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#51 2018年03月27日 15:00:54

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

irisさん、初めまして。

ヘブライ11:1
信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実体についての明白な論証です。

よくこの定義が「明日の朝、太陽が東から昇る」ことに使われることがあります。そうですね、私たちはそれが当たり前と思っていますし、その通りのことが期待通り確かに起きます。しかし実のところそのシステムの全てを理解しているわけではないでしょう。なぜ正確に地球が自転しながら公転しているのかなんて誰も説明できていないと思います。(私が知らないだけで、もしかするとできているかもしれませんが・・。)なので「保証された期待」なのでしょう。保証されてはいるものの所詮「期待」でしかありません。しかし同時に期待とはいえ「保証されている」とも言えるのです。なので「明日の朝、太陽が東から昇る」ことを信じるのは信仰と言えるかもしれません。

では復活は保証されているでしょうか?そんなわけないでしょう。聖書の記述以外に(聖書で言うところの)復活の実例はないはずです。なので保証されてはいないと言えます。となると復活は「単なる期待」です。

では神の存在はどうでしょうか?実際に神を見た人はいません。イエスは神を体現していたかもしれませんが、神そのものではありません。現代においては誰一人神を見たものはいません。では神の実体の真偽を論証することなど果たしてできるでしょうか? それも明白に。もし仮に「明白に論証」できていれば神の存在を誰も否定できないはずです。全ての人は 信じるしかありません。でも実際はそうではないわけです。故に、神の存在はまだ「明白に論証されていない」ということになります。

となるとこの聖句にある「信仰の定義」をどう適用すればいいのでしょうか? 期待はあるが保証されているとは決して言えない「復活の希望」。論証しようとはするが明白なものにはなり得ていない「神の存在」。ということは・・・?

この二つの命題はこの「信仰の定義」を適用できる対象とは言えず、無理やり信仰の対象にしようとするならば相当摩訶不思議な状況になってしまうのではないかと思うのです。

なので「信仰」とは「結果が出るまで本当にそうなるのか(or そうなのか)どうかは全くわからない命題に対して『必ずそうなる(or そうだ)』という全きの確信(全幅の信頼)を置くこと」的なものになってしまうのでは? これに人生をかけるのは、私にはどうしても究極のギャンブルのように思えてしまうのです。

オフライン

#52 2018年03月27日 16:31:03

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさんへ

Jayさんが人生のいろいろなことを抱えながらでも自分らしい人生を歩みたいというエネルギーを感じます。
ちょうどギャンブルの話になっているようなので雑感ですが参考までに読んでいただけたらと思います。
ちょっと専門的だったり表現がきついかもしれませんがお許しください。

Jay さんの発言:

なので「信仰」とは「結果が出るまで本当にそうなるのか(or そうなのか)どうかは全くわからない命題に対して『必ずそうなる(or そうだ)』という全きの確信(全幅の信頼)を置くこと」的なものになってしまうのでは? これに人生をかけるのは、私にはどうしても究極のギャンブルのように思えてしまうのです。

最初の「信仰の」部分を、「勉学」、「進路」、「就職」、「結婚」のような言葉に変えてみても意外と当てはまると思いませんか。つまり人生そのものがいわばギャンブル、もうすこしきれいな言い方をすれば「投資」なのではないかと思います。
投資の世界での有名な格言に「卵は一つのカゴに盛るな」と言うものがあります。かごを落としたらすべての卵が無駄になってしまうので別々のかごに入れなさいという教えです。賢明な投資家は大丈夫だろう、値上がりするだろうと思って買い付けますが、必ず投資対象を分散して(リスクヘッジして)投資します。たとえ値下がりするものがあっても最終的に”全体で”リターンを求めるわけです。ポイントは将来の”個々の”リターンは予想できないが、リスクのコントロールはできるということです。

WTに自分の人生をすべてささげているのはちょうどひとつのかごに自分のすべてのものを載せているような状態だと思います。将来のリターンがどうのこうのと言うよりそもそも危険な人生のポートフォリオ(金融商品の組み合わせ)です。
*似たような投資方法が「信用取引」とか「日本の住宅ローン」となります。

WTにすべてささげると言っても自分の人生を構成しているパーツひとつひとつ丁寧に調べてみると、WTととても結びついているようででもよく考えてみると実はそれほど関係のなさそうな、自分独自の選択でどうにかなるものもあります。例えば世俗の仕事はJW活動とは完全に負の相関でトレードオフの関係になっています。だからたくさんの兄弟たちは悩みますがでも見方を変えるなら自分の決断で世俗の仕事のウェイトをちょっとずつ自分の都合のいいように変化させれば意外と人生のポートフォリオは改善すると思いませんか。言うのは簡単で行うのは難しいと思うならばそれは世俗の仕事にJW活動を絡めていつも考えているその考え方が変わらないからだと思います。
世俗の仕事以外にもJW活動ときっちり分けて考えてもよい大切な人生のパーツがあります

勉学や進路
本来の夫婦関係
子供たちのこと
趣味、娯楽
親族との関係
お金
健康
JWでない人たちとの関係

などが思い浮かびます。よーく考えてみればこれらは本来自分で決めるべきことであって、組織からとやかく言われることではありません。余計なお世話です。他にもいろいろあると思いますが、WTと言うひとつのかごにすべてを載せてしまってどうしようもないと思えるようでしたら、ちょっと見方を変えて、自分の人生のポートフォリオはたくさんのかごがあって、JWというのはちょっとおおきいかもしれないけど単なるひとつのかごにすぎず、自分の人生には他にも管理しなければならないたくさんのかごがあるんだ、そしてトータルでプラスになればいいかなと時間をかけてみるのも良いのかなと思います。

ちなみに私の人生のポートフォリオでは現在JWは「塩漬けの株」となっております。(笑)

参考: 塩漬け株
上がると思って買った株が予想に反して下がってしまい、処分すると損失が出るため売るに売れなくなり、ずるずると長期間保有している株。

オフライン

#53 2018年03月27日 21:51:12

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、コメントありがとうございます。

まさに言わんとするポイントをまとめてくださったように感じました。
「人生をかけるのは、私にはどうしても究極のギャンブルのように思える。」と書きましたが、その言葉のままではあるのですが、これはあくまで一般論であって私はこのようにはしませんでした。

