ログインしていません。

#1 2015年02月08日 01:32:41

stella
メンバー

真理はどこに

はじめまして
私は組織からみれば、恐らく不活発なjwとされていると思います。
独身の頃に研究をはじめ、司会者に躓きながらもバプテスマを受けました。

夫も私と同時にバプテスマを受けたので、神権家族と言われながら幼い息子たちを伴って、集会や奉仕をしていました。
エホバの証人こそが真の宗教であり、神から用いられていると確信していました。
組織の中の交流は心穏やかで楽しいものでした。
私の母は信心深い仏教徒でしたが、今ではエホバの証人の姉妹になり、実の妹も今は長年開拓者として自己犠牲的な生き方をしています。

でも、私は会衆の仲間に躓き、組織の教えと聖書そのものが一致していないことにも躓き、結果として少しずつ離れてしまい、今は夫も私も息子たちも組織とも仲間ともすっかり離れて普通に暮らしています。
離れて12年ほどになります。

妹も母も高校時代の友人も熱心な姉妹で、時折戻ってくるようにとの手紙をもらいますが、すでに信仰はなくなったも同然ですし、あの生活をする覚悟もありません。

そして、エホバの証人が真の宗教であるかどうかもわからなくなりました。

妹や母が熱心な姉妹なのと、あの頃の仲間のことを思うと、エホバの証人は救われて欲しいと心から思うのですが、組織が真の宗教でないなら、どの宗教が真理を持っているのかと考えるに、それに価する宗教組織など1つもないと結論せざるを得ません。
もし、どこか組織を選ばなければならないのなら、エホバの証人しかいないとも少し前までは思っていました。

でも、skさんがおっしゃっているように、組織など必要ないのかもしれません。

私は『熱くも温くもない』宙ぶらりんの状態の心の中なのかもしれませんが、このサイトを見つけて、冷静に皆さんのご意見や情報を拝見させて頂きながら、組織に留まっていたら見えなかったこと、離れたからわかることを冷静に受け止めたいと思っています。

私こそ偽善者なのだろうとも思います。
どっちつかずでずるくても、今はこうするしかないのです。

とりとめもなく書いてしまいました。
ロム中心になるかと思いますが、よろしくお願いします。

オフライン

#2 2015年02月08日 01:38:19

stella
メンバー

Re: 真理はどこに

不活発ではなく自然消滅ですね。
失礼しました。

オフライン

#3 2015年02月08日 11:33:42

カレブ
Administrator

Re: 真理はどこに

stella さん こんにちは。
書き込みありがとうございます。
たぶん stella さんような立場の人は沢山おられると思います。

わたしは どっちつかず の立場は正しいと思います。

むしろ 実際には確信できる内容がないのに無理に確たる信仰を保とうとすることこそ
危険なんだと思います。

stella さんはご自分が偽善者かも と言われましたが
むしろ逆なんだと思います。

ロム中心で大丈夫です。どんどん情報を活用されてください。

オフライン

#4 2015年02月08日 17:01:37

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

stellaさん 正直な心のままに書き込まれことが伝わりました
いつかJW流の価値観や判断基準で自身を裁くことから解放される日がきますよ。
JWの刷り込みは想像以上に強いものです。僕も教理のウソが判明して断絶し15年以上も経過した今でも
時々ですがJWの夢を見ます。
あせらず、裁かず、自然の自分に戻りつつある、、そんなスタンスは如何ですか?
JW時代は楽しいこともありましたが、どこかでJW仮面を被って演技していたこともあったはずです。
また投稿をお待ちしています。

#5 2015年02月08日 17:42:03

ラハム
メンバー

Re: 真理はどこに

stellaさんのように自分の良心に従い自分で考え判断しようとする人は
組織にとどまり続けることはできないと思います。
鬼太郎さんが述べてくださったように時間をかけて本来の自分に戻ればよいと思います。
微力ですが、わたしもあなたと同じような経過をたどって組織を去りましたので
影ながら応援していますよ。

