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#76 2019年12月27日 08:29:40

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

仰天さん>キリスト教が滅んだと言うのなら、アブラハムに約束された
「あなたの子孫によって、 地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」(創世記22:18)
という神の約束はどうなったと言うのでしょう。
アブラハムの子孫、ダビデの家系からメシアが出て異邦人含む全ての国民が祝福されるという約束です。

これはユダヤ人の間の神話だと思います

>という事は、てつてつさんの考えでは、神殿を批判したイエスに単に共鳴した人々がクリスチャンになってイエスは何もメシアとしての証明としての奇跡も行わなかったけれどもユダヤ人キリスト教徒やギリシャ語を話すキリスト教徒が増えて、迫害をものともせずに殉教の死を遂げていったという事ですか?
12使徒を含めて。
パウロも熱心なファリサイ派でキリスト教徒を迫害していたのに神殿批判だけで共鳴して恵まれた環境を自ら捨てて命の危険な道に改宗したと。
他の多くのクリスチャンたちも神殿批判に共鳴して死んでいったと。
???

神殿批判の部分はわかりやすく共鳴しやすい部分だったと思います 証人たちが他のキリスト教は地獄とか三位一体 不滅の魂などの偽りの教えを教えている! という批判の部分に共鳴しやすいのと似ているかなと思います そのあとイエスのあがないや律法はそこにいたるまでの養育ががりだったなどのロジックを教えられていって信じる気持ちがだんだん強くなっていったのかもしれません

オフライン

#77 2019年12月27日 08:43:57

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

てつてつ さんの発言:

仰天さん>キリスト教が滅んだと言うのなら、アブラハムに約束された
「あなたの子孫によって、 地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」(創世記22:18)
という神の約束はどうなったと言うのでしょう。
アブラハムの子孫、ダビデの家系からメシアが出て異邦人含む全ての国民が祝福されるという約束です。

これはユダヤ人の間の神話だと思います

>という事は、てつてつさんの考えでは、神殿を批判したイエスに単に共鳴した人々がクリスチャンになってイエスは何もメシアとしての証明としての奇跡も行わなかったけれどもユダヤ人キリスト教徒やギリシャ語を話すキリスト教徒が増えて、迫害をものともせずに殉教の死を遂げていったという事ですか?
12使徒を含めて。
パウロも熱心なファリサイ派でキリスト教徒を迫害していたのに神殿批判だけで共鳴して恵まれた環境を自ら捨てて命の危険な道に改宗したと。
他の多くのクリスチャンたちも神殿批判に共鳴して死んでいったと。
???

神殿批判の部分はわかりやすく共鳴しやすい部分だったと思います 証人たちが他のキリスト教は地獄とか三位一体 不滅の魂などの偽りの教えを教えている! という批判の部分に共鳴しやすいのと似ているかなと思います そのあとイエスのあがないや律法はそこにいたるまでの養育ががりだったなどのロジックを教えられていって信じる気持ちがだんだん強くなっていったのかもしれません

ユダヤ人の神話と見るのは構いませんが、それは単なる旧約も新約も嘘だというてつてつさんの考えからの結論です。

JWを信じる者が無知ゆえに間違った教理を信じやすいとしても、キリストの実在と弟子たちの確かな証言、また、イエスの神の子としての証明があっての話です。

パウロ書簡もマルコによる福音書も早い時期に成立しており、70年以降に新約聖書の全てが書かれたという批判的な聖書学者の説には無理があるように思えます。

当時をよく知る目撃証人である聖書筆者や初期クリスチャンの証言を無視して、2,000年後の否定的な学者の推測を信じるのはどうなのでしょうか。

その根拠も非常に弱いと思います。

#78 2019年12月27日 09:01:41

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

イスラム教でも コーランにはムハンマドがパウロと同じように幻を見て神の預言者になったとかかれているようです 仰天さんはムハンマドの見たという幻についてはどう思われますか?

