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#1226 2020年10月18日 10:28:06

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

「キリストの1000年の統治の間に,エホバに仕える人は皆,エホバに喜ばれるために変化していかなければなりません。ですから,復活してくる人が罪深い傾向と闘い,エホバの基準に従って生きられるよう助ける時,その人たちの気持ちを心からいたわれます。」


復活しても罪深い傾向と闘うのですね。


「死んだ人は自分の罪から放免されているのです。」(ローマ6章7)


罪の報酬は死である、ここの文章を切り取ってエホバの証人は万人にとって罪に対するイーブンな報酬は死だから、地獄はないと教えていたような。

でもエホバは復活させる(複製を作る)ときに、一度死んでいるのに、また罪深い状態で作り直すのですね。そしてエホバの証人流の聖書レッスン次第でまた殺す。旧約でやらせた異教徒殺戮どころか、ハルマゲドンで78憶人(2020年現在、エホバの辛抱により毎年増加中)くらい殺した後だから、楽園信者の感覚もさらにマヒしていていそうです。

#1227 2020年10月23日 10:37:45

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

別トピで疑点さんが紹介していた神様メールですが、八日目と同じ監督なんですね。


「神は八日目にジョルジュを作った」


それこそ好き嫌い受け止め方いろいろでしょうけど、フランス人の宝田明みたいなのが出てきていきなり歌いだすところとか、あの雰囲気は好きでした。


「神は実在し、ブリュッセルに住んでいる」


ヤハウェにジーザスみたいなパパ大好き「あなたが死ねと言えばムチ打たれて死ぬのが至上の歓びです」真性マゾヒズム絶対服従息子ではなく、十代の反抗期の娘がいたらたぶんあんな感じになりますよね。「ワタシは父だ、神だ、創造主だ!」じゃ絶対に言うこと聞かないって。

ヤハウェが受肉して人間の生を味わいにきたのなら、せめて多感な娘の子育てをする親の苦労でも経験すればよかったのに。

久しぶりに映画でも観てみようかと思いました。

#1228 2020年10月23日 15:47:55

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“あなたにはエホバの会衆の中で大切な役割があります(34)”で、役立たずの兄弟姉妹をおだてて、もっと組織のために働くようにせよ、という内容です。」
「この記事は比較的常識的だね。JWらしいカルトならではの常識を超えた主張が欲しかったね。でも、偽善的な臭いがする文章だけどね。」
「4節で“一人一人が大切な存在である”と、心にもないことを言っていますね。」
「8節に、“会衆が組織されている1つの重要な目的は,人々を主イエス・キリストの弟子とすることにあるからです。”とある。となれば、組織の本音は。一人一人が大切な存在なんて思いあがるなよ、信者獲得に貢献しない、役立たずはいらないよ、ということでしょう。」

「4から12節が、“エホバの会衆の中での私たちの役割”です。いろいろな人たちを列挙して、それぞれが大切な役割を担っていると言っていますね。」
「5節に、“エホバは確かにキリストを通して,会衆に「人々という贈り物」を与えてくださっています。(エフェ 4:8)”とあるけれど誤訳だろう。」
「引照聖句のエフェソス4:8は“こう述べられています。「その方は高い所に昇った時,捕虜を連れ去り,人々という贈り物を与えました」。”というものです。普通は、“人々に贈り物を与えました”ですよね。」
「しかも、この聖句の中の“その方”はエホバでななく、イエス。」
「贈り物をくれたのはイエスということですね。執筆者もその辺はわかっているので、“エホバは確かにキリストを通して”などと奇妙なことを言っているわけですね。」
「イエス嫌いのエホバ教ではそういうことにしたいんだろう。」

「5節では、“統治体の成員,統治体の援助者,支部委員会の成員,巡回監督,野外の教訓者,会衆の長老,援助奉仕者が含まれています。これらの兄弟たちは聖なる力によって任命され,”とあります。これらの人たちが、本当に聖霊によって任命されたのなら、証拠を示してほしいですね。」
「あくまでもタテマエだろう。聖霊によって任命されたのだから、不満でも文句を言うなということだよ。」
「でも、長老なのに性犯罪などで逮捕された人は世界各地にいますよ。聖霊によって任命されたのにおかしいですよ。」
「だからそれはタテマエなの。長老が犯罪を犯した場合は、任命された時は聖霊の力が働いたけれど、任命された後は本人の問題で、聖霊は関係ないのです、と言ってごまかせばよい。」

「6節に“兄弟たちは,人から称賛されるために働いているのではありません。兄弟姉妹を力づけ励ますために一生懸命働いています。(テサロニケ第一 2:6-8を読む。)”とあります。引照聖句は単にパウロの個人的な見解を述べているだけですけど。」
「パウロは、“人から称賛されようとはしてきませんでした。”と言っている。それがどうして他の人間に無条件にあてはまるの?そんなわけないよね。もしそうなら、“キリストの使徒として経済的な負担を掛けることもできましたが,そうしませんでした。”の部分はどうなるの?」
「JWの幹部クラスと言えば、ゆすりたかりの名人ですからね。この部分はパウロの個人的見解として、無視するのですよ。」
「JWの教えは、聖句のつまみ食いにすぎないね。」

「問題の8節ですが、“会衆の全ての人が,この活動を生活の中で優先させるよう努力しています。”と、伝道第一主義を唱えていますね。となると、いろいろな役割があって、どれも大切という主張とは矛盾しますよね。」
「JWは宗教セールスマンとしてどれだけセールス活動をしたかで評価されるということは、みんなわかっているよ。王国会館のトイレ掃除をまじめにしたって誰も評価しない。」

「9、10と11節は、それぞれ女性、高齢者と若者に対するリップサービスです。」
「10節に、高齢者について“エホバはその人たちを美しいと見ており,私たちもそう思っています。(格 16:31)”とあるけれど、引照聖句と一致しないよ。」
「格言16:31は、“正しい道を歩む人の白髪は美しい冠である。”です。この聖句の意味は、正しい道を歩めば長生きというご褒美があるということですよね。それを詩的に表現したものです。」
「協会共同訳では、“白髪は誉れある冠”で美しいとはなっていない。元のヘブライ語は、美しいと栄誉あるいは栄光という意味がある。どちらを取るかは訳者がこの聖句をどう解釈するかによって変わる。でも“美しい”と訳しているのはほとんどないと思うよ。」
「老人をわざわざ美しいなんて言うことほど偽善的なことはないですよ。」
「偽善的なJWだけが、“白髪は美しい冠である。”と訳しているんじゃないの。」

「11節に“悪魔サタンとサタンの邪悪な考え方に影響されている世界で大人になっていくのはたいへんなことです。”とあります。違いますよ。JWとして大人になっていくことの方がはるかにたいへんです。」
「JWの子どもは、体罰に苦しみ、性犯罪に苦しみ、様々な禁止事項に苦しみ、ハルマゲドンの恐怖に苦しみ、信じていないことを信じているふりをすることに苦しむ。いじめだってあるよね。」

「13から19節は“積極的な見方をするには”です。14節に、“会衆の他の人たちと自分を比べるなら,自分はあまり役に立っていないと感じるかもしれません。”とあり、他人と比較するな、とアドバイスしていますね。」
「比較させようと仕向けているのは組織なんだけど。特権を持っているかいないかとか、開拓者かどうかで差をつけたりしている。信者はあの人よりは自分はましだと思って安心したり、下だと思って悲観したりしているよ。組織は、そうやって信者の感情をコントロールしている。」

「16節に、“「一人一人,自分の行いについてよく考えましょう。そうすれば,人と比べて喜ぶのではなく,自分自身のことを喜べます」。(ガラ 6:4)”とガラテア6:4を引用していますが、この訳はへんじゃないですか?」
「協会共同訳だと、“おのおの自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、自分だけには誇れるとしても、他人には誇れなくなるでしょう。”で、JW訳とはかなり違うね。こちらは字義通りの訳。“自分の行いについてよく考えましょう。”はダメだね。“吟味しましょう”という意味。この聖句の主旨は、厳しい自己吟味の重要性。」
「JW訳の英語版でもexamine(検査する、調べる)となっています。これは日本語訳の問題ですね。」

「それからギリシャ語本文には“比べて”という単語はない。JWによる解釈だね。」
「ひとつ前の6:3は“本当は何者でもないのに,自分は大した者だと考える人は,間違った見方をしています。”とあり、それを避けるのに6:4で厳しい自己吟味をしなさいとパウロは言っているわけですね。」
「それをJWでは、他人と比較はダメだよという通俗的な教訓と理解したようだね。」

「17節に、“自分の長所や得意分野が分かるなら,自分も会衆の役に立てると思えるでしょう。自分にはない能力を持っている兄弟姉妹をねたむこともないでしょう。”とあるので、ねたみ問題が深刻なようです。」
「この辺も偽善の臭いがプンプンだね。JWが多様な価値観を持った組織なら、それぞれが世界に一つだけの花と思ってくださいと言ってもいいけれど、そうじゃないからね。JWは一つの価値観で序列をつける組織だよ。結局上か下かになってしまう。」
「そうですね。18節には、“私たちは会衆の中でどんな役割を担っているとしても,宣教を上手に行うため技術を磨く意欲を持つ必要があります。”と、しっかりくぎを刺しています。」
「多様な能力なんか求めていないよ、組織の言うとおりに伝道活動さえできればいいんだよ、伝道できない奴はお払い箱だよ、という組織の本音だね。」

