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#1626 2019年04月17日 21:38:12

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

めぐママさん

見抜く力は、特に経営者の方には必要な能力ですものね。
舵取りは大変だったと思いますが、めぐママさん本領発揮でしたね。

終わりかけのヒトだなんて・・・
めぐママさんは、柔軟で快活で積極的、好奇心も旺盛ですよね!(*^^*)
若い証拠です!若い子たちより若々しいかも。

ネイビー ncisのボス、ジェスロ  ギブスは存じ上げませんでした。
ネットで見たら魅力的な役柄なんですね。
アメリカのドラマですからプーチンさんは敵ですね!

イチローは私の模範にしたい人物ですが、
「ワンバウトする」という比喩表現が私には分かりませんでした( ;  ; )
教えて頂けましたら幸いです。
私にも必要な技術のようでしたので。

#1627 2019年04月17日 21:57:55

めぐママ
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

イチロー のワンバウンドは  国民栄誉賞を辞退したコトです。 
将来的に ふさわしい時が来たら お受けするかもしれない。 と答えた。

見事でした!   先送りにする事で 自身のモティベーションも高まるし 注目され続ける。
ritardando効果大!
コマーシャル 出演も 続く。
弓子夫人 のプロデュース力 もある。

あくまでも わたくしの感想です。  モウソウも  あるかもね!

編集者 めぐママ (2019年06月01日 23:58:50)

オフライン

#1628 2019年04月17日 22:16:22

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

仰天さま

お忙しい中、丁寧なご説明をありがとうございます。
私からも一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか?

因みに私が使っているのは新改訳聖書なのですが、
士師記11:30〜40でエフタの娘が全焼のいけにえにされる話が出てきます。40節では彼女のために「嘆きの歌を歌う」ことがしきたりになった、とあるので、ヤハウェは実際に人間の生贄を求められたのではありませんか?

一方、新世界訳の方には、嘆きの歌を歌う部分が「ほめる」になっていました。字義的にはどちらが正しいのかお分かりになりますか?

ゆっくりで大丈夫ですので、よろしくお願いたします。

#1629 2019年04月17日 22:50:12

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

めぐママ さんの発言:

ゆりさん
イチロー のワンバウンドは  国民栄誉賞を辞退したコトです。 
将来的に ふさわしい時が来たら お受けするかもしれない。 と答えた。

見事でした!   先送りにする事で 自身のモティベーションも高まるし 注目され続ける。
ritardando効果大!


めぐママさん
ワンバウンドの意味、納得です!ありがとうございます。

イチローが辞退したのは政治的に利用されるのが嫌だったのかなと思っていたのですが、「将来的には……かもしれない」と含みを持たせた発言をされているのですね。

>先送りする事で 自身のモティベーションも高まる

確かに!
それにしても偉大な人だなぁ・・・・
暫し酔いしれてしまいました・・・・

#1630 2019年04月17日 22:59:21

めぐママ
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

政治的に利用される 懸念も あると思います。
令和 を 決めるときに 有識者として 選ばれるのを辞退した 中国文学  漢詩の学者の意見を聞いて 立派なかただと思いました。
あの 選考委員   へんだった。  山中教授がいたのも 意味不明?

いずれにしても イチローは イチロー を生き切るのでしょうね。

編集者 めぐママ (2019年06月01日 23:59:20)

オフライン

#1631 2019年04月17日 23:56:21

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

めぐママさん
ご苦労があったのですね。

借金の申し込みをするのは、
>親族にも銀行にも断られた段階
>知り合いの銀行マンにも借金を踏み倒していた

身内でもないのに借金を申し込んでくる人は
親族にも銀行にも断られた人だと考えたら良いのですね!

