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#1001 2019年05月25日 06:04:27

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

akame さんの発言:

最近は事情でROM専ですが、

>出エジプトの話では、神はファラオの心をかたくなにして、民を解放させないように仕向けたあげく、様々な災厄でエジプト人を苦しめ、最後はエジプト人の長子を皆殺しにします。エジプト人を不必要に過度に苦しめています。旧約の神の残虐性がよくわかります。

その事についてもここで書こうと思っていました。


akame さんの発言:

聖書をある程度史実として読むと、聖書の神に(私的に)野蛮性を感じる部分がかなりあります。ジェノサイドを始め、イサクを生贄にするよう求める場面、その他これまで複数のトピで述べさせていただいている通りです。

「神さま、何もそこまでしなくても!」「人にそこまで求める?」

素直な気持ちです。幾ら考えても、至高の神ではないような気がします。

akameさんが至高の神ではないと思われるのも自由なのですが、至高の神だと思う人がいても自由なのです。

「そこまでしなくても」と神に思っても、主権者であるならば全てのものに対して権限を持っておられるわけです。

また、イサクの件ですが、神はアブラハムの信仰を試したとはいえ、アブラハムの子孫を増やして祝福する事を約束しているわけですから、本当に捧げるようには思っていなかったのは確実です。
律法で子供を犠牲として捧げる事を禁じていますし。

それに、様々な他の宗教で実際に人間の生贄を多く捧げていた事を考えると、聖書の神はそのようなものは受け入れていませんから、よほど健全でしょう。

子供の生贄を禁じても試すために、そこまでしなくても!と考えても、神がされる事ですよ?

史実として見て、神がおられたら、その神に意見するのですか?

それと、どこからどこまでを史実と見て、どこからを史実ではないと見るのでしょうか。その判断基準は何ですか?
akameさんが言われる「ある程度史実として見ると」という事は何を意味しますか。

それも都合のいい判断ではないでしょうか。


akame さんの発言:

聖書は先人の知恵として役立つ部分も多々あると考えていますから、其々の内容で是非を自問しながら今後も読ませていただきます。

役立つ部分もあるという事で、長老を辞められても未だに聖書に関心を持って下さり嬉しいです。

確かに、そのような読み方もあるでしょうし、自由なのかもしれませんが、役立つ部分とそうでない部分との判断基準は何ですか?

神やイエスや弟子達の語った言葉以外のさほど重要ではない箇所の事なら分かります。

しかし、ここは役立つ、役立たない、他の宗教や思想にも真理の部分があるとして、それらから寄せ集めて独自の「真理」を探求しようという事でしょうか。

聖書はそのような事は禁じています。聖書を史実として見ていないから自由に考えるのですよね?

ある時は史実として見て、ある時は見ない。
それこそ勝手な都合のいい解釈のような気もします。

akameさんは、聖書の神を否定して、自由になったと考えておられて、聖書肯定の人の意見を読むと、その縛られない自由を侵害されたように感じられるのでしょうか。

それで、慌てて出て来られたと。


akame さんの発言:

結局、人はその時点におけるその人の価値観や感性に基づき、自分の信じたいように自分の中で情報を変換するものです。取分け、信条においては....ですから、感性が近い者同士が集うのです。

口は重宝なものです。あーでもない、こーでもない、藁人形論法も駆使、他のサイトでも散々この10年しましたが、もうウンザリで、今の私には時間の無駄です。

また、自分の信条を宣伝したい方は、姑息なことをしないで、自分のトピを立て、堂々と行ってください。

言うまでもなく、信じたいように変換するというのは、聖書否定派にも当てはまります。

各自の自由ですからそこまでは否定も止める事もできませんが、感性で判断してもいいものなのでしょうか。
感性が近い者が集まるという事は、このトピックでは、聖書の神を否定する書き込みしか許さないという意味ですか?

あーでもない、こーでもない、藁人形論法、口は重宝なもの。

それは否定派にも当てはまる時もあるのではないでしょうか。(特にここの誰かがという意味ではありません。)

ウンザリで時間の無駄であると言われるのなら放置されてはどうですか?

それに、私は、仏教トピックと同様に、それなりの根拠を示しているつもりです。

姑息な事とは、私の事なのでしょうか。

このトピック内で出された話題については、ここでその出された発言に対して意見交換したいと思うのが普通だと思うのですが。

ここで出された話題についての返事というか意見の書き込みもよそでトピックを立てて反論しなさいという事でしょうか?

akameさんや他の人は自分の信条や考えを自由に述べておられます。

ですから、私も自分の考えを言うわけです。

自分の考えを主張するには、トピックを立てて、その中だけで主張し、似たような考えの人だけがそこに集まって、反論は許さないという事でしょうか。

そんなルールありますか?

ここで出された話題の返信もよそでやれとどうしても言われるなら今後はそうするかもしれませんが、ファラオを頑なにした件に関してはこのトピックで書かせて頂きたいと思っています。


姑息な事をしないで堂々と行って下さいとの事ですが、根拠を示して反論しているのですから、akameさんや他の人でも、よそでやれとか姑息な事を言わずに堂々と反論したらよいと思うのですが、違いますか?


