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#151 2013年01月13日 12:10:36

ゲン
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

訂正

「607年のエルサレムの滅び」
              ↓
「BC607年のエルサレムの滅び」

#152 2013年01月13日 19:56:38

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

こんばんは、

ゲンさん

返信ありがとうございます。

予告されていた背教は西暦2世紀に顕在化しました。
それは、サタンの働きにより、権力欲に動かされた弟子たちの中から始まりました。
権威主義的な優秀な弟子たち (superfine disciples) は、聖書を退けたのではなく、聖書によって自らの地位と権威を高め他の兄弟姉妹たちを支配するのに用いました。ですから、背教の不法の人は聖書を自分の権威の後ろ盾として熱心に保存したでしょう。

使徒 20:29-30
29 わたしが去った後に,圧制的なおおかみがあなた方の中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。30 そして,あなた方自身の中からも,弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事柄を言う者たちが起こるでしょう。

使徒ヨハネが啓示の書を書いた西暦1世紀の終わりごろまでに、現在の聖書目録はクリスチャンの間で回覧されて既に確立していました。それは、ローマカトリック教会ができる200年以上も前のことです。

西暦2世紀に形成された多くの分派はそれぞれ、既に確立されていた目録を継承しており、その写本を残したことになります。やがてキリスト教が国家により承認されて後、ギリシャ正教会により7世紀に、カトリック教会により16世紀に27冊の聖典目録が発表されました。これは、その時点で彼らが27冊を選択し聖典と決定したのではなく、既に聖典として普及していた目録を承認したに過ぎません。現在ではギリシャ正教会、ローマカトリック教会、シリア目録、アルメニア目録、東アフリカ目録などの教会権威は、現在我々が用いている27冊を聖典目録として一致して受け入れています。


西暦1世紀には、霊の賜物により、霊感の書物を見定める人々がいました。それらの賜物を持った人たちにより、早い時期から霊感の書物の聖典目録が完成していったと見ることができます。霊感を受けた手紙や記録が初期クリスチャン会衆の成長とともに回覧され聖典目録として認められていたと思います。

コリント第一 12:8-10
8 たとえば,ある人には霊によって知恵のことば,ある人には同じ霊にしたがって知識のことば,9 ある人には同じ霊によって信仰,ある人にはその一つの霊によっていやしの賜物,10 さらにある人には強力な業の働き,ある人には預言すること,ある人には霊感のことばを識別する力,ある人には種々の異言,そしてある人には異言を解釈する力が与えられています。


コロサイ 4:16
16 そして,この手紙があなた方の間で読まれたなら,それがラオデキアの人たちの会衆でも読まれるように,またあなた方がラオデキアからの[手紙]も読むように取り決めてください。

テサロニケ第一 5:27
27 この手紙がすべての兄弟たちに対して読まれるよう,わたしは主にかけてあなた方に厳粛な務めを負わせます。

テモテ第二 4:13
13 [こちらへ]来るさい,わたしがトロアスでカルポのもとに置いてきた外とう,それに巻き物,特に羊皮紙のものを持って来てください。

ペテロ第二 3:15-16
15 さらに,わたしたちの主の辛抱を救いと考えなさい。それはわたしたちの愛する兄弟パウロも,自分に与えられた知恵にしたがってあなた方に書いたとおりです。16 彼は[その]すべての手紙の中でしているように,これらのことについて述べているのです。しかし,[彼の手紙]の中には理解しにくいところもあって,教えを受けていない不安定な者たちは,聖書の残りの部分についても[している]ように,これを曲解して自らの滅びを招いています。



新約聖典目録(書かれた年代順)

                    西暦
マタイ              41
テサロニケ第一  50
ガラテア           50
テサロニケ第二   51
コリント第一       55
コリント第二       55
ルカ                 56
ローマ              56
コロサイ            60
エフェソス          60
マルコ              60
フィレモン          60
フィリピ             60
テモテ第一         61
使徒                61
ヘブライ             61
テトス               61
ペテロ第一         62
ヤコブ               62
ペテロ第二         64
テモテ第二         65
ユダ                 65
啓示                 96
ヨハネ第一         98
ヨハネ第二         98
ヨハネ第三         98
ヨハネ               98



聖典外の現存する写本の情報も、ヨセハスなどの歴史家や初期クリスチャン作家のエウセビウスなどの作品と同じように参考になると思います。

現在の66冊の聖書聖典目録で真理の全体の把握に支障はないと思います。
「多くのものが行きめぐり真の知識が増す」とダニエル書に述べら得ているように、写本の研究や聖書の内容の研究に多くの人々が関わっていますので、これから先、さらに正確な情報を期待できると考えています。

ダニエル 12:4, 10
4 「そしてダニエルよ,あなたは終わりの時までこれらの言葉を秘し,この書を封印しておくように。多くの者が行き巡り,[真の]知識が満ちあふれる」。
10 多くの者が身を清め,白くし,練り清められる。そして,邪悪な者は必ず邪悪に振る舞い,邪悪な者は一人として理解しないであろう。しかし,洞察力のある者は理解する

編集者 sk (2013年01月18日 21:54:44)

オフライン

#153 2013年01月13日 21:28:36

ray
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

irisさん

御返事ありがとうございます。

聖書解釈の複雑さの原因はプロテスタントにあるとの見解、とても納得がいきます。jwもその一端ですし。

アメリカはユダヤ教的であるのも、カトリックの教えに対抗して、昔のユダヤ教に回帰しているのですね。
私はjwの統治は、日本を占領し統治した、アメリカ合衆国となんら変わらないと思います。日本人は見ざる言わざる聞かざる的ですから、まさにアメリカ、あるいはjwの言う通りにしてきました。そうすれば生き残れる、と信じて。
しかし、日本人の信者が増えないのは、やはりただのイエスマンではだめなことに、やっと日本のjw信者も気付いてきてるのだと思います。

創造者である神を信仰するのは、とても貴重なことだと思います。ですから、神を愛する純粋な心をもったjwにユダヤ教の神ではなく、キリストが教えた、人々を肯定する神を知って欲しいと思います。もちろん聖書から説得できるよう備えをする必要があると思っています。

オフライン

#154 2013年01月14日 09:25:09

ゲン
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

skさん

聖書の編纂については、自分でも調べてみようと思います。

ありがとうございました。

#155 2013年01月15日 12:57:41

ゲン
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

もんもん さんの発言:

霊的な体でよみがえり、天的な者のようになる (コリント第一 15:44, 48)
-> イエスが復活したときの体のように、穴が開いていても生きていられる、天的な不滅性を地上で身に着けます。

肉と血は王国を受継ぐことはできない (コリント第一 15:50)
-> アダムから受け継いだ罪のある体では、王国を受け継ぐことはできません。復活あるいは、体を変えられることが必要です。

もんもんさんの投稿を読んで、以前、疑問に思っていたことを思い出しました。
以下の聖句です。

マタイ22:23-33

22:23復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、その日、イエスのもとにきて質問した、 22:24「先生、モーセはこう言っています、『もし、ある人が子がなくて死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。 22:25さて、わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男は妻をめとったが死んでしまい、そして子がなかったので、その妻を弟に残しました。 22:26次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。 22:27最後に、その女も死にました。 22:28すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんながこの女を妻にしたのですが」。 22:29イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしているのです。 22:30復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはありません。彼らは天にいるみ使いのようなものです。 22:31また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのですか。 22:32『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてあります。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」。 22:33群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。

復活する人がなぜ結婚できないのか疑問でした。
七人の兄弟と妻のケースならともかく、一生を添い遂げた夫婦も多いし、若くして未婚のまま亡くなった人たちも多い。それらの人たちは、復活しても結婚できない。一方、大艱難を生き残る人々は、たまたまその時代に生きていたということだけで、楽園に行っても結婚できる。その理由がまるで分かりませんでした。

キリストは「復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはありません。彼らは天にいるみ使いのようなものです」と言われました。
これは、コリント第一(15:42-44)に照らして解釈すると、霊の体で復活することを意味しているのではないでしょうか。
肉を持つ人間の場合、男女が補い合う存在だから結婚という制度が必要だけど、み使いのように霊の体であれば、性別もなく、もはや、めとることも嫁ぐことも必要ではないという意味に解釈できます。

そして、大艱難を生き残った人々も、コリント第一(15:50-55)に照らして、霊の体に変えられると解釈できるのではないでしょうか。

もちろん霊の体であっても生きる場所は、この地球です。

#156 2013年01月15日 21:46:35

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

>復活する人がなぜ結婚できないのか疑問でした。
>七人の兄弟と妻のケースならともかく、一生を添い遂げた夫婦も多いし、若くして未婚のまま亡くなった人たちも多い。それらの人たちは、
>復活しても結婚できない。一方、大艱難を生き残る人々は、たまたまその時代に生きていたということだけで、
>楽園に行っても結婚できる。その理由がまるで分かりませんでした。