これはとても良いアドバイスです。
お金は大切な時のために取っておかないと、と思っています。

主人も外で苦労はあるようですが、事態をうまく収拾する能力があるみたいです。
私と違って(*^^*)

新年号の選考委員
私も選考委員に山中教授がいたのには驚きました。

イチローはイチローを生き切る。
めぐママさん、深い言葉です。ジーンときます。

#1632 2019年04月18日 06:06:30

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

質問です。 さんの発言:

♯617の仰天さんの書かれたことで、質問があります。

1.「これらの都市を発見した考古学者たちはなぜ神様はもっと早く彼らを滅ぼされなかったのか 驚いているということです。」

とあります。大変興味深いです。具体的な考古学者の名前を教えてください。

2.「イスラエルを滅ぼそうとして躍起になって攻めてくる周辺諸国からイスラエルを守る意味でいわゆる聖絶が命じられたと思います。」

とあります。大変興味深いです。聖書のどこにそのようなことが書かれているのか教えてください。

その他にもいろいろ質問したいことはありますが、とりあえず上の二つのことを教えていただければ、とてもうれしく思います。

ヘンリー・H・ハーレイの聖書ハンドブック(英語)で言及されているようです。

ものみの塔協会もキリスト教会の牧師であるハーレイを聖書歴史家として度々引用しています。



ハーレイはこう付け加えています。「その全域が新生児の墓地であった。……カナン人は,自分たちの神々の前で宗教祭儀として不道徳行為にふけることにより,またその後,自分たちの長子をそれら同じ神々への犠牲として殺害することにより礼拝を行なった。カナンの地は大方,国家的規模でソドムとゴモラのようになっていたようである。……カナン人の諸都市の遺跡を発掘する考古学者は,神がなぜもっと早く彼らを滅ぼさなかったのだろうかと不思議に思うほどである」。

具体的な考古学者の名前は公表されていませんが、ルーブル博物館にはカナン人による子供の生贄の骨を納めた骨壷が発見された事が述べられており、暮石も見る事ができます。

5番目のカルタゴの箇所をお読み下さい。


THE LOUVRE Bible in Hand ルーブル美術館 聖書を片手に見学順路~古代オリエンタルコース~

http://www10.plala.or.jp/louvre/R-3_Ori.html



さて、聖絶についてですが、これは新改訳の言葉であり、普通は徹底的に滅ぼし尽くすというような意味です。


申命記 7章2節
あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。

16節
あなたの神、主があなたに渡される諸国の民をことごとく滅ぼし、彼らに憐れみをかけてはならない。彼らの神に仕えてはならない。それはあなたを捕らえる罠となる。


イスラエルがエジプトを出てきてから最初に攻めてきたのはアマレク人でした。(出エジプト17:5)



イスラエルのほうから攻撃したのではありません。
先に指摘したようにカナン周辺の住民は甚だしい倒錯や偶像崇拝、人身供儀、暴虐が見られました。

ヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人らは同じように腐敗していましたから神は滅ぼすように命じたという事です。

彼らがイスラエルの民にとってつまずきとなり、偶像礼拝へと堕落させる恐るべき異教の民だったからです。


それと、私も忙しく、なかなか時間もとれませんからスルーする場合もありますが悪く思わないで下さい。
私は、物知り博士ではありませんので知らない事もあります。

可能な限りご自分で調べてみるようにお勧めします。

よろしくお願い致します。

#1633 2019年04月18日 06:36:03

ラハム
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

仰天さん
興味深い書き込みをありがとうございます。
何度も真剣に読ませていただきました。
神がカナン人の絶滅を命じたことは気になっていたことの一つです。
仰天さんが紹介してくださっている、
ヘンリー・ハーレイの聖書ハンドブックは
日本語版でも購入可能なようです。一例として…
https://www.amazon.co.jp/聖書ハンドブック-改訂版-ヘ … way&sr=8-1
で紹介されていました。
興味ある方はご自分で購入できるでしょう。
JW関係者であれば、「聖書に対する洞察」第一巻
「カナン」の項目で同じ文章が引用されています。

オフライン

#1634 2019年04月18日 06:38:50

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆり さんの発言:

仰天さま

お忙しい中、丁寧なご説明をありがとうございます。
私からも一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか?