特にakameさんと揉めようとして書いているわけではありません。ご指摘がありましたので私の意見を書かせて頂きました。

#1002 2019年05月25日 06:25:09

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

それにしても、ラハムさんとakameさんのように、意見は違っても仲良くやれると思っていたのに残念です。

もちろん、姑息発言に対しては、akameさんが撤回して下さるなら私も撤回します。

#1003 2019年05月26日 12:08:57

ほい
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

akame さんの発言:

>出エジプトの話では、神はファラオの心をかたくなにして、民を解放させないように仕向けたあげく、様々な災厄でエジプト人を苦しめ、最後はエジプト人の長子を皆殺しにします。エジプト人を不必要に過度に苦しめています。旧約の神の残虐性がよくわかります。


聖書をある程度史実として読むと、聖書の神に(私的に)野蛮性を感じる部分がかなりあります。ジェノサイドを始め、イサクを生贄にするよう求める場面、その他これまで複数のトピで述べさせていただいている通りです。

「神さま、何もそこまでしなくても!」「人にそこまで求める?」

素直な気持ちです。幾ら考えても、至高の神ではないような気がします。

この点は、私もakameさんに賛同します。

一般的には過去の出来事を現在の価値基準で裁くことはナンセンスですが、聖書は神は不変であると自ら述べていますし、至高の神であるなら現代の私たちでも素直に理解できる行動をとられる、もしくは十分な説明をされてしかるべきだと思います。
また、エホバが創造者であるなら、神の崇高なお考えを理解できるように人類を創造されるべきだとも思います。

しかし、旧約聖書で描かれているエホバは、明らかな残虐性を有しており、先入観を持たずに客観的に評価するならば、とても愛に満ちた至高の神であるとは思えません。
それでもいろいろな理由や理屈を考えてエホバの正当性を証明しようとする行為は、私には聖書の神を信じたいがための確証バイアスに囚われた思考だと感じざるを得ません。JWはまさにこの典型的な例の一つでしょう。

仰天 さんの発言:

「そこまでしなくても」と神に思っても、主権者であるならば全てのものに対して権限を持っておられるわけです。

また、イサクの件ですが、神はアブラハムの信仰を試したとはいえ、アブラハムの子孫を増やして祝福する事を約束しているわけですから、本当に捧げるようには思っていなかったのは確実です。
律法で子供を犠牲として捧げる事を禁じていますし。

それに、様々な他の宗教で実際に人間の生贄を多く捧げていた事を考えると、聖書の神はそのようなものは受け入れていませんから、よほど健全でしょう。

子供の生贄を禁じても試すために、そこまでしなくても!と考えても、神がされる事ですよ?

史実として見て、神がおられたら、その神に意見するのですか?

まず律法で子供を犠牲として捧げる事を禁じたのはアブラハムよりずっと後の時代です。
ですので、当時のアブラハムにそのような明確な基準を知るすべはありません。
アブラハムの子孫を増やして祝福する事を約束しているとはいえ、ヨセフは犠牲として差し出させて、またもう一人子供を授けるという可能性だってあるわけです。
子どもを持つ身になって特に感じますが、このような方法でアブラハムの信仰を試すという行為は、明らかに愛が欠けており人をもてあそぶものです。

仰天さんは、それでも、絶対の権限を有する主権者の行うことに意見するなどおこがましい、という立場なのかもしれませんが、もしこれが史実であるならば、私にはエホバは暴君にしかみえず、たとえ滅ぼされるとしても仕えたいと思える対象ではありません。

もちろん、聖書を信仰する人たちを批判するつもりは毛頭ありません。
ただ、今の一般的な価値観や常識からフィルターなしに聖書(特に旧約)を読んだとき、全ての人にこれを信じろというのは、あまりにも酷だと思います(仰天さんが聖書を信じろと言っているというわけではなく、聖書自体が信じないものは滅びると述べているということです)。

akame さんの発言:

あーでもない、こーでもない、藁人形論法も駆使、他のサイトでも散々この10年しましたが、もうウンザリで、今の私には時間の無駄です。

もし人間の寿命が数百年あったとして、終わりの日に対する解釈をこう何度も間違えて変更する実態を目の当たりにしたとき、1914年当時の信者たちは今でもJWを続けているでしょうか。
結局のところ、人間には数十年の寿命しかなく、過去の事柄は忘れられる、わきに追いやられるというのが現実のような気がします。
経験や知識の次の世代への伝達というのは想像以上に困難であり、ウォーレン・バフェットの「我々が歴史から学ぶべきなのは、人々が歴史から学ばないという事実だ」という言葉は言い得て妙だと思います。
今後も同じような議論は繰り返し続いていくことでしょう。akameさんがウンザリと感じられる気持ちはよく理解できます。

#1004 2019年05月26日 12:58:31

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

akameさんお疲れさまです。

相変わらずの展開ですが、哀れな犠牲者に創造者の権能を叩きつけてさらに悔い改めさせる神を、大量の生け贄を屠って宥めていた精神性から何も変わっていないというか、とにかく全てのものに権限をもつ主権者が命じたことならば、に原点回帰するしかなくなりますね。


そこにイエスの教えを継ぎ接ぎしても、 irisさんの言うように、古い皮袋に新しい皮袋を強引に縫いつけるようなものです。


単意論はキリスト教史でもとっくに否定されている訳で、創造者様だぞさあ従え!ではない前ローマ教皇の説話などには他のキリスト教にはない可能性を感じることもあるのですが。

#1005 2019年05月26日 13:44:56

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

akameさん   

確かな根拠を示せないので黙っていたのですが、いつもからかわれてる様な気がしていました。  仰天さんは  傷ついた元 クリスチャンに何を伝えたいのかわかりません。
大量の資料を送りつけて、消化できないうちにたたみかけるような手法。過去にもありました。 洗脳する  圧倒する詐欺師  恐怖を煽る。
気持ちの悪い 動画や  恐ろしい 残酷な  迫害の記録

