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#326 2019年12月25日 19:17:26

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

クリスマスは謗法ですか? – 日蓮正宗法華講宝相寺支部ページ
http://hokkekou.com/siori/kurisu/

何を信じるも自由ですけど、これは…



一部だけ転載します。
もちろんクリスマスも謗法との事です。


ただ大聖人様、御本尊様を信じ、一生懸命に御題目を唱え、弘めることによって、世界中のすべての人々が幸せになれるのです。

間もなくお正月を迎えます。

お正月といえば、テレビで謗法の神社やお寺にたくさんの人が行列を作って参拝している姿が放送されますが、これも謗法の姿です。

皆さんは、必ず日蓮正宗のお寺の元旦勤行に家族で参加して、一年の決意を御本尊様にご報告いたしましょう。

今年も残りわずかです。毎日朝夕の勤行と唱題を真剣に行い、間違った教えに迷わされない強い心になって、折伏に励んでいきましょう。

#327 2019年12月26日 07:35:15

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

道理のある遁走

フジガクリン仕込みのクリンチ

扇子を振るオジサンを幸せだと結論づける


ありがとうございましたどうみてもカルトです

#328 2019年12月26日 10:45:32

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

サヨウナラ  シュウイチさん

この意味  通じていますかぁ?

もう一人のかたにも   サヨウナラ
もう  取り巻きがいなくて  さみしいねェ

オフライン

#329 2019年12月27日 07:50:30

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#230への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

100分 大乗仏教 126ページあたり

不思議なことに浄土教では、次第に「ブッダになること」ではなく、「極楽浄土に往生すること」を最終目的と考えるようになっていったのです。もちろん最初は悟りが目的だったことは間違いありません しかしやがてその目的は「救われること」に変わっていきます。ここで言う「救われること」とは、悟りを開いて涅槃に至るのではなく、楽しくてきらびやかで不自由のない生活を永遠に続けられるようになることです。「無量寿経』や『阿弥陀経』には「極楽浄土とは、苦しみも悲しみもない世界であり、すべての人は宝石に飾られた宮殿に住み、究極の楽園生活を送る」といったことが書かれていたため、人々はその部分ばかりに注目するようになり、いつしか極楽にたどり着くことが最終目的であると考えるようになったのです。


てつてつ なんだか証人が最終目的は楽園に行くことみたいですね


青年 今のお話をうかがっていると、「極楽浄土」とは、キリスト教の「天国」と同じようなものに思えてきたのですが……


ここまで変容してしまうと、「釈迦の仏教」とは似ても似つかないものです。あなたがおっしゃるように、浄土教は仏教と言うよりも、キリスト教に近い教えになっていったと言えるかもしれません

青年 なるほど。貧困に喘いでいる人たちは生きることだけに精一杯で、人のために何かをしよう(善行を積もう)などと考える余裕もないし、修行する時間などなかったはずですよね。そんな人たちの救いとなったのが浄土教で、...

ただし、じつはこの考えは裏腹で、危険思想につながりかねない面もあります。「阿弥陀様を信じて死ねば、極楽浄土に往生できる」というのは、現世の生活に苦しんでいる民衆にとっては「救いの思想」ですが、国家を統治する側からすれば「やっかいな思想」ともとらえられたのです。

青年死んだあとは極楽浄土に往生したいという考え方の、どこが危険思想なのですか

今あなたがおっしゃったように、極楽浄土の存在を本気で信じれば、死ぬのが怖くなくなりますよね。極楽に行けると思えば命も惜しくなくなるので、どんな強い相手にも立ち向かっていける。捨て身になった人間ほど恐ろしいものはありませんから、為政者にとっては脅威になります。「今の生活が苦しいのは国を動かしている権力者が悪い」と思って、浄土教系の信徒)である民衆が一斉に立ち上がれば、誰にも押さえられなくなってしまうのです。それが現実となったのが戦国時代に勃発した「一向一揆」です。

浄土教は「他力本願」を基本としているため、決まりごとの少ない「ゆるい宗教」のように私は感じていたのですが、一歩間違えると、危険なほうに向かう可能性を秘めているということなのですね。

講師キリスト教もユダヤ教も、イスラーム教もヒンドゥー教も、我が身のこととして教えを突き詰めていけばいくほど、必ずそうした面が出てきます。絶対神や外部の救済者を崇めるタイプの宗教には、多かれ少なかれ、そういった捨て身の行為をよしとする側面があるのです。


あなたのおっしゃっていることもよくわかります。しかし、誤解を恐れずに言うならば、一つの教えを無条件に信じて狂信的にならなければ、本当に救われるはずなどないのです。信仰とはそういうものです。極楽往生を本気で信じて一向一摸の中で死んでいった人を、今の私たちは不幸ととらえがちですが、じつは本人たちは幸せだったのではないでしょうか。亡くなって本当に極楽に行けたかはわかりませんが、少なくとも「自分は幸せだ」と感じながら死んでいった人も多かったと思います

