#2226 2021年03月12日 12:31:01
- ハム太郎
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
1週間ぶりにここをのぞくと、私に対する悪口満載の品のない仰天さんの書き込みがありません。
忙しいといいながら、別の人の書き込みには、熱心につまらないいちゃもんをつけています。
別な人にいちゃもんをつけている暇があったら、先週の私の質問に答えてほしいものです。
前回、仰天さんは科学的な論文を古いとか違っているとか言っていますが、実は科学的なことは全然わかっていないということを指摘しました。
動画内では、史料が残っており、自分をダビデ王の子孫だと証明できる人もいる事が語られています。
という驚くべき発言に対して、どうやって証明するのですか?と問いかけたところ、返事はなし。
私の予想では、それは動画で言っているだけで、自分は言っていない、ハム太郎はバカで読解力不足だ、と責任転嫁するのではと思ったのですが、沈黙です。
ダビデ王の子孫って誰なんですか?教えてほしいですね。
ついでに「史料」だと、書物かなにかということになります。家系図で証明するということでしょうか?DNAのことだと「試料」です。
このまま沈黙しますと、「自分をダビデ王の子孫だと証明できる人もいる」という仰天さんの発言は、デマということになります。
次は出エジプトの話題です。
仰天さんは出エジプトに関して、これまでいろいろなことを言っています。
2019年の書き込みです。
動画中では出エジプトの時代のファラオがラムセス2世だと言ってますが、これは間違いでたぶんアメンホテプ4世アクエンアテンです。そしてその子ツタンカーメンが出エジプト記での第十のわざわい(すべての初子が撃たれる)で死亡したファラオの長子です。
イスラエルの民を追うために、彼は大急ぎで埋葬されたようです。その後埋葬を担当したであろうエジプト軍はすべてイスラエルの民の追撃に参加し、紅海(アカバ湾)で王もろとも海に沈められて全滅しました。このため墓の正確な位置を知るものが一人もいなくなり、数あるファラオの墓の中でツタンカーメンの墓だけが盗掘を免れたというわけです。
アクエンアテン、ツタンカーメンあたりの年代は?だらけでよくわからないみたいですが、おそらく改ざんされてると思われます。
楽しい話ですが、でも何の根拠も示されていません。ツタンカーメンが十の災いで死んだとは驚きです。聖書と考古学上の大発見ですね。
この仰天さんの説だと出エジプトは前14世紀の中頃になります。
一方で聖書年代の計算から出エジプトはBC1446年と仰天さんは主張しています。
ソロモンの死去がBC930年です。 ※エジプトのメルエンプタハ戦勝記念碑と聖書の記述の一致から
ソロモンの統治は40年でしたから王位についたのがBC970 その第4年966+480、そうすると出エジプトがBC1446年
100年ほどのずれがありますが、仰天さんは、これは年代が「改ざんされていると思われます。」とものみの塔のようなことを言ってつじつまを合わせようとしています。
こんな珍説を主張していたのに、私が出エジプトはいつ頃あったと思っているのですか?と何度も尋ねても、仰天さんは答えようとしませんでした。
やっと答えたのがこれです。
聖書を信じていますので出エジプトはあったと思います。放浪、征服、建国もあったでしょう。時期は現在、聖書の述べる「軍事征服説明」を主張する学者同様に前15世紀ではないかと考えています。
ところが、仰天さんはこんなことを言っています。
鉄器時代Ⅰ期を最後にイスラエルではこのような像は出土しなくなるというのは前1200年頃だと言われています。その時はイスラエルがカナンに入って集落ができ始めた時であり、その時からイスラエルの住んでいる所からはエルやバアル像は出なくなり、土偶も神々ではなく人間のかたちになって大きく変化しているわけです。
仰天さんの説では出エジプトは前1446年、40年の放浪で、カナン征服は前1406年からということになるのに、前1200年頃を「イスラエルがカナンに入って集落ができ始めた時」と自信たっぷりに述べているのです。
すると、約200年間の空白ができてしまいます。それでこう質問しました。
出エジプトが前15世紀だとすると、イスラエル人は前1200年頃まで200年間どこで何をしていたのでしょうか?
仰天さんの説は、出エジプトは前1440年で、その時のファラオはアメンホテプ4世アクエンアテンで、ツタンカーメンは十の災いで死に、イスラエル人は荒野を放浪し、さらに約200年間謎の行動をとり、やっと前1200年頃にカナンに入ってきたというものです。
これって本当なのですか?それともデマですか?
それから、鉄器時代Ⅰは前1200年頃ではなく、前1000年頃までということはご理解できましたでしょうか?
最後に、#2222からです。
70人訳は「神の天使ら」となっていますが誤訳でしょう。
自分の都合の悪いことは誤訳とする。何を根拠に誤訳と判断するのでしょうか?簡単に誤訳と判断できる仰天さんはただものじゃないですね。
イスラエルが初期から多神教だった証拠もいっさいありません。
前回示したテルアビブ大学のZe’ev MeshelによってKuntillet Ajrudで発掘された建物についてはどうなんですか?多神教そのものです。
それについては沈黙し、「多神教だった証拠もいっさいありません。」とひたすら自説を繰り返すだけというのは見上げた態度です。
というわけで、初めカナンの中央高地(イスラエル)では、多神教で主にエルを崇拝していたが、後からヤハウェ宗教が伝搬し、エルとヤハウェが同一視されるようになったという最近の研究成果に一致しているなどという事は全くなく、自由主義神学の学者や聖書否定の立場の人たちの憶測に過ぎない考えなのです。そのような人々の主張は何の証拠もないものです。
自分の考えに合わない人を、「自由主義神学の学者や聖書否定の立場の人たち」とラベルを張り、その主張は「何の証拠もないものです。」の一言でかたづける仰天さんは、前からそうでしたけれど、ますますカルト信者に似てきましたね。
#2227 2021年03月12日 14:27:03
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
私も聖書は大まかな歴史描写は合っていると思いますね。というのも
世界の歴史マップを参照させて頂くと、アブラハムの居た 前2000年頃
コーカサス・ザクロス辺りから異邦人の襲撃があったりして、創世記には
アブラハムと他部族の紛争が書かれていているので、史実とよく合って
いると思います。その頃、アッカド・古バビロニア・シュメール
ヒッタイト、古エジプト等、現代とあまり変わらないような紛争があって
テラが移住を決意し、アブラハムが安息の地を求めたのなら、非常に意味
のある話になります。こうしてみるとよくありそうな話で、紛争地域から
脱出し、比較的安全な土地に逃れたが、紛争が治まり落ち着いたので
頃合いをみて襲撃して土地を奪還したという話ですよね・・
ミャンマーのクーデターと比べる訳にもいきませんが、時期をみて奪い返す
という事は歴史的にもある事で、その間は安全な異国の土地に避難していた
というだけの事だと思うのですが。祖国に帰還した一大帰還事業だった
と考えれば、近・現代でもあるあるではないでしょうか?
それを聖書原理主義的に考えるとかえって曲がるようにも思います。
基本的に聖書の歴史は合っていると思います・・
#2228 2021年03月14日 06:51:34
- てつてつ
- メンバー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
一神教の起源 120-
サレムの王で「エル・エルョーン(新共同訳では「いと高き神」、以下でも同様)の祭司」であったメルキゼデクは、アブラハムを祝福して、次のように言ったという。
天地の造り主、エル・エルョーンに、アブラハムは祝福されますように。
敵をあなたの手に渡された、エル・エルョーンがたたえられますように。(創一四.19-20)
これを受けてアブラハムは、謝礼として財産の提供を申し出た別の王に、誇り高く次のように言う
わたしは、ヤハウェ、〔すなわち〕天地の造り主、エル・エルョーンに手を上げて誓います。あなたの物はたとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。「アブラハムを裕福にしたのはこのわたしだ」と、あなたに言われたくありません。(創一四22-23)
「サレム」とは明らかにエルサレムの別名である(詩七六3)。したがって、メルキゼデクは、ダビデが征服して自分の王国の都とする(サム下五6-10)以前のこの都市国家の先住民の祭司王であり〃(詩110.4参照)、「エル・エルョーン」はイスラエル以前のエルサレムで祀られていた神であったと推測できる。その際に、エルとエルョーンがもともと別の神格であった可能性もある(イザ一四.14参照)。その場合には、「エル・エルョーン」はすでに「エル」と「エルョーン」が習合したものだったということになろう(民二四.16、詩五七3、七三.11、一○七.11等参照)。「エルョーン」という神名は、その神の崇高性を表す「高い」という語に由来し、イスラエルやその周辺地域の碑文史料にも単独の神格としての言及例がいくつもあり、もともとはこれが独立した神格であったことは確かである。「エル・エルョーンの祭司」であったメルキゼデクは、明らかに自分自身の神によってアブラハムを祝福したのであるが、文脈上アブラハムは、その神を自分の神ヤハウェと同一視したことになる。ここには、おそらくダビデ時代以降、ヤハウェとエル・エルョーンが同一視されていった経過が反映されている。エル同様、こうして「エルョーン(いと高き者ともまたヤハウェの別名ないし称号となるのである)」(詩七.18、九3、一八14)。後に見るように、ヤハウェはもともとパレスチナ南方の嵐の神であり、特定の集団に結び付いてこれを守り導く神であったが、それがやがてイスラエルの民族神、国家神となったと考えられる。これに対し、創世記一四章では「エル・エルョーン」が「天地の造り主」と呼ばれている。前に述べたように、ウガリトの神話でもエルは世界の創造神であった。「エル(・エルョーン)」と習合し、同一視されることによって、ヤハウェはやがて創造神としての属性を身に付け、より普遍的な意味と性格を持った神として観念されていくことになったのであろう。
自分は山我さんの説の方が真実味があるのではないかと思います
オマケ
