り言。

JWの親(晩年)と良く宗教論議したものです。
原罪とは何か?キリスト信者しか救われない?本当に死んだら無になるのか?など楽しく、時に厳粛に。

JWでありながら、教理を越えた体験を親自身が多数していたことが私の組織離脱に結びつきました。

例えば、もう何十年も会っていない知人が夢の中で親にお別れの挨拶に来る。そこで調べたり連絡してみるとほぼ間違いなく亡くなっていたことなどが頻繁にありました。

そのような時、冷徹なJW教理と違い、実に心が暖かく和んだものです。色々あり、親もすでにJW解釈から距離を置いていました。




https://youtu.be/-5Z5oFl_USk

#332 2016年09月05日 18:31:50

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

akameさんの声が聞けてよかったですよ。
先輩、どうしちゃったんだろうって思っていましたから…。
わたしも理解不能な夢をたくさん見ます。
心が混乱しているのかな…。

オフライン

#333 2016年09月05日 19:57:29

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん、ありがとうございます。

人生に秋風が吹き始め、下記でも手にとって見ようかと思うこの頃です。笑

玄冬の門   五木寛之著
   1.同居自立のすすめ
2.非相続のすすめ
3.再学問のすすめ
4.妄想のすすめ
5.趣味としての養生のすすめ
6.楽しみとしての宗教のすすめ
7.単独死のすすめ

体調が変わりやすい季節。どうかご自愛ください。

#334 2016年09月05日 20:34:54

ばんマス
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

Akameさん、わたしの両親もエホバでして、もうかなりの高齢ですので、あなたのように今までの色んな恨みつらみ抜きで、ゆったり話してみたいですが、なにせまだまだ反発もあれば、向こうも頑張ってますので、そういうふうにはいかないです。そんな本音で話すことが出来る日がくることを願っています。

#335 2016年09月05日 21:19:15

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ばんマスさん、

そういうふうにはいかないです。
そんな本音で話すことが出来る日がくることを願っています。


そうですね。状況は其々異なりますが、
いつの日かそのようになりますように。

#336 2016年09月06日 00:27:18

さらみより
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ご無沙汰しています。
たくさんの書き込みによく目を通していませんが、一般のキリスト教のことに言及された書き込みが印象的でした。
irisさんご親切なメッセージありがとうございます。
私は現在、保守バプテスト教会の勉強会にときどき参加しています。牧師さんの人柄に惹かれてよく相談してきました。
米国製のテキストを2冊学びましたが、勉強会と言うよりことば遊びのような内容だったみたいです。
私が教会の礼拝に参加しないためか、テキスト抜きでヨハネの福音書を扱うことになりました。
プロテスタントの教理はJWの教理と相容れないのは承知の上でしたが、キリストも神だという三位一体の教理の事で揉めました。
自分の偽善や不勉強に正面から向き合うのは難しいです。
何も考えたくなくなります。
カトリックの主人は、私のバプテスト教会での学びを全面的に支持します。
実際、こんな立場ではJWへの復帰どころじゃないですね。
集会行きを反対する家族がいなければ‥‥ととんでもない想像をすることもあります。
家族と徹底的に話し合うことが一番なのでしょうね。
今日は主人とカフェでまったりしてきました。
ところで、サラミは美味しかったです。

#337 2016年09月06日 02:26:03

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

私も永く思想や宗教間を彷徨いながら、
最近は自然や命への慈しみ、また
万象の実相に沿う仏教に惹かれています。

時折拝見する野の花さんの凛とした姿。
今後も応援しております。

#338 2016年09月06日 18:34:04

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ばんマスさんのご両親って90歳前後でしょうね。
わたしは去年父を亡くしました。
現在生きていれば、なんと104歳です。
でも、90歳後半になって妄想がひどくなってしまったのです。
それ以降まともな話はできなかったと思います。
正常と混乱が入り混じってわたしには理解不能でした。
だから、もちろん人によって違うのですが、生きていて、
まともな会話が可能であれば、
バンますさんの気持ちをぜひ伝えてください。

わたしたちが知っておくべきことですが、
高齢に伴い難聴になります。
俗にいう「耳が遠くなる」ということですが、
厄介なことに人間は聞こえていない部分を想像力で補い、
まったく別の話に創作できるのです。
正確に聞いてもらうのは非常に難しいです。

だから、バンますさんの声が識別できる残された時間内に、
心からの叫びを伝えてください。

死んでからではどうしようもありませんから…。

オフライン

#339 2016年09月06日 23:37:13

ばんマス
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさんありがとうございます。
親のことを思うと心が苦しいです。
親の宗教なので擁護するように自分がやめたあとも考えないようにして、生きてきたせいで、結局自分自身につけが回ってきて、現在の苦しい状況を迎えているので、本音をぶつけるのはまだまだ難しいです。
ただ時間は少ないのはわかります。
ケンカを避けてきた事も問題を深くしています。
牧師さんにはまだマインドコントロールから抜けてないとも言われます。
勉強不足だったと 痛感しています。

