#26 2019年03月06日 05:16:09
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
仰天さん
シュウイチ さんの発言:
大乗非仏説は色々な推測がなされているのですね。全然知りませんでした。
ネットを検索しましたら阿含経に以下のことが書いてあるそうです。「仏の境界や不可思議などのことは、小乗の知るところではない」
「大乗経は遠大な菩薩たちが用いるものであるから、これらは雑蔵しておこう」これはご存知でしたでしょうか。
また、これに対する大乗非仏説を唱える人の意見をご存知でしたら教えて下さい。推測ということにされたいのでしょうが、ほぼ確実な事です。
阿含経のその箇所は昔目にしたような気もしますが、知っているというほどではないですね。
いずれにせよ、私は仏教は苦しみの中から生まれた哲学だと思っていますので釈迦がどのように思考し、弟子がどう発展させようが信仰の対象にはなりません。
では、「仏の境界や不可思議などのことは、小乗の知るところではない」
「大乗経は遠大な菩薩たちが用いるものであるから、これらは雑蔵しておこう」と書いてありこれを否定できないのであれば、大乗は仏様が説かれたことになりますね。
シュウイチ さんの発言:
=== 日蓮正宗のサイトより引用開始 ===「日蓮大聖人の教え」
釈尊(しゃくそん)は、今から約3000年前、人々を救うため50年間にわたって説法し、その最後の8年間で出世の本懐(目的)である法華経を説かれました。
この法華経の予言どおり、釈尊滅後2000年が経過し、釈尊仏法の功力がなくなる末法(まっぽう)時代に、民衆を救済する仏として出現されたのが、日蓮大聖人です。
日蓮大聖人は、法華経の極理を御本尊(漫荼羅)として顕され、その御本尊に向かって“南無妙法蓮華経”の題目を唱えることにより、いかなる人も仏の境界に至ることができると説かれました。=== 日蓮正宗のサイトより引用終了 ===
このように「法華経の予言どおり」に御出現されたから正しいと断定しております。
釈迦が法華経を説いたというのは法華経の中で書かれている事で信憑性はありません。
それは釈迦の死後500年から600年経ってからのものです。
釈迦の時代には法華経は存在せず、もちろん口伝でも広まっていません。
もちろん、お釈迦様の御在世の時には文字がありませんでしたから、経文はありません。
では、小乗の阿含経はどうして文字として経文になったのでしょうか。
それは口伝で伝わったからです。
口伝を否定するなら、阿含経も仏様の説かれたものではなくなります。
さらに、
「仏の境界や不可思議などのことは、小乗の知るところではない」
「大乗経は遠大な菩薩たちが用いるものであるから、これらは雑蔵しておこう」
と阿含経に書かれている通り、口伝でも大乗の教えは伝わっているのです。
そして、釈迦は紀元前5世紀頃の人物であり、日蓮は1222年頃の生まれですから、そもそも釈迦滅後2000年にはぜんぜん足りませんので予言になりません。
よって、日蓮正宗のサイトの断定は無意味です。
「釈迦は紀元前5世紀頃の人物であり」も幾つかの説の一つです。
仰天さんも断定されるのですか。
シュウイチ さんの発言:
「他の神社や寺を焼き払い僧侶の首を刎ねよ」はそれくらい強く間違った宗教を無くさなくてはならない、との意味です。
そして、焼き討ちなどを行ったのは日蓮大聖人の正統な後継者の団体(今で言う日蓮正宗)が行ったのではなく、日蓮大聖人から離れていった者の行いだと思います。(日蓮正宗に敵対する団体からこれらの事を見聞きしたことがないので、無いと思っています。推測ですみません)間違った宗教をなくさなければならないという意味というのは無理があるように思います。
何度も同じ例えを用いますが、「1+1=3」を仰天さんは認めるのですか。世の中で「1+1=2」も「1+1=3」も認めているところを聞いたことがありません。
弟子達が暴走する原因を作ったのは日蓮ではないでしょうか?
建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が
寺塔をば焼きはらいて彼等が頚(くび)を由比ヶ浜にて切らずば、日本国必ず滅ぶべしと申し候了ぬ (撰時抄)
故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無限地獄に堕ちたりと申し、建長寺・ 寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏等を焼き払へと申し、道隆上人・良観上人 の頚(くび)をはねよと申す (種種御振舞御書)「念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頚をはねらるべし
と申す上、故最明寺・極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕ち給ひたりと申すほど
の大禍ある身なり」 (光日房御書)
興門派(日蓮正宗)でその様なことを実際に行った記録は存じ上げません。
仰天さんはご存知でしょうか。
また、「弟子達」とお書きになりましたが、具体的にはどなた達でしょうか。
シュウイチ さんの発言:
当たった事は知ってますが、外れたことがあるのですね。
具体的にはどのようなことでしょうか。法華経に帰依しなければ日本は滅ぶと予言しましたが、蒙古軍は引き返し、結果として予言は外れました。
「法華経に帰依しなければ日本は滅ぶ」とは大聖人様が立宗されてから常に仰せの事であります。
それと「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)」を混同されてませんでしょうか。他国侵逼難(たこくしんぴつなん)は正法(しょうぼう:正しい法)を誹謗すると他の国から攻められるという事です。
実際に対馬や壱岐は侵攻されましたので他国侵逼難(たこくしんぴつなん)は起こりました。
シュウイチ さんの発言:
その説は初耳です。
どなたが唱えたのでしょうか。どなたが唱えたとはどの部分でしょうか?
私は下記のように書き込み、表示もされてますので、ご確認の程、宜しくお願い致します。
それと、釈迦は悟って涅槃に入り、解脱し二度と人間としては現れないと思うのですが、本仏である日蓮が実は釈迦として現れ、そして日蓮としても現れたと言うわけです。(日蓮本仏論)
その説は初耳です。
どなたが唱えたのでしょうか。
釈迦は修行して輪廻からの解脱を目指したのです。
ですから釈迦の生まれ変わりだと主張する者は偽物です。
日蓮正宗では、釈尊の生まれ変わりが日蓮大聖人とは言われておりません。
日蓮本仏論の部分なら、釈迦は日蓮が迹を垂れたという事になっているのではないですか?