この区別は非常に不自然ですもんね。死んでいた人は復活して、生きていた人は、ぱっと変えられるんじゃないかなぁと想像したりします。

「彼らは天にいるみ使いのようなものです。」という言葉は、わたしは「彼らは天にいるみ使いのように結婚しません」と解釈します。
「彼らは天にいるみ使いのように見えない体を持ちます」とは読みません(これはわたしの解釈ですね)。

わたしは、エホバの証人の解釈と同じで、見える体で地上に復活すると考えます。
男性と女性の区別もあって、お酒も飲めるし、食べ物も食べられる体だと思います。
結婚はしないと書かれているので、男女関係がどうなるかは、お楽しみという感じです。

オフライン

#157 2013年01月16日 10:24:49

ゲン
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

もんもん さんの発言:

わたしは、エホバの証人の解釈と同じで、見える体で地上に復活すると考えます。
男性と女性の区別もあって、お酒も飲めるし、食べ物も食べられる体だと思います。
結婚はしないと書かれているので、男女関係がどうなるかは、お楽しみという感じです。

こればかりは、その時になってみないとわからないですね。

いずれにしても、コリント第一 15章は、天に召される人たちのことではなく、地上で、復活あるいは生きたまま霊の体に変えられる人たちのことを述べているのは明らかですね。

#158 2013年01月16日 20:30:10

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

こんばんは、


復活に関してわたしの理解を述べたいと思います。


まず、霊の体で地上で住むことはありません。
天から地上を訪問して滞在することはあるでしょう。

物質宇宙は、霊者の領域ではありません。
天使たちの領域は聖書では天と呼ばれています。


詩篇 115:16
16 天についていえば,天はエホバに属する
しかし地はというと,[神]は[これを]人の子らにお与えになった。

ユダ 6
6 また,自分本来の立場を保たず,そのあるべき居所を捨てたみ使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密な闇のもとに留め置いておられます。


上記の聖句は、神のような霊者のあるべき居所が、地上ではなく天であることを教えています。
天は、物質宇宙のことではありません。それは霊者の領域です。
霊には骨肉はありません。物質ではないのです。(ルカ 24:39)
また、肉と血は天の王国を受継ぎません。つまり天に行けません。(コリント第一 15:50)


キリストは、その天から人類の救出のために地に来ました。
そして贖いを備え、地上での業を果たし、創世記 3:15 の予言の成就としてサタンの敵意の中「かかとを砕かれ」刑柱上の死の後3日後に霊の体で復活され、40日間地上に滞在され、その後雲と共に昇天し見えなくなりました。その後イエスは天で高められた栄光のうちに居住しています。そして、キリストに属するアブラハムの胤、小さな群れ、地から買い取られた144,000人で表されているイエスの弟子たちはキリストと同じように変えられ霊者として天に居住することになっています。彼らは天に召されれおり、地上は彼らのあるべき居所ではありません。

以下の聖句はそのことを立証しています。

キリストの復活

ヨハネ 17:4-5
4 わたしは,わたしにさせるために与えてくださった業をなし終えて,地上であなたの栄光を表わしました。5 それで,父よ,世がある前にわたしがみそばで持っていた栄光で,わたしを今ご自身の傍らにあって栄光ある者としてください。

フィリピ 2:6-11
6 彼は神の形で存在していましたが,強いて取ること,つまり,自分が神と同等であるようにということなどは考えませんでした。7 いえ,むしろ,自分を無にして奴隷の形を取り,人のような様になりました。8 それだけでなく,人の姿でいた時,彼は自分を低くして,死,それも苦しみの杭の上での死に至るまで従順になりました。9 まさにこのゆえにも,神は彼をさらに上の地位に高め,[他の]あらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです。10 それは,天にあるもの,地にあるもの,地の下にあるもののすべてのひざがイエスの名によってかがみ,11 すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰するためでした。

ペテロ第一 3:18
18 キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。義なる方が不義の者たちのためにです。それはあなた方を神に導くためでした。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです。

テモテ第一 3:16
16 明らかなことですが,この敬虔な専心に関する神聖な奥義はまことに偉大です。すなわち,『彼は肉において明らかにされ,霊において義と宣せられ,み使いたちに現われ,諸国民の中で宣べ伝えられ,世で信じられ,栄光のうちに迎え上げられた』のです。

テモテ第一 6:16 (復活後のイエスについて)
16 ただひとり不滅性を持ち,近づき難い光の中に住み,人はだれも見たことがなく,また見ることのできない方です。この方に永遠の誉れと偉力とがありますように。アーメン。


天への召し、(天への復活)

キリストに属するアブラハムの胤、小さな群れ、地から買い取られた144,000人の王なる祭司はキリストと同じ栄光の体で復活し天で居住します。地上ではありません。


テモテ第二 2:10
10 そのゆえにわたしは,選ばれた者たちのためにすべての事を忍耐してゆきます。彼らもまた,キリスト・イエスと結びついた救いを,永遠の栄光と共に得るためです。

テサロニケ第一 2:12
12 それはあなた方が,あなた方をご自分の王国と栄光とに召しておられる神にふさわしく歩んでゆくためでした。

テサロニケ第二 2:14
14 ほかならぬこの定めに,[神]はあなた方を,わたしたちの宣明する良いたよりを通して召してくださったのであり,それは,わたしたちの主イエス・キリストの栄光を得るためなのです。

ペテロ第一 5:10
10 しかし,あなた方がしばらくのあいだ苦しみに遭った後,キリストとの結びつきにおいてあなた方をご自分の永遠の栄光に召された,あらゆる過分のご親切の神は,自らあなた方の訓練を終え,あなた方を確固とした者,強い者としてくださるでしょう。

マタイ 17:1-2
1 六日後,イエスはペテロとヤコブおよびその兄弟ヨハネを伴い,彼らだけを高大な山の中に連れて来られた。2 そして彼らの前で変ぼうされ,その顔は太陽のように輝き,その外衣は光のようにまばゆくなった

ペテロ第二 1:16-17
16 そうです,わたしたちが,わたしたちの主イエス・キリストの力と到来についてあなた方に知らせたのは,巧みに考え出された作り話によったのではなく,その荘厳さの目撃証人となったことによるのです。17 というのは,「これはわたしの子,わたしの愛する者である。わたし自らこの者を是認した」という言葉が荘厳な栄光によってもたらされた時,[イエス]は父なる神から誉れと栄光をお受けになったからです。

ヨハネ 14:19
19 あとしばらくすれば,世はもはやわたしを見ないでしょう。しかしあなた方はわたしを見ます。わたしは生きており,あなた方も生きるからです。

コリント第一 15:47-49
47 最初の人は地から出て塵で造られており,第二の人は天から出ています。48 塵で造られた者たちは塵で造られた者のようであり,天的な者たちは天的な者のようです。49 そして,わたしたちは,塵で造られた者の像を帯びてきたように,また天的な者の像を帯びるのです。

フィリピ 3:20-21
20 しかしわたしたちについて言えば,わたしたちの市民権は天にあり,わたしたちはまた,そこから救い主,主イエス・キリスト[が来られるの]を切に待っています。21 彼はその持つ力,すなわち一切のものをご自分に服させるほどの[力]の働きにより,わたしたちの辱められた体を作り替えて,ご自分の栄光ある体にかなうものとしてくださるのです。




聖書は3つの異なる復活に言及しています。

1 第一の復活(天への復活、アブラハムの胤、小さな群れ、144,000人の王なる祭司のため)
2 地的な復活(地上のパラダイスへの復活、アブラハムを含め人類の大半のため)
3 象徴的な復活(罪から開放、エフェソス 2:1)


イエスキリストは復活を信じないサドカイ人から挑戦を受けた時、天への復活と地上での復活の双方に言及して答えておられます。サドカイ人はユダヤ人で、主に地的な復活を念頭に質問をしています。彼らは、7人の夫の妻となった婦人は復活の時に誰の妻となるかについて尋ねました。

バプテストのヨハネ以来、天の王国への招待がユダヤ人に差し伸べられていました。イエスの宣教の目的は、それらご自分に属するアブラハムの胤を集めることでした。そしてそれらキリストに属す者は、天への復活を経験しキリストと共に天に住むことになっています。それで、そのような人々は、復活の際 マタイ 22:30 に述べられているように天にいるみ使いたちのようになります。

しかし、ユダヤ人一般が信じていた終わりの時における地的な復活があります。その復活について旧約聖書は明確の述べており、イエスはマタイ 22:31-32 でそれに言及しています。


マタイ 22:29-30
29 イエスは答えて言われた,「あなた方は間違っています。聖書も神の力も知らないからです。30 復活のさい,男はめとらず,女も嫁ぎません。天にいるみ使いたちのようになるのです。31 死者の復活については,神によってあなた方に語られた事柄を読まなかったのですか。こう言われました。32 『わたしはアブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神である』。この方は死んだ者の神ではなく,生きている者の[神]なのです」。

