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#351 2020年01月06日 08:16:45

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#247への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

24ページあたり

現代の葬式儀礼のほとんどは仏教と無縁であることが書かれています


釈尊とその弟子たちは、在家の葬儀に関わらないのが原則であった。経典によれば釈尊が執行した葬儀は父と養母の時にしか見られない。弟子たちも父母や仲間の僧の葬儀以外には関わらなかったのである。


『日本人の仏教』第九巻「寺院の歴史と伝統」(四十三頁)では、「ブッダの葬送のことを実際に執り行ったのはクシナガラ(クシナーラー)の在家の帰依者たちで、サンガの人々(出家)はそれに参与しなかったようである。伝説によれば、ブッダの遺骸は火葬にされ、分配を請うた八つの部族に八分され、中インドの各地に八つの舎利塔(ストゥーパ)が建てられたという。今日では、この舎利八分の記事が、おそらく事実を伝えたものであろうことは学問的にも信頼されている。この舎利八分についてもっともたいせつなことは、このような舎利供養・仏塔信仰が在家信者の手によって開かれたということである」と。このように釈尊在世中、葬儀は在俗信者によって行われ、僧は介入しないのが普通だったようである。本来、仏教では死後のことは不問のこととしており、したがって死体処理を伴う葬送儀礼には重きを置かず、追善回向とか引導を渡すなどという教義さえもなかったのである。

ひるがえって現代、民衆と仏教との接点は、葬儀、戒名、位牌、年忌法要、塔婆供養、盆・彼岸での墓参り等の葬送儀礼がほとんどである。釈尊の時代、各宗の開祖の時代とは、あまりにも隔絶した現代仏教の実態がここにはある。いったいこの体質はいつ、どのように成立したのであろうか


かなりはしょります


奈良・平安期
聖武天皇の葬儀が仏式で行われたのを初めとして、奈良期には七三五年に、「親王死去の場合は七七日の仏教式法要の執行を義務づける」詔が発せられ「続日本紀』)、法要を仏教でおこなう例が多くなってくる。
奈良期には、死霊は死後十七・四十九・五十年後に神となるという考え方(年忌打ち上げ・弔上げ・トイアゲともいう)と、死霊はまた御先祖様・祖霊として子孫の生業を守るという観念が定着しており、仏教とは関係のないところで、既に日本古来の精神としての先祖供養・祖先崇拝の念がきわめて強かった。この日本古来の非仏教的霊魂観に対して、それを否定するのではなく、新たな仏教的意味を付加させていくことによって、仏教は葬送儀礼の独占化をはかっていった。その一例は、〃うかばれない〃死霊を回向する儀礼をきちんとしなければ、魂も軽くなれず、天にも昇れないという論理を展開し、仏教による葬儀の必要性を強調していったのである。いわゆる仏教の年忌法要は、こうして加乗的に展開されるようになっていった。葬式から年忌法要の間の死霊は、精霊・新仏といい、荒魂(あらたま・新魂から転化)として個性の没しない霊とぎれた。その霊のたましずめlとして年忌法要が受容され、追善供養・回向の考えを付加して、仏教は死から祖霊化までの儀礼の執行権を獲得したのであった。なお仏教では三十三回忌をもって祖霊になると規定している


いわゆる四十九日までの七日ごとの法要については、本来は釈尊以前にあったバラモンの思想に由来するものである。中陰は中有ともいう。『倶舎論」では五陰の展開する領域として四有(生有・死有・中有・本有)を説く。婆羅門「ウパニシャッド」では、中有でピンダという死者を祖先の位に到達きせる死者供養祭があったが、これに密教が習合して、七七日中陰を成立させたと推定される。


百カ日・一周忌・三回忌は中国の儒教の考えをもとにしている。孔子の説いた儒教では、親に対する孝を重要視するが、父母の祖霊に対して百日目と一年目と二年目にそれぞれ柤霊供養する風習があったのである。これが仏教にとり入れられて、百カ日・一周忌・三回忌という法事に変わっていくのである。このようにバラモンの四十九日までの七回と、中国の儒教の三回忌までの三回を合わせて、十仏事という形が中国の仏教界で成立し、そのまま奈良時代に日本に移入きれてきたのである。


うーんまたまた 仏教は釈迦の時代から今日まで変わることなく受け継がれているというのがまちがいだとわかっちゃいましたね cry

上記の件、漢訳名・大般涅槃経には以下のように書かれていると中村元氏は「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)」に書いておられます。
てつてつさんの引用の著者は遺骨と遺体を故意に変えておるのではないでしょうか、創価学会に都合が良いように。

「弟子の阿難(あなん)が釈尊に対して「諸仏のご遺体に対して、私達はどのようにしたらよいのでしょうか」と質問をしたところ、釈尊は「お前たちは諸仏の遺骨の供養(崇拝)に関わる必要はない。」と説かれるが、これは「遺体」ではなく「遺骨」についてのことであり、阿難が再び遺体について重ねて問うと、釈尊は「(遺体を)火葬にすること、そして仏塔・宝塔を造り供養すべきこと」を説かれたのである。」

また「百カ日・一周忌・三回忌は中国の儒教の考えをもとにしている。」など、仏教が他の思想から取り入れているようにお書きですが、他の思想や宗教にも一部の正しいことはあると思います。ただそれだけの事だと思います。一部だけで全てを判断する人はいないと思います。

#352 2020年01月06日 08:29:32

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#249への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

ラハムさん書き込みありがとうございます

>やむを得ないことですが、お布施の金額によって法要のお経を唱えてくれるお坊さんの人数が多くなるのを見たとき、なんだか釈然としない気持ちだったのを思い出します

こんな例もあるようです cry

日顕宗を切る3 69ページあたり

ところが、小倉氏赴任時の住職・鈴木讓信と鈴木の後任住職で来た佐藤暢道は、ともに宗門の高僧であるにもかかわらず、広宣流布を忘れ、勤行を怠り、箸侈に流され、妻子に愛執し、檀信徒は御供養を運ぶ〃お客さん〃としかみない商売坊主の典型でした。

「ある法華講の人が葬儀の申し込みに仏眼寺にいらっしゃいましたその方に対して、住職の佐藤はお悔やみの言葉を述べるでも信心指導をするでもない。ただ『いい戒名もらいけたけりや、いまの時代、一本だよ』と、そっけなくいうだけでした。
一本とは百万円のことなんです。その方は結局、それが常識だと信じて戒名料だけで百万円を御供養しました」
こうした例は枚挙にいとまがないそうです。義憤を抑えきれないといった表情で、小倉氏は驚くべき実態を私に語ってくれました。「ある檀家さんの葬儀を仏眼寺の本堂で行ったときのことでした。その家は御供養を五十万円包んだのですが、それでも佐藤住職が決めた〃相場〃からすると少ないらしいのです。腹を立てた佐藤は、なんと葬式の引導文を半分でやめ、そそくさと本堂から立ち去ってしまったのです。つまり〃残り半分を読んでもらいたければ、もっと金を出せ〃というわけです。たぶん、ほかの檀家への〃みせしめ″の意味もあったのでしょう」厳粛な葬儀の席で、こともあろうに「引導」を脅しの道具に使って信徒から供養を吸い上げようとは、なんたる極悪の心根でしょうか。佐藤クラスの老僧にしてこの体たらくとは、現宗門の腐敗堕落の凄まじき.根深さは想像を絶するものといわねばなりません。