その様な記述は無いと思いますが、その日蓮本仏論は誰が書かれたものでしょうか。
シュウイチ さんの発言:
そういう説も初めて聞きます。
仏教のほうがキリスト教より昔に発生したと思うのですが・・・。大乗経典の成立年代は、一世紀から十世紀です。
法華経成立年代は紀元50年0150年頃だと言われています。
ですから、キリスト教より後から出てきたものです。
そして、新約聖書は旧約聖書を母体にしていますので旧約は仏教より遥かに前です。
仏教がキリスト教の教義を取り入れたというのなら、具体的にどの様なことでしょうか。
シュウイチ さんの発言:
私は調べたことはありません。
調べる必要があるのはどのような理由からでしょうか。
もし日蓮正宗から調べなさいと指示があれば調べますが、その様なことは言われておりません。
先ほど引用しました「法華経の予言どおり、釈尊滅後2000年が経過し、釈尊仏法の功力がなくなる末法(まっぽう)時代に、民衆を救済する仏として出現されたのが、日蓮大聖人です」とありますように、仏様が日本に御出現されましたので、末法で必要なものは日本語で読むことができます。まず、既に指摘したように日蓮まで二千年経っていませんので法華経の予言は外れましたし、日蓮が仏であるという主張は間違いです。
「法華経の予言」は初めてお書きになられたと思います。
どの予言か具体的に教えて頂けませんでしょうか。
学問の世界では様々な翻訳を調べる事は常識です。
日本語のものだけを読めばいいというのはその翻訳が正しい場合のみです。
私は学者ではありません。信仰者です。
余裕が有れば調べたいとは思いますが、今のところありません。
法華経の場合は翻訳どうこうの前に釈迦が語ったものではありません。
「釈迦がこう言った」というような形式で書かれたものは皆、釈迦の教説とされただけの話で、ですから膨大な数の経典が存在し、とても同じ者が説いた教えとは思えないほど異なっています。
「釈迦の教説」は釈尊が教え説いたものではないのでしょうか。
口伝で伝わったものをお弟子が、私はこのように聞いた、と書かれたものだと思います。
指示がなければ調べないという事は、調べないで親や組織が言った事をそのまま信じ込んでいるという事ですね。
そこもエホバの証人と共通点がありますね。
先ほども書きましたが余裕が無いため調べられません。
もちろん、大昔のことですから色々な説があることは知っております。
そして、矛盾がや疑問が生じたことは調べました。
エホバの証人の様に、自分たち以外の考えから避ける様なことは言われておりません。
日蓮大聖人様はご自分の仏法以外に優れたものがあれば、比較して優れた方を用いなさい、と仰せです。
日蓮系では、釈迦はまず低い教えから説いていき、晩年に高い教えである法華経を説いたと主張します。
去年の暦は古いので現在には当てはまらないとかも言いますね。
ですがそれは法華信者の側だけの言いぶんです。釈迦がこれまで語ってきた教えの数々は実は法華経に導くための方便だったとの事ですが、今まで何十年も広めてきた事が実は嘘だったという事です。
導くためとはいえ教祖が嘘をつくようなものは信用できません。
他の宗派を否定する点も伝統的なキリスト教を否定しなければ成り立たないエホバの証人と共通しますね。
お釈迦様は法華経で、正直捨方便(正直に方便を捨て)、と法華経以前の教えを方便と言われております。
嘘ではありません。
シュウイチ さんの発言:
書物として読むのであれば信仰にはならないので「天魔の所業」にはならないと思います。問題にしているのは他の大乗仏教を信仰しておられる方々を非難している点です。
間違った宗教の教祖や弟子たちは非難しますが、それを信じている人を非難しているのではありません。
シュウイチ さんの発言:
仏様はエホバのように何でも出来る神ではありません。
仏様にも因果応報が当てはまります。
キリスト教のイメージで仏教を考えるとその様に思うのかも知れません。少なくとも、仏教の仏は聖書の述べる創造者より低い存在なのですね。
この世界は様々な法則でなりたっております。そしてこれらの法則の根本の法則を悟られたのが日蓮大聖人です。
科学で例えるなら、大統一理論みたいなものです。当然、人間が大統一理論を解いたとしても、それを変えることはできません。リンゴが木から落ちることを今も変えられない様に。
あと、色々と気になる点があるのですが、法華経の修行者は死後硬直しないという主張もよく聞く事ですが、誰でも死ねば硬くなるはずです。
医者がみて法華経系の人には死後硬直がなかったというデータはありますか?法華経系というか、シュウイチさんが唯一正しいと主張しておられる日蓮正宗でさえそのようなデータや事実はないと思うのですが。
人の死をデータ化する社会を聞いたことがありません。
それは死者への尊厳のためだと思います。
死んだ人は何も言えません。弁明できません。
仰天さんの周りではお亡くなりになった方に対してデータ化することがあるのでしょうか。
#27 2019年03月06日 06:44:47
- てつてつ
- メンバー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
シュウイチさん 書き込みありがとうございます
>輪廻と言う言葉をご存知だと思います。
輪廻は知っていますが 残念ながら事実かまちがいか実証する手段がないと思います UFOや宇宙人 いろいろな霊がいるという人もいればいないという人もいますが 確認する手段がないと思います
>命は永遠で、死んでもまた生まれ変わる、という事です。
仏教ではこの輪廻を説かれており、前提となります
すみませんが 自分は信じてないのでこの前提がなりたちません
>そして、自分が行った事は全て引き継がれます。
多分 死んでしまえばそれで一切のものは終わりでその人の魂の何か または業などが引き継がれることはないと思います
>例えば、人が寝て起きても寝る前の記憶があるのと同じです。
人が寝て起きても記憶があるのは 脳の記憶装置があるからだと思います スマホで電源を切ってもまた入れると以前と同じように使えるのと同じです もし機種変更してデータを移動しなければ同じようにはつかえません
>生まれて直ぐに殺されてしまった赤ちゃんを考えてみます。
赤ちゃんは生まれるまではお母さんのお腹の中にいますから何も出来ません。
ですので、赤ちゃんは殺される程の悪因を作ることはできません。
では、殺される程の悪因をいつ作ったのでしょうか。。