これも>当時をよく知る目撃証人である聖書筆者や初期クリスチャンの証言 と同じだと思いますが cry

コーランの神 アッラーもエホバと同じですし 呼び名は少し違いますが

アダムとイブ

ノアの箱舟

アブラハムとイサク

モーセとファラオ

イエス 

なども出てきてその上でムハンマドが最終的な預言者となって神の正しい教えを伝えているというもののようですが 自分は残念ながら新約聖書も同じような人間が考え出したロジックだと思います


イスラム教徒も世界中に16億人もいて「キリスト教徒は20億」迫害や死をもおそれず「ジハードなどの言葉は有名」信仰していると思います
エホバ神のアブラハムの約束はイスラム教徒に成就するのかもしれませんね cry

編集者 てつてつ (2019年12月27日 09:31:38)

オフライン

#79 2019年12月27日 09:29:44

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

てつてつ さんの発言:

イスラム教でも コーランにはムハンマドがパウロと同じように幻を見て神の預言者になったとかかれているようです 仰天さんはムハンマドの見たという幻についてはどう思われますか?

これも>当時をよく知る目撃証人である聖書筆者や初期クリスチャンの証言 と同じだと思いますが cry

コーランの神 アッラーもエホバと同じですし 呼び名は少し違いますが

アダムとイブ

ノアの箱舟

アブラハムとイサク

モーセとファラオ

イエス 

なども出てきてその上でムハンマドが最終的な預言者となって神の正しい教えを伝えているというもののようですが 自分は残念ながら新約聖書も同じような人間が考え出したロジックだと思います


イスラム教徒も世界中に16億人もいて「キリスト教徒は20億」迫害や死をもおそれず「ジハードなどの言葉は有名」信仰していると思います
エホバ神のアブラハムの約束はイスラム教徒に成就するのかもしれませんね cry

新約聖書は旧約の成就であり終末の出来事で終わっています。これも以前に指摘済みですが、聖書は新約聖書で完結しており、イエス以降に新しい預言者が出るとか新たな正典が書かれるとかの記述はありません。

のでイスラムやモルモン、聖書やパウロ否定で内的意味を考案したスウェーデンボルグ等の信憑性はないと言えます。

#80 2019年12月27日 09:31:22

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。


以前も指摘しましたが、Iコリント15章あるように、復活したイエスはパウロだけではなく、五百人以上の弟子にも現れ、十二使徒にも現れているので復活がないというのであれば他にも証人はいるのだから確かめてほしいというような事を述べていると思います。

そんな事実がないのならそれこそパウロの作り話として扱われたでしょう。

しかし、そうなってはおらず多くの目撃証人が存在していたわけです。

パウロはキリスト教の功労者ではありますが、パウロがキリスト教をでっち上げたとか、使徒はそのような信仰を持っていなかったとか、そういう事は無理のある推測にしか過ぎません。

コリント人への手紙の時代には多くのキリストを知る人々が生きており、パウロの述べた事が嘘ならそれを指摘する意見も残っているでしょうし、誰も信じないでしょう。

で、十二使徒はイエスを見捨てて隠れていた、そしてイエスの復活も信じておらず疑っていた疑い深い人達で、なぜ大胆に変えられて迫害もものともせずにイエスの証人としてキリストを宣べ伝えたのかという質問に戻るわけです。
これは使徒だけでなく他の多くの弟子達もそうです。

サウロはどうでしょうか。サウロは大迫害者でキリスト教を根絶しようとしていた人ですが、なぜ彼のようなエリートが恵まれた環境を自ら捨てて命の危険なキリスト教徒になりましたか?


てつてつさんは答えられない点もあると思いますがと言っておられましたが、特に肝心なところを答えていないのです。

それでは、肝心なところを答えないでスルーしているシュウイチさんやJWと変わらないのではないでしょうか?

