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#301 2019年12月19日 20:14:25

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

さやかさん、たくさん思い出作りました。

国際信州学院大学のみんな 元気かな

https://kokushin-u.jp/

#302 2019年12月19日 20:26:44

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

てつてつ さんの発言:

シュウイチさん>日顕宗などという宗教団体はこの世に存在しません


でちょっと思い出したので オマケ

日蓮正宗が実際には存在しない つまり自分たちでつくった法教院 大学といっているが国から大学として認められていない ものを「フジ・ガクリン・ユニバーシティ-」という大学の名前にして インド政府をだまそうとした件

日顕は諸外国に僧侶を駐在させる手段として、留学を奨励した。どの国でも駐在用のビザを取得するのは容易ではない。そもそも受け入れをする日蓮正宗の法人がほとんどない。あったとしても国によっては法律的なハードルが高い。それに比べて学生ビザは大学に入学すれば誰でも取得できる。語学も上達するから一石二鳥であると考えたのだ。しかし、留学する場合、日本の大学の在学証明書や卒業証明書が必要な場合がある。ところが正規の大学ではない法教院では証明書が発行できない。もし、そんなことをすれば国法を犯すことになる。しかし、その〃まさか″ということが現実に起こった。宗門は教団ぐるみで〃学歴詐欺″を行い、韓国の延世大学やインドのデリー大学の大学院に所化を入学させようとしたのである。その手口は巧妙であった。宗門は「富士学林大学科」を「フジ・ガクリン・ユニバーシティ-」と詐称し、あたかも正規の大学を卒業したかのような卒業証書を偽造した。その偽の卒業証明書には、履修した科目や成績までが付され、ローマ字で学林長・八木信螢のサインが記されている。さらに、その卒業証明書には、「教学士」という、あたかも〃学士号″に見える肩書きまで添えるという、手の込みようだった。宗門は海外であれば、偽の卒業証明書でも通用するであろうとタカをくくっていた。確信犯である。しかし、その悪巧みは露呈し、新聞沙汰になって世間を騒がす結果となった。平成十一年(一九九九年)、宗門は二人の学生にこの偽の卒業証明書を持たせ、インド国立デリー大学大学院に入学させようとしたが、デリー大学当局の事前の調査で、この不正入学工作が発覚し、新聞でも報道された。ヒンディー語の夕刊紙「サーンディア・タイムス」は九月三十四日付の紙面で次のように報道している。「デリー大学には外国人による入学申請には大使館の承認が必要であるとの規定がある。大使館は二人が提出した卒業証書には虚偽があるとして、承認を拒否した」また、英字紙の「ザ・ヒンドゥー」も、十月四日付で、「デリー大学は学歴を詐称して願書を申請していた二人の日本人学生の入学を取り消した」として次のように報「二人の学生は正式な入学願書に『フジ・ガクリン・ユニバーシティ-』の卒業生であると記入。しかし、そのような名前の大学は日本に存在しないことが発覚した。大学を名乗っているが、実際は日本では大学として承認されていない」







最近、インターネット上に本学が無認可のエセ大学であるかのように言及する情報が増えています。これは正確な情報ではありませんので、お気をつけください。

また、SNS上やブログ、一部の匿名掲示板上で本学の講師が揃って無能だという悪質な中傷、本学に関する歪んだ情報を流布している記事が散見されます。惑わされぬよう、本学の栄えある歴史と実績をWikipediaでご確認ください

まとめサイトでも同様の記事が見受けられます。本学としてはしかるべき対応を検討しております。

これらの情報を鵜呑みにした善意のつもりの第三者(金沢の瓦職人)マスコミを含むメディアがそのような情報に訂正・拡散するケースも確認されております。

インターネット上には虚構情報も多くあります。架空の情報に騙されないようご注意ください。

フジ・ガクリン・ユニバーシティ-広報担当
芸術学部代表 我修院達也

#303 2019年12月19日 22:06:50

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

阿呆ゲバ尊し 我が師の怨


1   親と同じ大学を卒業しないと地獄に落ちると言われました。

2   親と同じ大学で資格をたくさん取得しないと死後硬直すると言われました。

3 これを「学歴格差」とか言うそうです。

4  最終学歴はフジガクリンです、住み込みで働けるカレー屋さんを探してました

5  学名にフジをつければインド人騙せたよ、チョロいね

6  インドの皆さんごめんなさい、無認可だとなぜバレた

7  インドの皆さんごめんなさい、寺子屋ゴッコだとなぜバレた

8  インドの皆さんごめんなさい、SGIのセカンドペンギンしてみました

9   「カレー屋は追い出されたけと貯金あるので、自動車学校行きます」

10   そうシュウイチ父さんに話したら

11 「アハハ~自動車学校は学校じゃないよ」と笑われました。


12   さすがのボクでも「こいつ本当のバカなんじゃないか」と思いました。

13  お前、タタ自動車の空気圧で破裂しろ\(肉ω肉)/

#304 2019年12月20日 10:46:52

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

さやかさん フジ・ガクリン・ユニバーシティ- がツボにはいったようでよかったです
またまた新曲ですね kiss


国際信州学院大学のみんな 元気かな

https://kokushin-u.jp/

これもすごいです さやかさんはどうしてこんなにすごいムダ知識があるのでしょうか yikes

編集者 てつてつ (2019年12月20日 11:16:46)

オフライン

#305 2019年12月20日 10:55:32

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

てつてつ さんの発言:
講師 もちろんです。ただ歴史的視点で見ると「大乗仏教は、本来の釈迦の教えとは異なる別個の宗教である」ということだけは、最初に理解しておいていただきたいのです


シュウイチさん>上記の件、ここでは「本来の釈迦の教え」がどの様なものか記載がありません。教えて頂けませんでしょうか。

このトピの♯26あたりの書き込みがそれにあたるのではないでしょうか


抜粋

もともとの仏教の教えとはかなり異なっているのです。たとえば、お金でお布施をもらう、結婚して子どもをつくる、お酒を飲む、お寺に来た人から僧侶が直接拝観料を取る。これらは皆、律によって禁じられた行為なのです。

青年しかし、最初から今のような状況ではなかったはずですよね。何がきっかけで日本の仏教は変容したのですか?