殺された原因はもしかすると堕胎したのかもしれませんが 親が必要としなかったためであり 前世の因果ではないと思います
>命が永遠に続くのであれば、前世や更に前の前世(過去世)に原因を求めることは、私たちが普通に原因を求めることと同じです
普通に原因をもとめる方法とは違うと思います あくまでシュウイチさんの宗派の思考回路であって これを正すために ご本尊に何妙法蓮華経ととなえればよい「ちがってたらすみません」というのは まちがった原因究明方法の上にまちがった解決方法で さらにものごとが悪化すると思います
この場合は親に生活苦や何らかの原因があったのかもしれないのでそれを解決しなければならないと思います
>エホバの証人でも、エホバの心に沿う生き方をして死んだ人は、アルマゲドンの後にもう一回生まれて来ると聞いています。その際、記憶は残っていると聞きました。
なぜ自分がもう一度生まれたのかは、過去にエホバの心に沿う生き方をしたからです。
つまり前世の行いのせいです。
証人の場合は神様がその人を覚えていて再創造するという考え方で 輪廻とはちがいます 新しいスマホに以前のアプリとデータを入れて以前と同じように使うみたいなものかもしれません
三証 以降についてのシュウイチさんの書き込みも解釈しだいでどうとでもとれる事柄だと思います
というわけで自分には残念ながら実証不可能な輪廻による教理は信じることが出来ないです
編集者 てつてつ (2019年03月06日 10:04:29)
オフライン
#28 2019年03月06日 08:38:54
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
死後硬直しないエリート信者!
ガセでなければ尊敬します
この場合生き仏とどっちが格上の扱いを受けるのでしょうか
カトリックの聖人でもそういうのありましたね
あび地獄という施設についても初耳です
どのような運営がなされているのか詳しい方お願いします
さやか666さん、初めまして。
この書き込みは私に対してでしょうか。
もしかして、場を和ませるための書き込みなのでしょうか。そうでしたら、ありがとうございます。
#29 2019年03月06日 09:17:25
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
三太郎さん
初めまして。書き込みをありがとうございます。
宗教という括りは、それ自体が曖昧なもので、近年においては、宗教と宗教でないものとの境界線がより不鮮明になっています。
宗教も哲学も科学も、万象から普遍の法則や真理を見い出すという点においては、類似の人間活動であり、何れは便宜上の区分になるだろうと予想しています。
「宗教も哲学も科学も、万象から普遍の法則や真理を見い出す」ことはその通りだと思います。
但し、宗教は人の幸せの為にあります。哲学や科学はそこら辺が薄いと思います。
「何れは便宜上の区分になるだろうと予想しています」は難しいと思います。
主観を客観的には評価できないからです。
ただ、宗教からみると、全てのことはその宗教が元になっていると思いますので、「便宜上の区別」になっていると思います。
そうした中で、真の宗教とは?という問いは、風を追いかけるようなものになるので、問い自体が成立しないような気がします。
殆どの学問は比較して優れたものを用います。
宗教がたくさんあるのであれば比較して一番のものを探すのは他の学問と同じだと思います。
そして、その宗教に間違いがなければ、それは真の宗教といえるのではないでしょうか。
シュウイチさんにとって日蓮とは、絶対的存在になるのでしょうか。
はい、その通りです。
また、日蓮正宗は、補完する必要のない完成された宗教という認識なのでしょうか。
はい、完成された宗教だと思っています。
#30 2019年03月06日 09:23:56
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
同じ山を登っているなら、てっぺんで会えるね。
またいさん
書き込みをありがとうございます。
こちらの書き込みは私への書き込みでしょうか。
(すみません、まだこの掲示板に慣れてないもので…)
#31 2019年03月06日 12:40:09
- ほい
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
シュウイチさん、返信が遅くなりました。
お昼休みの時間に簡単にコメントです。
シュウイチさんは「1+1=2」という例えを何度も引き合いに出されますが、これは10進法など特定の前提のもとに数学的に証明されたルールなので確証された事実(真理)となります。
しかし、宗教的な教義については、その大多数がこのような確証ができない分野です。
他の宗教と比較して一番いいものを選ぶというのは理解できますが、それも唯一正しい宗教の証明にはなりません。
仮に一番いいものを見つけられたとしても、それは相対的に正しいだけであって、絶対的なものではないからです。
政治もある意味宗教に近いものだと思っています。
現在世界の覇権を競っている米中露の3国で、いったいどの国が覇権を握るのが世界にとっていいのかと考えたとき、一般的な日本人は米国と答えるかもしれませんが、それが米国が絶対的に正しい国であるということと同義ではないのと同じです。
「正しくない(間違っている)」と証明されたものを否定するのは問題ないと思います(過去の宗教儀式における生贄制度など)。
でも、正しいか正しくないかまだ分からない(証明できない)ことについて、「自分(の宗派)だけが正しい!」と主張するのは独善的でしょう。
自身が正しいと信じるのは自由で自然なことですが、そこから他者の完全否定に飛躍すると衝突が生まれるだけです。
#32 2019年03月06日 12:47:29
- ほい
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
ps. 児童虐待で亡くなった子どもを、前世の行いが悪かったから(ある意味当然受けるであろう)報いだった、という仏教的解釈には嫌悪感を覚えます。
前世を持ち出して「殺されたもの、そもそもは自分に非があり自業自得」と解釈するのは、被害者に追い打ちをかける行為であまりに乱暴です。
東日本大震災と津波で亡くなった大勢の人たちは、皆業を背負っていたとでもいうのでしょうか?