因みに私が使っているのは新改訳聖書なのですが、
士師記11:30〜40でエフタの娘が全焼のいけにえにされる話が出てきます。40節では彼女のために「嘆きの歌を歌う」ことがしきたりになった、とあるので、ヤハウェは実際に人間の生贄を求められたのではありませんか?

一方、新世界訳の方には、嘆きの歌を歌う部分が「ほめる」になっていました。字義的にはどちらが正しいのかお分かりになりますか?

ゆっくりで大丈夫ですので、よろしくお願いたします。

エフタの娘に関しては文字通りに生贄になったという解釈と神殿で奉仕したという解釈に分かれます。

素直に読めば、文字通り生贄になったと読めると思います。
しかし、ヤハウェは人間の犠牲を禁じていますから、求めたというわけではないと思います。

エフタの不注意から生じた悲劇と言えるのではないでしょうか。軽率だったと。

説明に時間がかかるため記事を示しますので読んでみて下さい。


https://blog.goo.ne.jp/watapi_1968/e/e0 … 172918f1a2




この中で新共同訳聖書においてはハッキリと「ギレアドの人エフタの娘の死を悼んで家を出るのであるとありますが、



最新の聖書協会共同訳では、
「毎年、イスラエルの娘たちは年に四日間、ギルアド人エフタの娘に歌を捧げるのである。」

となっています。どちらが正しいのでしょうか。

引用

ヘブライ語「ターナー」

また人身御供否定論支持者は「ここ(嘆き悲しむ)で用いられているヘブライ語の「ターナー」という言葉は、裁き人(士師記)5章11節にも出ており、その箇所では「語る(新世界訳)」、「詳しく述べる(欽定訳)」、「語った(聖ア)」、「繰り返して語る(改標)」などと様々に訳されています。その言葉はヘブライ語・カルデア語辞典(B・デーヴィス編、1957年、693ページ)では、「繰り返して語ること、詳しく述べること」と定義されています。ジェームズ王欽定訳では裁き人11章40節のこの語が「嘆き悲しむ」と訳されていますが、欄外には「一緒に話す」という読み方が挙げられています。エフタの娘は聖なる所で、他のネティニム(聖なる所での奉仕に捧げられた「与えられた者たち」)と同じような奉仕をしたに違いありませんが、彼女にできる仕事は沢山ありました。それらの人たちは薪を集めたり、水をくんだり、修繕作業をしたりした他、そこの祭司やレビ人たちを助ける者としてさらに多くの仕事を行なったに違いありません(ヨシュア:9章21節、23節、27節。エズラ:7章24節、8章20節。ネヘミヤ:3章26節)」とも語っています。

中略

岩波書店旧約聖書(旧約聖書翻訳委員会訳聖書:分冊版)の解説によれば「全焼の供犠として献げるのは、通常は子山羊などの小動物である。人間を全焼の供犠として献げることは、イスラエルの伝統から言えば忌むべき異教の慣習であった(列王第二:23章10節、エレミヤ32章35節)。申命記史家が約束の地での歴史を語る場合、人間を全焼の供犠として献げる行為を恐れとおののきを感じないまま、叙述したであろうか(創世記22章)。この箇所(エフタとその娘)を読む読者は、文字通り娘を全焼の供犠として献げたと解するかもしれない。しかしヤハウェに忠実であったエフタの行為を描く際に、異教的な儀礼をそのまま適用したとは考えにくい」と述べています。更に11章40節の脚注を引用すると、「原文は「唱えるため、復唱するため」あるいは「くり返すため」で、「悼んで」(新共同訳)という意味はない」とあり、また「賞賛する」「祝う」という意味もあるようです。


https://blog.goo.ne.jp/watapi_1968/e/18 … 209462c888

引用

ヘブライ語「ターナー」をどのように扱うかという問題に関しては、当ブログの記事「士師記とエフタとその娘 ~(8)」で少しだけ取り上げましたが、この翻訳に関しては新共同訳では「娘の死を悼んで家を出るのである」、口語訳聖書では「嘆くことがイスラエルのならわしとなった」となっています。ギリシャ語70人訳聖書において「ターナー」は、確かに「嘆く」もしくは「悼むため」と訳されていますから、この辺りは何を底本として聖書を作成するか、ヘブライ語の「ターナー」をどんな風に訳すかで違いが出ると思われますが、新共同訳のようにギリシャ語七十人訳の原文を底本とするならば、自然とその訳は「嘆いて」「悼んで」という事になりますから、新共同訳聖書の側にもそれなりに言い分があり、間違いとは言えないでしょう。