アマゾンのキンドル本 面白いほどよくわかるウガリット神話
ウガリット という のは、 シリア の 西部、 地中 海岸 に 存在 し た 都市国家 です。 地理 的 に メソポタミア と エジプト から 見 て ほぼ 等距離 に あり、 両者 の 文明 を 取り込み、 独自 の 文化 を 発展 さ せ て い ます。
ウガリット の アルファベット は 子音 のみ を 表記 し、 母音 は 省略 する という 特殊 な 性質 を 持っ て い まし た。
その 神話 が、 現代 人 にとって も 非常 に 興味深い もの と なっ て いる のは、 ウガリット 神話 が「 聖書」 に 綴ら れ た 各種 エピソード の 源流 と なっ て いる から です。
ウガリット の 人々 にとって は、 どれ も これ も 皆「 神」 なの です が、 その うち の 一 柱 で ある「 イル」 は いわゆる アブラハム の 宗教( ユダヤ 教・キリスト 教・イスラーム) の 唯一 神 となり まし た。
ウガリット において イル よりも 人気 が 高かっ た 神 々 は ほとんど の 場合、 中世 以降 の キリスト教徒 によって「 悪魔」 とさ れ て い ます。
ウガリット の 神話 において、「 最高 神」「 すべて の 神 々 の 祖」 とさ れ て いる のが イル です。 「イル」 は ウガリット 読みで、 アブラハム の 宗教 を 創始 し た ヘブライ 人 の 言葉 では「 エル」 と 発音 し た よう です。 アブラハム の 宗教 において は、 ミカエル・ガブリエル・ラファエル など、 天使 たち に「~ エル」 という 名 を 持つ もの が 多い の です が、 これ は 神 の 名 で ある「 エル」 に 由来 する もの です。
イル は 多く の 粘土 板 文書 において「 最高 神」 だ とさ れ て いる の です が、 これ が 実は 曲者 です。 多く の 神話 において、「 最高 神」 は 必ずしも 神 々 の パンテオン の 中心 では なく、「 すべて の 神 々 の 祖」 とさ れる 神 の 起源 が 最も 古い とも 限ら ない の です。 むしろ「 すべて の 神 々 の 祖」 は、 後付 で 作ら れ た ケース が 非常 に 多い の です。
人々 が ひと ところ で 定住 生活 を 行う よう に なる と、 集団 の 結束 を 強める ため に 神 の 信仰 が 生まれ ます。 その 際 の 神 は 多く の 場合 単一 神 または 男女 一 組 の ペア です。 人々 の 生活 範囲 が 広がり、 ある 集団 が 他 の 集団 を 飲み込む よう に なる と、 それぞれ の 集団 が 信じ て い た 神 が「 実は 兄弟」「 実は 親子」「 実は 夫婦」 といった よう に 後付 で 関連付け られる よう になり ます。 これ が 繰り返さ れ、 神 々 の 親子 兄弟 関係 が 複雑 に なっ て くる と、 それら に 統一 性 を 持た せる ため「 すべて の 神 々 の 祖」 が 作り出さ れる よう に なる こと が 多い の です。
「最高 神」「 すべて の 神 々 の 祖」 は、 多く の 場合 太陽神 で あっ たり、 天 の 概念 化 で あっ たり し ます。
この 太陽 や 天 は、 誰 もが「 そりゃ いと 高き 存在 だろ う」 と 納得 できる もの です が、 ただ そこ に 存在 する だけで、 あまり 活発 に 活動 する もの では あり ませ ん。 その ため しばらく する と、 実質的 な 権威 は 天候 神 や 豊穣 神 に 移っ て しまう の です。
多く の 神話 において、 名目的 な 存在 に なっ た「 最高 神」 は、 老人 の 姿 で 表現 さ れ、 時に 老人 らしい 短慮 や 身体 能力 の 衰え を ネタ と し た 神話 が 追加 さ れ て しまっ ても い ます。 さて、 ウガリット の「 最高 神」 イル です が、 実は見事 なまでに この パターン に ハマっ て しまっ て いる の です。 イル は ウガリット における「 すべて の 神 々 の 父」 で あり、 神 々 の 会議 の 主催 者 で ある とさ れる の です が、 ウガリット の 人々 は どうやら イル よりも 豊穣 神 バアル の 方 をより 深く 信仰 し た よう です。「偏屈 で 嫉妬 心 の 強い 老人」 という イメージ は、 そのまま そっくり アブラハム の 宗教 の 唯一 神 ヤハウェ に 引き継が れ まし た。 「旧約聖書」 に 登場 する 神 は、 どう 解釈 し ても 純粋 な 正義 の 擬人化 では なく、 かなり 個人的 な 好き嫌い で 預言者 たち に 命令 を し、 また 人間 の 命 を 奪っ て い ます。 さらに、 聖書 の「 ヤハウェ」 と なっ た イル は、 自分 の こと を「 妬む 神 で ある」 と はっきり 語っ て いる の です。
この 文章 で 何度 も 取り上げ まし た が、 とにかく 古代 の ヘブライ 人 は、 ウガリット では 人気 の なかっ た 神 イル を 持ち上げ、 ウガリット で 人気 だっ た 神 バアル を 貶め まし た。 バアル だけで なく、 バアル と 仲 の 良かっ た アナト や アスタルト までも まとめ て 悪魔 に 落とし て しまっ て い ます。 古代 ヘブライ 人 が 残し た 文献・旧約聖書 を 聖典 と し た キリスト教徒 や ムスリム は、 かつて バアル が イル と 同等 以上 の 信仰 を 集め て い た 偉大 な 神 で あっ た という こと を 知ら ず、 聖書 における 否定的 な 記述 を まるごと 信じ込ん で、「 悪魔 バエル」 を 排斥 する よう になり まし た。
こうした 事態 を 引き起こし た 古代 ヘブライ 人 とは、 どういう 人々 だっ た の でしょ う。 「旧約聖書」 に よれ ば、 ヘブライ 人 は 元々 メソポタミア の 都市国家 ウル の 住民 で、 ウル から 現在 の イスラエル・パレスティナ の 地 で ある「 カナン」 に 移住 し た とさ れ て い ます。 その後 集団 で エジプト に 移住 し まし た が、 ファ ラオ の 圧政 を 逃れ て モー セ に 率い られ た 一団 が エジプト を 脱出 し、 再び カナン の 地 に 定住 し て 王国 を 築い た という こと に なっ て い ます。 しかし 実際 の ところ は、 カナン の 地 付近 を さまよっ て い た、 定住 地 を 持た ない 遊牧民 の 集団 で あっ た という のが ほぼ 定説 です。 定住 地 を 持た ない から、 一部 族 が エジプト に 集団 移住 する、 という こと も 可能 だっ た わけ です。
定住 し て いる 農耕 民 にとって、 何より 重要視 さ れる のは「 ほどほどに 雨 を 降ら せ 豊作 を もたらす 存在」 です。 バアル が まさに これ に 適合 し ます。 農耕 民 は、 寒い 冬 を 耐え抜き、 春 に 種 を 蒔い て 汗 を かき つつ これ を 育て、 秋 に 収穫 し ます。 無事 収穫 を 終え た 後、 彼ら は「 豊穣 の 神 に 感謝 を 捧げる」 という 口実 で、 年 に 一度 の ごちそう を 食べ、 酒 を 飲む という 大 宴会 を 催し ます。 多く の 記録 からは( 意図的 に?) 削除 さ れ て い ます が、 飲ん で 食っ た 後 には 乱交 パーティー と なる ケース が 頻繁 に あっ た と 考え られ て い ます。 農耕 の サイクル そのもの が 豊穣 神 の 死 と 再生 の 祭り なので、 人間 たち も 精一杯 交わっ て 再生( この場合 次 の 世代 の 製造) を 試みる という こと なの です。 これ は 単なる 性欲 の 解消 では なく、 宗教 儀式 的 な 意味 を 多分 に 持っ て い まし た。 その 年 の 収穫 が 多けれ ば、 向こう 一年 は 豊か に 暮らせる こと が 確定 する ので、 たくさん 子供 を 作っ ても 問題 なし、 という こと にもなり まし た。 ところが 同じ よう な こと を、 遊牧民 の 集団 で やる と 破綻 し ます。 家畜 は 生き物 です から、 ちょっと 疫病 が 流行っ たり、 肉食獣 に 襲わ れ たり する と する と バタバタ と 死ん で しまい ます。 つまり、 今 豊か でも その 豊か さが あと 一年 は 確実 に 続く と 保証 する こと は でき ない の です。
この 状況 で 大量 に 子供 を 作っ て しまっ たら どう なる でしょ う? 集団 そのもの が 成り立た なく なっ て しまい ます。 また、 遊牧民 は 家畜 の 繁殖 も しっかり と 管理 し ます。 家畜 の 数 が 増える という こと は 財産 が 増える という こと です が、 後先 考え ず に 増やし すぎ て しまう と 餌 に する 草 が 不足 し、 群れ 全体 が 飢え て 気 が つく と 以前 よりも「 財産」 が 減っ て しまっ た という こと にもなり かね ない の です。 とにかく 計画的 に もの ごと を 運ば ない と、 遊牧民 の 生活 は 成り立ち ませ ん。 こうした「 管理 と 規律」 が 重要視 さ れる 遊牧民 の 国家 では、 絶対的 な 権力 を 持ち、 かつ 人間的 な 要素(要素( 特に 肉体的 な 欲求) を あまり 持た ない 唯一 神 が 好ま れる よう になり ます。 ウガリット で 見捨て られ つつ あっ た「 去勢 さ れ た 老い た 神」 で ある イル が、 ヘブライ 人 の 中 で 唯一 神 として 尊ば れる よう に なっ た のは、 こうした 理由 による もの と 思わ れ ます。
という わけ で、「 規律」 を 重んじる 唯一 神 の 信者 たち は、 豊穣 神 を 祭る 定住 農耕 民 を「 不品行 だ」 と 罵る よう になり まし た。