講師 寺や僧侶の在り方が大きく変容したのは、明治期の「廃仏殿釈運動」がきっかけです。維新政府が神仏分離令を命じて神社と寺院を分離させ、神道を国家宗教にしようとして仏教を弾圧したのを境に、一気に世俗化の波が日本の仏教に押し寄せることになったのです



暗黒の富士宗門史 137ページあたり

政府の布告を口実に僧侶が妻帯明治政府は、明治五年(一八七二年)四月、「僧侶の肉食妻帯蓄髪は勝手たるべきこと」とし、法要の時のほかは俗服を着用してもよい、という太政官布告を出しています。それ以後、「お上が許したのだから」という口実となり、諸宗の僧侶が公然と妻帯をするようになりました。
そのため、この布告が僧を堕落させたとして、布告の撤回を求める強い抗議がされたので、政府は明治十一年二月に、肉食・妻帯・蓄髪を従来は国法で厳禁していたのを廃止するという趣旨であり、各宗の宗規もこれに則れと命じたものではない、という通達を出していますが、もう手遅れでした。江戸時代に、僧侶の女犯(戒律を破って女性と関係すること)は幕府によって厳しく取り締まられ、女犯の僧に対する処罰は厳しく、寺持ち(住職)の場合は遠島(島流し)になり、所化僧の場合は晒し者にされたうえで寺から追放されました。幕府はさらに女犯の僧を流罪にし、江戸では日本橋のたもとで晒し者にしました。僧の堕落は、幕府の権力によってかろうじて止められていたのです。それが一転して、政府が妻帯を認めたのですから、堕落していた僧侶が喜んで妻帯するようになったのは当然ともいえました。




日興上人は、遣誠置文の中で、「先師・大聖人のように、私(日興上人)の(門下の)化儀も聖僧であるべきである」と定めています。「聖僧」とは、「清僧 とも書いて、妻帯・肉食をしない僧をいいます。ですから、この遺誠は、大聖人、日興上人が、僧侶の「妻帯」を絶対に許されていないという明確な文証なのです。大聖人御自身が、「日蓮はさせる妻子をも帯せず魚烏をも服せず」(御書九三六埒)と仰せのように、妻子を持たれず、肉食すらされませんでした。また、門下の最蓮房に対して、「僧となったからには、権宗の者であっても妻帯・肉食をしてはならない。いわんや、正法の修行者においては、なおさらである」(一三五七汗)と教えられています。堀日亨上人は、「(妻帯を含む)現今の在家同然の僧行(僧の振る舞い)」は一時の変体(異常な状態)」であって、「宗祖開山時代の常態(正常な状態)に帰るべきを祈るものである」(富士日興上人詳伝)と述べています。現在のように、本来、「出家」して世俗の生活を離れたはずの僧侶が、在家と同じに妻帯しているのは「変体」であり、「僧の姿をした在家」でしかないのです。それだけで大聖人・日興上人の教えに違背しており、出家(僧侶)としての資格を失っています。日顕をはじめその一派は、「余が末流ではない」と大聖人、日興上人に「破門」されているのです。


自分は別に僧職者が妻を持つことには反対しているわけではありませんが 釈迦や日蓮の教えと比較しろというなら 正しく教えをまもってはいないと思います

ところでシュウイチさんは釈迦や日蓮大聖人様 また正宗の創立者日興上人が妻を持つことを禁止していたことには同意されますか?

編集者 てつてつ (2019年12月20日 11:52:01)

オフライン

#306 2019年12月20日 13:52:32

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

1   3校でタッグを組んで箱根駅伝を目指せと言われました

2  シュチ・ニクリン・ユニバーシティーさん、いつも絶倫ですね
   戸塚ホッケスクールさん、僕の弟生きてる?

3   3校とも駅伝エントリー不可だと言われました

4   カルトの門前払いは許せません

5  でも創価大学とタッグを組むのはもっと嫌です

6   嫌です 差別です

7   嫌です 学歴ハラスメントです

8   嫌です 差別が無くならないのは長期政権のせいです

9   「正月の駅伝で共産党員とアベ許さんのプラカードもってテレビに映るわ」

10   そうシュウイチ父さんに話したら

11 「アベだって?! 阿部法主の一族に殺されるぞ」と怒鳴られました


12   生まれたことを後悔しました「真っ白になって米袋の中に入りたい」と思いました。

13  シュウイチ父さん、責任もって埋めてくれ\(肉ω肉)/

#307 2019年12月20日 14:24:27

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

どこだったか忘れましたけど 誰かの死に顔が 目がチョンとしていて 安らかな死に顔でした という書き込みがあったかと思いますが

この仏教で死に顔がどうかということを大変気にすることは 江戸時代の檀家制度の名残かと思いました

暗黒の富士宗門 91ページあたり

檀家制度で重要なことは、僧侶は、寺に所属する檀徒が死亡すると、その死相を見届け、檀那に間違いない(キリスト教徒でない)ことを確認してから戒名を授け、引導を渡すことが義務ずけられたことでした。そのため、葬儀には「僧侶を呼ぱなければならなかった」のです。僧侶を呼ばなければ、キリシタンの疑いをかけられ、極刑に処される恐れすらあったのです。

編集者 てつてつ (2019年12月20日 14:25:08)

オフライン

#308 2019年12月21日 02:10:36

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#187への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