ルートさん  元証人さん  キメラ さん が怖い  と この掲示板に参加し始めの頃 何が何だか分からないながらも てつてつさん  に メールして 気を付けてと言ったことがあるのです。 事故を装って屋根から突き落とされるのではないかと心配しました。 他の方は 連絡しようがないから。
てつてつさん  は、人の良い それでも鈍いところもあり、たぶん強い方だから 平気でその後も活発に対話を続けておられました。

大空の浪人さん  お大事にしてください。
ムカデに刺された事が引き金になりこの度の事が過度なストレスとなり、劇症アトピー性皮膚炎になったのでしょうか?
ゆっくりと治してください。
先日 友人からSO見 さんの事聞きました。
別の 高校から大学も同窓の姉妹はあの方のお陰で献身することができるように信仰を持てたのよ!  と言ってました。

訂正してお詫びします。
so見兄弟は見た通りの方です。クリスチャンらしくて、廉潔な方です。
御夫婦共に綺麗な声で 歌っておられましたね。
高校同窓の英文科に進んだ姉妹は彼が長老を降りても相談事は彼のもとに行くと言ってました。その姉妹の娘さんたちも so見兄弟の娘さんも離れています。 健全に育っていますね。

編集者 めぐママ (2019年05月27日 22:41:22)

オフライン

#1006 2019年05月26日 19:00:47

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ほい さんの発言:

一般的には過去の出来事を現在の価値基準で裁くことはナンセンスですが、聖書は神は不変であると自ら述べていますし、至高の神であるなら現代の私たちでも素直に理解できる行動をとられる、もしくは十分な説明をされてしかるべきだと思います。
また、エホバが創造者であるなら、神の崇高なお考えを理解できるように人類を創造されるべきだとも思います。

まず、神様の全てを私たちのちっぽけな頭で理解できると考える事に無理があるように思います。

また、限界があるとはいえ、神の崇高な考えをある程度理解して賛美しているクリスチャンは世界に多く存在しています。



ほい さんの発言:

しかし、旧約聖書で描かれているエホバは、明らかな残虐性を有しており、先入観を持たずに客観的に評価するならば、とても愛に満ちた至高の神であるとは思えません。
それでもいろいろな理由や理屈を考えてエホバの正当性を証明しようとする行為は、私には聖書の神を信じたいがための確証バイアスに囚われた思考だと感じざるを得ません。JWはまさにこの典型的な例の一つでしょう。

ほいさんが神を残虐だと思ったり、至高者ではないと感じるのは自由ですが、実際には、残虐な民を愛と公正と義である神が裁かれたのです。(もちろん押し付ける気はないですが、追い追い説明したいと思います。)

色々な理由や理屈で正当化しているのでもありません。
神を信じたくないために神を必要以上に残虐な存在とする思考もあるのではないかと思います。(ほいさんがというわけではありません。)


ほい さんの発言:

まず律法で子供を犠牲として捧げる事を禁じたのはアブラハムよりずっと後の時代です。
ですので、当時のアブラハムにそのような明確な基準を知るすべはありません。
アブラハムの子孫を増やして祝福する事を約束しているとはいえ、ヨセフは犠牲として差し出させて、またもう一人子供を授けるという可能性だってあるわけです。
子どもを持つ身になって特に感じますが、このような方法でアブラハムの信仰を試すという行為は、明らかに愛が欠けており人をもてあそぶものです。

他に子供を授ける事もおできになるとはエホバの証人の解釈の典型ですね。元エホバの証人の友人から聞いた事があります。

聖書では何と述べていますか。

創世記/ 22章 05節
アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」



創世記/ 22章 08節
アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。



イサクと共に帰ってくる事、また、神が小羊を備えてくださると確信しています。



アブラハムをもてあそぶというような考えは神には全くなく、信仰を試したというだけの事であり、もてあそんだというのは、人間の勝手な解釈でしょう。


ほい さんの発言:

仰天さんは、それでも、絶対の権限を有する主権者の行うことに意見するなどおこがましい、という立場なのかもしれませんが、もしこれが史実であるならば、私にはエホバは暴君にしかみえず、たとえ滅ぼされるとしても仕えたいと思える対象ではありません。


聖書の神がおられるのなら聖書に書かれている事は史実でしょう。
ほいさんが神に仕えたくないと思うのは自由ですよ。
信じなくても何も普段の生活にも困りませんし。


ほい さんの発言:

もちろん、聖書を信仰する人たちを批判するつもりは毛頭ありません。

それは素晴らしい態度ですね。自分の主張を尊重して欲しいのなら、他の人の主張もある程度尊重しなくてはいけないと思います。



ほい さんの発言:

ただ、今の一般的な価値観や常識からフィルターなしに聖書(特に旧約)を読んだとき、全ての人にこれを信じろというのは、あまりにも酷だと思います(仰天さんが聖書を信じろと言っているというわけではなく、聖書自体が信じないものは滅びると述べているということです)。

フィルター無しにと言われますが、それぞれ様々なフィルターがかかっていると思いますよ。
それに、神から離れた者は裁かれるというのが聖書の教えですから、酷だと思うのもどうなのでしょうか。
神が与えて下さっている素晴らしいものの数々に目を留めて、感謝して約束の祝福に預かる道もあるわけですから酷だとは言えないと思いますけど。