面白い のは、 堅苦しい イル を 称える 宗教 から 分派 し た キリスト教 が、 バアル の 再来 とも 言え そう な「 豊穣 神」 を 信仰 の 対象 と し て いる こと でしょ う。 イエス・キリスト は「 死ん で 蘇る もの」 で ある 点 で 一種 の 豊穣 神 です。 その 肉 や 血 が パン や 葡萄酒 といった「 農耕 の 成果 物」 に なぞらえ られる ので、 もう 逃げ も 隠れ も でき ませ ん。
現在、「 アブラハム の 宗教」 の 信者 数 は、 キリスト教徒 21 億 人、 ムスリム 13 億 人、 ユダヤ 教徒 1500 万人 で、 合計 する と 約 34 億 人 ほど いる と 言わ れ て い ます。 これ だけ 多数 の 人々 が、 この 文章 で 説明 し た「 元 イル」 を 唯一 神 として 信仰 し て いる こと に なる の です。 ただ その「 元 イル」 が イル だっ た 時代、 彼 は 唯一 神 でも 絶対 神 でも あり ませ ん でし た。 他 に バアル を はじめ と する 多数 の 神 が い て、 イル は それら が 全体 として 構成 する パンテオン の 中 の 一部 を 担っ て い た のに 過ぎ なかっ た の です。
ウガリット の 神話 の 中 では バアル の 人気 に 押さ れ て い た イル です が、 その後 奇跡 の 大 逆転 を 果たし まし た。 今 では バアル は 一部 の オカルトマニア の 間 で のみ 知ら れる よう に なっ て いる の に対し、 イル の 方 は 世界中 の 教会 や 家庭 で、 朝夕 祈り が 捧げ られる 高み に 登っ て いる の です。 イル が 圧勝 し た 結果、 多く の 文書 が 聖書 視点、 つまり イル の 立場 から 書き換え られ まし た。 現在 に 伝わる バアル の 姿 は、 かなり 強く 歪ん だ「 イルフィルター」 を通して 見 られ た もの です。
こうした フィルター を 取り払っ て、 できるだけ 原像 に 近い バアル や イル を 再 構成 する と、 これ まで 見逃し て い た、 聖書 に 含ま れ て い た 意外 な 真実 を 発見 する こと が できる よう になり ます。 聖書 の 中 では 堕天使 として 描か れ て い た ルシフェル が、 元々 は イル の 息子 で あり、 おそらくは 一度 入っ たら 出 て こ れ ない 地獄 に 身代わり として 置き去り にさ れ た とか、 キリスト教徒 が 悪魔 として 口 を 極めて 罵倒 し て いる バエル が、「 キリスト」 の 原型 とも 考え られる 豊穣 神 で あっ た、 という こと などを 知る と、 なんだか 得 を し た よう な 気 に なれ ない でしょ う か。
追伸
仰天さん>「カナン神話とヘブライ叙事詩」の中でも、エール・オーラームを「永遠の神」、エール・エリヨーンを「エール、いと高き者」または「いと高き神」としており、エリヨーンだけでは「至高者」、「いと高き者」です。101ページ
そのあたりみると 断定的なことは書いてないと思います
このような名称の多くは、言語学的に見て、一つ以上の解釈の可能性を持っている。***をエールの固有名とも「神」の総称とも解することができよう
たとえば、***は「神オーラーム」、あるいは「永遠の神」(「いにしえの神」)と解することができる。また、***という名称を「神エリョーン」あるいは、「エール、いと高き者」ないし、おそらく、「いと高き神」を意味するものと理解できるであろう。
編集者 てつてつ (2021年03月15日 07:28:53)
オフライン
#2229 2021年03月17日 02:28:46
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
死海文書65年ぶり発見
ゼカリヤ書、ギリシャ文字で書かれており、神の名だけヘブライ語。
ほかに6000年前のミイラ化した遺体。
#2230 2021年03月17日 10:11:22
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
詭弁で謝罪も訂正もできない議論する価値もないデマ太郎さんは放置されても仕方ない、本来なら誰にも相手にされない人物ですが、普通に謝罪もされ、私とは立場は異なるものの、一応は真実を知りたいとの思いで通常の議論のできるてつてつさんの問いに先に答える事にします。まだ忙しいのですけど。
相手にもならない不誠実な人物は“人の問いには一切答えない人間”なので、詭弁な者への指摘はそのうちじっくりとおかしな点を指摘しようと思います。(時間があれば)
てつてつさんの問いに対しては、読んだ瞬間に既に反論は頭の中ではできているのですが、これまた文章にまとめるのは手間がかかります。
もう少し待っていて下さい。
#2231 2021年03月18日 12:45:27
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
その前に番外編
#2232 2021年03月18日 13:00:46
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
ロン・ワイアットに関してはいろいろと言われており、箱形でないのが少し気になりますが(笑)
#2233 2021年03月18日 19:20:43
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
大丈夫ですよ仰天さん
変に気を使わなくても
だって 仰天さんはここ最近忙しいんですから
#2234 2021年03月19日 15:00:41
- ハム太郎
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
1週間ぶりにのぞいてみたら、楽しみにしていた仰天さんの書き込みがありません。
いつもの悪口があるだけです。
せっかくのぞいたので、何か書きましょう。
#2208についてです。これはラクダの話で、ある人のブログを仰天さんがそのまま貼り付けているのですが、なんと2回目です。
よっぽど気に入っているのでしょう。
アブラハムがエジプトのファラオから家畜化されたラクダを入手していても不思議はないと思います。
というのが、仰天さんの結論です。
創世記のアブラハム、イサクやヤコブの話にラクダ(ヒトコブラクダと思われる)が日常的に使われている動物としてでてくるのですが、ラクダの家畜化が進むのはずっと後の時代で、創世記はラクダが家畜化された後の時代の人物の作品ということになっています。
しかし、仰天さんとしてはそんなことは認めるわけにはいかないようで、何とか反論したいのですが、自分で反論するほどの芸もないので、誰かのブログを2回も貼っているわけです。
個人のブログだと思われる方もいらっしゃるでしょうが、考古学協会のものが根拠となっています。
ブログの記事の元ネタはBiblical Archeology Reviewという雑誌の記事です。この雑誌は、こう説明されています。
a one-of-a-kind archaeology magazine that acts as a bridge between the academic study of archaeology and a broad general audience eager to understand the world of the Bible better.(考古学の学術研究と、聖書の世界をよりよく理解することを熱望している幅広い一般の聴衆との間の架け橋となる他に類を見ない考古学雑誌です。)
つまり、考古学の専門的な雑誌ではありません。聖書に興味のある一般の人向けの雑誌です。
仰天さん推奨のブログにはこうあります。
家畜化したラクダが紀元前2000年半ばにはメソポタミアに出現し、その元を辿ると、アラビア南東部で紀元前3000年には家畜化した事が分かっています。また創世記では族長時代家畜化したらくだが20回以上登場します。そして冒頭の聖書箇所では、エジプト王パロからアブラハムが家畜化したらくだを入手した事を伝えています(アラビアからエジプトへらくだが進出したのは、紀元前2500年〜1400年と分かっています)
このブログが根拠としている記事は「Camel Domestication History Challenges Biblical Narrative」(ラクダの家畜化の歴史は聖書の物語に異議申し立て)です。
仰天さんはブログは読んだようですが、ブログの元ネタのこの記事は英文なので読んでいないのですよね。
この記事は、題名からわかりますように、この記事は聖書の記述に異議を申し立てる内容です。仰天さんの大好きな聖書擁護派ではありません。
この記事によると、イスラエルでラクダの家畜化が始まったのは放射性炭素年代測定によると紀元前10世紀以降です。
次に、ブログには「アラビア南東部で紀元前3000年には家畜化した事が分かっています。」とありますが、正しくありません。
これはTell Abraqで発掘された前3000から前2300年頃のラクダの骨を含む10万以上の骨の事を言っているのでしょう。
初めは家畜化されたラクダの骨と思われたのですが、のちの分析の結果野生のラクダの骨と推定されています。
野生のラクダは狩りの対象となっていたようで、青銅器時代の終わりごろには激減しています。
ラクダの数が増えるのは前1000年以降です。これは家畜化が成功し、人間の手によって繁殖させたのでしょう。
家畜化されたラクダは野生のラクダに比べて小型化しています。骨の長さを計測することによって家畜化されたものかどうか判断できるようになっています。
ラクダの骨が一番見つかったところはドバイの近くのAl Sufouthという所ですが(約180000個)、前2500から1500年の骨が見つかっています。
全て野生のラクダとされています。食べられたようで、多くの骨には刃物による傷が残っています。
現在のところ、家畜化されたラクダは前1000年頃にならないと見つかりません。
放射性炭素年代測定法に問題があります。半減期約5,730年とされていますが、試料の汚染、仮定の誤り(崩壊率が一定という)、放射性炭素そのものの問題などで、いつも補正を年輪測定法などと併用して使わざるを得ません。
聖書をそのまま信じる人たちは「放射性炭素年代測定法に問題があります。」といいますが、放射性年代測定法をよく理解していません。
「いつも補正を年輪測定法などと併用して使わざるを得ません。」と書いていますが、これのどこが問題なのでしょうか?