日本の宗派に影響を与えた「諸経の王」 法華経

75ページあたり

青年 たくさんお経がある中で、なぜ『法華経』が「諸経の王」と呼ばれるのですか?
講師 そのわけをお話しするには、まずインドから中国への仏教の伝わり方を見ていく必要があります。仏教が中国へ伝わったのはシルクロードが開通する紀元一〜二世紀頃で、「釈迦の仏教」が誕生してから五百〜六百年後のことです。その間、「釈迦の仏教」は南のスリランカには伝来しますが、北方ではずっとシルクロードの門が開くのを待っている状態にありました。そしてシルクロードが開通すると、その頃すでにインドでは大乗仏教が生まれていましたから、中国には、「釈迦の仏教」と大乗仏教という新旧二種類の仏教が一時に流れ込んでいくことになります


そうして数百年の混乱期の間に、中国の人たちは「釈迦の仏教」ではなく、大乗仏教のほうを釈迦の本当の教えとして重視するようになっていきました。「釈迦の仏教」は首尾一貫していますがたいへん厳しい教えですから、万人には向きません。また第1回の講義でも述べたように、後発の大乗仏教は、前の時代の「釈迦の仏教」を下に見るような姿勢で教えを説いていますから、歴史的経過を知らずに読めば大乗仏教こそが本当の釈迦の教えだという思いが湧いてきて当然です。では、どうしてその大乗仏教の中でも「法華経』が特に素晴らしいとされたのか。そこに登場するのが中国天台宗の開祖・智顎「ちぎ」です

智顎は、『般若経』や『法華経』のほか、『華厳経』『維摩経」『阿含経』などの経典を分類・判定して(これを「教相判釈」と言います)、『法華経』こそが釈迦が本当に言いたかった、最も上位の教えであるとしたのです。なぜ智顎が『法華経』を最高位に置いたかと言えば、『法華経』が「誰でも仏になれる」という教えを強く主張したからです。『法華経』の内容については、このあとで見ていきますが、それが朝鮮半島を経由して、聖徳太子の時代の日本にも伝わります。

広く日本に浸透することになったのは平安時代、比叡山延暦寺が開かれたのがきっかけです。もともと比叡山は、最澄があらゆる仏教の教えを統合するものとして『法華経』を位置づけ、このお経を中心に仏教全般を学ぶための〃総合大学″として開いたのが起源です。『法華経』とゆかりの深い日蓮はもちろんですが、浄土宗の開祖・法然、浄土真宗の開祖・親鶯、臨済宗の開祖・栄西(「ようさい」とも)、曹洞宗の開祖・道元らもじつはみんな〃比叡山大学″の卒業生です。

『妙法蓮華経』は二十八の章(品)で構成されています。全体を通して読むと、一部にしか記されていない教えがあったり、前半と後半で教義の内容が食い違っていたりするため、お経のどの部分に注目するかによって解釈が違ってくるのが少々やっかいなところです。日蓮系の宗派は現在、きわめて複雑に分派していますが、分かれた理由の一つは、お経のどの部分に注目したかという解釈の違いです

青年 お経というものは本来、全体で一つの教義を説いたものであるはずですよね それなのになぜ、一つの経典に異なる考えが混在することになったのですか

講師 それはお経の成り立ちに関係しています。『法華経』の発祥については諸説ありますが、おそらくは時代を経る中で少しずつ話が書き加えられて、現在のかたちになったと考えられます。つまり、もともとはシンプルだった教義に、「こんなふうに解釈ができる。あんなふうに拡大してとらえることもできる」と、後世の人の意図が徐々に付け足されていったことで、統一感に欠けた内容になってしまったのです

青年 なるほど。同じ車種でありながらも、後続のニューモデルとして登場したのが『法華経』というわけですね。では、『法華経』には具体的にどんな機能が新しくプラスされているのですか?

講師 まず『般若経』との最大の違いは、『法華経』が「一仏乗」という新たな教えを説いた点にあります。一仏乗とは、一言で言うと「すべての人々は平等にブッダになることが可能である(衆生成仏)」という教えのことです。「乗」とは乗り物のことを指すので、一仏乗は「ブッダになるための唯一無二の乗り物」という意味にとらえておいてください。

青年お言葉を返すようですが、『般若経』でも「すべての人はすでに菩薩であり、やがては誰もがブッダになれる」と考えたはずですよね。だとすると『般若経』も『法華経』も同じことを言っているのではないですか?

講師 じつは『般若経』の場合は、「三乗思想」という考え方をベースにしていて、すべての人が平等にブッダになれるとは考えてはいなかったのです。前回の講義では「三乗」について触れなかったので、ここで改めて説明しましょう。
『般若経』では、悟りを開くためには三つの修行方法(乗り物)があると考えました。一つめは「声聞乗」です。声聞とは「教えを聞く人」という意味で、お釈迦様の教えを聞きながら阿羅漢を目指して修行に励む出家者のことを指します...

この時の五人の修行者に対する初転法輪では、お釈迦様から教えを聞いた五人は、悟りを開いて阿羅漢になったとされています。ブッダになったなどとは言いません。「釈迦の仏教」の話ですから当然ですね。でも、そうなると「弟子たち(声聞)もじつは菩薩であって、最終的にはブッダになれる」という一仏乗の教えが成り立ちません。そこで『法華経』では、この初転法輪は単なる方便であり、お釈迦様は、その後に行われた「第二の転法輪」で真理を説いた、という二段階のストーリーを創作することにしたのです


お釈迦様は三度しつこく尋ねられて、ようやく語ります。「今まで私は君たちに阿羅漢を目指しなさいといって、ブッダになれるとは言ってこなかった。しかし、実際にはすでに過去において君たちはブッダと出会って
いて、菩薩となっているのだ。もしすべての人にブッダになることを目指せと言ったら、愚かで資質のない者は、深遠な考え方に戸惑って混乱してしまうと思ったから、今までは言わなかった。だがそれは真の教えではない。真実は「一仏乗」だけだ。阿羅漢になるのが本当の道ではなく、菩薩としてブッダを目指すのが正しい道なのだ」