Jay さんの発言:

自分が犠牲にしなければいけない時間や思いをある程度見極めながら、無理することなく乗っかってきたのだと思います。なので正規開拓は考えたこともありませんし一度もしたことがありません。

このような感じです。ですので仕事も好きな仕事をしましたし、好きな旅行をしたり、好きな時に好きなところへ引っ越したりもしました。そうした個人的な分野だけでなく、僕や長老としても結構自由気ままにやっていた方だと思います。二世ではなかったからかもしれません。基本誰からも強制されることはありませんでしたし、強制されても応じませんでした。「あなたはその選択の結果に責任を持ってくれるのか?」と詰め寄ったこともありました。
問題発言かもしれませんが、こうも考えています。「趣味」って基本的に余暇をあてますよね、時間的にも経済的にも。なのでこれが無駄になってもダメージは受けません。また次の「無駄」な趣味に意気揚々と向かってさえいけます。これぐらいの感じでJWをやればどうでしょうか?もちろん余暇以上の投資は必要かもしれませんが、人生すべてを賭ける必要はありません。ダメ元で乗っかってみる・・・。不謹慎なコメントで申し訳ありません。これでは組織の中枢構築と運営は成立しませんね。でもこれぐらいの気持ちであればダメージは小さくおさえられると思います。

Tak さんの発言:

WTととても結びついているようででもよく考えてみると実はそれほど関係のなさそうな、自分独自の選択でどうにかなるものもあります。

おっしゃる通りです。自由意志を行使できる範囲は実は結構広いと思います。そして「リスクヘッジ」です。まさに「Don’t Put All your Eggs in One Basket」の精神でやってました。だからでしょう、猪突猛進タイプのJWからは結構煙たがられていました。

Jay さんの発言:

これに人生をかけるのは、私にはどうしても究極のギャンブルのように思えてしまうのです。

これをもっと表現したかったニュアンスで正確に言うならば「これに人生をかけてしまうなんて、私にはどうしても究極のギャンブルのように思えてしまうのです。」ですね。

リスクヘッジしながら、好きなところに住み、好きな仕事を見つけ、好きな趣味を楽しみ、好きな車に乗り、好きな生き方をすればいいのではないかと思います。JWとして聖書に書かれていることに抵触せずにこれらを行うことは可能です。「犯罪行為」になってしまうことは「自由な選択肢」からは当然ながら除外します。常識としてしないこと、聖書に書かれているからしないこと、これらを差し引いても十分の選択肢が残っています。

ではなぜJWが不自由になっていくのか? それは組織が書き加えたルールであったり、会衆内でまかり通っているローカルルールです。これら加えられたルールをさらに拡大解釈し自分に当てはめて勝手に苦しみ、他の人にも当てはめ苦しめる。そのようになってしまっていると考えます。なので以前書きましたように日本のJWは仏教修行僧のように忍耐の美学を持っていると思うのです。ざっくりした言い方ですが、他の国のJWはもっと自由気ままに生きていると思います。もちろん皆全てではないでしょうし、いい人悪い人変な人の振り幅も極端でしょうけど。日本人のように(色々な意味で)コンパクトにはまとまってはいないと思います。

編集者 Jay (2018年04月02日 09:38:06)

オフライン

#54 2018年03月27日 21:59:49

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

「ここが変だよ、ローカルルール」というスレッドを立ち上げたら面白いでしょうね。色々な驚きのローカルルールが存在していそうな気がします。

オフライン

#55 2018年03月28日 00:30:02

元信者
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、返信をありがとうございます。

Tak さんの発言:
元信者 さんの発言:

カルトの教えを世に広めて家庭を崩壊させたり、信者の人生を大きく左右することについての責任は、感じないのですか。

「責任」というのは「組織の責任」ということでコメントします。
私もこのことはよく分かります。私も被害者だと思うこともあります。

質問の仕方が不十分でした。仮にTakさんの再訪問先が研究に応じJWになった後、宗教が原因で離婚問題になったとしましょう。Takさんがそもそも組織の教えを伝えなければ、一つの家庭に問題は起こりませんでした。こういう場合の責任です。

>「組織の責任」ということでコメントします。

何かうまくすり替えられたようで、JWらしい思考と思いましたが、非難する気はありません。誰しも自分を否定して生きてゆくのは辛いですから。

#56 2018年03月28日 11:23:37

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさんへ
御自分の気持ちを丁寧に説明してくださりありがとうございました。いろいろなことをバランスよくされているのがよく分かりました。変な例えをだらだら書いてすみませんでした。
また、年下の私の意見でもいつも読んでくださり感謝します。

ローカルルールのことですが、書きたいこともありますが住んでいる(住んでいた)場所が特定されそうなので、私としてはちょっと・・・と言う感じです。


元信者さんへ
私自身の責任ということについてですね。元信者さんの前のスレッドを読んだとき、自分の責任については今まであまり考えてこなかったなとはじめて気づきました。考えをまとめるのに時間もかかりますし、「私自身の責任」か「私自身の考える組織の責任」なのかちょっと読み取れなくて無難な後者を選びました。

元信者 さんの発言:

仮にTakさんの再訪問先が研究に応じJWになった後、宗教が原因で離婚問題になったとしましょう。Takさんがそもそも組織の教えを伝えなければ、一つの家庭に問題は起こりませんでした。こういう場合の責任です。

私は会衆の若者の研究は司会しましたが、普通に野外で出会った人をバプテスマまで援助した経験はありませんので「仮に」と言う前提で「今現在の心境」を書いてみます。会衆の二世の兄弟たちへの責任については省略します。自分は責任を持ちたくないというバイアスは掛かると思いますがそこはご容赦ください。