シュウイチさんは自分の戒名料にいくらくらい出される予定でしょうか さやかさんならタダでいい戒名つけてくれると思いますよ さやかさんちょっといくつか考えてといてくださいね kiss

上記の件、「こうした例は枚挙にいとまがないそうです。」とまた根拠を記載しない伝聞をお書きになられておりますが、てつてつさんは何をもって信じておられらのでしょうか。また、書籍に書いてあるから信じている、のでしょうか。ならば、エホバの証人の書籍も正しいことになります。

#353 2020年01月06日 19:18:43

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#250への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

お盆について

35ページあたりから

盆は、行事の大部分が日本固有のものであり、もとは〃たままつり〃として、家ごとの複数の祖霊との交流の場であった。

上記の件、「盆は、行事の大部分が日本固有のものであり」ならば、なぜ「盆」を「たままつり」と呼ばないのでしょうか。「行事の大部分が日本固有のもの」であるなら尚更であります。理由を教えて頂けませんでしょうか。


てつてつ さんの発言:

祖霊は家の繁栄を守護する存在であり、七月(新暦では八月)の盆の時に祖霊を迎え、また送る行事が古くからあった。

上記も盆が中心になっております。「たままつりの時に祖霊を迎え、また送る行事が古くからあった。」と書かないのはどうしてでしょうか。


てつてつ さんの発言:

「たなばた」も、〃たままつり〃といい、本来は盆への準備のはじまりであった。これは正月のすすはらいと同じで、祓(はらい)の行事であった。

上記も「盆への準備のはじまり」と、盆が中心になっております。


てつてつ さんの発言:

現在、盆は仏教儀礼として、墓参りの期間となっているのは周知のとおりである。仏教側はこの行事を、まず『孟薗盆経」の教説をもとにして、仏教色を導入した。『孟蘭盆経』の内容は、現在の父母および過去七世の父母のために、毎年七月十五日に百味の飲食を供えて百僧に供養することを説いたものである。釈尊の十大弟子の一人.目連は、餓鬼道に堕ちた母が倒懸(ウランバナ)の苦を受ける有様を見て、それを救うために孟藺盆会を始めたという因縁による。しかし、この経典は中国の偽経である

上記の件、偽経である根拠の記載がありません。創価学会は日蓮正宗から破門されるまでお盆に先祖供養を普通に行っておりました。何をもって偽経と断定されているのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

「お中元」という風習が現在日本にはあるが、これも「中元」(上元は一月十五日、下元は十月十五日)として、孟藺盆に「盆礼」といって親族や知人の家を訪ねて挨拶をし、また進物の贈答をする風習によるものである。上中下元のうち、日本在来のマッリが仏教の孟蘭盆と結合したために、とくに七月の行事が盛んとなり、ついに魂祭りといえば孟蘭盆を指すことになった。

上記の件、「日本在来のマッリ」とは何でしょうか。日本在来でカタカナ表記の事物は珍しいかも知れません。
また、「魂祭り」と「たままつり」は同一でしょうか。だとしたら、どうして別々の表記をされたのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

そして孟蘭盆会も先亡の苦を救うという本来の趣旨から、先亡の魂を迎えてまつるという意味に変わり、さらに娯楽の乏しい農村にあって娯楽をも兼ねる「祭り」の発生につながっていった。「盆おどり」は、死んだ霊に対するタマシズメの行事であり、念仏踊りの系統からの影響があって、室町期から流行しだした。さらに仏教各宗派は、孟藺盆と施餓鬼会を結び付け、仏教による回向の考えを定着させた。施餓鬼会は、餓鬼のために諸種の飲食を施す法会で、民間では新亡の霊の成仏を妨げる無縁仏という考え方が仏教思想と習合して生まれ、邪魔する無縁仏を供養して、精霊の冥福を祈る形として受け取られるようになる。これは浄土真宗を除いて、孟藺盆にちなんで行われる場合が多い。やはり室町期後半に一般化した。
したがって、仏教とは関係のない日本古来の風習であったお盆が、『孟蘭盆経』と結びつき、中元の七月十五日が僧自恣の日とつながり、〃たままつり″に施餓鬼会が付け加えられて仏教行事として確立したのが、「盆」の実態なのである。

上記の件、「仏教とは関係のない日本古来の風習であったお盆が」とありますが、「お盆」と書いた時点で仏教のお盆であり、ここは「たままつり」と書くべきではないでしょうか。「たままつり」をどうして「お盆」と呼ぶのでしょうか。

また、日蓮正宗の事を書かないのはどうしてでしょうか。創価学会は日蓮正宗に破門されるまでお盆を普通に行っていたので、日蓮正宗に対する批判を書けないのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

で 清い日蓮正宗では当然こんなお盆なんて異教に由来した 大ホウボウなことはしていないだろうと検索してみるとお釈迦様の正しい教えとしてしっかりやってるみたいです cry

上記の件、仏教の盂蘭盆で先祖供養を行っているのであり、たままつりを行っていませんので、何の問題もありません。たままつりを行っていると勝手に思われているのではないでしょうか。

#354 2020年01月06日 20:02:55

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#258への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

シュウイチさん>上記の件、まず、てつてつさんご自身は家中抄などを調べたのでしょうか。今回もまた、書籍に書いてあるから正しい、と判断されたのでしょうか。

家中抄は調べておりません このように書籍に書いてあるということです

上記の件、てつてつさんは「死活相承」と色を付けて家中抄にあると主張されております。それにも関わらず「家中抄は調べておりません」とは無責任ではありませんでしょうか。
この掲示板に書き込まれた、読み手の責任と書き手の責任を放棄した無責任な書き込みだと思います。
ある人への侮辱が書いてある書籍を引用して掲示板に記載すれば、それは侮辱となります。仏教的には悪因を積み重ねています。


てつてつ さんの発言:

>上記に「リンク先などをよく読んでから質問していただけるでしょうか 」とありますが、リンク先に死活相承の詳しいことなど記載されておりません。「よく読」む事ができません。どの様にしたら、良く読める、のでしょうか。

