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#1 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 昨日 21:45:15

みなさまこんばんは。

てつてつさんお仕事お疲れさまです。
立派な技術をお持ちで、あちこちでひっぱりだこのてつてつさん。
お仕事で世の中に貢献するだけでなく、御自分の経験を生かして悩めるエホバの証人の皆さんに手を差し伸べ、支援していらっしゃることは素晴らしいと思います。

涼しくなり体調を崩しやすい季節です。
てつてつさんもみなさまも、御自愛くださいね。

#2 Re: 総合フォーラム » 輸血拒否に関する議論 » 昨日 08:58:21

同窓会・脱塔分室のコメントから。

ラハム さんの発言:

これもほぼJWのことですね。
医師を苦悩させ退職に追い込むとは…。
JWは自分の良心をしきりに主張します。
医師の良心を考慮したことがあるのでしょうか。(後略)
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20 … 2/?from=yh

この医師は、御自分のエホバの証人としての立場を貫いたために退職されたようですね。
医師でありながら、自身の宗教的信条のために新生児の輸血を妨害すれば、職場にいられなくなっても仕方ないと思います。患児の親戚だとはいえ、医師としての立場よりも、証人としての立場を優先するということですからね。

この医師も親戚の子どもの命について、あるいは自分の立場について、苦悩したかも知れません。エホバの証人でなければ、そのような苦悩は必要ないわけで、お気の毒ではあります。

しかし、子どもの治療を担当する医師の苦悩は、無輸血を要求して当然と考えているエホバの証人の皆さんには、到底わかっていただけないのではないかと思います。

子どもの救命のために必死になって治療に取り組んでいるときに、しかも猶予のない緊急時に、突如として理解不能な理由で妨害される。子どもの命に責任を感じている医師にとって、これほど理不尽なことはありません。輸血を拒否する親ひとりのために、多大な時間と労力が浪費されるだけでなく、医師には計り知れない精神的負担がかかるのです。

わかる人は言われなくてもわかる、わからない人は言われてもわからない、のかも知れませんが。

#3 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2018年09月08日 11:24:54

患児の親とケンカしても何もいいことはありません。親の思いを尊重しつつ、子どもの利益を守るのが小児科の役割。
最終的には子どもを親から保護するために引き離すこともありますが、それによって親自身がホッとする場合もあるものです。

組織の眼を気にして輸血を拒否せざるを得ない親の中にも、そういう人はいると思いますよ。
子どもの命は助かる、組織には言い訳できる(私は反対したけど、親権がなくなったから輸血を止められなかった)ってね。

非常事態に直面した家族をたくさん診ていると、人間について学ぶことがたくさんあります。

#4 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2018年09月08日 09:34:05

北海道で被災した皆さま、お見舞い申し上げます。自然の力は人間の想像を超えますね。

停電は今日中には解消する見込みだそうですが、週明けからは計画停電の可能性もあるとか。
それぞれいろいろな御苦労がおありと思いますが、どうぞ御自愛ください。
早く平穏な日常に戻ることができますように。

#5 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年08月27日 01:13:03

聖書についての質問さん、丁寧なお返事ありがとうございます。

やはり新約聖書を検討するしかないんですね。
執筆者の意図がふんだんに盛り込まれた新約聖書を予備知識なしに読めば、史実と異なるイメージができてしまうのは仕方ないのでしょうね。

ベネディクト16世の著書が春秋社からも出ていたのですね。いろいろ勉強してみたいと思います。ありがとうございました。

#6 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年08月26日 12:38:10

てつてつさん、ラハムさん、
本の御紹介ありがとうございます。
どちらも面白そうですね!