仮に私が企業の営業マンとして自社の製品やサービスを提供する時、おおむねそれらは良いとは分かっていても使い方によってはとんでもないことになると分かっているときには、心配な顧客のときは自分の裁量の範囲内で相手に警告したり提供の仕方も消極的にするかもしれません。でもやはり自分の力及ばずその顧客はご自身の判断でそれを購入して思った通り害を受けた場合、それはその人の意思だから関係ないとは思えませんし、やはり責任は感じます。でもそれ以上のことはしませんし出来ません。もしその人に何かをしてあげるとしたら営業マンと顧客の関係ではなく、友人のようなある意味対等な立場としてということになります。だからそのときは感情のしこりや信頼関係がどうだったかによって出方は変わると思います。

WT組織は宗教組織というより企業組織のような組織なので私自身の責任はこういった営業マンの心境に一番近いかなと思います。(今現在です)

仮にそういう研究生がいたとしたらきっともりもり成長するような理想的な研究生という前提になると思います。会衆からの励ましのシャワーもものすごいと思います。とすると司会者である私はたぶん霊的な知識の習得は本人任せにして、JWからは本来聞かないようなことで今後起きるかもしれない、でも真剣に考えてほしいことについて話し合うと思います。そのことはたいてい模範的な研究司会者としたらXなことばかりだと思います。進歩的な研究生ならそんなことも聞き流すかもしれません(そうなった時点で私はたぶん責任を感じるでしょう)し消極的な司会者なので交代することになるような気がします。

自分の場合はそのような研究生なんて絶対いないのだから責任もないよと言うつもりはまったくありません。仮にという前提で先ほどの営業マンのような責任を感じていますし、間接的とはいえ大変な結果になったJWや元JWの事を聞くと少なくとも自分は”のびのびとした余裕のあるようなJW”として行動していることが何か良くないことを間接的に煽っているという意味で責任があるのかなとも思います。

ちょっと暗い話になりましたが、実際は自分の人生は自分で切り開くもので他の人に左右されるものではないと思っていますし、でもつらい状況の人を見れば何か助けになりたいなとも思っています。でもそれは贖罪ではなく純粋にその人への関心と言う意味です。

なんかまとまっていませんね。まだ考えている最中なので、もしかしたら考えが変わるかもしれません。でも少しは分かっていただけましたか。

オフライン

#57 2018年03月28日 12:42:56

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、
「こんなのがありました」と紹介すると場所が特定される、という危惧はよくわかります。「このスレッドは面白いのでは?」という提案はそうした可能性を考慮していない無責任な発言でした。お詫びして撤回いたします。

でも場所が特定できるほどユニークなローカルルールがあるというのも考えてみれば凄いことですね。それゆえにローカルルールなのでしょうが、そういう意味でもローカルルールはあっちゃあいけないものだと改めて断言できます。

そもそも・・・4−5年前の王国宣教学校に出席した時、教訓者から「あなたたちの会衆でローカルルールと言えるものはどういうものがありますか?」と質問されました。私を含め多くの長老が自由に発言しました。いろいろなルールがあるんだなあ、と思った後で「それら全てのローカルルールは書かれているものではありません。全く必要のない、ふさわしくないものなので全て廃止しなさい。」と明確に教えられました。当時の全ての長老はそのように教えられましたので会衆で適用しているはずです。(全てのクラスのプログラムが共通のものであるという前提ですが)

なのでこのコメントの最初に「こんなのがありました」と過去形で表現したのです。もし今でもローカルルールが存在するのであれば問題ですね。「あってはいけないもの」なのですから。ましてそれで人に影響を与えたりコントロールしてしまっているとしたら大問題です。「書かれていないルールを強要している」のですから長老団が審理委員会で問われなければならないレベルだと(個人的には)思います。さらに言えば、廃止しない理由が「長老のプライド故に廃止したくない」「そのローカルルールによって長老の威厳が保たれているので廃止したくない」「全ては会衆の成員のためだ。なのでこのルールは有益だ。廃止の必要なない」等々なのであれば大大問題でしょう。

とはいえ、その王国宣教学校の教訓者は「ローカルルールを廃止しなさい」と教えはしましたが、「それでも引き続きローカルルールを用いるようであれば問題として扱われます」とは全く言っていませんでした。なので「ザル法」ならぬ「ザル教え」ですね。残念です。本当であれば巡回監督はこの教えが各会衆で実行されているかどうかを確認しながらフォローすべきだと思いますが、そんなこと全くしていないでしょうね。

少なくとも当時私がいた会衆の長老団では話し合いの際、ローカルルールに関わる状況が生まれたりコメントが出た時には「その規準ってどこかに書いているものですか?そうでないならローカルルールなのでそのような考えを適用すべきではないのでは?」という感じで互いに注意していました。

オフライン

#58 2018年03月28日 13:17:32

元信者
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、誠実に答えて下さり、ありがとうございます。
こういう言い方は語弊がありますが、Takさんは良くも悪くも組織の中で、純粋培養された方なんだなと感じました。ご気分を悪くされたら申し訳ありません。
またもう一つですが、今は組織の中で信者が増えていて、新しく野外から入って来て信者になる人は、ほとんどいないようですね。
Takさんはこれからも、自分の中で組織と折り合いを付けつつ、幸せに生活していけそうです。

#59 2018年03月29日 00:26:17

iris
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさん、コメントありがとうございます。

Jay さんの発言:

ヘブライ11:1
信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実体についての明白な論証です。

以前も書いたとおり、私にはこの聖句の解釈こそが、エホバの証人たちを混乱させる原因となっているように思えます。

ものみの塔は、自分たちの教えが客観的な事実に基づいており、明白に論証できると教えています。そして、エホバの証人の多くはそれを信じています。
しかし実際は、復活の希望にも神の実在にも何の保証も証明もなく、単なる妄想にすぎません。

およそ宗教というものは、事実だけを積み重ねてできているわけではありません。当然ものみの塔の教えも事実だけの積み重ねではないわけですが、それをあたかも科学的事実であるかのように教えているのは、たいへん不誠実なことだと思います。このような教え方をしているため、エホバの証人の中には、信仰上の事実(妄想)と科学的事実とを区別できていない人が多いと思います。

