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#2 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2019年03月06日 02:30:27

山のアザミさま
お悔やみを申し上げます。

すでに優秀な諸氏がお答えになっておりますように、死んで終わりというわけではないようですね。

実は私もその辺のところで悩んでいたこともあったのですが、次の言葉を真剣に受け止めて、死後の希望に目覚めた経緯があります。


第二 コリント 5・1-9(新共同訳)

1 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

2 わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。

3 それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。

4 この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。

5 わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです。

6 それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。

7 目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。

8 わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。

9 だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。


地上の幕屋、つまりこの世での肉体は滅んでも、なお残るものがあることが示唆されています。
天にある永遠の住みかを、なお残るものー魂といってもよいでしょうーが着ると表現していますね。

「肉体を脱ぎ捨てたあとにいく場所ですよ」と三太郎さんの仰る通りであろうと思います。

#3 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2019年02月25日 03:35:24

ふと思い立ったので追記します。

「不変なる永遠の今は時間のすべてに現存する」

臨在でも同じ意味でしょうが、カトリックは専ら現存すると訳出しますのでこちらが適切かなと思いました。

先在と受肉、十字架と復活(というキリストの出来事[Sache])、聖体拝領、恩寵、今という終末論(完成論とでも言い換えましょうか、誤解を招かぬためにも)、聖霊降臨、(悪)無限とは異なる永遠、存在論(など)と、今を生きる私という体(現実存在)との関係をシンプルに表現しています。

#4 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2019年01月29日 20:40:36

G・K・チェスタトンなどがおすすめかもしれないなあとか思ったりしています。
『正統とは何か』『人間と永遠』・・・などなどのチェスタトン全集。
「畳みかけ続けるチェスタトンの思想、皮肉、逆説に、脱帽です。」とAmazonレビューにありましたが、
まったく仰る通りです。
物量がありますので全部は読まなくても、面白いと思ったところから読めるかと思います。

#5 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2019年01月28日 21:53:01

irisさん、お返事ありがとうございます。

確か、聖アウグスティヌスも「取りて読め」という童の声が聞こえてきて回心するわけですが、
・・・「私はどっとあふれでる涙おさえて立ちあがりました」・・・という一文に代表される体験をしていますよね。ーーアウグスティヌス『告白』第八巻第十二章

その時は備えられていると言いましょうか、
モーリス・ズンデル師の言葉を借りるならば、

「信仰とは、私たちがする何かではなく、私たちが「在る」ことなのです」

というような、私の存在そのものが、生そのものが「すでに信仰」である、という言い得て妙なる慧眼であります。
ただそれが信仰とは気づいていないということは、何を隠しましょう、他ならぬ私もそうであったわけです。

そういう気づき、あるいは回心(ちょっと夜更かししたので今日はしない、などなど・・・という「改心」ではなくて)の契機は既にある、そこここにある、童の声を通してもある。
それはひとつの奇跡であろうかと思います。

いみじくも奇跡とはラテン語で miraculum、mira-驚くべき culum 小ささを表す接尾辞なので、
驚くべき小さなこと(稲垣良典氏)、とでも申しましょうか、小さなことの中にこそ驚くべきことがあると思います。
一人一人の思想はどうであれ、現に存在しているという神秘、それは私自身ですら私を知らないという神秘、
そういう神秘を存在の中に分かち持つ者でありまして、存在の神秘を思い畏敬を覚えることに恩恵によって気づかされることがあります。

「存在」すなわち「ある」というこの根源的で、究極的なことを、irisさんの最後の言葉からいただけたように思います。

主は時間展開的に過去・現在・未来においても「在」であられること、
三一論的には、遍在・共在・内在としても「在」であられること、
あらゆる存在中の存在である神秘を思い、お返事の言葉にいたしたいと思います。

#6 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2019年01月27日 09:02:17

irisさん、おはようございます。
動画の視聴、ご苦労さまです。
長いですものね。

私は大祭などは動画をよく視聴するほうでして。

ミサに馴染んでいますと諸言語が繰り出されるバチカンのミサ聖祭も進行についていけますよね。

ちょっと私も気づいたところや若干の解説をしてみたいと思います。
irisさんにはもはや必要はないでしょうけれども、一応閲覧者の方々のために。


まず入堂のところですが枢機卿たちが入ってきます。
ミトラを取ると赤い帽子なので枢機卿だと分かりますね。
最前列で控えているのはピンクの帽子なので司教たちでしょう。
最後にパパさまが入堂。

鐘が打ち鳴らされる中、御降誕のイエスさまに口づけが行われ、
献香され、仰るように献花されます。

Dominus Dixit Ad Me (Christmas, Midnight Mass, Introit)
クリスマス・ミサの入祭唱-introit-で、Dominusdixit ad me 主は私に語られた あなたは私の子 私は今日あなたを生んだ が歌われます。
[video]video=480,360]https://www.youtube.com/watch?v=eMy188bQ7K4&app=desktop[/video]