これはシュウイチさんの 「上記を日蓮正宗が主張しているのでしょうか。確認致しますので、どこに記載されているか教えて頂けませんでしょうか」という質問に対してリンク先で 宗門には『家中抄』『続家中抄』という私家版の歴史書がある ということがかかれておりその中に死活相承のことが書かれているようです と意味で「リンク先などをよく読んでから質問していただけるでしょうか 」といったつもりです

上記の件、「死活相承」が書かれているところが分からないので聞いております。どこに記載されているのでしょうか。具体的に教えて頂けませんでしょうか。


てつてつ さんの発言:

>また、上記の引用の続きには以下の記載があるのではないでしょうか。
「法主詐称」より
「日主上人にまつわる根強い死活相承の伝説に対して、大正十二年四月号の『大日蓮』において堀日亨上人は、今までの死活相承は後世の捏造であったと論評している。」法主詐称自体でも日蓮正宗が「後世の捏造」としていることを記載されておりますね。てつてつさんはどうして記載されなかったのでしょうか。てつてつさんに都合が悪いからでしょうか。

リンク先にはそこの部分も全部のっていますのでちゃんと読めばわかると思いますが

上記の部分は連続した部分でそのままコピペできるのに、どうして途中までの記載に止めたのかを聞いております。てつてつさんに都合が悪いからでしょうか。

てつてつ さんの発言:

>堀日亨上人は、今までの死活相承は後世の捏造であったと論評している。


ここの部分は

伝説によると、日主上人危篤の知らせを受けた代官の寂日坊が、栃木県の蓮行寺に駆け付けたが臨終に間に合わず、日主上人はすでに息を引き取った後であったという。これでは代官による預かり相承とはいえ口頭で相承することはできない。「唯授一人の血脈」は断絶してしまう。ところが、死亡して床に横わっていた日主上人は、寂日坊が入室するとガバッと生き返り、相承を無事に終え、ふたたび死んだという。むろん後世に提造された話だろうが、「法水潟瓶」「血脈相承」の伝統を守るためには系譜が途切れてはいけない。そのために死人まで生き返らせてしまったのである。このような話を作り出さなければならないほど、すでにこの当時、「血脈相承」に神秘性をつけ加え、権威を持たせる必要があったのである。
面授相承を重視するあまり、「面授は本当にあったのだ、その証拠に…」と、怪しげなというよりも滑稽極まる「死活相承」まで作り出したのである。日主上人にまつわる根強い死活相承の伝説に対して、大正十二年四月号の『大日蓮』において堀日亨上人は、今までの死活相承は後世の握造であったと論評している。

とあるとおり筆者も創作だろうといってます また堀上人も創作だろうといっていることは宗門内にそのような言い伝えが存在していることは認めているということかと思います あとこれを否定すると一対一で面と向かっての相承はなかったことになるとおもうのですが だからこそ生きかえったという話を作らなければならなかったわけですから cry 
でもまあこれ以上は調べようがないと思います

上記の件、「宗門内にそのような言い伝えが存在していることは認めているということかと思います」とありますが、「宗門内に」とはどこでしようか。具体的に教えて頂けませんでしょうか。

また、「でもまあこれ以上は調べようがないと思います」はてつてつさんの責任感が薄いために起きた発想だと思います。まだまだ調べることはありますので、まずは上記の問い掛けにお答え願います。

#355 2020年01月06日 21:40:56

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチさん ちょっと空気読みましょう 現在掲示板が大炎上中でせっかくのシュウイチさんの貴重な書き込みもだれも見てくれないと思います cry
もうちょっと掲示板落ち着いてから書き込まれるとだれかが見てくれるかも さやかさんくらいかなー でも肉エネルギーあげないともう反応してくれないカモ kiss

編集者 てつてつ (2020年01月11日 13:03:35)

オフライン

#356 2020年01月07日 07:52:42

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#268への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

宗門問題 82ページあたり なぜ仏教が葬式仏教になったのかの説明が書かれています

まず それまでどちらかというと、仏教は皇族・貴族・武家等の権勢を保有する勢力のための宗教で、民衆のあいだには必ずしも深く浸透していたわけではないと書かれています

てつてつ そういえば100分でも奈良の大仏がそのような目的で立てられたことがかかれていました

その情況が一変したのは、社会体制それ自体が大きくゆらぐようになった応仁の乱以後の乱世になってからであった。このころの民衆(その大部分は農民)は、農耕技術の発達によって経済的にも貧しきから脱しつつあり、農民層による全国的な郷村が成立した。郷村民は寺院を各郷村に迎え入れ、自分たちのための祈祷や葬送儀礼をするよう要望してくるようになった。仏教各派がこのチャンスを逃すはずはなかった。頼るべき権勢を失った仏教界は大きな岐路に立っており、〃権力者の仏教″から〃民衆の仏教〃へと方向転換を図ったのであった。...


このように仏教界全体が、大きな、構造上の転換をせまられたのである。しかし、このような仏教の庶民化は、決して民衆救済という仏教本来の使命観に立って推進きれたのではなく、教団維持の延命策として財源基盤を権力者から民衆に切り換えたにすぎない。こうして仏教各宗派は庶民の要望に迎合する形で、郷村ごとに寺を建て僧を定住させ、葬式を売り物にするようになった。まきに葬儀・法要を媒介とした需要と供給の相互欲求が、大量の寺院群の出現を加速度的に実現きせたといえよう。

上記の件、ここまで葬儀の事は何も書いておりませずに、いきなり葬儀の事を書いております。まるで取って付けた様に思えます。今までの話と葬儀の関係を教えて頂けませんでしょうか。関連が全くわかりません。


てつてつ さんの発言:

供給者たる寺院は需要者たる民衆へ、葬送儀礼によって得られる生前の功徳と死後の安穏を声高らかにうたいあげた理論を用意して民衆の心を引き寄せることに成功したのである。現世における確実な生活のかてを得ることと、寺院の将来にわたる安定した経済基盤を満たすためにたどりついた究極点が〃葬送儀礼″の専業化であった。こうして葬式仏教がうまれたのである。

上記の件、創価学会が日蓮正宗から破門されるまでは何も言わなかったのですが、どうして破門されてから言い出したのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

うーん つまり一箇所からたくさんとるより薄く広くとる戦略に代わったわけですね 今で言うと巨大な戦艦デパート三越がハイソサなお客さん相手に高級品売るよりより小さいコンビニをたくさんつくって薄く広くもうけるような感じでしょうか kiss

上記の件、何宗のことを言われているのでしょうか。日蓮正宗のことなのでしょうか。
また、てつてつさんはこの#268の書き込みで何を言いたいのでしょうか。何か書かなくては、という強迫観念に取りつかれているのでしょうか。

#357 2020年01月07日 08:02:49

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#269への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