いずれにしても、前に存在していた「釈迦の仏教」や『般若経』を無化して、一段上の教えを示すためには、そうやって話を作り変える必要があったわけです。「方便品」には「一仏乗を信じない者は地獄に堕ちる」とまで書かれていますが、こうしたくだりを見ても、『法華経』が「なんとしてでも前に存在したお経を超えなくてはならない」という強い意図を持って作られたものであることがわかってきます。


ちょっと長いページなので興味ぶかそうなところだけ引用しましたが 簡単にいうと 最初の釈迦の教えは出家して働かないで修行して悟りを得ることで輪廻から解脱できるという教えだったみたいですが そのうち出家しなくても悟りを得る方法 さらには阿羅漢「仏よりチョイ下」より上の仏にダイレクトになる方法が考え出されて一番最後に法華経というお経にまとめられたようです

上記の件、大切なことが抜けております。それは、法華経は衆生の機根に合わせて説いた、随他意、ではなく、御釈迦様が本当に御説きになりたかったことを御説きになられた、随自意、であることです。

#309 2019年12月22日 11:44:15

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

随他意大学

(世間のルールに媚びた腰抜け)

●創価大学、青山学院、龍谷大学




随自意大学

(歯に衣着せぬ漢)

▲ギレアデ宣教学校、フジガクリン、ハッピーサイエンス

#310 2019年12月24日 07:49:32

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#188への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

91ページあたりから

ただひたすらにお経のパワーを信じなさい

講師 ブッダになるための修行方法は、基本的には『法華経』も『般若経」と同じで、人間として正しい行い(善行)を積み重ねていけば、やがてはブッダになれると考えました。

法華経には「積み重ね」ではなく、即身成仏、が説かれており、8才の竜の娘が即身成仏したことが説かれ、それまでの御経では説かれていなかった、年少、畜生、女、でも即身成仏できることが説かれてあります。それ以外にもそれまでの御経には説かれていないことがいくつもあります。それは随自意であるため、衆生が理解できなくても御説きになられたからです。


てつてつ さんの発言:

善行の中でも、『法華経』が特に重視したのが「仏塔供養」です。仏塔とはブッダの遺骨を祀るストゥーパのことを指しているので、「お釈迦様の遺骨を供養することが菩薩としての最大の功徳となる」と『法華経』では説いていることになります

上記の「特に重視し」は著者独自の解釈ではないでしょうか。それより大切なことがいくつもあると思います。


てつてつ さんの発言:

しかし仏塔供養が大切だと書かれているのは前半だけで後半になると話が変わってきます。後半には「仏塔供養よりも、『法華経』自体を崇め奉ることこそがブッダになるための一番の功徳である」という言葉が登場してくるのです。このあたりは『般若経」と似ています。『般若経』も、最初はブッダになるためには善行が大切であると説きながら、「経典を読み、書き写すことこそがブッダになるための力になる」という方向に向かっていきましたよね。

上記の件、「経典を読み、書き写すこと」は善行であります。ですので、「最初はブッダになるためには善行が大切であると説きながら、「経典を読み、書き写すことこそがブッダになるための力になる」という方向に向かっていきましたよね」は、何か方向変換したように書いてありますが、前半も後半も善行を勧めているのではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

『法華経』も同じで、最終的には、お経自体にパワーがあり、それを崇めることこそがブッダになるための近道であると説くようになったのです。

おそらく、最初に『法華経』を作った人はお経自体にパワーがあるとは考えていなかったのでしょうが、のちの人が『法華経』を世の中に広めようとして「お経を崇めよ」というブースター(増幅器)を新たに導入したのだと思います。

「お経自体にパワーがある」とはどの様なことでしょうか。御経を自体は何もしてくれません。その御経を信じて行ずることが因となり、縁とあうことにより果となります。

また、「「お経を崇めよ」というブースター(増幅器)を新たに導入」とありますが、御経には仏様の御金言が書かれており、最初から崇める
くらい重要なものです。


てつてつ さんの発言:

『法華経』は、経典自身が持つパワーを絶対的なもの、理屈を超えた不可思議なものと位置づけたことで、「空」の概念による理屈づけを跳び越えてしまったのです。

「「空」の概念による理屈づけを跳び越えてしまった」とはどの様な事でしょうか。単にこの著者が三諦を理解していないだけではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

「あれこれ考えなくても、このお経を信奉すれば、それであらゆる問題は解決する。このお経を讃えながら暮らすことが、ブッダへと向かう菩薩の道だ」と主張します。その当然の結果として『法華経』では、「絶対的な力が『法華経』にあるのならば現世利益にもつながるはずだ。お経を拝みさえすれば、病気も治るし、豊かな生活も送れるようになる」と考えるようになっていったのです。

上記の件、「絶対的な力が『法華経』にあるのならば現世利益にもつながるはずだ。」と、「はずだ」と推測しているのであれば、それは読み手の解釈ではないでしょうか。法華経に現世利益が書いてあると思われているのは、即身成仏、が書かれてあるからではないでしょうか。仏教は成仏することが目的ですから、竜女の様に現世で成仏したことは、確かに現世利益と呼べますが、そこには、俗物的な「病気も治るし、豊かな生活も送れる」ことを目的とはしておりません。それはあくまでも副次的なものです。


てつてつ さんの発言:


実際に『法華経』の中には「『法華経』を憶え、読経し、人に説き、写し書きする者は、眼、耳、鼻、舌、身体、心に多くの美点を得る」といった現世利益についての効能書きがはっきりと示されています。

てつてつ>それでただひたすらくりかえしお経をとなえるわけなんですね

上記の件、「ただひたすらくりかえし」御経の内容を唱えるのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

