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#1 Re: 総合フォーラム » 塔13年 7/15の大幅な変更 » 2013年09月30日 00:48:10
私も、キリストが1914年に臨在したにも関わらず、なぜ1919年に「任命」されたのか、不思議に思っていました。
1914年にキリストが臨在したのなら、その時に「任命」されるのが自然だからです。
ものみの塔が「1919年」にこだわるのは、やはり、1917~8年頃にものみの塔に分裂騒動があったからなんですね。
仮に、1914年当時にキリストがものみの塔を任命されたのなら、それはラッセルを任命したことになり、ラッセルが
「忠実で思慮深い奴隷」であるということになります。
しかしラッセル自身の過去や、ラッセル時代の教えは、現在のものみの塔にとっては都合の悪いことが多いようです。
なので、私は以前から、組織はラッセルを現在のものみの塔から切り離したいのではないか、と思っていました。
この点、キリストが「奴隷」を任命されたのが1919年であるなら、ラッセル信奉者たちを排除することが可能になります。
つまり、1919年任命説は、ラッセル信奉者たちを「正統」から外すという意味があったのですね。
(しかし、ものみの塔におけるラッセル本人の位置づけは、かなり微妙なものになってしまいましたが)
実際に1919年頃には、ラッセル派によって「レーマン家庭宣教運動」という団体が発足しているようですが、彼らは今でも
ラッセル時代の教えを守り続け、ラッセルの著作を出版しているようです。1919年を基準に考えますと、ラザフォード達が
その年に「任命」されたのですから、レーマン家庭宣教運動などのラッセル信奉者たちは「異端」となってしまいます。
しかし、1919年当時にものみの塔が教えていた事柄からしますと、その年に「任命」されたという根拠は一体何なのでしょうか?
(そもそも当時は、キリストは1874年に臨在した、と教えていたはずですが)
私は、1919年に「任命」されたという考えはいずれ変更されるのでは、と思っています。
#2 Re: 総合フォーラム » 冊子「ものみの塔」について » 2013年09月12日 19:28:34
#3 Re: 総合フォーラム » 冊子「ものみの塔」について » 2013年08月26日 21:54:08
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