#81 2019年12月27日 11:42:30

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

仰天さん>以前も指摘しましたが、Iコリント15章あるように、復活したイエスはパウロだけではなく、五百人以上の弟子にも現れ、十二使徒にも現れているので復活がないというのであれば他にも証人はいるのだから確かめてほしいというような事を述べていると思います。

そんな事実がないのならそれこそパウロの作り話として扱われたでしょう。

しかし、そうなってはおらず多くの目撃証人が存在していたわけですサウロはどうでしょうか。サウロは大迫害者でキリスト教を根絶しようとしていた人ですが、なぜ彼のようなエリートが恵まれた環境を自ら捨てて命の危険なキリスト教徒になりましたか?


てつてつさんは答えられない点もあると思いますがと言っておられましたが、特に肝心なところを答えていないのです。
それでは、肝心なところを答えないでスルーしているシュウイチさんやJWと変わらないのではないでしょうか?

いや以前にもお答えしたつもりですが

このトピの♯70が自分の答えのつもりです


つまり本人たちは本当に見たつもりだった

または
聖書についての質問さん>マルコ...ギリシャ語で福音書という新しい文学ジャンルを生み出した創造的な人物です。

あとアーマンさんのいう 福音書は史実ではなく筆者の神学

つまり史実ではなくファンタジーかもしれません

またものみの塔やオウムも含め多くの宗教で大卒の大変賢い人たちが自分の命さえもかけて信仰している例は多いと思います

編集者 てつてつ (2019年12月27日 11:47:59)

オフライン

#82 2019年12月27日 15:08:21

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

てつてつさん、お返事ありがとうございます。

まぁ、想定内というか一般的によく言われる内容だと思います。

仕事が入りましたので返信はすぐにはできませんが、取り敢えず読ませて頂いたという報告です。

#83 2019年12月27日 15:39:03

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

了解しました仕事気をつけてして下さい

オフライン

#84 2019年12月27日 17:50:01

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

以前このあたりまで読んで それまで聖書は神の言葉だと信じていたものがそうではなくて多くの人の考えによって書かれたものだと思うようになって自分は棄教したような気がします cry
これ以降はどの翻訳がどうだとか写本がどうだとか書かれていますがそのあたりはあまり読みませんでした

489ページあたりから 聖書読むならどの翻訳がよいか

田川さんの個人的な嗜好も多々あるとおもいますが

簡単に結論を言い切るのは問題であるが、それでは実際の役には立たないから、とりあえずの結論を先に述べておく(詳しくはそれぞれの項目参照)。現在存在している日本語訳の新約聖書では(個々の文書の翻訳は別として、全体の翻訳では)、いわゆる「口語訳」と「新共同訳」がすぐれている。この二つと並ぶ存在意義があるのは、ほかには「フランシスコ会訳」ぐらいであろうか。これはカトリックの信者には特に有用である。この三つ以外は、まず役に立たない


個人訳も多数存在する。しかし、部分的な翻訳は別として、新約聖書全体の翻訳としては、個人訳では、上記の諸訳の水準のものは日本語や英語では存在しない。日本語では、旧約聖書の訳については関根正雄訳が有名であり、聖書協会訳よりもかなりすぐれていると言えるが、新約聖書についてはこれに匹敵するものはない。

編集者 てつてつ (2019年12月27日 17:52:35)