青年 すごい話になってきましたね。『法華経』を拝めば、悟りを開いてブッダになれるだけではなく、病気も治るし、美女や美男にもなれてしまう。まさに『法華経』は万能薬というわけですか。現世利益につながるのは有り難いですが、そこまで言われるとなんとなく疑わしくも感じてしまいますね。

講師 『法華経」の絶対的な教えに疑問を抱く人は少なくありません。江戸時代の国学者の平田篤胤は、二法華経』は薬屋に行って薬を買ってきたはいいが、中身を忘れて効能書きだけを持って帰ったようなものだ。何をしたらいいのかについては触れられておらず、『法華経』は有り難い、とばかり言っているではないか」と痛烈に批判しています

上記の、
「『法華経」」は「『法華経』」、
「二法華経』」は「『法華経』」、
だと思っております。

上記の件、平田篤胤が理解できないだけではないでしょうか。国学者や神道家程度では何も分からないのではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

『法華経』が「お経を崇めよ」といった裏側には「「法華経」の神秘性を信じて、自分が菩薩であることを自覚しなさい」という悟りへの思いがちゃんと込められているからです。じっさい、『法華経』の信者さんの多くは、『法華経』を広めることが菩薩である自分の仕事と考えています。『法華経』が説く世界をこの世に実現することが、彼らの最大の目的です。

青年 確かに『法華経』と聞くと、布教活動に熱心なイメージがあります。

講師 それが、『法華経』が批判されやすいもう一つの理由ですね。宗教に興味がない人にとっては迷惑な話かもしれませんが、じつはそのような熱心な勧誘の努力も、『法華経』の教えからすれば正しいことなのです。『法華経』では「迫害を受けている状況こそが、『法華経』の正しさの証拠である」と考えます。真実を説くお経は、俗世の愚かな人々の目には邪説のように映って、迫害の対象になるものだと言うのです。日蓮宗開祖の日蓮も数々の法難に遭いましたが、法難に遭うこと自体がお経の正しさを証明しているということが『法華経』の中に害かれています。

青年 それは、嫌がられたり迷惑がられたりすることが、『法華経』信者にとっては一種の功徳になるということですか?

講師 そうです。彼らにとっては「お経に書かれている教えに従っている」という確固たる信念があるので、批判や糾弾をさほど気にしません。

シュウイチさんもきっとこの掲示板で自分は正しいことをしているゆえに迫害 法難にあっているが「特にてつてつのせい」これが仏への道なのだと自らに酔いしれているのでしょうね  ウルウル cry

上記の件、この掲示板に書かれた事が「迫害 法難」であるわけがありません。私がこの掲示板で「迫害」されたのでしょうか、自覚がありません。また、てつてつさんは「法難」の意味を分かってお書きになられているのでしょうか。

#311 2019年12月24日 08:12:48

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#193への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

この書き込みは#186への書き込みです。

てつてつ さんの発言:
トホホホ NHKの仏教講座の教科書の引用すら悪質クレーマーのクレームですか cry

上記の件、早合点しないで頂きたいと思います。

#181の私の書き込みは、特定の書き込みに対してのものではないので、対応する書き込みの番号を記載致しませんでした。
ですので、上記のてつてつさんの書き込みには該当致しません。



了解しました 申し訳ありませんでした

でも多分すぐにこの件に関しても コンキョー コンキョー と言い出すと思うのですが 苦情のほうはNHKお客様センターにでもお願いします cry

上記の件、「申し訳ありませんでした」のすぐ次の文には「 コンキョー コンキョー と言い出すと思うのですが」と馬鹿にした文となっております。「申し訳ありませんでした」とは思ってないように感じております。
また、てつてつさんが書き込んだ事をどうしてNHKお客様センターに問い合わせするのでしょうか。読み手であり書き手であるてつてつさんご自身の責任を転嫁するのでしょうか。遁走の次は責任転嫁と言われないようにした方が良いと思います。

#312 2019年12月24日 08:31:06

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#198への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

てつてつ さんの発言:
トホホホ NHKの仏教講座の教科書の引用すら悪質クレーマーのクレームですか cry

上記の件、早合点しないで頂きたいと思います。

#181の私の書き込みは、特定の書き込みに対してのものではないので、対応する書き込みの番号を記載致しませんでした。
ですので、上記のてつてつさんの書き込みには該当致しません。



では♯176に自分が書き込んだ

上記の、「では」は上の文と下の文の趣旨が違うので、新しい問い掛けをする仕切り直し的な意味だと思いますが、その場合、上の文は既に同じ文を別の書き込みに書いてありますので、再度書き込む必要はないと思うのですがいかがでしょうか。
(「では」から上は不必要ではないでしょうか)
若しくは私が勘違いしているのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

講師 そこが少々問題なのです。お坊さんの中には「宗派や教えに多少の違いはあっても、目指す山の頂は一つである」とおっしゃる方もおられますが、「釈迦の仏教」と、私たち日本人が信仰している大乗仏教とでは、じつは教義の内容がまるで異なっているのです。もともとあった「釈迦の仏教」にのちの人が手を加え、オリジナルの教えとは別のものとして、日本や中国に伝わったのが大乗仏教だと思ってください。...