人身御供否定論支持者は「「共同訳以外の聖書翻訳がどのようにこの士師記11章40節を訳しているのか」というと、大方の聖書翻訳は「lement(嘆き悲しむ)」であり「mourn」をあまり用いていません。それは追悼の意味ではなく、むしろ「悔やむ」「悲しむ」の意味で用いられています。更に言えば「celebrate 」とか「go to talk to the daughter 」などもあり、全体として明らかに文字通り捧げられていない事を多くの翻訳者が認めています」と主張しています。欽定訳においては、「That the daughters of Israel went yearly to lament the daughter of Jephthah the Gileadite four days in a year.」と記され、参照資料つき聖書による調べでも「嘆き悲しむ」と訳されています。この事は、現在においてエフタの誓願は人身御供ではなかったと主張しているエホバの証人でさえ、新世界訳聖書を用いる以前には「エフタは娘を火で焼き殺して、神に捧げたと解釈していた」と理解していた可能性がある事を逆に示唆しています(新世界訳の分冊は1950~60年(英文)、1巻にまとめられたのは1961年(改訂版)、現在の新世界訳は1984年改訂の英文。日本語版は1985年)。ところが、今日の新世界訳聖書においては、裁き人(士師記)11章40節は「褒めた」と訳されています。

ヘブライ語聖書の該当箇所を調べて見ると、以下のようになります
(表示の問題でヘブライ語フォントではなく、ローマ字で表記します)。

・士師記11章31節後半
Va Hayah Le-Adonai va Ha-Aaiti-hu Olah(主のものとし、焼く尽くす献げものとする)

・士師記11章40節
Min-Yamim Yamim-ha Talakhnah Banot-Israel Le-tanout Le-Bet-Jephthah Ha-Gilead Arbaat-Yamim Be-Shanah
(その後の日々において、イスラエルの娘たちは毎年4日間、ギレアドの人エフタの娘を悼んで出て行く)

・エレミア7章31節後半
Asher Lo Tsuviti va Lo Alutaha Al-Lebi
(わたしは命じたこともなく、また心の内に浮かんだこともないことを)


続けて抜粋


「ターナー」はヘブル語英語辞典BDBによれば、語源は「TANAH」で、語源自体の意味は「recount, rehearse ( 詳しく話す)」 です。 士師記11章40節での使い方は使役形(Piel形)の動名詞(tanout)となっており、BDB辞書でも「mourn」又は「lament(嘆く、悼む)」と書かれているので、この立場からは見れば、新共同訳は的確な訳だと思われます。「TANAH」のPiel形では「mourn」のほかに「celebrate」という意味も確かにあります。また「Mourn」と「lament」とはほぼ同じ意味だと思われます。ただ、一部のヘブライ語には相反する意味を持つ言葉がある事も事実で、例えば「HESED(恵む)」という言葉などは、呪うという別の意味もあります。

また、エホバの証人の主張等では「死を悼んで」と訳されている部分に関して、「裁き人(士師記)11章40節で用いられているヘブライ語のターナーという言葉は5章11節にも出ており、その箇所では、「語る」(新世)、「詳しく述べる」(欽定)、「語った」(聖ア)、「繰り返して語る」(改標)などと様々に訳されており、その言葉はヘブライ語・カルデア語辞典(B・デーヴィス編。1957年、693ページ)では、「繰り返して語ること、詳しく述べること」と定義されている」と述べています。また「ジェームズ王欽定訳では、裁き人(士師記)11章40節のこの語が「嘆き悲しむ」と訳されていますが、欄外には「一緒に話す」という読み方が挙げられています」と述べています。しかし、ターナーという語句がたった一つの意味しかないのであれば別ですが、そうでは無い以上、話の内容如何でその意味合いが変わってくると考えるのは自然でしょう。「他の聖句ではこのように用いられているのだから、この箇所もそうだ」というような主張は、ターナーという語句が欄外に記載されるほどいろいろな意味がある事を、人身御供否定論支持者自身が認めているのですから、正直、閉口します。人身御供否定論支持者はこの箇所を「娘を褒めるのであった」と訳していますがエフタの誓願の内容については「焼き尽くす捧げ物」という訳を変えていない事から、この点で矛盾していると言えるかもしれません。