「20から22節が、“兄弟姉妹を力づけるために能力を使う”です。まず、“パウロの例えから学べる3つ目の点は,ローマ 12章6-8節に記されています。(読む。)パウロはこの聖句でも,会衆のそれぞれには違う能力があるということを語っています。”とあります。“能力”というのはへんな訳です。“賜物”ですよ。」
「英文ではgift(贈り物)だから“賜物”と訳すべき。それだとあまりにもキリスト教的なので、エホバ教としては嫌なんだろう。」

「体験談がようやくでてきました。最初は、外国奉仕をしていたのに本国のベテル奉仕を割り当てられて、やる気を喪失したというロバートの話です。」
「外国奉仕は管理統制の厳しいJWにとって格好の息抜きでしょう。苦労して外国語を覚えたのに、もとの国のベテルで働くとなればやる気を失うのは当然だよ。21節に“自分は何か失敗したんだ,という消極的な考えに何カ月も悩まされました。”とあるけれど、恐らくそうなんでしょうね。懲罰としてベテルで働かせるのは組織のやり方だよ。」
「印刷部門じゃないですか。あれは奴隷労働みたいですから。」
「そもそも聖書は奴隷制に反対してない。」

「“エホバが以前の奉仕を通して与えてくださった訓練は今の奉仕にも生かせる,とアドバイスしてくれた”とあります。要するにうまく言いくるめられたわけです。」
「不満でも、組織の言いなりになるしか生きる道がないのだろうね。ベテルから放り出されたら野垂れ死にだろう。JWなんかになるからだよ。」
「昔、ベテルを出た後、ニュヨークの公園のベンチで亡くなった元ベテル奉仕者もいたみたいですから。」

「22節の体験談は、子どもができて巡回奉仕をやめざるを得なかったので落ち込んだというエピスコポの話だ。それだったらちゃんと避妊をしろよといいたいね。」
「貧乏で避妊具を買えなかったかもしれませんよ。避妊具を寄付してくれとは、いくら厚かましい人でもいえませんから。」
「“自分を憐れむ気持ちに負けて,1年ほど無駄にしてしまいました。”とある。溜まっていたとはいえ、あの時なぜ我慢しなかったのか、酒を飲んでいたのがまずかったのか、とあれこれ一年間悔み続けたんだろう。子どもができたことがよっぽど悔しかったんだね。」
「子どもの誕生を不幸と見なすJWは異常な世界ですよ。」
「旧約聖書の価値観では、子どもをいっぱい作り、長生きすることが幸福なんだけどね。この人は上昇志向で、組織内の地位が上がることが人生の目的になっていたのかもね。」

「22節では、“今,以前と同じ奉仕の機会が与えられていないということで気落ちしていますか。もしそうであれば,見方を変え,エホバと兄弟たちのために今何ができるかということに思いを向けましょう。”といっています。やはり、リストラ降格組の落胆、不満が相当たまっているので、こんなことが書かれるのでしょうね。」
「リストラされたら、神が与えてくれたチャンスと思い、JWであることをもう一度考え直すべきだよ。老後のことを真剣に考えよう。」
「特に若い人は組織が衰退局面にあることを理解し、組織には頼らない人生設計をしなさいということですね。」

#1229 2020年10月23日 18:30:03

疑点
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ジョエル さんの発言:

別トピで疑点さんが紹介していた神様メールですが、八日目と同じ監督なんですね。


「神は八日目にジョルジュを作った」


それこそ好き嫌い受け止め方いろいろでしょうけど、フランス人の宝田明みたいなのが出てきていきなり歌いだすところとか、あの雰囲気は好きでした。


「神は実在し、ブリュッセルに住んでいる」


ヤハウェにジーザスみたいなパパ大好き「あなたが死ねと言えばムチ打たれて死ぬのが至上の歓びです」真性マゾヒズム絶対服従息子ではなく、十代の反抗期の娘がいたらたぶんあんな感じになりますよね。「ワタシは父だ、神だ、創造主だ!」じゃ絶対に言うこと聞かないって。

ヤハウェが受肉して人間の生を味わいにきたのなら、せめて多感な娘の子育てをする親の苦労でも経験すればよかったのに。

久しぶりに映画でも観てみようかと思いました。



すみません、ウッカリちょいネタバレしちゃってました。。。
女神さまのくだりは続編(あるとすれば)になる感じですかね。
j2のわたしにとっての「聖書の神さま像」まんま映像化してくれた!って思いました。




ノアの洪水が局地的だったにせよ、イサクの犠牲にせよ、徹底的に自分への愛情・信仰・忠誠を試して来る聖書の神さまが凄く嫌だった。
わたしの父親は無条件に愛してくれる人だから、こういう神さまをお父さんのようには思えなかったし。
イエスのちゃぶ台返しがパフォーマンスにせよ、血を飲み肉を食べるショッキングな言い回しにせよ、やはり信仰をふるいに掛けて来る。
徹底的に狭き門に絞って来る。広げてはくれんのかぃ!
本当に全ての人を救いたいと願ってるんだろうか?と疑問だった。

以前、Eテレで見たサイコパスの授業。
歴史上の人物サイコパスランキングで、イエスキリストは確か上位5位以内に入ってたのも納得。
サイコパス度が高い職業ランキングでも、聖職者はトップ10入してた。

いまも人間関係で最も嫌なタイプは、愛情や友情を試して来るような相手。
そういう人からは距離を置くようにしてる。

#1230 2020年10月23日 23:01:55

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

原題は Le tout nouveau testament 英語だと The totally new testament て感じでしょうか。

まず旧約とか新約とかてなに、の日本人向けに無難な邦題にしたのでしょうけど、こういう映画に共感できるのも、J2であったことの数少ないメリット?なのかもですね。


この組織でも、上に行けば行くほど、限られた情報しか与えず、全てを知らない(ていうかほとんど知らない)状態で指示に従うかどうかを試すような人間ばかりでしたね。

#1231 2020年10月24日 10:15:25

疑点
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ジョエルさん
兄弟たちは上にいくほど試される。。。経験者は語る、ですね。
こういうお話は貴重ですね。

あの組織では、上に行くほどサイコパス度が強くないとやっていけないのだろうと思います。
森のお屋敷トップは、最強なんじゃないかな。。。





映画は確かに
この原題の直訳だと、日本では集客難しいですよね。

ファンタジーなコメディですけど、信心深い方には不謹慎極まりない映画かも。
なんせ神さま描写がアレですから。。。
ベルギーでは、マッドマックス超えの大ヒットだったそうです。

#1232 2020年10月24日 18:22:05

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

男中心の聖書では救いは難しかろうと思うところもあります。感性が男性に偏っていて
痛みに対して無関心気味です。バランスの悪さを感じます。女を物のように与えるという
表現が、創世記の神の呪いさえ超えてヒステリ気味にさえ思えます。

好んで女に産まれてきた訳でもないのに、このような非人扱いの理不尽さ、お前も同じ目に
遭ったら分かるだろうよ
と聖書の筆者に言いたくなりますが、ぐっとこらえて百歩譲って
イエスについて思うところがありました。

#1233 2020年10月24日 19:19:28

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

イエスについて評価を改めたのは、イエスの境遇について考えたからでした。
預言者だか何だか知りませんが、そいつらが救世主が十字架に打ち付けられて
拷問死する未来を預言したせいで、拷問死が約束され、さらにはラビたちがマリアを
洗脳し、お前の子どもは神の子で救世主だとマリアに吹き込んでお膳立てした上
犠牲の家畜よろしく密かにイエスが用意されたとしたらあまりにも酷い話です。

こんな家畜のような境遇にあったイエスを到底批難する気にはなれませんし
よく吟味してからでないと人身御供の気持ち悪さもあって無条件崇拝する気には
なれませんでした。尊い犠牲と言いますが「私を離さないで」という臓器を抜き取られる
ためだけに生かされたクローンの子どもの話と何ら変わりません。

イエスの説法をよく読んでみると、非常に理知的で調っており、自分を神の子だと信じる
狂人には思えませんでした。むしろ、これほど優れた賢い人物がなぜこのような愚かな
(世間的に見れば)教えに大人しく従ったのか、よほど確信の持てる何かがあったとしか
思えません。弟子たちもイエスの教えに習って一応、手紙などを書いていますが、到底
イエスの言葉に優るものとは思えません。イエスの言葉はまさに旧約を破棄させ、信仰を
高次元へと昇華させるものでした。
一見おかしいように見えるイエスの言葉も旧約の預言と見事に一致しており、人格・能力ともに
不世出の人物で、ブッダとかいう勘違いとは比べ物になりません。

私もイエスについて色々言いましたが、本来軽々しく馬鹿にしたりしてよい人物では
無かったのだと反省しました。イエスは愛は最大の律法とおっしゃいましたが、その言葉の
とおり、愛だけで人は命を懸けることもあると、人間を動かす最大の力は愛であり、愛が
あれば限界を超える事もあります。塩狩峠事故のように。これはまさに真理で百の言葉よりも
勝ります。ところが愛という言葉をものみの塔の統治体とその太鼓持ちのような奴らが悪用
しています。そのため、時にはイエスまでも罵倒されます。

それだけの事です。イエスの言葉の価値には何の影響もありません。

そうでなければあまりにも酷い話ではありませんか。血の汗を流し、自分の選択は正しかったのかと
苦悶されるイエス。父ヨセフの影もなく、ラビのいいおもちゃになった人格能力ともに不世出の人物。
そして解っていながら甘んじてそれを受け入れたイエス。