JayさんやTakさんは、きちんと区別して考えておられますが、だからこそリスクヘッジができているのではないでしょうか。でも、組織の教えがすべて事実であると信じている人たちは、すべての卵をものみの塔のかごに入れてしまいます。組織がそれを推奨していますから。
Takさんが組織の中で、若い人や研究生にリスクヘッジを教えてくださるのなら、それなりに意義はあると思いますが、そのようなことが許されるのでしょうか。

私は信仰と宗教組織とは別のものと考えています。宗教組織にどのくらい投資するかは自分で決めるべきです。しかし、ものみの塔の組織はすべてを投資させる仕組みになっており、「普通の人」は強制力に逆らえません。
せめて輸血と脱退については、誰でも制裁を恐れずに自己決定ができるようになってほしいものです。

オフライン

#60 2018年03月29日 03:19:51

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

irisさん、コメントありがとうございます。

iris さんの発言:

当然ものみの塔の教えも事実だけの積み重ねではないわけですが、それをあたかも科学的事実であるかのように教えているのは、たいへん不誠実なことだと思います。このような教え方をしているため、エホバの証人の中には、信仰上の事実(妄想)と科学的事実とを区別できていない人が多いと思います。

この「科学的事実」ですが・・・少し思うところがあるので書かせてください。
例えば遺跡の年代を知る手立てとして「放射性炭素年代測定」というものがあります。現在においては一応信頼できるものとして認知されているはずです。では例えば何か建造物や人骨が発掘され「放射性炭素年代測定」によって1万年以上前のもの、と判断されたとします。WTとしてはこれは困ります。WTが唱える人類の歴史のスパンと整合しません。この場合、こうした「科学的事実」を無視したり、時には「サタンは私たちを惑わすためにどんな工作もする。」なんてことも言い出すわけです。
ところがWTが唱える人類の歴史のスパンと枠内に収まる測定結果であれば途端にこの測定結果を引き合いに出し、「放射性炭素年代測定」によって聖書記述の正しさが裏付けられた、とも言い出すのです。

都合の悪いものはなんでも「サタンの仕業」で片付けることに憤りを感じてしまいます。

iris さんの発言:

ものみの塔の組織はすべてを投資させる仕組みになっており、「普通の人」は強制力に逆らえません。
せめて輸血と脱退については、誰でも制裁を恐れずに自己決定ができるようになってほしいものです。

誰でも元は普通の人だったはずです。しかし、WTの教えと誘導、または洗脳システムによって普通ではなくなっていってしまいます。

で、何か問題が起きるとWTは「個人責任です」と主張し、片付けてしまいます。実体のない投資話を持ちかけ投資させた挙句、約束されていたリターンが全く発生しない。しかし投資話をした輩は「最終的に投資を決めたのはあなた自身です。個人責任です。それが投資というものです。」で責任回避します。どうも私にはそれと重なって見えてしまいます。

しかし、輸血に関しては「個人の決定」を尊重しません。ここでは組織の方針(教え)が最優先されます。少なくともそれを排斥を振りかざして精神的に強制をします。なのにです・・・、輸血を受けずに命を落としてしまったり家族が崩壊したりしても組織は何も関知しません。「個人の決定です」なのでしょう。これってどう考えても納得いきません。無理があります。

個人の決定で献身し、個人の決定で二つの質問にはいと返事をしバプテスマを受け、個人の決定で寄付をし、個人の決定で生活をどの程度犠牲にするかを決めれるのであれば、輸血も個人の決定でいいと思います。もちろん「普通の人」がしているように「輸血に伴うリスク」も個人の決定(自己責任)で受け入れなければなりません。しかしWTはこの点では個人の決定を許さず、「個人の決定」で輸血をした場合、制裁を加えるのです。

冷静に見ればひどい話です。

JWがWTの主張内容の不整合さ、不誠実さ、偽りの宗教組織である証拠を知ったにも関わらずそこから離れない(「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい」、を適用しない)。のはいったいな何故なのでしょう。irisさんが指摘されたようにきっと「普通の人」ではなくなっているのでしょう。なので冷静に考察できない、判断できない、行動できないのです。感情さえもただ押し殺すことだけを習慣的にしてきたのでしょう、感情的な反応さえ示さないのです。

何かが明らかに変です。

オフライン

#61 2018年03月29日 23:47:28

iris
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさん、コメントありがとうございます。

ものみの塔の教えの罪深いところは、科学的事実を部分的に利用して、科学的でない主張を科学的であるかのように見せかけていることです。ちょうど、部外者の文献の一部を部分的に引用して、元の文献の主張とは別の主張に利用するのに似ています。

進化の問題であればまだよいのですが、輸血の問題で自分たちの主張を医学的にも正当であるかのように見せかけるのは許されないことです。

ものみの塔が輸血を禁じる理由は、「聖書が輸血を禁じている」と解釈しているからであり、それ以外の理由はありません。
それなのに、証人たちに輸血拒否を勧めたり、医療機関に説明したりするときには、輸血の医学的なリスクを持ち出してみたり、輸血に代わる手段が医学的に確立されているかのように主張してみたりします。
このように医学的に不正確な知識を刷り込むことは、証人たちが医師の説明を受ける際の妨げとなり、自己決定権を侵害しています。

輸血拒否を強制されて命を落とした人の「血の責任」はものみの塔の組織にあります。その責任を個人に転嫁するなど、とんでもないことです。
どうかひとりでも多くの証人が、輸血についての正しい知識を獲得できますように、願わずにはいられません。

オフライン

#62 2018年03月30日 01:43:41

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Irisさん、コメントありがとうございます。

その通りだと思います。
人間の「生きたい」という本能故の「医療手段の自由選択」は認められてしかるべきだと思います。そこを強制的に封じ込めて、命を落としたら自己責任ですます。ましてそのようなJWを模範的と賛辞し「後に続け」とばかりに煽り立てる・・・。ひどいです。

輸血を拒否することが「復活が保証される条件」ではないはずです。実際には「悔い改めなければ排斥」となるだけです。(悔い改める必要があるかどうかは今の論点ではありません。)
間も無く終わりが来るはずはない(と思う)ので、今は手の届く医療手段(輸血を含む)を受けて「生きる」。排斥になるならそれも仕方なし。で、寿命を全うすれば「死によって全ての罪は赦される」ので(もしWTの教えが真理であるならば)その後復活もあるでしょう。それでいいのでは?