オフライン

#6 2015年02月09日 02:31:45

stella
メンバー

Re: 真理はどこに

カレブさん 鬼太郎さん ラハムさん


あたたかい返信ありがとうございます。
救われた思いがします。

誰にも相談することも心のうちを話すことも出来なかったので。

本当にありがとうございます。

オフライン

#7 2015年02月10日 19:07:45

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

stellaさん 僕もラハムさんと同様に応援しています
JW関係のことは、逃げるよりも冷静に 理性的に、自己分析することも一つの方法です
ナゼJWになったのか ナゼ多くの普通の人がJWになるのか ナゼ後遺症が残るのか
またJW流の自己犠牲、忍耐や謙遜さという仮面を無理に被ることも勧めません。
心情を吐露してもいいと思います 匿名の掲示板なのですから、、。

#8 2015年02月11日 22:40:22

stella
メンバー

Re: 真理はどこに

鬼太郎さん

確かにそうですね。
私自身はすっかり普通に生活しているつもりなのですが、心の中にはものみの塔の教えがまだ根強く残っている部分もあります。
何かあると聖句を思い出したり、学んだことを当てはめてしまったり。


鬼太郎 さんの発言:

stellaさん 僕もラハムさんと同様に応援しています
JW関係のことは、逃げるよりも冷静に 理性的に、自己分析することも一つの方法です
ナゼJWになったのか ナゼ多くの普通の人がJWになるのか ナゼ後遺症が残るのか
またJW流の自己犠牲、忍耐や謙遜さという仮面を無理に被ることも勧めません。
心情を吐露してもいいと思います 匿名の掲示板なのですから、、。

なぜJWになったかと言うと、私は永遠の研究生でもいいと思っていましたし、バプテスマを受けたり、宣教奉仕をしたりするほどの信仰はなかったのですが、司会者と会衆の長老からの熱烈な後押しがあって夫婦でバプテスマを受けました。
こんな信仰しかないのに、、、と思いつつ、研究生ながらも組織の奨めに従って生活していましたのと、その時の司会者が『そんなんでエホバの証人?』と思えるような姉妹でしたので、こんな姉妹もいるんだから私が姉妹になってもエホバは受け入れて下さるかもと思ったのです。
いまから思えば、エホバからの是認を受けたい気持ちより、組織の中の人間から是認を受けたい、認められたいと言った気持ちが強かったのだと思います。
奉仕も子どもの訓練も集会に自宅を提供することも、すべての活動はエホバとの個人的な関係がないままだったように思います。

人からの是認を受けたいと言う動機だったために、人につまづいたのだと思います。
祈ることも苦手でした。
私はエホバの存在を信じていたのかどうかもわかりません。

組織の中のエホバの証人は、親切で正直で信頼出来る人がほとんどで、世の中エホバの証人ばかりなら、どんなに平和で住みやすいだろうと心から思いました。

いまでも、母や妹からエホバの証人の活動を聞くと本当に素晴らしいと思いますし、私自身は組織の中にいたときは、寄付もすべて自発的でしたから、よくあるお金のかかる宗教組織とは全く違う印象でした。

私が見てきた組織は素晴らしい自己犠牲と愛に満ちていました。

でも、聖書の聖句をものみの塔の教えに無理に当てはめているのでは?と感じる部分もありましたし、不満を抱いてもそれは自分の信仰が足りないために仲間を裁いてしまうのだと思っていました。
いま、明らかにされていない聖書の言葉について質問すると『その答えは新しい世であたえられます』と言われても、釈然としないのは信仰が足りないからだと思ったりして苦しかったです。