それに、信じない者は滅びると書いてあっても、そもそも信じてもいないのですから興味のない聖典に何と書いてあっても関係ないと思うのですが。


ほい さんの発言:

もし人間の寿命が数百年あったとして、終わりの日に対する解釈をこう何度も間違えて変更する実態を目の当たりにしたとき、1914年当時の信者たちは今でもJWを続けているでしょうか。
結局のところ、人間には数十年の寿命しかなく、過去の事柄は忘れられる、わきに追いやられるというのが現実のような気がします。
経験や知識の次の世代への伝達というのは想像以上に困難であり、ウォーレン・バフェットの「我々が歴史から学ぶべきなのは、人々が歴史から学ばないという事実だ」という言葉は言い得て妙だと思います。
今後も同じような議論は繰り返し続いていくことでしょう。akameさんがウンザリと感じられる気持ちはよく理解できます。

終わりの日の算定をするように聖書は教えていません。
いつ来るか分からないのでいつ来てもいいように用心しておくようにというのが聖書の教えです。

エホバの証人は完全に間違いです。


同じような議論はウンザリと言われますが、一方的な聖書否定の意見にもウンザリしている閲覧者もおられた事でしょう。

私は、相手を尊重しながら色々な議論があってもいいと思いますけど。

#1007 2019年05月26日 21:58:50

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

皆さん一々語りませんが、

元jwの心は、単純に聖書が嫌い神が嫌い、信じる信じないでは説明できないと思います。それは間違った認識です。組織の聖書解釈の理不尽さ....それでも神を信じたい気持ちの狭間にある葛藤を現役時に何度も聞きました。

私も随分苦しんだものです。とくに、幼少時からプロテスタント系の教会とカトリックにも縁があり、聖書に親しんでいたことも関係していました。そうでない方々も、人生の大半を過ごした時間を否定したくない気持もちが本当はどこかにあるはずだと思います。(組織を離れ、聖書などを罵るのも謂わば、鬱積した心の叫び)

また、私自身の性向も苦しみに関係していたのかもしれません。

たとえば、ある日、塔研究集会で神のみ使いが一夜にしてアッシリアの兵士18万5,000人を殺した話を神の偉大な救い、神への畏怖の念が強調されていました。(列王第二 19:35,36)

すると、集会で強調されていることとは別に、私の脳裏には累々たるアッシリアの兵士たちの屍が自然に浮かびました。すると瞬間的に次のような気持ちが起きました。

「この兵士の1人にも家族が、妻子がいたんだろうなあ、イスラエルの神の噂を聞いても、家族を養う必要があり、兵士として上官に従う責務もあるし、逃亡は死刑だっかかもしれないし....」

すると単なる神の救いや勇壮な話としては受け止められなくなるので、集会中モヤモヤしていました。特に神や聖書を信じたくないからそう考えた訳ではありませんでした。(それはある意味、自己否定になりますから)

こうしたことが多い中、気持ちが分かってもらえそうな方(当時巡回代理)とやっと知り合えたことがありました。集会中に感じるモヤモヤを伝えました。すると意外な言葉が返ってきたのです。

「神は単なるイエスマンを高く評価してはいないと僕は思っている。アブラハムは神に異議を唱えたことがあったよね....
疑問を自分の中で押し殺すことなく....

結果として、真の答えを引き出し、神の友とされた...

ほとんどないけど、多様な視点から、疑問さえ語りあえる機会が、本当は必要と僕は思う。」

人には単に信じる信じない、信じたい信じたくないとかではない、複雑な心があります。現時点での表明的な肯否には其々の方たちの語られない歴史、それなりの理由があるのです。(組織の強調により受けたダメージなども含む)それは余程心を開かないと出ないでしょう。

このサイトに時折登場する、基本的に信じるか信じないかで人を分ける原理主義的聖書信奉者の方たちの凄い執念(言葉巧みに隠しながら、も馬脚が見え、時にはそれが姑息に思えますが、)に、衰えた私などは脱帽します。

また、そうした方の悪気の無い動機があることも分かります。

しかしながら、元jwの複雑な気持ちを理解された上での進言でないと、逆効果になっていることが少なくないように私は思います。

#1008 2019年05月26日 22:57:35

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

めぐママ さんの発言:

akameさん   

確かな根拠を示せないので黙っていたのですが、いつもからかわれてる様な気がしていました。  仰天さんは  傷ついた元 クリスチャンに何を伝えたいのかわかりません。
大量の資料を送りつけて、消化できないうちにたたみかけるような手法。過去にもありました。 洗脳する  圧倒する詐欺師  恐怖を煽る。
気持ちの悪い 動画や  恐ろしい 残酷な  迫害の記録

ルートさん  元証人さん  キメラ さん が怖い  と この掲示板に参加し始めの頃 何が何だか分からないながらも てつてつさん  に メールして 気を付けてと言ったことがあるのです。 事故を装って屋根から突き落とされるのではないかと心配しました。 他の方は 連絡しようがないから。
てつてつさん  は、人の良い それでも鈍いところもあり、たぶん強い方だから 平気でその後も活発に対話を続けておられました。

確かな根拠を示せないのに何故そのような事を言われるのですか。

私はめぐママさんをからかった事はありません。

傷ついたクリスチャンとはエホバの証人の事ですか?
私はエホバの証人はクリスチャンではないと考えています。
イエスの名ではなくエホバを伝えているのですからエホバ者でしょう。


傷ついた元エホバの証人の人はお気の毒ですが、何に傷ついたのかは個々人で異なります。

辞めてからも聖書を愛し神を信じる人も多く見ておられるでしょう。
それらの人に否定派の人は、神は残酷だ、厚かましい神だ、ファンタジーだと言い続けてきたわけです。何年もです。
発言は自由でしょうが、それらの神を信じる人達の気持ちは考慮されましたか?