それとも命を失うことより排斥を恐れるのでしょうか? 周りからの村八分を恐れるのでしょうか?

「生きて楽園に行ける、大群衆は死ぬことはない」「今ある命がすべてではない」等々の言葉が複合的に働いた結果、今ある命を軽視するように洗脳されているのでしょうか・・・。それでいのでしょうか?

とはいえ、輪廻を信じ今を生きる人たち、現実社会から自らを隔離し修行する人たち、即身仏となることを選ぶ一部の人もいるわけです。「信仰と信念によって自分の命をどう扱うか」は自由なのかもしれませんし、それを含めて「宗教」なのかもしれません。でも、命を左右することで強制するのは絶対に違うと思います。

JWはこうした議論においては「自分たちも信仰と信念によって決定している」というかもしれません。果たしてそうでしょうか? 子供や若い人たちは信仰と信念を持っているとは思えません。どう考えても犠牲者だと思います。

もしWTが「10代20代でのバプテスマは禁止。30代以降のバプテスマを勧める。それまでは研究生とし、何ら会衆からの圧力を受けることはない。自由選択と自己責任においてバプテスマを受けたいと本当に思えたときにのみそれを認める。それまでは退会の自由が保証される。」とすれば色々改善されるかもしれません。でもWTとしてはビジネスモデルが破綻してしまうでしょうね。

オフライン

#63 2018年03月30日 17:03:51

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

みなさんこんにちは。こちらは桜がいよいよ満開に近いですね。みなさんのところはいかがですか。

#59,60 のコメントで信仰のことが話題になっていました。

よく集会や出版物の中でエホバに全幅の信頼を・・・というときに、ではなぜエホバにより頼むのですかというとそれはエホバに「信仰」を持っているからと答えると思います。これは説明として正しいと思います。信仰を抱いているから、信仰を根拠にしているから崇拝できるわけです。

でもヘブライ11:1の聖句を信仰の定義という風にして当てはめてからどうも話がおかしくなってきたと思います。しっかりした信仰を持ちたい気持ちもわかりますが、いつのまにか「エホバ」への信仰から「科学」への信仰に変わったような気がします。

エホバが創造者である証拠は~といった科学的証拠からしてはっきり理解できます。といった表現を聞いても誰も?と思わないようです。

聖書が科学的にも正確ですよと科学的な例をあげて証言するときもみなさん自信満々です。これではエホバへの信仰を教えるのではなく、あまり科学を勉強していない、でも「科学」に信仰を持っている人たちが「科学」に比較的信仰を持っている人を探しているように見えます。

もちろん科学に信仰といってもそれは自分たちにとって都合のいい部分の科学です。進化論の「し」の字でも出て来たらなにか遅れた科学かサタンの呪いのように全否定です。困ったものです。

私は科学的事実と信仰心は十分に両立できると思います。自然に対する畏敬の念や草葉の陰から見守っているといった日本人的感性はとても共感できます。科学的事実は関係ありません。

オフライン

#64 2018年03月30日 17:34:16

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

輸血について

アメリカ発のJWなので医療に対する見方も日本とはずいぶん違うと思います。

以前に無輸血治療のビデオが扱われていましたが、あれを見たときにきっとこの兄弟たちはアメリカでもお金持ちだったのかなと思いました。高額の保険に入っていれば患者の望む治療を受けることができるのがアメリカという国です。では貧しい兄弟たちはどうなるのでしょうか。

また無輸血治療の実績は軍関係の機関も関心があります。戦地の最前線で役に立つ技術です。いいお客さんですね。

日本でも輸血学会がガイドラインを示して、それに基づいて各病院もJW対策しています。絶対的拒否や相対的拒否といった言葉もあります。このように日本社会では輸血拒否というJWに対しても冷静に対処しようという流れが見られます。でも日本のJWは現在日本の医療機関が公式に発表している内容をどれほど教えられているでしょうか。最近はむしろ輸血のことはあまり言われなくなっています。「輸血について・・・」という表現でなく「ふさわしい医療措置」という言葉でしか書かれていません。

それこそ生きるか死ぬかという究極の選択が関係しているのに、そのことについての最新の正しい情報までが制限されているのはとても不誠実なことだと思います。

オフライン

#65 2018年03月30日 23:43:38

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、

私も科学的事実と信仰心は十分に両立すると思います。
科学的事実が先行すれば科学技術に対する信仰となると思いますが、それもまた一つの信仰でしょう。いわゆる宗教の信仰心が先行し、(たまたま)科学的事実が後追いしたとしてもそれもいいと思います。

ただし「科学的事実の後追い」「後付けの論証」を前提とした宗教は難しいでしょうね。特にまだ論証できていないものをあたかも事実かのごとく主張した上での宗教主張はいかがなものでしょうか。しかも「論証不可能ということが論証」されたとしてもそれを無視し、頑なに主張を続けるのは滑稽にさえ見えてしまいます。(これがWTのヘブライ11:1でしょう。)

そもそも信仰心というものは人間の本能的なものの一つだと思います。なので場所は違えど、その風土や環境・文化によって違いこそあれ信仰心は多種多様に存在します。一例として、日本には「八百万の神」という考え方があります。ではそれらの神々は明白に論証されているでしょうか?否でしょう。でも確かに信仰心はある。それも日本の文化の一面です。なので、信仰の対象は全て論証され証明される必要は必ずしもないのだと思います。「分からない。説明できない。」ものに対しても成立するのもまた信仰心ではないでしょうか?「分からないからこそ信仰」であるのかもしれません。

それを考察するのが宗教論や宗教学なのかもしれませんが、信仰の対象を解明しようとするのはナンセンス(というかそもそも不可能)であるとするなら、宗教学は「考察するための場」(それ自体を否定はしません)であり、その核となるのは「なぜ人間は信仰心を持つのか?」という心理学なのかもしれません。そしてこの心理面考察の副産物が「本能に基づく信仰心を利用したビジネスモデル」という可能性はあります。