講師 もちろんです。ただ歴史的視点で見ると「大乗仏教は、本来の釈迦の教えとは異なる別個の宗教である」ということだけは、最初に理解しておいていただきたいのです

という主張についてはシュウイチさんはどうお考えですか? この通りだとすると一子相伝もそれによるブッダの正しい教えが変わることなく現代まで引き継がれていったというシュウイチさんの主張が間違いだということになるのですが cry

上記の件、「「釈迦の仏教」と、私たち日本人が信仰している大乗仏教」の「釈迦の仏教」とは何でしょうか。具体的にお願い致します。
100分にまとめたので省略されたのでしょうか。

#313 2019年12月24日 08:52:58

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#206への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

仰天さん>てつてつさんの問いには答えるようですから、てつてつさんが死後硬直とお肉牙の話題を出して聞いてみて下さい。


自分はシュウイチさんのトピのごく最初にそのような質問をしましたが答える気は無いようです cry
>あとシュウイチさんは さやかさんはシャレでお肉の質問していますが 一応教団としてそのような教えがあるのなら無視するのではなく何らかの答えまたは説明をした方が良いと思います 自分にはわからないとか 都市伝説です とか真実ですとか等

既にてつてつさんに下記の返答をしております。どうしてこの書き込みをお書きになられないのでしょうか。ご自分の書き込みは書いても私の返答は書かないのはどうしてでしょうか。

http://www.jwstudy.com/bbs/viewtopic.ph … 301#p34301

#314 2019年12月24日 12:46:43

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ささいなテストの解答欄に(僕は解答しないよ、解答欄を埋めたら無条件で学士号の資格をいただけるのでしょうか)と書くようなものですね


フジガクリンではそのような頓知が通用するのですね

いい大学です

#315 2019年12月24日 14:54:49

iris
メンバー

Re: 日蓮正宗について

文字が読めることと、文章が読めることとは、まったく違うのですね

読解問題が嫌いでもちゃんと読める人、自信満々なのによくわかる解説がないと論理的に読めない人、返信になってない返信を延々と続ける人…

みんなちがって、みんないい。

オフライン

#316 2019年12月24日 18:40:41

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#213への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

100分で名著大乗仏教 99ページあたり

『法華経』には「一仏乗」と並んで、もう一つ重要なキーワードが示されています。それが、後半の「如来寿量品」にある「久遠実成」と呼ばれる教えです。久遠遠実成とは、一言で言うと「お釈迦様は永遠の過去から悟りを開いたブッダとして存在していてじつは死んではおらず、私たちのまわりに常に存在している」という考え方のことをさします

じつは『法華経』の前半部分では、お釈迦様は亡くなられたことになっています。「お釈迦様はすでにこの世にはいないけれど、『法華経』がお釈迦様に代わって、あなた方の菩薩としての存在を保証してくれているので安心してください」という話が前半に書かれていますから、『法華経」ではもともと、お釈迦様は死んだと考えていたことがわかります
ところが後半になると、「ブッダ(釈迦)は悟ってからも無限の寿命を持ち、入滅する(死ぬ)ことなく教えを説く。ブッダとは時空を超えた永遠の存在であり、どんな場所、いつの時代でも人々の前に現れてみんなを救うことができるのだ」という話がお釈迦様自身の口から語られているのです

その理由をお釈迦様はこう述べています。「私がこの世に現れて悟りを開く姿をみんなに見せたのは、具体的な救いの方法を示すためであり、わざわざ死んだふりをしたのは、私がいつもそばにいるとわかると人々は安心してしまい、修行を怠ってしまうと考えたからだ」と。これも『般若経』の教えを超えたいという後世の人の思いがあって、書き加えられたものでしょうすでにお話ししたように『法華経』では、「お釈迦様が亡くなったあとは、お経がブッダの代わりをしてくれる」と考えていたのですが、そのままでは『般若経』の教え、つまり経典=ブッダの本体であるという考えと同じになってしまうので超えることができない。それで「久遠実成」という考え方を新たに持ってきたわけです。ブッダが死んではおらず、常にこの世界にいると仮定すれば、私たちはいつでもブッダを供養することが可能となります。大乗仏教では「ブッダを崇めることこそが最高の善行である」ととらえたので、ブッダにいつでも会えるとなると、格段にブッダになるまでのスピードが速まります。先ほど「自動車にたとえると、『法華経』も『般若経』も同型のエンジンを積んでいる」というお話が出ましたが、「久遠実成」という考えを作り出したことにより、『法華経』のエンジンにはターボチャージャーが搭載されることになったと考えてみればよいのではないでしょうか。

上記ですが、著者が「『般若経』の教えを超えたいという後世の人の思い」に寄せてるのではないでしょうか。
他にも書きましたが、大乗が後世の人により説かれたものであれば、小乗より優れている大乗を説いた人は御釈迦様より優れた人になり、その人の方が御釈迦様より有名になるはずです。しかし、なっておりません。と言うことは、その様なことはなく、小乗も大乗も御釈迦様が御説きになられたものなのです。

#317 2019年12月24日 19:15:15

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#214への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

100分で名著大乗仏教 101ページあたり

大乗経典は「加上」して作られていった

青年 よりスピーディーに悟りを開ける方向へとお経が進化していったのは悪い話ではないと思いますが、『法華経』は『般若経』を超えようとするあまり、お釈迦様のオリジナルの教えとは、ずいぶんかけ離れた方向に向かっていったように感じられますね。

講師 そうですね。初転法輪を書き換えて、さらにお釈迦様を久遠の存在に仕立て上げてしまった時点で、オリジナルの教えとはまるで違ったものになってしまっています。しかし、新しく作られたお経ほどオリジナルから遠ざかっていくのは、ある種の宿命と言えるでしょう
富永仲基という江戸時代の学者が、こうしたお経の成り立ちに注目して「加上の説」というものをとなえています。「すべての思想や宗教は前にあったものを超えようとして、それに上乗せしながら作られていった」と考えるのが、富永の加上の説です。この論理を使って彼は「大乗非仏説論」(大乗仏教はお釈迦様が自ら説いたものではなく後世の産物であるという説)を展開したため、日本の仏教界ではあまり支持されていませんが、すべてのことを合理的に考えたという点においては、もっと評価されてしかるべき人物だと私は思っています。