宗門問題 88ページあたり 法要を強要する偽経・偽書の出現

死者への追善供養の奨励は、室町期の仏教界がもっとも力を注いだところであった。その理論体系は巧妙なでっちあげとスリカエによって民衆をたぶらかし、築き上げた虚飾の葬送一大体系を現出する。その推進力となったのが『地蔵菩薩十王経』である。この経は室町期の僧侶によって作られた、いわゆる「偽経」である。初七日から四十九日、百箇日、一周忌、三回忌の十仏事における追善を奨励するもので、明かに寺院の安定した収入源の確保をめざしたものであった。すでに鎌倉初期にあった『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」(これも偽経)を下敷きとしてさらに発展させたもので、死後における幸、不幸は、十仏事それぞれに控えている十王の裁断によって決定され、その判定の基準は、死後において遺族がおこなう追善の度合いによるとしたのである。このでっち上げの論理を鵜呑みにした民衆は、追善に狂奔せざるをえなかったのである。

さらに、日蓮宗では大聖人の御書と称する(すべて偽書)『十王讃歎抄』『彼岸抄』『回向功徳抄』なども、その内容が、先祖回向の重要性を前面に押し立てて強調されておりおそらくこの時代に成立したものであろう。

そして日蓮教団においても、伝日蓮作とされる偽書『十王讃歎抄』が登場してくる。この抄の各冥途での死霊の受ける苦しみのすさまじさは、存覚の『浄土見聞集』の比ではない。しかも、『十王讃歎抄』でいう無上の恐怖世界である冥途からの脱出方法は、ひとえに残きれた妻子春属の追善回向に集約されているのである。


しかし、次に挙げる『回向功徳抄」になると、回向の啓蒙というよりは強要といった方が妥当である。「死人に閻魔王勘て四十九の釘をうつ。而るに娑婆に孝子有て、彼追善の為に僧を請ぜんとて人をはしらしむる時、閻魔王宮に此事知れて先づ足に打たる十五の釘をぬく」(同53頁)。なんと死人の体には冥途の閻魔大王が四十九の釘を打ち込むといい、後に残された者が僧を請じて追善回向をするたびに、つぎつぎとそれらの釘が抜かれていく、と書かれているのである。その釘の抜かれ方は、同抄によると次のようになる。
四十九本の針は、目に二つ、耳に二つ、舌に六つ、胸に十八、腹に六つ、足に十五本打たれ、針の長きはいずれも一尺(約三十センチメートル)もある。まず追善のために僧を呼ぼうと寺へ走っていけば、閻魔大王がこれを知って、足の十五本が抜かれる。その理由は「仏事の為に僧を請ずるは功徳の初め」(53頁)だからである。(僧を請ずるという表現がくりかえされるのも本抄の特徴である)次に、僧がやってきて塔婆を用意して御経を書けば、腹の六本が抜かれる。次に僧が塔婆を開眼すれば、胸の十八本が抜かれる。きて塔婆が生身の仏になり、冥途の聖霊のための説法が行われ、それが耳に届くと耳の二本が抜かれる。この仏(塔婆)をおがむと眼の二本が抜かれる。ざらに残された遺族が題目を送ると、聖霊も唱え始めて、その間に舌の六本が抜かれ、全部の針が抜かれる、という次第である。そして『回向功徳抄」の決定打は「我れ父母の物をゆづられながら死人なれば何事のあるべきと思て後生を訪(とむら)はざれぱ悪霊と成り、子子孫孫にたたりをなす」(同56頁)の文である。「たたり」という論理が与える影響は、冥途で大苦にあえぐ亡霊のための孝の精神を称揚する域を越えて、残された遺族への脅迫に他ならない。


てつてつさんも こわいからやっぱりお坊さんに供養してもらおうかな kiss

上記の件、日蓮宗の事をお書きになられておりますが、このトピックは日蓮正宗について書くトピックではないでしょうか。
ちなみに、創価学会でも葬儀を行っておりますが、この著者は矛盾を感じないのでしょうか。

#358 2020年01月07日 08:33:48

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ホメオパシーって素晴らしい




○体験発表 妙宝寺支部・井ノ口和実(小3)

私は、ひいおばあちゃんが日蓮正宗にかわった家に、生まれました。生まれて2カ月位からお寺の唱題会に、お母さんと毎日さんかしていたそうです。

ほとけ様へごくようさせていただくことは、とっても大事なんだよとお父さんが教えてくれたので、いつも自分名前を書いて、お年玉からごくようをしています。なのでお年玉は一つもつかえないけれど、心がとってもしあわせな気持ちになります。これからもずっとつづけていきたいです。

小さい時から、ご住しょく様やおく様がいろいろな事を教えてくださって、お寺が大好きでした。でも病気でつらい事がたくさんありました。

私は、食べ物のアレルギーで、牛乳、たまご、お肉、油がだめで、食べたい物が食べられませんでした。2歳の時に、初めてぜんそくの発作が出てから毎月入院していました。ベットでお母さんといっしょに勤行して、「家のご本ぞん様の前で、勤行ができるように、早く治してください」と、祈りました。

発作が出ると、せきが止まらないので、さんそマスクをずっとつけたままで、点てきもして、むねにも心電図のきかいをつけます。たんがつまると息ができなくて死んでしまうので、鼻や口からチューブを入れてたんをすいとる時、いたくってあばれるので体をおさえつけられました。何だか、何もかもが、いやなかんじでいました。

いつも目をさますと、母さんがとなりで唱題していました。「和実ちゃんのぜんそくは、ごう病と言って、ご本ぞん様しか治せないんだよ」と、話してくれました。私も、「早く元気な体にしてください」と祈りました。ご住しょく様やおく様も心配してお見まいに来てくれました。とってもうれしかったです。闘病へいゆのご祈念をしてくださり、げい下様へおねがいして、ごひふをご下付していただいてくださいました。とてもありがたい事なんだなと思って、毎日勤行、唱題を頑張りました。ふしぎな事に、それからは一度も入院していません。

私のお姉ちゃんは、毎日お寺の早朝勤行にさんかしてから学校に行っていました。私もいっしょに行きたくて、ようち園のさい後のころから、さんかできるようになりました。

小学校は、福岡教育大学ふぞく小倉小学校に合格しました。朝5時30分におきてお寺の勤行に行ってから、電車とバスで通っています。学校は、とても楽しくて、勉強も大好きです。全国の同じ学年の人が受けるしけんで一番になった事、ほとんど休まずに学校に行ける事、とてもうれしいです。お寺にさんけいして勤行、唱題を頑張ると、ご本ぞん様がごほうびをくださるとかんじました。いっぱい勉強して、お父さんの病院をつげるようになりたいです。

私は、こてきたいに入りました。毎日30分の唱題とれんしゅうがやくそくです。いつも、勤行、唱題、こてきと勉強で、あそべないけどやくそくを守って頑張ります。

私は、友達の有田君が病気で学校を休む事が多くて「信心をやったら私みたいな元気な体になるんよ」と話したいので、お寺のご祈念ちょうに名前を書いて話せるように祈ってます。

