#26 2016年11月08日 20:51:16
- akame
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
カレブさん
ざっくり調べました。
霊長類の例がありましたが、
生涯中に新しい言葉を取得(聞き分け)しても、発声的制限等で次世代には伝えられないようです。
やはり舌骨等の構造からネアンデルタール人以前の祖先?は原生人類の多彩な発声に対応していないようです。
http://www.l.chiba-u.ac.jp/download/1055/file.pdf
また言語学者のチャムスキーは
「言語能力はヒトの生得的な能力であり、それは言語の利用を可能にする生理的器官を有しているからである」
と述べています。
http://mec.gr.jp/vsm/pdf/01chmsky.pdf
私は原生人類の言語(発声等)能力は突如発生した、可能性が高いと考えます。
#27 2016年11月08日 21:00:34
- akame
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
>インフルエンザ ウイルスは
どのようにして出来上がったとお考えですか?
私は進化論を白黒判断していませんから、進化で良いと思います。
#28 2016年11月08日 21:48:20
- カレブ
- Administrator
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
akame さん
>私は原生人類の言語(発声等)能力は突如発生した、可能性が高いと考えます。
>インフルエンザ ウイルス・・・進化で良いと思います。
akame さんのスタンスはなんとなくわかりました。
「2001年宇宙の旅」の最初の場面みたいな感じですよね。
創世記通りではないが、人類に関しては何らかの知的存在の関与があったと。
そのような想定を否定する確たる証拠はありません。
てつてつさん
進化論を否定した場合、
インフルエンザウイルスが「どのように」できたかは説明できません。
インフルエンザウイルスは
どのように進化したかを分子レベルで見ることができています。
http://www.riken.jp/pr/press/2011/20110426/
とりあえず てつてつさんも
akame さんと同じように
一部は進化論の正しさを認めるが、
少なくとも人間だけは進化していない
あるいは神から与えられた能力に依存している
という考えでしょうか?
1人間の赤ちゃんだけが言語を習得する能力がある
2それは幼児期に親との密接な関係により機能する
3幼児期をすぎると言語を取得する機能が停止してできなくなる
が 事実であるなら この条件が満たされるのは ちゃんとした言語を話せる男女「赤ちゃんは男女の性交 妊娠がないと生まれない」により母親が出産しその子を授乳などの過程を通して話しかけ親との密接な関係の中で1-2歳くらいまでに言語を取得する つまり普通に現在私たちが目にする姿です
で つまりちゃんとした言語を話せる男女の両親 と 言語取得能力のある子供 のセットが最初からそろっていないと 物事がスタートしないわけではないかとおもいます それでこの状態は進化論的には説明がつかないと思います
上記の部分ですが
すみませんが、言葉の意味がわかりません。
もう少し説明していただけますか?
特にわたしがマーキングした部分を
てつてつさんは肯定しているのですか?否定しているのですか?
オフライン
#29 2016年11月08日 23:24:58
- KAO
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
おわ~っ!!
てつてつさん、ご招待は嬉しいですが、この時間から参加しようとしても、とてもついて行けませ~ん・・・
「言語」の問題は、神学・生物学の問題というよりは、学校の先生になる人が教職課程で必ず学ばされる「野生児」の問題ですね。
幼児期に捨てられて森の中で動物に育てられたという子どもや、虐待で監禁され、人格的コミュニケーションを絶たれた状態で育ってしまった子どもたちは言語の習得が困難だという事例です。ここでは書ききれませんが、それらの観察事例には、今日様々な問題が指摘されています。
あと、「哺乳類」の中における「人間」の特異性については、アドルフ・ポルトマン「人間はどこまで動物か」岩波新書が大変有益です。
#30 2016年11月09日 01:34:18
- カレブ
- Administrator
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
てつてつさんの一部返信がまだのところですが
ほかの点についても答えたいと思います。
いちおう 神は妄想 利己的な遺伝子 盲目の時計職人 などの本のことかと思いますが 内容はほとんどわすれてしまったのですがいちおうざっと読んだことがあります 確かにカレブさんの
小進化は富士山の登山でいうなら登山道の1段です。
1段を踏むのに1万年かかったとしても、100万年あれば
かなりの高さまで登ります。みたいなことは書いてあったと思いますが 自分は違うと思います
一例 生命は宇宙から来た ホイルとウイックラマシンジ60ページしかし、問題はおよそ二○○○種類という酵素の数である。そのすべてのアミノ酸が同時に正しく並ぶ確率はとなると、一○の二○乗を二○○○回かけ合わせた数につき一回、つまり一○の四万乗分の一という数字になる。これは果てしなくゼロに近い数である。こうまで小さな確率になると、たとえ宇宙全体が有機物質のスープに満たされていたとしても、とても追いつかない。生命は地球上で誕生したのだという先入観ないし科学的常識にとらわれないかぎり、この単純な計算一つからも、”偶然〃に生命を託すことの無謀さがわかるのである
