ログインしていません。

#2251 2021年03月24日 15:24:04

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

議論の最中に飛び入りをしてもいいだろうか。 
全然大丈夫だと思いますよ kiss

オフライン

#2252 2021年03月25日 06:52:22

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

興味深かった点の 旧約聖書戦いの書 60ページあたりから

ところで、「私は、アブラハム、イサク、そしてヤコブに全能の神として現れたが、主(ヤハウェ)という私の名は彼らに知らせなかった」(出エジプト記六章三節)というのは本当だろうか...

、神自身、アブラハムに次のように言っている。「私はこの地をあなたに与えて、それを継がせるために、あなたをカルデァのウルから連れ出した主である」(創世記一五章七節)。同様に、イサクもヤコブも自らヤハウェという神の名を何度も口にしている。つまり、「あなたの先祖には主という名を告げていなかった」という出エジプト記における神の発言とは大きく食い違っているのである。...

もう一つの説明は、編集史的な観点からの説明である。すなわち、創世記のアブラハムたちの物語と出エジプト記のモーセの物語とは元来別個の起源を持つ物語であり、こうした矛盾の整合性が取られないまま、両方とも現在のように「律法」の中の物語として収められた、という説明である。旧約聖書の中には往々にしてこうした「矛盾」があり、それはしばしば、物語の起源の違いによって説明される。こうした「矛盾」の存在理由を綺麗に説明する、少なくとも論理的に多くの人が頷けるような説明をつけるのが聖書学者の関心事なのである。筆者としては、この最後の説明が最も鵬に落ちる...

ここで神が「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と名乗った点に話を戻そう。これらの人物に現れたとされる神が、実は同一の神ではなかった、という可能性はないだろうか。無論、今ある創世記の物語ではヤハウェの名が用いられている箇所もある。しかし、元来はこれらの人物一人ひとりに現れたのは、それぞれ別の神、少なくとも同一の神かどうかはっきりとはしない神だったということは考えられないだろうか。そう考えると納得がいく点もある。次のようなシナリオが想定できる。「アブラハムの神」と呼ばれる神と、「イサクの神」と呼ばれる神と、「ヤコブの神」と呼ばれる神がこの地域で、あるいは「原イスラエル」の人々の間で信仰されていた。「アブラハムの神」はアブラハムを自分たちの共通の祖先と考る人々が、「イサクの神」はイサクの子孫たちが、そして「ヤコブの神」はヤコブの子孫たちがそれぞれ信仰していた これらの人々はほぼ同じ言語を話す人々だったが、住んでいる地域は異なっていた。イサクはパレスチナ南部にまつわる伝承が多く、ヤコブの伝承の多くは中央丘陵地域やヨルダン川東岸地域と関連する。前章で取り上げた「歴史的イスラエル」形成の話と深く関わって来るが、これらの地域に住んでいた人々に、ある時、何らかの理由で、自らを同じ集団であるとみなす必要が生じた。言語や習慣が似ていたからこそ、同じ集団だと考えることができたのだが、信じている神や先祖の伝承についてすり合わせる必要があった。同じ神を信じている方が一致団結しやすいからである。そこでそれぞれに伝わっている伝承をまとめる過程で、アブラハム、イサク、ヤコブという三代にわたる血縁関係をつくり上げた。イスラエルの十二部族はヤコブであるイスラエルの十二人の息子とされているので、アブラハムやイサクをヤコブの息子にするわけにはいかない。そして最終的に創世記の物語が形作られる中で、これら三人に関係づけられている神はすべて同じ神だとされたのである。この三人の血縁関係が前提とされたうえで初めて、出エジプト記の物語における、これらの父祖には「ヤハウェ」という名を知らせなかったという神の発言が生きてくるのである。

編集者 てつてつ (2021年03月27日 06:49:33)

オフライン

#2253 2021年03月25日 09:06:47

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

聖書についての質問 さんの発言:

「6から9節が“ヨナタンとダビデは「固い友情で結ばれ」ていた”です。しかし、ヨナタンとダビデは年の差が30歳ほど離れています。2人の関係は友情ですか?」
「どうみても同性愛的関係に見えるね。友達というより恋人同士に近いよ。サムエル一18:3には“ヨナタンはダビデを自分自身のように愛していたので,ヨナタンとダビデは契約を結んだ。”とある。」
「サムエル一20章では、ダビデがサウル王に殺されそうになるわけですが、そのときヨナタンは“「さあ,野原に行きましょう」。それで2人とも野原に出ていった。”とありますが、これはソロモンの歌7:11の“来て,いとしい人。一緒に野原に行き,ヘンナの木の所で一休みしましょう。”と同じ表現です。」
「この野原で二人が別れる時、サムエル一20:41によると“2人は口づけし,泣いた。ダビデの方が激しく泣いた。”とある。恋愛小説の一節のようだ。こういうのを友情とは言わないよ。」
「ヨナタンが戦死したことを知ったダビデは哀歌をつくるわけですが、サムエル二1:26では“私の兄弟ヨナタン,あなたを失ってとても苦しい。あなたは本当に慕わしい人だった。私にとってあなたの愛は女性の愛よりも素晴らしかった。”と言っています。」
「ダビデとヨナタンの物語が書かれた時代では、同性愛に寛大であったということじゃないの。」

質問さんやちょっと一言さんも他にも突っ込みどころは色々あるのですが、忙しいので全てはやらないですが、一点だけ。



創世記/ 29章 11節
ヤコブはラケルに口づけし、声を上げて泣いた。

創世記/ 29章 13節
ラバンは妹の子ヤコブの知らせを聞くと、彼を迎えに走って行き、彼を抱き締めて口づけした。そして彼を自分の家へと招き入れた。そこでヤコブがラバンに事の次第をすべて話すと、

創世記/ 32章 01節
ラバンは朝早く起きて、孫と娘たちに口づけし、彼らを祝福した。それからラバンは自分の住まいに帰って行った。

創世記/ 33章 04節
するとエサウは走り寄ってヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。

創世記/ 45章 15節
ヨセフは兄弟皆に口づけし、彼らを抱いて泣いた。その後、兄弟はヨセフと語り合った。

創世記/ 48章 10節
イスラエルの目は老齢のためかすんでよく見えなかった。そこでヨセフが二人の息子を父のもとに近寄らせると、父は口づけをして抱き締めた。

創世記/ 50章 01節
ヨセフは父に取りすがって泣き、口づけをした。

ローマの信徒への手紙/ 16章 16節
聖なる口づけをもって、互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。


これらの箇所は親子やその他の人の間、またクリスチャン同士の同性愛を語っていますか。そんな事はありません。


自由主義神学の影響を受けた人や聖書に批判的な人たちは聖書をフィクションとしながら、(聖書は史実ですが)聖書以上の架空の物語を創作してそれを真実であるかのように語る癖があります。そしてその主張は単なる推測で何の証明もないものです。

では次に、てつてつさんの単に長谷川修一さんの文章を持ってきただけですが、その長谷川さんの主張を分析してみましょう。

#2254 2021年03月27日 06:50:21

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

旧約聖書戦いの書 103ページあたり

歴代誌が、どんなに早くともペルシア時代より前に書かれたということはあり得ないという点で、研究者の意見は一致している。したがって、列王記にはない、ヒゼキャによる過越祭の祝い(列王記ではヒゼキャの曾孫のヨシャが数百年ぶりに挙行)自体、フィクションに違いない。つまり、こうした記述には、エズラ記・ネヘミャ記とほぼ同時代の歴代誌筆者の視点が反映されていることになる。...