#33 2019年03月06日 21:39:42
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
さやか666 さんの発言:死後硬直しないエリート信者!
ガセでなければ尊敬します
この場合生き仏とどっちが格上の扱いを受けるのでしょうか
カトリックの聖人でもそういうのありましたね
あび地獄という施設についても初耳です
どのような運営がなされているのか詳しい方お願いします
さやか666さん、初めまして。
この書き込みは私に対してでしょうか。
もしかして、場を和ませるための書き込みなのでしょうか。そうでしたら、ありがとうございます。
ホケ教同士のイザコザよりも 鮮魚店に並ぶホッケがミニマム化&高騰していることを嘆いていてます
安くて大きくて美味しい!これが真のホッケの姿であって それ以外は認めません。
原因と結果でグイグイゴリ押しするのは面白い発想ですが、思考の途中で間違いがないか「おさらい」するのも大切だと思います。算数では検算でしたかね
有名な放浪エホ野郎がおりまして、彼はやたらと「メカニズム」にこだわるのです
世界にメカニズムを見出すのが好きな野郎なのですが、間違いが多いのです。
釈迦に説法かもしれませんが時間があれば検算お願いします
①あび地獄が確かに存在しているはずだといえる理屈
②カンブリア紀のあび地獄と、ジュラ紀のあび地獄のスタッフの構成について (例えば、・カンブリア紀の職員は入れ替わりが激しくオニというよりはエビみたいな風貌の物が多かった ・ジュラ紀の職員はお客さんに体格で完敗しており勤務中の死亡事故が社会問題化していた)
くだらない提案なのでスルーも可です 私に構うよりお経唱えてたほうが100倍マシかもです
#34 2019年03月06日 22:14:36
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
akameさん
書き込みありがとうございます。
以下、ご笑読ください。
体験から述べますと、日蓮さんは密教開眼になります。
日蓮曼荼羅の真ん中にある南無妙法蓮華経は仏本体。左右に梵字で大きく書かれている愛染明王、不動明王も法華経には直接関係しない密教の神様。八幡大菩薩も書かれていますが、これも日本の神です。
「南無妙法蓮華経」がこの世界の根本でありますので、全てを含むと聞いたことがあります。
日蓮は御遺文において、
神々は法華経を守護している、法華経守護は何も法華経に説かれる神々だけではなく、ありとあらゆる神々も法華経を守護する、とあり、天照太神も書かれています。
いずれも実在ではなく、シンボル化したものと言われていますが、私的体験から述べますと、日蓮さんは実在と同等の体験があったはずです。
すみません、良くわかりません。
「実在と同等の体験」とはどの様な事でしょうか。
ならばあそこまで他宗教に排他的になる必要はないように思いますが、日蓮さんの時代背景や弟子の日興の解釈が問題だったのでしょう。
「1+1=2」のみ正しく、「1+1=3」を用いてはならない、と言われるのと同じです。
「1+1=3」では幸せになりません。
「1+1=2」も正しく「1+1=3」も正しいとしたらこの世界は破綻すると思います。
今はキリスト教も包括主義から多元主義に向かう時代です。
発想転換されたらと思います。
キリスト教が普遍的でない証だと思います。
#35 2019年03月06日 22:28:36
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
てつてつさん
ゆっくりでよいと思いますよ みなさんのつっこみもだんだんレベルあがっていくようですので調べる時間も必要ですしね kiss
お気遣いありがとうございます。
だんだん、どの書き込みに返信したか分からなってきました(汗)
あと自分はブッダの教えは世の中のできごとの自分なりの解釈「思想」だと思います たとえていうなら昔の人が宇宙とはどんなものかをさまざまな仕方で理解しようとしたことと同じだと思います いろいろな考え方がありましたが事実または真実というわけではありませんでした
それで日蓮の法華経の教えも物事の解釈のひとつの方法であると割り切って 自分はなるべくこれを教訓にして人生を歩むようにしようという程度ならよいと思いますが これを唯一まことの絶対的真理と考え 他の宗教はすべてまちがいでなくしてしまわなければならないなどと考える大変なことになると思います
日蓮正宗は七百年続いておりますが、てつてつさんが考えておられるその「大変なこと」は起きていないと思います。
私個人にも起きていないと思います。
(洗脳された本人に自覚が無いことは置いておいて(笑))
あと法華経のマンガも読んでみましたが どうみても創作された御伽噺としかおもえません「ブッダの舌がのびて天界に達するなど」教えるための方便であるというのであれば このようなものは無限につくることができると思います cry
「量子もつれ」という科学の事柄をご存知でしょうか。
本当にお伽噺です。
http://www.nikkei-science.com/page/maga … 6_024.html
=== 日経サイエンス より引用開始 ===
私たちが経験から知っているように,この宇宙で私たちが直接に影響を及ぼすことのできる物体は直接触れているものだけだ。しかし量子力学によると,「量子もつれ」という性質がもたらす遠隔作用が存在し,2つの粒子が何の媒介もなしに同期して振る舞う。この非局所効果は単に直観に反しているだけではない。アインシュタインの特殊相対性理論に深刻な問題を投げかけ,物理学の根底を揺るがす。
量子もつれとなる特性はいろいろある。例えば,それぞれの自転の向きがはっきり決まっていないにもかかわらず,反対向きに自転していることは確実な2個の粒子がありうる。量子もつれは,粒子がどこに存在するかによらず,粒子が何であるかによらず,互いにどんな力を及ぼし合っているかによらずに,2つの粒子を関連づける。原理的には,銀河の両サイドに遠く離れた電子と中性子が量子もつれになっている例も考えられる。
=== 日経サイエンス より引用終了 ===
これを誰にでも分かるように例えると、「一瞬のうちに、目がびょ~んと銀河の端から端まで伸びて量子の向きを見たのでした」、みたいな事になると思います。
例え話は分かりやすくするための手段だと思いますので。
#36 2019年03月06日 23:18:54
- akame
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
シュウイチさん
思った通り、要点が伝わらないですね。
どう見ても、曼荼羅は他の宗教の除外ではなく協力か包括を示しています。そもそも、消したいほどの排他なら他宗教の神仏名を書かないでしょう。
>全てを含むと聞いた