#7 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年08月24日 16:12:34

Wikipediaによると、シュバイツァーの医学博士論文は「イエス・キリストの精神錯乱」ですって、面白そう!
でもフランス語だったらちょっと挫折しそう…

#8 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年08月24日 16:04:33

聖書についての質問さん、いつも面白いお話をありがとうございます。今週は近所のJW少年の来訪が遅かったようで、ちょっと心配していました。

さて、先週のお話に関連して教えていただきたいことがあります。

聖書についての質問 さんの発言:

「昔から、歴史上のイエスは本当は革命家だったのだという主張はよくある。しかし、現在の主な見解は、アルベルト・シュヴァイツァーの「イエス伝研究史」以来、歴史上のイエスは黙示思想的預言者だったというものだね。」
「黙示思想とは世界は善と悪の戦いの場で、最後に善が勝つというような思想ですよね。」
「歴史上のイエスは、今は悪の支配下にあるが、間もなく神が介入して、善なる国、つまり神の国を打ち立てる。その時は“人の子”とイエスが呼んだ宇宙的な審判者がやって来て、邪悪な者は滅ぼされ、正しきものは報われる。だから、人々は悔い改め、神の国の到来に備えなくてはならないと言っていたと推定される。」

このあたりは史実としてどのくらい確からしいのでしょうか?
根拠としてはどのようなものがあるのでしょうか?
総説のような読みやすい資料はありますか?

シュバイツァーは牧師の家庭の出身で、自身も神学者であり、自分の神学思想をアフリカの文化などより優れたものと考えていたようですが、キリスト教のフィルターを通すことなく、客観的にイエスを評価することができたのでしょうか?

キリスト教はイエスの死後につくられたものであり、20世紀のキリスト教を前提としてイエスを評価すると、歴史的事実の評価としては不正確になってしまうのではないかと思います。

よろしくお願いいたします。

#9 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年07月22日 23:27:38

akameさん、御投稿ありがとうございます。
しみじみと心にしみました。

ものみの塔に出会った私たちは、さまざまな葛藤を経験せざるを得ません。
ことに長い間エホバの証人として生きてこられた皆様の苦悩は、筆舌に尽くし難いものと拝察いたします。
議論の過程では、皆様の傷に触れざるを得ないこともあり、できる限りの配慮はしているつもりですが、申し訳なく思います。それだけの価値のある議論ができたらと願っています。

akameさんのおっしゃるとおり、個人の感情に基づく宗教的体験を否定することは、よい結果には繋がらないと思います。宗教心は人間にとって自然なものだからです。
多くの人にとって、ものみの塔という宗教を使いこなすのが難しいのも、個人的な体験を無理に変容させられることに一因があると思います。

宗教に関しては、唯一の正解はありません。無理に白黒つけずに、意見交換ができるとよいですね。

#10 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2018年07月21日 16:21:06

処理能力以上の情報は過多ですよ。
脳に負荷がかかりすぎ、疲労を引き起こします。

情報集めはほどほどに。

#11 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2018年07月21日 12:18:33

ささらほーさらさん、みなさま、こんにちは。

ささらほーさら さんの発言:

実際には「理詰め」の人生では生活など成り立ちません。

まあ普通はそうですね。
しかしそれを絶対に認めたくない人もいて、無理に理詰めで生きようとすると、今度は別の方向のアブナイ宗教にはまるのではないかなと愚考します。現代は古代と違って情報過多ですし、科学万能と信じている人も多いですから。

さて、私はカトリックに問題がないとも考えていませんし、ものみの塔に良いところがないとも考えていません。この掲示板でも、カトリックの問題点についても、ものみの塔の長所についても書き込んでいますよね。
ただ、上手にカトリックを利用するのと、上手にものみの塔を利用するのと、どちらが難しいかといったら、圧倒的にものみの塔のほうが難易度高いですよ。エホバの証人として本当に心から幸せを感じられる人は、いろいろな意味で恵まれている人だと思います。

ついでに言うと私は、宗教全般を糞味噌に評価することのほうがよほど乱暴だと思いますよ。
「宗教なんてどれも同じ。ものみの塔がダメだったんだから、どの宗教もダメに決まってる。(だから宗教はないほうがいい)」みたいにね。
ささらほーさらさんがそうだとは、言ってませんけれどね。