年輪測定法その他と併用することで、その信頼性はますます増しています。
アブラハムがエジプトのファラオから家畜化されたラクダを入手していても不思議はないと思います。
エジプトに詳しい仰天さんの言うことですから間違いないと思いたいですが、残念ながら正しくないでしょう。
エジプトとラクダの組み合わせは現在では何も違和感はありませんが、古代では違います。
古代エジプト人はラクダを使用することはほとんどなく、ラクダを表す言葉さえなかったのです。
ラクダがエジプトで確実に使われるようになったのは前6世紀ごろで、ペルシャに支配されている時代からです。つまり外国人が持ち込んだのです。
またオベリスクに初めてラクダが描かれるのは、前9世紀です。
前2000年ごろ生きていたというアブラハムがエジプトのファラオからラクダをもらうのは難しいでしょう。
ラクダがいつどこで家畜化されたかは現在のところ不明です。シュメール語ではヒトコブラクダを「海のロバ」と呼んでいました。
これは海から家畜化された状態で運ばれてきたことを意味しています。
ある地域でラクダの家畜化が開始されたとしても、ラクダは生殖可能となるには6年くらいかかり、妊娠期間も12か月近くでそう簡単に増やすことができません。
仮にアブラハムの頃にラクダの家畜化が始まっていたとしても、極めて貴重なもので、そう簡単に手に入らないでしょうし、ラクダを飼うための専門知識がないと貴重ななラクダもすぐに死なせることになるでしょう。
歴代誌一27:30に“ラクダを担当したのは,イシュマエル人オビル。”とあります。
これはダビデがラクダの世話係の長としてオビルを任命したということなのですが、オビルという名前はアラビア語のibil (ラクダ)をヘブライ語化したものです。
これはダビデ王の時代でも、ラクダを飼うノウハウを知っていたイスラエル人は少なく、アラブの専門家に頼らざるを得なかったことを意味しています。
以上の事から、前2000年頃アブラハムたちが普通にラクダを飼っているというのはありそうではないでしょう。
ラクダの家畜化については不明な点が多いので、「アラビア南東部で紀元前3000年には家畜化した事が分かっています。」となどと自信たっぷりに書く人の事を信用してはいけません。
そんなブログを2回も貼っている仰天さんは、本当にすぐ信じる人なんですね。
#2235 2021年03月20日 06:51:10
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
てつてつさんへの回答はけっこう文章にまとめるのに時間がかかりますので、皆さんも関心のある聖書のラクダに関する情報を提供します。
ハム太郎さんは(一応、さん付け)反対意見も調べたような事も言いますが、アブラハムの時代の家畜化されたラクダに関して、ほとんど反対意見を調べる事もなく懐疑的な人物の出した見解をすぐに信じてしまう体質みたいです。
聖書を批判的に調べる事は、本当かどうか確かめるという点で重要ですが、単に批判のために批判的に調べるというのでは問題です。
疑う人の見解と、本当だと思える要素の双方を調べてこそ調査だと言えるのではないでしょうか。
さて、ラクダの問題ですが、
古代中近東でラクダが一般的に見られるようになったのは前12世紀頃と言われますが、それ以前にも家畜として存在していなかったわけではありません。(K・A・キッチン『古代オリエントと旧約聖書』P105、106)
特に女性の乗り物として出ており、サーナが推測するように、前12世紀以前は長い間ラクダはごく限られた上流階級の富の示威的象徴として用いられていたのかもしれません。
ただこの書籍は、元々が4千円くらいですが、今はプレミア価格でかなりな値段になっています。
ですので英文ですが紹介しておきます。
族長時代に家畜化されたラクダが存在していても何の不思議もなく、モーセ五書が後代の創作だとする文書仮説の立場の人たちは他の考古学的な証拠を知らないか無視していて、都合の悪い点には目を向けない人たちのようです。
まずは短めの文章から
https://www.biola.edu/blogs/good-book-b … in-genesis
ケネス・キッチンの解説
https://theologiansinc.wordpress.com/20 … tchen/amp/
完全なソースはこちら
http://christianthinktank.com/qnocamel.html
他のもの
https://thejdnblog.wordpress.com/2015/0 … nesis/amp/
ガッツだぜさんも考古学的に前2,000年頃の家畜化されたラクダとか鞍とか、ラクダの飼料の記録(野生のラクダには餌はやる必要がありません。)、ラクダのミルク等の記述(野生のラクダからは基本的に乳は取らないので。)も確認されてますから(もちろん議論はあるでしょうが。)
ロバがポピュラーだったとはいえ、聖書の記述も案外正確だと思いますから、読んでみて下さいね。
#2236 2021年03月20日 11:16:18
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
一神教の起源 120-
サレムの王で「エル・エルョーン(新共同訳では「いと高き神」、以下でも同様)の祭司」であったメルキゼデクは、アブラハムを祝福して、次のように言ったという。天地の造り主、エル・エルョーンに、アブラハムは祝福されますように。
敵をあなたの手に渡された、エル・エルョーンがたたえられますように。(創一四.19-20)これを受けてアブラハムは、謝礼として財産の提供を申し出た別の王に、誇り高く次のように言う
わたしは、ヤハウェ、〔すなわち〕天地の造り主、エル・エルョーンに手を上げて誓います。あなたの物はたとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。「アブラハムを裕福にしたのはこのわたしだ」と、あなたに言われたくありません。(創一四22-23)
「サレム」とは明らかにエルサレムの別名である(詩七六3)。したがって、メルキゼデクは、ダビデが征服して自分の王国の都とする(サム下五6-10)以前のこの都市国家の先住民の祭司王であり〃(詩110.4参照)、「エル・エルョーン」はイスラエル以前のエルサレムで祀られていた神であったと推測できる。その際に、エルとエルョーンがもともと別の神格であった可能性もある(イザ一四.14参照)。その場合には、「エル・エルョーン」はすでに「エル」と「エルョーン」が習合したものだったということになろう(民二四.16、詩五七3、七三.11、一○七.11等参照)。「エルョーン」という神名は、その神の崇高性を表す「高い」という語に由来し、イスラエルやその周辺地域の碑文史料にも単独の神格としての言及例がいくつもあり、もともとはこれが独立した神格であったことは確かである。「エル・エルョーンの祭司」であったメルキゼデクは、明らかに自分自身の神によってアブラハムを祝福したのであるが、文脈上アブラハムは、その神を自分の神ヤハウェと同一視したことになる。ここには、おそらくダビデ時代以降、ヤハウェとエル・エルョーンが同一視されていった経過が反映されている。エル同様、こうして「エルョーン(いと高き者ともまたヤハウェの別名ないし称号となるのである)」(詩七.18、九3、一八14)。
まず、創世記14章を見ますとケドルラオメル軍からソドムとゴモラの王は逃げています。ケドルラオメルの軍隊はソドムに住んでいたロトと財産も奪ったのでアブラムが軍隊を招集して戦闘に勝ったわけですが、
戦いに勝ったアブラムをソドムの王が迎えに来た事は当然ですが、18節からサレムの王メルキゼデクが唐突に登場し、聖書の舞台からはこれっきり姿を消します。
普通に読めば聖書のメッセージは、いと高き方(エリヨーン)、いと高き神(エル・エリヨーン)はヤハウェであり、カナンの地にもまことの神に仕える高潔な人物がいたという事は驚きですが、メルキゼデクが実在したカナンに住む人物だったのなら、天地の造り主である真の神に仕えていたからアブラムを祝福したのでしょう。
聖書では真の神、天地の造り主はヤハウェです。
しかし、メルキゼデクは神秘的な存在としても理解されており、単なるカナン人だとする解釈ひとつだけではありません。
メルキゼデクは「義の王」の意と解されています。(ヘブ7:2)
サレム(後のエルサレム)に真の神に仕える祭司がいた事になりますが、彼の名は、詩編110:4で引用され、さらに、ヘブル人への手紙の著書によってキリストの予表として示されています。そこでは、メルキゼデクがアブラムを祝福した事と、アブラムが彼に持ち物の十分の一を贈った事が強調されています。
メルキゼデクは神秘的な人物(ヘブ7:3)であり、彼がアブラムに現れた事はキリストの顕現に比較され、また彼がパンとぶどう酒を持ってきた事は聖餐式の象徴と解された事もあります。
つまり、系図もなく、旧約での他の箇所にもそれっきり出てもおらず、極めて不思議な神秘的な人物ですからキリストが仮の姿で現れたという見解もあるわけです。
てつてつさんとてつてつさんの信頼する山我さんはこのメルキゼデクを実在の人物としながら、聖書は後代の創作だとするわけです。
否定したい時だけ、実話とみなしてカナン人の拝んでいた別の神、エル・エリヨーンによってアブラハムが祝福されたと言うわけです。
しかしながら、メルキゼデクが文字通りのカナン人の場合であっても、元々はカナンはノアの孫ですから、エル・シャダイなる真の神ヤハウェがカナンの地にも、いと高き神(エル・エリヨーン)やエルとして伝わっていたものの、その後、変質して独自のエル神へと変わっていったと思われます。ウガリット神話へも妻や息子(バアル)のいるエル神へと誤って広がったと思われます。
創世記/ 09章 18節
「箱舟から出たノアの息子はセム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父である。 」
ですから、聖書の神が先であり、逆ではありません。
山我さんの本から他にも読んでみましょう。
P138〜
モーセの義父エトロは「ミディアン人の祭司」であったというが、どんな神に仕える祭司だったのであろうか。モーセが出エジプトに成功したことを聞いて、エトロは、モーセたちが滞在していた「神の山」に訪ねてくる。そこで犠牲をささげて祝宴が行われるが、その際に祭儀を司るのはモーセでもなく、イスラエルの祭司の祖先とされるその兄アロンでもなく、「ミディアン人の祭司」であるエトロなのである(出一八1-12)。この箇所では「神(エロヒーム)」の語が用いられているが(同12節)、犠性がヤハウェに捧げられたことは文脈上明白である。それゆえ、エトロはもともとヤハウェに仕える祭司だったのであり、ミディアン人の崇拝していた神ヤハウェが(モーセを介してかどうかは別として)イスラエルに伝えられた、という可能性を考えることができる。これは、ヤハウェのミディアン人起源説ないし単純化して「ミディアン人仮説」と呼ばれる。
創世記/ 25章 02節
「彼女はアブラハムに、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアを産んだ。 」
エトロはミデヤン人ですが、ミデヤンはアブラハムの子孫です。
アブラム(アブラハム)やその子孫であるミデヤンを認めながら、アブラハムの祖先のセム、ハム、ヤペテ、すなわちノアの息子やノアを認めないのはおかしな話ではないでしょうか。