私は、ちほうぶのこてきのがっしゅくで、とてもいけない事をしてしまいました。その事をとてもはんせいしています。これからはご住しょく様のお話を良くきいて、正直ですなおな心で頑張っていきたいです。

#359 2020年01月07日 08:43:22

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#275への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

あと宗門問題を考えるを読んで思ったことは

江戸時代に作られた檀家制度によってお寺や僧侶は半分役所のようになり寺請証文発行を出す力をもち信者の生殺与奪の権利や自分たちの生活を支えさせる権力を幕府からもらってあとは宗教思想で信者をだましたり脅したりして葬式その他の儀式で金を巻き上げるという思考回路ができあがってしまったんですね cry

上記は日蓮正宗の事を言われているのでしょうか。文脈的には仏教全般の事だと思うのですが。


てつてつ さんの発言:

それで創価学会と日蓮正宗の間の真の問題とは教理がどうとかいうのではなく

上記の件、いきなり「それで創価学会と日蓮正宗の間の真の問題」と何の脈絡もなく書かれておりますが、「それで」の意味を教えて頂けませんでしょうか。


てつてつ さんの発言:

それで創価学会と日蓮正宗の間の真の問題とは教理がどうとかいうのではなく「それは単に自分たちを正当化する理由付けに過ぎないと思います」正宗は江戸時代からのこうした思考回路から学会その他の信者をみているし 学会員は宗教思想から良いと思って入信していたが実際はそうではなかった というのが問題になっているのだと感じました 筆者も大体そういっていると思います

上記の件、創価学会会員に「学会員は宗教思想から良いと思って入信していた」と言ってみて下さい。失笑されると思います。

また、「それで創価学会と日蓮正宗の間の真の問題とは教理がどうとかいうのではなく「それは単に自分たちを正当化する理由付けに過ぎないと思います」」の「それは単に自分たちを正当化する理由付けに過ぎないと思います」はどちらの言い分なのでしょうか。肝心なことが抜けております。


てつてつ さんの発言:

さすが富士の清流を守る仕組みは江戸時代からの固定観念をそのまま変わることなく引き継いでいるのですね  kiss

上記の件、「富士の清流を守る仕組み」とは何でしょうか。いきなり書かれてもわかりません。
他人に読まれることを前提とした掲示板に書き込むのですから、他人にも分かりやすくお願い致します。

#360 2020年01月07日 19:16:23

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#278への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

>上記の「実態 日顕宗を切る1」というのは非売品なのでしょうか。検索しても見つかりませんでした。
また、この内容は誰の発言なのでしょうか。誰の発言かも分からない、巷に売っている書籍でもなければ確認のしようがありません。

すみません 切る が本当は 斬る だったようです cry
アマゾンで1-3まで売ってますのでぜひシュウイチさんも購入して調べてください kiss

上記の件、購入したのであればこの様な間違いはないと思うのですが。しかも何度も間違えていたと思います。ネットに転がっている文章をコピペしたのではないでしょうか。しかも「本当は 斬る だったようです 」と自分が購入したのに「ようです」と推測しております。これは、ネットの出所不明の情報をコピペばかりしているので、断定しない癖がついてしまったのでしょうか。

また「シュウイチさんも購入して調べてください kiss 」とありますが、私が何を調べるのでしょうか。いつも顔文字が虚しく見えますがこの絵文字は更に虚しく見えます。


てつてつ さんの発言:

>また、日顕宗、とは日蓮正宗とどの様な関係なのでしょうか。宗教法人ではないようですが。

シュウイチさんは偉い! ちゃんと正宗のマニュアル通りに答えてますね kiss

宗務院の公式文書より

上記の「宗務院の公式文書」とは具体的に何をさすのでしょうか。せめてタイトルくらい書いてはどうでしょうか。ネットに転がっている情報にタイトルが無かったから書けないのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

まず、「日顕宗」という呼称ですが、このような名称の宗団は、日本にも世界中のどこにも存在しません。架空の呼び名です。彼等はこの架空の名を喜んで使っているのですが、実体がないもの、実在しないもの、架空の議論の一切は、虚偽の論と断ぜられます。つまり、創価学会は、こういう架空に基づく虚偽を平気で語る、ウソつき団体なのです。もし、学会員がひとことでも「日顕宗」と言ったら、直ちに「ないものを言う、創価ウソつき団体だ」と責めましょう。もし学会員が「日顕宗とはあだ名だ」などと言ったら、ただ「あだ名には必ず実名がある。実名はなんだ」と質しましょう。詰まって「実名などどうでもよい。あだ名でたくさんだ」と言ったら、それこそ「だから学会員は池田と同じウソつき、傲慢、恥知らずなのだ」と追求してよいのです。ともかく、この世の中に全くない「日顕宗」という言い方は、創価学会が、日蓮正宗に帰依しきれず、また、日蓮正宗から離れきれない矛盾を抱えているからです


という返事をするように指示されていますね


日顕宗といういいかたは 清く正しいはずの日蓮正宗がバカ殿 日顕のためにむちゃくちゃにされてそれを皮肉って日顕宗と呼んでいるだけだと思いますが cry

上記の件、その様に侮辱した呼び方は創価学会しかしていないのではないでしょうか。
また、「むちゃくちゃにされて」とはどの様な事でしょうか。日蓮正宗の教義は七百年の間何も変わっておりません。その日蓮正宗を信じて60年間信徒団体として時の法主に信伏随従し、功徳を頂いたと言っていたのは創価学会です。
そして、「清く正しいはずの日蓮正宗」とは何をもっててつてつさんは、思われたのでしょうか。てつてつさんは日蓮正宗に対してはほぼ悪口しか言われておりません。

#361 2020年01月07日 20:04:33

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#281への書き込みです。

下記の質問にも答えますので、てつてつさんも私の今までの質問にお答え下さい。

てつてつ さんの発言:

シュウイチさん書き込みありがとうございます
ところでシュウイチさんは開眼したご本尊としていないご本尊はどこがちがうと思いますか?

上記の件、見た目は変わらないと思います。御法主が御認めになられたという事が最大の違いだと思います。


てつてつ さんの発言:

あとシュウイチさんは見分けがつきますか?

上記の件、私は見分けることはできません。ですので、御僧侶に伺います。

#362 2020年01月07日 20:35:44

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

さやか666 さんの発言:

京都産業大学

佛教大学

創価大学

富士ガクリン



どの大学の情報がシュウイチさんの御眼鏡に適った根拠となりえますか



今回、創価さんは話題の前傾ナイキを履かずに参戦しました

女神ニーケ由来の靴を履くと死後硬直しますか?