オフライン

#85 2019年12月27日 18:01:03

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

聖書とキリスト教について 491ページあたり

というのは、まだキリスト教の基本は聖書であるという考え方が必ずしも強くなっていなかった、ということである。これは、現代のキリスト教徒にとっては意外に思えるかもしれないが、聖書をキリスト教の基本と考えるのはむしろ近現代の特色なのである。そのどちらの点においても、宗教改革もしくは宗教改革期は大きな変化をもたらした。まず、聖書についての考え方という点では、周知のように、マルチン・ルターの宗教改革は、その三大標語の一つとして「聖書のみ」を打ち出した。それまでのカトリック教会の考え方に対して、キリスト教信仰の基盤は唯一聖書にあるということをはじめてここで確立しようとしたのである。これはルター派の宗教改革に限らず、他のプロテスタント諸派でも多かれ少なかれそうであった。むしろ、カルヴァン派の方がルター派よりも更に聖書の研究に関して熱心であったくらいである。カトリック教会にしても、これをプロテスタントの専売特許にとどめかず、この時期以降、それまで以上に聖書を重要視するようになる。ヴルガータ聖書の確定がその典型的な現れである。
今日の我々の目からすれば、キリスト教が聖書を根拠にするのは当り前ではないか、と思えるかもしれないが、これは意外と複雑な問題である。では、その聖書をどのように理解するか、という点に関して、再び問題が生じるからである。聖書にすべてが書いてあるわけではない以上、また、聖書の内容がしばしば不鮮明で、時に相互矛盾も存在する以上、それをキリスト教信仰の根拠にすると言っても、解釈の仕方によってずい分結果は異なってくる。だから、聖書だけでは権威の保証になり難い。カトリック教会が教会の聖職者たちを、特にその頂点に立つローマ教皇を、権威の最終基盤にしようとしたのは、その意味では理解できることである

オフライン

#86 2019年12月27日 18:04:05

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

聖書はなぜ世界のベストセラーといわれるようになったか

497ページあたり

つまり、聖書のベストセラー化という現象は聖書協会なる巨大な世界組織によって意図的に作られた現象なのである。それは決して普通の書物が普通の出版流通経路をたどってベストセラーになったというようなことではない。聖書は千数百年にわたりキリスト教の基本であり続けてきたとしても、それがこのように人々に読まれるようになったのは、その意味では、一九世紀以降の帝国主義による世界支配の現象なのである。


自分たちはものみの塔にいるときに聖書は神の言葉ゆえに世界でベストセラーになっているみたいなこと聞かされてきましたけどそうではないんですね cry


ドグマについて 512ページあたり

すなわち、聖書は現在の教会の視点からして「正しい」とされるものを表現していなければならない、という姿勢こそ、宗教的ドグマの最たるものであるのだ。なお、この場合の「教会の視点」は、かつてのヨーロッパにおけるように教会が最大の社会的勢力であった場合には多く教会がみずから率先して作り出したものであるが、現代においては世俗の世論の方が先に進んでおり、教会もまた世論に遅れまいとそれに歩調をあわせることになる。しかし、世論の方は単純明快に、現在の社会ないしこれからのあるべき社会はこうあるのが正しい、と主張しているだけなのだが、教会のドグマはそれを、キリスト教ははじめからそう考えていた、だからキリスト教ははじめから正義の宗教なのだ、と言い張ろうとする。このように世俗の正しさに追随するのは、それ自体としては結構なことだが、やはり追随者は追随者としてのつつましさを身につけるべきだろう。教会は今まで間違っていましたが、これからは、非宗教的批判者が進んで作り出した正義に追随させていただきます、と謙虚に言えばよろしい。ドグマの問題はまさにその点にある。教会とその「聖書」は「常に」正しく、正しいものを表現しているはずなのだ、という。その「正しさ」の中身が、それぞれの時代と社会の中における教会の位置に応じていろいろ変化する!教会の「正義」とはこのようにしばしばカメレオンの正義なのだ。

編集者 てつてつ (2019年12月27日 18:14:25)

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#87 2019年12月27日 18:18:39

めぐママ
メンバー

Re: 聖書という書物について

てつてつさん       ありがとうございます。

林檎の苗木をさっそく植えられたのですね。  雪が降っていないようです。今年は スキー場の方たちが  人工雪を降らせたり、神官にお祓いをして頂いていますね。
効き目があるのかどうか 判りません。
熱い想いで 皆が祈ったら降るかもしれないです。

我が家は、特定の信条を持ちませんが、七五三の御祝いで、家族着物を着て神社?⛩にお詣りしたのです。  まあ、 大人になって想い出せる記念として。その場に居た他の御家族はどんな御気持ちなのか判りませんが 皆さん深妙なお顔しておられました。


キリスト教  と  聖書 は 分けて考えると  ガッテンすることが多いです。

「信じる」 こと  について 広島大学の 倫理学研究所の論文を読みました。
長くて、 難しいのです。  昔 聞いた 所与  という言葉が出てきて 懐かしい思いでした。