ルカ 20:34-38
34 イエスは彼らに言われた,「この事物の体制の子らはめとったり嫁いだりしますが,35 かの事物の体制と死人の中からの復活をかち得るにふさわしいとみなされた者たちは,めとることも嫁ぐこともありません。36 実際,彼らはもう死ぬこともないのです。彼らはみ使いたちのようなのであり,また,復活の子であることによって神の子たちなのです。37 しかし,死人がよみがえらされることについては,モーセでさえ,いばらの茂みに関する記述の中で[それを]明らかにしました。そのさい彼は,エホバを,『アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神』と呼んでいます。38 この方は死んだ者の神ではなく,生きている者の[神]です。彼らは皆,[神]にとっては生きているのです」。


「死人の中からの復活をかち得るにふさわしいとみなされた者たち」は、一般の人ではありません。
なぜなら、一般の人たちは、邪悪な者でさえ裁きのために復活するとのべられているからです。(ヨハネ 5:29)
これは、むしろアブラハムの胤、天への召しを受けている人たちについて述べています。

彼らについては、精力的に努力すること、また征服することが要求されています。それは天への召しを確実にするためです。それでそのようなアブラハムの胤に、「復活をかち得る」という表現が当てはまります。そのような者は第一の復活により天に行き、み使いたちのようになるでしょう。

ルカ 13:24
24 「狭い戸口を通って入るため,精力的に励みなさい。あなた方に言いますが,入ろうと努めながら入れない者が多いからです。

啓示 3:21
21 征服する者には,わたしと共にわたしの座に座することを許そう。わたしが征服して,わたしの父と共にその座に座したのと同様である。


ルカ 20:35 の「かの事物の体制」という表現は、天の王国による支配を受ける新しい人間社会です。刑柱上の罪人に対するイエスの約束によるとそれがパラダイスであることが分かります。イエスの傍らで処刑されたこの罪人も地上のパラダイスに復活するでしょう。サドカイ人は復活を否定していましたが、パリサイ人は復活を信じていました。パリサイ人またラザロの姉妹のマルタを含め一般のユダヤ人はこの地上のパラダイスへの復活を信じていました。

この地上のパラダイスへの復活の真実性についてイエスは神の能力から推論しています。
聖書は、神についえ、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と表現している以上、それら死んで墓に眠る族長たちは、神の思いの中に生きていることを意味します。つまり永遠に生きる全能の創造者の思いの中にあるということは、彼らに将来があり、神の定めた時にかつて生活した地上の命に戻されることを保証しています。

聖書中には死人の地的な復活の例が 8 件あります。

ザレファテのやもめの息子  (エリアによる、列王第一 17:17-23)
シュネム人の女の息子      (エリシャによる、列王第二 4:31-37)
男                              (エリシャの骨にふれて、列王第二 13:21)
ナインのやもめの息子       (イエスによる、ルカ 7:11-15)
ヤイロの娘                    (イエスによる、マルコ 5:41-42)
ラザロ                          (イエスによる、ヨハネ 11:43-44)
ドルカス                        (ペテロによる、使徒 9:36-42)
ユテコ                          (パウロによる、使徒 20:7-12)


一般のユダヤ人が信じていた復活は地上のパラダイスへの復活です。
その体制における結婚の取決めも、全地が定員に達するといずれなくなるのかも知れません。
全宇宙に人類家族を拡大してゆくのかなど聖書に書かれていないところは、各自が想像を楽しめるところですね。




天的な復活

啓示 20:5
5 (残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった。←最古のシナイ写本に無い)これは第一の復活である。6 第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する。


コリント第一 15:22-23 (共同訳)
22 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。
23 ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち

コリント第一 15:40
40 そして,天的な体と地的な体があります。


コリント第一 15:42-52
42 死人の復活についてもこれと同じです。朽ちる様でまかれ,朽ちない様でよみがえらされます。43 不名誉のうちにまかれ,栄光のうちによみがえらされます。弱さのうちにまかれ,力のうちによみがえらされます。44 物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます。物質の体があるなら,霊的な[体]もあります。45 まさにそう書かれています。「最初の人アダムは生きた魂になった」。最後のアダムは命を与える霊になったのです。46 とはいえ,最初のものは霊的なものではなく,物質のものであり,後に霊的なものとなります。47 最初の人は地から出て塵で造られており,第二の人は天から出ています。48 塵で造られた者たちは塵で造られた者のようであり,天的な者たちは天的な者のようです。49 そして,わたしたちは,塵で造られた者の像を帯びてきたように,また天的な者の像を帯びるのです。

50 また,兄弟たち,わたしはこのことを言います。肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません。51 ご覧なさい,わたしはあなた方に神聖な奥義を告げます。わたしたちはみな[死の]眠りにつくのではありませんが,わたしたちはみな変えられるのです。52 一瞬に,またたくまに,最後のラッパの間にです。ラッパが鳴ると,死人は朽ちないものによみがえらされ,わたしたちは変えられるからです。

テサロニケ第一 4:16-17
16 主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパと共に天から下られると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです。17 その後,生き残っているわたしたち生きている者が,彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたちは,常に主と共にいることになるのです。

ペテロ第一 1:3-4
3 わたしたちの主イエス・キリストの神また父がたたえられますように。[神]はその大いなる憐れみにより,イエス・キリストの死人の中からの復活を通して,生ける希望への新たな誕生をわたしたちに与えてくださったのです。4 すなわち,朽ちず,汚れなく,あせることのない相続財産へ[の誕生]です。それはあなた方のために天に取って置かれているものです。


第一の復活にあずかる者、アブラハムの胤、キリストに属する小さな群れ、地から買い取られた144,000人は天に復活します。彼らはみ使いたちのような霊者となります。彼らが、王なる祭司しとして贖われた人類の世話ののためにかつて住み慣れていた地上を訪問するのはごく自然なことと思います。その際彼らは、かってみ使いたちがしたように化肉して人間の姿で現れるでしょう。




地的な復活

ヨハネ 11:24
24 マルタは言った,「彼が終わりの日の復活の際によみがえることは知っております」。

ダニエル 12:1-2 (終わりの時の予言)
2 また,塵の地に眠る者のうち目を覚ます者が多くいる。この者は定めなく続く命に,かの者は恥辱に,[また]定めなく続く憎悪に[至る]。

伝道 3:16-17
16 そして,わたしはさらに日の下で,公正の場に邪悪があり,義の場に邪悪があるのを見た。17 わたしは心の中で自ら言った,「[まことの]神は義なる者をも邪悪な者をも共に裁かれる。そこにはすべての事に,またすべての業に関して時があるからである」と。

伝道 12:14
14 [まことの]神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して,それが善いか悪いかを裁かれるからである。

ヨハネ 5:29
29 良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと[出て来るのです]

ヘブライ 9:27
27 そして,人がただ一度かぎり死に,そののち裁き[を受けること]が定め置かれているように,

編集者 sk (2014年06月26日 20:46:59)

オフライン

#159 2013年01月16日 21:11:06

ゲン
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

コリント第一15:50
兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。

コリント第一15:50は、「神の国」であって「天の王国」ではありません。
そして、「神の国」とは、天であれ地上であれ「神の国」です。
つまり、地上においても「肉と血とは神の国を継ぐことができない」のです。
よって、地上の人々も「霊の体」に変えられることは自明の理です。

#160 2013年01月16日 21:46:39

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

こんばんは、


引き続き、

神の王国を受継ぐ人について


アダムは霊の体を持っていませんでした。
彼は地からでた血肉の魂でした。彼は塵であり物質です。神やみ使いたちのような霊ではありません。
そのような地に属する要素は神の王国を受継げません。
イエスはパリサイ人のニコデモにその点を明確に述べています。


コリント第一 15:42-52
42 死人の復活についてもこれと同じです。朽ちる様でまかれ,朽ちない様でよみがえらされます。43 不名誉のうちにまかれ,栄光のうちによみがえらされます。弱さのうちにまかれ,力のうちによみがえらされます。44 物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます。物質の体があるなら,霊的な[体]もあります。45 まさにそう書かれています。「最初の人アダムは生きた魂になった」。最後のアダムは命を与える霊になったのです。

46 とはいえ,最初のものは霊的なものではなく,物質のものであり,後に霊的なものとなります。47 最初の人は地から出て塵で造られており,第二の人は天から出ています。48 塵で造られた者たちは塵で造られた者のようであり,天的な者たちは天的な者のようです。49 そして,わたしたちは,塵で造られた者の像を帯びてきたように,また天的な者の像を帯びるのです。

50 また,兄弟たち,わたしはこのことを言います。肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません。


神の王国を受継ぐ人は、アダムのような血肉の地に属するものではありません、彼らはキリストのような霊であり天に属します。


ヨハネ 3:3-8
3 イエスは答えて言われた,「きわめて真実にあなたに言いますが,再び生まれなければ,だれも神の王国を見ることはできません」。4 ニコデモは彼に言った,「どうして人は年を取ってから生まれることができるでしょうか。自分の母の胎にもう一度入って生まれてくることなどできないではありませんか」。5 イエスは答えられた,「きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです。6 肉から生まれたものは肉であり,霊から生まれたものは霊です。7 わたしがあなたに,あなた方は再び生まれなければならないと言ったからといって,驚いてはなりません。8 風はその望む所に吹き,あなたはその音を聞いても,それがどこから来てどこへ行くのかを知りません。霊から生まれた者も皆そのようです」。