めぐママさんは確か、JW組織によって残酷な神と感じさせられたと言われました。という事は、組織が悪いだけで聖書そのものはそこまで嫌ってはおられないという認識でした。

この前は至高者がおられる事が分かって良かったというような書き込みもされてましたよね。
また、エホバの証人の友人を目覚めさせる為に私が勉強した事も褒めるような発言もありました。


ですが、何人かが私に対して否定的な発言をした途端に手のひらを返したような発言。

たたみかけるような手法?洗脳?

そのように感じられたのなら仕方ないですが、誰が洗脳したでしょうか。

セブンスデーアドベンティストも良さそうとか言ってましたよね?
私に自分から質問してましたよね?

何なんでしょうか。

また、事故を装って屋根から突き落とす?
誰がそんな事をするというのでしょう??


私から見ると閉鎖されたトピックでのめぐママさんの発言のほうが、よっぽど聖書を愛する人達をからかっているように見えました。




めぐママ さんの発言:

あの神は  厚かましい神  サマ なんです。
勝手に  あなたたちは 罪を
負って生まれている。  わたしは メシアを遣わすであろう  と預言
期待させて  民は待ち構えて  キリスト登場。  ほんとは 古い ユダヤ教の戒律 ガチガチの
金権まみれの  ヤカラに  その彼らが用いている  何だっけ?  アラム語  ヘブライ語で書かれた  おかしな  キマリ  を逆手にとって  反論。
メシア  救世主  です。
チェ  ゲバラ  も  あの時代に生まれてたら  メシアですよ。

わたくしは  色々巡り  聖書は   ファンタジーだと思っています。
昔  婦人の友誌 に邦訳  最新で  連載されていた  指輪物語  トールキンの。
あれと  同列
ネバーエンディングストーリーですよ。  そりゃ  わけわからんですわ。
娯楽  として捉えた方がいいです。
その程度のものに  げんじつの生活まで 支配されていたらしいです。
そいでもって  記念式のシーズンに  感謝せよ  と
誰に?  そんな  贖罪 なんて言葉  使われても  こっちは  お願いした覚えもないし   
となる訳です。  だれも  そんな話  ききたくないわー
編集者 めぐママ (2019年04月07日 19:16:05)

#1009 2019年05月26日 23:54:30

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

仰天さんは わたくしをからかったおつもりはないのでしょうが ユーリさんに対して 刃物を振り回している様な発言で 引いてしまうとか言われたので 女性から核心を突くようなこと言われると  こうなんだなぁと思いました。
セブンスデーアドベンティスト  が どんなものかと知りたかっただけで エホバよりはマシに見えたのですが 調べたら格別なものではないと思いました。

聖書には良い道徳を教えている部分もありますから 真面目に信じていたことで守られたのは感謝してますが 神道や仏教徒の方も 同じ様な道徳的な考えを持っておられる方もいらっしゃるので  最近では 宗教の起源に東洋 西洋を問わず共通なものを感じています。BSの番組でシルクロードとか ローマ帝国 ペトラ遺跡とか見て います。
シルクロードの何処だったかに 運慶の風神と同じ絵を見つけて驚きました。

オフライン

#1010 2019年05月26日 23:58:36

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

会衆内の何の教える資格もない姉妹が威張っていたというような話で、バカに刃物と例えておられたのです。

それに引いたという事です。

#1011 2019年05月27日 13:15:34

ほい
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

返信ありがとうございます。
お互いの立場を尊重して議論するという点は、私も仰天さんと近いスタンスだと思いますので、ここに書くことは仰天さんに私の意見に同意して欲しいということではありません。
疑問がある点や、自分の見方を書きたい部分のみ返信しますね。

仰天 さんの発言:

ほいさんが神を残虐だと思ったり、至高者ではないと感じるのは自由ですが、実際には、残虐な民を愛と公正と義である神が裁かれたのです。(もちろん押し付ける気はないですが、追い追い説明したいと思います。)

もし機会があれば、また仰天さんのご意見を拝見したいです。
私としては、残虐な民への裁きということ自体は否定するつもりはないのですが、人の心を知ることができ、個別に裁く能力を有している神であれば、異民族や某都市の住民すべてを一律で滅ぼすというような暴挙を選ぶ必要性はないのではないかと感じます。

仰天 さんの発言:

色々な理由や理屈で正当化しているのでもありません。
神を信じたくないために神を必要以上に残虐な存在とする思考もあるのではないかと思います。(ほいさんがというわけではありません。)

もちろん、完全に公平な立場で物事を評するというのはとても難しいことです。
自分の好みや思想、経験などで何がしらのフィルターがかかることは往々にあることでしょう。
ただ、エホバは旧約聖書の中で相当な数の人を殺していますし、その中には老人、女性、子どもなどの非戦闘員も多数含まれています。
現代の文明国における一般的な価値観に照らして見ると、フィルターの有無にかかわらず、やはり残酷だと感じるのが普通の感覚だと思います。

仰天 さんの発言:
ほい さんの発言:

まず律法で子供を犠牲として捧げる事を禁じたのはアブラハムよりずっと後の時代です。
ですので、当時のアブラハムにそのような明確な基準を知るすべはありません。
アブラハムの子孫を増やして祝福する事を約束しているとはいえ、ヨセフは犠牲として差し出させて、またもう一人子供を授けるという可能性だってあるわけです。
子どもを持つ身になって特に感じますが、このような方法でアブラハムの信仰を試すという行為は、明らかに愛が欠けており人をもてあそぶものです。

他に子供を授ける事もおできになるとはエホバの証人の解釈の典型ですね。元エホバの証人の友人から聞いた事があります。

聖書では何と述べていますか。


創世記/ 22章 05節
アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」


創世記/ 22章 08節
アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。


イサクと共に帰ってくる事、また、神が小羊を備えてくださると確信しています。

アブラハムをもてあそぶというような考えは神には全くなく、信仰を試したというだけの事であり、もてあそんだというのは、人間の勝手な解釈でしょう。

他に子供を授ける事もおできになるということがエホバの証人の解釈なのかは微妙ですが、あくまでも可能性の話です。
創世記の記述は情報量が致命的に少なく、それぞれの発言の真意も分かりづらいというのが事実ではないでしょうか。
22章8節でアブラハムが「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」と言っていますが、好意的に解釈すれば神が小羊を備えてくださると考えていたと言えるかもしれませんが、イサクについてこさせるための方便だったという可能性もあります。
実際アブラハムはイサクに「お前を犠牲として捧げるようエホバに言われた」とは事前に伝えていません。
推測は省き、書いてあることだけから考えると、神はイサクを捧げさせることはしないとアブラハムは確信していたとは言いきれないのではないでしょうか。

仰天 さんの発言:
ほい さんの発言:

ただ、今の一般的な価値観や常識からフィルターなしに聖書(特に旧約)を読んだとき、全ての人にこれを信じろというのは、あまりにも酷だと思います(仰天さんが聖書を信じろと言っているというわけではなく、聖書自体が信じないものは滅びると述べているということです)。

フィルター無しにと言われますが、それぞれ様々なフィルターがかかっていると思いますよ。
それに、神から離れた者は裁かれるというのが聖書の教えですから、酷だと思うのもどうなのでしょうか。
神が与えて下さっている素晴らしいものの数々に目を留めて、感謝して約束の祝福に預かる道もあるわけですから酷だとは言えないと思いますけど。

それに、信じない者は滅びると書いてあっても、そもそも信じてもいないのですから興味のない聖典に何と書いてあっても関係ないと思うのですが。

先ほども書きましたが、私が言っているフィルターなしというのは、信仰心の有無とは関係のない現代の一般的な価値観で見るとということです。
現代でもイスラム教の過激派が無差別テロをしていますが、他のまともなイスラム教徒も含めて、現代の価値観ではたとえどのような理由があっても無差別殺人を正当化することはあり得ないと思います。

信じていなかったら関係ないと言われますが、信じない者は滅びるという聖書の内容自体がカルト性を帯びているとはお感じになりませんか?

仰天 さんの発言:

同じような議論はウンザリと言われますが、一方的な聖書否定の意見にもウンザリしている閲覧者もおられた事でしょう。

私は、相手を尊重しながら色々な議論があってもいいと思いますけど。

議論を否定する意図はありませんでした。
ただ、ある程度の期間そのような議論を続けてこられた方にとっては、いつになっても再び繰り返される議論にウンザリしてしまうという気持ちは理解できるということです。
ゴールのないマラソンのようなものなので…。

#1012 2019年05月27日 15:04:51

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ほいさん、こんにちは。

ほいさんには、ゆりさんと同じような誠実さを感じています。

ほいさんもゆりさんと色々ありましたけどね。
^_^

基本的に皆さんいい人だと思います。

ほいさんへの返事は、なるべく近いうちに私のトピックでしたいと思います。

#1013 2019年05月27日 15:46:55

○×△ー
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

いつも拝見だけしておりました。こんにちは。アーマンさんの著書を読みました。
何度も仰天仰天と何度か言葉が出てきて、なるほど、ここからハンドルネームを取られて
いたのかと察しました。読後の感想ですが、さっそく著書は叩き捨てました。
時間の無駄でした。くそくだらねえ。得られた結論は「イエスは神ではない」でした。
あ、私への返事は結構です。せっかく用意されたご自分のトピでお仲間と楽しく
やってください。仏教もいいですよ。
所詮、聖書なんて「よその家の話」、こっちは東洋ですから仏教で行かせてもらいます。
大日如来様の方がしっくり来ますね。他人の家の芝生が青いか赤いかなんて議論しても
しょーもない。興味のない人間にとっては所詮紙切れ。何度も繰り返しますが
「論破しようとされなくて結構です」時間の無駄ですから。

ゆりさんでしたっけ。もう掲示板に戻って来ないと言われてたのに戻って来られて良かった
ですね。

アーマンさんも書いてましたが、結局「人は自分の見たいものしかみない」と感想を持ちました。
通りすがりにちょっと書かせてもらいました。それでは失礼。

#1014 2019年05月27日 16:27:14

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

私の名前は、世界仰天ニュースからです。

バート・D・アーマンのような意見は聖書を深く調べた人なら知っている事であり、特に驚くような事ではありません。

一字一句聖書が食い違いもないと思っている人が動揺してすぐに信仰を棄てたりするわけです。

聖書は東洋の本です。

仏教もいいのではないですか。

私も多くの仏教の本も読みます。

大乗非仏説が言われているのになぜ信じる人がいるのか理解しようとしてです。

アーマン信奉もあってもいいのではないでしょうか。

ご自由に。

#1015 2019年05月27日 18:14:39

ゆり
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ほいさんの誠実さに、私はまだまだ及びません。
てつてつさんの誠実さについても同様です。