KAOさん  という ミッション系の学校の先生 どうなさってるかしら?
善い 先生から学べる 生徒たちは幸せですね。

オフライン

#88 2019年12月27日 19:21:40

めぐママ
メンバー

Re: 聖書という書物について

忘れないうちに、

信用・信頼・信念 (論文集)      近藤良樹

「信じる」  について はっきりさせる必要がある。
幼児が親にまかせる 頼る なども含まれるが 「信じる」とは 無知にとどまる肝心な事柄についての 所与の情報をふまえ、これへの懐疑を停止して、間違い無いもの として受け入れ これに賭け、任せようという人知の振る舞いである。

無知、不可知の肝要な物事と それについての所与の情報という 二重構造に限定して「信」 を論じることとする。

また  信じる 「信仰」  については  人は 良く解らないからこそ 信じる。
まだ、未知の領域 解明の仕様がないから 。
だから、 信じるのだそうです。

妙に 頷いてしまいました。   八岐大蛇とか  ドラゴン  実在したと 信じる人は 現在はいません。  空想のお話です。  それを楽しんでいて 恐れてはいません。
第八章まであります。

それと、  今朝録画していた量子についての 番組を見て  頷いて、 今まで 科学や 数学とか、 尻込みしていた事にも ガッテン! 

コマドリ が渡りをするのに頭の中に 磁石の役目があるとか 言われてましたけど 違いますね。
光を キャッチして    なんだっけ??  また、 思い出して書き込みます。

オフライン

#89 2019年12月27日 21:35:03

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

聖書は新旧両方とも常に仮想敵と闘い続ける書物であると思います。その敵が直接自分に
関わらなくても、脳内で敵となり、相手を克服しようとする、常に闘え闘えと扇動される。
聖書の成立した背景には、克服しなければならなかった過酷な環境がありました。
しかし聖書を片手に仮想敵と闘い続け、死を迎えたとき、それは安らかなものになるとは
限らないように思います。イエスの叫ばれた「父よ、なぜお見捨てになられたのですか」
これはイエス級にならなければ苦しみの絶叫になりかねないようにおもいます・・
新幹線殺傷事件の被告は旧約聖書に興味を持っていたようです。脳内の仮想敵が強大な存在に
なり膨れ上がった事が事件を引き起こした原因のひとつかもしれません・・・

ですからてつてつさんの「ひとつの考え方として紹介された文書を吟味する」という行動自体
が意味のある事だと思います。

#90 2019年12月27日 22:13:26

めぐママ
メンバー

Re: 聖書という書物について

シセイさん  ガッツだぜさん

おっしゃる事は 解ります。  脳内での仮想の敵と 常に闘う。

司馬遼太郎の 「この国のかたち」  「 梟の城」だけしか読んでいませんが 日本においても 為政者からの圧力 税  戦へ駆り出されること   それが無くても
生老病死  の苦しみは 常にのしかかっていた。

ロビンフッド  を見ましたが  同じです。
ジャンヌ ダルク  も。

母が  若い頃に  能について 語っていたのですが そんな時間を持つ事はなく 学び損ねていました。
学生時代のゼミの先生が仕舞いをやっていて もうひとりの 講師の先生と親くして頂いた 事で一度  後楽園 能舞台での発表会の受付を仰せつかりました。
何が何だか解らないけど 美しかった。
空間にたゆたっているような  止まってるのに  凄い エネルギーが内にあるのがわかりました。
倉敷の美観地区  旅亭倉敷  の先代の女将  畠山さん  小さなかた 今風の 女性からは  目立たないように思えるのですが、 美しい舞姿でした。  文豪がお泊りになった宿です。

100分で名著  世阿弥  風姿花伝 が 今日届きましたので 当分は これを入門書としますね。  何かが あると思うのです。

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#91 2019年12月28日 00:43:00

アノニマス
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

聖書は神の書です。

9  すると彼はさらにこう言った。「行け,ダニエルよ。これらの言葉は終わりの時まで秘められ,封印しておかれるからである+。 10  多くの者が身を清め+,白くし+,練り清められる+。そして,邪悪な者は必ず邪悪に振る舞い+,邪悪な者は一人として理解しないであろう+。しかし,洞察力のある者は理解する+。ダニエル12