また、ヒゼキャは南王国の王であったにもかかわらず、ユダのみならず、北王国の領土の一部においても異教的祭儀の施設を破壊したことが歴代誌下31章1節に記されている。列王記にはないこの記述もまた、歴代誌筆者によるフィクションであることはおよそ間違いない。


112

さて列王記下一六章四節は、これらの場所を破壊せよという神の命令が守られなかったことを示している。

さらに、高き所や丘の上で、また、すべての生い茂った木の下でいけにえ芒献げ、香をたいた。

この種の「正しくない」祭儀がヤハウェを怒らせ、その結果、北王国も南王国も共に滅んだのだと列王記は説明する。無論、これは回顧的な記述であり、王国時代当初から申命記に記されたような命令そのものがあったと考える研究者は今日ほとんどいない。命令自体、これらの場所にあった「聖なる場所」を廃棄しようとした時にそれを正当化するため、もしくは王国滅亡後にその原因を説明するために記された可能性が高い。

オフライン

#2255 2021年03月27日 06:52:20

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつ さんの発言:

長谷川さんの 旧約聖書戦いの書 92ページあたりから読んでて興味深いなと思った点

当時の王ヒゼキャは、エルサレムをアッシリア軍に攻囲され、センナヶリブの碑文の言葉を借りれば「籠の中の烏」の状態に陥ったという。ヒゼキャが多大な賠償金を支払ったことで、センナヶリブはエルサレムを征服せずにアッシリアに帰還した。他方、列王記は、アッシリア軍の引き揚げた原因を次のように記す。

その夜、主の使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が朝早く起きてみると、皆死体となっていた。(列王記下一九章三五節)

この記述の信渥性については懐疑的な意見が多い。そもそもいくらアッシリア帝国とはいえ、一八万五○○○人もの兵士を当時動員できたかどうかは甚だ怪しい。そして当然ながら「主の使い」、すなわち天使が一夜にしてそれだけの兵士を殺害したというのは荒唐無稽としか言いようがない。


...同時に、滅亡した北王国から、同じ言葉を話し、同じ神を崇拝する姉妹国であった南王国へと「難民化」した人々が殺到しても不思議ではない.エルサレム周辺の急激な都市域拡大と人口増加の背景をこの仮説がよく説明してくれるように思われる。この出来事が生じたのがヒゼキャ王の治世であった。この出来事を、Ⅱ章の「「歴史的イスラエル」誕生の背景」のところで触れた、集団が「共通の過去の物語」を必要とする契機の一つとして捉えることはできないだろうか。統一王国時代というものが仮にあったとしても、それが分裂してから北王国が滅びるまでに二○○年余りの年月が経過している。その間も交流はあったにせよ、とりわけ異なる王家に仕えるエリート層たちの問では、それぞれの王国の王権を正統化するイデオロギーが支配していたことだろう。それぞれの王国に伝わっていた古い伝承もそのような観点から何らかの変化を受け、保存されていたことが想像される。
北王国からの住民が流入し、彼らが南王国の人々と新たな一つの集団を形成しようとする時、それまで別個に伝わっていた伝承を整理し、融合させ、「共通の過去の物語」創生する必要があったのではないだろうか
列王記は明らかに南王国の視点から記述されている。北王国の王はそのほとんどが背教者で悪人扱いされる。しかし、列王記の中には、北王国についての詳細な情報や北王国を起源とすると思われる預言者伝承などが多分に含まれているのである。また、ホセァ書やアモス書などといった「預言者」に含まれる預言者の書物には、北王国で活動していた預言者の言行を記した書物もある。当時の南王国の人々に、それらを記録し、伝えていく必要があったとは考えにくい。
こうした「共通の過去の物語」創生の過程において、統一王国時代の伝承は欠くべからざるものとなったであろう。自分たちの祖先の時代には、北も南もなく、一人の王を戴いていた時代があり、その時代は大変繁栄していたのだ、という物語である。自分たちが一致団結すれば、かっての栄光を取り戻すことも可能だ、という使信さえ読み取れるかもしれない。

長い間アッシリアの存在は聖書の中でしか知られておらず、19世紀中葉になって初めてその存在が確認されましたので、存在が疑われていたヒッタイト人と同様に聖書の確かさが確証されたひとつの例と言えるでしょう。
ですから、聖書にしかその記述がないからといって何事も否定はできないのです。
で、てつてつさんの場合は、過去にはバート・D・アーマン等のおかしさを指摘されると今度はフィンケルシュタインを持ってきて、その間違いを指摘されると次に山我哲雄さんを出して来られました。しかし、その山我さんの主張もまたおかしな点が多く、それを私が指摘すると今回は長谷川修一さんの主張を持って来ておられるわけです。山我さん等の見解も単なる憶測に過ぎず、証明されたものではありません。

さて、長谷川さんの場合ですが、

アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した事が怪しいとの発言ですが、アッシリアは強大な世界帝国であり、兵士の数も20万人から5万人まで学者の予想には幅がありますが、上限の数字が誇張ではないならば、実際に聖書の出すアッシリアの兵士の数と大体合っていると言えます。また、「天使が一夜にしてそれだけの兵士を殺害したというのは荒唐無稽としか言いようがない。」という発言も、奇跡など有り得るはずがない、聖書の神が存在するはずはないとの前提での発言ですから、長谷川修一さんがそのように思うからといって(まぁ、多くの人もそう思うかもしれないですが。)聖書の記述する出来事がなかった証明にはなりません。

ヒゼキヤはエルサレムをアッシリア軍に攻囲され、セナケリブ碑文の言葉を借りれば「籠の中の烏」の状態に陥ったという。ヒゼキヤが多大な賠償金を支払ったことで、セナケリブはエルサレムを征服せずにアッシリアに帰還した。

セナケリブの作った粘土の六角柱(テイラー・プリズム)にはこのように記されています。

「わがくびきに服さなかったユダヤ人ヒゼキヤについて。私は彼の要塞で固められた強力な町を46、および近隣の無数の小さな村落を包囲攻撃し占領した。老若男女合わせて20万150名、数えきれない馬、らば、ろば、らくだ、雄牛、大小の家畜を追い出し、戦利品と見なした。ヒゼキヤ自身を私は彼の首都エルサレムに籠の鳥のように封じ込めた。彼の町の門を離れ去ろうとする者たちを悩ますために、彼を土塁で囲んだ。・・・・このようにして私は彼の国を縮小させたが、それでも彼からの貢を増やした。」