また、娘を全焼の生贄に献げたと実際に聖書に書かれているからこそ、注解者がそうとは考えられないという注解が書かれている、と考える事も出来ます。しかし、それは決して多くの翻訳者や聖書学者達が、聖書の記述を「誤訳だと否定しているのではない」という事も、併せて考えておく必要があります。それは翻訳者や聖書学者達の意見全体を読めば分かるのですが、それらは注解者の結論であって、彼等も人間である事に変わりはありません。人間は合理性だけで理解できない事があるという、いわば限界を持つ存在であるからこそ、注解者は勿論、私達一人一人も「聖霊による導きが必要である」と言えるでしょうし、翻訳者や聖書学者達も、聖霊による導きが必要であるという点ににおいては、彼等自身が主張しています。だからといって、それによって瞬時に全てが分かるとは限りません。物事には全てふさわしい時があるという事は勿論、聖書における登場人物の出来事を見ても、それは明らかでしょう。

むしろ、人身御供否定論支持者が説明しなければならないのは、「何故、わざわざ欄外に記載されるような意味を持ち出してまで」、ターナーの語句の意味を扱うのかという点でしょう。この点において、一般的なターナーの訳の用い方よりも、欄外に記載されている訳の用い方が優先されるべきである事を説明する必要があります。また、岩波書店旧約聖書の解説では、「原文は「唱えるため、復唱するため」あるいは「くり返すため」という意味があり、「悼んで」という意味はない」とされていますが、「何を」唱え、復唱するのか、繰り返すのか、その内容によっては「語句そのものに「悼んで」という意味はなくとも」、全体としてそういった性格を帯びる場合もあるかもしれません。



https://blog.goo.ne.jp/watapi_1968/e/61 … 844efd9f15



時間がないので部分的に抜粋しましたが、貼った引用先を全て読む事をお勧めします。

意見は分かれており、どちらが真相かは分からないという事のようです。

#1635 2019年04月18日 06:43:21

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ラハムさん

おはようございます。

ラハムさんが載せて下さるNTライトの記事も楽しく読ませて頂いております。

#1636 2019年04月18日 06:46:48

ラハム
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

ゆり さんの発言:

因みに私が使っているのは新改訳聖書なのですが、
士師記11:30〜40でエフタの娘が全焼のいけにえにされる話が出てきます。
40節では彼女のために「嘆きの歌を歌う」ことがしきたりになった、とあるので、
ヤハウェは実際に人間の生贄を求められたのではありませんか?

一方、新世界訳の方には、嘆きの歌を歌う部分が「ほめる」になっていました。
字義的にはどちらが正しいのかお分かりになりますか?

仰天さんでないのに割り込んですみません。
女性としてエフタの娘の話はとても気になるのは当然ですね。
以下のサイトで別の見方も紹介されていました。
初めから聞き始めて43分前後にエフタの話が登場します。
参考にどうぞ…。
https://www.youtube.com/watch?v=0oJ_qXuc3IE

オフライン

#1637 2019年04月18日 07:49:11

akame
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆりさん

聖書の内容自体から感じることが最重要ですが、どの程度史実であるかも大切だと思います。

「聖書考古学 - 遺跡が語る史実」

書いた方の背景も要になるでしょう。
こちらは、書いた方が、現地調査に従事している方ですから、ある程度は参考になると思います。

#1638 2019年04月18日 07:50:36

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ラハムさん

気が付いた事があれば書き込んでもらって構いません。
動画感謝します。

あと、先程、ルーブル博物館と書いた箇所は美術館に訂正します。

#1639 2019年04月18日 07:57:26

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

聖書の史実性についても研究者の立場でかなり違ってくる事は確かです。


https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repos … 640201.pdf

#1640 2019年04月18日 08:29:38

akame
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

全く同じものを読んでも、

読む方の、それまで培った価値観や感性により、受け止め方に天と地ほどの差があります。

そこに二次的な意義があり、また面白いのですが...