この"終わりの時"っていうのが聖書を読み終わる時とも言えるのです。私は長い年月をかけて通読し、あちこち読み返しました。「神様なんとか分からせて下さい」と心の中で念じながら。
そしてマタイ16;15を福音書のあちこちの「私は....です」というイエスの言葉を洞察したことをきっかけに例えの読み方にきずきました。

#92 2019年12月28日 09:29:49

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

アノニマスさん、アーメンです。ハレルヤ。



信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

ヘブライ11:1

#93 2019年12月28日 10:11:07

めぐママ
メンバー

Re: 聖書という書物について

てつてつ さんの発言:

聖書はなぜ世界のベストセラーといわれるようになったか

497ページあたり

つまり、聖書のベストセラー化という現象は聖書協会なる巨大な世界組織によって意図的に作られた現象なのである。それは決して普通の書物が普通の出版流通経路をたどってベストセラーになったというようなことではない。聖書は千数百年にわたりキリスト教の基本であり続けてきたとしても、それがこのように人々に読まれるようになったのは、その意味では、一九世紀以降の帝国主義による世界支配の現象なのである。


自分たちはものみの塔にいるときに聖書は神の言葉ゆえに世界でベストセラーになっているみたいなこと聞かされてきましたけどそうではないんですね cry


ドグマについて 512ページあたり

すなわち、聖書は現在の教会の視点からして「正しい」とされるものを表現していなければならない、という姿勢こそ、宗教的ドグマの最たるものであるのだ。なお、この場合の「教会の視点」は、かつてのヨーロッパにおけるように教会が最大の社会的勢力であった場合には多く教会がみずから率先して作り出したものであるが、現代においては世俗の世論の方が先に進んでおり、教会もまた世論に遅れまいとそれに歩調をあわせることになる。しかし、世論の方は単純明快に、現在の社会ないしこれからのあるべき社会はこうあるのが正しい、と主張しているだけなのだが、教会のドグマはそれを、キリスト教ははじめからそう考えていた、だからキリスト教ははじめから正義の宗教なのだ、と言い張ろうとする。このように世俗の正しさに追随するのは、それ自体としては結構なことだが、やはり追随者は追随者としてのつつましさを身につけるべきだろう。教会は今まで間違っていましたが、これからは、非宗教的批判者が進んで作り出した正義に追随させていただきます、と謙虚に言えばよろしい。ドグマの問題はまさにその点にある。教会とその「聖書」は「常に」正しく、正しいものを表現しているはずなのだ、という。その「正しさ」の中身が、それぞれの時代と社会の中における教会の位置に応じていろいろ変化する!教会の「正義」とはこのようにしばしばカメレオンの正義なのだ。


てつてつさん       ありがとうございます

中学生の頃 図書室で借りた聖書物語の イスラエルの12人の兄弟の話が妙に 残っていて、高校入学して ギデオン協会 か  ?ギデオン教会?  の聖書を差し上げますよ という キャンペーンみたいなのに  ハイ  頂きます!

で ギリシャ語聖書 (新訳)  だった、 マタイから始まり  系図ばかりで何の事だか解らず保留。


てつてつさん   の紹介してくださった本で 判ったのは 大英帝国の 力  世界の経済の中心地  ロンドンのバンク   ハリーポッターの世界。
今も 世界の経済は アメリカウォール街  だけではないと思います。

デパートで 毎年 定期的に  大英国展  と銘打って  物産展をしますね。
英国の紅茶文化
イングリッシュガーデン
タータンチェック
などなど  ブームになって 人気なのは何故?
という  番組で 仕掛け人 プロデュースしてるのは誰か?