上記の件、御釈迦様の一部の教えと、著者の片寄った考えだで判断すると上記の様な捉え方になると思います。

この著者の宗派である真宗(浄土真宗)がどの様なものか下記に記します。

大白法・平成7年2月1日刊(第425号)仏教各宗破折(2)より転載、一部省略。ルビが混入してるかもしれませんが、ご了承願います。

浄土真宗(真宗)

概論

浄土真宗は、法然(1133~1212年)が開いた浄土宗から分かれた親鸞を開祖とする宗派です。
「浄土真宗」との名称は、明治五年から用いられており、単に「真宗」とも呼ばれています。それ以前は「一向宗」、または「門徒宗」等とも呼ばれていました。

① 親鸞について

親鸞は、一一七三年、藤原氏の支族である日野有範の子として誕生しました。
九才の春に出家し、比叡山において修行をした親鸞は、建仁元年(1201)に比叡山を下山して、京都東山吉水にいた浄土宗の開祖・法然の門弟となり、専修念仏に帰依しました。
承元元年(1207)、親鸞が三十五才の時、興福寺などの訴えにより、朝廷は念仏停止の勅令を発布し、法然をはじめ浄土宗の門弟を流罪に処しました。この時、親鸞も越後国分(現在の新潟県上越市直江津外れ)に流されています。
この流罪により親鸞は還俗させられ、藤井善信との俗名を名乗って非僧非俗の立場をとり、流罪中に恵信尼と結婚して、四男三女の子をもうけています。
建暦元年(1211)流罪赦免後は、しばらく越後に住し、四十二才頃、家族を伴って関東におもむき、上野(群馬県)・下野(栃木県)・常陸(茨城県)の地で念仏を弘めました。
元仁元年(1224)、五十二才の時、常陸の稲田において『教行信証』(『顕浄土真実教行証文類』)を著述しました。
親鸞は、法然を開祖としていますので、特に浄土真宗の立宗の宣言はしていません。大正十年頃、立教開宗七百年記念法要(大正十四年四月)を執行するに当たり、『教行信証』を制作したとされる元仁元年を立教の年としています。
親鸞は六十才のころ京都に戻り、以後、著作活動を行うとともに、関東方面を教化しました。
弘長二年(1262)十一月二十八日、九十才で没しています。


本尊

阿弥陀如来

教義

浄土真宗の各派は、親鸞を開祖と仰ぎ、その本尊は阿弥陀如来とし、依りどころとする経は浄土三部経です。
本尊と依経は浄土宗と同じですが、法然と親鸞とでは多少教義が異なります。
法然は、『撰択集』に述べているように浄土三部経(『無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』)を中心として、人々の仏道修行は、阿弥陀如来の本願たる、ただ弥陀の名号を称えること、「称名念仏」の一行を専に修行することであるとし、浄土三部経以外のすべての経は一切無用であるとの専修念仏を教義としました。
これに対し親鸞は、法然を師とし、阿弥陀如来による往生を説きつつも、『教行信証』に見られるように、教とは『無量寿経』のみとし、行は南無阿弥陀仏、信は阿弥陀を信ずる心、証は行と信とにより得られる証果であるとします。
親鸞は、『無量寿経』が、阿弥陀如来の四十八願の中の第十八願こそが、真実の本願であることを説いた唯一のお経であり、この第十八願は、罪悪深重の凡夫が如来回向の信心で往生できる願で、「信心正因」の願であるとします。
親鸞は、人々が阿弥陀の本願によって救われる方法として、人間は罪悪の深いもので、自分で善を修することは到底できず、たまたま善が行われるのは阿弥陀如来の回向によるものであり、阿弥陀如来の本願回向の名号を聞信する以外にないとします。
つまり、法然の「称名念仏」という考え方とは少し異なり、人々が往生する方法は、ただ信の一念をおこすことであり、それにより極楽往生はすでに保障されるとするもので、称名念仏として現れる前の、「信心正因」を中心に教えを説きました。
これは、人間を極楽往生に導く仏を阿弥陀如来とする点では、法然も親鸞も一緒ですが、往生のためには修行と信とのどちらが先か、また、どちらが肝要かという実践・方法論においては、法然と親鸞はその教義に相違があるということです。
親鸞は、信の心がおこれば自然に念仏を称えるのであり、まず阿弥陀如来に対する信の一念ということを肝要としているのです。

  破折

① 阿弥陀仏は妙法蓮華経によって成仏する

阿弥陀仏を本尊と立てているが、阿弥陀仏はいかなる法によって成仏したのか、阿弥陀仏等の諸仏が妙法蓮華経によって成仏したことを知っていますか。どこにも、南無阿弥陀仏と唱えて正覚を得たとは説かれてはいません。あるというならば、その経証、仏説をあげてみて下さい。