まず、ユダ王国の20万人以上を連れ去ったのであれば、アッシリアの兵士が18万5千人いたとしても不思議ではないでしょう。

セナケリブはヒゼキヤが多大な賠償金を払ったので帰還したように書いていますが、確かにヒゼキヤは最初に主なる神に頼るのではなく人間的な力の金銭で解決しようとした事が列王記下18章に記されています。
しかし、その事は一時凌ぎにしかなりませんでした。ヒゼキヤは預言者イザヤを通して神が救出してくださるという確信を得ていたので降伏しませんでした。それ故にエルサレムは囲まれて籠の中の鳥のようになったのです。

つまり、金銭ではアッシリア軍を後退させる事ができずに、アッシリアは降伏を要求したもののヒゼキヤは降伏しなかったので閉じ込められたという事なのです。

では、どのようにしてアッシリアは帰還したのでしょうか。

列王記下/ 19章 35節
その夜、主の使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が朝早く起きてみると、皆死体となっていた。

列王記下/ 19章 36節
アッシリアの王センナケリブは、そこをたって退却し、ニネベにとどまった。

セナケリブは、46の城壁のある町や他の反抗的な町に対しては攻撃したと記していますが、エルサレムを取りか囲み誰ひとり町に出入りできなかったにもかかわらず、エルサレムに対して攻撃したという記述がないのです。
セナケリブはヒゼキヤや屈服し、重税を支払ったように主張していますが、彼は彼の軍隊がエルサレムに進入した事や彼がヒゼキヤと対面した事を書いていないのです。

「アッシリアの軍事活動を急激に終わらせた大惨事が起きた事を疑う理由はない。」と考古学者のアラン・ミラードは述べています。

ミラードや他の研究者も言うように、セナケリブは後継者が読む事になる自らの敗北、主の使いによって裁かれた惨事を記録するつもりはありませんでした。自分にとって不名誉な事だからです。

アッシリア側が自らの敗北を記録するとは考えられません。セナケリブがエルサレムを攻略したと主張していない点に特に意味があります。「それは実に聖書歴史の正しさを最も裏づけるものである」と、

『新聖書ハンドブック』P286 でヘンリー・H・ハーレイは述べています。

『セナケリブの「テイラー・プリズム」とその並行記事は、もっともよく知られているヘブルの歴史的断片が、敵の視点から語られる事例を提供している。それは、聖書本文を理解するために非常に価値あるものであり、ある点でそれは聖書本文に合致している。』
と、考古学者であるアラン・ミラードは述べています。

『聖書時代の秘宝  聖書と考古学』P123



そして、ダン碑文によりダビデの家(イスラエル)について言及され、ダビデの町で大型の建築物が確認されて強力な都市国家が存在していた事が分かっており、ダビデによるイスラエル統一王国は否定できないのではないでしょうか。

同じイスラエル人でありながら王国分裂により突然分断国家となったユダとイスラエル、南と北の王国に主(YHWH)の目は常に向けられており、隣国の同じイスラエル人について人々も注意を払っていても不思議ではありません。

もともとは、王国分裂の原因はヤロブアムが金の子牛を造り、自国のベテルとダンに置き、民に偶像崇拝を奨励した事にあります。
(列王記Ⅰ12-28~31)

ですので、単に北王国を悪者として書いているのではなく、イスラエル王国分裂の原因として実際の歴史として記されているのです。

長谷川さんの考えるように「共通の過去の物語」創生、つまり、てつてつさんと同じ考えの、共通の物語を創作したという事であれば、実際の歴史と異なる北王国の王がほとんど神に逆らう悪い王であったという不名誉な、事実に基づかない話を共同で創作するのは不自然でしょう。そのような考えは憶測でしかないと思いますが。


>ホセァ書やアモス書などといった「預言者」に含まれる預言者の書物には、北王国で活動していた預言者の言行を記した書物もある。当時の南王国の人々に、それらを記録し、伝えていく必要があったとは考えにくい。


との事ですが、神の目は同じイスラエル人である両方の王国に向けられており、預言者も背教した北王国へも遣わされています。

アモスは南王国出身の羊飼いであり、いちじく桑の栽培者でしたが北王国へ預言者として遣わされています。(アモス 7:14−15)

アモスはベテルを本拠地にヤロブアムの統治する時代に預言しています。

また、ホセアは北王国イスラエルから出た預言者でしたが、預言者アモスの活動の終わる頃に審判と災いのメッセージをもって登場しており、ホセアはアモスの預言活動に強い影響を受けたと考えられます。

こうした事、すなわち神の目は同じイスラエル人の両方の王国に注がれている事を考えるならば、南ユダ王国の側の記録に北王国の詳細な記録があっても何ら不思議ではないでしょう。

南ユダ王国は345年の間に20人の王が即位し、その王たちは1つの王朝に属して、全てダビデの子孫でした。

神は北王国へも悔い改めるように預言者を遣わしているのですから記録があるのは当然だと言えます。

こうして見てきますと、長谷川修一さんや山我さんの主張は、考えていない点があるという事です。

つまり、奇跡はないとか、神もその預言者もダビデによる統一国家もなかったという聖書否定の考えが根底にあり、そのような間違った仮定からの推測にしか過ぎないという事です。

他にもてつてつさんは、アブラハム、イサク、ヤコブの神に関して長谷川さんの説を載せておられますが、そういった説でも何でも、批評学の人たちの出す『仮説』に過ぎないものは、誰のものを持ってきたとしても何の証明もされていないものなのです。


ですから、私は最初から、「それは山我さんの考えに過ぎません」(他の学者の見解も含む)と述べているのです。

遺跡の発掘からダビデによる強力な王国があった事は否定できないのではないでしょうか。単にフィクションとして片付けるのは違うと思います。

#2256 2021年03月27日 06:53:30

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつさんの場合は、聖書に疑いを持つ人々の説をなぞっているだけのように感じます。奇跡は有り得ない、聖書は後代に創作されたものだという陰謀論をそのまま持ってきて深く分析せずに信じているだけではないでしょうか。その根拠の乏しい陰謀説を信じるのと、統治体を信じるのとどう違いますか?
もちろん、聖書を利用するのと否定する点、新興宗教団体と神を信じない学説という違いはありますが、どちらも人間の教えです。

てつてつさんは、エホバの証人の間違いに気づいて辞めたものの、その後に聖書まで間違いだと思い込んで信仰を棄て、その暮らしに慣れてしまって気に入っているので、今さら聖書を正しいと思いたくないというだけではないでしょうか。もちろん、信じない自由もありますが、一応は真実を知りたいとおっしゃるのであれば、聖書に疑いを持つ人々の説だけ集めて、それ以上深く分析しないというのは有り得ないと思いますね。