とあります
てつてつさん
一つ てつてつさんが誤解している点を指摘します。
まず天文学者のフレッド・ホイルの意見についてですが、
これはあくまでも最初の単純なタンパク質が自然に形成される確率を
独自の確率論で説いたものです。
もちろん、彼の確率論については一般の生物学者は賛同していません。
フレッド・ホイルは天文学者としての権威者の立場があるので
「確率」の算定に関しては一般に認められるものではないものの
創造論側の主張にはかなり用いられる結果になっています。
フレッド・ホイルの本は「evolution from space」というタイトルが示している通り、進化論そのものの理論を否定するよりも、最初のアミノ酸の合成に至る確率について疑問を投げかけているのではないかと思いました。一方、進化論は てつてつさんが引用された酵素が偶然できる確率の問題とは異なる分野の話になります。ホイル氏が進化が実際に起きてきた事実であることを否定しているとは思えないのですが、あの本の中では何か進化を否定するような内容が出ているのでしょうか?
「evolution from space」だけで判断すると、「進化はすでに宇宙全体で起きていた」というような特殊な主張なのかなと受け取れます。
ということで前に進むために確認しておきますが
わたしが「小進化は富士山の登山でいうなら登山道の1段です」と述べた点を
フレッド・ホイルが否定しているわけではないのは理解していただけましたか?
最初の生命体ができた過程はなぞの部分が多いのですが、
それに対して「進化論」自体は様々な分野で立証されてきた理論です。
この違いを理解できていないと
誤解したまま進むと思います。
オフライン
#31 2016年11月09日 01:55:23
- iris
- メンバー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
「言語」の問題は、神学・生物学の問題というよりは、学校の先生になる人が教職課程で必ず学ばされる「野生児」の問題ですね。
正確に言えば、「言語」の問題が「野生児」の問題なのではなくて、てつてつさんの発言の
1人間の赤ちゃんだけが言語を習得する能力がある
2それは幼児期に親との密接な関係により機能する
3幼児期をすぎると言語を取得する機能が停止してできなくなる
が「野生児」の例を前提とした考えであるということですよね。
KAOさん御指摘の通り、「野生児」は言語だけが問題なのではありません。
また、人間の新生児は音声を発するための器官だけでなく、手足さえも、思い通りに動かすことが
できません。発達が進むにつれて、徐々に自分の身体を操れるようになるのです。
言語の発達も、その他の発達と切り離して考えることはできません。
編集者 iris (2016年11月09日 01:57:59)
オフライン
#32 2016年11月09日 06:25:49
- てつてつ
- メンバー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
カレブさん こんにちは
とりあえず てつてつさんもakame さんと同じように
一部は進化論の正しさを認めるが、少なくとも人間だけは進化していない
あるいは神から与えられた能力に依存しているという考えでしょうか?
akame さんはわかりませんが 自分は生物は進化していない 最初に完成した形で登場して埋め込まれた遺伝子の範囲内でいろいろな大きさ形のものが現れているだけだと思います ただ自分は進化論そのものをカレブさんと議論しようとするつもりではなく これは天才といわれる科学者たちが世界中で最高の施設や機械をつかって調べて激論しておりまだ結論の出ていないものなので「カレブさんは結論がでていると思いますが」 最終的にはこれこれにより自分はこちらの方を現時点では信じるという形にしか納まらないと思います
ただ最初の方でも述べたように赤ちゃんが言語を取得する過程を通して進化よりも創造を信じたほうが合理的 確率が高い と自分は感じたというだけのことです
ちゃんとした言語を話せる男女の両親 と 言語取得能力のある子供 のセットが最初からそろっていないと 物事がスタートしないわけではないかとおもいます
ちょっと言い方が分かりにくかったですかね 他のうまい言い方があまり思いつかないのですが 肯定しています
ホイルとウイックラマシンジの本の記述についてはかれらは地球上では進化はありえなかったと述べていると思いますが創造論ではなく宇宙で進化したか出来上がったかした生物の種が地球に来て育った的な言い方をしていたとおもいます
irisさん書き込みありがとうございます
「野生児」の例を前提とした考えであるということですよね
ちょっと意味が不明瞭なのですが
1人間の赤ちゃんだけが言語を習得する能力がある
2それは幼児期に親との密接な関係により機能する
3幼児期をすぎると言語を取得する機能が停止してできなくなる
は 全ての人間の赤ちゃんに当てはまると思いますが
KAOさん アドルフ・ポルトマン「人間はどこまで動物か」教えていただきありがとうございます アマゾンで1円と送料でしたとりあえずぽちりましたまた読んでみます
編集者 てつてつ (2016年11月09日 07:32:30)
オフライン
#35 2016年11月09日 08:25:54
- ラハム
- メンバー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
ラハムさん
命という原動力が存在するようになったいきさつが
不明であれば、
わたしたち人間も存在できなかったのではありませんか。これはどういう意味でしょうか?