② 釈尊に背く逆罪である

娑婆世界で、「皆成仏道」の法華経を説いた教主釈尊がいるのに、その主師親の三徳を具そなえた釈迦如来をさしおいて、西方にありとされる他土の極楽世界の阿弥陀如来を本尊にして信ずることは、有縁の主師親に背く逆罪というべきではないでしょうか。それとも実際に阿弥陀経等の教えを説いた教主釈尊は他人であり無縁というのですか。そういう経文があるならばあげてごらんなさい。


③ 法華経に悪人・女人の往生が説かれる

法華経には、諸経にない提婆達多の成仏や女人成仏が説かれています。浄土の三部経が真実の成仏の教えであるというならば、悪人・女人の往生の文証をあげられますか。


④ 法華経を毀謗する罪

念仏宗では、法華経等を「未有一人得者・千中無一」等と誹謗していますが、法華経には「この経を信ぜずに毀謗すれば、一切世間の仏種を断じ阿鼻地獄に入る」とあります。無量寿経等を毀謗すれば、これに勝る罪があるという文証がありますか。文証がなければ、浄土往生の教えを信ずる者が無間地獄の苦しみをうけることは間違いありません。


⑤ 法華経が釈尊出世の本懐である

法華経こそ真実最高の教えであり、釈尊の出世の本懐であることは、法華経の中で数多く説かれています。阿弥陀経などの浄土経こそ真実であり出世の本懐であり、法華経は方便であるというならば、その明確な文証をあげなさい。


⑥ 無間地獄の現証

方便・権教にすぎない無量寿経等によって、実教である法華経を誹謗する罪は重く、大謗法です。無間地獄は疑いありません。中国念仏宗の祖である善導が、首つり自殺をしたことを知っていますか。もしこの極楽往生のための自殺を認めるならば、念仏の信徒は、すべて祖師の教え、修行に従わなければならないことになりますがどうですか。あとに続かないとすれば師に背くことになりますがどうですか。


⑦ 自害の心生まれる

「善導と申す愚痴の法師が弘めはじめて自害をして候ゆへに、念仏をよくよく申せば自害の心出来し候ぞ」(上野殿御返事 御書746頁)
と仰せのように、念仏は、『自害の心』が生まれてくると指摘されています。


⑧ 無責任である

親鸞は
「念仏が浄土に生まれる種なのか、地獄におちる業なのか存知しない。法然聖人にだまされて、念仏して地獄におちても後悔しない」(歎異抄)
と無責任なことを言っています。彼は、大無量寿経が真実で、念仏で必ず往生できるとは言っていませんがどうですか。念仏を「地獄の業かもしれない」と言っているのです。


⑨ 根本悪である

とにかく、ありもしない西方浄土に往生するなどと説き、現実逃避を教えることは、人心を荒廃させ、退廃と悲惨を招く根本悪というべきです。


⑩ 無間地獄の業である

日蓮大聖人は「念仏は無間地獄の業」と、念仏こそ当時の時代社会を混乱させ、人々を不幸にする根源であると厳しく破折されているのです。
悩みの絶えない生活や、あきらめの人生を捨てて、力強い妙法の信仰に踏み込むべきです。

#330 2019年12月27日 08:09:32

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチさん書き込みありがとうございます 追及があまりにすごいのでちょっとシャバを捨てようかなーとフラフラーと行ってみました cry

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でもあんまり景色がきれいだったのでかえって元気になっちゃいました kiss

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オフライン

#331 2019年12月27日 08:14:35

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#237への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

>日蓮正宗がお金に執着していたら、創価学会を破門せず、創価学会の言いなりになり、お金を安定してもらっていたのではないでしょうか。お金に執着せず、仏法の正邪の上から正しいことを貫いたので、莫大なご供養が無くなっても創価学会を破門することを選んだのだと思います。
当時創価学会は1000万世帯(本当はもっと少ないと思いますが)と公称しておりましたが、その殆どが創価学会について行きました。
圧倒的に多い信者数、毎年数千億円集まるという莫大な資金力、町会議員から国会議員までいる政治力、創価学会会員の検事や弁護士、裁判官などの司法での影響などを考えれば、邪な組織であれば屈していたはずです。
しかし日蓮正宗は屈せずに創価学会を破門しました。
この事をどの様にお考えでしょうか。

多分日顕にとってはすでに宗門のお金は自由に使えるようになったので あとは学会のいうことを聞くのがいやだっただけだと思います お山の大将おれ一人!みたいな感じかと思います cry

上記の件、欲が深い人は際限が無く欲しるのでは、ないでしょうか。欲が深ければ日本だけではなく、世界中を日本のようにして、権力と財力を求めるのではないでしょうか。既にSGIという創価学会インターナショナルが世界各地にありますし。
また、毎年億単位のご供養や寺院建設やそのための用地の取得などを断るのは欲に執着していない証拠です。そして、それらが世界中で行われることを断ることも同様に欲に執着していない証拠です。