これは、聖書についての質問さんとかの他の人の場合もそうですが、単に自由主義神学の人の説、見解をそのまま持ってきているだけで何ら目新しいものはありません。そのような人々を信じるのとJW組織を信じるのとどう違いますか。

確かに色んな学説を知らないJWを辞めたばかりの人には、リベラルな批判的研究の学者の説を初めて聞いたら、そうだったのですねとなるかもしれません。しかしキリスト教会について知っている人々にとっては何も目新しい意見でもなく、古くから言われてきた見解ですから、そのおかしな点も分析する事ができます。

いずれにせよ、リベラルな人々の説  “だけ” (無条件に)信じるというのは真実を追究するには程遠いのではないでしょうか。

#2257 2021年03月27日 10:56:14

iris
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天さんの場合は、単に現代の保守的な学者たちの説、見解をそのまま持ってきているだけで何ら目新しいものはありません。そのような人々を信じるのとJW組織を信じるのとどう違いますか。

いずれにせよ、保守的な人々の説  “だけ” (無条件に)信じるというのは真実を追究するには程遠いのではないでしょうか。

単なる感想でした。

オフライン

#2258 2021年03月27日 12:16:39

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

irisさん

保守的な学者の場合は、それらリベラルな見解の説も含めて研究しており、闇雲に信じているわけではありません。

また、自由主義神学の人々が過去に否定してきた聖書の記述も、後の発見によって証明されたものも過去の投稿で示しました。

自由主義神学の懐疑的な人々の説はほとんど証明されたものはありません。
非常に不確かなものです。

カトリックも優れた人も存在しますが、なかなかプロテスタントのように聖書学者が育っていません。

遊牧民シャスに関して初めて聞いたirisさんは、私の資料提供によって興味深い事を聞いたように書いておられましたが、そのような点が調べ方が不十分である事を示しています。


irisさんの場合は、聖書を物語として受け止めておられ、果たして神は存在するのだろうか?という極めて不安定な信仰であり、救いの確信が弱いように見受けられます。

そのような状態では福音を正しく説くのは不可能でしょう。

聖書は物語だという認識でも、それでもキリスト教の価値は変わらないという見解のようですが、聖書は他のものとは異なり創作された作り話ではないからこそ価値があるのです。


カトリックも聖書の無謬説の立場である事を主張しています。

irisさんの場合は、カトリックの代表ではなくリベラルなカトリックです。

#2259 2021年03月27日 12:45:49

iris
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

私は遊牧民シャスに関して初めて聞いたなどと書いたことはありません。

また、信仰に関しては現状に十分満足しています。「これこそが正しい」などと、他人を見下す必要を感じません。信者として幸せですよ。
ただ、ものみの塔による明らかな人権侵害については、議論の必要があると思っています。

仰天さんは大変ですね。頑張ってください。

オフライン

#2260 2021年03月27日 12:49:56

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

私は見下してなどいませんよ?

聖書を物語としてしか見ないのなら、一体何を信じておられるのかという事です。

聖書筆者や初期クリスチャンたちは聖書をフィクションや物語とは伝えていません。

私は、リベラルな信仰の人でも尊重はしていますよ?

しかし、証明されたのでもないリベラルな学者の説に過ぎないものをあたかも証明されたかのように語る事に異議を唱えています。

#2261 2021年03月27日 12:53:39

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

聖書を共感を得る本だとして生きる事も全然否定していません。

しかし、irisさんのような見解なら、科学的ではないからという理由で保守的な聖書を信じるクリスチャンを見下しているようにも見えます。

リベラルな学者の説を裏付ける説得力のある意見を聞いてみたいものです。

#2262 2021年03月27日 12:55:27

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

訂正。

聖書を教訓を得る本として読む事を否定していません。

#2263 2021年03月27日 18:20:07

YN
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

いや、見下してると思います。
私のことを
病気だからエホバを信じている、
と告げたのですから。

これを馬鹿にしていないといえるでしょうか?

#2264 2021年03月27日 19:02:07

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

神と直にコンタクトが取れるのが疑問だとは書きました。
病気の人は見下す必要はありません。

あなたは私がエホバに選ばれていないとして見下しました。

#2265 2021年03月27日 19:05:01

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

教会を利用して学んで洗礼を受けてからエホバの教えベースの宗教を作るとか、占い師になりたいからやっぱり洗礼は受けないとか、

これは神や教会、信仰を馬鹿にしていませんか?

#2266 2021年03月27日 19:21:18

ガp2
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

そもそも聖書自体が男尊女卑。てつてつさんやハム太郎さんは聖書を否定しているの
だからリベラルなのに、てつてつさんの過去の書き込みは男尊女卑的傾向がみられる。
ねじれ現象です。

聖書の記述を絶対視し、そこにある強烈な女性=家畜同等のような差別まで認める事は愚かしい。
けれども、歴史的な記述を全否定する必要はない。
旧約を通して見られるのはヘブライ人自身による自罰的傾向です。


何のために旧約があるかと言うと、旧約では幸せになれなかった、救えなかった人々を救う
ためにイエスが派遣されたのだという事に繋げるための前章だと思います。

#2267 2021年03月27日 19:24:58

ガp2
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

関係は無いと思いますが、こんな事もあるそうです。

世界中で男の人口が極端に減少。聖絶を互いに繰り返した結果だそうです。
海外の男の野蛮さを舐めてはいけない。18万人くらいなら殺せるのです。

#2268 2021年03月28日 07:25:07

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

>てつてつさんは、エホバの証人の間違いに気づいて辞めたものの、その後に聖書まで間違いだと思い込んで信仰を棄て、その暮らしに慣れてしまって気に入っているので、今さら聖書を正しいと思いたくないというだけではないでしょうか。もちろん、信じない自由もありますが、一応は真実を知りたいとおっしゃるのであれば、聖書に疑いを持つ人々の説だけ集めて、それ以上深く分析しないというのは有り得ないと思いますね...
いずれにせよ、リベラルな人々の説  “だけ” (無条件に)信じるというのは真実を追究するには程遠いのではないでしょうか。

そうかもしれませんね kiss

あとよく仰天さんの引用される キッチンですが

山我さんの 一神教の起源57ページ
この過激な研究者たちは、旧約聖書の史料的価値を最小限(ミニマル)しか認めないので、批判する側からは「ミニマリスト」と呼ばれた。これに対し、この陣営から見れば、従来のように旧約聖書を歴史史料として尊重する人々は、「マクシマリスト(最大限主義者ないし、聖書の真実性に固執する「原理主義者(ファンダメンタリスト)」に他ならないのである。当然、このようないわゆる「ミニマリスト」と、聖書の史料的価値を重視する人々(代表格を挙げれば、K・A・キッチン...