結局は、私が今、組織から離れてしまったことも信仰が足らずサタンの誘惑に負けてしまったからだと言うことになるのでしょうね。

でも、信仰もないのに人に宣べ伝えるなど出来るはずもないし、仲間と交わることも出来ませんよね。

普通に暮らしていても、災害のニュースや戦争やテロのニュースを聞くと、ついに終わりが来たのか!私も滅ぼされるのだろう、、と思ってしまいます。

幼い子供たちの気持ちも考えずに、奉仕や集会に連れていき、厳しく鞭打ったことも、いま、思うと本当に心が痛みます。
特に長男は、辛い想いをしたと思います。
それも、私の適用の仕方が厳しすぎたのかもしれないとも思います。

わたしのせいで妹は、長年開拓者として働いてますし、母も小さな町でエホバの証人として生きています。
ものみの塔が真の神から用いられている組織であれば、なにも問題はないのですが、そうでない場合、あまりにも妹や母に申し訳が立ちません。
せめて、本当に神様は存在していて、どんな宗教の人でも、心から神を求めている人には、存在を知らせてほしいし、救って欲しいと思います。

聖書を学んで、私は人が存在する意味を見つけたと思いました。
求めていた答えを見つけたと、思いました。

いまは、なにもわかりません、、、。

少しずつ見つけて行きたいと思います。

オフライン

#9 2015年02月13日 14:21:54

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

ナゼ人はカルト教団に入るのか?
ナゼ振り込め詐欺に騙されるのか?
一つの回答は、、人の心は、、、理性抜きで暴走するからです。
JWの教理だけで、組織と交わらずにJW信仰を持つのはレアケースです
大半は、司会者の友情、集会でのラブシャワー、この世では存在しないような立派なクリスチャン、、、、
極めつけは、迫害下での信仰を保った経験談。特にアウシュビッツ強制収容所、近年では隣国の韓国での迫害、、。
そんな迫害を見れば、たいていの人は悪魔からの攻撃と感じるものです。
そして、、会衆を見れば未信者家族からの反対 迫害に忍耐するJW信者達、、、。
ここからJWの二元思考のスィッチがONとなります。
つまり、、エホバVS悪魔という構図です。
このへんからJWこそ真のクリスチャン集団という、いわば感情が暴走を開始します。
問題は、自身が心の暴走に気づかないことです。

ともかく、、聖書を学べたことは知的な財産です。

#10 2015年02月15日 06:41:29

stella
メンバー

Re: 真理はどこに

鬼太郎さんのおっしゃること、よくわかります。

自分だけならまだしも、母も妹も夫も子供たちも、私がエホバの証人と関わった為に、人生に大きな影響を受けてしまいました。

子供たちは、幼稚園にも行かせず、普通の子供たちのように、のびのびと育ててあげることが出来ませんでした。
いまは、幸い普通に高等教育も浮けて、暮らしていますが、2度と組織には戻りたくないと言っています。
長男は、人生の目的を見つけられずにいるように感じます。

私自身もまだ教えの影響を受けています。

神がいるなら救ってほしいです。

エホバの証人のころは、エホバを、賛美する為に生きると思っていましたし、好きなことは新しい世になってからやろうと思っていましたけど。。。。。

母からは息子に出版物が送られてきます。
年老いた母は、組織が心の支えとなっています。
人はある程度、何らかの宗教に関わっていますよね。
実家は元々、仏教の浄土真宗でしたし。しかし、浄土真宗の僧侶の汚さも身近で見て嫌気がさしていたのも事実です。
そう考えると、母や妹のこともそっとして置こうととも思えるのです。
何しろ私自身が中途半端なのですから。
エホバの証人が完全に悪で完全に間違いだと確信が持てなければ、今、信仰を持っている人に意見することなど出来ません。
同様に、エホバの証人が完全に真実の神からの組織であると確信が持てない以上は、組織に留まり伝道など出来ません。

フラットな立場でもう一度聖書に書いてあることを読んでみて、そこから自分自身が何を感じるか試してみたいです。
しかし、そう思うとき、原文に最も忠実に訳されている聖書が何なのかわからないのです。

結局、神を見たこともない、神と話したこともない、ヘブライ語もギリシャ語もわからない、写本しかない、、、、、とか考えていると、聖書の本当に伝えたいことなど、理解することは不可能なのではないかとさえ思ってしまうのです。
無限ループですね。