#1641 2019年04月18日 08:58:29

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

めぐママさん、おはようございます。

ご主人様はjwではなかったのですね。
jwは家庭を分裂される卑劣な組織ですね。

でもご主人様はめぐママさんのお気持ち、よく分かっていらっしゃたのではありませんか?

めぐママさんが真面目にjwとして取り組んでおられて、
その中でもご自分を蔑ろにせずに尽くしてこられたこと。

愛すべき奥様だったのではないかなと思いました。

私は自分の環境を当たり前とみなしがちなので、
感謝の気持ちを忘れないようにしなくては、と思います。

めぐママさんに言われて、私は何も夫に尽くしてないなぁと思いました。
反省です。めぐママさん、「ありがとう」です。


>絶望的になりますから注意して

めぐママさん、ありがとうございます。
陰謀論とかイルミナティに一時興味を持ったことがあります。
日ユ同祖論は特に興味深かったです。

真実を追求したいという気持ちもそこそこにしないと危険だなぁと思いました。
人を絶望的にさせる話は無視ですね。

ところで、「三種の神器」の話題がのぼっていますね!
鏡にはテトラグラマトンが彫られているんでしょうかね⁈

#1642 2019年04月18日 15:37:43

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

akame さんの発言:

聖書の内容自体から感じることが最重要ですが、どの程度史実であるかも大切だと思います。

「聖書考古学 - 遺跡が語る史実」

書いた方の背景も要になるでしょう。
こちらは、書いた方が、現地調査に従事している方ですから、ある程度は参考になると思います。


というわけで私のゴミブログは叩きすてようと思っているのですが、諸事情により保留中です。
もしかしてという気づきもゴミ&ゴミ&ゴミなので・・・静かに調査結果を待つのも良いかと思いました。
小説は寓話として全く違うところに掲載しています。

#1643 2019年04月18日 16:10:56

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

かのアルバートアインシュタインおじさんも「ユダヤ教は幼い考え」と言ってるらしいので興味のある方はググってください。
私も聖書からいろいろ想像していますが、なるべく様々な要素を考慮しています。あとひらめきかな・・・
ほんとみなさんごめんなさい。管理人さんがブログでここの掲示板の最新書き込みとか紹介しているのに、ふざけた書き方してしまって。
私の書き込みが脱党の方のつまづきにならなければいいなと祈るばかりです。(北野たけし風)

#1644 2019年04月18日 16:38:33

akame
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

「シセイさん自由でイイナ!」

って聞こえました。

#1645 2019年04月18日 18:54:57

質問に答えてくれて感謝
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

♯1627で仰天さんに質問したものです。

「1.「これらの都市を発見した考古学者たちはなぜ神様はもっと早く彼らを滅ぼされなかったのか 驚いているということです。」

とあります。大変興味深いです。具体的な考古学者の名前を教えてください。」

の答えは、♯1637で

「ヘンリー・H・ハーレイの聖書ハンドブック(英語)で言及されているようです。」

でした。

ハーレイのハンドブックはインターネットで公開されていて、誰でも見ることができるものですが、ハーレイはいわゆる説教師で、学者ではありません。このハンドブック自体は大変古く、初版は1920年代です。学術的な価値はありません。

考古学者が、神様がなぜもっと早く滅ぼさなかったのかなどと、ばかげたことを本当に言うのか?という素朴な疑問ですが、情報源は、昔のキリスト教の著述家兼説教師のハーレーだったことがわかり、感謝します。ハーレーは1965年に亡くなっていますね。

仰天さんはいろいろ、活発に書き込んでおられますが、情報源は、インターネットの真偽不明な様々なサイトということもわかりました。できるなら、信頼のできる情報を紹介していただきたいものです。

#1646 2019年04月18日 19:00:52

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

昔の考古学者なら、クリスチャンの者も多かったわけですから普通の反応でしょう。
現代の感覚とは違うのだと思います。

ハンドルネームを変えて書き込む理由は?