とありますのでこれも偏った見方かもしれませんね cry

>その山我さんの主張もまたおかしな点が多く、それを私が指摘すると今回は長谷川修一さんの主張を持って来ておられるわけです

長谷川さんはしばらく前に仰天さんが言及してましたのでアマゾンでぽちった本の感想を書いているだけです 適当にスルーしていただいても構いません

編集者 てつてつ (2021年03月28日 07:56:11)

オフライン

#2269 2021年03月28日 08:31:42

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつ さんの発言:

旧約聖書戦いの書 103ページあたり

歴代誌が、どんなに早くともペルシア時代より前に書かれたということはあり得ないという点で、研究者の意見は一致している。したがって、列王記にはない、ヒゼキャによる過越祭の祝い(列王記ではヒゼキャの曾孫のヨシャが数百年ぶりに挙行)自体、フィクションに違いない。つまり、こうした記述には、エズラ記・ネヘミャ記とほぼ同時代の歴代誌筆者の視点が反映されていることになる。...

ペルシア時代より前に書かれたのはありえないという点で研究者の意見は一致しているというのもおかしな書き方です。それは、文書仮説と同じく神とそのみことばである聖書を完全に信じきれない批判的研究の学者の間でだけの話であり、他の多くの保守的な研究者はもちろんそのようには考えていないからです。その記述からして嘘でしょう。

列王記で途中から律法の書が発見されて数百年ぶりに過越の祭りが行なわれた事は聖書の他の箇所とも一致している事です。まず、長谷川さんの「フィクションに違いない」とする根拠が弱すぎてほとんどありません。
こうした人の書いたものを読んでてつてつさんなどは、「非常に興味深い」となるのかもしれないですが、長谷川さんは考古学者ではありますが、聖書に関しては理解が非常に甘いのです。
エズラ、ネヘミヤ記と同時代の視点が反映されているとの見解ですが、過越の祭りは申命記によりモーセ時代に遡るものです。

てつてつさんの主張は、他のリベラルな学者の見解と同じく、申命記はヨシヤ王の時代にでっち上げられたというものでした。そしてダビデやソロモン王も実在を長く疑ってきました。

しかし、ダビデ王の記述やダビデの町の発掘により、イスラエルに強力な統一王国が存在した事が分かってきていますので、ヨシヤ王の時代になって初めて申命記を含む律法の書、モーセ五書が書かれたというのは不自然であり、それこそ有り得ない主張です。王国をまとめ上げるには律法や教えが既にまとめ上げられていなくてはならないからです。

という事は、イスラエル王国のダビデが即位した前1000年頃に申命記を含むモーセ五書が創作されたのかというと、これも以前に指摘済みなのですが、それも有り得ません。
なぜなら、聖書はアブラハムがウルを離れて移り住んだ町ハランを含む族長たちの故郷、パダン・アラムとも言われるアラム・ナハライムについて記しているからです。その場所はアブラハムの僕がイサクの妻を探しに行った場所です。(創24:10)

イスラエル王国時代に「アラム」はイスラエルの敵でしたから、自分たちの先祖がその敵の地の出身とすることはまず考えられない事です。しかし、前2,000年期前半のハブール川地方はアラム人の地ではなくアモリ人の地だったので、この伝承が中期青銅器時代のものだとすると意味が通るわけです。
後代の創作とするには無理があるでしょう。


こういった指摘に対して、てつてつさんは何も答えておらずにスルーして次の話題に入りますから、単に他の人の意見を持ってきているだけという事です。

反論に対する反論ができていません。




てつてつ さんの発言:

また、ヒゼキャは南王国の王であったにもかかわらず、ユダのみならず、北王国の領土の一部においても異教的祭儀の施設を破壊したことが歴代誌下31章1節に記されている。列王記にはないこの記述もまた、歴代誌筆者によるフィクションであることはおよそ間違いない。

これも長谷川さんがよく分かっておられない事を示しています。

ヒゼキヤの時代は北王国はアッシリア軍により滅亡しており、その住民のおもだった者はアッシリア軍に捕囚として異国に連れて行かれているのです。

北王国はアッシリア軍の侵略によって滅ぼされており、捕囚を免れて残留した北の民衆にエルサレムでの過越に参加を呼びかけるよい機会でした。

ヒゼキヤは久しぶりの過越を全イスラエル規模の祭りとする事を望み、使者を南はユダのベエルシェバから、北はダンに至るまで、つまりダビデ、ソロモン時代のイスラエルの全領域に派遣したのです。

そして民は悔い改めて過越を行ない、旧イスラエル領の偶像礼拝の施設をも破壊したわけです。ですから北王国で破壊しても何の問題もないのです。

また、列王記には含まれていない部分が歴代誌にあるからといって、それがフィクションである事はおよそ間違いないなどと断言する事もできません。何を省略するか、何を補足するのかは筆者によって異なるからです。





てつてつ さんの発言:

112

さて列王記下一六章四節は、これらの場所を破壊せよという神の命令が守られなかったことを示している。

さらに、高き所や丘の上で、また、すべての生い茂った木の下でいけにえ芒献げ、香をたいた。

この種の「正しくない」祭儀がヤハウェを怒らせ、その結果、北王国も南王国も共に滅んだのだと列王記は説明する。無論、これは回顧的な記述であり、王国時代当初から申命記に記されたような命令そのものがあったと考える研究者は今日ほとんどいない。命令自体、これらの場所にあった「聖なる場所」を廃棄しようとした時にそれを正当化するため、もしくは王国滅亡後にその原因を説明するために記された可能性が高い。

「王国時代当初から申命記に記されたような命令そのものがあったと考える研究者は今日ほとんどいない。」という発言も他の見解同様、リベラルな懐疑的な人々の間ではという限定の話です。

先程の歴代誌の歴史書としての信憑性についてもそうですが、列王記などの他の歴史書との相違をもって不当に低い評価を歴代誌に下す傾向も見られるわけですが、いずれも注意深い検討によって反対意見の学者から反論がいろいろと出されています。結論的に言って、歴代誌は歴史書として決して低い評価を受けるべきものではありません。
てつてつさんの場合は、高等批評の者の見解に大きく偏っていまして、反対意見の調べ方が足りないように感じます。信じたくないから擁護の立場のものは読みたくないのでしょうか?
高いお金を出して買ったダニエル書注解も少しめくっただけでしたっけ?

話を戻しますと、申命記等に書かれた律法がイスラエル王国時代になかったとするのならば、様々な部族からなる連合であるイスラエル王国をまとめ上げる共通の教えも存在しなかったという極めて不自然な事になります。

それをてつてつさんはどう考えますか?

そして、申命記を申命記史家によってヨシヤ王の時代に創作されたとしながら、そしてモーセ五書をモーセによるものではないと見ながらも、申命記の32章 8節の「いと高き方」や創世記のメルキゼデク等に関しては、イスラエルの初期の宗教観を表す非常に古い最古のものとみなすようですが、都合のいい見方ではないでしょうか?
その点もどのように思いますか?それについても反論をお願いします。


王国滅亡後に、バビロン捕囚以降に、その原因を説明しようとしてイスラエルの歴史物語をでっち上げたという見解ですか?