純粋な目と思いで周りの事象を観察し畏敬の念を覚える、それに対して生まれるのが純粋な信仰心。自分の存在の小ささを認め謙虚な気持ちになり、感謝の念を示したいと心が動かされた時に生まれる思いこそが信仰心の根本かもしれません。(あくまで私見です。宗教学者に言わせれば的外れかもしれません。)

ご利益主義や恐怖感をあおることによって生まれるのは信仰心ではないと思います。自分にメリット(ご利益)があることを期待した打算的な考えと行動、恐怖感を持った時にそれから逃れたいという回避手段をこうじる、それだけです。

これって本来あるべき信仰心とは似て非なるものだと思います。

私が以前に書いた「復活を含めたWTの教えにギャンブル的に乗っかった」のはまさに「自分にメリット(ご利益)があることを期待した打算的な考えと行動」なのでしょう。なのでこの論理からすると私は「信仰心など持っていなかった。」ことになるのでしょうね。要するに「心は動いていなかった」ということです。故に、ディ−ラー(WT)がルール(教えと主張の詳細)を変えてきたりイカサマ(嘘)を行ったと感じた時に、そこから離れ(ゲームから降りる)イカサマを指摘してやろう、という思いになったのでしょう。

編集者 Jay (2018年03月31日 02:01:02)

オフライン

#66 2018年03月31日 00:20:48

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、

輸血について。
そもそも最近までは輸血そのものが広く認知された医療措置ではありませんでした。いわゆる現代医療の一つが輸血だと思います。そして輸血に伴う二次感染等の問題もまったくないわけではありません。であれば今後一層の医学研究が進みその結果として、「輸血は過去のもの」となる可能性は否定できません。その時には代替医療措置も確立しているはずです。しかし「今」はそうではありません。

以前に「手が届く医療措置」的なことを書きました。この「手が届く」というのは経済的な意味もあり、自分の国や土地でAvailable なものという意味もあります。全ての人が最新の医療措置の恩恵を受けられるわけでは残念ながらありません。それが現実です。それを考慮に入れず、世界中の各々異なる境遇にあるJW全てに対して一様に「輸血を禁じる」のは、現実に沿うものではないばかりか、無茶ですね。かといってそこで「適用範囲の差」を認めてしまうと「輸血はダメ」という主張そのものが崩れます。WTとしても難しいところなのでしょう。

それよりも何よりも・・・
「輸血について・・・」という表現でなく「ふさわしい医療措置」という言葉でしか書かれていません。
これが気になります。

輸血に対しての主張を緩和するため、もしくは覆すための布石でしょうか? もしそうであるなら、すでに輸血拒否によって悲しい結果を経験された方々にとっては受け入れがたいことでしょうね。「よかった。私たちが経験した苦しい思いが、これで繰り返されることはなくなる。」と思えるか、「では私たちの戦いと受けた結果はなんだったんだ!どう責任を取るんだ!自分たちも戦ったんだ、みんな同じように戦うべきだ!」となるのか・・・・。
もしくは主張緩和など行われないまま現状維持か。とすれば上記の表現方法の変更の真意はどこに?単なるごまかしか・・・?

疑問は尽きません。

編集者 Jay (2018年03月31日 05:42:31)

オフライン

#67 2018年04月02日 21:26:17

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

このフォーラムの皆さんの言葉によりある程度の冷静さを取り戻すことができ、思うところを色々と書かせていただくこともできています。ここに改めて感謝いたします。ありがとうございます。

先日の「メモリアル」にはもちろん出席しませんでした。言うまでもなく家内は出席しています。

で、日曜日にまた二人でじっくり話し合いました。ポイントが多岐に及ぶ複雑な話となりましたが、要旨は
「貴女が僕と同じく不活発になることを厭わず、まずは夫婦関係をもう一度立て直したいと思ってくれるのであれば、僕としてはもう一度夫婦関係の修復に向けてトライする思いはある。」
「そうでないなら・・JWと一緒にいることはやはり苦痛を感じるし、ここまで心が離れてしまった状態を(今の生活を現状のまま継続しながら)元に戻すのは難しいと思う。できる自信はない。」
「貴女との離婚をただシンプルに望んでいるというわけではないけど、正直に言えば離婚などしたくはないけど、もしかすると不可避なのかもしれない・・・もう解放してほしい。」
「そのあとは生きるも死ぬも、すべて自由だから。」
というようなものでした。

その夜の夢に数年前に死んだ母が出てきて、また別の複雑な思いが絡みつくようになっています。寝ても起きても苦しい状態が続いています。そして翌朝、その思いを夢の説明と共に家内に伝えました。「死者のメッセージ」ではないと思いますが、このような話に家内がどう反応するのかも知りたいところでした。

極端に聞こるかと思いますが「自らの絶命」も考えています。その方法もネットで調べています。なぜそうなるのか?というツッコミはあるでしょう。でも決して短絡的な思いではないんです。悩んで苦しんで・・・今そうなっています。あえて客観的な書き方をするならば、「WTとJWは人をそこまで追い詰める。」ということです。

信仰や輸血等々、私の考えに関して色々そして長々と書いてきていますが、心の状態はこんな感じです。

オフライン

#68 2018年04月02日 23:29:49

てつてつ
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

jayさん 苦しい胸のうちを書き込んでくださりありがとうございます

>極端に聞こるかと思いますが「自らの絶命」も考えています。その方法もネットで調べています。なぜそうなるのか?というツッコミはあるでしょう。でも決して短絡的な思いではないんです。悩んで苦しんで・・・今そうなっています

自分は専門家ではないのでわかりませんが 今までの書き込みの内容がうつ病の思考パターンのように思えて仕方ありません 大変なことになる前に一度その科を受診したほうが良いと思います cry


うつ病になりやすいタイプとして、まじめで責任感が強く、人あたりもよく、周囲の評価も高い人が多いということがいわれています。

このようなタイプの人は自分の許容量を超えてがんばりすぎたり、ストレスをため込んでしまうため、こころのバランスを崩してしまいやすいようです。
すべてに完璧を求めるのではなく、物事に優先順位をつけてやっていくようにするなど、考え方を変えていくこともうつ病になりにくくするためには重要です。

編集者 てつてつ (2018年04月02日 23:35:03)