#363 2020年01月08日 08:23:25

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#283への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

さやかさん>クリンチ的なやりとり

本当にさやかさんは本質をつく言葉がうまいですね kiss

自分もこんな言葉尻をとらえてなんとか反論しようとするような書き込みよりたとえば自分がこのトピの♯176で書いたような 法華経は大乗の代表的な経典で

「釈迦の仏教」と、私たち日本人が信仰している大乗仏教とでは、じつは教義の内容がまるで異なっているのです。もともとあった「釈迦の仏教」にのちの人が手を加え、オリジナルの教えとは別のものとして、日本や中国に伝わったのが大乗仏教

などについてきちんと 法華経は釈迦の最初の教えを正しくうけついでいることを根拠あげて反論して正宗の堂々たる横綱相撲を見せてほしいものです cry

上記の件、てつてつさんは、私の問い掛けに答えないのに、質問や「反論」を希望する書き込みをされています。今までの私の書き込みに答えて頂けますと少しはてつてつさんの望まれる事が分かると思います。まずは、「釈迦の仏教」とはどの様なものか教えて下さい、との趣旨のことを以前にも書きましたので、これからお答え下さい。
それとも、また、質問だけして遁走されるのでしょうか。

折角、わざわざトピックを立ち上げても、再度、遁走されたとしたら恥の上塗りとなるのではないでしょうか。

#364 2020年01月08日 08:34:24

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#287への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

てつてつ さんの発言:
ちょっとネットみていましたら

>ちょっとではなく、年がら年中ネットを見ているのではないでしょうか。

>上記の「一部引用」は、ずれているのではないでしょうか。
最近、この様な間違いが多くなってきたのではないでしょうか

以下色々な質問が書かれていますが 何度も申し上げていますように 質問ばかりしてクリンチするのではなくご自分で調べてちゃんとした根拠のある反論をこのトピに書けばそれでよく みなさんさすが正宗の方はちがうわーと感心されると思いますよ kiss

上記の件、質問の前提となる事を確認しております。また、根拠を書かない事に対して根拠が何か確認しております。お答えするには正しく質問を理解しませんと正しいお答えができませんので。
また、仏教を殆ど知らないてつてつさんの書き込みには意味が通じない言葉がありますので、それらの確認もしております。恐らくネットの情報を何もわからずにコピペされたのではないでしょうか。

#365 2020年01月08日 08:44:31

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

てつてつ>日顕宗といういいかたは 清く正しいはずの日蓮正宗がバカ殿 日顕のためにむちゃくちゃにされてそれを皮肉って日顕宗と呼んでいるだけだと思いますが  cry

シュウイチさん>「むちゃくちゃにされて」とはどの様な事でしょうか

一例 自分の師の日達上人の考えを知っていながら気に食わないので莫大な寄付をムダに使って全部壊して自分の気に入ったものに作り変えさせた 当時で300億以上今日では2000億以上かかるといわれているようです


日蓮正宗落日の真相 233ページあたり

日達上人は、あの大坊や客殿の焼失という痛恨事を教訓として、また、他宗の堂宇焼失を他山の石として、大石寺の大改修はいかにすべきかを衆議にかけ、根本的な考え方を決められたのである。その結論は、新しく建てる建物はコンクリート造りの近代建築でなければならない、というものであった。


今度の御宝蔵の建築は第五十宗会に宗会から提案された請願書の『土蔵造は既に現時においては耐震耐火の最なるものとは申されません。現在の僧俗が現在の最高の質量と技術を以てあらゆる外患から大御本尊を守護申上げるはその責任であり(中略)外部の悪条件から完全に御守護申上げることのできる鉄筋コンクリート製の近代的宝蔵で』の意志を尊重して設計せられたのである。どうか宗門の識者、旧様式の破風造にのみ執着せられず、新様式の美しさにも御寛大であらんことをお願いするのである」(「大日蓮」昭和三十年七月号)

あと何度もいっているとおり自分にはわからないこともたくさんありますので 質問に答えることができないところもたくさんあります そこはシュウイチさんがご自分で資料を調べるなりしていやここはこのように違いますよと書き込んでいただければそれでよいかと思います

編集者 てつてつ (2020年01月11日 13:02:55)

オフライン

#366 2020年01月08日 14:24:17

ミカエル
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

日蓮正宗は、褒められるものではありません。

身延山 久遠寺 が、正当な、日蓮聖人の系列です。

その他の 日蓮宗派は、悪です。

ましてや、創価学会は、日蓮正宗すら、足蹴にしたのです。

悪魔の組織です。

#367 2020年01月08日 19:45:24

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#293への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

シュウイチさん>日顕宗などという宗教団体はこの世に存在しません


でちょっと思い出したので オマケ

日蓮正宗が実際には存在しない つまり自分たちでつくった法教院 大学といっているが国から大学として認められていない ものを「フジ・ガクリン・ユニバーシティ-」という大学の名前にして インド政府をだまそうとした件

日顕は諸外国に僧侶を駐在させる手段として、留学を奨励した。どの国でも駐在用のビザを取得するのは容易ではない。そもそも受け入れをする日蓮正宗の法人がほとんどない。あったとしても国によっては法律的なハードルが高い。それに比べて学生ビザは大学に入学すれば誰でも取得できる。語学も上達するから一石二鳥であると考えたのだ。しかし、留学する場合、日本の大学の在学証明書や卒業証明書が必要な場合がある。ところが正規の大学ではない法教院では証明書が発行できない。もし、そんなことをすれば国法を犯すことになる。しかし、その〃まさか″ということが現実に起こった。宗門は教団ぐるみで〃学歴詐欺″を行い、韓国の延世大学やインドのデリー大学の大学院に所化を入学させようとしたのである。その手口は巧妙であった。宗門は「富士学林大学科」を「フジ・ガクリン・ユニバーシティ-」と詐称し、あたかも正規の大学を卒業したかのような卒業証書を偽造した。

上記の件、偽造した卒業証書をお見せください。たまには最初に根拠となるものを提示してはどうでしょうか。


てつてつ さんの発言:

その偽の卒業証明書には、履修した科目や成績までが付され、ローマ字で学林長・八木信螢のサインが記されている。さらに、その卒業証明書には、「教学士」という、あたかも〃学士号″に見える肩書きまで添えるという、手の込みようだった。宗門は海外であれば、偽の卒業証明書でも通用するであろうとタカをくくっていた。確信犯である。しかし、その悪巧みは露呈し、新聞沙汰になって世間を騒がす結果となった。平成十一年(一九九九年)、宗門は二人の学生にこの偽の卒業証明書を持たせ、インド国立デリー大学大学院に入学させようとしたが、デリー大学当局の事前の調査で、この不正入学工作が発覚し、新聞でも報道された。ヒンディー語の夕刊紙「サーンディア・タイムス」は九月三十四日付の紙面で次のように報道している。「デリー大学には外国人による入学申請には大使館の承認が必要であるとの規定がある。大使館は二人が提出した卒業証書には虚偽があるとして、承認を拒否した」また、英字紙の「ザ・ヒンドゥー」も、十月四日付で、「デリー大学は学歴を詐称して願書を申請していた二人の日本人学生の入学を取り消した」として次のように報「二人の学生は正式な入学願書に『フジ・ガクリン・ユニバーシティ-』の卒業生であると記入。