そのイエスの心を汲むのが粋ってもんじゃないかと思いましたし、これほどの人物がつまらない
考えで死を選ぶとは思えず、内なる真理に基づいて行動されたのではないでしょうか。

#1234 2020年10月24日 19:27:52

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

文がちょっとおかしくて読みづらいと思いますが,
何とか読んでください^^

#1235 2020年10月24日 19:54:28

さやか666
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

お気になさらず 各投稿が繋がっているのか不明ですが

すべてガッツさんなりの自己表現ですよね

#1236 2020年10月24日 20:41:15

疑点
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ガッツIIさんの、イエスによるイチジク安楽死説。
なかなか面白い解釈です。
いいんじゃないですかね。人は信じたいものを信じる。
聖書にはツッコミ入れますが、信仰者の事は尊重しますよ。

#1237 2020年10月24日 21:19:31

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

イエスは神と名乗ったせいでラビから命を狙われるようになりましたが
不思議と母マリアは魔女裁判に掛けられていません。
これはマッチポンプ臭がします。「母さん逃げよう」と言ったところで
洗脳されたマリアは言う事を聞かなかったでしょうし、産まれた瞬間に
三賢者が駆け付ける程マイルド監視されていて、ローマから逃げたところで
エジプトかインドと絶望的な環境と逃げ場がない状況でよく生きたと
思います。定められた運命を受け入れてより最前を尽くして生きてみせた
のだろうと。ただ犠牲ありがたやでは人身御供のようでちょっと違うんじゃ
ないかと思いました。

言い過ぎかもしれませんが、例えば病人は忌み嫌われても、まだ人間として
見て貰えますが、ラビから見ればイエスは家畜です。犠牲の羊とか
美しい言葉で飾ってますけども。
それだけ見るとひでえ宗教だなと思いますが、イエスの心を買って
私はイエスは神だと思います。

ひどい文章ですみません。

#1238 2020年10月25日 05:31:20

さやか666
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

アブラハムの神のお墓の前で
謝らないでください
ここにハルキストはいません
飛ばし読みしかしません



最後「ひでえ」と「ひどい」を使い分けておられますね


恐らく今後も続く連載小説?なのかなと思いましたので

小説としての評価をAIにお任せしました
地の文中心の文体のようです。
かな:漢字の比率は読みやすい範囲だと思われます。
1つ1つの文章がやや長いようです。
文体やテンポにもよりますが、平均と比べだいぶ副詞が少ないようです。
指示語の多用は見られません。
接続詞が多すぎず少なすぎず、うまく挿入されています。
体言止めはほとんど使われていません。
連用中止法の使用頻度は平均の範囲内です。
自立語における名詞の比率は平均の範囲内です。名詞比率は文章が説明的・要約的かどうかに関係します。
物事を形容する言葉より、動きの描写が多いようです。


総文字数    384
行数    15
原稿用紙枚数    約 1 枚
地の文:台詞    97: 2
かな:カナ:漢字    60: 10: 24
平均文長    48.0
/    地の文    台詞
総文字数    375    9
かな:カナ:漢字    61: 10: 24    55: 0: 22
読点/句点    0.9    0.0
平均文長    53.6    9.0
平均句読点間隔    28.8    9.0



    地の文    台詞
形容詞    1.33    0.00
形容動詞    0.27    0.00
感動詞    0.00    0.00
副詞    1.07    0.00
連体詞    0.00    0.00
接続詞    0.27    0.00
名詞    13.33    11.11
動詞    8.27    11.11
助詞    19.20    0.00
助動詞    12.53    11.11
/    /    /
終助詞    14    0
体言止め/呼掛    0    0
連用中止法    0    0
倒置法    0    0
名:動:形    54:33:10    50:50: 0
MVR    30    0

#1239 2020年10月25日 12:53:47

疑点
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

あ、そうそう。
ガッツIIさんのイチジクへたれ説もありましたね。
イチジクが根性無しのヘタレ過ぎて自ら枯れてしまった説。
これもなかなか面白い解釈。


!気弱なイチジクを自死に追い込むイエス
!枯れる時期が来てたイチジクが苦しまないよう安楽死させるイエス
!ただ単に八つ当たりしちゃったイエス


どのバージョンのイエスも好きになれないな

#1240 2020年10月30日 15:45:01

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“会衆の兄弟姉妹に敬意を示しましょう(35)”で、役立たずの長老たち、独身の兄弟姉妹、会衆で使われる言語を上手に話せない兄弟姉妹に敬意を示してあげよう、という話しです。」
「要するに、JWという特殊な集団のつまらない内輪話ということだね。」
「JWはJW以外の人に愛も敬意も示すことはありません。」
「でもJW以外の人からの助けは喜んで受け取るんだよね。」

「4から6節が“他の長老に敬意を示す”で、独裁的な長老向けの内容です。4節に、“会衆の長老は皆,エホバの聖なる力によって任命されています。”と、JWのタテマエを述べています。」
「そのタテマエがなくなると、長老の権威や権限が、単なる怪しげな宗教団体の取り決めにすぎないことになるわけで、誰も従わなくなるからだよ。そのフィクションは捨てられないわけだ。」

「4節では、“長老は他の長老に対して「私にあなたは必要ない」という態度を取るべきではありません。”とあります。これは、そうとうひどい態度ですよ。」
「でも、文句ばかり言うだけで何の役にも立たない長老って、現実にいるだろう。」
「そうですが、6節に、“長老団の中で,霊[聖なる力]を独占している長老は一人もいません。”と言っています。役立たずの、人の足を引っ張るだけの長老にも聖霊は働いているのです。神は偉大です。」
「要するに、ボス的な長老が会衆を支配するような状況を避けたいということだね。」
「たいていの会衆は、マフィアのボスみたいな独裁的な長老によって運営されていますよ。そういうボス的長老は、自分の地位を守るためにはありとあらゆる汚い手を使います。」

「7節で“さらに重要な点として,聖書のどんな原則が関係するかに注目し,「忠実で思慮深い奴隷」の指針に従います。”といっているから、ボス的な長老が、組織の意向を無視して、暴走することを心配しているようだね。」
「組織は資金難のようですから、王国会館の売却や寄付の要請に対する指示は絶対に従って欲しいですよ。」
「ということは、ボス的長老は、お金に関することだけ組織に従順であれば、それ以外のことは勝手気ままが許されるということかな。」

「7から14節が、“結婚していない兄弟姉妹に敬意を示す”です。まさしくJWの内輪話です。」
「7節に、“結婚しないことを選ぶクリスチャンもいる,と述べました。(マタ 19:11,12。マタイ 19:12の注釈を参照。)”とある。この引照聖句の解釈少しがへんだね。」
「マタイ19:12では“生まれつき障害があるので結婚しない人や,人に障害を負わされたので結婚しない人もいれば,天の王国のために結婚しない人もいます。”と言っています。注釈には、“性機能の障害を指すと考えられる。”とあります。」
「この聖句を理解するには当時の社会背景を知る必要がある。当時のユダヤ人男性にとって、結婚して子孫を増やすことは、個人の選択ではなく当然の義務なの。このイエスの発言は、必ずしも結婚しなくてよい、結婚しない生き方を認めるよ、という主旨。」

「申命記23:1には、“睾丸を砕いて去勢された人や陰茎を切り取られた人は,エホバの会衆に入ることはできません。”とあります。レビ22:24には、“睾丸が損なわれたもの,砕かれたもの,抜き取られたもの,切り取られたものをエホバに差し出してはならない。”とあり、エホバは生殖器にやたらこだわっています。変な神様ですね。」
「マタイ19章では、イエスは、そういう旧約聖書の神様が差別し、仲間外れにした人でも、自分は排除しないということを言っている。」

「8節に、“パウロもイエスのように,独身の立場で宣教を行いました。”とあります。パウロはユダヤ人ですから、当然結婚はしたと考えていいのでしょうか?」
「普通は、パウロは若い時に結婚をしたが、死別したか離婚したと考えられている。独身でいることはユダヤ人の義務に反するからね。」
「当時は何歳くらいで結婚したんですか?」
「十代前半。パウロもそのころ親の決めた相手と結婚したはず。」
「その結果、結婚なんてするものではないと思うようになったわけですね。パウロには物足りない相手だったんですよ。」
「パウロは結婚に対して否定的なのは間違いない。それは自分の体験からかも。でもパウロは自分の手紙が聖書に採用されて、世界中で読まれることになるとわかっていたら、違う書き方をしたと思うよ。」

「9節で、“では,結婚と独身についてどう考えたらよいですか。”と問いかけ、なんと2012年の“ものみの塔”の記事を引用しています。ものみの塔は聖霊に導かれて書かれたものなんでしょうか?」
「その内容も、“結婚も独身も,神からのたまものと言うことができます。”というあたりさわりのないもの。わざわざ引用する必要はない。どうせなら、もっと面白い記事でも引用すればいいのに。」

「2011年10月15日号の“独身と結婚に関する賢明な助言”という記事はいいですよ。“一緒に魂をこめてエホバに仕えてくれる人と結婚したいと願っているなら,そのことについてエホバに祈り続けてください。”とあり、熱心に祈ればエホバは仲人もするようです。この記事ではこんな楽しいことは書いていません。残念です。」
「その2011年の記事では、“コリント人へのパウロの言葉で注目に値するのは,独身に対する積極的な見方です。(コリント第一 7:8を読む。)”とある。このような文章は、この記事には出てこないね。露骨な独身推奨はやめたようだね。」