富永は、仏教経典を研究する際にも、誰かが意図を持って書いたものをその意図にあやつられながら読むのではなく、「真実は歴史の裏に隠れている」と考えて冷静な目で膨大なお経を読んでいきました。そしてその果てに行き着いたのが「加上の説」だったのです。
こうした姿勢はあらゆる研究の基本ともなるはずです。たとえば今回の『法華経』の場合、全体を漠然と読んでいても、あまりに様々な人の意図がそこに加えられているため、教えの本質は見えてきません。歴史的にどこが最初に書かれたのかにまずは注目し、それがなぜ書かれたのかを歴史を遡って考えていく。そうしたプロセスを踏んでこそ、今まで見えなかったものがはっきりと見えてくると私は思います。


というわけで自分は富永の加上の説というのはなんだか聖書の高等批評みたいですけどまじめに推理していると思います

上記の件、著者は真宗高田派の僧侶だったと思います。
その真宗高田派は親鸞の教えを元としており、その親鸞の教えは大乗の教えではないでしょうか。であれば、この著者は誰が書いたかも分からない大乗の教えを信じていることになります。依経が誰が書いたかも分からない宗派など成り立たないと思うのですが、この著者は独自の宗派を作る訳でもなく、誰が書いたかも分からない御経を元とした真宗高田派に属しておられると思います。
この著者はご自身のことを顧みる事をしたことがないのではないでしょうか。

#318 2019年12月24日 19:56:51

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

ずっと不思議に思っていた事なのですが、

シュウイチさんは、てつてつさん   の発言に対して、遁走したという表現の仕方を 何度も何度もされていました。
遁走って、 遁走曲 バッハのトッカータとフーガのことかしらと思っていました。 何かの拍子に、 あのメロディーが浮かぶのかなぁ?  そういう脳のメカニズム?  理解できないので 遁走について調べました。
解離性遁走  っていう症状もあるのですね。
返信になっていない返信を繰り返す  という意味  通じていますか?irisさんの    書き込みです。

オフライン

#319 2019年12月24日 20:35:51

モトシモベ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチ さんの発言:

大乗が後世の人により説かれたものであれば、小乗より優れている大乗を説いた人は御釈迦様より優れた人になり、その人の方が御釈迦様より有名になるはずです。しかし、なっておりません。と言うことは、その様なことはなく、小乗も大乗も御釈迦様が御説きになられたものなのです。

「世界にひとつだけの花」が後世のアイドルグループにより歌われたものであれば、「夜空ノムコウ」よりヒットした「世界にひとつだけの花」を歌ったアイドルグループはSMAPより優れた国民的アイドルグループとなり、そのアイドルグループの方がSMAPより有名になるはずです。しかし、なっておりません。と言うことは、その様なことはなく、「世界にひとつだけの花」も「夜空ノムコウ」 もSMAPが歌ったものなのです。

大丈夫か?シュウイチ! \(肉ω肉)/

#320 2019年12月24日 21:55:18

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

めぐママさん書き込みありがとうございます

>ずっと不思議に思っていた事なのですが、シュウイチさんは、てつてつさん   の発言に対して、遁走したという表現の仕方を 何度も何度もされていました。遁走って、 遁走曲 バッハのトッカータとフーガのことかしらと思っていました。 何かの拍子に、 あのメロディーが浮かぶのかなぁ?  そういう脳のメカニズム?  理解できないので 遁走について調べました。

いや別にそんなにむずかしい理屈ではなくたんに逃げているという表現よりトンソーのほうがバカにできるような気がして使っているだけじゃないかと思います シュウイチさん得意の精神勝利法じゃないでしょうか

編集者 てつてつ (2020年01月11日 13:06:30)

オフライン

#321 2019年12月24日 23:34:12

めぐママ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

○&○&○
今日は まご娘たち、お嫁ちゃん、そのご両親と ワインを飲んで お肉を食べました。
苺のケーキも食べて、子供たちは絵本やおもちゃのプレゼントを貰って嬉しそう!
息子はまだ仕事であちこちに行っています。
お料理したり、忙しくなりますので わたくしも トンそーします。


てつてつさん    林檎の受粉には  アルプス乙女という 種類が良いそうです。
タキイのカタログにそうありました。 ミニ林檎ちゃんですが、食べられますし、鑑賞用にも良いです。
台風の被害を受けたというのに、生協で注文した不ぞろいの林檎、蜜が入っていて とっても美味しい林檎でした。傷のついた林檎はシードルにするそうですね、楽しみです!

オフライン

#322 2019年12月25日 09:07:12

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#215への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

104ページあたり

青年 それが正しい研究のスタンスだというのは理解できますが、そうやって突き詰めていくと、やはり最終的には「釈迦の仏教」だけが真実で、『般若経』も『法華経』も偽物ということになってしまいませんか?

講師 この講義の最初に申し上げたことの繰り返しになりますが、私はどの経典が正しくて、どれが正しくないという議論をするつもりは毛頭ありません。

上記の件、僧侶がそのようなことを言ったら誰が「どの経典が正しくて、どれが正しくない」と判断するのでしょうか。「どの経典が正しくて、どれが正しくないという議論を」しないから宗教の高低を比較することもせず、世間に迎合する似非宗教になるのです。

また、この著者が信じる浄土真宗(真宗高田派)の依経である「無量寿経」は大乗と言われております。ですので、この著者は「偽物」である「無量寿経」を信じており、信徒に法を説いていることになります。
支離滅裂な著者ではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

そのお経によって救われる人が一人でもいたなら、それは正しい教えだと言えます。

上記の様なことを言うから「鰯の頭も信心から」と世間が馬鹿にされるのです。僧侶として恥ずべきです。


てつてつ さんの発言:

特に『法華経』は「常不軽菩薩」の話にもあるように、「誰からも認めてもらえない、苦労しても報われない姿こそが菩薩の正しい姿である」ととらえたため、本当に辛い状況にある人にとっては大きな心の支えとなるはずです。