返事が遅れてすみません、寝てしまいました。
わたしは命というのか生命がどのように発生したかについて
考えてみたかったのです。命あるいは生命がなければ
生物そのものも存在できなかったような気がします。
生きて成長することができないからです。
生物が存在できなかったのであれば、
人間になりうる生物に進化あるいは変化があって、
現在の人間にまで到達できなかったのではないでしょうか。
ちょっと考えが混乱してうまく説明できません。
すみません…。
でも、カレブさんが言われるようにここのトピックとは
別問題のようですので、わたしの発言は取り下げます。
生命の発生のほうがもっと難しそうです。
オフライン
#37 2016年11月09日 12:15:02
- ルート
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
単細胞生物から多細胞生物になったのって、凄い。
我々人間の細胞は、1人につきおよそ60兆個。細胞は入れ替わり、ホメオスタシス。身体は膨張し続けるわけじゃない。
性淘汰、子孫を残すからって、夫婦2人の人間から一人っ子、子沢山もいるから、相殺されてる。
人間の言語野、これだけは、明らかに特殊。
人間がゴリラに言葉と手話を教えてコミュニケーションが取れるようになっても、そのゴリラが他のゴリラに言葉や手話をみせても、教えられたゴリラが教えたゴリラと同等なコミュニケーションを取れるようにはならない。
一頭一世代限りで終了してしまう。
創造論も進化論も人間だけが、考える。
人間がいなければ、創造論も進化論も存在しない。
そして、創造か進化かの調査の一番ネックになっているのは、他でもない、考える葦である我々人間の存在そのもの。
日光猿軍団。猿が猿に芸を教えてるの、聞いたことない。もしそれが可能なら、校長1人で充分、一頭仕込んで後は任せて高楊枝。
#38 2016年11月09日 12:50:24
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
考えてみると『卵が先か鶏が先か』にはならないような気がします
幼少期に獲得し損ねた言語能力というのは、どの程度なのかによりますが・・・
単純な数音の真似すら出来ないということなのでしたら困ってしまいますが。
原始時代に自分が生きていたとします
人生を巧くやっていく技術として泣き真似や、作り笑い、痛いふりはするでしょうね。
狩りに行くのをさぼりたいときはジェスチャーで仮病も使うでしょう
赤ちゃんが泣いていれば面白い顔をしたり
遠くから狼の遠吠えが聞こえたら、真似してみたり
皆で焚き火を囲んだら、たとえ歌詞に意味がないとしても踊ったり歌を歌いたくなりませんかね
踊り狂って調子に乗って火を触ったとき、無言ではいられないでしょ『・、♯#:、!』
おじいちゃんは『熱い』という言葉を発明して死んで
お父さんは『熱い』という言葉を覚えて、さらに『臭い』という言葉を発明し
子供は『熱い』『臭い』を覚えて、さらに『怖い』という言葉を発明して……
意外とすんなりいける気がしますが
#39 2016年11月09日 13:21:12
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
進化と創造の本では、聖書の神が地球発展のプロセスに直接干渉した聖書外の肯定的証拠ではなく、進化など「ありえない」から、という確率論による「偶然の否定」ばかりです。
以前にakameさんがリンクしたビッグバウンス理論や永久インフレーションなど、「現在この宇宙の138億年」は観察可能な始まりを指すだけで、この宇宙とは異なる物理法則をランダムに備えて、膨張と収縮を繰り返す他の宇宙も存在する可能性が研究されています。
無限を反証できないなら、打製石器と磨製石器の中間あたりで神がモノリスみたいなやつを送って原人の個体に魂(知性など)を宿らせた、という主張を反証できないように、確率は意味を持ちません。膨大な時間の経過と生成される星の数という宇宙レベルで見るなら、狭い世界の常識では「ありえないように思える」ことでも、この地球で起きたことは希少な偶然でもあり、「どこか」で起きるであろう必然でもある、と考える人もいます(自分)。
#40 2016年11月09日 13:40:32
- カレブ
- Administrator
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
なかなか一問一答のように発展性をもたせた流れにならないのが残念ですが
てつてつさんが言われた
「ちゃんとした言語を話せる男女の両親 と 言語取得能力のある子供 のセットが最初からそろっていないと 物事がスタートしない」
というのは明らかな間違いです。