とりとめもない文章ですみません。

オフライン

#11 2015年02月15日 18:47:56

ラハム
メンバー

Re: 真理はどこに

わたしもヘブライ語やギリシャ語は理解できません。
stellaさんの考えている原文に最も忠実に訳されている
聖書はどれだかわたしも知りたいです。
でも、日本語訳聖書もたくさんあるので、読むと楽しいですよ。
現役時代、協会がすすめるのでたくさん日本語訳を買い込みました。
いまもけっこう所持しています。
現役時代、年に一冊ひとつの日本語訳を読む目標を立てました。
「論じる」の見開きに記載されている日本語訳は全部読んだのです。
内容はほとんど記憶していません。
今読み返すと一層味わい深いです。
そういえば「洞察」も全部読破しました。
これはさすがに一年半以上かかりました。
ものみの塔を離れて、自分なりに聖書を思いめぐらすのは
とても快適で素晴らしいというのがわたしが得ることのできた収穫です…。

オフライン

#12 2015年02月16日 00:08:02

stella
メンバー

Re: 真理はどこに

ラハムさん

洞察を読破したんですか!すごいです!
洞察の本が発表された時は、本当にワクワクしました。
個人研究でも洞察の本を開く度に、知識欲が刺激され満足感がありました。
いまは、全ての出版物はダンボール箱の中です。

新世界訳を通読するのも時間がかかるのに、他の日本語訳も読まれていたなんて、本当に素晴らしいし尊敬します。

私もラハムさんのように、ものみの塔を離れた立場で聖書を読み、ものみの塔の解釈ではなく、自分自身がそこから何を感じるかを試してみたいです。

オフライン

#13 2015年02月16日 08:44:35

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

有名な牧師さんは講演会で『聖書を読んで理解できるところにラインマーカーを引きなさい。わからないところは
原文のヘブライ語やギリシア語で読んでもわからないでしょうから。』と言われいました。
JWのスタンスとは真逆ですね。 この先生ご自身はヘブライ語も正式に学び、旧約聖書の学びのためにユダヤ教の
ラビのもとで勉強し、神学校では先生の立場です。

洞察までも 読破されたのは凄いと思います。
有名な作家の愛読書が辞書だったという話もあります。

そんな凄いスタンスも評価できますし、上記の牧師さんのようなスタンスもまた評価できます。
すべてのことを理解しよう、何が正しいのか突き詰めよう、その結果がJWという選択でした。

某富豪の講演で『人生で迷ったときは、何が正しい ではなくて 何が楽しいか で決めたほうが後悔しない』
とも言われていました。無理は禁物です。無理は不自然であり、長続きしないものです

#14 2015年02月16日 23:25:39

stella
メンバー

Re: 真理はどこに

鬼太郎 さんの発言:

すべてのことを理解しよう、何が正しいのか突き詰めよう、その結果がJWという選択でした。

某富豪の講演で『人生で迷ったときは、何が正しい ではなくて 何が楽しいか で決めたほうが後悔しない』
とも言われていました。無理は禁物です。無理は不自然であり、長続きしないものです


鬼太郎さん

私も正しい生き方とはどんな生き方なのか、なぜ人間として自分が存在しているのか、知りたくて知りたくて、たどり着いたところがエホバの証人でした。

人としてのあるべき姿を知りたかったのです。

お世辞にも立派な生き方はしていない私ですが、心のどこかで楽しいことより正しいことを優先する『べき』と思いながら、結局、楽な生き方を選んでいる私なのです。
心の中は、組織にいても組織から離れても苦しいです。