ならば、余計そうでしょう。明らかな矛盾です。
当然認めたくないので、今後も都合良く「脳内変換」され、肝心なことは伝わらないでしょう。
#37 2019年03月07日 01:17:47
- またい
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
ジャブはいいけど、ボディはきついかも
#38 2019年03月07日 04:35:24
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
では、「仏の境界や不可思議などのことは、小乗の知るところではない」
「大乗経は遠大な菩薩たちが用いるものであるから、これらは雑蔵しておこう」と書いてありこれを否定できないのであれば、大乗は仏様が説かれたことになりますね。
なりません。阿含経の成立年代も釈迦の死後、紀元前4世紀から1世紀の間であり、全てが釈迦の語ったものではなく後世の創作、付け足しも含まれます。
※ そもそも、「小乗」とは、『釈迦の死後に』出て来た大乗の者が用いた蔑称であり釈迦の時代に用いられた言葉ではありませんので、釈迦が説いたものではありません。
もちろん、お釈迦様の御在世の時には文字がありませんでしたから、経文はありません。
では、小乗の阿含経はどうして文字として経文になったのでしょうか。
それは口伝で伝わったからです。
口伝を否定するなら、阿含経も仏様の説かれたもではなくなります。
さらに、「仏の境界や不可思議などのことは、小乗の知るところではない」
「大乗経は遠大な菩薩たちが用いるものであるから、これらは雑蔵しておこう」
と阿含経に書かれている通り、口伝でも大乗の教えは伝わっているのです。
何度も指摘したように口伝では大乗は伝わっておりません。
上座部仏教の経典は口伝前提の覚えやすい形式ですが大乗は違います。
wikiより引用
「大乗は口伝で伝えられたというものであるが、これは史実と異なる。実際は上座部のパーリ経典の方が口伝で継承されていた。パーリ経典は口伝で重要な暗記をやりやすくするために、反復や韻を踏む内容となっている。また、僧の大集会などで経典を唱える行為はこの暗記の正確さをお互いに確認しあうという役割があった。パーリ経典が文字として記録されたのは大乗仏教が登場してからである。
一方の大乗経典は口伝伝承を前提としていないため暗記を容易にするような、単純な文を反復するという構成ではなく、その内容も哲学的なものも多く、明らかに文伝を前提とする文章構造になっている。文献学的観点からは文伝を前提としているのが大乗で、口伝を前提としているのが小乗である。
口伝伝承されており、その発祥時期も大方は明らかになっている小乗の経典に大乗の教えが見られない自体が大乗は口伝で伝承されず、発生時期が小乗以後である。」
との事です。
明らかに法華経その他の大乗経典は釈迦の死後数百年後の創作です。
※ 口伝で正確に伝えたと言うのなら、それは、釈迦からどの弟子に伝わり、その直弟子からどの大乗の誰に伝わったのか証明できますか?
できないなら、一子相伝のような事を主張しても何の意味もないでしょう。
それに阿含経でブッダの次に仏として現れるのは弥勒菩薩であり日蓮ではありません。(また都合よく言い訳しますか?)
「釈迦は紀元前5世紀頃の人物であり」も幾つかの説の一つです。
仰天さんも断定されるのですか。
どの説も日蓮まで2000年というのを裏付けていない事は事実です。
「他の神社や寺を焼き払い僧侶の首を刎ねよ」はそれくらい強く間違った宗教を無くさなくてはならない、との意味です。
そして、焼き討ちなどを行ったのは日蓮大聖人の正統な後継者の団体(今で言う日蓮正宗)が行ったのではなく、日蓮大聖人から離れていった者の行いだと思います。(日蓮正宗に敵対する団体からこれらの事を見聞きしたことがないので、無いと思っています。推測ですみません)
間違った教えをなくさなければならないという意味というのは無理があります。
※ 日蓮自身が「他の寺を焼き払い僧侶の首を刎ねよ! しかしこれは、文字通りの意味ではなく比喩であり間違った教えをなくさなければならないという意味だ。」
と説明している事が必要となります。それが証明できないなら単に教祖を美化し正当化しているだけに過ぎないでしょう。
確かに法華一揆をおこしたのは日蓮正宗ではなく日蓮宗のようです。
しかし、日蓮の流れをくむ者達が暴走する原因を作ったのは日蓮であり、諸悪の根源は日蓮です。
#39 2019年03月07日 04:39:11
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
何度も同じ例えを用いますが、「1+1=3」を仰天さんは認めるのですか。世の中で「1+1=2」も「1+1=3」も認めているところを聞いたことがありません。
いいえ。「1+1=3」を認めているのはシュウイチさんですね。
建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が
寺塔をば焼きはらいて彼等が頚(くび)を由比ヶ浜にて切らずば、日本国必ず滅ぶべしと申し候了ぬ (撰時抄)
故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無限地獄に堕ちたりと申し、建長寺・ 寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏等を焼き払へと申し、道隆上人・良観上人 の頚(くび)をはねよと申す (種種御振舞御書)
「念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頚をはねらるべし
と申す上、故最明寺・極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕ち給ひたりと申すほど
の大禍ある身なり」 (光日房御書)
興門派(日蓮正宗)でその様なことを実際に行った記録は存じ上げません。
仰天さんはご存知でしょうか。
また、「弟子達」とお書きになりましたが、具体的にはどなた達でしょうか。
たまたま日蓮正宗で一揆などが起きてなくても日蓮の弟子は日興だけではありませんから原因を作ったのは日蓮です。
また、日蓮正宗でも多くのスキャンダルや問題だらけです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/q … 0152749220
「法華経に帰依しなければ日本は滅ぶ」とは大聖人様が立宗されてから常に仰せの事であります。
それと「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)」を混同されてませんでしょうか。他国侵逼難(たこくしんぴつなん)は正法(しょうぼう:正しい法)を誹謗すると他の国から攻められるという事です。