神の王国の相続人、キリストに属するアブラハムの胤は天から地上の楽園の回復のために働きます。
ゲンさんがご指摘のように神の王国は地上の領域を持っておりアダムの多くの子孫は新しい地を血肉の体で受継ぐでしょう。
その際、イエスの傍らで信仰働かせたあの罪人も地的復活を経験しパラダイスで裁きと祝福を受けるでしょう。

オフライン

#161 2013年01月18日 21:11:36

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

こんばんは、


苦しみの杭 又は 十字架


キリストの弟子のトマスはキリストの復活を信じませんでした。
トマスは、キリストの死を次のように描写しています。

ヨハネ 20:25 (新世界訳日本語)
25 そのためほかの弟子たちは,「わたしたちは主を見た!」と彼に言うのであった。しかし彼は言った,「その手にくぎの跡を見,わたしの指をくぎの跡に差し入れ,手をその脇腹に差し入れない限り,わたしは決して信じない」。

日本語では、「手」も「釘」も単数扱いされていますが、原語と英語では、それは複数となっています。

Joh 20:25 (新世界訳英語)
25 Consequently the other disciples would say to him: "We have seen the Lord!" But he said to them: "Unless I see in his hands the print of the nails and stick my finger into the print of the nails and stick my hand into his side, I will certainly not believe."


「手 」(hand) は、手首 (wrist) や腕 (arm) ではありません。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hand

「釘」(nails 複数)

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hand, wrist, arm

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ギリシャ語スタウロスの意味
σταυρός stauros stau-ro's
http://www.blueletterbible.org/lang/lex … 4716&t=KJV

苦しみの杭 (torture stake)、 又は交差した杭 (cross)


聖書中の用法

1) 交差した杭 (cross)
a) フェニキア人からギリシャ人とローマ人が借用した、良く知られた、最も残忍で屈辱的な処罰。
ローマ人の中の重罪犯、特に卑下された奴隷、強盗、作家、暴動の首謀者などや、
時々、地方の行政官の気まぐれにより、正しく平和を愛する人たち、ローマの市民でさえはり付けられた。
b) キリストが経験した十字架。
2) 塀や柵に用いられる先の尖った杭。


キリストの罪名板の取り付け位置について

ローマ人が苦しみの杭の上につけた罪状には、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書かれていました。


ヨハネ 19:19
19 ピラトはまた,[罪]名を書いて,それを苦しみの杭の上につけた。それは,「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書かれていた。

マルコ 15:26
26 そして,彼の罪状を書き込んで「ユダヤ人の王」と記したものが上方に[掲げられた]。

ルカ 23:38
38 また,彼の上方には,「これはユダヤ人の王」と書き記したものがあった。


「上方に」という表現は、ものみの塔の挿絵になるように上方に上げられた手の「上方」ということでしょうか。
目撃証人のマタイはそれがイエスの頭の上であることを記録しています。

マタイ 27:37
37 また彼らは,「これはユダヤ人の王イエス」と記した罪状を彼の頭上に掲げた



上記のまとめ

手を杭にはり付けた「釘」は複数。
罪状は「頭上」に掲げられていた。
ローマ人は処刑に交差した杭 (cross) を用いていた。


上記の要素から判断して、キリストは十字架で処刑されたと見ることが自然のように思えます。


おそらく、交差した杭の一本は処刑の現場にあり、イエスは他の一本をピラトのところからゴルゴタまで運ばされることになったのでしょう。しかし、一晩中の尋問と拷問、愚弄のため、非常に重いその杭を運ぶ体力を消耗していたため、ローマの兵士は途中からキレネ生まれのシモンにそれを運ばせました。そして、現場で交差した杭の処刑具が組み立てられその上に両腕を広げたイエスが乗せられてその右と左の手の平に「釘」がそれぞれ打ち込まれたと思われます。そして、イエスの頭のすぐ上に罪状が取り付けられたのでしょう。


偶像について

キリストが処刑された、ローマ人が用いていた処刑具である交差した杭(十字架)の偶像視はできません。
しかし、処刑道具が十字架である可能性を否定する根拠は十分でないと思います。
むしろ、聖書中の記録はその可能性を示しています。

ユダヤ風の一本の杭にしろ、交差したローマ風の杭にしろ、キリストが罪なくして処刑された事実が教えていることには極めて重要な意味があります。それは、全人類、アダムの全ての子らの救いをもたらす意義があります。それで、キリストの死に関する話は、キリスト教の主要な音信です。その音信は、創世記 3:15 の神の最初の約束の成就を説明するものです。

コリント第一 1:18
18 苦しみの杭(十字架)についての話は,滅びゆく人々にとっては愚かなことですが,救われつつあるわたしたちにとっては神の力なのです。

キリストの死の意義については、#77 をご覧下さい。
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=415#p415



キリスト教会(カトリック、プロテスタント、その他): 十字架を象徴として用いている。
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ものみの塔聖書冊子協会: 母なる組織のシンボルとして、ものみの塔を象徴として用いている。
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もし、ある人がそのようなシンボルを崇拝の対象と見なすなら、それは聖書により非難されている偶像崇拝行為となるでしょう。私たちにとって神聖なものは、私たちの永遠の救出のために命を与えてくださった方であり、その方の処刑の道具の「十字架」や、非聖書的な母なる組織の「ものみの塔シンボル」ではあり得ません。


ヨハネ第一 5:21
21 子供らよ,自分を偶像から守りなさい。


わたしたちは「十字架」についての話を宣べ伝えいるのであり、十字架を崇敬の気持ちを持ってみているのではありません。


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クリスチャンは身分を示すシンボルなど不要と個人的に思っています。

編集者 sk (2013年01月19日 11:25:48)

オフライン

#162 2013年02月26日 16:01:17

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

主の記念式

イエスは創世記の約束の「女の胤」として、私たちを罪とサタンの支配から開放するためにエホバ神により使わされました。

創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう。

彼は、神の救いの手だてでした。(ルカ 2:30)
イエス(ヨシュア)の意味は「エホバは救い」です。
彼はエホバ神ご自身ではありません。
イエスはエホバ神の救いの手だてとしてエホバ神ご自身により使わされました。
彼はご自分のことを「神の子」と呼ばれました。
彼はご自分を「神」として呼んだことはありません。
イエスは人類を祝福するアブラハムの主要な胤でした。


創世記 22:18
18 そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである。


ガラテア 3:16
16 さて,その約束はアブラハムとその胤に語られました。それが大勢いる場合のように,「また[多くの]胤に」とではなく,一人の場合のように,「またあなたの胤に」と述べてあり,それはキリストのことなのです。


イエスは、多くの人に命を与えるために天から下った「生きたパン」とも呼ばれています。


ヨハネ 6:51
51 わたしは天から下って来た生きたパンです。だれでもこのパンを食べるなら,その人は永久に生きます。そして,本当のことですが,わたしが与えるパンとは,世の命のためのわたしの肉なのです。

アダムは神への従順を保てずに、人間の価値(質)を低めました。
では、どのようにして失われた人間の信頼性や価値を回復できるでしょうか。
それは、アダムと同様な他の人間の神への完全な従順によって成し遂げられます。

それで、神は創造物の始め、または初子をアダムと同等な人間として地上に使わされました。
それで、イエスは自らを「人の子」と呼ばれました。

マタイ 17:22-23
22 彼らがガリラヤに集まっていた時のことであったが,イエスは彼らにこう言われた。「人の子は裏切られて人々の手に渡されるように定められています。23 そして人々は彼を殺し,三日目に彼はよみがえらされるでしょう」。このため,彼らは非常に悲しんだ。

イエスは、アダムが失ったのと同じ人間としてのご自分の完全な命を手放さねばなりませんでした。
彼は完璧な従順を死に至るまで保つ必要がありました。
アダム失敗による死の影響を取除くためイエスは罪のない死を達成する必要がありました。
イエスは、人間の質、可能性、信頼性をエホバ神が意図された完全な基準まで回復する必要がありました。

それで、神はキリストの業のために、イエスに完全な人間の体を備えられました。
サタンがもたらす厳しい圧力の下で、イエスは備えられた人間の体で罪のない状態を犠牲の死を遂げるまで保つ必要がありました。

そして、彼はそれに期待どおり成功しました。
それで、彼はエホバ神に完全な価値のある犠牲を捧げることができました。
命の価値を低めそれを失ったアダムの死と異なり、イエスの死は極めて高い価値があります。

イエスが達成されたことのおかげで、アダムの失敗の影響である罪とサタンの支配からの救いが私たちにもたらされます。


ヘブライ 10:5, 10
5 ゆえに,世に来る時,彼はこう言います。「『犠牲や捧げ物をあなたは望まず,わたしのために体を備えてくださった
10 ここに述べた「ご意志」のもとに,わたしたちは,イエス・キリストの体がただ一度かぎりささげられたことによって,神聖なものとされているのです。