上記の件、「サーンディア・タイムス」では「入学申請には大使館の承認が必要」と、「申請」時の事が書いてあり、「ザ・ヒンドゥー」には
「入学を取り消した」と申請を受理して入学を許可したものを「取り消した」と双方には矛盾があります。それらの説明をお願い致します。


てつてつ さんの発言:

しかし、そのような名前の大学は日本に存在しないことが発覚した。大学を名乗っているが、実際は日本では大学として承認されていない」

上記の件、確認したいので「フジ・ガクリン・ユニバーシティ-」と記載されている全体の提示をお願い致します。またこの記載についての説明はなかったのでしょうか。

#368 2020年01月08日 20:06:40

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#296への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

おおおーさやかさん 瞬時に書き込みすごいです yikes シュウイチさんもニアミスしそうでしたね kiss


オマケ2 ケツバット スペシャルトマホーク 蝶々


筆者 あとがき

上記の著者とは誰のことでしょうか。引用するなら最初に著者名と書籍名を書くべきではないでしょうか。これは著者に対する当然のマナーだと思います。
てつてつさんは、他人の著作を引用させて頂いている、との自覚が無いようですね。
違法行為が見つかったら遁走するのでしょうか。

てつてつ さんの発言:

私は拙著『転落の法主』で「C作戦」を中心に、日顕の邪な信徒支配の野望の実態を書かせていただいた。しかし、なぜ宗門にいる他の僧侶たちまでが、簡単に日顕に従ってしまったのか。その答えを説明するためには、僧侶の教育の実態を描かなければならない。また、宗門内外の多くの人々に宗門事件の背景を理解していただくためには、僧侶の生活の実態を知っていただかなくてはならない。そのためにはどうすればよいかと考えた末に、私はこの小説を書くことを思いたった。

上記の件、「小説」にせず実名のドキュメントにすべきではないでしょうか。事実であるならそのまま書けば良いと思います。どうしてフィクションにしたのでしょうか。訴訟に負けるからでしょうか。実に不自然です。

てつてつ さんの発言:

登場人物の一部は仮名であるが、すべて、現実にあった体験を基にしている。


実録小説 大石寺・大坊物語  より

上記の件、「すべて、現実にあった体験を基にしている。」であるなら、尚更、ドキュメントとすれば良いのではないでしょうか。

#369 2020年01月08日 20:28:56

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#298への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ ちょっとググッたら本当にあるんですね びっくりしました さやかさんのムダ知識がハンパないです kiss


シュウイチさん>大乗非仏説は後世の学者が文献だけで判断して決めつけている戯論なのです。

さすがNHKの教科書もシュウイチさんにかかればボロカスですね cry

上記の件、「NHKの教科書」とはどの様な意味でしょうか。私は「NHKの教科書」との認識はありません。

また、私は大乗非仏説に対して「大乗非仏説は後世の学者が文献だけで判断して決めつけている戯論なのです。」と言ったのであり、てつてつさんが勝手に「NHKの教科書」についての事にすり替えてます。

遁走の次はすり替えですね。
その次は切り文でしょうか。

#370 2020年01月09日 05:31:29

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチ博士、富士ガクリンでもフジ学林でもいいのですが

否定されていませんね

大学の真似事のようなモノが存在するのですね

どんな素晴らしいゴッコ大学なのか教えてくださーい


これは博士の腕の見せどころですよ

#371 2020年01月09日 05:33:59

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ちなみにハッピーサイエンスは

人間幸福学部
経営成功学部
未来産業学部
未来創造学部


四つの学部があります

ホケガックリーンは学部何個あるの?

#372 2020年01月09日 05:42:01

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

てつてつ さんの発言:

おおおーさやかさん 瞬時に書き込みすごいです yikes シュウイチさんもニアミスしそうでしたね kiss


オマケ2 ケツバット スペシャルトマホーク 蝶々


筆者 あとがき

私は拙著『転落の法主』で「C作戦」を中心に、日顕の邪な信徒支配の野望の実態を書かせていただいた。しかし、なぜ宗門にいる他の僧侶たちまでが、簡単に日顕に従ってしまったのか。その答えを説明するためには、僧侶の教育の実態を描かなければならない。また、宗門内外の多くの人々に宗門事件の背景を理解していただくためには、僧侶の生活の実態を知っていただかなくてはならない。そのためにはどうすればよいかと考えた末に、私はこの小説を書くことを思いたった。登場人物の一部は仮名であるが、すべて、現実にあった体験を基にしている。


実録小説 大石寺・大坊物語  より




面白過ぎます、ホケワード並べて快感に浸ってキマってるシュウイチさん

男性社会も大変ですね

#373 2020年01月09日 08:23:31

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

さやかさん>大学の真似事のようなモノが存在するのですね
どんな素晴らしいゴッコ大学なのか教えてくださーい

実録大石寺大坊物語
大学科の失敗

松田は大坊の小僧たちが勉強意欲を失っていく様を見て、「おそらく大坊の中高生の学力は落ちていく一方だろう。法教院を作ったことが致命的な問題になる」と予感していた。彼は青年得度だが、教学力を認められて本山の歴代室に勤務していた。この歴代室は歴代法主全集発刊のための資料研究などを行う部署である。法教院が出来たため、大坊の高校生は一般の大学を受験するという目標がなくなり、勉強する必要性を感じなくなっていた。もちろん、法教院にも入学試験はある。しかし、それは試験と呼べる代物ではない。小僧たちは高校三年生になると学衆課から一冊の市販の問題集を渡される。法教院の入試問題はその問題集の問題がそのまま出るので、答えを丸暗記すればよいのだ。松田の予感は的中した。高校生たちは「問題集を覚えるだけだから、入試の一カ月前でも十分に間に合う」と言いだし、まったくといっていいほど勉強をしなくなった。それは中学生にも影響を与え、それまでは富士宮のトップクラスの高校にも合格する者もいたが、年々、合格する高校のレベルが下がっていった。普通科に入れない者も増えていった。

編集者 てつてつ (2020年01月09日 08:37:49)

オフライン

#374 2020年01月09日 08:23:39

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#305への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

てつてつ さんの発言:
講師 もちろんです。ただ歴史的視点で見ると「大乗仏教は、本来の釈迦の教えとは異なる別個の宗教である」ということだけは、最初に理解しておいていただきたいのです


シュウイチさん>上記の件、ここでは「本来の釈迦の教え」がどの様なものか記載がありません。教えて頂けませんでしょうか。

このトピの♯26あたりの書き込みがそれにあたるのではないでしょうか

上記の件、「ないでしょうか」と、私に聞かれても困ります。ご自分の発言の正しさを私に聞いてどうするのでしょうか。ご自分で何を書いているのか分かっておられないようですね。


てつてつ さんの発言:

抜粋

もともとの仏教の教えとはかなり異なっているのです。たとえば、お金でお布施をもらう、結婚して子どもをつくる、お酒を飲む、お寺に来た人から僧侶が直接拝観料を取る。これらは皆、律によって禁じられた行為なのです。

青年しかし、最初から今のような状況ではなかったはずですよね。何がきっかけで日本の仏教は変容したのですか?