それは、否定派お得意の「バビロン捕囚を聖書は預言しているから、前もって分かるはずはないから捕囚後に書かれたはずだ」という主観でしかないのです。
奇跡や預言の成就というものは有り得ないから有り得ないという考えでしょう。

後代のバビロン捕囚後に創作されたとしながらもヨシヤによる宗教改革はあったとするわけですよね。そしてカナンの地の創世記に出てくるメルキゼデクや申命記の「いと高き方」に関する記述も事実もしくは非常に古いものとする。

その、ある部分は史実、もしくは古く、ある部分は新しい時代のものと分ける根拠は何ですか?

単に他の人の見解を貼るだけでなく説明して下さい。


>さて列王記下一六章四節は、これらの場所を破壊せよという神の命令が守られなかったことを示している。

神の命令が守られなかった事が示されているから聖書の信憑性が落ちるという事でしょうか?そんな事はありません。

イスラエルの民が不忠実にも神の命令を守らなかった事はいろんな箇所で書かれています。


カナンを滅ぼせという命令も完全には守らず、イスラエルはカナン人との共存を選んで影響を受けて異教の神々に逸れました。ちなみに、長谷川さんも他の書籍で、イスラエルが初期、最初から異教の神を拝んでいた記録はない事を述べていますよ?

つまり、てつてつさんや、あのイチャモンをつけてきた人の主張、イスラエルは最初は多神教だったという考えは成り立たないわけです。

クンティレット・アジュルドの碑文についても、それはイスラエルが最初から多神教だった事は示していません。カナン人の異教の影響を受けて後の時代にカナン化した事を示しているに過ぎません。


イスラエルが崇拝していた神(エル)はエル・シャッダイなるヤハウェであり、ウガリト神話のエル神であるという証明もされていません。

その証明として申命記や創世記の記述を持ってくるわけですが、それらは後代の創作だと見るわけですよね。説明をお願いします。


列王記でもヒゼキヤが高き所を破壊した事が書かれています。ヒゼキヤが取り除くまで、不忠実な王が高き所で生贄を捧げ香を焚いていても不思議ではありません。


列王記下/ 18章 22節

「お前たちは、自分たちの神、主を頼りにすると言っている。だが、その神がヒゼキヤに高き所と祭壇を取り除かせたのではないか。ヒゼキヤがユダとエルサレムに向かい、エルサレムにあるこの祭壇の前で礼拝せよと言ったのはそのためだ。 」


16章のアハズが子供を生贄にした事はカナンの異教の習慣でした。


預言者アモスなどはヨシヤ王より一世紀以上遡る時代に活動しており、申命記等の律法、神の戒めを把握していた事は明白であり、申命記が古くから存在しなかったならば預言者の活動は起こり得なかったと言えるでしょう。申命記の戒めが古くから存在していたからこそイスラエルの民に悔い改めを促す預言者活動があったわけです。

ですから、申命記を後代のヨシヤ王の時代のでっち上げだとするのは無理があるでしょう。

てつてつさんはイスラエルのそうした預言者の活動も創作されたものとみなすのでしょうが、その根拠は何ですか?有り得ないから有り得ないという考えでしょうか。

しかし、ある部分は最古層に属する記述とするその根拠は何ですか?

研究者の間で一致しているというのは偽りのテクニックです。
他の反対意見の研究者たちの間では違う意見だからです。例えば、あるひとつの事典を見てみましょう。
聖書神学事典 / 鍋谷尭爾 

この事典は聖書全巻を神のことばと信じる福音主義の立場に立つもので、全ての人が聖書学者ではないですが、学者を含む多くの研究者によって書かれています。


説明
内容紹介
いのちのことば社創立60周年記念出版

2010年6月刊行 ご予約受付中!

聖書の真理を読み解くために不可欠な170項目を厳選。

発売記念特価7,350円【2010年12月末まで】
定価7,665円

聖書が私たちに何を伝えようとしているのかを明示。
信仰の幹を太くする、教職者も信徒も必携の書。



◆特色
聖書の重要な教理および神学用語、さらには今日注目されているテーマをわかりやすく解説。

旧約聖書と新約聖書から、そこに一貫している神のメッセージを明らかにする。




推薦のことば
聖書神学とは、聖書の本文を原語において読み、その釈義を土台とし、聖書が明らかにする神学思想を主題別に提示する学です。この度刊行された「聖書神学事典」は、この神学的成果を「事典」として纏め上げたものです。本書は、「聖書は誤りなき神のことば」とする福音派を代表する53名が、原語に触れ、釈義し、旧新約聖書に一貫している神のメッセージを170余の項目にわたって解説した大作です。キリスト教教義の素材をより深く理解し、混沌とした時代に、命に満ちて福音に生きるための手引き書として教職者にも信徒にもお薦めします。

東京聖書学院・院長兼教授 石原 潔
内容(「BOOK」データベースより)
聖書の重要な教理・神学用語、さらには今日注目されているテーマを、五つの解題と173の項目によって平易に解説する。わが国を代表する聖書学者をはじめ、これからの日本の教会と神学界を担う牧会者ら53名による書き下ろし。聖書全巻を神のことばと信じる福音主義の立場に立って、旧約聖書から新約聖書への思想的・神学的流れが明らかにされる。
著者について
聖書神学の主要項目、聖書の重要なテーマ、170余項目を、わが国を代表する学者をはじめ、これからの日本の教会と神学界を担う牧会者、研修者ら、53人の執筆陣が取り組む。旧新約聖書に一貫する神のメッセージが浮き彫りになり、信仰生活に活力を与える労作。



-監修-
鍋谷堯爾、藤本満、小林高徳、飛鷹美奈子。

-執筆者-
安黒 務、
石黒則年、
池上 安、
市川康則、
伊藤明生、
岩上敬人、
遠藤勝信、
大嶋美枝子、
大塚 篤、
岡山英雄、
金井由嗣、
鎌野直人、
川嶋直行、
河野克也、
河野行秀、
菊地 実、
橘内明裕、
工藤弘雄、
倉沢正則、
込尾隆義、
佐々木哲夫、
清水武夫、
杉本智俊、
関野祐二、
瀧浦 滋、
竹内茂夫、
蔦田崇志、
津村春英、
南場良文、
西岡義行、
橋本昭夫、
藤原導夫、
正木うらら、
真鍋 孝、
丸山悟司、
丸山忠孝、
三浦 譲、
水垣 渉、
水草修治、
村岡崇光、
安田吉三郎、
山崎ランサム和彦、
山下正雄、
山田泉、
山中猛士、
油井義昭、
吉川直美、
ショート・ランドル、
渡辺睦夫、
飛鷹美奈子、
鍋谷堯爾、
藤本満、
小林高徳。


これらの研究者たちはリベラルな研究者と同じ見解ではありませんから、研究者の間で一致しているという主張は誤りです。この事典以外の事典でも他の書籍でもいくらでも保守的な研究者はいます。

#2270 2021年03月28日 14:56:02

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

>てつてつさんは何も答えておらずにスルーして次の話題に入りますから、単に他の人の意見を持ってきているだけという事です。
反論に対する反論ができていません。

その通りだと思いますよ

>それをてつてつさんはどう考えますか?