てつてつ さんの発言:

>上記の件、開眼が必要無ければ大石寺に送る必要などないと思います。どうしてわざわざ大石寺に送ったのでしょうか。それは開眼が必要だからだと思います。

ご本尊の独占が意外とオイシイことに気がついたのかもしれませんね  またはこれで学会の首根っこ押さえれると考えたのかも kiss

上記のお考えであれば、開眼が必要だと言うことになります。開眼は不要ではなかったのでしょうか。開眼が必要だということを認めたくないのでこの様な悪あがきをお書きになられたのでしょうか。

#332 2019年12月28日 15:46:36

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#238への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

100分 大乗仏教 176ページあたり

律を取り入れなかった日本の仏教

最初の方はサンガつまり僧侶の集団を維持するために律「サンガを維持するためのルール」が禅宗にはなかったことが書かれています

その律のひとつに釈迦の仏教では仏になるための修行のために働かないで周囲の好意に依存して生きるように定めた ものがあります

てつてつ ああそれで時々お坊さんが托鉢に回っているわけですね

講師 ずいぶん前に解説しましたので、念のためにもう一度説明しておきましょう。僧侶というのは悟りを人生の目標として暮らす人たちですから、仕事をせずに全エネルギーを修行に費やします。そして生活の糧はすべて、周囲の一般社会からの好意に依存するのです。ですから「私たちは皆さんだけを頼りにして暮らしています」という真筆で謙虚な姿を社会に対して示さねばなりません。自分たちで食料を自給しながら、そのうえさらに托鉢でご飯を集める、などということをすればたちまち世間から批判されてしまいます。ですから釈迦は、仏道修行者は人様からもらったご飯しか食べてはならない、と律の中で決めたのです。...

上記は、小乗の場合ではないでしょうか。
「僧侶というのは悟りを人生の目標として暮らす人たちですから、」よりも、他者を悟りに導くことを人生の目標とするべきであり、他者のことを考える菩薩の振る舞いをすることで己の成仏も叶うのではないでしようか。
また「僧侶というのは悟りを人生の目標として暮らす人たちですから、」は己の事しか考えない小乗(成仏するための小さい乗り物)の考えであり、己の成仏よりも他者の成仏を考える大乗(成仏するための大きい乗り物)の方が優れているのは言うまでもありません。


てつてつ さんの発言:

じつは、そこが問題です。日本の場合、禅宗はむしろ、律を守って暮らしていた昔のサンガにかなり近い形態を持っているのですが、他の仏教宗派では禅宗以上にそういった面が希薄となり、律を持たないままで現在に至っているのです

上記の件、先程は「最初の方はサンガつまり僧侶の集団を維持するために律「サンガを維持するためのルール」が禅宗にはなかったことが書かれています」と書きながら今度は「禅宗はむしろ、律を守って暮らしていた昔のサンガにかなり近い形態を持っているのですが」と真逆のことを言われております。どちらが正しいのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

仏教が誕生して以来、「釈迦の仏教」も大乗仏教も関係なく、いかなる時代、いかなる宗派においても律は重要なものとされてきました。十七条憲法の有名な言葉で「篤く三宝を敬え」というのがありますが、三宝とは「仏・法・僧」で、仏教はこの三つがセットで成り立っています。「仏」は悟りの体現者であるブッダ(釈迦)、「法」はブッダが説いた教え、「僧」はブッダの教えを学ぶ僧集団、つまりサンガを意味します。どれが欠けても仏教とは呼べないので、サンガを維持していくためのルールとしての律は絶対に不可欠なものと考えられていたのです。

上記の件、それも小乗の考えではないでしょうか。
「仏教が誕生して以来、「釈迦の仏教」も大乗仏教も関係なく、いかなる時代、いかなる宗派においても律は重要なものとされてきました。」とありますが、正像と末の時代では全く違います。


てつてつ さんの発言:

青年 それほど律が仏教にとって大切なものだとしたら、なぜ日本の仏教は、律を持たないままで発展したのですか?

講師 中国から日本に仏教が伝わった際に、律が導入されなかったのが原因なのです。中国の場合、確かに禅宗のように本来的に律を用いない仏教集団もありましたが、国全体としては、「サンガは律によって運営されるべきもの」という通念が定着していました。中国仏教は間違いなく、律を重視する世界だったのです。ところがそれが、日本へ入ってきた時に大きく崩れ、日本だけが律なき仏教国になったのです。
どうしてそんなことが起こったのかというと、前にもお話ししましたが、もともと日本の仏教は鎮護国家を目的にしていたからです。奈良時代の仏教は国家のために奉仕することを目的として導入きれたので、サンガという独自の組織を持つことが許されませんでしたそうなるとサンガという組織を布施で維持していくためのルールなどは必要ありません。それで日本には律が導入されなかったのです。