お二人のことを冷徹とか言った人がいましたけど、真逆ですよね。
全く人を見る目がない。(ごめんなさい、私のことです)

噛めば噛むほど味の出る方々でした。(^-^)
もちろん、仰天さんも!
だから掲示板から目が離せないのです。

#1016 2019年05月27日 18:42:11

○×△ー
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

通り過ぎようと思いましたが、ひと事。ゆりさんは仰天さんの妹さんか奥さんみたいですね。
それか不思議ちゃん。ついてイケない世界ですので、私はこれにてさようなら。
アーマンさんも時間を返して欲しいものです。本当にどうでも良い内容でした。
所詮、聖書なんて「他人の庭」。イエスさんは真面目なおっさんだったとは思いますが
正直関係ない。うちは代々浄土真宗のようで信心深い祖母でした。
本人が幸せならそれでいいんじゃないでしょうか。お疲れ。

#1017 2019年05月27日 19:07:24

ほい
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

仰天 さんの発言:

ほいさんには、ゆりさんと同じような誠実さを感じています。

ほいさんもゆりさんと色々ありましたけどね。
^_^

基本的に皆さんいい人だと思います。

私は誠実には程遠い人間ですよ。
今でも現役として「良いJW」を演じており、他のJW信者の人たちをある意味騙しているわけですから……。

ゆりさんとの件は、私の身から出た錆でしたので、落ち度は私の側にあります。

ゆりさん、コメント頂けて嬉しいです。
これからも議論を交わすことがあればよろしくお願いします。

仰天 さんの発言:

ほいさんへの返事は、なるべく近いうちに私のトピックでしたいと思います。

了解です。私もそちらに書き込むようにします。

#1018 2019年05月27日 21:28:55

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

大空の浪人さん

友人から聞いた話は間違いです。
so見兄弟は とても感じの言い方だったので娘さんが離れてお気の毒に思ったのは大間違い。ウチの子も離れてたし 高校から同窓の英文科に進んだ姉妹は彼が長老を降りても相談事は彼のところに行くと言ってました。彼女の娘さん達も離れたから みんな健全に成長出来ていますね。
同窓生には連絡を取って カルトから解放されることを望んでいます。

オフライン

#1019 2019年05月27日 21:57:22

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

近くに住む友人はダットウしたのが20年以上前なので昔のことはあやふやですが、元僕の兄弟が情報をくれて 倉敷の庭瀬駅近くの教会でエホバ被害者家族の会 に行き草刈牧師の話を聞いて あちこちで話を聞く活動を続けたそうです。その頃 牧師による救済活動が盛んでウチにも案内ビラが入ってました。
元僕の彼の文字でした。  今から思えば 感謝して聞くべきでしたね。
そのころの草刈牧師は  過激ではなかったそうです。  賢い彼女の救出 成功体験で 脳内ホルモンがドッと放出したのかも?
子供達を集会に行かない環境下に置くようにと助言してくれたので 飛行機での旅に出る そして 良心の危機を読ませ、 アメリカで自由を満喫して遊びこの世は こんなに楽しい!と感じさせて 帰ったらやっと 目が覚めたそうです。

オフライン

#1020 2019年05月27日 23:47:04

ゆり
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

⚪︎×△-さん、初めまして。こんばんは。(^-^)

書き込みありがとうございます。
⚪︎×△-さんは仏教なのですね。
私は仏教の事は何も知らないのですが、神社仏閣には心惹かれます。
建造物を見るのが好きですし、その凛とした澄み切った空気と、塵ひとつ落ちていない清潔な境内に居ると心が洗われる気がします。
そもそも日本が好きです。〜✿〜❀〜❁〜(^-^)

もし私も、親や祖父母が仏教徒で、仏教の教えを受けて育っていたら、どうなっていたか分かりませんね。

宗教は集団としては厄介なことが多いと思っているので、
あくまでも個人レベルに留めていますが、私は聖書が好きです。

でも、⚪︎×△- さんがおっしゃる通り、その人が幸せだったら何を信仰してもいいと思っています。


それにしても、⚪︎×△-さんもアーマンの本を叩き捨てましたか。(笑)
私も即座に目に触れない場所に押し込みました。
もっと深遠なことが書かれていると思ったのですが、期待外れでした。
残念でしたね。


私のこと、不思議に思いますか?
私自身がこの2ヶ月間のことを不思議に思っているくらいですから当然ですよね。(笑)
ただ、不思議ちゃんキャラと言われたのは初めてです。

#1021 2019年05月27日 23:53:32

大空の浪人
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

世紀末頃、庭瀬駅の近くでJWに関わっていたというと、倉敷聖約キリスト教会でしょうか、高山牧師の。
そうなら、一度行ったことがあります。岡山の地域大会で襲撃され起訴されるのでカルト問題に詳しい弁護士を紹介してもらいに行ったら、偶然、ジャン・ドウゲン師に監禁を依頼して会いにきた岡山の不信者夫に間違われてやれやれ、遅れて両者とも来たのですが、私の目の前で分厚い封筒(推定数十万円?の厚み)を渡すのには呆れました。草刈師がおとなしくなっていたとすれば、後に訴えられる監禁失敗事例などの影響でしょうね。高山牧師は、勢いを失った草刈師の代わりに、「O-157」といって憎まれていた強硬派ドウゲン師に主に仕事を回すようになっていたのです。その後私は「青春を返せ裁判を支援する会」の運営委員も勤め、会報に記事も書きました。
「青春を返せ裁判」を支援するのは