この葛藤は生きている限り続くのかもしれませんね。

でも、確かに無理は結局、無理でしかない、自然体、、、今の自分を受け入れることで解決の糸口が見えてくるかもしれませんね。

ありがとうございます。

オフライン

#15 2015年02月17日 09:42:50

seiei00r
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

「エホバの証人の最大の罪」、それは、神に対する具体的なイメージを破壊しているところではないでしょうか。

私は既存のキリスト教会に属する者ではありませんが、既存のキリスト教信者の大きな強みは、「神のイメージを明確に持てる」ことだと思っています。
その神のイメージとは、「イエス・キリスト」です。

(a godかThe Godかとか、三位一体の議論は置いておいて)既存のキリスト教信者が神をイメージするとき、彼らは何の留保もなく、「イエス・キリスト」をイメージすることができる。
なぜなら、「イエス・キリスト」こそが彼らの神だからです。

そして、「イエス・キリスト」のことをイメージしたとき、人はそれほど色々なことを思い悩む必要もないのではないか、と私には思えてくるのです。
イエス・キリストは、限りなく優しい方だからです。

我々にとって宗教は、この禍の多い世の中でも希望を持って、少しでも「楽に」生きるためにあるのだと私は思います。
stellaさんの書き込みを読ませていただいて、ふと、そんなことを考えました。

#16 2015年02月17日 12:22:11

stella
メンバー

Re: 真理はどこに

seiei00rさん

ありがとうございます。
キリスト教は三位一体を説いているので、イエス=神なのでしょうね。
大雑把な言い方だとエホバの証人は、イエスは神の御子であり、神を体現されている方で、クリスチャンの信仰の模範であると教えられています。

イエスは慈悲深くて愛情があり、神に対しての絶対的な信仰があり、サタンの誘惑を毅然と退けた。それをエホバの証人は模範とするように教えられ、私たちのために人としての命を購いの犠牲として捧げて下さったことは、イエスの神への忠実さや、信頼や、信仰や人間への愛の証でもあると学ぶのです。

イエスの生き方に目を向ける時、私は本当に慈悲深さや愛を感じて感動していましたが、それがエホバの人間への愛の証でもあると教えられても、旧約の中で顕されるエホバ神の厳しさには、やはり畏怖の念と言うよりは、怖さを感じてしまうのです。

私にとって、エホバの証人の教えは、とても根強く残っていて、イエス=神として認識出来ないのです。

そう言ったことも自覚した上で、イエスの生き方や特質に目を向けて、楽になって行けたらいいでしょうね。

善し悪しは別にして、エホバの証人の教えは強烈に心に残っています。

seiei00rさんのおっしゃるように、イエスの限りない優しさに甘えることも大切ですよね。

あたたかい文章だと感じました。
ありがとうございます。

オフライン

#17 2015年02月17日 15:51:11

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

よけいかもしれませんが、、、。
JW教理を学ぶ人にとって、エホバVS悪魔 の二元論が強烈に刷り込まれます。
イエスは最後まで、そして完全にエホバの主権に服し、従い、主権の正しさを立証した存在として認識してしまいます。
JW同士の会話で多く出てくるワードは、、エホバ 悪魔サタン ハルマゲドン 楽園 1914年、、、、そして開拓奉仕 特権、、
それからイエスキリスト そんな感じではないでしょうか?
二元論思考は支配者からは最高のマイコンシステムでしょう。
つまり、何があっても、どんなに間違いを犯しても、エホバが用いている地上の唯一の組織に付き従うこと、これぞエホバの
主権を支持すること、イコール人生の目的であると、、。
しかし、、二元論によって自分を責める、自身と他の人を裁く、そんなマイナス面もあります。
つまり、常に自身の言動も思いも、エホバの側か悪魔の側か、を考えてしまいます。
はたして、神様もイエスもそんな思考で苦しめたいと思われるでしょうか?
聖書では 幸福な神 と表現されているはずです。
むしろ、自分を許し、他の人も許すほうがはるかに幸福です。