講師 先ほど仏教は「仏・法・僧」の三つで成り立っているというお話をしましたが、律が導入されなかったということは「仏・法」の二つだけで日本の仏教は成立していることになります。

上記の件、その様に考えるのは著者だけではないでしょうか。自分が僧侶であることをお忘れのようですね。

てつてつ さんの発言:

じつは、この状況は非常に特殊なものです。日本のお坊さんやお寺しかご存知ない方は、今のお寺の在り方に疑問を抱くことはないと思いますが、もともとの仏教の教えとはかなり異なっているのです。たとえば、お金でお布施をもらう、結婚して子どもをつくる、お酒を飲む、お寺に来た人から僧侶が直接拝観料を取る。これらは皆、律によって禁じられた行為なのです

上記の件、正像と末の時代では全く違います。
また、「もともとの仏教の教え」や
「釈迦の仏教」など何を指しているのかわかりません。書籍でしたら用語の統一くらいすべきではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

青年しかし、最初から今のような状況ではなかったはずですよね。何がきっかけで日本の仏教は変容したのですか?

講師 寺や僧侶の在り方が大きく変容したのは、明治期の「廃仏殿釈運動」がきっかけです。維新政府が神仏分離令を命じて神社と寺院を分離させ、神道を国家宗教にしようとして仏教を弾圧したのを境に、一気に世俗化の波が日本の仏教に押し寄せることになったのです
すでに申し上げたように、日本の仏教は律を持ってはいませんでしたが、江戸期までは国家(幕府)という後見役があったことで「僧侶はこうでなければならない」といったある程度のしばりがありました。しかし明治の混乱期に、その国家のしばりがなくなったことで、日本の仏教は大きく変容していったのです。もし日本に律が伝わっていたとしたら、強い歯止めがかかって今のような状況にはならなかったはずです。それを思うと日本の仏教の特殊性の最大の原因は、律が伝わらなかったことにあると私は思っています。

上記の件、著者は五五百歳のことを失念されているのでしょうか。
像法から末法に時代がかわり、律の意味が変わったのであり、この著者の矛盾だらけの推測は100分にまとめるために起きたのではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

というわけで最初の釈迦の仏教は働くことを禁止して周囲の好意にのみすがって修行することになっていたようですが 日本にはいってきたときにそこはスルーされたみたいで やっぱり釈迦の最初の教えが今日まで変わらず伝えられているというのは都市伝説にすぎないわけですね cry

上記の件、小乗の考えで全てを捉えるとその様に都市伝説と思うと思います。てつてつさんは、律宗、という宗派をご存じないようですね。
そのものズバリの律を重んじる宗です。ウィキペディアからの引用をご覧下さい。

「日本においても比較的初期の段階で戒律が伝えられていたものの、不完全なものでその意義が十分に理解されずに一部の寺院における研究に留まり、授戒の儀式も行われていなかった。

天平勝宝5年(753年)、鑑真が6度の航海の末に唐から招来され、東大寺に戒壇を開き聖武上皇や称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けた。後に唐招提寺を本拠として戒律研究に専念し、南都六宗の一つとして今日まで続いている。」

と「日本においても比較的初期の段階で戒律が伝えられていたものの、」と比較的初期からあったそうです。著者の考えとはかなり違うのではないでしょうか。

#333 2019年12月28日 16:10:22

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#239への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

>しかし日蓮正宗は屈せずに創価学会を破門しました。
この事をどの様にお考えでしょうか。

この件の♯237の追伸です

あともう一つ思ったのですが 日顕は自分の権力者としての地位を守るため その脅威となる創価学会を排除したのではないかと思いました 歴史的にも権力を握ったものがそのライバルになりそうなもの たとえ兄弟であろうとも殺して排除するのはいつものことで 北朝鮮の金3男も自分が権力をにぎったあと兄の2男を暗殺しましたそれでもともと針金宗とバカにされていた

上記の件、針金宗と呼ばれる意味をご存じでお書きなのでしょうか。てつてつさんの認識されている意味を教えて頂きたいと思います。


てつてつ さんの発言:

日蓮正宗が大人数になったとはいえ9割以上が学会員ですので総選挙でもしようものならソッコー池田の大ちゃんが法主になっちゃうわけです kiss

上記の件、日蓮正宗は民主主義の多数決で法主になるのでしょうか。そして「なっちゃうわけです」と決めつけておられますが、そもそも多数決で決めるわけがありませんので、勝手な決めつけの上での仮定を
書かれても、意味の無いことであります。意味の無いことでも印象を悪くするためなら何でもお書きになられているのでしょうか。
このトピックの最初の頃から何も学んでおられないように見えます。


てつてつ さんの発言:

それでいつ学会に寝首かかれるか心配で小心者の悪党で自分のことしか考えない日顕もワンピースのスパンダムみたいにまずは自分の法主としての地位や権力を守ろうとして学会を排除したのかもしれないと思いました cry