実際に対馬や壱岐は侵攻されましたので他国侵逼難(たこくしんぴつなん)は起こりました。
他国と述べており蒙古軍とは述べていませんので、そのような漠然とした事なら誰でも言える事で予言にはなりません。
日本は滅んでもいません。
日蓮正宗では、釈尊の生まれ変わりが日蓮大聖人とは言われておりません。
その様な記述は無いと思いますが、その日蓮本仏論は誰が書かれたものでしょうか。
生まれ変わりという表現は厳密には違うかもしれませんが、本仏であるとされる日蓮がいて、釈迦は本仏から出たものでしょう。
そもそも、日蓮は自分は浄行菩薩だと述べています。もちろんそれも妄想ですが本仏とは主張していません。
同じ日蓮系でも日蓮を本仏とは認めない所もあり、日蓮を本仏とする日蓮正宗の考えはこれも後付けでできたものです。
釈迦を神格化し、次は日蓮を神格化し、創価では池田さんを神格化するようなものでしょう。
仏教がキリスト教の教義を取り入れたというのなら、具体的にどの様なことでしょうか。
女人成仏を説いてますよね?法華経のみはキリストのみに通じます。これらも既に指摘済みです。久保さんの説に全て同意はしませんがこういうものもあります。
#40 2019年03月07日 04:40:40
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
「法華経の予言」は初めてお書きになられたと思います。
どの予言か具体的に教えて頂けませんでしょうか。
初めてではないですね。20年前から創価や顕正会の人間と話しており、仏教の本や日蓮のもの、仏教の源流であるバラモン教のヴェーダの本や法華経についてや様々な本を読んでいます。
シュウイチさんは他宗教はほとんど知らないようですね。
その点もエホバの証人と共通点があります。知らない、もしくは浅く調べて自分だけが正しいと思い込む。
ヒンズー教では偉大なるヴェーダ聖典を悪人から遠ざけるために、敢えて偽の宗教である仏教を広めたという事になっています。
輪廻の思想も最初は哲学として現れ、その後にバラモン教やヒンズー教の中で発展し仏教にも影響を与えたに過ぎないのであり、仏教オリジナルではありません。
私は学者ではありません。信仰者です。
余裕が有れば調べたいとは思いますが、今のところありません。
信仰が学問より上に来るのが信仰者ではないのですか?学問でさえ確かかどうかを調べています。
仰天 さんの発言:法華経の場合は翻訳どうこうの前に釈迦が語ったものではありません。
「釈迦がこう言った」というような形式で書かれたものは皆、釈迦の教説とされただけの話で、ですから膨大な数の経典が存在し、とても同じ者が説いた教えとは思えないほど異なっています。「釈迦の教説」は釈尊が教え説いたものではないのでしょうか。
口伝で伝わったものをお弟子が、私はこのように聞いた、と書かれたものだと思います。
既に指摘済みのように大乗経典は口伝では無理があり出てきた当初から文字の形式ですから大乗非仏説なのです。
仰天 さんの発言:指示がなければ調べないという事は、調べないで親や組織が言った事をそのまま信じ込んでいるという事ですね。
そこもエホバの証人と共通点がありますね。先ほども書きましたが余裕が無いため調べられません。
もちろん、大昔のことですから色々な説があることは知っております。
そして、矛盾がや疑問が生じたことは調べました。
エホバの証人の様に、自分たち以外の考えから避ける様なことは言われておりません。
日蓮大聖人様はご自分の仏法以外に優れたものがあれば、比較して優れた方を用いなさい、と仰せです。
エホバの証人でもその通りであるか調べるように言っていますが実際には調べもせず組織に疑いを持つ事は禁じています。
シュウイチさんの日蓮正宗も自分達以外の考えは避けないと言いながらも実際には他の人の考えや指摘は受け入れもせず、ものみの塔協会同様、詭弁を繰り返しておられるように感じます。
#41 2019年03月07日 04:53:35
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
日蓮系では、釈迦はまず低い教えから説いていき、晩年に高い教えである法華経を説いたと主張します。
去年の暦は古いので現在には当てはまらないとかも言いますね。
ですがそれは法華信者の側だけの言いぶんです。
釈迦がこれまで語ってきた教えの数々は実は法華経に導くための方便だったとの事ですが、今まで何十年も広めてきた事が実は嘘だったという事です。
導くためとはいえ教祖が嘘をつくようなものは信用できません。
他の宗派を否定する点も伝統的なキリスト教を否定しなければ成り立たないエホバの証人と共通しますね。
お釈迦様は法華経で、正直捨方便(正直に方便を捨て)、と法華経以前の教えを方便と言われております。
嘘ではありません。
嘘ではない、方便だと主張されるわけですが、他の経典は間違った教えなのでなくさなければならないと主張するのですからものは言いようですね。
法華経信者のみの言い分であり、膨大な数の経典は矛盾、食い違いがあり同じ釈迦の教えではない事は明らかです。(大乗は釈迦の教えではなく、小乗さえもてつてつさんも言われるように単なる思想の一つです。)
書物として読むのであれば信仰にはならないので「天魔の所業」にはならないと思います。
間違った宗教の教祖や弟子たちは非難しますが、それを信じている人を非難しているのではありません。
問題にしているのは他の大乗仏教を信仰しておられる方々を非難している点です。
教祖や弟子たちは信じている人々です。
この世界は様々な法則でなりたっております。そしてこれらの法則の根本の法則を悟られたのが日蓮大聖人です。
科学で例えるなら、大統一理論みたいなものです。当然、人間が大統一理論を解いたとしても、それを変えることはできません。リンゴが木から落ちることを今も変えられない様に。
悟ったというのは自己申告でありきわめて不確かなものです。
そして日蓮を「大聖人」として神格化したのは数ある日蓮系の中で日蓮正宗と創価などです。
人の死をデータ化する社会を聞いたことがありません。
それは死者への尊厳のためだと思います。
死んだ人は何も言えません。弁明できません。
仰天さんの周りではお亡くなりになった方に対してデータ化することがあるのでしょうか。
死後硬直しないという事を主張しながらも死者の尊厳のために確認はできないと言うのなら、そのような主張に何の意味があるでしょうか。
法華経信者の主張が正しいかを確認する一つの方法として死後硬直がないという事が言われているのですから医師でなくても信者でも確認できるでしょう。
創価などでは他の宗派の人の死に顔を見て地獄に堕ちたとか言います。
私の周りの他の仏教の人でも身内でも安らかな死に顔でした。
苦痛の中で亡くなられた方なら苦悶の表情になるのは当たり前ではないでしょうか?