#340 2016年09月07日 13:58:13

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ばんマスさん
JW宗教はほんとうに人の心を苦しめる宗教だと思います。
かくいう、わたしも完全にいやすことができていないと思います。
このような掲示板で自分の気持ちを吐露して、
様々意見を聞くことにより、気持ちを整理しているからです。
もしかすると人生の終局まで続くかもしれません。
この掲示板でわたしも本音を言う練習をしているかもしれません。
本音を言うことはほんとうに難しいですね。
裸の自分を衆目にさらすような気持ちです。
もしかすると、心無い言葉の剣が飛んできて、
さらに心の傷を大きくするかもしれないからです。

でも、次のようなことも確かだと思っているのです。
「傷つくことを恐れていたら幸せになれない」って。
ちゅらさんという朝ドラでおばあが言ったセリフだったんです。
これを聞いて確かにそうだなあって思った覚えがあります。
聖書も伝道の書3章で
「天の下のことすべてには時がある」って述べていました。
ばんマスさんにはバンマスさんの、わたしにはわたしの
時があるというところでしょうか。
その時が来るまで互いに努力を重ねたいですね。

オフライン

#341 2016年09月07日 15:01:35

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

akameさん
わたしも最近仏教の入門書を読み始めています。
伏せて書いてもあまりにも有名なので
最初からはっきり書きますね。

最近知り合った創価学会の友人に
仏教用語の説明を質問したら、
わかりやすい本を見つけたといって入門書をくれました。

JWアメリカ人の宣教者から聞いたことですが、
JWはアメリカの創価学会だと言われているようです。
ずっと以前「創価学会駆け込み寺」というサイトがあり、
創価学会二世の相談室のようでした。
全部を読んだわけではありませんが、
JW二世の持つ悩みとあまりにも酷似していて、
カルトといわれる宗教って同じことをしているんだと
非常に感心したことがあったのです。

だから、創価学会の仏法入門書もJW独特の聖書解釈のように
正当とされる仏教宗派とは全く違っている
可能性を念頭に置いて読み進めています。
日蓮宗の開祖とされる日蓮さんの仏法を説明しているのだから、
それはそれで知っておいてもいいかなと考えました。

わたしはこれまで聖書ばかり読みあさっていたので、
別次元の人間解釈を知ってもいいと思いました。
だから、これまで味わわなかった新鮮さがあります。

あまり深く追求しないつもりですが、
勉強できるうちにいろいろ学んでおこうと思った、
一部分にはなりそうです。

読みたい本もたくさんあります。
時間を作ってakameさんが紹介してくださった
五木寛之さんも読もうと思っています。
参考資料ありがとうございます。

オフライン

#342 2016年09月07日 17:01:07

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん、私も知人に学会の方がいます。
まあ、色々ありますが仲良くしています。笑

ところで、私はキリスト教理のロジックのリセットを思い巡らしていた頃、好きだったヘッセを手にとり、クリスチャンの彼が晩年の東洋思想の域に及んだ意味を再発見しました。こうした中で私はかってない自由を感じたものです。

以下はその中で好きな詩です。



*ヘルマン・ヘッセ最後の詩集より


「禅寺の若い修行僧 」


その1

わたしの父の家は南国にある。

太陽が穏やかにその家をあたため、海の微風が吹く。

わたしは幾度もふるさとを夢み、
涙にぬれてたびたび目をさます。

同胞はもう、わたしの心中をかぎつけているだろうか。

彼らからあざけられるのが、不安だ。

老僧たちはけだもののように荒いいびきをかく。

わたしユー・ワンだけは、眠らずに、こごえている。


ある時、ついに杖をとり、
わらじをしばって、旅立ち、
数千里の巡礼を続け、
ふるさとへ、捨てられた幸福に帰ろうとする。

だが、老師のトラのようなまなざしに
射ぬかれると、わたしは自分の運命を知り、

からだの中に、焼ける熱と凍る寒気を感じ、
ふるえ、恥じ、ふみとどまる、ふみとどまる。

その2

すべてが、まやかしであり、
まぼろしであるとしても、

真理は常に名づけがたいとしても、

しかも、ぎざぎざのある山は
まぎれもなくくっきりとわたしを見つめている。

牡鹿とカラスと赤いバラ、

青い海と多彩な世界。

心を集中せよ、
多彩な世界は形もなく、
名もないものに帰する。

心を集中し、
沈潜せよ。

見ることを学べ、
読むことを学べ!