In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti  父と子と聖霊のみ名によって
イン ノミネ パトリス エト フィリイ エト スピリトゥス サンクティ

Amen

Pax vobis 皆さんに平和がありますように
パクス ヴォビス

Et cum spiritu tuo また司祭とともに
エト クム スピリトゥ トゥオ



まあ、読みはほぼローマ字読みですよね。


Fratres, agnoscamus peccata nostra, ut apti simul ad sacra mysteria celebranda.
皆さん、神聖な祭りを祝う前に、わたしたちの犯した罪を認めましょう


共同回心式が続きますよね。


Confiteor Deo omnipotenti, 
et vobis fratres,           全能の神と兄弟の皆さんに告白します
quia peccavi nimisogitatione, verbo, 
opere et omissione:         わたしは思い、ことば、行い、怠りによって たびたび罪を犯しました
mea culpa, mea culpa,
メア クルパ メア クルパ

mea maxima culpa.
メア マクシマ クルパ       これは私の過ち、私の過ち、私の大きな過ちです

Ideo precor beatam Mariam semper Virginem,  永遠の乙女、聖母マリア、
omnes Angelos et Sanctos,          すべての天使と聖人、
et vos, fratres,                そして兄弟の皆さん、
orare pro me ad Dominum Deum nostrum.    私のために私たちの主である神に祈ってください。


それから
Kyrie eleison  キリエ エレイソン 主よ、あわれみたまえ



Glória in excélsis Deo            天のいと高きところには神に栄光、
Et in terra pax homínibus bonae voluntátis   地には善意の人に平和あれ。
Laudámus te                  われら主をほめ、
Benedícimus te                 主をたたえ、
Adorámus te                  主を拝み、
Glorificámus te                 主をあがめ、
Grátias ágimus tibi propter magnam glóriam tuam  主の大いなる栄光のゆえに感謝し奉る。
Dómine Deus, Rex cæléstis           神なる主、天の王、
Deus Pater omnípotens             全納の父なる神よ。
Dómine Fili Unigénite, Iesu Christe        主なるおんひとり子、イエズス・キリストよ。
Dómine Deus, Agnus Dei, Fílius Patris       神なる主、神の子羊、父のみ子よ。
Qui tollis peccáta mundi,             世の罪を除きたもう主よ、
miserére nobis                 われらをあわれみたまえ
Qui tollis peccáta mundi,             世の罪を除きたもう主よ、
súscipe deprecatiónem nostram         われらの願いを聞き入れたまえ。
Qui sedes ad déxteram Patris,           父の右に座したもう主よ、
miserére nobis                 われらをあわれみたまえ。
Quóniam tu solus Sanctus,            主のみ聖なり、
tu solus Dóminus,                主のみ王なり、
tu solus Altíssimus               主のみいと高し。
Iesu Christe,                   イエズス・キリストよ。
cum Sancto Spíritu: in glória Dei Patris       聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。
Amen                     アーメン

この栄光の賛歌、20年前に初めてカトリック教会に行ったときに、思わず涙が流れた賛歌です。。。
特に、

主なるおんひとり子、イエズス・キリストよ。
神なる主、神の子羊、父のみ子よ。

のところでしょうかね。
キリストを神と告白するのは、初めてなのに懐かしい、そんな思い出があります。


さて、長くなりますので、ミサ聖祭の内容は若干ではありますが、このくらいに。


パパさまが今年、来日されますね。
1981年のヨハネ・パウロ二世以来のことですね。

「よい政治は平和に寄与する」という教皇メッセージがすでに届いています。

共通善のためにどう行動していくことが望ましいのか、問われているように思いました。


それから、唐突なのですが、次の言葉はカトリック神学の中心に位置する言葉で、
これが理解できるなら枝葉末節にとらわれないですみますので、重要だと思い、記載いたします。


「不変なる永遠の今は時間のすべてに臨在する」


です。


これは理屈でも説明はできるでしょうけれど、
カトリックの信仰生活の中で実感できることなので、ここでなにがしかを語ってもたぶん伝わらないかもしれないのですが、取りあえず重要だと思いましたので、私の神学的関心からも記載させていただきました。

長々とおつきあいいただきましてありがとうございます。

主の平和 +

#7 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年12月26日 00:21:34

2014年12月14日「本当のクリスマス」説教:キスト岡崎さゆ里牧師

なかなかよろしいでしょう?