エトロはヤハウェに仕える祭司ですから、つまり、かなり早い時期から聖書の人々は神ヤハウェを崇拝していたという事です。
モーセの義父については、異伝も存在する。別の箇所では、この義父はミディアン人ではあるが、「レウエル」という名前になっている(出ニ18、民一〇29)。ただし、士師記一章16節、四章11節によれば、モーセの義父はケニ人ないしカイン人で、「ホバブ」という名であった。ケニ人ないしカイン人も、パレスチナから見て南方を活動地とする遊牧的な集団で、後のイスラエルとの関係は友好的な場合(サム上一五6)と敵対的な場合(民二四21-22)があり、複雑であった。前述の「デボラの戦い」でイスラエルに敗北したハツォルの将軍シセラは、カイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込んで、彼女に殺された(士四17-22)。彼女の英雄的な行為は、「デボラの歌」の中で最大級に絶賛されている(士五24-27)。アダムとエバの息子の一人として有名なカインは、おそらくこのカイン人の名祖(一族の名のもととなった祖先)である。周知のように、現在ある物語では、カインは弟アベルを殺した人類史上最初の殺人者として極めて否定的な人物として描かれているが(創四1-16)、他方で彼はヤハウェの加護を受け、そのために特別な「しるし」を与えられていたともされる(同15節)。そこで、一部の研究者は、カインないしカイン人こそ最初のヤハウェ崇拝者だったのであり、後にそのヤハウェ信仰をお株をイスラエル人に奪われたのではないか、と推測する。これが「カイン人仮説」ないし「ケニ人仮説」と呼ばれるものである。ミディアン人もカイン人も、パレスチナ南部から北西アラビアまでを活動領域とする未定着の遊牧民ないし牧畜民であり、似たような生活環境にあった。ことによると、彼らの間に何らかの直接的な関係(一方が他方の一氏族であったというような)があったのかもしれない。ヤハウェは、もともと、この地方のさまざまな遊牧集団が共通して崇める神だった可能性もあり、その中の一部が後に北上して「イスラエル」に加わり、ヤハウェという神の崇拝を伝えたということも考えられる。ヤハウェが出エジプトの神であったということと、ヤハウェがパレスチナから見て南方の遊牧民、牧畜民に崇められていた地方的な神であったということは、相互に他を排除する仮定ではない。ここで考えておくべきは、実際にエジプトから脱出した集団は、おそらくは特定の閉鎖的な民族集団ではなく、エジプトで同じように奴隷的な生活を強いられていた、混成的な集団であったろうということである(出一二38)。多くは外国出身で、エジプト人としての正式の身分を持たず、建築活動などに従事していた下層階級の人々は、エジプトで「アピル」と呼ばれた。この語は音声学的には、青銅器時代の末期のカナンで不穏な動きをしていた「ハビル」(七五ページ)にほぼ対応し、「ヘブライ」という概念とも関連すると見られている。いずれにせよそれは、特定の民族集団に属さず、社会の下層にあって、通常の社会秩序の外で活動を行う――――あるいはそのような活動を強いられる――――人々を指す社会的な概念であった。出エジプト集団のうちに、もともとパレスチナ南部の牧畜民出身でエジプトに下り、そこで「アピル」になった人たちがおり、それが「出エジプト」に加わってエジプトを脱出した後、それを自分たちの伝来の神ヤハウェの救いの業と信じたという可能性が考えられてよい。たとえそうでなかったにせよ、出エジプト集団がエジプト脱出後、放浪を続けるうちにパレスチナ南部の荒野にいたヤハウェ崇拝者の牧羊民の集団と出会い、何らかの形でそれと合流し、統合したということがあったのかもしれない(民一〇29-32)。さまざまな可能性が考えられるが、それらを実証的に検証することはできない。前章の最初に記したように、牧羊民や遊牧民は碑文も考古学的痕跡も残さないからである
ここでは、山我さんはカイン人仮説を紹介しておられますが、カインの頃からヤハウェが崇拝されていた事を認めるなら聖書の通りなのです。
カインが一部の研究者の考えるように最初のヤハウェ崇拝者という事になるでしょうか。なりませんよね。アベルもいて、アダムとエバもその前にいたのですから。
このように、アブラハムの子孫のミデヤンとか、カインとか認めるとするならば、初期から人類がヤハウェに仕えていた事は否定できないのです。
創世記ではアベルが殺されたのでセトが代わりに与えられています。
創世記/ 04章 25節
アダムは、さらに妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けて言った。「カインがアベルを殺したので、神がその代わりに一人の子を私に授けられた。」
創世記/ 04章 26節
セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。その頃、人々は主の名を呼び始めた。
セトの時代から既にヤハウェの名が呼び求められていますので、後のイスラエル人となる人々がウガリト神話のエルを拝んでいたなどという事はありません。
山我さんのように、聖書のある部分だけ真実として、ある部分は否定もしくは、否定の為、自説を展開する為に史実として認めて肯定するというのは違うと思いますね。
後に見るように、ヤハウェはもともとパレスチナ南方の嵐の神であり、特定の集団に結び付いてこれを守り導く神であったが、それがやがてイスラエルの民族神、国家神となったと考えられる。これに対し、創世記一四章では「エル・エルョーン」が「天地の造り主」と呼ばれている。前に述べたように、ウガリトの神話でもエルは世界の創造神であった。「エル(・エルョーン)」と習合し、同一視されることによって、ヤハウェはやがて創造神としての属性を身に付け、より普遍的な意味と性格を持った神として観念されていくことになったのであろう。
自分は山我さんの説の方が真実味があるのではないかと思います
山我哲雄著『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』(筑摩書房)の第3章「ヤハウェという神」の「ヤハウェという神名」(p100~)より引用。
『日本で現在、よく用いられている「新共同訳」でも、神聖四字が地名の一部をなしている一箇所(創二二14の「ヤーウェ・イルェ」)を除外として、神聖四字は「主」の語で訳してある。名詞には通常、何らかの意味がある。例えば「アマテラス」という神名は、「天を照らす」という、この女神の太陽神としての特性を表している。ところが、「ヤハウェ」という神名の意味や語源については数多くの仮説があるが、定説はないというのが最も適切であろう。そもそも「ヤハウェ」という語はヘブライ語からはうまく説明できず、おそらくはヘブライ語起源ではない。一部の研究者はそれを古いアラビア語の「吹く」という動詞と関連させ、この神がもともと嵐の神であったことの名残であると論じ、別の学者はそれを古代シリア語の「落とす」という動詞と結び付け、この神はもともと「雷神」であったと主張するが、学識ある思いつき以上のものとはいえない。ただし、旧約聖書にはただ一箇所、この「ヤハウェ」という神名をヘブライ語から説明しているように読める箇所がある。それは、モーセが初めてヤハウェに出会い、イスラエルをエジプトから救い出すように命じられる、いわゆる「モーセの召命」の場面(出三章)に含まれる。(中略)新共同訳が「わたしはある。わたしはあるという者だ」と訳した原文は「エヒイェ・アシェル・エヒイェ(略)」で、「ある」の一人称の形「エヒイェ」が二つ、関係代名詞「アシェル」で結ばれている。英語に訳せば、そのまま「I am who I am.」となる。未完了という動詞の形は一般に、過去の一回的な行為や出来事ではなく、現在起こりつつある出来事や未来の行為を表すので、「I will be who I will be.」と訳す場合もある。最初の動詞を本質規定、二番目の動詞を存在規定と解して直訳すれば、「わたしは、『わたしは存在する』という者である」ないし「わたしは、『わたしは存在するだろう』ところの者であるだろう」となろう。いずれにせよ、謎めいていて神秘的な表現であることは確かである。』
聖書の神であるヤハウェをパレスチナ南方の嵐の神とするのはヤハウェを「雷神」であったと主張する一部の学者とどう違うのでしょうか。学識ある思いつき以上のものとはいえないと思います。
パレスチナ南方の嵐の神だったという証拠はなく、推論に過ぎないでしょう。
また、これまで見てきましたように、ウガリト神話のエルとヤハウェが同一視されたのではなく、どちらかというと逆の事、つまり、エル・シャダイなるいと高き神、真の神ヤハウェが誤って各地に伝わって変質したものがウガリト神話のエル神という事です。
山我さんの説には真実味はないと言えるでしょう。
オマケ
アマゾンのキンドル本 面白いほどよくわかるウガリット神話ウガリット という のは、 シリア の 西部、 地中 海岸 に 存在 し た 都市国家 です。 地理 的 に メソポタミア と エジプト から 見 て ほぼ 等距離 に あり、 両者 の 文明 を 取り込み、 独自 の 文化 を 発展 さ せ て い ます。
ウガリット の アルファベット は 子音 のみ を 表記 し、 母音 は 省略 する という 特殊 な 性質 を 持っ て い まし た。
その 神話 が、 現代 人 にとって も 非常 に 興味深い もの と なっ て いる のは、 ウガリット 神話 が「 聖書」 に 綴ら れ た 各種 エピソード の 源流 と なっ て いる から です。
ウガリット の 人々 にとって は、 どれ も これ も 皆「 神」 なの です が、 その うち の 一 柱 で ある「 イル」 は いわゆる アブラハム の 宗教( ユダヤ 教・キリスト 教・イスラーム) の 唯一 神 となり まし た。
ウガリット において イル よりも 人気 が 高かっ た 神 々 は ほとんど の 場合、 中世 以降 の キリスト教徒 によって「 悪魔」 とさ れ て い ます。
ウガリット の 神話 において、「 最高 神」「 すべて の 神 々 の 祖」 とさ れ て いる のが イル です。 「イル」 は ウガリット 読みで、 アブラハム の 宗教 を 創始 し た ヘブライ 人 の 言葉 では「 エル」 と 発音 し た よう です。 アブラハム の 宗教 において は、 ミカエル・ガブリエル・ラファエル など、 天使 たち に「~ エル」 という 名 を 持つ もの が 多い の です が、 これ は 神 の 名 で ある「 エル」 に 由来 する もの です。
イル は 多く の 粘土 板 文書 において「 最高 神」 だ とさ れ て いる の です が、 これ が 実は 曲者 です。 多く の 神話 において、「 最高 神」 は 必ずしも 神 々 の パンテオン の 中心 では なく、「 すべて の 神 々 の 祖」 とさ れる 神 の 起源 が 最も 古い とも 限ら ない の です。 むしろ「 すべて の 神 々 の 祖」 は、 後付 で 作ら れ た ケース が 非常 に 多い の です。