とにかく、法華経の修業者には死後硬直がないという主張は何の確認も裏付けもないという事は分かりました。
#42 2019年03月07日 05:50:01
- akame
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
シュウイチさん
♯36への返信は結構です。
それよりも、後で構いません。
「四箇格言」の最初にある、念仏無間 について説明していただけますか?それを信じる為の客観的証拠も示していただけますか?
(今のところ、貴方の好きな1+1の1も見当たりません)
どなたかの質問とカブるかもしれませんが( ´_ゝ`)
#43 2019年03月07日 06:38:04
- てつてつ
- メンバー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
シュウイチさん 書き込みありがとうございます
ブッタの舌がのびる話のおとぎ話と 量子のもつれがおとぎ話のようだというのはぜんぜん違うとおもいます
まちがった原因究明方法の上にまちがった解決方法で さらにものごとが悪化すると思います について シュウイチさんはそのようなことはおきていないと思う といわれましたが 証人たちも自分たちに都合の悪いことは直視しようとしないことと似ているような気がします
あとまちがった宗教をなくして正しい自分たちだけの宗教を全ての人にあたえなければならないというのは知性の伴わない善意のようでテロリストの根っこのような気がします
編集者 てつてつ (2019年03月07日 10:09:40)
オフライン
#44 2019年03月07日 06:56:40
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
普通に考えるなら死後硬直の教えは都合が悪いのでトーンダウンですかね
カトリックの似たような教えも、よくわからないですけどうやむやにされましたから
「死後、ウインクをし続ける死体。モールス信号のウインクリズムで戒名を刻む」ほど突飛な教えにしない所がホケなりの知恵でしょう
#45 2019年03月07日 07:33:50
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
組織の問題点や間違いを指摘すると迫害、何か良い事があるとエホバのおかげ。
日蓮系でも同じく、問題点等を指摘すると法難、良い事があると法華経の信心のおかげ。
もしくは、これをやってたからこれだけで済んだ。
#46 2019年03月07日 08:58:19
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
仰天さん
書き込みをありがとうございます。
日蓮の処刑の際に、首を切ろうとしたまさにその時に光りの球体が現れて処刑が中止になったという主張があります。しかし、
種種御振舞御書については、これまでに多くの人から偽書説が出ています。
龍の口の奇跡もそうですが、翌日の夜、本間六郎左衛門宅にて(日蓮は)こんな奇跡を目の当たりにしたというのです。
月に向って自我偈少々よみたてまつり、諸宗の勝劣、法華経の文を大略申したあとで、「そもそも今の月天は法華経の御座に列っておられた名月天子であろう。宝塔品にて仏の勅命を受けられ、嘱累品にて仏に頂をなでられ、『世尊の勅のごとくまさにつぶさに奉行すべし』と誓状を立てた天である。その仏前の誓いは日蓮がいなくては虚しいものになるぞ。<略>と責めれば、その験であろうか。
天より明星のごとき大星下って前の梅の木の枝にかかったゆえ、兵士どもはみな縁より飛びおり、あるいは大庭にひれふし、あるいは家のうしろへ逃げた。やがて一天にわかにかきくもり、大風吹ききたって、江の島が鳴って、空にひびくこと大いなる鼓を打つがごとくであった。
『天より明星のごとき大星下って前の梅の木の枝にかかった』そうです。
これらの主張に信憑性はあるでしょうか?
日蓮の信頼できるの遺文はこうなっています。
文永八年九月十二日、再び幕府の咎をうけて捕らえられた。今度こそ、すぐにも頸を刎られるはずだったが、“子細ありけるかの故に”(どんな理由があったからか)、しばらく処刑が延びて、(一谷入道御書/真蹟)
文永八年辛羊九月十二日の夜、日蓮は相模国龍ノ口にて頸をまさに切られるところだったが、“いかにしてやありけん”(どうした理由があったのか)その夜、危うく生き延びて、(報恩抄/真蹟)
ここに紹介した二つの遺文には『毬のように光りたるもの』は出てきません。そういう奇跡があったことを匂わせるような書きぶりでもないでしょう。これらの歴史資料から確定できるのは【どうした理由があったのか】(は知らないが)処刑は免れた。という、ここまでだと思います。
明らかに後世の脚色であり信憑性はないと言えるでしょう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/q … 3144085383
【どうした理由があったのか】は、殺す事が出来たのに何故殺さなかったのか、という意味ではないでしょうか。光り物が出たとしても、その後に殺せたはずです。どうして殺さなかったのでしょう。
また、その書き物の主旨に合わなければ、長い説明は文の主旨を損ねる場合がありますので、省略されたことも考えられるのではないでしょうか。
#47 2019年03月07日 09:07:54
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
しかしながら、日蓮については、悪く言えば危険思想の持ち主とも言えますが、強いてよく言うならば、その熱い生き方に感動し、尊敬するという人もいるようです。
もちろん、私はそこまでは思いませんが。
勘違いしちゃったのね〜日蓮さん
という感じですね。
「勘違い」とはどの様なことでしょうか。
#48 2019年03月07日 09:15:01
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
日蓮宗系は他の宗派を批判していたことは知っていました。
真言宗も禅宗もその標的でしたが、、、、
率直な感想として、、日蓮はカルト仏教の開祖では?