講師 寺や僧侶の在り方が大きく変容したのは、明治期の「廃仏殿釈運動」がきっかけです。維新政府が神仏分離令を命じて神社と寺院を分離させ、神道を国家宗教にしようとして仏教を弾圧したのを境に、一気に世俗化の波が日本の仏教に押し寄せることになったのです

上記の件、「本来の釈迦の教え」を教えて欲しいと書いたことを認識されているでしょうか。変わった後、ではなく、変わる前、です。何を焦っておられるのでしょうか。最近てつてつさんはこの様なことが多くなったと感じます、私の気のせいだと思いますが。


てつてつ さんの発言:

暗黒の富士宗門史 137ページあたり

政府の布告を口実に僧侶が妻帯明治政府は、明治五年(一八七二年)四月、「僧侶の肉食妻帯蓄髪は勝手たるべきこと」とし、法要の時のほかは俗服を着用してもよい、という太政官布告を出しています。それ以後、「お上が許したのだから」という口実となり、諸宗の僧侶が公然と妻帯をするようになりました。
そのため、この布告が僧を堕落させたとして、布告の撤回を求める強い抗議がされたので、政府は明治十一年二月に、肉食・妻帯・蓄髪を従来は国法で厳禁していたのを廃止するという趣旨であり、各宗の宗規もこれに則れと命じたものではない、という通達を出していますが、もう手遅れでした。江戸時代に、僧侶の女犯(戒律を破って女性と関係すること)は幕府によって厳しく取り締まられ、女犯の僧に対する処罰は厳しく、寺持ち(住職)の場合は遠島(島流し)になり、所化僧の場合は晒し者にされたうえで寺から追放されました。幕府はさらに女犯の僧を流罪にし、江戸では日本橋のたもとで晒し者にしました。僧の堕落は、幕府の権力によってかろうじて止められていたのです。それが一転して、政府が妻帯を認めたのですから、堕落していた僧侶が喜んで妻帯するようになったのは当然ともいえました。




日興上人は、遣誠置文の中で、「先師・大聖人のように、私(日興上人)の(門下の)化儀も聖僧であるべきである」と定めています。「聖僧」とは、「清僧 とも書いて、妻帯・肉食をしない僧をいいます。ですから、この遺誠は、大聖人、日興上人が、僧侶の「妻帯」を絶対に許されていないという明確な文証なのです。大聖人御自身が、「日蓮はさせる妻子をも帯せず魚烏をも服せず」(御書九三六埒)と仰せのように、妻子を持たれず、肉食すらされませんでした。また、門下の最蓮房に対して、「僧となったからには、権宗の者であっても妻帯・肉食をしてはならない。いわんや、正法の修行者においては、なおさらである」(一三五七汗)と教えられています。堀日亨上人は、「(妻帯を含む)現今の在家同然の僧行(僧の振る舞い)」は一時の変体(異常な状態)」であって、「宗祖開山時代の常態(正常な状態)に帰るべきを祈るものである」(富士日興上人詳伝)と述べています。現在のように、本来、「出家」して世俗の生活を離れたはずの僧侶が、在家と同じに妻帯しているのは「変体」であり、「僧の姿をした在家」でしかないのです。それだけで大聖人・日興上人の教えに違背しており、出家(僧侶)としての資格を失っています。日顕をはじめその一派は、「余が末流ではない」と大聖人、日興上人に「破門」されているのです。

上記の件、「化儀も聖僧であるべきである」と「化儀」についてのことであります。「化儀」が何かご存じないと思いますので、お調べになってはどうでしょうか。

また、「(一三五七汗)」とはどの様な意味でしょうか。

そして、てつてつさんは、「(富士日興上人詳伝)」の文の前後の文章をお読みになられたのでしょうか。また、切り文、という言葉をご存じでしょうか。


てつてつ さんの発言:

自分は別に僧職者が妻を持つことには反対しているわけではありませんが 釈迦や日蓮の教えと比較しろというなら 正しく教えをまもってはいないと思います

上記の件、では、日蓮大聖人が、僧侶は妻帯してはいけない、という事を御示しになられているのでしょうか。
日蓮正宗のことを何も知らないてつてつさんがどの様なことで日蓮正宗の「僧職者が妻を持つこと」に対して「正しく教えをまもってはいない」との判断をされたのでしょうか。また反日蓮正宗の人たちの情報だけで判断されているのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

ところでシュウイチさんは釈迦や日蓮大聖人様 また正宗の創立者日興上人が妻を持つことを禁止していたことには同意されますか?

上記の件、「正宗の創立者日興上人」とはどの様な意味でしょうか。

また、「日蓮大聖人様 また正宗の創立者日興上人が妻を持つことを禁止していた」とありますが、具体的にどのように禁止されていたのでしょうか。重ねて書きますが、具体的にお書きください。

#375 2020年01月09日 08:50:21

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#307への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

どこだったか忘れましたけど 誰かの死に顔が 目がチョンとしていて 安らかな死に顔でした という書き込みがあったかと思いますが

この仏教で死に顔がどうかということを大変気にすることは 江戸時代の檀家制度の名残かと思いました

暗黒の富士宗門 91ページあたり

檀家制度で重要なことは、僧侶は、寺に所属する檀徒が死亡すると、その死相を見届け、檀那に間違いない(キリスト教徒でない)ことを確認してから戒名を授け、引導を渡すことが義務ずけられたことでした。そのため、葬儀には「僧侶を呼ぱなければならなかった」のです。僧侶を呼ばなければ、キリシタンの疑いをかけられ、極刑に処される恐れすらあったのです。

上記の「檀家制度」はどこの宗派のことでしょうか。

また、「義務ずけ」とは「義務づけ」のことでしょうか。

仏教では輪廻が説かれておりますので、死の状態が次の生に繋がっております。ですから、死の状態を見て次の生のことがわかります。これらは仏教の根本的な事であり「死に顔がどうかということを大変気にすること」は「江戸時代の檀家制度の名残」のような途中から始まった事ではありません。

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