上記の件、てつてつさんが「小心者の悪党で自分のことしか考えない」のでその様に思われるのではないでしょうか。恐らく、その様にしか考えられないのではないでしょうか。

あと、著作権法を無視されている様に思える事を散見いたします。「自分のことしか考えない」人の行動としては納得しております。

#334 2019年12月28日 17:49:00

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#246への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

宗門問題を考える 檀家制度と僧侶の関係

著者 小林正博さんで創価学会の方です なんだか面白そうで少し読み始めました

最初の方です

日蓮正宗宗門と創価学会をめぐる、いわゆる〃宗門問題〃は、たんに両者の対立、批判の応酬という次元でとらえるのは、あまりに皮相的にすぎると思われます。ことの本質は、伝統的な『僧』と『俗』の在り方が、根底から問い直されている問題と、私は理解しています

宗門問題が表面化して、早一年が経過しようとしています。この間の宗門の創価学会に対する姿勢を分析してみますと主に次の四点に集約できると思います。
一、僧侶はたとえ明確な非があっても絶対に信徒に謝らない
二、三宝供養、なかんずく僧宝崇拝は、信徒の当然の義務である
三、葬送儀礼等を僧侶抜きでやったら堕地獄はまちがいない
四、法主絶対、法主本仏であるからこれを批判する信徒は大誇法である
しかし、このような僧侶の信徒観は、はたして日蓮大聖人御在世当時からの伝統的な考えなのでしょうか。もちろん否であります。
むしろ、この体質は江戸時代に敷かれた檀家制度における僧俗の関係そのものであると断言できます。つまり、宗門は、あの江戸幕政下の僧侶天国の時代に権威主義に陥り、信徒蔑視の体質を身につけて今日にまで及んでしまったといえましょう。江戸期の寺院は〃宗門改め〃〃檀家制度″という幕府の宗教政策のもと役所化してしまいました。この制度は、今日でいう戸籍を扱うもので、キリスト教徒による反乱、いわゆる〃島原の乱〃以後とくに強化されました。幕府の政治は、民衆を士農工商という厳しい身分差別のワクに閉じこめることで成り立っていました。したがって、幕府がもっとも警戒したのは、この身分差別を否定する人間の平等・自由を説く思想や宗教でした。そこで〃邪宗門吟味″という名目で、仏教寺院が使われたのです。檀家制度のもとで、政治権力を背景にした寺院・僧侶の権威はきわめて大きなものでした。人はこうした権威に弱いものです。権威を持った者の多くは腐敗し、持たざる者は盲従し、保身を図る者はすりよって行きます。仏の教えを説き、民衆を救うという本来の僧の立場は忘れ去られ、いつしか権力をバックに信徒の上に君臨するようになっていったのです。信徒は愚民のまま、自己の覚醒もなく、ただ寺や僧侶に盲従しこき使われる以外になかったのです。いったん、僧侶の反感をかえば戸籍の抹消という処分が、待っています。身分制度の厳しい江戸期に戸籍を抹消きれるということは、〃非人″にされるということで、社会から追放きれることを意味します。現代にまだ残っている差別や部落の問題は江戸期の宗門改めによって僧侶から邪宗門と決めつけられた人々の末喬であることを指摘する学者もいるほどです

さて、今回の宗門問題のざまざまな局面にみる日顕法主ら宗門中枢の時代認識は、このような江戸期の様相とほとんど変わらない権威主義・信徒蔑視など人権感覚ゼロの前近代のものであることがわかります。日顕法主らの〃伝統″とは、江戸期以来の封建的僧俗関係であって、決して日蓮大聖人御在世のことではありません。生命の危険も顧みず、民衆救済のため、立正安国の理想をかかげ、権力と戦い抜いた大聖人のお振る舞いは、どう晶眉目にみても、日顕法主の行状からは微塵も見いだすことができません



これで日顕宗を切る3 101ページあたりの意味がわかりました cry

宗内では、池田先生のことを「先生」と呼んだり、先生の書かれた本を読んでいると知れたら、たちまち″池田教〃とのレッテルを張られ、異端者扱いです。得度して大坊に入ると、まず言われることは「池田さんは信者なんだから、絶対に『先生』と言うな」「池田さんの本など、信者の書いた本なんだから、読む必要はない」ということです。

上記の件、創価学会の過去の指導から判断すると「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。」であります。以下の過去の指導をお読み下さい。


『広布と人生を語る』池田大作
「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字のなき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである。皆さまは絶対に、それらを恐れたり、また、騙されたり攪乱されてはならない」(2巻37ページ)


『会長講演集』池田大作
「御法主上人猊下に対しては、御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります」(4巻45ページ)


『会長講演集』池田大作
「七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました」(6巻12ページ)


『広布と人生を語る』池田大作
「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」(3巻256ページ)


『会長講演集』池田大作
「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります」(10巻43ページ)