「2016年4月号の“信仰を示す人は神の是認を受ける”では、“大勢の若いクリスチャンはエホバに十分仕えるため,少なくとも今は,結婚したり子どもを持ったりすることを進んで犠牲にしています。(略)あなたも,エホバにいっそう仕えるため,さらに犠牲を払うことができますか。”とありまして、結婚と子どもを持つことを進んで犠牲にすべきと言っています。組織の本音は結婚反対、独身推奨ですよ。」
「組織は、独身の信者を使い勝手のいい無給の労働者とみている。建設工事に動員しやすいのは、家族持ちよりも独身者だ。そんな独身信者が減るのは避けたいのだろう。」
「独身の兄弟が高齢の兄弟姉妹の送迎をやらされるというのはよくある話です。独身だとそういうことも押し付けられやすいです。」
「毎週集会に行くたびに乗せてもらっても、ガソリン代の一部すら払おうとしないのがJWだろう。zoom集会になってよかったね。」

「10節に、“独身でいようと心に決めているクリスチャンもいることを覚えておきましょう。”と、結婚を押し付けるなといっていますね。」
「現在でも発展途上国の中には結婚するのが当たり前の国は多いだろう。そういう国では、おせっかいおばさん姉妹がいろいろ縁談話を持ってくるのだろうね。挿絵がそういう状況を示している。でも、この挿絵は品がないね。」
「白髪の姉妹が派手なネクタイの兄弟の花嫁候補として4人の女性を考えているというものですね。実際に4人の女性の写真が使われていますが、暗黙のルールではその一人は写真の兄弟の実際の妻にするらしいですよ。」
「本当?女4人に男1人というのはJWの現実をあらわしているよね。」

「11,12,13節に、結婚話を持ち掛けられて嫌な思いをしたJWの体験談が出ています。こういう苦情が組織の上の方にかなり寄せられているということなんでしょうか?」
「紹介される相手が、気持ちの悪い兄弟や精神の病んだ姉妹ばかりなんじゃないの?相手が好みのタイプなら文句は出ないよ。でも、この体験談は嘘くさいね。」

「12節に、“『くっつけようなんてしないから安心して』と言っていました。でも王国会館に着くとすぐ,私を2人の兄弟の所に引っ張っていきました。”とあります。“くっつける”なんて下品な言い方ですね。」
「翻訳者の周囲ではそういうんだろう。英語では、set upという表現だね。“何も企んでいないから安心して”程度に訳してほしい。上品で高い道徳性がJWの誇りなんでしょう。集会には子どももいるんだよね。」
「結婚した人に、JWの子どもは、くっつけられておめでとう、なんていったりして。」
「JWの集会には、子どもは参加禁止。」

「15から20節が、“会衆で使われる言語を上手に話せない兄弟姉妹に敬意を示す”です。外国からの移民や難民でJWに勧誘される人は増えているようですね。」
「JWと言えば、低学歴貧困層の宗教だったけれど、これからはそれに移民・難民が加わるという訳だね。」
「アメリカでは白人の中流層はJWからほとんどいなくなっているようです。」

「16節に、“長老団は,ある兄弟を長老や援助奉仕者として推薦できるかどうかを考える際,その兄弟が会衆の言語を上手に話せないというだけの理由で推薦を控えることはしません。”とあるけれど、本当なの?外国人差別はしていないという表向きの主張じゃないの?」
「よくわかりませんね。あまり言葉が通じない人を責任のある立場につけたら、問題が起きるような気がしますけど。」

「18節に、母国語の会衆にするか、移住先の言語の会衆にするかは、“家族の頭の決定を尊重する必要があります。”といっています。どちらを選んでもいいみたいですね。」
「よく言葉がわからないほうが、JWのつまらない教えに気づかないので、真面目な信者になるのかも。」

「21節が、“誰もがエホバにとって大切な存在”です。“エホバにとって,また互いにとって大切な存在です。(ロマ 12:4,5。コロ 3:10,11)”とありますが、2つの引照聖句にエホバなんて出てきません。」
「ローマ12:4は、“キリストと結ばれた1つの体”とあり、コロサイ3:11には“キリストが全てであり,全ての人と結び付いています。”とある。イエスを完全に無視するのがエホバ教の特徴だね。」

#1241 2020年11月05日 07:47:34

万年研究生
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

聖書についての質問さんへ質問させてください
ローマ5:12 「このような訳で,1人の人によって人類に罪*が入り,罪によって死が入り・・・・」
この成句の引照先が偽フィロン「聖書古代記」と土岐健治著 死海写本にあったのですが
ローマ人への手紙の執筆当時は旧約聖書の編纂が現代とは違っていたと考えて良いのでしょうか。

ご教示よろしくお願いいたします

#1242 2020年11月05日 15:31:15

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

万年研究生 さんの発言:

ローマ5:12 「このような訳で,1人の人によって人類に罪*が入り,罪によって死が入り・・・・」
この成句の引照先が偽フィロン「聖書古代記」と土岐健治著 死海写本にあったのですが
ローマ人への手紙の執筆当時は旧約聖書の編纂が現代とは違っていたと考えて良いのでしょうか。


「聖書古代記(誌)」が旧約聖書に含まれたことはありません。ではなぜそれが引証先になっているのかといいますと、アダムから罪が入り、そのため全人類が罪びととなったというパウロの思想に聖書的根拠がなく、類似の主張が聖書以外の資料にしか見られないからです。

パウロは全ての人は罪びとで、キリストの死によって贖われたと主張します。そうなると次の問題は、どのように全ての人は罪びとになったのかです。パウロの答えは、アダムにまでさかのぼって、アダムが罪を犯したことによって、その子孫である全人類が罪びとになったというものなのです。

このような主張は旧約聖書にはありません。新約聖書でもパウロ以外は人類にとって重要な存在としてアダムを取り上げることはありません。イエスだってアダムに言及することはありませんでした。パウロ以前までは、アダムはどうでもいい存在だったのです。アダムに着目し、罪が子孫に伝わるとするのはパウロだけなのです。

現代ですと、罪が子どもに伝わるというのは奇妙で不自然なことなのですが、このパウロの考えはパウロが生きていた時代ではそれほど不自然ではなかった、むしろ説得力があったということを示すために、「聖書古代記(誌)」が引照されているのだと思います。つまり、他の人も同じことを言っているよ、というわけです。

パウロと同じようにアダムから罪や死が伝わったというのは、聖書外典の第2エズラ書や第2バラク書などにも出ています。例えば、第2エズラ書3:7はWikisouseでは“汝アダムに、汝の唯一のいましめをあたへたまへり。しかるに彼そのいましめを犯したれば、汝直ちに彼のためおよび彼の子孫のために死を備へたまへり。”となっています。

新約聖書のユダ14-15では“アダムから7代目の人エノクも,彼らについてこう預言しました。「エホバは無数の聖なる者を率いて来ました。 全ての人を裁き,神を敬わない罪人を皆,断罪するためです。彼らが神を敬わずに行った全ての不敬な行為と,神に反抗して語った全ての不快な事柄に関して,断罪するのです」。”とあります。これは聖書外典の第一エノク書からの引用です。

旧約聖書が確定するのは1世紀以降で、それまではどれが正典かということはあまり気にしなかった事がわかると思います。

#1243 2020年11月05日 15:55:45

万年研究生
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

聖書についての質問さん

丁寧な回答ありがとうございます。
大変わかりやすく助かりました。

妻との家族崇拝の時間でこれまでの写本は新世界訳の底本として信用できるかというテーマだったので
死海写本の文献やナショナルジオグラフィックなどを読んでいたところです。
以前にこちらに書いてくださった写本は信じられるかに関するトピックも参考にさせていただいていますが
強めに妻に反論すると認知不協和になって失語症人間になってしまいます。
JWの資料では根拠薄弱といったことがわかります。

#1244 2020年11月05日 18:18:22

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

聖書についての質問さん 大変興味深い回答ありがとうございます

万年研究生さん>妻との家族崇拝の時間でこれまでの写本は新世界訳の底本として信用できるかというテーマだったので死海写本の文献やナショナルジオグラフィックなどを読んでいたところです。
以前にこちらに書いてくださった写本は信じられるかに関するトピックも参考にさせていただいていますが
強めに妻に反論すると認知不協和になって失語症人間になってしまいます。

このような研究はものみの塔では許されないのでは cry  組織が出している記事のみで組織バンザイの研究しかダメなのでは 奥さんがかわいそうです kiss

なんとなくアーマンさんの言葉思い出しました

私の講義を受けた学生は、様々な反応を示す。多くの保守的な学生は、私が彼らと同じ年だった頃によく似ている。聖書に書かれていることが完壁なる真実であることを信じて疑わず、そのことに疑問を投げかける人間に警戒心を抱く。一部の学生は、話を聞くことすら拒む。聖書に抱いてきた大切な思いを揺るがせるいかなる話も聞かなくて済むように、あたかも耳を塞ぎ、大声で鼻歌を歌っているかのようだ

追伸

(テモテ第二 3:16) …聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です…

現役のころはこの聖句を今自分たちが持っている聖書と呼ばれるもの全体に当てはまるものと思ってましたが よく考えるとこのころ新約の部分は存在していませんし 旧約も正典と言われるものもまだはっきりしていませんでしたのでかなり範囲は広かったのではと思います