英国政府が 働きかけて います。 英国で生活した経験のある方は毎年の さまざまな記念日に  イギリス大使館に招待されて  食事 お酒を楽しみ 親交を深めます。 そこで  親交を深めた人達が更に  経済を動かしています。

ドイツ  フランス  も同様です。

しかし、
ヨーロッパ人の クリスマスの楽しみ方は  とても 簡素で 家庭的で それぞれの家庭の味を受け継ぎ 家族の絆を再確認する機会のようです。

日本人は忙しいですねー
ツリーの飾り かたつげて 門松。
  信じていないのに  初詣で。
ニュースで  世界遺産の 神社への道にゴミが多くて ボランティアでは追いつきませんので 入所料を 値上げしますとの事。  本当に 神を恐れている人が ゴミを捨てるのかしらん?



19世紀以降の 帝国主義による 世界支配の現象なのである。

新大陸を発見してからの 歴史をみれば 解りますね。

大量虐殺   力ずくの 布教

オフライン

#94 2019年12月28日 21:50:27

めぐママ
メンバー

Re: 聖書という書物について

聖書がベストセラーとなつたのは  19世紀以降の 帝国主義による 世界支配の現象


これですね。

現象について フッサールの現象学 を思い出しましたが あまりにも 説明するのが難しいです。

現象とは  モヤモヤしている 捉えどころのない  状態を 昔の人は 科学的な証明がなかったので  神のみわざ という事にしたのでしょう。
でも 今や 不思議な オーロラも  単なるモヤモヤの綺麗な冬の空の景色ではないです。

ビールの泡 が素晴らしく良い状態だから、神が宿っているわけではなく  そういう泡を作る 機械があります。 缶ビールに取り付ける簡単な物もあり、家庭でも 神泡が楽しめます。

コスミック フロント   「量子が教えてくれる宇宙の謎 」 という番組
ニャンコが 司会を務めています
ニャンとも不思議な量子の世界   モヤ  のようなものだと言うのです。  粒であり  波であるとも
光で 量子の性質を見る  干渉縞  縦縞がある   モアレ  のようなものですかね?

さて 昨夜 コマドリの渡りの研究者の話しで 誤解があつてはいけないので 録画を見ました。コマドリの頭の中に 磁石の働きがあるのではなく 目 から入る 光  という点にあります。
人工的に磁場を作り出せる環境に コマドリを 置く。
青 と緑の光で反応するのです。  光によって コマドリの脳の中で化学反応が起こりコンパスの役割をしている網膜にある青い光に 反応する  クリプトクロム と呼ばれる タンパク質の中で化学的な変化が起こる。
この タンパク質が光を受け取ると  ラジカル対 というものが作られる。
その ラジカル対 はもともと 二つひと組だった 電子の一つが移動して ひと組の対になったものです。
このラジカル対 が 量子の 不思議な 振る舞いをするのです。→  現象  ですね。
番組では この現象を モヤモヤ  という表現で説明してました。
モヤモヤ  の不思議な振る舞い  とは

非常に弱い 磁場である 地磁気にも反応することが出来るのです。
これが 地磁気のセンサーの役割 だそうです。
電子は モヤっとした 量子の一種だから 反応する。
粒のようなものだったら 弱い磁気には 感知しない  モヤっとしたものだからこそ 反応する。


これが 今現在のところ コマドリの体内コンパスを 説明する 一番有力な説だそうです。

創造者が  すべてのものを くすしく作ったとか  智慧を与えた  という事は言われませんでした。

続いて 宇宙のなかにあるものすべて  スペース空間 

のところで 切れていました。
アンパンマンの予約済みだったので  そっちがいっぱい入っていて 残念でした。
BSオンデマンドで 見ることができると思います。

オフライン

#95 2019年12月28日 22:30:55

しろ
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

この掲示板凄くレベルが高い
横から失礼しました

#96 2019年12月29日 06:56:47

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

モトシモベさん>パウロ以前とパウロ以後の毛色の違い、旧約聖書と新約聖書の違い以上に、以前から疑問だったのです。

現代にキリストの教えを忠実に守るクリスチャン(JWのように「自称」ではなく)は存在すると思いますか?