編集者 大空の浪人 (2019年05月27日 23:54:18)

オフライン

#1022 2019年05月28日 07:00:36

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

浪人さん  カルト被害を考える会の事務所があるのですね。  知りませんでした。
優秀な弁護士団も 潤沢な闘争資金を持つ 協会側には勝てないと感じるかもしれませんが正義 真実は勝つと思います。
それにしても 被害に遭った人を騙して二重に苦しめるヤカラは懲らしめないといけませんね。

わたくしは 親族も カルトは一人もいないので 自分でこの掲示板を見つけて 皆さまの意見を聞いていただけですが それでも 元 jwのかたでも 考えが随分違う方もおいでなので驚きました。

この度は 母として  さんの発言や ほいさん の発言を通して ますます感じさせていただきました。  ほいさん  が 柔軟に考えて対応してくださる様になり嬉しいですが ご家族の方々親族の方々も 自由になれる日が来て欲しいです。

カルト被害のニュースを見て 驚きと共に 繋がったこともがあるのですが
ジップアリーナで開かれた 統一教会の集まりに 広告塔の様になって挨拶している地元出身の政治家  中でも 逢沢一郎氏は  王国会館にも来たことがあるそうですよ。友人の研究生だった美人の 今は 心の病の姉妹に連れられて。若い頃です。
その後  何十年か 後になって 彼の後援会会長だか 会長婦人 かの友人となっていた別の姉妹は 明らかに 彼との怪しい関係だったそうです。
政治的なことには疎いですし 人のことに関わる気も 時間もなかったのですが 最近聞きました。

浪人さん 襲撃されたのに 起訴されるなんて おかしいですね。被害者なのにね。
倉敷方面に  jwの弁護士がいるそうです、 知人の姉妹の息子さんはそこで働いていました 法学部卒ですが父親は信者でないので その父が作った会社で今は働いているという事です。

オフライン

#1023 2019年05月28日 10:24:36

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

電話して 確認しましたら1998年にウイリアムウッド氏の本を見つけて高山牧師に会い、それからいろんな方の本も読み いくつかの教会を巡り、岩村氏の本も読み 神の名が書かれていない 部分とかいう教理などいくつかの矛盾点で アタマおかしくなったそうです。宇宙論争  マイコンで御名を怖れていたらしいです。
友人の彼女に話して  彼女だけでした。その時行動して 救出されたのは。
当時 彼と彼女は サタン扱いで 危険だから接触しない様にと発表されたのを覚えています。

オフライン

#1024 2019年05月28日 12:33:00

ほい
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

色々書きたいことはあるのですが、とりあえず一点だけ一番気になった部分に焦点を絞って質問します。

仰天 さんの発言:

ですから、潔白で善良なファラオを神がかたくなにしたのではなく、最初からかたくなで反抗的なファラオと神が対峙される事によって、さらにファラオがかたくなさを示したという事なのです。
そして、イスラエルを長い間奴隷として過酷に扱っていたファラオにエジプトの民は賛成していたのです。イスラエルなどは奴隷として扱っても当然だと思っていたでしょう。中には、そのように思っていないエジプト人もいたのではないかと言われるかもしれません。しかし、全体的にエジプトの民がファラオに賛同していなければ神が裁きを下す事はないはずです。それでも神は、エジプト人が生き残るようにされ、憐れみを示しておられます。エジプト人が悔い改めるならば裁きは免れる事ができたわけです。神の力を目の当たりにしながらも反省するどころか、より反抗的になったのですから、言い逃れはできないでしょう。

この解釈には強い違和感を持ちます。

まず、当時のエジプト人にファラオの決定に異議を唱えることが許されたとお考えでしょうか?表立ってそのようなことをすれば死刑になってもおかしくないのではないでしょうか?
それを賛同していたと一括りに論じるのはかなり乱暴だと思いますがどうでしょう?

また、エホバはエジプト人の長子を皆殺しにしていますが、これはどのように説明されますか?
仮に仰天さんがおっしゃる通りエジプト人が全体としてイスラエルの虐待に賛同していた(黙認していた)として、そのことを理由に直接関係のない子どもたちを皆殺しにするという処罰は正当化されるのでしょうか?
これら子どもたちには「悔い改める」機会さえ与えられなかったのでしょうか?

もしこれらの行為が正当化されるのなら、今朝川崎で起きた痛ましい襲撃事件も正当化されるのかもしれません。
残念ながら犯人が死亡したので動機の解明が困難になることが懸念されますが、もしかすると現在の日本社会に対する不満、怒り、恨みがあったのかもしれません。
こんな日本社会を作ったのは政府ですが、現在の日本は民主主義ですから、古代のエジプト以上にそんな政府を選任した責任は国民にあるということになります。
であれば、そんな日本人を罰するために彼らの子どもを殺すことも、エホバがエジプト人の長子を皆殺しにしたことを考えれば何の問題もないのかもしれません。

仰天さんの主張はこのようなものなのでしょうか?
私には到底受け入れられません。

#1025 2019年05月28日 12:35:38

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ほいさん、こんにちは。

この前お伝えしたように、ほいさんへの返事はまとめて私のトピックで行うつもりですので、お待ちください。

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