「ちゃんとした」というのが何を意味するのかですが
99%のちゃんとした言語を話せる親と
99%の言語習得能力のある子供がいれば
99%のちゃんとした言語を話せる人類はできます。
上記の部分の99%を
98%、97%、96%と変えていっても
成り立ちます。
人類の祖先の骨の化石とされるものを観察すると
他の類人猿と比較して 二足歩行を始めたであろう
骨格を示しています。
これはつまり森の木からサバンナに出て
大地を移動するようになったことを示しています。
現在までに発見されている様々な遺跡から
人類はマンモスと共存(食料としての捕獲や革や牙を利用)
と考えられています。
幼少期に親が話している言葉をまねて自分のコミュニケーション手段にする能力は
他の類人猿と比較してずば抜けていますので、
当然それに見合った「淘汰圧」というものがあったはずです。
マンモスは単独で捕獲することはできないですので
マンモスを追って移動する生活には、それなりのコミュニケーション能力が
求められます。コミュニケーション能力は
チーターの身体能力と同じほどの淘汰圧の要素となり
”ずば抜けた”能力をもたらすものになりました。
さらに集団で社会生活をおくる人類は配偶者を選ぶ際に
その面での能力を重視したのではないかとも思えます。
もし聖書が述べる草食の楽園の話を信じるならば
なぜ鷹 や 鷲は人間の基準では”すば抜けた”視力と
身体能力、そして肉食用の消化管があるのでしょうか?
そのように進化したためか、
そのように進化するように神が手を加えたのか(エデンの楽園の話が正しいとして)
どちらかしか答えはないと思います。
追記:
あと フレッド・ホイルの説のように宇宙からのウイルス?のようなものが進化を促したという説も付け加えておきます。
オフライン
#41 2016年11月09日 13:41:19
- ルート
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
誤情報の訂正です。
最近になって、人間の細胞数は、1人につき37兆個に改められたようです。
#42 2016年11月09日 14:19:28
- カレブ
- Administrator
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
膨大な時間の経過と生成される星の数という宇宙レベルで見るなら、狭い世界の常識では「ありえないように思える」ことでも、この地球で起きたことは希少な偶然でもあり、「どこか」で起きるであろう必然でもある、と考える人もいます(自分)。
この点で わたしがよく考えるのは次のような例えです。
1000万枚のうち当せん番号が1等は1つしかない宝くじで、
お祈りして宝くじを購入した人がみごと10億円をあてたとします。
その人には「ありえないように思える」ことが起きたことを意味します。
たぶん神が祈りを聞かれたという信念はゆるぎないものになると思います。
しかし実際には宝くじを開催するたびに誰かに
「ありえないように思える」ことが生じているといえます。
聖書の時代から近代まで、宇宙は6000年前のもので
地球も生命も6000年しか経過していないと考えられていました。
そのような短い期間で進化など起こるはずもなく
すべての生物を今と同じまま神が創造されたという
信仰以外のものはオプションとして存在しませんでした。
ところが、現代では
宇宙も地球も、そして最初の生物の痕跡も
予想外に古い歴史をもっていることが徐々に明らかになってきました。
そして地球が宇宙の中心にあり、太陽や月や星が天幕のようにかぶさる
「天」とともに回っていると考えていました。
ところが太陽は唯一どころか、
銀河系には太陽に似た星が3000個以上もあり
さらに銀河系と同じような銀河が数えきれないほど宇宙に存在することを
理解するようになりました。
それらも創世記が真理だと考えていた時代からすると予想外のものでした。
どれも聖書的視点から予想できるような状況とは逆のことが明らかになっています。
創造主がいたずらでやっているならわかりますが、
聖書はそのような神を描いていないという矛盾が出てきます。
オフライン
#43 2016年11月09日 14:31:23
- akame
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
ジョエルさん
>他の宇宙も存在する可能性
宇宙は銀河だけだと思われていた時代から脱却したのが、ほんの100年前であることを考えますと、今後はさらに楽しみになります。
ウイルスの発見で生命の定義が広がったように、「進化」や「生命」の定義の広がりも予測不能で、さらに既成概念を覆す世界が待っているような気がします。^^