ヘブライ 2:14-15
14 そこで,「幼子たち」が血と肉を持つ者なので,彼も同様にその同じものにあずかりました。それは,自分の死によって,死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔を無に帰せしめるためでした。15 またそれは,死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべてを解放するためでした。

ペテロ第一 2:22-24
21 事実,あなた方はこうした[道]に召されたのです。キリストでさえあなた方のために苦しみを受け,あなた方がその歩みにしっかり付いて来るよう手本を残されたからです。22 彼は罪を犯さず,またその口に欺きは見いだされませんでした。23 彼は,ののしられても,ののしり返したりしませんでした。苦しみを受けても,脅かしたりせず,むしろ,義にそって裁く方に終始ご自分をゆだねました。24 杭の上でわたしたちの罪をご自身の体に負い,わたしたちが罪を断ち,義に対して生きるようにしてくださったのです。そして,「彼の打ち傷によってあなた方はいやされました」。

ローマ 5:18-19
18 こうして,一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果が有罪宣告であったのと同じように,正しさを立証する一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。19 一人の人の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人[の方]の従順を通して多くの者が義とされるのです。

イエスは、罪のない状態を死に至るまで保つことができましたので、わたしたちもそうすることができます。
アダムもそう望むらイエスのように従順を保つことができたでしょう。
このようにイエスの死は、アダムが低めた人間の質、信頼性、価値を神の完全の基準まで高めました。

エホバ神は罪を犯すことができません。
つまり自らを堕落させることができません。
それで、神の像に造られている神の子たちもまた、忠誠と愛の点でエホバ神と同じになれます。

そのように忠誠と愛の点で完全になったものに、エホバ神は惜しみなく永遠の命、または不朽の命を、ご自分の全幅の信頼のしるしとして喜んでお与えになります。

それは、詩篇 84:11 の完璧な成就となります。

詩篇 84:11
11 神エホバは太陽,また,盾であり,
恵みと栄光をお与えになるからです。
エホバは,とがなく歩む者に良いものを何も差し控えられません


これらに加えて、サタンの偽りももた証明されました。


創世記 3:1, 5
1 . . . 「あなた方は園のすべての木からは食べてはならない,と神が言われたのは本当ですか」
5 その[木]から食べる日には,あなた方の目が必ず開け,あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになることを,神は知っているのです。

サタンは、「神がご自分の子供たちに何か良いものを差し控えている」と主張しています。

しかし、事実は、キリストが成し遂げられたことが証明しているように、サタンの主張のとおりではありませんでした。
神は最も低い人(イエス)を創造物の中で最も高い地位に高められました。

ダニエル 4:17
17 . . . 至高者が人間の王国の支配者であり,ご自分の望む者にそれを与え,人のうち最も立場の低い者をさえその上に立てるということを,生ける者が知るためである。

フィリピ 2:9
9 まさにこのゆえにも,神は彼をさらに上の地位に高め,[他の]あらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです。

このように、イエスはサタンとアダムが低めた神の家族の質、可能性、信頼性を最高に高めました。
その理由で、キリストの死は記念するに値します。


今年は、ニサンの14日は3月26日火曜日となります。

ニサンの14日
春分に一番近い新月の翌日から数えて14日目

春分
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?ht … yunbun.htm

月齢カレンダー
http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm?cmd=20130309110


Quartodecimanism (英語)
http://en.wikipedia.org/wiki/Quartodecimanism

編集者 sk (2014年06月26日 20:53:22)

オフライン

#163 2013年02月26日 17:06:55

jam
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

SKさんへ

わたしはJWとして長年学んできているので、疑問に対する聖句は
思い出すことができます。割り当てなどもそのようにして果たして
きました。

ここに来る人は、JWの教えに辟易して集ってきているのだと思うんです。

不真面目な人は、決してこのような掲示板に来ないと思います。

よくよく真剣に聖書を読んで 個人研究して 人生経験をして
そのうえで正直に疑問を投げかけていると思います。

以前のように、活発に お互いの考えや疑問や感想で
掲示板が賑わうのを期待しています。

私たちは交流を必要としているのではないでしょうか?

SKさんの有益な情報を求めている人は多くいます。

でも、JWの教えとかぶるところがあるならば、それは精査されて除外されて
違うところだけ載せていただくというのはいかがでしょうか?

大変僭越なお願いだとは思います。

どうかよろしくお願いします。

#164 2013年02月26日 18:36:40

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

jam さん

こんばんは、
ご意見ありがとうございます。

わたしの思いを説明させてください。

わたしは、ものみの塔バビロンにいる兄弟たちが事実に気付くことを願っています。
とりあえず、わたしの場合、ネットでものみの塔の隠れた事実を知り、ものみの塔バビロンを暴露して組織を排斥しました。
それでこの偽神権組織の偽りの教えではなく聖書そのものが示す教えに従う決意でいます。
また、ものみの塔の偏向した教理により理解が妨げられた点が、これまでの個人的な聖書研究をとおしてより鮮明に分かるようになりました。

もちろん、全てを理解しているとは思いませんが、聖書の裏付けが取れている理解もあります。
それで、自らが確信している真理を伝えたいとの願いがあります。
それは、それによって他の人が益を受けることを確信しているからです。

ですから、ものみの塔バビロンにいるJWの兄弟たちの覚醒や解放のために、ものみの塔協会の実態を裏付けるニュースと自らが確信している真理を発信したいとの強い動機付けがあります。

それで、JWの教えとかぶる部分と jam さんが仰っている点は、いわばわたしにとっては貴重な聖書の真理の一部であるということになります。

もし、どなたかがそれらの聖書の真理を聞きたくないなら、その方はその部分を飛ばして読むと思います。それで良いと思っています。

わたしとしては、聖書の真理を擁護したいと思っています。
そして、聖書の真理は、ものみの塔協会、または他の組織や個人に属するものではありません。
それは、神からのものであり、神を求めている全ての人が感謝して受け入れるものであると考えています。

ヨハネ 8:47
47 神からの者は神の言われることを聴きます。

jam さんもご自分の確信を表明なさってみるのはいかがでしょうか。
そのうち、掲示板が以前のように色々な意見や見方の交換の場になると思います。
それまでは、地道に自らの発見、確信の発信を続けるのが良策ではないでしょうか。

そのようにしながら、来るまで待とう投稿者で行きましょう。

編集者 sk (2014年06月26日 20:54:15)

オフライン

#165 2013年02月26日 21:03:49

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

対照的な2つの異なる死

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無価値な死
罪にふさわしい失格者としての死


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価値ある死
義のためにそれに値しない忠誠保持者としての死


キリストの死が証明したこと

アダムの死は、人間の創造者で自由意志を与えた神の責任ではない。
自由意志の誤用はアダム自身の責任である。
アダムは自分の命も含めすべての良いものの源である神への信仰と愛を培い損ねたために神への従順を保つことができませんでした。彼は神の喜ぶことを選びませんでした。

しかし、それは彼がそれをできなかったということではありません。
もし彼がそう望むなら、自分と人類家族のために正しい選択をすることも可能でした。

神が与えた自由意志は信仰と愛からで来ています。
そして、わたしたちは自由意志の行使の仕方によって裁かれます。
究極的に二者択一の選択となります。つまり命と祝福か、死と困難の選択です。
つまり、キリストの模範に従うか、アダムやサタンの道をを行くかということです。


申命記 30:15, 19-20
15 見なさい,わたしは今日,あなたの前に,命と善を,そして死と悪とを置く。
19 わたしは今日,天と地をあなた方に対する証人として立て,あなたの前に命と死祝福と呪いを置いた。あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。20 すなわち,あなたの神エホバを愛し,その声に聴き従い,これに堅く付くのである。[神]はあなたの命,あなたの長い日々なのであり,


人が存在する前に誰が自由意志を誤用するか、神は知りません。
また、自由意志の誤用は意図されていませんし望まれるいるものではありません。
だれも罪を犯すように運命付けられていません。

すべての事は原因と結果の原則に従って生じます。

ガラテア 6:7
7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。


そして在るのは、神の子たちのための神の善意と愛ある目的のみです。
しかし、人は自由意志を誤用し、神が意図していない悲哀を作り出しました。
自分と他のものにとって有害なものを退ける十分な能力が神の子たちには与えられていました。

残念なことに、神はご自分の子たちの自由意志の誤用をそれぞれその場で扱うよう強いられてきました。
それは、はじめから意図されているものでも計画されていたものでもありませんでした。
そのようなことは、神の思いの中にはありませんでした。

エレミヤ 7:30-31
30 『ユダの子らはわたしの目に悪いことを行なったからである』と,エホバはお告げになる。『彼らはわたしの名をもってとなえられた家に嫌悪すべきものを置いた。これを汚すためである。31 そして,彼らはヒンノムの子の谷にあるトフェトの高き所を築いた。自分たちの息子や娘を火で焼くためである。それはわたしが命じたこともなければ,わたしの心に上りもしなかったことである』。