ティンデル聖書注解 「テモテ」204ページ

「救いのために」という句は、パウロの早い時期の書簡類でよく使用されている句であると同時に、結局これは旧約聖書に付与された価値観であり、完全にパウロ特有のものであるから、....の考えによると、パウロ以外の者がこの句をもって旧約聖書について語っているなどと考えることは難しい。救いが自分のものになるのは、「キリスト・イエスに対する信仰による」のみである、という点も、完全にパウロ特有のものである

というわけで神様の霊感受けて筆者が書いているというよりも個人的な神学を書いていると思いました cry

編集者 てつてつ (2020年11月06日 07:59:09)

オフライン

#1245 2020年11月06日 15:36:15

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“魚ではなく人を集める漁師」になりますか(36)”で、新人JW向け研修資料ですね。ペテロたちの漁業から学ぶ宗教ビジネスのやり方といった内容です。」
「JWは無給だよね。それなのに要求しすぎだろう。無給のボランティアなのだから、気楽にのんびりやりましょうというべきじゃないの。」
「何も言わなければ、自然にそうなりますから、わざわざ言う必要はありません。」

「この記事の主題聖句は、ルカ5:10で、“恐れることはありません。今後,あなたは人を生きたまま捕るのです。”だけど、“生きたまま捕る”はへんだろう。犯人逮捕の時の訓示みたいじゃないか。」
「殺してはいけない、生きたまま捕まえろ、なんて警察ドラマで言ったりしますね。」
「元のギリシャ語はzógreóで、辞書を見ると、to catch alive(生きたまま捕まえる)と書いてあるんだ。それをそのまま使ったんだろうね。」
「外国語を習いたての人がよくやる辞書どおりの素人翻訳ということですね。」
「協会共同訳では、単に“あなたは人間をとる漁師になる。”と訳しているけど、こちらの方が適切だ。」

「2節に、“聖書には,ペテロと仲間たちが網を「直ちに」捨てた,と書かれています。でもペテロとアンデレはその場の勢いで行動したのではありません。イエスと出会ってメシアと認めたのは,それより6カ月以上前のことでした。(ヨハ 1:35-42)”とあります。直ちに従ったとあるのはマタイなどです。それにヨハネに出ている話を結び付けて、6か月前に一度会ったことにしていますが、これはへんですよね。」
「各福音書はそれぞれ独立したもので、あちこちつまみ食いして一つの話にできないよ。でもそういう解釈は昔から行われてきたね。」

「ヨハネでは、1:40-42に“ヨハネが言ったことを聞いてイエスに付いていった2人のうちの1人は,シモン・ペテロの兄弟アンデレだった。 アンデレはまず自分の兄弟シモンを見つけて,言った。「私たちはメシア(「キリスト」という意味)を見つけた」。 そしてシモンをイエスの所に連れていった。”とあります。この時、イエスの弟子になったということですよね、この3人はバプテスマのヨハネの弟子という立場として描かれています。」
「そうだね。JW訳では“イエスに付いていった”とまるで犬のように後追いしたような訳にしているけれど、協会共同訳では、“イエスに従った”としている。」
「JWとしては、ここで弟子になったとすると、他の福音書と矛盾するので、わざとそうしているのでしょうね。」
「当時は、弟子が先生を選ぶもので、先生が弟子になりなさいと呼びかけることはない。その点では、ヨハネのほうがもっともらしい。」

「でも史実に近いのは、最も古いマルコじゃないですか?マルコでは、イエスはガリラヤ湖のほとりで、アンデレ、シモン、ヤコブ、ヨハネの漁師4人組を弟子にしています。」
「そのあとイエスは、マルコ1:21によると“一行はカペルナウムに入った。イエスは,安息日になるとすぐ,会堂に入って教え始めた。”とある。しかし、考古学的調査によると、当時のカペルナウムは小さな村といったもので、会堂のような建物の跡は見つかっていない。この話の史実性は疑問符が付くね。」

「4から7節は、“意欲を高める”です。4節に、“ペテロは家族を養うために魚を集めました。”とあります。これはへんな表現ですよ。その辺に落ちていた魚を拾い集めたように読めます。」
「英文ではPeter caught fishで、魚を捕まえる。捕まえるというのは、不適切と思ったのだろう。それで集めるにしたと思うよ。でも、これはダメだよ。」

「ペテロたちはどんな魚を捕っていたんですか?ガリラヤ湖は淡水ですよね。淡水魚というと鯉やフナを思い出しますが、ガリラヤ湖にはいないですよね。」
「英語で、St. Peter’s fish(聖ペテロの魚)と呼ばれる魚がいる。ティラピアの仲間で、イスラエルを観光旅行して、ガリラヤ湖周辺のレストランに行くと、必ず食べさせられる魚。その他に鯉の仲間の魚もいるね。ナマズの仲間もたくさんいるけれど、これは古代のユダヤ人は食べないね。」

「マタイ17:27で、イエスがペテロに“湖に行って,釣り針を垂らしなさい。最初に釣れる魚を取って口を開けると,銀貨が1枚見つかります。それを取って,私とあなたの分の税を払いなさい。”と言われますよね。その時の魚ですね。」
「当時は、釣り竿はない。糸に針をつけて、水に垂らして釣る。」

「5節に、“私たちが伝道するのは,エホバを愛しているからです。それが伝道する何よりの理由です。”とあります。事実とは違いますが、これがJWの模範解答なんでしょうね。」
「伝道しないと、不活発だ、霊性が低いなどと非難され、いじめられるからじゃないの。数カ月前までは本当はこんなことやりたくないという雰囲気で街をうろついていたよね。」

「8から10節が、“伝道の仕方を学ぶ”です。9節では、“人に合わせ,人がいそうな場所で,会えそうな時間に伝道する必要があります。”と当たり前のことを書いています。このとおりにしないJWが多いということでしょうか?」
「JWは時間給のパートタイマのようなものだろう。成果は何も問われない。時間さえ過ぎれば、それでOKとなれば、人のいない時間に家のベルを鳴らして回るだけの伝道活動になっても不思議じゃないね。」

「8節に、“イエスの時代,イスラエルの漁師は集めて良いのはどんな魚かを知っていなければなりませんでした。(レビ 11:9-12)”とあります。引照聖句のレビ11:12に“水の中にいるひれとうろこがないものは皆,あなたたちにとって忌まわしいものである。”とあります。ということは、ナマズやウナギは食べてはいけないわけですが、なぜなのか理由は示されていません。」
「レビ11章は、食べてはいけないものについて、地上の動物、水中の動物、羽のある動物別に規則を設けている章だ。禁止されている動物を見ると、半遊牧民だった古代イスラエル人にとってなじみの薄い新奇な動物が多いことがわかる。豚は禁止動物になっているけれど、豚を飼うのは定着民で、羊や山羊を飼って、草地を移動して回る人間にはなじみが薄いものなんだ。ラクダも禁止だけれど、ラクダが飼われるようになるのも、イスラエル王国成立以降で、なじみが薄い。」
「新奇な動物に対する恐怖ゆえの禁止ということですか?」
「理由の一部はそうだね。でも、ナマズやウナギが禁止なのは、水の底の泥の中に潜ることが、清くないとされた理由ではないかと思われる。魚は水の中だけに住むべきという思想があったようだ。現代人には理解できないね。」

「9節に、“例えばイエスの弟子たちは,神殿や会堂や広場で,また家から家に行って伝道しました。”とあり、引照聖句に使徒5:42、“そして毎日,神殿で,また家から家へと行って教え,キリストであるイエスについての良い知らせを広め続けて,やめなかった。”がでています。家から家へ伝道したなんて書いていません。」
「信者の家に人を集めて教えたということだよ。JWみたいに勝手に他人の家に押しかけたという意味ではない。そんなことは押しの強いパウロでさえやっていないよ。」

「11から14節が、“勇気を持つ”です。気弱な人にはJWは無理ということですね。」
「12節に、“どうすれば勇気を持てますか。まず,イエスが今もこの活動を天から導いていることを意識してください。”とあるけれど、イエスがJWの活動を導いているなんて、何の根拠もないでしょう。」
「児童性的虐待の隠蔽もイエスの導きなの?裁判に負けて多額の賠償を支払うことになったのもイエスの導き?王国会館や大会ホールの売却もイエスの導き?アメリカにいる8人の老人の導きの結果だね。」

「13節に、“エホバはご自分の民が紅海を渡れるよう助けたのですから,あなたがイエスの弟子になるようにも助けてくださいます。”とある。非論理的だね。古代イスラエルの出来事と現代の怪しげな宗教団体の活動とは何の関係もない。つながりがあるならその根拠を示して欲しいね。」
「いきなり出エジプトの話が出てくるのも奇妙です。漁の話を考えていたら、海を連想し、そこから出エジプトの海を渡る話を思い出し、ここに思いついたことを書いた。そんなところじゃないですか。本当に何の論理性もありません。」

「14節に二人の日本人姉妹の体験談がでている。真枝姉妹は“控えめな人”だったけれど、それを克服して、開拓奉仕をしていますという、実につまらない話なんだけど、英文ではshy(内気、引っ込み思案)なのに、“控えめな人”と美化して訳している。ひょっとして、真枝姉妹というのはJWの偉い人の奥さんなの?」
「こんなつまらない体験談が実名入りで出るのは、その種の売名行為かもしれませんね。」

「それに対して、知余姉妹の方は面白い。」
「初めて野外奉仕に出た時、訪問先で、エホバの証人と関わりたくないと怒鳴られたけれど、“うれしいわ。何も言わないのに,あの人は私がエホバの証人だと思ってくれた。”と言ったというものですね。」
「彼女は理想のJW だ。厚かましくて、押しが強い。人の迷惑など少しも気にしない自己中心性と鈍感さがある。宗教勧誘員としてうまくやれるよ。」
「その適性を生かして、生命保険の勧誘でもすれば結構稼げるんじゃないですか。もったいないですね。」