言葉が強いとカルトになるのでしょうか。
特に今は言葉狩りがひどいですし。
#49 2019年03月07日 09:21:24
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
やっと1ページ目の返信が全て終わりました。(汗)
1ページ目でまだ返信が無い方はお手数ですがその旨を書き込みして頂けませんでしょうか。
宜しくお願い致します。
#50 2019年03月07日 10:12:56
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仏教徒から見たエホバの証人
仰天さん
書き込みをありがとうございます。
仰天 さんの発言:日蓮の処刑の際に、首を切ろうとしたまさにその時に光りの球体が現れて処刑が中止になったという主張があります。しかし、
種種御振舞御書については、これまでに多くの人から偽書説が出ています。
龍の口の奇跡もそうですが、翌日の夜、本間六郎左衛門宅にて(日蓮は)こんな奇跡を目の当たりにしたというのです。
月に向って自我偈少々よみたてまつり、諸宗の勝劣、法華経の文を大略申したあとで、「そもそも今の月天は法華経の御座に列っておられた名月天子であろう。宝塔品にて仏の勅命を受けられ、嘱累品にて仏に頂をなでられ、『世尊の勅のごとくまさにつぶさに奉行すべし』と誓状を立てた天である。その仏前の誓いは日蓮がいなくては虚しいものになるぞ。<略>と責めれば、その験であろうか。
天より明星のごとき大星下って前の梅の木の枝にかかったゆえ、兵士どもはみな縁より飛びおり、あるいは大庭にひれふし、あるいは家のうしろへ逃げた。やがて一天にわかにかきくもり、大風吹ききたって、江の島が鳴って、空にひびくこと大いなる鼓を打つがごとくであった。
『天より明星のごとき大星下って前の梅の木の枝にかかった』そうです。
これらの主張に信憑性はあるでしょうか?
日蓮の信頼できるの遺文はこうなっています。
文永八年九月十二日、再び幕府の咎をうけて捕らえられた。今度こそ、すぐにも頸を刎られるはずだったが、“子細ありけるかの故に”(どんな理由があったからか)、しばらく処刑が延びて、(一谷入道御書/真蹟)
文永八年辛羊九月十二日の夜、日蓮は相模国龍ノ口にて頸をまさに切られるところだったが、“いかにしてやありけん”(どうした理由があったのか)その夜、危うく生き延びて、(報恩抄/真蹟)
ここに紹介した二つの遺文には『毬のように光りたるもの』は出てきません。そういう奇跡があったことを匂わせるような書きぶりでもないでしょう。これらの歴史資料から確定できるのは【どうした理由があったのか】(は知らないが)処刑は免れた。という、ここまでだと思います。
明らかに後世の脚色であり信憑性はないと言えるでしょう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/q … 3144085383
【どうした理由があったのか】は、殺す事が出来たのに何故殺さなかったのか、という意味ではないでしょうか。光り物が出たとしても、その後に殺せたはずです。どうして殺さなかったのでしょう。
また、その書き物の主旨に合わなければ、長い説明は文の主旨を損ねる場合がありますので、省略されたことも考えられるのではないでしょうか。
全部読みましたか?
ところで弘法大師の伝記に、「夜の夜中に日輪が光り輝いた」というのものがあります。日蓮はこれを信用しません。「これほどの大事を、太政官の記録がのせないはずがない」(報恩抄)と言うのです。もっともな指摘です。
吾妻鏡は多くの天変を記録しています。かの文永元年七月四日の大彗星(これは日蓮も記事にしている)もしかり。しかし、文永八年辛羊九月十二日の「光り物」に相当すると思われる記録は存在しません。井沢元彦さんの著書(逆説の日本史6)にも幕府の公式記録にそのような記述はないと書いてありました。
龍ノ口法難について井沢氏は 「歴史的事実として、ほぼ確実に言えることは、日蓮は不当な処刑で殺されようとしたが、何らかの事情で命が助かった、ということだろう」 と述べ、何らかの事情については、北条時宗の妻の懐妊説(当時、時宗の妻は妊娠中だったので坊主殺しによるタタリを恐れて処刑中止命令が出た)を上げていました。 この説は、日蓮研究者で客観的立場に立つ人達から多くの支持を得ているように感じます。
また、佐藤弘夫著「日蓮」によると、日蓮の遺文 「大学三郎御書」のなかに 「(龍口法難のとき)大学三郎だけは身を捨てて私に味方してくれた」 とあることや、さらに書を通じての、大学三郎と安達泰盛(反頼綱派の筆頭)との親密な関係を窺わせる記述があることなどから、反頼綱グループによる巻き返しが効を奏したのではないか。 反頼綱グループが時宗を説き伏せて中止命令を出させることに成功したのではないか。このような考察がなされていました。
つまり、光りものについて信頼できる日蓮の遺文には出ておらず、当時の記録にも一切ないという事です。
言及されているものは偽書の疑いが強いもので信用できるものではありません。