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#69 2018年04月03日 00:57:56

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

ここ数年で母をガンで亡くし(最後の数週間はいわゆる自宅ホスピスで私が実家で世話をし、私と訪問看護師の二人で最後を看取りました。)そしてほぼ同時期に兄弟を自殺で亡くしています。(自殺遺体の第一発見者は私でした。)その半年後、鬱病になりました。薬も処方され1年ほど服用しましたが、薬に依存し続けるのは嫌だったので主治医に相談し、自己モニターしつつ段階的に薬をやめました。特にその前後に大きな心的変化は感じませんでしたし「死にたい」と思うことも特にはありませんでした。いずれにせよ「鬱と薬を処方されることは経験済み」です。

その時に感じたのは、鬱を経験していない医者に「あなたは鬱ですね、薬が必要です。」と言われることへの強い違和感でした。医学書からの知識だけで「何がわかるのか?」という憤りもありました。うまく言えませんが・・・。まあ医者とはそういうものであることも当然ながらわかってはいます。医者には何ら責任はありません。でも心はそう感じました。

今の状態は鬱ではないと思います。自殺を望むものが皆鬱病を患っているとは限りません。正確に自己分析や自己診断することは到底無理でしょうが、今は「怒り・絶望・不安・後悔・混乱」等が自分の中で渦巻いている感じです。そして本来であれば助けや支えになってくれるのであろう妻がこうした思いの主要な原因となっている・・・。本心では離婚はしたくないが、現実には離婚以外の「脱出策」はなさそう。出口のないループ&スパイラルで、どう転んでも・・・苦しい明日しかないようです。

死にたいと思ってしまうが、同時に「死にたくない」という心の声があるときに薬は助けになるのかもしれません。ですが、本人は本当に死にたいと思っていて周囲の者も手を差し伸べようとはせず本人がただ孤立している場合、病院へ行くというのはなかなか難しいものです。

以下、蛇足を承知で・・。
こうした状況の中でのJWは極めて冷酷ですよ。聖書を開いて何かの例を話されても仕方のないことですし。「信仰が足りない」と言われても何の発奮材料にもなりません。これらはかける言葉の術をなくした時のその場しのぎのゼスチャーでしかありません。JW達はは立派なことを言っているつもりなのでしょうが、その言葉には全く力がないばかりかむしろ「他人事」としか思っていないことが浮き彫りになるだけです。

オフライン

#70 2018年04月03日 04:05:47

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

自殺について今日も調べていました。実家の家族も自殺したので自殺がどれほど残された者に心痛を与えるのか身を持って知っているつもりです。その点を考えると思いが揺らぎます。また遺体の処理を含む事後処理などを考えると、少なくとも人目につかないところでひっそりと、と考えてしまいます。「樹海」・・?

自殺は自分本位で自分のことしか考えていない者のすること、とありました。その通りかもしれません。死んだと思えば何でもできる、とも言いますよね? 死んだと思えば心身の苦痛も我慢できるということでしょうか? JWとの心通わぬ同居も平気になるのでしょうか? 「心頭滅却すれば火もまた涼し」なのでしょうか?

文字通りの死は多く人の迷惑になることを考えると、「心頭滅却・・・」の精神でJW(家内)との心通わぬ同居も全て受け入れてみようか、達観するが如く残りの人生を受け入れてみようか、とも考えています。結果として相手の思う壺にはまるようで悔しさもあります。でも「死んだ」と思えば可能なのかもしれません。感情を働かせるから腹も立つ、悔やみもする、悲しさも覚える。もし感情に蓋をして鍵をかけて生活をすることができれば、と思います。

JWでない(もしくは脱塔した)ご主人でJWの奥さん(逆の場合もあるでしょう)をお持ちの方、もしこのメッセージをお読みでしたら「どのように気持ちを整理して日々を過ごしておられるのか」教えていただけないでしょうか?お願いします。ただし「自分は相手の宗教信条の自由を認めている」というのではなく、「できればやめて欲しい。」と思っておられる方のアドバイスがぜひ聞きたいです。

迷ってますね・・・情けないです。

もし達観生活・達観人生を選択したとして、果たして「生きててよかった」となるのでしょうか・・。それとも皮肉的選択肢ですが再度JWに逆戻りしてみる・・・、まさに文字どおり残りの人生を賭けてみる、ということもありなのでしょうか。それこそ自殺行為? でも家内の人生に寄り添うことが表面上は可能になりますが、「心を込めて、思いを込めて・・・」とは裏腹の偽JWですけどね。。

果たして「死んだ」と思えば本当に何でもできるのでしょうか?

オフライン

#71 2018年04月03日 06:01:51

てつてつ
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

jayさんこんにちは とりあえずはお医者さんに通った経験があるとのことで良かったです

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#72 2018年04月03日 12:46:35

元信者
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさんは単に離婚するだけでは気が済まないのですか。特に自殺する理由は見当たらないのですが。参考までに、この本の著者は離婚したそうです。

「悲劇のエホバの証人」
https://bookmeter.com/books/656869

#73 2018年04月03日 13:08:15

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

元信者さん
JWへの反発と離脱がそのまま自殺願望(?)に結びついているわけではないのです。もちろん全く無関係でありませんが・・・でもそんなシンプルな話でもないんです。かと言って私の歴史の全てをこの場でお伝えするのは到底無理なことなので・・・。中途半端なことを書いてしまい申しわけありません。

気が済むか済まないかではないです、自分の中で処理できない思いと事柄が雪崩のように覆いかぶさっているのでそこから逃れる術として、です。自殺なんて回避できれば一番いいのですが、正直まだ分かりません。

こうした思いになったのは自分の弟の自殺を間近に経験したことが大きいと思います。自殺というオプションを身近におくことができてしまうようになった、と言えばいいでしょうか・・・。今日も家内と話し合いました。自殺も考えているというのは家内も重々承知しています。

このフォーラムは「自殺相談フォーラム」ではないのでこの話題は引っ込めます。重くなってしまってすみません。

オフライン

#74 2018年04月03日 14:47:29

ささらほーさら
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさん、お久しぶりです。
悩める男性方の中に敢えて入りたくなかったので
(私事で忙しかったこともあるのですが)
傍観(というより読んでいなかった(;^ω^))していました。
「自殺」の二文字があったと教えてくださった方がいらしたので飛んできました。


さて、しばらく前の部分からざっと読ませていただきました。
みなさん男性(一般には男性の方が冷静・理性的とみなされがち)の割りに
Jayさんをはじめ、とても感情的に物事に対処していらっしゃるように感じました。
※もっとも(男性=理性)論は事実ではありませんが。
やはりJWの後遺症が根強いのでしょうか?