#12 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2018年07月20日 23:21:32

ささらほーさらさん、こんばんは。
突っ込みありがとうございます。

宗教には飛躍が付き物ですよ。飛躍のない宗教なんかないと思います。
何にでも飛躍なしで説明がつけられる人には、宗教は要りません。理詰めの人生で十分だと思います。

ただ私は、世の中には理屈で語れないものもたくさんあると思っておりますので、自分にとって必要ならば、宗教の物語を利用して納得しようとすることもあります。

重大な決断や重大な試練を前にして、誰かに背中を押してもらいたいけれど、適当な人がいなかったら…
自分の中の神さまに打ち明けて「大丈夫だよ」と言ってもらう。
何の根拠も保証もなくても、それで勇気が出る人も世の中にはけっこういるものですよ。理解できない人には全然できないでしょうけれどね。

#13 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2018年07月14日 17:38:01

ラハムさん、みなさま、こんにちは。

その昔、進路に悩んで修道院のお聖堂に籠っていたとき、シスターから「神さまにも先のことはわからない」と言われたことがあります。
そりゃそうでしょうが、そんなホントのことはっきり言っちゃいます?と思ったのを覚えています。

悩んで悩んで、自分なりに「これでよし」と腹が決まったときが、信者にとっての「神からの答え」だと思います。自分自身が心から納得できることが大切で、まわりからどう見られるかは二の次ですよね。自分の人生ですから。

#14 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年07月05日 19:13:26

ささらほーさらさん、みなさま、こんにちは。

ささらほーさら さんの発言:

そのようなわけで、世界の標準的な宗教の「死と弔いの儀式と手順」は概ね似通っています。
その詳細は記しませんが、JWはこの「死と弔いの儀式」に背を向けました。

どんな宗教でも、その核となるべきものは、人間に自然に備わっている、そのような素朴な宗教心です。
そのような素朴な宗教心を殺して核を失った宗教が非人間的になるのは、無理もないことと感じられます。

#15 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月29日 18:49:17

ジョエルさんこんにちは。

国語の読解問題に作品を採用された著者が、自分の作品についての問題を解けなかったとか聞いたことあります。
著者の表現力に問題があったのか、出題者の読解力に問題があったのか、はたまた読解問題などというくだらない問題が存在すること自体が問題なのか、どうなんでしょう?

小説や詩歌などは読者に解釈を委ねる部分も多く、幅広い解釈ができるということが表現の豊かさともつながるでしょうね。
聖書の文書も歴史物語や詩歌や黙示文学など、ある程度自由な解釈が可能なジャンルが多いですから(さらにオリジナルではないので)、「正しい解釈」が存在するとしてもかなり幅は出るでしょう。

論説文の場合は、著者の意図ははっきり書いてあるのが普通じゃないかと思います。著者の意見と自分の意見とをしっかり区別して読む必要がありますが、自分の意見を投影しながら読むと、反対意見の文章でも自分と同じ意見にしか読めません。確証バイアスがかかりますからね。

日高氏は生物学に明るい人しか読めないような不親切な書き方をして、読者が混乱するのを楽しんでいたのでしょうか…

#16 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月27日 23:28:57

三太郎さんこんばんは。コメントありがとうございます。

私は以前も述べたとおり、社会の状況に合わせて聖典の解釈を修正する必要があるということは、文書として聖典を持つ宗教の宿命だと思っています。仏教では社会の変化に応じてたくさんのお経(新解釈)がつくられ、宗派によって重視するお経が違いますが、キリスト教ではあらゆる文書のなかで聖書だけが特別の地位を占めており、書き換えも禁じられています。文書そのものを書き換えることができないのなら、その解釈を変えるしかありません。そして、適切な解釈を示すことこそが、宗教指導者の役割であると思います。

「正しい聖書の読み方」がわかりにくいのは、信仰のあり方によって聖書の読み方が異なるためでしょう。信仰抜きなら、よほど単純になりますね。

#17 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月26日 23:38:07

ラハムさん、みなさま、こんばんは。
親睦・相談のフォーラムで議論はしにくいので、こちらでちょっと感想など。

ラハム さんの発言:

それから、果たして聖書の正しい読み方はあるのか、という大きな疑問も追求したいところです。

わたしはきっとあるだろうと思うのです。
その理由はわたしはできるだけ日記を書くようにしているのですが、ある人がそれを読んで、この文章の正しい意味は何ですかとわたしに問い合わせてきたなら、これこれですと、わたしは説明することができるからです。
書き記した人物が正しい意味を説明するのですから、おそらく絶対正しいということになるでしょう。
ほかの人の説明に頼る必要はありません。

信仰を前提とする場合と、信仰を前提としない場合とで、「聖書の正しい読み方」は違うものになると思います。

信仰を前提とせずに、一般の文献と同じように聖書を研究すれば、聖書の実際の著者たち自身がそれぞれ正直に執筆の意図を解説しているような「正しい」解釈に近づくことができるでしょう。
この場合には「正しい解釈」は最終的には一つに決まるはずです。けれども、聖書全体を細部まで調和させることはできなくなるでしょう。
聖書に含まれているひとつひとつの文書は、それぞれの時代のそれぞれの社会の要請に従って書かれたものであり、それぞれの著者の意図はバラバラであるからです。

信仰を前提に、つまり聖書をキリスト教の信仰のための書として読もうとする場合には、聖書全体を統一されたものとして扱うのが普通です。ものみの塔の出版物にもよく引用されるとおり、テモテへの第二の手紙3章16節に「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」とあるからです。
本来はバラバラの文書を統一されたものとして扱うには、それぞれの著者の意図とは別に、何らかの意図をもって解釈する必要があります。
この場合には「正しい解釈」を一つに決めることはできないでしょう。信仰の重心をどこに置くかによって、聖書の解釈も違って当然だからです。

例えば、中澤先生は2009年の著書「ものみの塔の源流を訪ねて」の中で、ラッセルたちの聖書研究の方法自体は正しかったと述べています。
その方法とは、ある問題に関する聖句すべてを分析し、ある聖句と別の聖句が矛盾するように思える場合、2つの聖句の調和を図るように努め、得られた結論を記録するという方法です。
この方法が「聖書によって聖書を解釈する(聖書のみ)」というプロテスタントの伝統的な読み方だと思いますが、この方法で聖書を解釈するための前提としてどうしても必要なのは、「聖書全体は細部まで調和しているはずだ(聖書全体は神の霊感を受けているから、すなわち神こそが聖書全体の著者であるから)」という信仰です。
この信仰が正しいと考える人にとっては、この方法で得られた聖書解釈が正しいということになります。

また、ラハムさんが(中澤先生が紹介されているのを)紹介してくださっているN.T.ライトの神学では、ライトは自分が読み取った「正しい聖書の世界観」を前提として聖書を解釈しています。
ライトの世界観(信仰)が正しいと考える人にとっては、ライトの聖書解釈が正しいということになります。

信仰の立場から読むならば、聖書にはいくつもの「正しい読み方」があるといえるでしょう。

世界中の何十億通りかの考えの一例として、私の考えを御紹介しました。
ただ、私がもし修道女になっていて、教会や修道院に来る人たちと話す立場であったなら、このようなぶっちゃけた話はできないでしょう。
教会は人々の信仰のためにあるもので、聖書も信仰を前提として教えるのが当然だからです。

#18 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年06月23日 20:24:10

「キリストはヒューマノイドヤハウェ」とは言い得て妙ですね!
ついでにヤハウェのイメージがガラリと変わってしまいましたけれどね

#19 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年06月20日 22:56:21

そこへいくと日本のお地蔵さまは最先端を行きましたね

何しろ6体そろって「じょいやさ、じょいやさ」と掛け声をかけ、橇を引いて歩くのですから!