「15,16節が、“自分を甘やかさない”です。無給の宗教勧誘員に対して、相変わらず要求過多ですね。」
「15節に、“漁師として生計を立てている人は自分を甘やかしません。”とあるけど、それはそうだろう。生活が懸かっているんだから。でも、JWは伝道活動で生活しているわけじゃないから、漁師とJWを比較すること自体が間違っている。」
「JWは伝道活動を熱心にすればするほど、生活が苦しくなります。伝道活動はほどほどというのが長く続けるコツです、くらいは書いてほしいです。」
「そうだね。新人JWは、こんな駄文を書いて生活しているJW貴族の言うことを聞いちゃダメということ。」

「18,19節が、“遅らせない”です。18節には、“良い知らせを伝え,人々を教えることを続ける限り,エホバは私たちが成功していると見てくださいます。”とありますね。続けていればいいという、評価基準なのですね。でも、聖書的根拠はありませんよね?」
「JWは宗教勧誘員として成功か失敗か神様から裁かれるということ?しかも続けてさえいればいいというのも理解できない基準だ。」

「19節に、見飽きた文があります。“今一層伝道に力を入れる理由があります。今の体制の終わりが非常に近いからです。”このセリフを150年間は呪文のように繰り返していますね。」
「この記事は新人JW向けなんだろうね。新人JWは過去の預言の失敗のことは知らないし、また教えられない。無知な新人JWはこの文章を見て、身が引き締まる思いを抱くのかな。」

#1246 2020年11月06日 19:30:55

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

「女は静かに、あくまでも従順に学ぶべきです。女が教えたり、男の上に立ったりするのを、私は許しません。むしろ、静かにしているべきです。なぜなら、アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。また、アダムはだまされませんでしたが、女はすっかりだまされて、道を踏み外しました。」(テモテへの手紙一2章)


ユダヤ人の選民意識にとって重要なのは「アブラハムの子孫である」ことで、旧約伝承を前提にすればみんなアダムの子孫なので「人である」ことと同義です。アダムとエバの昔話も疑り深い神様が自分に似せて土をこねこねして息を吹きかけて動き出したばかりのニンゲンにしゃべる蛇がなんか入れ知恵しましたとさ、くらいのことですが、こじつけ寓意話にしようと思えば百人が百通りに拡大解釈できるので他の童話と同様、思考教材としてはそれなりに有用ですが宗教的には重視されず、過去のユダヤ教文献で触れているのも、後の旧約正典には入らなかったものばかりです。


その中でパウロの原罪思想に通じるものとして知られているのは質問さんが挙げた第2エズラと第2バルク、最初に引用した第二パウロ書簡との類似性がありそうなものとしてはシラ書25章の「女から罪は始まり、 女のせいで我々は皆死ぬことになった。」があります。このあたりのことはかなり昔にカレブさんも書いていたような記憶があります。

#1247 2020年11月07日 04:51:39

またい
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

高校、倫理。
パウロ出てくる。

#1248 2020年11月13日 15:38:19

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“手を休めてはならない(37)”で、先週に続いて、新人JW向けの研修資料で、伝道に対する心構えについて、といった内容です。」
「主題聖句は伝道11:6で、“朝に種をまき,夕方になるまで手を休めてはならない。あなたは,どの種が育つか,これかそれか,あるいは両方なのかを知らないからだ。”だけど、これだと夜は休んでいいはず。でもJWは夜の集会があるよね。働きすぎということだね。」
「ですから、体はなるべく動かさず、集会中には居眠りに励みます。」
「この聖句は、現代的に言えば、人間が未来を知ることができないので、リスク管理を心掛けよという意味だよ。一つのものにすべてを賭けるな、分散投資を行えということ。終わりの日が来るまで、休まず働けという意味ではない。」

「卵を一つのかごに入れるな、ということですか?」
「伝道11:1から6がひとつのまとまりだけど、11:1は“あなたのパンを水の上に投げなさい。月日がたてば,あなたはそれを再び得ることになる。 持ち物を7人に,いや,8人にでも分けてあげなさい。あなたは,地上でどんな災難が起きるかを知らないからだ。”とある。前半のパンを水の上に投げるとは、海の向こうの人たちと取り引きを恐れるな、長期的には必ずリターンがある、という意味。」
「慈善行為のことかと思いました。でも、それだと再び得るという部分の解釈が難しいですよね。」

「伝道の書の著者は上流階級の知識人で、貧困層のことなど関心がないし、慈善行為について無関心だね。資産を失わないための投資術に関心がある金持ちだよ。」
「ということは、後半の“持ち物を7人に,いや,8人にでも分けてあげなさい。”は、誤訳ですか?」
「そのとおり。協会共同訳では、“あなたの受ける分を七つか八つに分けよ。”となっている。こちらの方がよい。慈善ではなく分散投資の話をしているのだから。現代風に言うと、株、債券、不動産、金などに資産を分散させて、一つにすべてをかけるようなことをするなということ。なぜ分散投資をするかと言えば、“あなたは,地上でどんな災難が起きるかを知らないからだ。”と説明している。」

「1節に、“世界のある国々では,聖書から良い知らせが伝えられると人々は快く耳を傾けます。”とあります。具体的にどの国か教えて欲しいですね?」
「統治体に手紙を書いて、教えてもらえばいい。そして、その国に派遣させてくださいとお願いする。日本のJW全員でその国に行こうよ。」

「4から7節が、“打ち込む”です。JWは伝道活動に打ち込まなくてはいけません。」
「英文は、“STAY FOCUSED”で、集中するとか気をそらさないという意味で、打ち込むと訳したのは、翻訳者の意気込みの表れだね。それなら、まず自分から、ど田舎で伝道活動に打ち込んで欲しいね。」
「打ち込むのは、下っ端だけです。上の方々は、湖のそばの風光明媚な所で楽園での生活の予行演習に励んでいます。」
「その新しい本部はニューヨーク本部を売却した資金で造られたものだろう。JWは最も価値のある不動産を手放した。次に売る物はあるのか?」
「統治体の老人は、自分が死ぬまでの間だけ何とか組織が持てばよいとしか思っていません。」

「5節の最後に、“今の時代に行われている世界的な伝道活動が完了するまで,私たちが伝道を続けることをエホバは望んでいます。”とあるけれど、英文ではこの文の前に、Clearly(明らかに、疑いもなく)という副詞がついている。少しも明らかじゃないので訳するのを止めたのだろうね。」
「“明らかに”とある場合は、何の根拠もないので強弁しているだけなのが、明らかにわかるので、翻訳者は“明らかに”は使いたくないのですよ。」
「二日酔いでこの単語を見落としただけかもしれないけどね。」

「6節が、アメリカの宗教ビジネスらしく数字を羅列しています。“エホバが私たちのためにどれほど多くのことをしてくださっているか”を示すものだそうです。笑えます。」
「6節に“合計2091万9041人もの人がイエスの死の記念式に出席しました。現代の奇跡ともいえるこうした出来事”とあるね。どうしてこれが奇跡的な出来事なのか理解できない。信者数は約850万とすると、信者以外は1241万人ということになる。これは1人の信者が、記念式に1.46人の非信者を連れてきたということ。とても低い比率で、この数字はこれからの信者数の伸びに警告を発していると読み取るべきだよ。」
「2018年サッカーワールドカップの決勝戦のフランス対クロアチア戦をテレビで見た人は、11億2000万人と報道されています。桁違いに、こちらの方がすごいです。」
「サッカーの神様はJWの神様より力があるという事だね。」

「7節に、“イエスの手本に倣うと伝道に打ち込めます。”とあります。イエスは、自分を見倣って伝道に打ち込めなんて、言っていませんよね。いろいろ聖句を持ち出してきていますが、それに該当するものはありません。」
「7節の最後に、“パウロは,「疲れて諦めてしまうこと」がないようイエスの手本に倣うことを勧めました。(ヘブ 12:3)”とある。ヘブライ書はパウロの著作じゃないけれど、12:3には、“そのイエスのことをよく考えてください。そうすれば,疲れて諦めてしまうことはないでしょう。”とあるよ。でも、伝道に疲れて諦めるな、なんては言ってはいない。ヘブライ11章から12章にかけてのテーマは信仰で、逆境にあっても信仰を保ちなさいと言っている。JWには不都合なことだけど、伝道のことなんか出てこないよ。」

「8から14節が、“辛抱する”です。JWは辛抱強くないといけません。いつまでも終わりの日が来ないと文句を言うな、というのが要点です。」
「終末カルトとしては、一方で終わりが近いとあおり、一方では終わりが来なくても辛抱せよと信者をなだめなくてはならない。その辺のアクセルとブレーキの使い分けが統治体の信者管理の腕の見せどころだね。」
「8節で、“エホバが決めた時が来るまで辛抱する必要があります。”といっていますね。終わりの日が来ないのも、予言がはずれるのも、世代の解釈が変わるのも、エホバのせいで統治体は悪くないと言いたいようです。」