JWのような「歯に衣着せる」言い回しは捨てたので、率直な意見を書きます。

Jayさんご自身は「感覚」ではなく、明確な「根拠」を持ってJWを拒否されてきたのでしょうか?
もし十分な調査をしないまま「直感」のみで「おかしい」「イヤだ」と判断されてきたのであるなら
当然、奥さまを説得することなどできないと思われます。
まずは、ご自身が十分納得のいく根拠をご自分の中に持つ必要があると思います。
そして、奥さまの説得にも「何故JWに嫌気が指しているのか」という明確な根拠は必要です。
80歳を過ぎた母を説得するために、わたしは十分調査をした上で時間をかけました。
JWは、偽の根拠を列挙して、実は「感情に訴えかける」のが得意です。
そして、人が求めて止まない「同一性」「帰属願望」を利用します。
それと同じ方法では説得力があるとは言えないでしょう。
是非、時間をかけて十分な調査をなさってください。
ストレスなど感じている暇はありません。


Jayさんを「鬱」と診断した方がどういった立場の方かはわかりませんが「鬱病」と「鬱状態」は別ものです。
真正「鬱」は内因性のものです。取り立てて原因がなくても発病します。
なので、「鬱病」と診断するには時間がかかります。
また、直ぐに投薬治療を勧める治療者は信用できません。
ざっとJayさんの投稿を読ませていただいた限りでは、
少なくとも今は「鬱状態」ではなく「自己憐憫」状態のような気がします。
そして、この「自己憐憫」は自己治療が可能です。
※わたしは20代の時に経験しました。時間もかかるし、けっこう辛いものですが可能です。

また「母性社会」である日本の男性には多いようです。
要するに「乳離れ」していないのです。
多くは飲んだくれたり、DVに走ったり、賭け事に溺れたりしますが
生真面目だとストレスが高じて疲弊し、鬱状態に陥ったりします。
※土居健夫の「甘えの構造」とか河合隼雄の「母性社会日本の病理」は参考になるかも知れません。


①我慢が辛すぎるなら「離婚」に踏み切れば良いのです。それを実行する「思い切り」があれば、経済問題は何とかなります。
②我慢するために冷静でありたいなら、JWのどこがどうおかしいのか徹底的に調査すれば良いのです。
自分の中に「明確な根拠」が構築できれば、今よりはスッキリするはずです。
中途半端に「変だ。異常だ。おかしい!」という直感論に頼っていたら
ずっとグルグルと「カオス」の中から出ることはできないでしょう。
※もっとも、人は「イヤだイヤだ」と言いながら、その「カオス」を楽しむ生物だそうです。
③思い切って「風俗」にでも行ってみるという手もあるにはあります。(=離婚もスムーズに進むでしょう)


悩んでいる方にこんなことを書いていると「ささらも『焼きが回ったな』」と言われそうですが、たぶん当たっています。
そして、思っていたよりも知らなかった地球上での出来事と事実は膨大です。

オフライン

#75 2018年04月03日 15:30:55

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさんこんにちは
コメントを見て心が揺れ動いている様子がよく分かります。私もてつてつさんと同じ心配をしていますが、以前に病院にいったことがあったということで、ご自身でも客観視できているようで少し安心です。

今年は3月から急に暖かくなったりそして木の芽時ということもありますし、Jayさんのコメントが深夜~早朝にかけてされているのも正直気になりました。両極端の考えをあげてその中庸を探りながらきっと悩んでいるのだと思います。

私はJayさんのようなつらい経験をしたことはありませんし、どうしたらよいかという答えも分かりません。ただJayさんのコメントから感じられるのは、JayさんがJWから距離を置いたり一切排除しようと努力していながらJW的な「考え方」から抜け出せないためにとても苦しんでいるように見えます。考え方なので、何かを物理的に排除したりJWである奥様と別れたりJWに逆戻りすることとはまた別のことかなと思います。別と言うのは関係ないという意味ではなく、あえて分けて考えると言う意味です。

ところで、私は動物を見たりきやっきゃと楽しそうにはしゃぐ子供を見ているとほのぼのとします。なぜなのかと考えてみると、彼らは過去を気にせず未来を考えず、「今」を生きている(楽しんでいる)からなのだと思いました。自分に当てはめると、過去を悩み、将来を嘆き、気がついたら今を意識しないといういかにも現代人の頭でっかちな思考に気づきました。それで元気がないときはまずそのときをやり過ごし、落ち着いてから「今」を意識するようにしました。

これはJayさんがそうだと言っているのではありません。このことは現在JWである多くの人たちが共通して持っているJW的な考え方に通ずるひとつの例になるかなと思ったわけです。
例えば「ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」という聖句から

      世の人は好き勝手に生きている。でも自分達は・・・・だから立派だ。

と当てはめてみたりします。でも厭世的な態度で生きていることと、一度きりの人生を後悔のないよう精一杯生きるのとは全然違うことだと思います。むしろ過去の罪を常に意識させ、将来の希望のために現在の生活を犠牲にする生き方のほうがより厭世的だと思います。「今」を生きていないからです。

これが最善だと信じて一生懸命取り組んでも根本の考え方に問題があると人は大いに苦しむことがあります。がんばればいいというわけではないと思います。大げさに言えば生まれ変わるほどの変化も必要なのかもしれません。そして世界が今までとは違って見えるようになって初めて問題に取り組めるのかなとも思います。

Jayさんがこうだとかこうしたらいいとか言うつもりはありません。今書いたことはあくまでも一例です。Jayさんが何か感じ取ってくれるならうれしいです。

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