人々 が ひと ところ で 定住 生活 を 行う よう に なる と、 集団 の 結束 を 強める ため に 神 の 信仰 が 生まれ ます。 その 際 の 神 は 多く の 場合 単一 神 または 男女 一 組 の ペア です。 人々 の 生活 範囲 が 広がり、 ある 集団 が 他 の 集団 を 飲み込む よう に なる と、 それぞれ の 集団 が 信じ て い た 神 が「 実は 兄弟」「 実は 親子」「 実は 夫婦」 といった よう に 後付 で 関連付け られる よう になり ます。 これ が 繰り返さ れ、 神 々 の 親子 兄弟 関係 が 複雑 に なっ て くる と、 それら に 統一 性 を 持た せる ため「 すべて の 神 々 の 祖」 が 作り出さ れる よう に なる こと が 多い の です。
「最高 神」「 すべて の 神 々 の 祖」 は、 多く の 場合 太陽神 で あっ たり、 天 の 概念 化 で あっ たり し ます。
この 太陽 や 天 は、 誰 もが「 そりゃ いと 高き 存在 だろ う」 と 納得 できる もの です が、 ただ そこ に 存在 する だけで、 あまり 活発 に 活動 する もの では あり ませ ん。 その ため しばらく する と、 実質的 な 権威 は 天候 神 や 豊穣 神 に 移っ て しまう の です。
多く の 神話 において、 名目的 な 存在 に なっ た「 最高 神」 は、 老人 の 姿 で 表現 さ れ、 時に 老人 らしい 短慮 や 身体 能力 の 衰え を ネタ と し た 神話 が 追加 さ れ て しまっ ても い ます。 さて、 ウガリット の「 最高 神」 イル です が、 実は見事 なまでに この パターン に ハマっ て しまっ て いる の です。 イル は ウガリット における「 すべて の 神 々 の 父」 で あり、 神 々 の 会議 の 主催 者 で ある とさ れる の です が、 ウガリット の 人々 は どうやら イル よりも 豊穣 神 バアル の 方 をより 深く 信仰 し た よう です。「偏屈 で 嫉妬 心 の 強い 老人」 という イメージ は、 そのまま そっくり アブラハム の 宗教 の 唯一 神 ヤハウェ に 引き継が れ まし た。 「旧約聖書」 に 登場 する 神 は、 どう 解釈 し ても 純粋 な 正義 の 擬人化 では なく、 かなり 個人的 な 好き嫌い で 預言者 たち に 命令 を し、 また 人間 の 命 を 奪っ て い ます。 さらに、 聖書 の「 ヤハウェ」 と なっ た イル は、 自分 の こと を「 妬む 神 で ある」 と はっきり 語っ て いる の です。
この 文章 で 何度 も 取り上げ まし た が、 とにかく 古代 の ヘブライ 人 は、 ウガリット では 人気 の なかっ た 神 イル を 持ち上げ、 ウガリット で 人気 だっ た 神 バアル を 貶め まし た。 バアル だけで なく、 バアル と 仲 の 良かっ た アナト や アスタルト までも まとめ て 悪魔 に 落とし て しまっ て い ます。 古代 ヘブライ 人 が 残し た 文献・旧約聖書 を 聖典 と し た キリスト教徒 や ムスリム は、 かつて バアル が イル と 同等 以上 の 信仰 を 集め て い た 偉大 な 神 で あっ た という こと を 知ら ず、 聖書 における 否定的 な 記述 を まるごと 信じ込ん で、「 悪魔 バエル」 を 排斥 する よう になり まし た。
こうした 事態 を 引き起こし た 古代 ヘブライ 人 とは、 どういう 人々 だっ た の でしょ う。 「旧約聖書」 に よれ ば、 ヘブライ 人 は 元々 メソポタミア の 都市国家 ウル の 住民 で、 ウル から 現在 の イスラエル・パレスティナ の 地 で ある「 カナン」 に 移住 し た とさ れ て い ます。 その後 集団 で エジプト に 移住 し まし た が、 ファ ラオ の 圧政 を 逃れ て モー セ に 率い られ た 一団 が エジプト を 脱出 し、 再び カナン の 地 に 定住 し て 王国 を 築い た という こと に なっ て い ます。 しかし 実際 の ところ は、 カナン の 地 付近 を さまよっ て い た、 定住 地 を 持た ない 遊牧民 の 集団 で あっ た という のが ほぼ 定説 です。 定住 地 を 持た ない から、 一部 族 が エジプト に 集団 移住 する、 という こと も 可能 だっ た わけ です。
定住 し て いる 農耕 民 にとって、 何より 重要視 さ れる のは「 ほどほどに 雨 を 降ら せ 豊作 を もたらす 存在」 です。 バアル が まさに これ に 適合 し ます。 農耕 民 は、 寒い 冬 を 耐え抜き、 春 に 種 を 蒔い て 汗 を かき つつ これ を 育て、 秋 に 収穫 し ます。 無事 収穫 を 終え た 後、 彼ら は「 豊穣 の 神 に 感謝 を 捧げる」 という 口実 で、 年 に 一度 の ごちそう を 食べ、 酒 を 飲む という 大 宴会 を 催し ます。 多く の 記録 からは( 意図的 に?) 削除 さ れ て い ます が、 飲ん で 食っ た 後 には 乱交 パーティー と なる ケース が 頻繁 に あっ た と 考え られ て い ます。 農耕 の サイクル そのもの が 豊穣 神 の 死 と 再生 の 祭り なので、 人間 たち も 精一杯 交わっ て 再生( この場合 次 の 世代 の 製造) を 試みる という こと なの です。 これ は 単なる 性欲 の 解消 では なく、 宗教 儀式 的 な 意味 を 多分 に 持っ て い まし た。 その 年 の 収穫 が 多けれ ば、 向こう 一年 は 豊か に 暮らせる こと が 確定 する ので、 たくさん 子供 を 作っ ても 問題 なし、 という こと にもなり まし た。 ところが 同じ よう な こと を、 遊牧民 の 集団 で やる と 破綻 し ます。 家畜 は 生き物 です から、 ちょっと 疫病 が 流行っ たり、 肉食獣 に 襲わ れ たり する と する と バタバタ と 死ん で しまい ます。 つまり、 今 豊か でも その 豊か さが あと 一年 は 確実 に 続く と 保証 する こと は でき ない の です。
この 状況 で 大量 に 子供 を 作っ て しまっ たら どう なる でしょ う? 集団 そのもの が 成り立た なく なっ て しまい ます。 また、 遊牧民 は 家畜 の 繁殖 も しっかり と 管理 し ます。 家畜 の 数 が 増える という こと は 財産 が 増える という こと です が、 後先 考え ず に 増やし すぎ て しまう と 餌 に する 草 が 不足 し、 群れ 全体 が 飢え て 気 が つく と 以前 よりも「 財産」 が 減っ て しまっ た という こと にもなり かね ない の です。 とにかく 計画的 に もの ごと を 運ば ない と、 遊牧民 の 生活 は 成り立ち ませ ん。 こうした「 管理 と 規律」 が 重要視 さ れる 遊牧民 の 国家 では、 絶対的 な 権力 を 持ち、 かつ 人間的 な 要素(要素( 特に 肉体的 な 欲求) を あまり 持た ない 唯一 神 が 好ま れる よう になり ます。 ウガリット で 見捨て られ つつ あっ た「 去勢 さ れ た 老い た 神」 で ある イル が、 ヘブライ 人 の 中 で 唯一 神 として 尊ば れる よう に なっ た のは、 こうした 理由 による もの と 思わ れ ます。
という わけ で、「 規律」 を 重んじる 唯一 神 の 信者 たち は、 豊穣 神 を 祭る 定住 農耕 民 を「 不品行 だ」 と 罵る よう になり まし た。
面白い のは、 堅苦しい イル を 称える 宗教 から 分派 し た キリスト教 が、 バアル の 再来 とも 言え そう な「 豊穣 神」 を 信仰 の 対象 と し て いる こと でしょ う。 イエス・キリスト は「 死ん で 蘇る もの」 で ある 点 で 一種 の 豊穣 神 です。 その 肉 や 血 が パン や 葡萄酒 といった「 農耕 の 成果 物」 に なぞらえ られる ので、 もう 逃げ も 隠れ も でき ませ ん。
現在、「 アブラハム の 宗教」 の 信者 数 は、 キリスト教徒 21 億 人、 ムスリム 13 億 人、 ユダヤ 教徒 1500 万人 で、 合計 する と 約 34 億 人 ほど いる と 言わ れ て い ます。 これ だけ 多数 の 人々 が、 この 文章 で 説明 し た「 元 イル」 を 唯一 神 として 信仰 し て いる こと に なる の です。 ただ その「 元 イル」 が イル だっ た 時代、 彼 は 唯一 神 でも 絶対 神 でも あり ませ ん でし た。 他 に バアル を はじめ と する 多数 の 神 が い て、 イル は それら が 全体 として 構成 する パンテオン の 中 の 一部 を 担っ て い た のに 過ぎ なかっ た の です。
ウガリット の 神話 の 中 では バアル の 人気 に 押さ れ て い た イル です が、 その後 奇跡 の 大 逆転 を 果たし まし た。 今 では バアル は 一部 の オカルトマニア の 間 で のみ 知ら れる よう に なっ て いる の に対し、 イル の 方 は 世界中 の 教会 や 家庭 で、 朝夕 祈り が 捧げ られる 高み に 登っ て いる の です。 イル が 圧勝 し た 結果、 多く の 文書 が 聖書 視点、 つまり イル の 立場 から 書き換え られ まし た。 現在 に 伝わる バアル の 姿 は、 かなり 強く 歪ん だ「 イルフィルター」 を通して 見 られ た もの です。
こうした フィルター を 取り払っ て、 できるだけ 原像 に 近い バアル や イル を 再 構成 する と、 これ まで 見逃し て い た、 聖書 に 含ま れ て い た 意外 な 真実 を 発見 する こと が できる よう になり ます。 聖書 の 中 では 堕天使 として 描か れ て い た ルシフェル が、 元々 は イル の 息子 で あり、 おそらくは 一度 入っ たら 出 て こ れ ない 地獄 に 身代わり として 置き去り にさ れ た とか、 キリスト教徒 が 悪魔 として 口 を 極めて 罵倒 し て いる バエル が、「 キリスト」 の 原型 とも 考え られる 豊穣 神 で あっ た、 という こと などを 知る と、 なんだか 得 を し た よう な 気 に なれ ない でしょ う か。追伸
仰天さん>「カナン神話とヘブライ叙事詩」の中でも、エール・オーラームを「永遠の神」、エール・エリヨーンを「エール、いと高き者」または「いと高き神」としており、エリヨーンだけでは「至高者」、「いと高き者」です。101ページ
そのあたりみると 断定的なことは書いてないと思います
このような名称の多くは、言語学的に見て、一つ以上の解釈の可能性を持っている。***をエールの固有名とも「神」の総称とも解することができよう
たとえば、***は「神オーラーム」、あるいは「永遠の神」(「いにしえの神」)と解することができる。また、***という名称を「神エリョーン」あるいは、「エール、いと高き者」ないし、おそらく、「いと高き神」を意味するものと理解できるであろう。
「神オーラーム」を「永遠の神」、「神エリヨーン」を「エール、いと高き者」または、「いと高き神」と訳せるのであれば、誰かが言うように「エル・エロへー・イスラエル」をヘブライ語文法的に「イスラエルの神エル」としか訳せないという発言は明らかにデマになります。(自分で紹介した本で自爆とは滑稽な人ですけど)