#9 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年12月25日 23:04:16

みなさま、クリスマスおめでとうございます。
キリスト者でろうがなかろうがみなさまに祝福がありますようにお祈り申し上げます。

私からはみなさまにこちらの動画をプレゼントいたします。

便利なものでこのように
Pope Francis- St. Peter’s Basilica - Holy Mass of the Christmas Vigil 2018-12-24
がすぐにアップされています。
https://www.youtube.com/watch?v=EIfPWtEDD2E

ご関心のある方はバチカンの荘厳ミサをご覧くださいませ。

#10 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年07月31日 16:52:36

ラハムさん

中澤氏によるライト元ダラム大聖堂主教の神学の解説、いつも掲載ありがとうございます。
福音派(やそれに近接するグループ)の認識改革への氏を含め着手されておられる方の貢献は大いに評価されて然るべきものだと思います。
その問題意識と現代人の(潜在的に)求めるところの接点を見据えておられると思います。

この度のテーマに少し触れるなら、「真理」とはすなわち「イエス」と「聖霊」とシンプルにまとめられますね。

まあ、「御霊」とも言われますね。
改革派教会の礼拝の頌栄541♪にはじめはびっくりしました。
「父御子みたまおおみかみに ときわにたえせずみさかえあれ」

#11 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月29日 18:39:04

なんでしょうね?
友人から
「エンヤってカトリックだからやめといたほうがいいんじゃない」
とか、サラっと言われましたね。それくらいです。
クラシックはうちの会衆にオーディオマニアの友人がいて普及活動(笑)をやってたことから、よくFM放送のクラシックはわりとその界隈では聴いておりました。
で、まあ、当然宗教曲も流れてくるわけで、今で言う「いいね!」状態でした。 wink

いいものはいい、それでいいんじゃないですか hmm

#12 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月29日 18:05:42

いえいえ、てつてつさんこそですです。

もともとキリストにシンパシーあったんだと思います。
EnyaをはじめGregorian chantなど聴いてたクチですので wink

#14 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月29日 15:16:56

irisさん

お久しぶりです。

宗教(心)と宗教団体のスレッド興味深く拝見させて頂いております。
自分の場合を振り返って見ますと、宗教心と思われるものは教えられなくてもあったことを思い出します。
小学生の時、学校の飼育委員会に入っていて、飼育動物の世話をするのですが、
兎が子供をたくさん生んでいて、飼育小屋の中で死んでいるのを朝掃除に行った時などに発見してしまい、
なんだか非常に悲しくなったことを思い出します。
そのままゴミ箱に捨てるようになっていたのですが、自分はそれができなくて
学校のすぐ隣の小高い所に無人の神社があってその境内に運んで埋葬しておりました。
まあ、子供ですから神社は死体を穢としていて埋葬するところではないなどということまでは理解しておりませんでしたが、教えられなくても埋葬という宗教儀礼を実践していたわけですね。
自分の感じた悲しみが聖域と埋葬によって解消されたのだと思います。(よく赤ちゃん死んじゃいますから)

その心と今の心に矛盾を感じておらず、連続したもの、グラデーションとして受け止めています。

irisさんの意図はその辺にあるのかなとまことに勝手に受け取らせていただきました。

#16 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2017年01月02日 19:02:46

モトシモベさん はじめまして。

お上手ですね。その手には乗りません。

#17 Re: 総合フォーラム » 良心の危機を読んで » 2017年01月02日 17:30:45

海外奉仕さん はじめまして。

こちらは優良サイトでございます。ご参考までに。
http://www.febcjp.com

もっといいのも実は知っておりますが、ぼちぼちとそのうち。

ではでは。

#18 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2017年01月02日 16:57:58

天パさん

仰せの通りでございます。

ここは「会衆」臭が強く立ちこめてますので。
くだらなさすぎです。

#19 Re: 総合フォーラム » 2世の目 » 2017年01月01日 12:59:16

匿名希望さん

Jなんぞ徳なんか高くもなんともないですからね。
特異なルールを作って守って周囲から浮いてるだけで、それを「徳高~」って思い込んでるフシがあります。
「フリ」がお上手な人多かったです。
一言でいえば「慇懃無礼」がぴったりでした。
そして「フリ」をしない人を各種烙印を焼き付けて「霊性低い~」とか言う愚にもつかない優越意識の塊なだけの閉じたループのような村社会ですからね。
そう言う意味では、世と変わらない、というか世のミニチュア濃縮原液みたいなものですからね。
「世の光」じゃなくて「世の闇」がお似合いなところでした。
そう、闇も闇、闇社会。