#18 2015年02月19日 03:07:29

stella
メンバー

Re: 真理はどこに

鬼太郎さん


おっしゃることよくわかります。
こちらの掲示板では、いろいろなスタンスや考えの方がいらっしゃって、理性的な書き込みが多いので、とても勉強になります。

エホバvsサタンの宇宙論争もそうですが、そもそも聖書そのものの信憑性も考えさせられる部分もあります。

それらも含めて、自分の居場所だけが正しいと言う思いが様々な問題を生むことにもなると思います。

何事も冷静に理性的によく調べて判断し、他のスタンスの人も尊重し敬意を払いたいですよね。

この掲示板に出会えて良かったです。

ありがとうございます。

オフライン

#19 2015年03月15日 13:07:52

iris
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

伝統的キリスト教徒の立場から。
私のキリストとの出会いは小学校にあった「キリスト」の伝記、その後はプロテスタントの書籍で勉強し、
最終的にはカトリック教会にたどり着いて受洗しました。

キリスト教徒にとっての神は、イエスが教えてくださった神です。
三位一体というと小難しい屁理屈になってしまいますが、要は私たちにとってイエスは神の子であり、同時に神そのものでもあるのです。

イエスは2000年前に生身の人間として私たちと同じように生き、苦しみを味わいました。
私たちはイエスが私たちの苦しみをすべて理解し、いつもともに歩んでくださる身近な存在であると信頼しています。
また、イエスは、目に見えない神がどんな方であるかを、目に見える存在となって示してくださった方です。

いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。 (ヨハネによる福音書1章18節)
「わたし(iris注:イエス)を見た者は、父を見たのだ。」(ヨハネによる福音書14章9節)

キリスト教徒の多くは、イエスの行いに倣い、イエスの教えに従って生きることを大切にしています。
それが父である神のみこころに適うことであると信じているからです。
そして、神に信頼して生きてさえいれば、たとえ失敗だらけの人生であっても、必ず救われることを知っています。
のびのびと生きられますよ。


私はもともと、イエスの人柄に惹かれてキリスト教に近づきました。
ですから、初めから教会(のメンバー)には期待をしていませんでした。所詮は弱い人間たちの集まりにすぎません。
カトリックでも「教会(信徒の集まり)は聖なるもの」とされていますが、私はその意味は「聖であることを理想としている」ということだと思っています。
日本人は宗教心が豊かですから、お寺でも神社でも教会でもモスクでも、尊重すべきものであるという感覚を持っています。
宗教施設とそこに集まる人々(宗教組織)を聖であると考えるのには、その程度の感覚がちょうどよいと思います。
絶対的なものであるとか、正しいものであるとかと考えてしまうと、身動きが取れなくなります。

また、宗教がこの世のすべてを説明できると考えるのも危険です。宗教による説明は、その宗教の理想に沿ったものにすぎません。
科学的に説明できないものについては、宗教的な説明が個人的な助けになることもありますが、それが万人にとって正しいものである
という保証はまったくありません。わからないことはわからないと認めることが、正しい判断の助けになります。

#20 2015年03月31日 11:49:14

通りすがり
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

こちらは宗教から距離を置いた立場からです。

考古学などの分野では最近、有史以前にも有史があったと認められています。

電球が発明されて100年ちょっとあれば人間は宇宙ステーションを建設できています。

1万年前やそれよりもっと前の時代に,先進文明がなかったと言い切れる人がいるでしょうか? それら超古代文明が何らかの理由で衰退した時、後世の人類に何か道徳的な規範を残そうと考えたとしても不思議はありません。そのような言い伝えを、のちの世代が宗教的・支配的な意図であやまり伝え始めた可能性はないのでしょうか?