その点もどのように思いますか?それについても反論をお願いします。

単に他の人の見解を貼るだけでなく説明して下さい。

それらは後代の創作だと見るわけですよね。説明をお願いします。


単にコピペしているだけですのでちょっとムリです cry


>高いお金を出して買ったダニエル書注解も少しめくっただけでしたっけ?

そうです 高いお金出して買った キッチンの本も 積読になりそうです cry


追伸 旧約聖書戦いの書 124ページ

ヤハウェがもともとは南方の神で当時のパレスチナでは新参者であり、当初は、エルやバァルといった古来パレスチナで崇拝されていた神々のように特定の土地と結びついていたわけではなかったと仮定すれば、こうした移動可能な「聖なる場所」の存在も説明可能であろう。しかし、やがて王が現れ、王の住む都が建設されると、そこには王が国家神と定めたヤハウェの神殿が建設されて、そこが祭儀の中心となり、移動可能な幕屋はもはや不要となった。幕屋と箱の伝承は、国家喪失後の人々に、神殿がない時代がかってもあったということを示し、神殿再建まで信仰を失わないよう鼓舞するために有用な物語だったのかもしれない。なお、幕屋もその素材の性質上、考古学的にその存在を検証する術がない。

編集者 てつてつ (2021年03月28日 17:20:35)

オフライン

#2271 2021年03月28日 17:56:57

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

アダムの息子のセトの時代からヤハウェという御名が知られていたとはいえ、アブラハムとその子孫には、モーセの時代にヤハウェという神の名が啓示されているからといって新参のように考える事は間違いです。

ミデヤンの祭司エトロもヤハウェを崇拝していたわけですよね。

これも指摘済みですが、ミデヤンはアブラハムの息子ですよ(創世記/ 25章 02節)

再び書きますが、モーセがシナイ半島南部の渓谷地帯に入って啓示を受けた事は神が南部の起源という事にはなりません。

例えば神がニューヨークの人に現れて語ったとして、その神はニューヨーク起源にはならないでしょう。

シナイ半島南部で現れた神ヤハウェは他の箇所では世界の創造者としてご自身を現しておられます。南部起源はナンセンスだと思います。

懐疑的な学者の人というのは、神を信じられないという考えがまず根底にあって、そこから色々な推測をするわけですが、その説を裏付ける根拠は乏しいのです。幕屋時代のイスラエルも後代の創作であるとの前提から語っておられます。


幕屋が素材の性質上、考古学的に検証できないという点では同意ですが、他の長谷川さんや山我さんの説も考古学的に検証のできないものです。

#2272 2021年03月28日 18:52:44

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ちょっと一言さんの投稿のアシェラ像に関してですが、ヤハウェのアシェラというクンティレット・アジュルドの碑文はヤハウェ宗教の仮面を被ったバアル崇拝であり、真の崇拝から逸れたイスラエルはバアルを崇拝していたという事を示しており、ヤハウェに妻がいたという事にはなりません。

長いですが、アシェラについてや、クンティレット・アジュルドのサマリアのヤハウェ等の地方的な神についても書かれています。

ガッツだぜさんも読んでみて下さいね。



https://www.academia.edu/33045441/Tsumu … _Japanese_

#2273 2021年03月29日 16:09:40

ハム太郎
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

10日ぶりくらいに、ここをのぞいてみました。

仰天さんの聖書に書いてあることはなんでも正しいという書き込みがたくさんありましたので、私の問いかけに関してなにか書いてあるかと、探してみましたが、ラクダの話以外は何もありません。

ほかの人の書き込みには、頼まれてもいないのに、つまらないことをかき連ねているのに、私の質問には「忙しくて」答えられないようですね。

もう一度繰り返しましょう。

仰天さんの説は、出エジプトは前1440年で、その時のファラオはアメンホテプ4世アクエンアテンで、ツタンカーメンは十の災いで死に、イスラエル人は荒野を放浪し、さらに約200年間謎の行動をとり、やっと前1200年頃にカナンに入ってきたというものです。

これって本当なのですか?それともデマですか? 

わたしは、仰天さんは根拠のないデマが多いので、デマを流すのをやめてほしいと願っているのですが、もちろん、そのつもりはないようですね。

#2235です。

仰天 さんの発言:

   古代中近東でラクダが一般的に見られるようになったのは前12世紀頃と言われますが、それ以前にも家畜として存在していなかったわけではありません。(K・A・キッチン『古代オリエントと旧約聖書』P105、106)

 

仰天さんが依拠しているのはケネス・キッチンですが、この人は聖書に書いてあることは正しいという立場のひとです。

2003年にOn the Reliability of the Old Testamentという本を出版しています。旧約聖書擁護の本ですが、仰天さんはもちろん読んでいませんよね。

なぜなら仰天さんが引用しているのは『古代オリエントと旧約聖書』という本だからです。これはなんと1966年に書かれたものです。

今から50年以上の昔の本です。仰天さんが生まれる前じゃないですか。

この50年間考古学などの学問は進歩してきました。こんな昔の本を根拠にラクダをアブラハムは飼っていましたと主張するなんて恥ずかしいですね。

ちなみに、仰天さんは、こんなことを言っていますが、ケネス・キッチンはエジプトの年代学はおよそ正確だと言っています。

仰天 さんの発言:

  アクエンアテン、ツタンカーメンあたりの年代は?だらけでよくわからないみたいですが、おそらく改ざんされてると思われます。特にエジプト史やヒッタイト史はわけわからなくされてるみたいですね。

 

ケネス・キッチンより仰天さんの方がエジプトの専門家だとは知りませんでした。


仰天 さんの発言:

  完全なソースはこちら
http://christianthinktank.com/qnocamel.html

このソースというのは1998年に書かれたもので、そこで攻撃しているのはThe Camel and the Wheelという1975年の本です。勉強になりますが、過去の論争ですね。

仰天さんは自信たっぷりに「族長時代に家畜化されたラクダが存在していても何の不思議もなく」と書いていますが、仮に存在したとしても、アブラハムたちが普通にラクダを使っていたという聖書の記述が正しいということにはなりません。

日本に初めてガソリン自動車が輸入されたのは1898年で、日本国産のガソリン自動車ができたのは1907年です。つまり20世紀の初めにはガソリン自動車は存在していました。

しかし、日本人が普通に自動車に乗るようになったのは、それから50年以上後の話です。

存在したことと普及したことは別の話なのがお分かりいただけたでしょうか?