また、「南無妙法蓮華経という題目をとなえさえすればすべてがうまくいく」という教えも、病気や貧困に苦しんでいる人にとっては、明日を生きる希望につながっていきます「法華経』は社会を変える力があると信じられたからこそ、多くの人に支持されたのでしょう。冷静な目で見ると、『法華経』はもはや「ブッダ信仰」ではなく、お経そのものを信じる「法華経信仰」に変容してしまっていますが、

上記の件、御釈迦様は最初から最後まで、法、を御説きになられており、法華経にはその法が書かれております。小乗経も同じく、法、が書かれており、終始一貫しております。そして僧俗共に御釈迦様の言葉と御経を信じており、「ブッダ信仰」から「法華経信仰」に変わっておらず、「ブッダ信仰」と呼ばれる様に御釈迦様を仏様として仰ぎ、「法華経信仰」と呼ばれる様に御経に書かれてある法を信じております。著者も御釈迦様と無量寿経に対して同じように信じているのではないでしょうか。でなければ、それは仏教ではないと思います。
そして、著者が大乗を御釈迦様のものではない、と主張したいための、無理矢理なこじつけではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

本来のお釈迦様の教えから離れていったことで、逆に今まで救うことができなかった人を救えるようになったと考えるならば、それは一方ではプラスの進化ととらえることもできます。
それを無理に「釈迦の仏教」に結合しようとすると、いろいろな理屈を使って強弁せざるを得なくなり、かえってお経の価値を損なうことにもなるのです。

上記の言葉を著者自身に当てはめますと、「(著者の宗派の依経である大乗の無量寿経を)「釈迦の仏教」に結合しようとすると、いろいろな理屈を使って強弁せざるを得なくなり、かえってお経の価値を損なうことにもなるのです」となります。愚の骨頂ではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

というわけで自分も色々な宗教の教えによって自分の心の平安を得ることができているというのならそのこと自体を否定するつもりは全くありません「フラシーボ効果だとは思いますが」

上記の件、フラシーボ効果であるなら、それは宗教ではありません。そんな宗教は無くなるべきだと思います。てつてつさんはその様な宗教の存続をお認めになられるのですね。私はその様な宗教は無くなるべきだと思います。人を迷わせ、悩ませ、不幸にさせるだけだと思います。


てつてつ さんの発言:

>それを無理に「釈迦の仏教」に結合しようとすると、いろいろな理屈を使って強弁せざるを得なくなり、かえってお経の価値を損なうことにもなるのです。

シュウイチさんも自分は日蓮正宗の教えによって心の平安を得ることができ救われましたと自分で言っている分には多分みなさんもそうですかそれは良かったですね となると思うのですが 日蓮正宗の教えは絶対に正しくそれを認めないお前らは堕地獄だと強弁するとこの掲示板見ている大勢の人からああ日蓮正宗の教えを受けている人はこんな風になるんだ気をつけなきゃと自分の宗派もまた法華経の価値も損なう結果になっていると思います cry

上記の件、遁走されたり書き手の責任を転嫁したりする人よりは良いと思っております。
物事は見る人により見え方が変わります。邪な人は邪な見え方、正しい人は正しい見え方、になると思います。正しい道理を書いても邪に見えてしまうのは残念ですが仕方ありません。しかし、間違っていることを野放しにして幸せになることはできません (もし、間違っていることを野放しにしていても自分は幸せだと思う人は利己的な人だと思います)。ですので、似非宗教は無くなるべきだと思います。

#323 2019年12月25日 17:11:40

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

>上記の件、フラシーボ効果であるなら、それは宗教ではありません。そんな宗教は無くなるべきだと思います。てつてつさんはその様な宗教の存続をお認めになられるのですね。私はその様な宗教は無くなるべきだと思います。人を迷わせ、悩ませ、不幸にさせるだけだと思います。

>しかし、間違っていることを野放しにして幸せになることはできません (もし、間違っていることを野放しにしていても自分は幸せだと思う人は利己的な人だと思います)。ですので、似非宗教は無くなるべきだと思います。

やっぱり結論はこうなるのですね それで同じような内容の創価学会や日蓮宗すらみとめることなく「というか多分シュウイチさんにいわせるとさらに悪い」正しいのは日蓮正宗のみで他は滅んでしまえ または堕地獄となるわけですね 残念ながらシュウイチさんは理解しておられないかもしれませんが エホバの証人とまったく構造が同じです cry

オフライン

#324 2019年12月25日 17:22:38

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

>てつてつさん    林檎の受粉には  アルプス乙女という 種類が良いそうです。

めぐママさん ありがとうございます ネット見ますと単体では受粉しない場合もあるようですのでとりあえずアマゾンで受粉セットをポチッておきました もーいくつ寝ると食べれるかな  多分最低1000日 3年くらいはムリだと思います

昔 富山県の魚津で大会があったときに街路樹にりんごの木が植えてあって小さいりんごがたわわになっててすごく食べたかったのですが今思えばそれがアルプス乙女だったんじゃないかなと思います うちのは結局みかん程度のフジりんごが2個できただけでした 来年以降に期待です cry
まあほぼ毎日りんごは買ったの食べてますので問題ないのですが

スターウォーズのシールドはよくしっているのですがりんごのシードルは知りませんでした

編集者 てつてつ (2020年01月11日 13:08:14)

オフライン

#325 2019年12月25日 18:27:33

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#221への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

シュウイチさん>てつてつさんの書き込みに、御形木御本尊、とありましたが、意味も分からずに書き込みをされていたのでしょうか。その様なことはないと思っております。と、ここまで書けば思い出されたのではないでしょうか。

ああすみません 以前は御形木御本尊という木型で版画を印刷して本尊にしていたので一枚ずつ手で書くことはないのですね ただそれなら日寛上人様の木型で印刷して作っても効果は同じだと思いますが cry

上記の件、てつてつさんが引用された偽札がなぜ悪いかのことをお忘れのようですね。今一度読まれることをお勧め致します。

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