心を集中せよ、
世界は仮象となる。

心を集中せよ、
仮象は本質となる。

#343 2016年09月09日 03:47:44

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

人間とは業の生き物と言われます。
わかっちゃいるけど
つい飲みすぎた、
やってしまった、
の愚かな生き物 。
しかし、ルールに厳格なアブラハムの神様は
異邦人が運んできた、レビ人しか見ることが許されてない契約の箱を見たからと普通の民(見たことないからわからない。わかっちゃいるけどでもない)を、見せしめに数千人から数万人も処刑しちゃう存在です。サムエル一6章。
一事が万事。

イエスは革命家で
その愚かさを暖かく許そう、(贖いと言う万能鍵)で冷厳な砂漠の神から豊かなオアシスの神、庶民の神観の転換をそれこそ血のにじむ思いで図り、当時大激論を巻き起こしたと思います。
しかし、新約など見るならやはり砂漠の神の無情さを覆すには至らず、支配層に都合よく編纂された。 (初期の教父たちなどの証言)
内容を真に受けば(根本主義、絶対視)
落語や漫画を見たり聞いたりしただけで
殺されかねない世界観は変わらず。
ある意味、JWはその世界観の忠実な申し子であり、あらゆる心身的症状の原因に溢れています。
ノア洪水のトピックだけでも、
理性的に分析すれば、聖書を真実とする根拠など殆ど無いことはすでに明らかです。
良い内容も沢山ありますが、
万象の本質、人間の本質に迫るためにはやはり単なる組織避難に甘んじるのではなく、キリスト教ロジックを一旦リセットする必要があるように思います。
ラハムさんの言われることはJW後遺症から抜けるため、
また被害者であるが、また加害者としての共同責任を保有しているという自覚をする上でも大切だと感じています。

「別次元の人間解釈を知ってもいいと思いました。」

連投で申し訳ありません。

#344 2016年09月09日 16:01:54

iris
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

さらみさん、コメントありがとうございます。

さらみさんは保守バプテスト教会の牧師さんの人柄に惹かれて、相談に乗っていただいているんですね。

キリスト教では三位一体を教えますが、これは屁理屈みたいなものだと私は思っています。
三位一体に納得がいかなくても、キリストを信じることはできますよ。無理に考えることはありません。
ただ、ものみの塔の教えを信じていては、キリストを信じることはできません。

自分の偽善や不勉強に正面から向き合う必要などあるのでしょうか?
さらみさんは、それを望んではいないのでしょう?
自分から望んでもいないのに、そんなにつらい思いをする必要はないと思います。
御主人がお望みなのですか?

さらみさんは、やっぱりエホバの証人に戻りたいんですよね。
ものみの塔の教えが、自分に合っていると思いますか?
それとも、エホバの証人の交わりが懐かしいのでしょうか?
御自分がどうしたいのか、どうしてそうしたいのかを、ゆっくりお考えになることが先かと思います。
キリスト教の勉強は、キリスト教を勉強したいと思ったときに、すればいいのではないでしょうか。

オフライン

#345 2016年09月10日 14:58:10

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

akame さんの発言:

万象の本質、人間の本質に迫るためにはやはり単なる組織避難に甘んじるのではなく、キリスト教ロジックを一旦リセットする必要があるように思います。

akameさん
人生の先輩として興味深いコメントをありがとうございました。
「ロジック」というのは論理と理解すればいいですか。
論理という言葉も昔からわたしはよく理解できていません。
キリスト教のロジックというのは
JW流人間の理解、人間解釈、人間の扱い方
とでもいえるだろうと思うのです。

長いこと聖書は読んできたのですが、それはJWの観念に
したがってということでした。あまりにも偏り、
一方的だったことに気が付いたのです。
たまたま友人がくれた仏法解釈書ですが、
自分の理解を深めるために良いチャンスだと思いました。
それがキリスト教にロジックをリセットして、
もっと広く、公平に人間解釈ができればいいのですが…。
これからの課題ですね…。

オフライン

#346 2016年09月10日 17:04:18

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん

>キリスト教のロジックというのは
JW流人間の理解

あくまでも私の場合ですが、特定の団体の教理云々ではなく聖書自体のロジックとなります。

それでリセットするとは、

そもそも神とは何か?唯一である根拠は?

贖いと言うものが本当に人間の救いとなるのか?人間の本質に沿っているのだろうか?

命に至る道は狭く、信者でないと救われない、とは神の説得力の不足ではないのだろうか?