「イスラエルの神である神」、「イスラエルの神なる神」、「イスラエルの神は強い」とも訳せますので。
エル(神)はウガリット起源ではなく聖書の伝える真の万物の創造者起源である事は既に見てきました。
「カナン の 地 付近 を さまよっ て い た、 定住 地 を 持た ない 遊牧民 の 集団」 だったのなら、カナンの地にイスラエルという意識ができた、前1200年頃から急激に人口が増加してカナンと異なる文化が形成された説明がつきません。
後付けで、「 実は 兄弟」「 実は 親子」「 実は 夫婦」という神々が形成されたのであれば、最初は一神教で、多神教世界は後から考案されたのです。聖書の神は、父、子、聖霊なる御三方がおられますが本質は同質であられ、それ故におひとり、唯一の方です。
ウガリト神話の神々は真の神が間違って伝わって改変(改悪)された偽りの神々に過ぎません。
真の神を模倣して偽りの神々を人間が作り出したのですから、類似点があるのも当然だと思います。
また、バアルをキリストの原型とするのはこれまた安易な考えでしょう。
豊穣神の再生のイメージをキリストの復活と関連付けるのはJWもよく用いる手法ですが、※ 豊穣神の場合はどちらかといえば、輪廻に近く、イエスの復活とはまるで別物なのです。
無理なこじつけだと言えるでしょう。
また、聖書の神は、妻である女神との生殖によらずとも父なる神から生まれた存在(造られたバーラーではなく、得ていたカーナー)である独り子なる神、イエスを伝えています。
ヨハネによる福音書/ 14章 09節
イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。」
聖書の神様はウガリト神話や他の地方の神々とは全く別物であり無関係です。
山我さんの説には説得力がありません。
それに、てつてつさんの主張、申命記はだいぶ後にでっち上げられたとか、ダビデによるイスラエル統一王国はなかったという見解も既に示してきましたように無理があると思います。
申命記のある部分は初期のイスラエルの宗教観を表す古いものとしながら他の申命記の箇所は作り話とするのは、一貫性がないと思います。
懐疑的な人々の出す『仮説』というものは何の証明もされていない憶測に過ぎません。
遊牧民シャスについてです。
「初期のイスラエル人はこのシャスのグループに属していたとする学者たちもいる。その理由は、シャスの一部がヤコブのようにエジプトへ移住したこと、シャスの地はエジプト文書で「ヤフー」と呼ばれることもあり、イスラエルの神名のくずれた形だと考えられることなどである。後期青銅器時代のカナンの小作農共同体からイスラエルが出現したというメンデンホールやゴットワルトの説が人気を博している。考古学的には、このような説は証明することも否定することもできない。」
『聖書の世界の考古学』A・マザール著 P383
ヤフーと読むかも定かではなく神聖四文字のうち三文字しか合っていません。
それ故、イスラエルにとってヤハウェは外来の神であると断言する件の人物こそ証明もないデマゴーグなのです。
#2237 2021年03月20日 18:00:45
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
>それゆえ、エトロはもともとヤハウェに仕える祭司だったのであり、ミディアン人の崇拝していた神ヤハウェが(モーセを介してかどうかは別として)イスラエルに伝えられた、という可能性を考えることができる。
>創世記/ 25章 02節
「彼女はアブラハムに、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアを産んだ。 」
という事は、山我さんは、聖書の言っている事は間違ってはいないと主張していますね。
学者さんも矛盾してますな~
シナイ山という名は月神シンから来ているという話ですから、ミディアン人のエトロが
拝んでいたのはてっきり月神だと思っていました。
シュワイミス
ラクダが大量に飼われている壁画っぽいですが、いつの時代かは不明です。
#2238 2021年03月20日 18:42:59
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
http://www2.ngu.ac.jp/uri/jinbun/pdf/ji … 402_05.pdf
「ユーラシア大陸におけるラクダ科動物の家畜化」
こちらのpdfによるとラクダの飼育はエジプト先王朝時代には、エジプトと
アラビア半島で行われていたようです。
ナショジオ(2014年)によれば地中海東岸部で飼育が始まったのは
紀元前10世紀頃らしいですが。
ラクダが気候にあっていなければ定着しなかったと思います。
こうして見てみると現イスラエルはラクダのイメージが無いですね。
アブラハムはサウジからシナイ半島辺りの人だったのかな。
#2239 2021年03月20日 19:08:43
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
創世記/ 12章 15節
ファラオの高官も彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めそやした。そこでサライはファラオの宮廷に召し入れられた。
創世記/ 12章 16節
彼女のお陰でアブラムは手厚くもてなされ、羊と牛に雄ろば、男女の奴隷に雌ろば、そしてらくだなどを得た。
アブラムはファラオからラクダを得ていますからね。
エジプトでラクダが家畜化されていたなら当然あり得る話だと思います。
地中海東岸部でその時はまだラクダの家畜化は一般的でなくても、エジプトから数頭持ってきただけなら古い骨も見つかりにくいかもしれないですが、アブラハムの時代に家畜化されたラクダがいなかったわけではないと思います。
そして、アブラハムの時代からだいぶ経ってからその地でラクダの家畜化が一般的に広がったと見るのが自然だと思います。
#2240 2021年03月20日 19:10:55
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
http://www2.ngu.ac.jp/uri/jinbun/pdf/ji … 402_05.pdf
「ユーラシア大陸におけるラクダ科動物の家畜化」
こちらのpdfによるとラクダの飼育はエジプト先王朝時代には、エジプトと
アラビア半島で行われていたようです。
ナショジオ(2014年)によれば地中海東岸部で飼育が始まったのは
紀元前10世紀頃らしいですが。
ラクダが気候にあっていなければ定着しなかったと思います。
こうして見てみると現イスラエルはラクダのイメージが無いですね。
アブラハムはサウジからシナイ半島辺りの人だったのかな。
#2241 2021年03月20日 19:11:56
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
同じ物を2回投稿して失礼しました。
#2242 2021年03月20日 19:31:31
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
明らかに、「いと高き方」や「いと高き神」はヤハウェです。
マルコによる福音書/ 05章 07節
「いと高き神の子イエス、構わないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい」と大声で叫んだ。
ルカによる福音書/ 01章 32節
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる。
ルカによる福音書/ 01章 35節
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
ルカによる福音書/ 01章 76節
幼子よ、あなたはいと高き方の預言者と呼ばれる。/主に先立って行き、その道を備え
ルカによる福音書/ 02章 14節
「いと高き所には栄光、神にあれ/地には平和、御心に適う人にあれ。」
ルカによる福音書/ 06章 35節
しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
ルカによる福音書/ 08章 28節
イエスを見ると、叫んでひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、構わないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」
ルカによる福音書/ 19章 38節
「主の名によって来られる王に/祝福があるように。/天には平和/いと高き所には栄光があるように。」
使徒言行録/ 07章 48節
けれども、いと高き方は人の手で造ったものにはお住みになりません。預言者が言っているとおりです。
使徒言行録/ 16章 17節
彼女は、パウロや私たちの後ろに付いて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
#2243 2021年03月20日 20:09:14
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
追伸
「最高 神」「 すべて の 神 々 の 祖」 は、 多く の 場合 太陽神 で あっ たり、 天 の 概念 化 で あっ たり し ます。
この 太陽 や 天 は、 誰 もが「 そりゃ いと 高き 存在 だろ う」 と 納得 できる もの です が、 ただ そこ に 存在 する だけで、 あまり 活発 に 活動 する もの では あり ませ ん。 その ため しばらく する と、 実質的 な 権威 は 天候 神 や 豊穣 神 に 移っ て しまう の です。
それは他の神話の架空の偽りの神の場合です。
聖書は太陽を含む天の万象を拝むことを禁じており、単に高い所にある太陽が神というような発想ではありません。
申命記/ 04章 19節
「また、目を天に向け、太陽や月、星などの天の万象を見て、それらに惑わされ、ひれ伏し、仕えないようにしなさい。それらは、あなたの神、主が、天の下のすべての民に分け与えられたものである。 」
聖書の神は、自然法則でも宇宙でもなくて、実際に人に語りかけて契約を結ぶ神様です。
活動しない神ではないでしょう。
マイモニデスは批評学の走りのような存在ですが、それでも聖書の神は信じてます。
色々な意見もあるとは思うのですが、語りかける神を観念的なもの、哲学的なものと見るのは私は違うような気がします。(違う意見の人にはすみませんm(._.)m )
私も哲学の本も昔はよく読んだのですが、深入りしても答えにはたどり着かずに、なんとなくわかったような気になる程度になる場合もありますから、よく考えてみる必要があるでしょう。
ちょっと厳しい聖句ですけど、一応挙げときます。
コロサイの信徒への手紙/ 02章 08節
「空しいだまし事の哲学によって、人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、人間の言い伝えに基づくもの、この世のもろもろの霊力に基づくものであり、キリストに基づくものではありません。 」
ものみの塔の束縛から逃れて自由に聖書を解釈したり調べたりできるのはいい事ですね。
ですが、極端にリベラルに批判的になってしまうと危険もあると思います。