エレミヤ 19:5
5 そして,自分たちの子らをバアルへの全焼燔の捧げ物として火で焼くために,バアルの高き所を築いた。これは,わたしが命じたことも語ったこともなく,わたしの心に上ったこともなかったことである」』。

エレミヤ 32:35
35 その上,彼らはヒンノムの子の谷にあるバアルの高き所を築いた。自分たちの息子や娘をモレクにささげて,[火]の中を通らせるためであった。そのようなことをわたしは彼らに命じもしなかった。また,ユダに罪を犯させるためにこの忌むべきことを行なうことは,わたしの心に上りもしなかった』。

全能の神はそれぞれの悪を各自の自由意志に応じて、完全な知識と知恵と憐れみをもってその場で扱うことができます。

神がある者の選択をその者が存在する前に知らない事実は、神の全能さや栄光を減じるものではありません。神はご自分の子たちの罪をや誤りをどのように扱うかあらかじめ決めておく必要はありません。
むしろ、事が生じた時に各ケースをその場で扱う方法により神の無限の知恵や知識や憐れみの表明がなされます。

神はご自分の子たちの失敗を、それが生じた時その場で関係者全ての最大の益となる仕方で扱うことができます。
そのような失敗(自由意志の誤用)は決して意図されたものではなく、事前に計画されているものでもなく、ある特定の者のために運命付けられているものでもありません。それで、神はある者が存在する前から誰が自由意志の誤用をするか知りませんしその必要もありません。ご自分の子たちのために神が抱いている感情や思いは、善意と愛ある目的のみです。

アブラハムの胤を生み出すために、神がどのようにイスラエル国民の失敗を扱われたか黙想してみてください。
神は彼らの自由意志の誤用を知恵と憐れみより関係者の最大の益となる仕方で扱われました。
イスラエルの失敗は神が意図していたものではありませんんでした。
同じように、アダムの失敗も神が意図していたものでもなくあらかじめ決められたいたものでもありません。

編集者 sk (2014年06月26日 20:59:09)

オフライン

#166 2013年02月27日 05:09:08

jam
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

SKさんへ

>わたしの思いを説明させてください。

SKさんの思いは いつも いつも 充分に説明されています。

ですが、SKさんは ほかの人の 思いを排除しがちです。

>それで、JWの教えとかぶる部分と jam さんが仰っている点は、いわばわたしにとっては貴重な聖書の真理の一部であるということになります。
もし、どなたかがそれらの聖書の真理を聞きたくないなら、その方はその部分を飛ばして読まれると思います。それで良いと思っています。

これも、読まなきゃ判断がつきません。なので 読んでしまってから 「ああ しまった。また無駄な時間を過ごした。」となるのです。
みんな仕事や集会で疲れているのに・・・。


>jam さんもご自分の確信を表明なさってみるのはいかがでしょうか。
そのうち、掲示板が以前のように色々な意見や見方の交換の場になると思います。
それまでは、地道に自らの発見、確信の発信を続けるのが良策ではないでしょうか。
そのようにしながら、来るまで待とう投稿者で行きましょう。


みんな、自分の確信や 疑問を UPしていましたが、すぐさまSKさんに否定されたり ながながとした
聖句の羅列で返されて 嫌になったんだと思います。
だって、読まなきゃ返事も出来ないし。でも読む価値のないものに時間を割くのは苦痛でしょ?

そうやって、この掲示板から皆さんを排除してきたんですよ。SKさん。

#167 2013年02月27日 09:32:27

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

jam さん

なるほど、

それでは、こうするのはどうでしょうか。

sk の教理のトピックは読まないようにする。
また自分でトピックを立てて、共感する投稿者をそこで待って交友を楽しむ。


他のトピックも時々参考に楽しむ。

このようなことは誰でも自分の判断で行なえると思います。


背景、教育、好み、意見などが異なりますのでぶつかり合わないようにしてゆきましょう。

オフライン

#168 2013年02月27日 11:29:39

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

ものみの塔バビロンにいる現役JWの兄弟、姉妹たちへ

キリストの犠牲はいわゆる「残りの者たち」のためのものではありません。
それは、アダムの子孫全てのためのものです。

異教起源のクリスマスと異なり、主の晩餐は聖書の根拠を持っています。

イエスは、刑柱上(十字架)の死を遂げたニサンの14日にご自分の死の記念式を制定されました。
その記念式は、神の救いの手だてとしてのイエスの死が成し遂げたことの意義を思い起こさせるためのものです。

彼の死はサタンと罪にたいする勝利を意味しています。

ヘブライ 2:14-15
14 そこで,「幼子たち」が血と肉を持つ者なので,彼も同様にその同じものにあずかりました。それは,自分の死によって,死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔を無に帰せしめるためでした。15 またそれは,死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべてを解放するためでした。


イエスの死の苦しみは創世記 3:15 の「かかとを砕く」予言の成就でした。

創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。


イエスは、罪のない死によって世を征服しました。

ヨハネ 16:33
33 あなた方がわたしによって平安を得るために,わたしはこれらのことを言いました。世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。


イエスは、神のキリストとしての役割を十分承知していました。

ヨハネ 10:17-18
17 このゆえに父はわたしを愛してくださいます。すなわち,わたしが自分の魂をなげうつからです。それは,わたしがそれを再び受けるようになるためです。18 だれもわたしからそれを取り去ったわけではなく,わたしはそれを自分からなげうつのです。わたしはそれをなげうつ権限があり,またそれを再び受ける権限があります。このことに関するおきてをわたしは自分の父から受けました」。

ヨハネ 19:28-30
28 この後,イエスは,それまでにすべての事が成し遂げられたのを知って,聖句が成し遂げられるために,「わたしは渇く」と言われた。29 そこには,酸いぶどう酒のいっぱい入った器が置いてあった。それで彼らは,その酸いぶどう酒をじゅうぶん含ませた海綿をヒソプ[の茎]に付け,それを彼の口もとに持って行った。30 さて,酸いぶどう酒を受けてから,イエスは,「成し遂げられた!」と言われた。そして,頭を垂れ,[ご自分の]霊を引き渡された。


このようにキリストの役割が成し遂げられました。
それによって、何が達成されましたか。
正しさを立証するひとつの行為です。
それは、神の義と神の子たちの信頼性を立証する価値ある犠牲でした。
それは、従順への救いと、全ての不従順への裁きの根拠を据えるものとなりました。

ローマ 5:18-19
18 こうして,一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果が有罪宣告であったのと同じように,正しさを立証する一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。19 一人の人の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人[の方]の従順を通して多くの者が義とされるのです。

使徒 17:31
31 なぜなら,ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです」。

使徒 10:42-43
42 またこの方は,民に宣べ伝えるように,そして,これが生きている者と死んでいる者との審判者として神に定められた者であることを徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました。43 この方についてはすべての預言者が証しをし,彼に信仰を持つ者は皆,その名によって罪の許しを得ると[述べて]います」。

もし、あなたが神の家族の永遠の福祉のためにキリストが成し遂げたことに感謝しているなら、きっとキリストに信仰を働かせるでしょう。

もしあなたが既にバプテスマを受けたクリスチャンであるなら、キリストの教えを守る必要があります。

それで、以下のキリストの教えを熟考してください。

ヨハネ 6:33, 35, 38-40, 48, 51, 53-57, 63
33 天から下って来て世に命を与える者,それが神のパンだからです」。
35 イエスは彼らに言われた,「わたしは命のパンです。わたしのもとに来る者は少しも飢えず,わたしに信仰を働かせる者は決して渇くことがありません。
38 わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のご意志を行なうために天から下って来たからです。39 わたしにお与えになったすべてのもののうちわたしがその一つをも失わず,終わりの日にそれを復活させること,これがわたしを遣わした方のご意志なのです。40 というのは,子を見てそれに信仰を働かせる者がみな永遠の命を持つこと,これがわたしの父のご意志だからです。わたしはその人を終わりの日に復活させます」。
48 わたしは命のパンです。
51 わたしは天から下って来た生きたパンです。だれでもこのパンを食べるなら,その人は永久に生きます。そして,本当のことですが,わたしが与えるパンとは,世の命のためのわたしの肉なのです」。
53 そこでイエスは彼らに言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなた方は自分のうちに命を持てません。54 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち,わたしはその人を終わりの日に復活させるでしょう。55 わたしの肉は真の食物であり,わたしの血は真の飲み物なのです。56 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は,ずっとわたしと結びついているのであり,わたしもその者と結びついています。57 生ける父がわたしをお遣わしになり,わたしが父によって生きているのと同じように,わたしを食する者,その者もまたわたしによって生きるのです。

63 命を与えるものは霊です。肉は少しも役に立ちません。わたしがあなた方に話したことばは霊であり,命です。

イエスは天から下ってきた生きたパンです。
だれでもこのパンを食する者は永遠に生きます。
イエスが与えるパンは世の命のためのイエスの肉です。

イエスの犠牲は、単に油注がれたものたちのためではなく、世のためのものです。
全ての聖句はそのことを証明しています。

ヨハネ 1:29
29 . . . 見なさい,世の罪を取り去る,神の子羊です!
ヨハネ第一 2:2
2 そして彼はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたちの[罪]のためだけではなく,全世界の[罪]のためでもあります。
ヨハネ第一 4:14
14 加えて,わたしたち自身,父がご自分のみ子を世の救い主として遣わされたことを見,[それ]について証しをしています。