『広布と人生を語る』池田大作
「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくる。創価学会は、御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信する」(3巻32ページ)


『広布と人生を語る』池田大作
御法主上人猊下の御指南に従わない者は、もはや日蓮正宗の僧でもなく、俗でもない。(3巻53ページ)


『広布と人生を語る』池田大作
今、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出た事は、誠に悲しむべき事である。これらは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。 血脈付法の御法主上人猊下を離れて、正宗はありえないのである。」(3巻294ページ)


『広布と人生を語る』池田大作
「今日、日蓮正宗創価学会がこのように発展し、短期間に正法流布の根を深く広くはることができたのも、日蓮正宗の伝統の根が深いということにほかならない」(1巻ま62ページ)

『広布と人生を語る』池田大作
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」(1巻230ページ)


『巻頭言・講義集』池田大作
「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです。このことは信心のうえからはっきりしたものです」(3巻84ページ)


また、法は出家から在家に流れます。出家が護ってきた法を在家に教えるのが出家の役目でもあります。周りに出家がおり、在家より詳しい教えを受けられる環境ですので、教義的な事に関して在家の本を読む必要などないと思います。そして、出家は僧であり「仏法僧」の三宝の一分であり、在家より上の立場であるのは当然であります。今まで在家であった者が得度したなら、それまでの在家の考えを改めるためにも、その様なことを言われたのではないでしょうか。

#335 2019年12月29日 08:04:58

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

スターウォーズのように転機となるエピソードがあるのですかね

そこらへん、噛み砕いて説明しましょう


やり直し

#336 2019年12月29日 09:49:18

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

さやか さぁ〜ん!

おはよー

クイズを出しますよ~


ここで  いいかな?

チコちゃんならもう知っているかも?

わたくしは ハタチの頃 書道の先生  樹木希林みたいなセンセーに教えてもらいました。

今のような 情報網はなかった。
でも  今でも  知らないで  信仰を持って 行ってる人がいる。

編集者 めぐママ (2019年12月29日 10:04:19)

オフライン

#337 2019年12月29日 10:10:40

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

クエスチョン

さやかさんなら  すぐに
正解を導き出すことが出来るでしょう。

トンチを込めて 面白い  解凍  いや  解答をヨロシク。



飲食店の入り口  最近では 普通に 民家でも  玄関先に 盛り塩をする習慣のかたがいます。
果たして  商売繁昌  家内安全  神さま がお喜びになるでしょうか?

ウィキをみないで  たのしい アンサー  おねがいね〜

オフライン

#338 2019年12月29日 10:13:17

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

すごいクイズですね

アンサーは

「敗戦国である日本語のロッケンロールと富士フィルムの融合」



つまり富士ガクリンです

#339 2019年12月29日 10:14:19

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

めぐママ さんの発言:

クエスチョン

さやかさんなら  すぐに
正解を導き出すことが出来るでしょう。

トンチを込めて 面白い  解凍  いや  解答をヨロシク。



飲食店の入り口  最近では 普通に 民家でも  玄関先に 盛り塩をする習慣のかたがいます。
果たして  商売繁昌  家内安全  神さま がお喜びになるでしょうか?

ウィキをみないで  たのしい アンサー  おねがいね〜

出題はこちらでしたか、先走ってごめんなさい

#340 2019年12月29日 10:18:09

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

塩業協会が吹き込んだデマです

エステサロンとかで邪気とか塩のことこだわってそうなところ地雷多いのでご注意

#341 2019年12月29日 15:18:01

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチさんの 答えを待ってると 来年の 桜の季節になりそうです。

ヒント  シセイさんに聞いたら解るかも?

中国の歴史 漢詩 に詳しそうです。

しろさん ロシアの 帝国主義にもあったかも 似たような事。 トルコ  イスラムの後宮 ではどうだったのでしょう?

ドラビアンないと


今日は疲れています。
壊れています。

鬼〜のパンツは 良いパンツ
履こう 履こう おにーのぱんつ
履こう 履こう おにーのぱんつ

片付けているので 小さい子を預かっています

パプリーカ 花が咲い〜たら
なんとかあ
夢を 描いたなら
こころ 遊ばせ あなたに 届け
かかと 弾ませ あなたに 届け!