#44 2016年11月09日 15:20:59
- iris
- メンバー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
ただ最初の方でも述べたように赤ちゃんが言語を取得する過程を通して進化よりも創造を信じたほうが合理的 確率が高い と自分は感じたというだけのことです
てつてつさんは進化論の真偽についてはあまり興味がなく、御自身の感覚として
創造論のほうが心地よいと感じておられるだけで、創造論を他人に押し付けようと
なさっているわけでもありませんから、特に真剣に考える必要もないと思います。
誰であれ、この世のあらゆることに精通している必要はありませんし、
これほど情報の多い時代にそのようなことは不可能ですから。
ただ、科学的探求の成果としては、創造論より進化論のほうに分がありますよ。
御自分の興味の範囲で、いろいろと勉強されたら楽しいのではないでしょうか。
てつてつさんの書き込みを読んだ時に、てつてつさんは意固地な方ではないのに、
神が生物を進化させたという考えはありえないのかなと不思議に思っただけです。
私も科学者としては神が生物を進化させたなんてことは言いませんけれど、
個人的な感覚で言えば生物の進化も神の業のように感じていますので。
「言語」の問題は、神学・生物学の問題というよりは、学校の先生になる人が教職課程で必ず学ばされる「野生児」の問題ですね。
幼児期に捨てられて森の中で動物に育てられたという子どもや、虐待で監禁され、人格的コミュニケーションを絶たれた状態で育ってしまった子どもたちは言語の習得が困難だという事例です。ここでは書ききれませんが、それらの観察事例には、今日様々な問題が指摘されています。
この書き込みについての私のコメントがわかりにくかったようですが、
健常児は通常、乳児期(1歳になるまで)に親などとの間に愛着を形成し、
それを基盤として発達していきます。愛着というのは、簡単に言えば
何があってもお母さんが守ってくれるから安心、と信頼する気持ちです。
乳児期に適切な愛着形成ができない場合は、言語に限らず発達が遅れます。
言語の問題は野生児だけの問題ではありませんし、
野生児の問題は言語の問題だけではありません。
言語機能は人間という生物の機能ですから当然生物学の問題でもあります。
編集者 iris (2016年11月09日 15:36:38)
オフライン
#48 2016年11月10日 08:31:03
- ラハム
- メンバー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
ラハムさん。
最初の命を考えるにあたって、まず命といいますか、生きているとはどういう状態のものを指すのでしょうか?
すごく難しい質問ですね。
わたしは両親を含めて何度か死体と対面しています。
彼らは呼吸をしていません。
彼らは食べません。
彼らは排便しません。
彼らは感情を表現しません。
彼らは動きません、微動だにしないのです。
こうした状態が継続するのですから命がなく、生きていないと思います。
要するに死んで生命がなくなったと思います。
言い換えると、誕生し、成長し、子孫を生み出し、死んでゆくことを
繰り返せる状態のことを生命がある、命があるといえる思います。
もうひとつ「生きている」ということですが、
よきにつけ、悪しきにつけ人や物に影響していることも
意味していると思います。
聖書でも「神の言葉は生きていて」と表現されています。
神の言葉が太ったり痩せたりしませんが、
良い影響も与えることができます。
何か自分の持っている道具でとても役に立っていれば、
生きていると表現することがあります。
でも、これらは生物としての生命や命があるとは
とうてい考えられません。
生きて命があるというのは
活動して動き続ける状態にあることだと思うのです。
植物ですら動物とは異なった活動をしていますから…。
活動の形態もいろいろですね…。
オフライン
#50 2017年02月01日 13:13:04
- シャバ蔵
- ゲストユーザー
Re: ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改)
単細胞でも生物ですよね…
単細胞生物の中身もDNAがバッチリ存在しており、そのDNAの中身にはDNAを複製するタンパク質情報の塩基配列が含まれています。
その情報は膨大な塩基配列から一定の部分を引き出してくるとの事です。
コンピュータプログラムと酷似しているこの仕組みはとても偶然出現出来ないかと思いますが…みんなどう考えてるのかな?
プログラミングをかじった事のある方ならこの理不尽さはわかるはず。
私はこれが呪縛になっています。