ヨハネ 3:17-21
17 神はご自分の子を世に遣わされましたが,それは,彼が世を裁くためではなく,世が彼を通して救われるためなのです。18 彼に信仰を働かせる者は裁かれません。信仰を働かせない者はすでに裁かれています。その人は,神の独り子の名に信仰を働かせていないからです。19 さて,裁きの根拠はこれです。すなわち,光が世に来ているのに,人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。20 いとうべき事柄を習わしにする者は,光を憎んで,光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。21 しかし,真実なことを行なう者は光に来て,自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」。

テモテ第一 2:5-6
5 神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであって,6この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです—[このことは]そのために特に定められた時に証しされるのであり,

コリント第一 15:22
22 アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです。

ローマ 6:23
23 罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命だからです。

編集者 sk (2014年06月26日 21:00:37)

オフライン

#169 2013年02月27日 20:25:13

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

skさん

記念式を前にして記念式に関連した話題をありがとうございます。skさんは、誰がパンとぶどう酒にあずかるべきだと考えていますか。わかりやすい言葉で、教えてくれませんか。

オフライン

#170 2013年02月27日 21:38:18

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

こんばんは、もんもんさん


結論を先に述べますと、
イエスの犠牲は全人類のためなので、キリストを受け入れてバプテスマを受けているクリスチャンは全て表象物に与るべきです。

全ての聖句はそのことを裏付けています。

この話題についての幾つかの投稿を準備しています。
もんもんさんも良くご存知のことですが読んでみてください。


まず始めに


世のための「新しい契約」

エホバ神は不完全な人間が律法の要求を満たせないことをご存知でした。それで、イスラエル国民は罪の影響とそれからの救いの必要性を悟る必要がありました。それによって罪からの神の救いの手だてであるメシア(キリスト)をふさわしく受け入れることができます。

律法契約は、生来のイスラエル国民を典型的な罪人の例として受継いだ罪の影響を証明しました。
それはまた、到来する良いことの影、メシアによる罪の許しのための贖いの与型となりました。

ガラテア 3:19, 24
19 では,律法はなぜ[与えられたの]ですか。それは違犯を明らかにするために付け加えられたのであり,約束のなされた胤が到来する時にまで及ぶのです。そして,それはみ使いたちを通し,仲介者の手によって伝えられました。
24 . . . 律法は,わたしたちをキリストに導く養育係となった
ローマ 3:20
20 . . . 律法によって罪についての正確な知識が生じるのです。


アダムから受継いだ罪の許しが必要なのは、生来のイスラエル人だけではありません。
それでキリストは、「世の罪を取り去る神の子羊」といわれています。 (ヨハネ 1:29)
また、「世に命を与える天からの神のバン」とも呼ばれています。(ヨハネ 6:33)

ですから、キリストの役割は全ての国民を扱うこと求めています。
以下の聖句はその点を示しています。

ヨハネ 12:20-21, 32
20 さて,祭りに出て崇拝するために上って来た人々の中に数人のギリシャ人がいた。21 それで,それらの者たちが,ガリラヤのベツサイダから来ていたフィリポに近づき,「わたしどもはイエスにお会いしたいのですが」と頼みはじめた。
32 しかしわたしは,自分が地から挙げられたなら,あらゆる人をわたしのもとに引き寄せます

マタイ 12:18-21
18 「見よ,わたしが選んだわたしの僕,わたしの魂が是認したわたしの愛する者! わたしは自分の霊を彼の上に置き,彼は,公正とは何かを諸国民に明りょうにするであろう。19 彼は言い争わず,声を上げて叫ばず,まただれとて大通りでその声を聞くのでもない。20 彼は打ち傷のついた葦を砕かず,くすぶる亜麻の灯心を消さず,やがて公正を成功裏に送り出す。21 まさに,諸国民は彼の名に望みをかけるであろう」。

ルカ 24:47-48
47 その名によって罪の許しのための悔い改めがあらゆる国民の中で宣べ伝えられる—エルサレムから始めて,48 あなた方はこれらの事の証人となるのです。

もしどの国民の人々でも罪の許しを望むなら、キリストの犠牲に信仰を働かせ神との和解をする必要があります。
そのようにして神との契約を締結する必要があります。
キリストは神と人の仲介を勤めます。
そして、その契約の名前は「新しい契約」と呼ばれています。

テモテ第一 2:5-6
5 神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであって,6この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです—[このことは]そのために特に定められた時に証しされるのであり,

ヘブライ 12:24
24 新しい契約の仲介者であるイエス,そして,アベル[の血]よりさらに勝った仕方で語る振り注ぎの血に近づいたのです。



新しい契約

エホバ神と全人類との間の契約
契約の仲介者はキリスト

それは古い契約の対型として理解できます。
モーセの律法契約の場合は、エホバ神とイスラエル国民の間で締結されました。
そしてその仲介者はモーセでした。
イスラエル国民は紅海の水をくぐりシナイ山でモーセの仲介により律法契約に入りました。


本物のシナイ山について
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=49#p49



新しい契約の場合、誰でもキリストに信仰を働かせるものは、古代イスラエル人が紅海の水を通ったように水のバプテスマの後に「新しい契約」に入ります。


コリント第一 10:1-5
1 さて,兄弟たち,あなた方に知らずにいて欲しくないことですが,わたしたちの父祖はみな雲の下にあり,みな海の中を通り,2 みな雲と海とによってモーセへのバプテスマを受けました。3そして,みな同じ霊的な食物を食べ,4 みな同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らはいつも,自分たちに付いて来た霊的な岩塊から飲んだのです。その岩塊はキリストを表わしていました。5 それにもかかわらず,彼らの大多数に対して,神はご自分の是認を表明されませんでした。彼らは荒野で倒されたのです。

モーセはキリストに対応します。
紅海の横断はクリスチャンの水のバプテスマに対応します。
イスラエルの律法契約は、クリスチャンの新しい契約に対応します。


紅海の横断地点についいて
http://christian.forumatic.com/viewtopi … 3&t=21#p69


新しい契約

ヘブライ 8:10-12
10 「『これが,それらの日の後にわたしがイスラエルの家と締結する契約なのである』と,エホバは言われる。『わたしは,わたしの律法を彼らの思いの中に置き,それを彼らの心の中に書き記す。そして,わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう。11 「『そして,彼らは決して,それぞれ仲間の市民に,またそれぞれ自分の兄弟に教えて,「エホバを知れ!」とは言わない。最も小なる者から最も大なる者に至るまで,すべての者がわたしを知るようになるからである。12 わたしは彼らの不義の行ないに対して憐れみ深くし,彼らの罪をもはや決して思い出さないからである』」。


10 節の「イスラエルの家」は生来のイスラエルのことではありません。
それは、全人類を表す象徴的なイスラエルの12部族のことです。

イスラエルの12部族
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=333#p333


新しい契約は「選ばれたものたち」とそうでないものたちの区別なく全てのクリスチャンンのためのものです。

もしあなたがバプテスマを受けたクリスチャンであるなら、あなたは「新しい契約」の中にいます。
そして、「新しい契約」の益は罪の許しです。
この「新しい契約」をとおして、天であれ、地であれそれぞれに神の選びにより永遠の命が約束されています。

それで、バプテスマを受けた全てのクリスチャンはキリストの体と血の表象であるパンとぶどう酒にあずかる義務があります。


マタイ 26:26-28
26 彼らが食事を続けていると,イエスはパンを取り,祝とうを述べてからそれを割き,弟子たちに与えて,こう言われた。「取って,食べなさい。これはわたしの体を表わしています」。27 また,杯を取り,感謝をささげてからそれを彼らに与え,こう言われた。「あなた方はみな,それから飲みなさい。28 これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。

マルコ14:22-24

22 そして,彼らが食事を続けていると,[イエス]はパンを取って祝とうを述べ,それを割いて彼らに与え,「取りなさい。これはわたしの体を表わしています」と言われた。23 また,杯を取り,感謝をささげてから,それを彼らにお与えになった。それで彼らは皆その[杯]から飲んだ。24 そうして[イエス]は彼らに言われた,「これはわたしの『契約の血』を表わしています。それは多くの人のために注ぎ出されることになっています。

ルカ 22:19-20
19 また,[イエス]はパンを取り,感謝をささげてそれを割き,それを彼らに与えて,こう言われた。「これは,あなた方のために与えられるわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」。20 また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています。

コリント第一 11:23-26
23 わたしは,自分が主から受けたこと,それをあなた方に伝えたのです。すなわち,主イエスは,渡されようとしていた夜,ひとつのパンを取り,24 感謝をささげてからそれを割き,こう言われました。「これはあなた方のためのわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。25 晩さんをすませた後,杯についても同じようにして,こう言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約を表わしています。それを飲むたびに,わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。26 このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです。