あなたが、自由主義神学の人たちと同じように考えているとして、例えばですが、タイムマシンに乗ってエデンの園に行ったとします。
そこで、善悪を決めるのは神ではなく自分だと自由に解釈して、善悪の知識の木から取って食べますから、永遠の命を失ってエデンの園から追放される事になります。
そのようなわけで、神の主権を認めずに自分を神とするなら危険だと思います。
もちろん、聖書が真実かどうか調べる点である程度は批判的に調べる事は大事ですし、トマスのように疑い深いクリスチャンもいるのですから、疑問に思ったり、調べるのは大切だと思いますね。
自由主義神学の人たち、批判的研究の学者とされる人々の見解は証明されておらず、後の発見によって聖書の記述の確かさが証明されたほうが多いのではないでしょうか。
そのようなわけで、リベラルな学者の説は信用出来ず、神の霊感による聖書、神に仕えた人々の証言のほうを私は信用しますね。
自由主義神学の人たちの解釈には説得力がないと思います。
#2244 2021年03月21日 01:19:20
- YN
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
わたしがエバだったら、
エデンがつまらないと思うから
木の実食べてたわ。
事実サタンの世のほうが
刺激的で楽しいし。
平和は退屈ー
#2245 2021年03月21日 05:32:53
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
①武田の騎馬隊がシマウマに乗ってたらコメディー映画確定ですが
なんでだろサラブレッドならば、許せますよね
②タイムマシンって架空の場所にも連れて行ってくれるみたいですね
ムー アトランティスから 竜宮城や鬼ヶ島まで
『お客様は神様』『旅の恥は掻き捨て』なんて言葉もありますが
郷に入っては郷に従えです
ちなみにエデンのドレスコードは全裸ですからね
③新自由主義者達が全裸で林檎に群がる美しい姿
生きてる日々そのものが生きてる意味ですよね
#2246 2021年03月21日 07:39:52
- てつてつ
- メンバー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
長谷川さん 旧約聖書戦いの書
77ページ
旧約聖書の幾つかのテクストは、ヤハウェが後からパレスチナにやってきた「新参者」であった可能性を示す。まずは申命記の、モーセの臨終の言葉から見てみよう。
主〔ヤハウェ〕はシナイから来られ
セイルから彼らのために輝き昇り
パランの山から光を放つ。(申命記三三章二節)
「シナイ」、「セイル」、「パラン」はそれぞれ、パレスチナの南もしくは南西に位置する地名である(創世記一四章六節)。ここでも各行に同義の言葉が並置されている。似たような地名は、士師記にも見られる。士師記の中には、先住民との戦いにイスラエルの人々が勝利した時に、当時の士師デボラとバラクが歌ったとされる歌が収められている。基本的には勝利をもたらしたヤハウェを讃える歌なのだが、そのヤハウェの出自を暗示していると思われる部分がある。
主〔ヤハウェ〕よ、あなたがセイルから
エドムの野から進み出られたとき
地は震え、天も雲も水を滴らせた。
山々は揺れ動いた。
主〔ヤハウェ〕、シナイの神の前に
主〔ヤハウェ〕、イスラエルの神の前に。(士師記五章四〜五節)
「エドム」もまた、パレスチナ南部の地名で、セイルやパランと関連している(創世記一二章一二節)。この歌は、旧約聖書の中でも古い詩歌だというのが通説となっている。またハバクク書三章三節にも「神はテマンから、聖なる方はパランの山から来られる」という表現がある。テマンもまたエドムなど南方と関係がある。これらパレスチナ南部の人々は、古代においては牧畜を営んだり、交易に携わったりしていた。これらの記述からは、ヤハウェはパレスチナ南方の山にその住まいがあり、そこから姿を現した、という情景が思い浮かぶ。アラビア半島の西部には火山が点在していることから、古代におけるそうした火山の噴火の記憶に神の顕現という超常現象が重ね合わさって伝承となったのかもしれない。交易などで広範囲に移動していた人々の間にこうした伝承が伝わっていたと考えると、ヤハウェの南方起源説は十分あり得るのではないだろうか。
山我さんも 一神教の起源の135ページあたりから 同じようなことを書いてますね
編集者 てつてつ (2021年03月21日 12:27:27)
オフライン
#2247 2021年03月21日 08:38:29
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
聖書を哲学の書と見る事は問題ないと思いますよ。ヨブも自問自答の末に神の存在に
ついて考えを改め直し、それが立ち直るきっかけになったようです。
それでなるほどと感心したのが、「因果」なんですが、ヨブはこの世の理について
理解し、形あるものは地に帰るのが常であり、その因果について知る事は人の知恵の及ばぬ
ところであると悟ったのですが、イエスはここにさらに追加したのではないかと思います。
「だから形なきもの、地から採られない愛は不滅である」
という事なのかと。
という聖書の流れを考えれば、旧約からの新約への移行は当然であり、イエスがさらにもうひとつ
高次元の愛について説くために降臨したという事に繋がると思います。
むしろ私のように読む人間は素直だと思いますね。聖書に誘導されているなと・・^^
#2248 2021年03月21日 08:43:25
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
てつてつさん
モーセに対してヤハウェがシナイ半島南部のシナイ山(またはホレブ)で現れた事は、全能の神が南方起源という事にはならないのです。
出エジプト記/ 03章 06節
さらに言われた。「私はあなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは顔を隠した。神を見るのを恐れたからである。
出エジプト記/ 03章 16節
あなたは行って、イスラエルの長老たちを集めて言いなさい。『あなたがたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主(YHWH)が私に現れてこう言われました。私はあなたがたを顧み、エジプトであなたがたになされたことを確かに見た。
エジプトにいるイスラエルにとって父祖の神は遠い存在でしかないですが、ヤハウェご自身は、イスラエルの父祖の神であると名乗っておられます。
イスラエルをエジプトから救い出す神は、かつてアブラハム、イサク、ヤコブに現れて彼らと契約を結ばれた神と同一の神である事が示されています。
モーセもそれを理解し、長い年月の隔たりを越えて顕現した神を深い畏れをもって拝しています。
南方起源説をとる『学者』というものは人間の教えを語っているのです。
てつてつさんは、進化論を否定し、『真実』を知りたいとして、聖書は否定しながら何らかの『神』をなんとなく信じているようですが、人間の教えを信じているのです。それは真理からは程遠いものです。
マタイによる福音書/ 15章 8、9節
「この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。
人間の戒めを教えとして教え、/むなしくわたしをあがめている。」
#2249 2021年03月24日 07:14:01
- てつてつ
- メンバー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
長谷川さんの 旧約聖書戦いの書 92ページあたりから読んでて興味深いなと思った点
当時の王ヒゼキャは、エルサレムをアッシリア軍に攻囲され、センナヶリブの碑文の言葉を借りれば「籠の中の烏」の状態に陥ったという。ヒゼキャが多大な賠償金を支払ったことで、センナヶリブはエルサレムを征服せずにアッシリアに帰還した。他方、列王記は、アッシリア軍の引き揚げた原因を次のように記す。
その夜、主の使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が朝早く起きてみると、皆死体となっていた。(列王記下一九章三五節)
この記述の信渥性については懐疑的な意見が多い。そもそもいくらアッシリア帝国とはいえ、一八万五○○○人もの兵士を当時動員できたかどうかは甚だ怪しい。そして当然ながら「主の使い」、すなわち天使が一夜にしてそれだけの兵士を殺害したというのは荒唐無稽としか言いようがない。
...同時に、滅亡した北王国から、同じ言葉を話し、同じ神を崇拝する姉妹国であった南王国へと「難民化」した人々が殺到しても不思議ではない.エルサレム周辺の急激な都市域拡大と人口増加の背景をこの仮説がよく説明してくれるように思われる。この出来事が生じたのがヒゼキャ王の治世であった。この出来事を、Ⅱ章の「「歴史的イスラエル」誕生の背景」のところで触れた、集団が「共通の過去の物語」を必要とする契機の一つとして捉えることはできないだろうか。統一王国時代というものが仮にあったとしても、それが分裂してから北王国が滅びるまでに二○○年余りの年月が経過している。その間も交流はあったにせよ、とりわけ異なる王家に仕えるエリート層たちの問では、それぞれの王国の王権を正統化するイデオロギーが支配していたことだろう。それぞれの王国に伝わっていた古い伝承もそのような観点から何らかの変化を受け、保存されていたことが想像される。
北王国からの住民が流入し、彼らが南王国の人々と新たな一つの集団を形成しようとする時、それまで別個に伝わっていた伝承を整理し、融合させ、「共通の過去の物語」創生する必要があったのではないだろうか
列王記は明らかに南王国の視点から記述されている。北王国の王はそのほとんどが背教者で悪人扱いされる。しかし、列王記の中には、北王国についての詳細な情報や北王国を起源とすると思われる預言者伝承などが多分に含まれているのである。また、ホセァ書やアモス書などといった「預言者」に含まれる預言者の書物には、北王国で活動していた預言者の言行を記した書物もある。当時の南王国の人々に、それらを記録し、伝えていく必要があったとは考えにくい。
こうした「共通の過去の物語」創生の過程において、統一王国時代の伝承は欠くべからざるものとなったであろう。自分たちの祖先の時代には、北も南もなく、一人の王を戴いていた時代があり、その時代は大変繁栄していたのだ、という物語である。自分たちが一致団結すれば、かっての栄光を取り戻すことも可能だ、という使信さえ読み取れるかもしれない。
編集者 てつてつ (2021年03月24日 08:56:53)
オフライン
#2250 2021年03月24日 08:11:25
- 金閣炎上
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
議論の最中に飛び入りをしてもいいだろうか。自分はこのサイトの会員の若人の集まりの議論に加わるのは場違いであろうと自覚しているが、仰天君の返答には興味を抱いて拝聴している。今回のてつてつ君の言い分にも大変感銘を受けている。自分は三島由紀夫を研究し始めてまだいくばくもないが、一読するにここのサイトの会員は聖書を好きなのかそれか嫌いになりたいのかと逡巡するところだ。年寄りの説法など聞きたくもなかろうからここで終えよう。議論を続けてくれたまえ。食後の一服にちょうどいい。仰天君失敬した。