といった根幹的な部分を(あえて信じる前の様な状態になり)客観的に分析する作業をする、と言う意味になります。

#347 2016年09月11日 00:19:38

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

場にそぐわないのですが、連投させていただきます。

病気や死の問題こそ、
宗派を越えた根幹中の根幹的問題だと
思います。
それがあるから宗教が発達したとも言えます。

聖書の内容で疑問符が付くのは、
それを悪魔の活動と余波として人が不完全になったとしている点です。

神が良しとされた人間が、あれほど簡単に悪魔の声で悪に走るものでしょうか?
本当に善い存在なら、自由意志を行使して尚且つ正しい選択をするのではないでしょうか?
(悪魔と言う存在にも言えますが)

善い選択もできれば、悪いことも行い得る、まるで博打のような自由意志。
しかし、意に沿わないなら最終的に処刑や処罰。それは結局、意に沿うことしかできないロボットと変わらないことになります。

そして、自由意志を与えた理由が主に「自分への人間の愛を試す」ことなら、それこそ神のエゴではないのでしょうか?

私は無神論でも懐疑論者でもありませんし、聖書を全否定する者ではありません。

それでも、物事を真に追求し、盲信を避けるためこうしたアプローチ、黙想は時に役に立つように感じています。

#348 2016年09月11日 07:51:55

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ついでに言ってしまいますと、

私は元々人は悪や善を併せ持って生まれてきた(内在している)存在で、それこそ酸いも甘いも体験し努力しながら歩んで行くことに意味があると考えています。

完全とか不完全とかもある種のまやかしで、人の言動のほとんどは、実際にはそのような表現では分類できない複雑な要因が絡んでいるものです。

そして、社会的ルールはあくまでもそのような複雑な人間の本質を前提にしたものが実質的な効果があるように思います。

絶対神(上)が決めたルールに従うなら間違いがなく平穏で、それに従わないなら全て悪であると言う白黒の単純さ。

それは支配層にとり大変都合が良いものです。

聖書の物語はそうしたシステムを採用した古代支配の残像のように思います。

実際にそうした支配方法を採用してきた国々、或いは団体は結果として人間の自らの成長の機会や人生の多彩な喜びを少なからず阻害してきた、(時に著しい自尊心の欠如からの発症。時には息を飲むほどの残酷性をを伴いながら)と私は感じています。

#349 2016年09月11日 19:41:25

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

akameさん
先輩の書いてくれることは心に染み入ります。
そう簡単に返事してはいけない内容だと思います。
きょうも自動車を運転し、往復2時間半、
面会時間は1時間半という友人の病院に行きました。
1時間半の面会に往復2時間半必要ということに
なんだか理不尽さを感じます。
人間は理不尽さの中に生まれて
理不尽さの中に死に行く存在なのでしょうか。

申命記の中に
「命と死を置いた。命を選んで生き続けよ」とありました。
29章だったかな…。
ものみの塔は人間に選択の自由が与えられているといっていました。
わたしたちがほかの人に自由に選んでいいよ、といった場合、
どちらを選んでも死刑執行だなんて誰も考えません。
考える人がいたら不思議です。
片側しか選べないなんて最大の不自由です。
死ぬと宣告されたら、選ぶ自由はないも同然ですよね。
不自由な設定にしておいて
選択は自由などというのは愚の骨頂だとわたしは思ったのです…。

オフライン

#350 2016年09月12日 00:37:35

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさんは生きる厳しさ、また不条理が通常の中でJWや聖書の神に遭われたのでしょう。

それは生半可なことではなかったと推察します。それもあり、ラハムさんへ毒のある話を続けています。ご容赦ください。

私は父親が日本刀を振りかざしたり、
舎弟が詫びに指を落とそうとしているような場面が多い環境にいたのです。

その世界はまさに容赦のない不条理の極みでした。

組織の上は組織維持や緊張感維持に配下への甘い顔は禁物です。日々生きるか死ぬかの中では、自由は敵になります。鞭と飴(厳しい戒律と褒賞)による感情のコントロールが必須です。上に疑問を持つことはタブーであり、自分の良心を押し殺すことが累積しますから、内心の罪悪感は半端ではありません。

こうした組織に惹かれる者は多くは無条件の愛情を知らない環境下にあった者が少なくありません。

そうした環境にあると、親のような存在からの優しさに飢えています。少しの自由でも大変嬉しく、自分が目をかけて貰えたこと、何よりも罪悪感を解消してくれる言葉は魔法の力になります。

逆に、無条件の愛情やより広い自由といったものに戸惑いがあります。

私の母親も随分厳しく、自分が若い時から宗教遍歴して、ルールの多いJW、また特に自分が実は特別な存在になり得る聖書の選民思想に惹かれた背景を自己分析できたのはずっと後になります。

生きることが過酷な時代または状況下では逆説的ですが、安楽な存在よりも不条理で過酷な存在に支配され易くなるカラクリがあります。

私の言いたいことがお分かりになりますか?

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