「9節に、“エホバは辛抱する点での完璧な手本です。”とあるけれど、その具体例は創世記にあるノアとアブラハムの話。説得力ないね。」
「エホバと言えば、すぐ怒る危険な神様ですよ。どれだけイスラエル人が殺されたことか。気の毒です。」
「子どもでも容赦しないよね。」
「列王記二2章にあるエリシャはげ頭事件のことですね。」
「エリシャのことをはげあたまとバカにした子どもたちに、“エリシャは振り向いて,少年たちに災いがあるようエホバの名によって願い求めた。すると,森の中から雌熊が2頭出てきて,子供たちのうち42人を引き裂いた。(2:42)”とある。子どもやその家族のことを思うと涙が出てくるね。」
「エホバは、子どもでもハゲの人をからかってはいけないという教訓を教えるために、42人の子どもを虐殺し、わざわざこの出来事を聖書に書かせたのです。完璧なお手本です。」

「それに神様にとって1000年は1日じゃなかったっけ。そんな神様と人間を比べること自体バカバカしいだろう。」
「要するに、エホバに倣う、イエスに倣う、と言っていれば、記事の半分くらいが埋まるのですよ。だから、執筆者は何も考えずに、気楽にエホバに倣う、イエスに倣う、を連発します。倣うよう強制されるのは末端の信者だけです。」

「10節では、“ヤコブ 5:7,8を読む。”とある。そして、“イスラエルで作物が生育する期間は約6カ月でした。(略)農家の人の辛抱に倣いましょう。”とある。農家の人の辛抱は、たった6カ月だよ。近所のボロアパート住む、亭主を胃がんで亡くした薄汚いJWの婆さんは60年辛抱しているよ。比較対象が不適切なんだよ。」
「11節には、家庭菜園の例が出てきます。バカにしているのか、と怒りたくなる例えです。」
「“家庭菜園で作物を育てるには,土を掘り返し,種をまき,雑草を引き抜き,水をやるなどして,何かと手を掛けなければなりません。人々を弟子とする際にも,継続的に関心を向けなければなりません。”と得意になって書いている。家庭菜園の例えを、いい思い付きと思ったんじゃないの。」
「ヤコブ5:7,8は、弟子を作るには辛抱が必要だなんて言っていません。“兄弟たち,主の臨在の時まで辛抱してください。”と言っています。伝道して弟子を作りなさいなんて言う話しは聖書にまず出てきません。JWが聖句を捻じ曲げて利用しているだけです。」
「JWの教義では1914年に主の臨在が目に見えない形であったんだよね。もう辛抱することはないはずだよ。」

「15から17節が、“信仰を強く保つ”です。JWにとって、信仰は何より必要です。」
「15節に“私たちは伝えているメッセージに確信を持っています。”とある。本当なのか?重なる世代について確信を持っているの?1914年の教義に確信を持っているの?1919年にJWが神に選ばれたという根拠を示せるの?その他の数多くの怪しい教義に本当に確信を持っているの?」
「もちろん確信は持っていますよ。それがなぜ正しいのか説明できないだけです。」
「15節には、“聖書の預言が現代に実現しているのを見ています。”とある。これは、そう無理矢理解釈しただけだろう。」
「そのこじつけぶりは、多くのJWでもあきれていますよ。」

「その次に、“聖書のアドバイスを当てはめて生き方を改めた人たちがいるのを知っています。”とある。これがJWが最後に頼る自分たちの正当性の根拠みたいだね。JWになって、善人になった、JWは倫理的水準を高めている、だからJWは素晴らしい、というわけだ。」
「でも、JWの倫理性が他の人たちより高いという根拠はありません。JWにも犯罪者はいますし、組織の在り方も不透明で、特に金銭面では、一般企業に比べて隠蔽体質です。」
「どの宗教でも、悪人が善人になったという話は満ち溢れている。JWだけじゃないからね。それから無神論者の方が倫理性が低いとか、犯罪率が高いなんてこともない。」

「17節は、体験談です。ある女子大生が“大学のキャンパス内でエホバの証人が出版物をテーブルに並べて立っているのを目にし,論文に必要な資料を入手できました。やがてこの学生はバプテスマを受けました。”というものです。カートによる伝道が成功している根拠だそうです。」
「これは2014年に掲載されたものだよね。これに相当するような成功例がそれ以来ないということ?」

「18、19節が、“手を休めない”です。最後は希望を持たせることを書いています。でも、ノアの話です。古代の神話で励まされるのがJWなんですね。」
「18節に、“洪水が起きるまで,ノアは一生懸命に働きました。その期間は40年から50年だったと考えられます。”とある。それなら60年待っている近所のJW婆さんの方が辛抱強いよ。最近見ないけれど生きているのか心配だ。」
「19節に、“エホバは間もなく王国について伝道する活動を終わらせます。”と不遜にもエホバになったかのようなことを書いています。」
「JWの本音は、伝道なんかしたくない、早くやめたい、でしょう。だから、間もなく終わると書いて、JWを励まそうという親切心だよ。親切な統治体に感謝しよう。」

#1249 2020年11月15日 14:40:37

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

「この聖句は、現代的に言えば、人間が未来を知ることができないので、リスク管理を心掛けよという意味だよ。一つのものにすべてを賭けるな、分散投資を行えということ。終わりの日が来るまで、休まず働けという意味ではない。」

「卵を一つのかごに入れるな、ということですか?」
「伝道11:1から6がひとつのまとまりだけど、11:1は“あなたのパンを水の上に投げなさい。月日がたてば,あなたはそれを再び得ることになる。 持ち物を7人に,いや,8人にでも分けてあげなさい。あなたは,地上でどんな災難が起きるかを知らないからだ。”とある。前半のパンを水の上に投げるとは、海の向こうの人たちと取り引きを恐れるな、長期的には必ずリターンがある、という意味。」
「慈善行為のことかと思いました。でも、それだと再び得るという部分の解釈が難しいですよね。」

「伝道の書の著者は上流階級の知識人で、貧困層のことなど関心がないし、慈善行為について無関心だね。資産を失わないための投資術に関心がある金持ちだよ。」

興味深い記事ありがとうございます 自分も証人たちが言うように一生懸命布教にはげめ また期待できないように思えたとしても証言しておくなら将来信者になるかもしれない のような意味に捉えていました

ティンデルの聖書注解のその部分みてみるとそういわれればそのような意味なのかなと思いました 「質問さんほどはっきりとは書いてないような気がしますが」


万年研究生さん

妻との家族崇拝の時間でこれまでの写本は新世界訳の底本として信用できるかというテーマだったので
死海写本の文献やナショナルジオグラフィックなどを読んでいたところです。
以前にこちらに書いてくださった写本は信じられるかに関するトピックも参考にさせていただいていますが
強めに妻に反論すると認知不協和になって失語症人間になってしまいます

土岐さんの死海写本の本ナナメ読みですが見てみました

死海写本にまつわる歴史や内容やまたこれを用いていたであろうエッセネ派の人たちの行動様式や神学などについて書かれていたと思いますがけっこう固い本かなと思いました 現役奥さんと勉強するにはちょっと厳しいかなと感じました cry

あと死海写本には秘密にされている特別な知識が書かれているというまことしやかなうわさ話があるようですが長い間公開されなかったので生じたもののようですね

一例 死海文書のなぞ

前書きの一部

それらに共通するのは、死海写本には、イエスや初期キリスト教の実態が記されているという妄想である。これらは、まじめに死海写本に取り組んでいる世界中の学者たちの眉をひそめさせるもので、学問研究とは無縁のものであったが、実際の写本に何が書かれているかが一般の人々に知られていなかったことも、こうした本がベストセラーになった一因であったと思われる。

編集者 てつてつ (2020年11月15日 20:44:19)

オフライン

#1250 2020年11月20日 15:38:02

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“平和な時を有効に活用しましょう(38)”で、間もなく大患難がくるから、今の平和な時に伝道活動をしようという、内容です。」
「今が平和な時?感染症の世界的大流行(パンデミック)という時期だよ。現実認識が完全に間違っている。」

「まあそうですけれど、最初はアサ王の話です。模範的人物として見倣おう、ということです。アサ王はソロモン死後の南北分裂後の南のユダ王国の3代目の王ですね。“洞察”を見ると、在位西暦前977から937年とあります。」
「その年代はおかしいよ。ユダ王国初代の王レハベアムについて、列王一14:25に“レハベアム王の治世の第5年には,エジプトのシシャク王がエルサレムに攻め上ってきた。とある。”エジプトは記録の宝庫で、年代を推定する資料が豊富なの。シシャク王は在位西暦前943から922年頃と推定されている。シシャク王はパレスチナ遠征後間もなく死亡しているので、レハベアム王の第5年は西暦前925年前後になる。」
「JWの年代では、その頃はアサの息子のエホシャファトの時代です。3世代もずれていますね。JWの年代学は滅茶苦茶ですね。」
「数年の違いじゃなくて、数十年の違いだからね。今更修正できないのだろう。いつまでウソを続けるのだろうね。嘘つき宗教団体と認定できる。」

「2節に、“祖母のマアカを国の貴婦人の地位から降ろすこともしました。”とあります。グレイの髪の女性を追い出そうとしている挿絵があります。確かに列王一15:10には“彼の祖母はマアカといい”となっていますが、協会共同訳では、“母の名はマアカと言い、”となっています。マアカはアサの祖母?それとも母なのですか?」
「聖書本文には“母”となっている。ところが、列王一15:2に“アビヤムはエルサレムで3年治めた。彼の母はマアカといい,”とある。」
「アビヤムはアサの父ですね。マアカは父の母なのでアサの祖母になります。」
「そこで、聖書に矛盾があってはいけないと考えたJWの翻訳者は、母と聖書に書いているのに祖母に変えた。協会共同訳は原文通りに母と訳した。どちらが聖書に敬意を払っているか、わかるよね。」
「勝手に単語を変えて、つじつまを合わせるのであれば、列王一15:6の“代わりにアビヤムの子アサが王になった。”の“子”ではなく“弟”にするという方法もあります。」
「そう主張する人もいるね。それで、アサはアビヤムの子あるいは弟ということになる。」