中学までくらいは竹ものさしが割るほど鞭打たれ(しかもそのものさしで予習線引き)、食事抜き、隔離部屋に閉じ込め、くらいは通常運転でしたよ^^。
かつ何もかも没収されました。全て理由は単純明快、霊的なことを第一にしないから。
人生設計も没収、部屋も没収、時間も、試験勉強も没収、小遣いもなく、駄菓子もジュースも滅多にありつけず、僅かなお年玉も差し押さえ、それで買った「スペイン語四週間」も没収、親戚や祖父母との関係も没収、当然世の友など言語道断、かといって親が自分の研究司会者にいつもいびられとばっちりがこっちまできて会衆内の友の親からさえ「悪い交わりやめなさい」と友に言うのを露骨に聞かされ、自転車はあるけど乗るべからず、飼っていた犬も「吠えてうるさい、良い証言にならない」という理由で保健所送りで没収、自宅と学校と集会・伝道の繰り返し、学校の図書館が唯一の救いの場、学校の給食時に今の曲が聴けた、「Drスランプアラレちゃん」とか話題に全然ついていけず、「キリスト鯨」「カクレキリシタン」呼ばわり、弁当に鯨肉紛れ込まされたり、「左の頬を向けろ!」とかでぼこられ、妹は大切にしていた音楽テープ根こそぎ廃棄。。。

ある時当時の心境をポツっと言ったら「エホバに誇りを持ちなさい!」とヒステリー、
同じ目に是非とも遭ってみてください、としか言えないですね。

今は、「そんな時代もあったねと」笑って言えます(笑)

#20 Re: 総合フォーラム » 2世の目 » 2016年12月28日 10:12:34

匿名希望さん、こんにちは。

私の親も似たようなものでした。

匿名希望 さんの発言:

話し合えばよいとか、先ずは育ててもらっている親に感謝しなさいとか、親から捨てられた子ども達のことを考えればJの2世は甘えた考えをしているとか言っていた方がいましたね。

まずは狂信的カルト親とは話し合えない。
まずは感謝しなさいって、こちらが辛苦を吐露すれば不平不満分子であるかのような物言い。
捨てるぞとかお前はいらないとかも一種の脅迫や放棄であり、身体的暴力を含め「虐待」にあたるものであり、
「甘い」などと言う人の倫理的感覚を疑わざるを得ません。

私は学校でよく嘔吐を繰り返し、小学校高学年時より気管支喘息に罹病しましたし、
妹は過呼吸とアトピーです。

J2に割りといますよね。

#21 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2016年12月24日 10:15:06

研究意欲旺盛な方にシェアいたします。
アーマンさん的な二次資料もよろしいのですが、やはり一次資料です。
トマス福音書も含めた「ギリシャ語彩色共観表」が無料でDLできます。
佐藤研先生ありがとうございます。

http://www.rikkyo.ne.jp/~msato/index.html

各福音書の神学を編集史的手法などで抽出できます。

#22 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2016年12月23日 06:43:18

ふぇいさん、はじめまして。
脱塔のお祝い申し上げます。

なんだかクリスマスソングの話が出ておりましたので。
降誕祭シーズンも佳境に入ろうとしてますのでこれはいかがでしょう。

https://youtu.be/D5ONtCZUhZ0

https://youtu.be/DPHh3nMMu-I

https://youtu.be/1mItWsC8RtM

https://youtu.be/goSqIDGBXjE


それとタイムリーだと思いますので

ふぇい さんの発言:

クリスマスはサタン的な行事として教え込まれていましたが
気持ちが落ちている方や身体が弱っている方にとっては気持ちが高揚する行事、という意味ではやみくもに排他するのは如何なものかと感じ始めました。
勿論 キリストの誕生日ではないであろう…という事は今でも信じているので、祝うのはある意味無意味かもしれませんが、
かと言って 「汚れた行事」と位置付けるのはどうなのでしょう?

にちょっとお答えしたいと思います。

クリスマスはキリストの誕生日を祝っているというより、降誕それ自体をお祝いしています。
降誕の意味は「受肉」の神秘にあります。
それは単に2000年前の遠い出来事ではなく、
私の闇、私の乏しさの中にキリストが来られお生まれになるという出来事なのでお祝いします。
「いま、ここで、わたしにおいて」現存するので・・

それはヨハネ福音書の冒頭のロゴス賛歌で
「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」
と表現されています。

1.破闇 と 2.照育 という光の恩寵が常にあることの気づきを深める自覚と希望の時期というのが
待降節の心と言えましょう。

#23 Re: 過去ログ・番外編 » 信仰を維持する » 2016年12月23日 01:23:35

KAOさん、はじめまして。
多くの点で共感している旨(私もお隣でしてちょいちょいそちらの講義にも・・なので笑)、JW児童への理解ある眼差しへの感謝の旨(私も学校は非常に辛いところでしたので)、お伝えしておきたく存じます。

そして・・

「聖書は読まざるべからず。されども聖書のみ読むべからず。 聖書と共に哲学、科学、文学、歴史を読むべし。 聖書のみ読みて聖書狂となるのおそれあり。 これは最悪の精神病である。」 (内村鑑三「聖書の研究」より)

これはまさに仰るとおりでありますね。

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