未来の人間が日本のあちらこちらを発掘調査をすれば、20世紀半ばの地層からそれ以前にあまり見つからなかった自動車関連のもの(自動車そのもの、タイヤ、自動車学校の跡地、高速道路のあと等々)が大量に見つかることになります。

同じようにラクダが普通に飼われていたとすれば、その時代の地層からはラクダの骨やラクダ関連のものが見つかるはずなのです。

ところが、アブラハムが生きていたとされる時代の地層からは、野生のラクダの骨が大量に見つかるだけというのが、近年の調査の結果です。

古代エジプトのヒエログリフにはラクダを表すものがないことは前回述べました。古代エジプトでラクダが飼われていたとすれば、ラクダを表す言葉がないのは不思議ですね。

しかも、創世記の時代錯誤はラクダだけではないのです。


次に#2255から仰天さんの面白発言について取り上げましょう。

仰天 さんの発言:

ユダ王国の20万人以上を連れ去ったのであれば、アッシリアの兵士が18万5千人いたとしても不思議ではないでしょう。

この算術がよくわかりません。ユダ王国20万人は老若男女合わせた数字です。兵士18.5万人は若い男性の数です。比較できません。

古代において18.5万人を遠征させることは、補給の観点から無理です。水や食料をどうやって兵士に与えるのでしょうか?ラクダで運んだのでしょうか?

アレキサンダー大王はイッソスでペルシャ帝国軍と戦い、勝利しますが、この時の大王の兵力は4万人程度です。

これが現実の戦争で、聖書の戦争は誇張だらけと考えるべきでしょう。例えば、

列王一20:29  両軍は陣営を張ったまま7日間向かい合った。そして7日目に戦闘が始まった。イスラエルの民は1日のうちにシリア人の歩兵10万人を討った。

1日で10万人の戦死ですか。あり得ませんね。第一大戦の最大の激戦ソンムの戦いでは1日でイギリス兵6万人が死亡しました。南北戦争最大の激戦ゲティスバーグの戦いでは3日間で両軍5万人が戦死しました。大砲や銃があってもこの数字です。

歴代誌二13:17 アビヤと民は大勢を殺した。イスラエルの訓練された人50万人が次々と殺されて倒れていったのである。

50万人の戦死ですか。イスラエルの男性は全滅ですね。現代において一度の戦闘で50万人が戦死したことはありません。広島での原爆の死者数でも50万人には及びません。核兵器以上の強力な兵器が使われたのでしょうか?

この種の誇張はきりがないのですが、一番笑えるのはこれです。

裁き人15:15 サムソンは,死んだばかりの雄ロバの顎骨を見つけ,手を伸ばしてつかみ,その顎骨で1000人を討った。

ロバの骸骨で1000人を殺す?あり得ないでしょう。もし可能とすれば、1000人がきっちり列を作り、サムソンに殴り殺されるのを逃げもせず、じっと待っているという状況しか思いつきません。

しかし、聖書にあることはなんでも正しいと信じる仰天さんにとって、サムソンの1000人連続殴り殺しも真実であり、神の大いなる御業なのでしょうか?

どのようにサムソンが1000人を殴り殺したのかについて、仰天さんの説を伺いたいものです。

仰天 さんの発言:

  セナケリブは、46の城壁のある町や他の反抗的な町に対しては攻撃したと記していますが、エルサレムを取りか囲み誰ひとり町に出入りできなかったにもかかわらず、エルサレムに対して攻撃したという記述がないのです。

仰天さんは戦争というものがわかっていませんね。エルサレムを取り囲んだ以上、もはや攻撃に出る必要はありません。

包囲を続けていれば、時間とともに、エルサレム市内の食料や水がつき降伏せざるを得なくなります。犠牲者が多く出る強攻策などとる必要はありません。

仰天 さんの発言:

  そして、ダン碑文によりダビデの家(イスラエル)について言及され、ダビデの町で大型の建築物が確認されて強力な都市国家が存在していた事が分かっており、ダビデによるイスラエル統一王国は否定できないのではないでしょうか。

驚いたな。しかし、これって本当でしょうか?それとも仰天さんのデマでしょうか?

特に「ダビデの町で大型の建築物が確認されて強力な都市国家が存在していた事が分かっており」とは、何を根拠にそう言っているのでしょうか?

ダン碑文にそんなことは書いていませんよ。

次は#2271から。

仰天 さんの発言:

    再び書きますが、モーセがシナイ半島南部の渓谷地帯に入って啓示を受けた事は神が南部の起源という事にはなりません。

例えば神がニューヨークの人に現れて語ったとして、その神はニューヨーク起源にはならないでしょう。

関係のない、しかも自分で作った例を持ち出して、ヤハウエ南部起源説を否定しています。典型的な詭弁です。

最後に、出エジプトに関する仰天さんの説は本当なのですか?それともデマ?

#2274 2021年03月30日 00:15:41

ガp2
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

横入り失礼します^^
フタコブラクダは紀元前2000年頃には中央アジア~イラン西部で家畜化されていたそうですね。
こちらはあまり灼熱乾燥には向かないようで、冷涼乾燥に強いそうです。
ヒトコブラクダの方は諸説ありますが、紀元前1300年頃、サウジで家畜化されていたようです。
イスラエル統一王国が紀元前1000年頃とすると、アブラハム生存が紀元前1400年なら
ヒトコブラクダ家畜化とギリ合うかなという気がします。アブラハムは150年生きてますから。
そうするとメルキゼデクもその辺りですか。
アブラハムが紀元前2000年頃の人ではなく、紀元前1400年~1300年頃の人物なら辻褄が合いますね。
創世記がヘブライ人の起源を明らかにするために書かれたのなら、書かれた当時、現代のように時代検証する
技術も乏しい中、よくまとめていると思います。
それで良くないですか?たとえカナンの人が誤って初めはエルを拝んでいたとしても、アブラハム一族の
神に立ち返ってヤハウェを拝むようになったなら聖書的には問題ないと思います。
人間は発展したきたのだから、神への認識が変化するのは当たり前だと思います。
それこそパウロが「異言は止み、幻は廃れる」と言うように時は流れるのであり、一神教も
モーセによってカナンにもたらされ、イスラエル建国に伴って始まったのだと思います。
日本の天孫降臨神話を見て思いますが、周辺の神を取り込みながら統一していった可能性も
あると思います。

#2275 2021年03月30日 00:31:27

ガp2
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

人の信仰を裁かないという事が重要で、神は棒きれや鋳造されたものではない
という事が重要です。
作られた物が作った者より偉いなんて事はない。イスラエルは子どもを焼いて犠牲に
捧げる事を止めなかったから南も北も国が滅んだ。聖書は、これらの国は国の貴重な宝を
焼くような頭の悪さだから滅んだという貴重な事実を記した歴史の書です。

保守派もリベラルな学者も普通の人で、極端に走る人は物事の本質を全く捉えられていない
と思います。irisさんもそういう事をおっしゃりたかったのだと思います。

クィック投稿

メッセージを書いて送信してください。

Board footer