「2節に、“聖書によれば,アサは「外国の神の祭壇と高い場所を取り除き,聖柱を打ち砕き,聖木を切り倒し」ました。(代二 14:3,5)”とあります。これは歴代誌からの引用ですが、列王一15:14では、“しかし高い場所は取り除かれなかった。”とあります。」
「歴代誌と列王記の間の矛盾だね。その様な不一致はたくさんある。」
「イスラエル人を励ますために、歴代誌は過去を美化していますから。」

「2節にアサが“ユダから間違った崇拝を排除しました。”とあるけれど、そんなことはない。考古学的調査によれば、アサ王の南王国(ユダ)の地域では2000以上の女性土偶が見つかっている。乳房が巨大で、両手でそれを支えているように見える土偶だ。」
「巨乳ということは、豊作や出産に関連する女神か多産や子どもの健康を祈る儀式に使われる道具なのでしょうね。」
「聖書では、人間が造った像の崇拝が禁止されているけれど、これらの土偶はそれが庶民の間では全然守られていないことを示している。」
「アサ王が“ユダから間違った崇拝を排除しました。”といえるのは、宮廷やその周辺だけの話ということですね。」
「古代の王権は、個人の家の宗教に介入するほど強力ではない。」

「4,5節が、“アサは平和な時をどのように活用したか”です。4節には、“町,城壁,塔,門を造ることにします。”とあります。本当ですか?」
「歴代誌にそう書かれているけれど、歴代誌は歴史書ではない。当時のユダ王国はちっぽけな国でそのような建設事業をやるだけ力はない。もちろん考古学的証拠もない。」

「5節には、“アサは平和な時を活用して軍事力を強化することもしました。(代二 14:8)”とあります。引照聖句の歴代二14:8には“大盾と小やりを装備したユダの兵士が30万人いた。また,小盾を持ち,弓で武装したベニヤミンの強い戦士が28万人いた。”とあります。合計58万人です。あり得ない数字ですよね。」
「日本の自衛隊は約30万人、フランスは約38万人、ドイツは約20万人。58万人はすごい数字だね。当時のユダ王国の人口10万人もいないよ。」
「仮に人口10万人とした場合、兵力はどれくらいですか?」
「人口の5%として、5千人くらいが上限。それ以上兵士の数を増やすと、生産人口が足りなくなる。現在のイスラエルは人口約840万人で、兵数は約62万人。これは人口の約7%。これは女性兵士も含んでいる。男性だけだともっと低くなる。生産性の低い古代では5%でも厳しい数字。」

「6から8節は、“1世紀のクリスチャンは平和な時をどのように活用したか”です。アサ王の話は中断します。6節に、“1世紀のクリスチャンは何度も迫害されましたが,平和な時もありました。”とあります。そんなに迫害されたのですか?」
「多くは誇張されている。ローマ帝国は基本的に宗教に寛容だった。クリスチャンの迫害はローマ帝国の政策によってというより、地方の住人による自然発生的なものの方が多かった。」
「皇帝崇拝を拒否することによる反発ですか?」
「今のJ W と似た理由だよ。その地方の習慣や儀式に協力や参加を拒否することで、憎まれたようだ。宗教の教義なんかは迫害とはほとんど関係ない。」

「1世紀はクリスチャンがどんどん増えていったようですが、その主な理由は何ですか?」
「まず古代では神の存在を疑問視する人はいない。そして当時の宗教は全て多神教だった。新しい神様に対して抵抗がない。それから、ある家族の家長が改宗すると、同時にその他の家族や奴隷も改宗するのが普通だった。一度に大量の信者獲得となる。古代では宗教は個人が選ぶものではない。キリスト教の倫理性も当時の人には目新しかった。」
「古代では、宗教と生き方は無関係ですよね。」
「古代宗教は、神殿、祭司、儀式が主な要素。教義とか倫理は重要ではない。伝道して信者を増やすこともない。古代は、現代とは全く違った宗教的環境なわけで、1世紀のクリスチャンに見倣っても、信者が爆発的に増えることはないよ。」

「9から13節が、“今の平和な時を活用する”です。10節に“もしかしたら,開拓奉仕ができるでしょうか。今はお金や物を蓄える時ではありません。”とあります。危険なカルトの臭いがしてきますね。」
「JWには、今こそ老後に備えてお金を蓄える時であるという人が多いと思うけどね。」
「この記事が書かれたときにすでにコロナウイルスは大きな問題になっていたと思います。伝道活動は事実上中止ですよ。それなのに“開拓奉仕ができるでしょうか”というのはおかしいですよ。ここで言いう開拓奉仕とは、同じ文章の手紙を書きまくって、自費で郵送するということなのでしょうか。」
「時間さえカウントできればいいならそれでもいいけれど、全く無意味だね。」

「11節では、“新たな言語を学んだ伝道者も大勢います。”とあり、信者獲得に有望そうな移民・難民向けの伝道活動を強化したいという意図が見えますね。」
「12節に、“会衆の区域に住む別の言語を話す人を助けるため,その言語を学べますか。”とあるね。2年前だと、日本にいる外国人というと、中国人、韓国人、ベトナム人、フィリピン人、ブラジル人がトップ5だね。でも、今だと外国人は激減して、外国語会衆が閉鎖という所もあるようだよ。」

「14節から最後まで、“平和な時は長くは続かない”です。大患難が迫っているぞ、と信者を脅迫しています。」
「再び、アサ王が登場。15節には、“100万人の大軍がエチオピアから攻めてきたのです。”とある。歴代二14:8の“やがて,エチオピア人ゼラハが100万人の軍勢と300両の兵車を率いて,攻めてきた。”に基づいているのだけれど、こんな史実はないよ。」
「100万の軍隊にどうやって命令を出すんでしょうか?食料や水は?100万人が並ぶだけで広大な空間が必要です。また、100万の軍勢に対して300両の兵車は少なすぎます。歴代誌の作者の空想戦記ですね。」
「歴代誌14:12、13には、“エホバはアサとユダの前でエチオピア人を打ち破り,エチオピア人は逃げ去った。アサとユダの人たちは彼らをゲラルまで追跡したので,エチオピア人は次々に倒れ,一人も生き残らなかった。”とある。ということは100万人皆殺しだ。これは聖書の中で示されている最大の虐殺行為。架空戦記でよかった。」

「15節には、“エチオピアの軍隊は屈辱的にも敗北しました。”とありますが、エチオピアの軍隊なのですか?」
「普通はエチオピア人ゼラハは軍司令官で、エジプトやリビアの軍を率いてきたと解釈される。アサ王の祖父の時代にエジプトから攻撃されたという史実がある。」

「16節で、“エホバの民が得ている平和が一時的なものにすぎないことは分かっています。イエスは,終わりの時代に弟子たちが「全ての国の人々から憎まれ」ると予告しました。”と、危機感をあおっています。」
「統治体は、これからJWが多くの人から憎まれるようになると予想しているんだろう。JWに対する非難や攻撃が増えても、気落ちすることなく、かえって、これは終わりが近い証拠だとJWが勝手に思うように危機感をあおっている。」
「憎まれるのは、イエスの弟子だからという理由ではなくて、具体的な犯罪行為やその隠ぺい、捜査機関に対する非協力からじゃないですか。」
「オーストラリアでそうなっている。」
「排斥や断絶制度で家族を破壊する宗教、輸血禁止で子どもの命まで危険にさらす宗教という評価が定着したことも、憎まれる理由です。」
「普通の人がJWを嫌うのは、頼みもしないのに勝手に家に押しかけてくるからじゃないの。」

「17節では、間もなく“世界の始めから今まで起きたことがな[い]大患難”が来るといっているのですが、“大患難の際,家族に反対されたり伝道が禁止されたりするかもしれません。”とあります。拍子抜けしますね。歴史始まってから初の大患難ですよ。それが、家族から反対とか伝道の禁止なのですか?」
「言葉だけが大げさということだね。それだと、せいぜいミニ艱難だね。」

「18節に、エホバは“「忠実で思慮深い奴隷」を導いて,信仰を養う食物を「適切な時に」与え,”とありますが、事実に反しています。コロナウイルスで大変な時に、どんな食物を与えたというのでしょうか?JWは5000人以上死亡したことを認めています。高い死亡率です。」
「パンデミックに何も触れず、平和な時を活用しようというばかげた記事を書いているということは、組織は現実の問題に対処する能力が根本的に欠けていることを示しているよ。」

「19節に、“アサのように,「エホバに仕え」ましょう。”とありますが、具体的には、集会、聖書、家族の崇拝、伝道です。これさえやっていれば、楽園が待っているというわけです。」
「でも、これら全てを完璧にできる人はいないので、JWは誰も救われない宗教だ。」
「最後の20節ですが、“聖書によれば,エホバは私たちの考えや心を調べる方です。ですから,私たちも自分の考えや心を調べなければなりません。”と信者を最後まで脅かしています。」
「でもJWは他人の考えや心はわからないから、表向きいい子にしつつ、JW活動は最小にして、老後に備えてお金を貯めよう。」

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