ウキの原始キリスト教を見ると
原始キリスト教と同じ信仰を古代から変わらず保持し続けているとする団体
カトリック教会
正教会
非カルケドン派の伝統教会(アルメニア教会やシリア正教会等)
イングランド国教会及び聖公会
他プロテスタント各派等の伝統教会系

失われた原始キリスト教を現代に復興したと称する団体
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)
エホバの証人
イエス之御霊教会
その他、新興プロテスタントの幾つかの教派等の新宗教系

だそうです kiss 自称みたいですけど cry

編集者 てつてつ (2019年12月29日 06:59:00)

オフライン

#97 2019年12月30日 21:46:19

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

よいお年をと別トピで挨拶しておいて何ですが・・・
アノニマスさん、聖書はよく読み込んでいくと随所で暗喩表現と思われる箇所が出てきます。
イエスが戸ならペテロは鍵というように。そのようにしてまさに毛織物を編むように入り組み
ながら編纂されているように思います。なのでヒントを掴むとほどけるように言葉と言葉の
繋がりが読めるようになると思います。

全部ほどけきった時に解明されることもあると思われます。私の場合は、情報を得ながら反省しつつ
調べるスタイルです。

時間を掛けてそれぞれのスタイルで調べたものを拝見できるのは非常にためになっています。
昔から良く言われる投影されたものを様々な角度から眺める、この実践は言うに易く行うに難しの
通りです。円錐を正面から見れば三角形、底面から見れば円。しかしどれも正しい。

多分アノニマスさんは糸口が見えてらっしゃると思います。なのでもしかしたら仲間・・と感じました。
ただ、私の場合は民族史として研究したいという思いが強く、そこは違うのですが・・・

真理は、それが正しければ何一つ欠けることなく足すことなくジャストサイズで数学の定理のように
実に美しい。オイラーの定理のように実にスマートで簡潔ながら美しいと思います。

聖書もその辺巧みに編纂されていて、先の言葉が後の言葉に繋がるようにリレーされています。
それに気づくとついつい止められない止まらないになってしまうのです・・・・・

#98 2019年12月30日 22:07:59

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

アノニマスさん、私の場合、甚だ稚拙ですが・・・聖書を全編読み終わってしばらくした頃
「そうか!」という閃きがあります。聖書を読み終えた時、解読が終わったとき、糸がほどけ
切った時、ちょうどそれが終わりの時と読んでみたりもしました。それが何なのか科学的に
理解出来るほど文明が成熟したとき、本能的で野蛮な世の終わりを迎えるのかもしれません。

いずれ解明される時期が来ると思います。ダニエル書でも「終わりの日にはあちらこちら探り歩く者がいる」
とあったように思います。ですので謀らずして偶然にもこうして様々な側面からあちらこちら探り歩く者が
大勢いるのですから・・恐ろしいことに預言通りの行動をしてしまっているのですね。

なんとも・・

#99 2019年12月31日 00:09:30

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

言うは易く行うは難しですネ(^_-)-☆

聖書を解明しようと行動は、ものみの塔の影響と思われる危険もあるかもしれません。
でも昔から、科学者によって聖書は探られてきて、今さらに量子物理学の分野からも見えない存在について言及される
時代。教皇フランシスコも自由に発言する時代。今こそ解明される時代と呼べるかもしれません。

#100 2019年12月31日 01:11:37

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

連投しかも夜分遅くの非常識時間帯ですみません。

てつてつさん、だからこそ東大他有名大、ハーバード等卒幹部のいる、ものみの塔の
組織に騙されない研究が必要となると思います。いつか有名大理系学生も、この掲示板を
見ているかもと書いた時、嘘吐き呼ばわりされましたが、そういう何も知らない被害者を出
さないためにも地道な調査活動は必要であると思います。私はまたRomに戻りますので
続きよろしくお願いいたしますとともに、アノニマスさん、ものみの塔の見解に縛られないよう
研究頑張ってください。

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