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#342 2019年12月29日 21:57:32

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチさん>上記の件、針金宗と呼ばれる意味をご存じでお書きなのでしょうか。てつてつさんの認識されている意味を教えて頂きたいと思います。

ヤフーの質問箱 見ますと

江戸時代までは、他宗他門を全て邪宗門と罵る「石山教学」は封印されていましたが、分派独立を果たすに及び、そのカルト的教義は陽の目を見たのです。

しかし、その閉鎖的で独善的な教義が禍して全く教勢は振るわず、世間から「針金教団」とまで揶揄されていましたが、戦後に信徒団体である創価学会の常軌を逸した布教活動により爆発的に広まりました。

とありますのでこのような意味かと思っていました cry

編集者 てつてつ (2019年12月29日 21:58:08)

オフライン

#343 2019年12月30日 06:46:28

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ケンショーにビビって日和気味なので1ランクダウン

今ではハリガネ改めバリカタ宗

https://kw-note.com/food/ramen-katasa/

#344 2019年12月30日 07:45:02

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

バリバリ堅めの 麺では いくら門口に 盛り塩をしても お客さんは来ないでしょうね。
それに 今はもう 牛に引かれる車で立ち寄る人はいない。 前回の クイズ
正解です。もう一つの正解は 昔 中国の皇帝が 夜 今夜は何処に行こうかな?
牛車に乗ってたから  ある賢い女性が 門先に 塩を置いた。   牛は 塩を舐めたいから 止まった。 当時は 気まぐれに ウシが止まった 場所で ヨシ 今夜は ここで過ごそう  となつたそうな。
ウジヤ  もビックリ
くじ引きみたいなもんだもんね

出雲蕎麦を  食べに出かけてきます。


ウジヤ  ではなくて  ウザ  でした。

ここしか 修正していません。

編集者 めぐママ (2020年01月03日 21:36:25)

オフライン

#345 2020年01月04日 02:08:15

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

いやー今見終わりましたが、長かったヨ!


今回のホケウオーズで一番盛り上がるのが

学会から飛び立った30機のドローンがお肉の保管箇所を爆撃する所でしたね

富士ガクリンの青年たちが、「オーマイゴッド」と叫んでいましたが、明らかな翻訳ミスですよね


あと、池田さんが歩くときダースベイダーのテーマが流れてたのは悪意ある演出だと思います

#346 2020年01月04日 07:35:56

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

おはよう  さやか くん

この jw掲示板 に 燦然と 輝く  let it be  大胆な 意訳で 大ヒットとなり 人々の記憶に新しい キミに  新たな 任務を 与える。

てつてつの  トピックでは また 聖書中の記述が 史実であり  神に従わない者は 滅ぼされる という 論争の的の 君と  の闘いが行われている。

そこで  記憶に新しい  カメラをとめるな!  風の   新曲を   シュールな作詞  プレバト の 先生に  添削済み  で 制作するように!! 

さやかは  神曲をつくる   コレは  預言 であり  すなわち  命令でもある。

「あれから」  美空ひばり  さんのは 良かった!

めぐママは せいじつに   昔から 抱いていた 疑問を 提出したら
  誠実でない ひとの 謎かけ といわれて 却下。

天才的なヒラメキにより  新年会から帰った 酔っ払っている状態の シセイさん が ガッツだぜ!  と正解して  波乱と 怒濤の幕開けとなりました。

親睦飛び  イエ モトイ  親睦トピックでは  場外乱闘騒ぎになるかと思いきや 
ほい 長老  と モトシモベ  ユーリ  らの活躍に より  沈静化する模様。 しかしながら 予断を許さないのである。 

余談だが   「誠実さ」  とは 定義  を してください。

元証人  俺様  Chimera   仰天  さん  に言われた 。

彼 は それを 持っていると 自負して  戦いを挑んでいると思われます。


井上陽水の  傘がない  を 英語に訳す際  ご本人から   一点  だけ  ダメ出し  があったそうです。

その理由 を聞いて  感動の嵐!

オフライン

#347 2020年01月04日 08:03:33

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

曲の 選定は 自由ですが  出来れば akameさん   の ご紹介 「サイバー  なんとか」  仮想の敵

イントロ か 間奏部分 に またいさんの   セリフ
「 もう ダメって  言われてる のに   ここに 来るのは なぜ?」  を 
スビート  イタリア語  音楽用語で   (ささやくように  すぐに 突然  の意味)
で入れてください。


subito

編集者 めぐママ (2020年01月04日 08:40:19)

オフライン

#348 2020年01月04日 08:32:59

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

誠実さとは信念と心中する覚悟で

恥ずかしい迷信についても説明すること

これに尽きます


今年こそボケのホメオパシーの効力教えてケロ

#349 2020年01月04日 08:34:42

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ごめんなさいホケでした

#350 2020年01月04日 10:10:49

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

なるほど  誠実さ  とは 世間から見て 恥ずかしいコトでも  平気で やれる ようになる コト  。  か。
ガッテン!   IS  のテロと同じ 。
なのに 当人 たちが 大真面目なんつもりだから  手がつけられない。

アヤシイ 健康食品  一儲けを 頭の片隅に置きながら  あなたを助けたい!  元気になるのは あなた次第です。 という メサイヤコンプレックス  自分でもとらわれていると 自覚していない。

莫妄想 に陥って   厄介な  慰め手 となるも

そのまま 歳取って  昔は〜  とか

ぼーッと  生きて  チコちゃんに 叱られても     覚めない。

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