#1647 2019年04月18日 20:53:16

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆりさんへ

「最後は自分の目で確かめろ」と今はなき・・いえかつての先輩は私に言ってました。ですから仰天さんの
お話も話半分で、ラハムさんのお話も話半分で聞かれるとちょうどいいかもしれません。ちょっと見ていられ
なくて・・・というのは冗談ですが、日ユ同祖論もインドネシア、中国まではイスラエル人は来ていたようですから
もしかしたら完全否定をする必要もないと思います。普段の生活に支障を来すようなエホバの証人やその他カルトに
のめり込まなければ大丈夫ですよ。だってユダヤ人を見て「おおっ兄弟、姉妹」っていきなり呼びかけないでしょ♡
おらっちは自由なので、仰天さんの話だけも信じないし、でも否定もしないです。
お役に立つかどうかはわかりませんがこちらのサイトも面白いです。地質調査系の仕事をされている方のサイトです。
モーセの水に関する考察です。
www.jkeng.co.jp/file/column017.pdf

聖書も人が書いた書物ですから色々間違いも、解釈の違いもあるでしょう。

#1648 2019年04月18日 20:57:03

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

先程、ハーレイの新聖書ハンドブックの日本語版を確認したところ、カルタゴの子供の生贄についての文は見当たりませんでした。

改訂される中で疑問視されたのかもしれません。

Wikiではカルタゴの20000個の骨壷についてこのようにありました。


以下引用
風習   
編集
プルタルコスは、フェニキア人が子供を犠牲にして捧げ物にしていたことを記録に残している。赤ん坊が死産した場合、最も若い子供が両親によって生贄に供されていた、ということである。テルトゥリアヌス、オロシウス、ディオドロス・シクロスなどもこの風習を記録に残しているが、ティトゥス・リウィウスやポリュビオスは触れていない。

トペテ(en、トフェトとも)と呼ばれる子供のための共同墓地は、紀元前400年から紀元前200年の間に建造されたと推定されている。この墓地からは20,000個の骨壷が出土し、骨壷には新生児の黒焦げになった骨が入っており、中には胎児や2歳ぐらいの幼児のものもあった。そして火葬された子供達の名は、墓碑にも骨壷にも刻まれることは無かった。

現代の考古学上の発掘から、プルタルコスの記述には、疑問が持たれている。カルタゴでは火葬は新生児や死産児に限らず、成人に対しても行われていた。また、羊や山羊の骨も発掘されており、この動物の犠牲の記録も発見されている。逆に子供の犠牲の記録が発見されていないことから、子供を犠牲にして捧げ物にする風習が無かったことが明らかになった。だが、現在でもプルタルコスの記述が正しかったとする説も少なくないため、結論はまだ出ていない。



引用終わり



結論は出ていないという事で改訂版からは消されたのかもしれません。



次に挙げる記事の一番最後にモレクについてこうあります。



以下引用



Molechと呼ばれる偶像神を崇めるためだ。
モレクは嵐の神バアルとしても知られる。
モレクをなだめなければ洪水や干ばつが起こるとされた。
モレクは聖書で邪神と呼ばれている。
ヘブライ人はモレクのための生贄の儀式を非難した。
古代ギリシャの歴史家が儀式の詳細について記している。
紀元前4世紀カナンの植民都市カルタゴで生贄の儀式が行われた。
選ばれた若い母親が赤ん坊を差し出す。
そして祭司が赤ん坊を青銅製の像にささげる。