それがありがたいのも普段は何もしないからこそ。旧約の神は人間を救わない神ですから、偶像と張り合っていたのでしょうか…

#20 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年06月19日 19:16:12

ものみの塔に引用されているコリント第二3章から

神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
(コリントの信徒への手紙二/3章6節)

霊よりも文字に仕え続けている人々が、世界中にどれほどたくさんの悲劇をもたらしてきたことでしょう…

正統に固執せず、多様な解釈を認めてきた仏教の圧勝です cry

#21 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年06月19日 09:24:36

聖書についての質問 さんの発言:

「そもそも新約聖書にエホバなんて出てこないよ。kyrios(主)をエホバと恣意的に訳しているのは新世界訳だけだよ。聖書の改ざんだ。パウロはエホバなんて関心はなくキリストについて論じているというのが、パウロの手紙を理解する上での大前提だから、それを否定してしまうと解釈は滅茶苦茶になる。」
「JWはキリスト教ではなくエホバ教という新種の宗教ですから。」

初めはキリスト教だったのが、いつの間にか変異して新種エホバ教になりましたね。それでも環境に適応して生き延びているのですから立派なものです。

#22 Re: 総合フォーラム » 神権用語 » 2018年06月19日 08:39:55

1,000時間奉仕者 さんの発言:

「12人の怒れる男」という陪審員モノの映画の中で、意見を求められた一人が「ちょっとパスしていい?」と意見を保留した時、
議長が「That's your privilege.」
「ご自由に(字義的には、パスはあなたの特権です)」
と言ってたのが印象的でした。

これは「パスしても処罰されることはありませんからご心配なく」という意味ではないでしょうか。
けっこう重い意味に感じます。

#23 Re: 総合フォーラム » 神権用語 » 2018年06月17日 19:45:28

春日 さんの発言:

信者側が加害者である場合、その人は真の意味でエホバの証人ではなく、会衆に居座っているだけの犯罪者だと思います
(中略)
また、信者側が被害者である場合、み使いの保護も聖霊の導きもなく、信者自らが犯罪者に遭遇する選択をしたのだと思います。

とても「エホバの証人」らしいコメントだと思います。
ここに集う方々の多くは、今はもうそのような考え方はなさらないと思いますが。

#24 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月16日 12:41:06

みなさまこんにちは。
三太郎さんコメントありがとうございます。

日本ではいろいろな神仏が共存していますね。
神話に出てくる神々、万物に宿る神々、仏教から生まれた(広義の)仏たち…
このような多様な神仏に囲まれているのは、ほんとうに幸せなことだと思います。

神話に登場する神さまたちは、とても人間くさくて親しみが感じられます。三太郎さんのおっしゃるとおり、いい加減な神さまもたくさん。

国産み神産み、岩戸隠れ、八俣遠呂智、因幡の白兎、海幸山幸…
日本の神話を知らない方がいらしたら、ぜひ読んでみてくださいね。ユダヤの神話より面白いかも。

#25 Re: 総合フォーラム » 輸血拒否に関する議論 » 2018年06月12日 18:20:42

先月、あるサイトに輸血拒否に関する裁判官の解説が載ったので、皆さんにshareします。
「エホバの証人事件」(最高裁平成12年2月29日判決)をもとに、最高裁判所の判断や実地での対応について解説されています。

「輸血を拒否している人に、輸血の可能性のある手術を予定する場合、きちんと説明をして、その病院で手術を受ける(必要なら輸血を受ける)か、別の病院に移るかを選んでもらう。
別の病院に移らずに手術を受けることを選んだ人には、輸血をしても問題にならない。」

18年前の判決ですが、裁判官の間では今もこれが判断基準となっているようです。
そして医療には「絶対に万が一のことが起こらない」ということはありませんので、輸血を絶対にしないと確約してくれる病院を見つけるのはかなり大変でしょう。

では、今すぐに輸血をしなければ、死亡または重大な後遺症につながってしまう、押し問答をしてる暇がないような緊急時はどうかというと?

「このような場合についての最高裁判所の判決はないが、緊急時に輸血を拒否するというのは正常な判断能力を有する意思決定とは考えにくく、公序良俗に違反すると考えられるため、救命のために輸血を含む治療をすることは違法ではない」

最高裁の判例はないので、別の判断をする裁判官もいるかもしれませんが、法律の専門家はこんなお考えのようですよ。御参考まで。

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