考古学的なアプローチや古代への真の関心は、“真理”に近づくのに役立つと思います。

参考:
http://exkodai.blogspot.jp/
http://matome.naver.jp/odai/2139831743827528601

#21 2015年06月18日 08:52:58

ささらほーさら
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

こんにちは。


真理の探究....どちらさまも苦労されているみたいですねw

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というより、これでは「真理」があるような気がしませんね。

編集者 ささらほーさら (2015年06月18日 08:58:36)

#22 2015年06月18日 12:33:51

ROCK
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

彷徨ってますね・・・orz

確かに聖書物語読んでる子供の方が聖書の登場人に詳しい事って実際にありますから。
でも
我々JWも詰んでしまってますがね(汗

ひとりひとりが自分の足で立って歩いていかなければならないです。

#23 2015年06月23日 10:44:26

ロスタイム疑惑
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

あまりこういう話題を見かけないので、こちらで話題にしていいかわかりませんが、共感してくれる方がいたら嬉しいので書かせてください。

わたしは覚醒後に、今までJW的に読むことを許されていなかったような本を読んでいる中で、臨死体験など死後の魂的な話に触れ、非常に感銘を受けました。
また、そうした体験が聖書とも矛盾していないということにも気づき(ルカ16:19~富んだ人とラザロ、コリ二12:2~第三の天「パラダイス」に連れ去られた人)、大げさですが、真理をほんの僅かかいまみたような気がしています。

こういう話分かるよーっていう方いませんか?

#24 2015年07月16日 20:33:20

akame
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

ロスタイム疑惑 さんの発言:

あまりこういう話題を見かけないので、こちらで話題にしていいかわかりませんが、共感してくれる方がいたら嬉しいので書かせてください。

そうした体験が聖書とも矛盾していないということにも気づき(ルカ16:19~富んだ人とラザロ、コリ二12:2~第三の天「パラダイス」に連れ去られた人)、大げさですが、真理をほんの僅かかいまみたような気がしています。

こういう話分かるよーっていう方いませんか?

良く分かります。JW色の解釈から抜ければ、聖書解釈にも多彩な景色が見えてきます。

事実も多数散りばめられていますが、

ほんの数節からでさえ、聖書を絶対視する愚かさ、論理的破綻も同時に明確に理解できると思います。

神が人類に聖書から絶対基準を与える意思があったなら、議論の余地がないほど正確なもの、根拠をお与えになったはずです。

逆に言えば、そうされなかったことに裏のメッセージがあると私は考えています。

#25 2015年07月16日 22:37:49

ロスタイム疑惑
ゲストユーザー

Re: 真理はどこに

akameさん、こんばんは。
お名前をお見かけするのは随分お久しぶりですね!

無宗教さんのトピックの方でakameさんの書き込みを見て、共感する点があったのでうれしく思っていたところでした。

”人は神の分霊、子どもであり神の中に本体が有ります。”

わたしもそう思います。

また、前回のわたしの書き込みの中で、聖句を持ち出している理由は、まだ(某氏のように)「組織は間違いでも聖書は絶対!」と思っている方への若干の配慮であり、今は聖書を絶対視することもなくなりました。

”ほんの数節からでさえ、聖書を絶対視する愚かさ、論理的破綻も同時に明確に理解できると思います。”

その通りですね。ここでは詳述しきれないほどです。わたしが覚醒後に気づいて一番頭にきたのは、テモテとテトスが後で書き加えられた可能性が大変高いということが分かった時です。ものみの塔で散々引用して締め付けておいて、偽作かよ!

まあ、今はこういう聖書のどこがおかしいという調査や議論もどうでもよくなりました。時間の無駄です。ロスタイム疑惑ですwww

ただ、聖書を神の言葉と思わなくなったからといって、わたしは無神論、不可知論、唯物論者にはなりませんでした。やはり物質の世界を超えた霊の世界があると思っています。

それは、たくさんの臨死体験の報告から、死後の世界とか霊とか、また神、エホバ、アラー、その他いろいろな呼び方で私たちが呼んでいる強大な霊の存在はやはりあるなと思ったからです。

前回の書き込み直後、偶然(とは思えないですが)見つけて今夢中で読んでいるサイトです。

シルバーバーチは語る
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-t … pening.htm

もちろんakameさんへということではなく(この書き込み自体全くの独り言ですし)、誰か一人でも読んでくれる方がここにいたらいいなと思い、リンクを貼っておきます。

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