Ian Morris(Archaeologist,Stanford University)「赤ん坊は像の腕に置かれた。
周りでは音楽が流れ、赤ん坊の下から炎があがった。」
神が満足すると不思議なことに像の腕が動き出す。
像が熱せられると腕が伸び、赤ん坊は炎の中に落とされる。
数多くの赤ん坊が生贄としてささげられた。
この儀式は紀元前1200年から140年まで続けられたと研究者たちは考えている。
カナン人の植民地に広まったからだ。
北アフリカのカルタゴ、儀式の場の近くで20000個もの骨つぼが見つかっている。
中には焼死した赤ん坊の骨が入っている。
Morris「碑文が刻まれたものもあった。
神へのささげものであると記されていた。」
母親はなぜこの残酷な儀式に赤ん坊を差し出したのだろうか?
古代世界の厳しさが浮き彫りになる。
1700年代以前の社会では子供の半数が5歳になる前に自然の原因で命を落とした。
子供を生贄にすることに抵抗がなかったのだろう。」
絶望的な状況におかれた古代の人々は多数の命を救うために少数の命を犠牲にした。
予測不能の災いに、人生を左右された時代、人々は生贄をささげる儀式に頼った。
罪なき者の血と引き換えに、神の慈悲を求めたのだ。



引用終わり





さて、聖書の記述どおりにカナンの周辺部族は生贄の習慣があったのでしょうか。

もちろん、これは学術論文ではありませんし、あくまでも参考程度ですので判断は各自にお任せします。


http://poyoland.jugem.jp/?eid=623

#1649 2019年04月18日 20:58:46

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

言うまでもなく、学術論文も後に間違いだと分かる場合もあり、訂正される場合もあります。どのような有名な学者の説や見解でも後に変わる事も当然あります。

また、クリスチャンの学者の説は信用できないとか、無神論者の学者の説は信用できるとかいう単純なものではありません。

面白い記事を見つけました。



以下引用



科学研究に関する専門家で米スタンフォード大学(Stanford University)医学部のジョン・イオアニディス(John Ioannidis)教授は「発表される論文の大半は、たとえ真面目な雑誌に掲載されたものであっても、かなりずさんだ」と語った。

質の悪い論文に手厳しい同氏は、2005年に書籍「Why Most Published Research Findings Are False(なぜ発表された研究結果の大半は誤りなのか)」を出版し、大きな話題となった。だが以降、改善は限定的にしか見られていないと同氏は話す。



■再現研究で同じ結果はまれ

一部の雑誌は現在、論文の執筆者らに対し研究計画書(プロトコル)の事前登録と未加工データの提供を求めており、これによってある結論に到達するために研究者らが結果を不正操作することがより困難になったと主張している。こうした方法を取ることで、論文を著者以外の人々が検証したり再現したりすることも可能になる。

というのも、研究を再現した場合に同じ結果が得られることはまれだからだ。2015年に実施された大規模な試験では、心理学の3大専門誌に掲載された100件の論文のうち再現に成功したのはわずか3分の1だった。


https://www.afpbb.com/articles/-/318235 … ll&act=all

#1650 2019年04月18日 21:09:16

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

エフタでしたっけ。生け贄になったのは。父ちゃんが「最初に出会ったものを犠牲に捧げるから戦に勝たせてくれ」
と誓ったせいで犠牲になったのは。ひとたび神に誓ったならばそれは果たされなければなりません。だから不用意に
神の名を口にしてはいけなかったのではと推察します。人を殺して来るわけですから「覚悟」が必要なわけです。
現代では想像できないような心理状態だったのでしょう。だから私は「本当に聖書を知りたければ、当時の人々の
生活を知らなければならない」と思っています。歴史を考察するのはよい手段でしょう。そこに主観をいれずに
冷徹に観測することによって見えてくるものもあるはずです。(こうやって書けば脱党の人のつまづきにならないかな)
ですから自由に聖書について考察してください。そのときに誰かに対して批判的な感情を混じえると偏りますから
分析が必要
です。
私がakameさんを魚と間違えたように人には間違いがあるわけです。その時、その時で話は聞き、分析すればよいと思います。

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