ヨハネ 6:33, 48, 51, 53-57, 63
33 天から下って来て世に命を与える者,それが神のパンだからです。
48 わたしは命のパンです。
51 わたしは天から下って来た生きたパンです。だれでもこのパンを食べるなら,その人は永久に生きます。そして,本当のことですが,わたしが与えるパンとは,世の命のためのわたしの肉なのです」。
53 そこでイエスは彼らに言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなた方は自分のうちに命を持てません。54 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち,わたしはその人を終わりの日に復活させるでしょう。55 わたしの肉は真の食物であり,わたしの血は真の飲み物なのです。56 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は,ずっとわたしと結びついているのであり,わたしもその者と結びついています。57 生ける父がわたしをお遣わしになり,わたしが父によって生きているのと同じように,わたしを食する者,その者もまたわたしによって生きるのです。63 命を与えるものは霊です。肉は少しも役に立ちません。わたしがあなた方に話したことばは霊であり,命です


マタイ 10:32-33
32 「それゆえ,人の前でわたしとの結びつきを告白する者はみな,わたしも天におられるわたしの父の前でその者との結びつきを告白します。33 しかし,だれでも人の前でわたしのことを否認する者は,わたしも天におられるわたしの父の前でその者のことを否認します。

ルカ 12:8-9
8 「それで,あなた方に言いますが,人の前でわたしとの結びつきを告白する者は皆,人の子も神のみ使いたちの前でその者との結びつきを告白します。9 しかし,人の前でわたしのことを否認する者は,神のみ使いたちの前で否認されるのです。

ローマ 10:9
9 その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。


記念式は表象物に与ることによりキリストとの結びつきを表明するひとつの良い機会となります。
しかしながら、ものみの塔バビロンでは、公然とそれが禁じらており、多くの現役のJWの皆さんはその必要性すら認識していません。そのように教育されているからです。
それで記念式の際、王国会館で表象物に与るには、よっぽどの確信と勇気がいると思います。

アメリカの現役の兄弟、姉妹たちの中には家族で、又は友人たちと王国会館の集会の後に表象物に与っている方々がいます。
方法は色々あると思います。ものみの塔バビロンと不必要な摩擦や緊張を生み出さないように思慮深く事を扱ってください。


つづく

編集者 sk (2014年06月26日 21:02:58)

オフライン

#171 2013年02月28日 00:23:26

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

お久しぶりです。irisです。寒い日が続きますがみなさまお元気でしょうか?

sk さんの発言:

イエスの犠牲は全人類のためなので、キリストを受け入れてバプテスマを受けているクリスチャンは全て表象物に与るべきです。
全ての聖句はそのことを裏付けています。

(中略 by iris)

新しい契約

新しい契約は「選ばれたものたち」とそうでないものたちの区別なく全てのクリスチャンのためのものです。

もしあなたがバプテスマを受けたクリスチャンであるなら、あなたは「新しい契約」の中にいます。
そして、「新しい契約」の益は罪の許しです。
この「新しい契約」ととおして、天であれ、地であれそれぞれに神の選びにより永遠の命が約束されています。

それで、バプテスマを受けた全てのクリスチャンはキリストの体と血の表象であるパンとぶどう酒にあずかる義務があります。

この件に関して、かねてから疑問に思っていたことを述べます。

バプテスマを受けているクリスチャンとは誰のことでしょうか?
エホバの証人の兄弟姉妹のことでしょうか?
それとも、教派を問わず、バプテスマとか洗礼とかを受けて、少なくとも仲間内ではクリスチャンと認められている人のことでしょうか?
それとも、自己流のバプテスマを受けて(?)、自分の心の中だけで自分はクリスチャンだと思っている人でしょうか?

カトリックで聖体拝領(パンとぶどう酒をいただく)ができるのは、カトリックの洗礼を受けた人だけです。
ほかのキリスト教会で有効な洗礼を受けたと認められる場合は、改宗式を経て同様にカトリック信者と認められます。
しかし、例えばエホバの証人だった方の場合は、おそらく有効な洗礼を受けたとは認められませんので、
聖体拝領を望む場合は改めて洗礼を受けることになると思います。

少なくとも「新しい契約」については、多くのキリスト教会はskさんと同様の理解をしていると思います。
けれども、エホバの証人は「新しい契約」について、まったく違う解釈をしています。
そうなると、パンとぶどう酒にあずかることにどのような意味があるのか、聖書に書かれているようには理解できていないはずです。
(skさん自身が「すべてのエホバの証人の兄弟・姉妹たちは、ものみの塔の誤りの教えにより、新しい契約についての
正確な知識を阻まれており、キリストの死の記念の意義を逸しています。(2012年12月26日)」と書かれている通りです)
このように理解できないまま、パンとぶどう酒にあずかったとして、どのような意義があるのでしょうか?
カトリックで洗礼を受けていない人や幼児洗礼の幼児に聖体拝領を許さないのは、御聖体を受けることの重大な意味を理解した上でなければ
聖体拝領の意義がないと考えるからです。

skさんは、ものみの塔もその他のキリスト教会も「大いなるバビロン」と否定されていますが、これらのバプテスマや洗礼がすべて無効だとすると、
バプテスマを受けたクリスチャンとは誰のことでしょうか?
skさんご自身がそのバプテスマを受けたクリスチャンだとして、どこでどうやってパンとぶどう酒にあずかりますか?

#172 2013年02月28日 01:28:51

浜田朋尚
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

i東日本大震災が起こった2011年、7歳の少女が、ローマ法王・ベネディクト16世に質問しました。
「日本の子どもたちは、どうしてこんなに怖い思いをしなければいけないのか」と。

ベネディクト16世の答えは、「答えが見つからない」というものでした。

これは、エホバの証人の(2世といわれる)子どもたちにとっては不思議なことです。
少女の質問に対する答えは、エホバの証人であれば、7歳の子供に答えられることだからです。

irisさん、私たちは、そこから先に行こうとしているのです。

#173 2013年02月28日 11:41:50

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

浜田さん、コメントありがとうございます。

私も、エホバの証人が考える正しい答えはもちろんわかりますよ!
でもそれが本当に正しい答えだとは思いません。
「そこから先に行こうとしている」とはどういう意味でしょうか?

ローマ法王(これは報道用語であって、カトリックでは教皇と呼びます。日常語ではパパさまとお呼びします)ベネディクト16世は
本日をもって退任されます。生存中の退位は何百年ぶりの珍しい例で、世界中のカトリック信者が驚いてひっくり返りました。
私は前のパパさま(ヨハネ・パウロ2世)は好きでしたが、ベネディクト16世にはあんまり興味はありませんでした。
まもなくコンクラーベ(教皇選挙)が行われると思いますが、世界中の人々の幸せにつながる結果になるといいなと思います。内輪話でした。

#174 2013年02月28日 11:56:43

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

バプテスマを受けているクリスチャンとは誰のこと

聖書に信仰を持ちながら、何らかの組織宗教を離脱する人にとっては共通の関心になると思いました。
ちなみに”in search of christian freedom” (レイモンドフランズ著)の中に、会衆の長老と
対立して排斥された90代のJW男性の話が出ていました。彼はJWを離れたからといって
バプテスマを受けなおす必要は感じませんでしたが、遺言で葬式の話をレイモンド・フランズに
お願いしたいと言い残していました。
90歳にもなると、どの組織でバプテスマを受けたかとか、どの宗教で葬式を執り行うとか、
重要ではなくなるのかなと思いました。

主の晩餐の話に関しては、晩餐を祝いながら「見守る者」として皿とワイングラスを回すなんて
いうのはナンセンスな話だと思います。かといって、宗教組織が執り行う主の晩餐でパンを
食べないと永遠の命が与えられないと考えるのも変な話だと思います。

浜田さん さんの発言:

i東日本大震災が起こった2011年、・・・
ベネディクト16世の答えは、「答えが見つからない」というものでした。

これについては、わたしは意外とベネディクト16世の答え方はお気に入りです。
わりと素直な人なんだなと思いました。
疲れて辞職しちゃうのもわかります。JWでも素直な長老に限って
「もう長老なんて、やってらんない」ってなりますよね。(たぶん)
これって怠慢なんじゃなくて、実際に起きている問題に対して素直だからなんじゃないかな
って思うんです。

オフライン

#175 2013年02月28日 12:23:17

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

エホバの証人研究さん

ベネディクト16世に関して、私も同様に感じています。
教皇に向いた方ではなかったかもしれませんが、悪い人ではなかったと思います。
エホバの証人研究さんのコメントは嬉しいです。

私もひとりで信じていた頃、洗礼を受ける(教会に通う)必要はあるのかないのか?と悩んだことがあります。
幸い相性のよい教会にめぐり合って洗礼を受けてしまいましたので、解決してしまいましたが。
人はひとりでは生きていけない、というところですかね。

エホバの証人の考えでは、パンを食べないと永遠の命が与えられないのでしたっけ?
私たちにとって御聖体は、毎日の生活の糧です。永遠のいのちへの切符ではありません。

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