#1 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 昨日 21:11:37
ラハムさん 自分は一般のキリスト教でも断食などを教えとして取り入れているところがあるんじゃないかなと思います
あと 按手(あんしゅ) 手をおくこと もよく聖書にでてきますね
この二つはものみの塔では全然教わらなかったと思いますが どうしてだったんでしょうかね? 自分にはわからないです
#2 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 昨日 15:06:13
#3 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 昨日 14:52:12
仰天さんこんにちは リンク先のカウフマンの件少し読ませていただきました ヴェルハウゼンが正しいのかどうなのかは自分には検証できません というか文書や考古学上の遺物の解釈は人の数だけあると思いますのでタイムマシンで過去の当人に会って聞く以外に100パーセントまちがいないということはありえないと思っていますので現時点では全て意見であり仮説だと思っています
ただちょっと資料の44-5ページあたりが気になったのですが
カウフマンの『信仰史』は、イスラエルの読者を対象にしているためヘブライ語で書かれており、日本の聖書研究者はもちろん、欧米の聖書学者にもほとんど読まれていない
カウフマンの研究は、現代の日本における聖書学界ではもちろん、欧米の聖書学界でも顧みられることはほとんどない。今日、彼の研究についての言及があったとしても、「教条的」、「護教論的」、または、「偏狭な民族主義者」などの余り好意的でない呼び方が使われるのが常である
等と書かれていました それでもしかすると彼の著作の動機は新たに建国したイスラエルの自国民の選民思想 ユダヤ人至上主義 優越性を説き パレスチナ人たちを排除する正当性を説くためのもので そのためにヴェルハウゼンの説が邪魔だったので書いたのかもしれないと感じました「又は用いられただけかもしれません」
もしそうならナチスが自分たちは高潔なアーリア人で支配する権利があると唱えたことと同じで憎しみの再生産になるだけではないかと感じました
#5 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2021年01月23日 14:52:54
#6 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月23日 07:06:33
仰天さん>「ヴェルハウゼン 聖書学」で検索したら出てきますよ。
これでしょうか だったら自分の知りたいことは彼が良心上の理由で辞任したのかということなのでちょっとわかりませんでした
京子さん>わざわざ反対者の掲示板に来て、
自分はこの掲示板は反対者の掲示板だとは思いません「反対の立場の人が多いとは思いますが」だれでも自由に書き込めば良いと思います 内容がふさわしくなければ管理人さんが適当に処理されると思います
京子さん>しかもてつてつさんのブログまで覗きに行って感想を掲示板に書き込むって、暇で寂しくて構って欲しい人のやることです
ブログのコメントではなかなか議論しにくいので掲示板の方がやりやすくて自分は好きです ブログのツッコミ全然大丈夫です
#7 Re: 総合フォーラム » こんばんは、はじめまして » 2021年01月22日 09:58:06
#9 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2021年01月22日 06:48:12
聖書についての質問さん またはどなたでも知っておられる方にお聞きしたいのですが
旧約聖書を推理するの本の 221ページに
小生が神学者を志したのは、聖書を科学的に扱うことに関心を抱いたからでした。洵に迂潤なことながら、小生にもおいおい判ってきたことは、神学教授たる者もまた教え子に福音教会の司牧職への準備をしてやる実際的な仕事があるということ、そして、小生はこの実務を果たしているというより、むしろ、当方のあらゆる留保にもかかわらず、小生の受講生をしてこの職に耐え得なくしつつあるということでした。
とありヴェルハウゼンが辞任したとあるのですが これは彼が真摯に聖書を調べた結果 聖書が神様が書いた本ではなく 人間が編纂した結果であると確信したので 自分が神学校の教授にとどまることや また教え子に福音教会の司牧職を紹介することが良心的にできなくなって辞職したということなのでしょうか
アーマンさんなんかも神学校の教授だったようですが自分が聖書が神様の本ではないと確信した後に棄教したようですが
#11 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2021年01月19日 07:38:34
聖書についての質問さん 大変わかりやすい説明ありがとうございました
>政治的な話をすると、北のイスラエル王国も南のユダ王国も真に独立していた時期は短く、大国の支配下である期間がほとんどでした。古代では、大国の支配下にあるということは、その大国の神を敬わなければなりません。つまり古代イスラエルはヤハウェだけを崇拝するということが許される政治状況にはなかったのです。大国の力が弱まった時、例えばヨシヤ王の時に、ヤハウェのみの宗教が可能だったにすぎないわけです。
レーマの 申命記史書 82ページには
前七世紀の最後の数十年間に、アッシリアの権力構造が消滅することによってシリア・パレスチナ地方に一時的な真空状態が生じたこと(それはほんのわずか後にエジプトによって再び埋められることになるのだが)は、ヨシア王か彼の顧問官たちが何らかの政治的、祭儀的な再編事業を行ったという仮説にある程度の信憑性を与える。祭儀、権力、徴税(聖所は税務署でもあった)をエルサレムに集中化しようという企ては、この文脈の中では歴史的に大いにあり得ることであったろう
とありますので 「ヤハのみ運動」はこのわずかな期間に生じた歴史的あだ花だったのかもしれませんね
ただこの特殊な状況の説明が古今東西人類のかなりの部分に絶対的事実として大きな影響を与えているのが恐ろしいです
というわけで申命記から歴代誌まで大筋でストーリーがつながっていることが以前はものみの塔で教えられた通り何人ものバラバラの人が長い期間にわたって別々に書いているのに一致しているのはエホバ神の導きがあった証拠ですといわれたとおり信じていたのですが 関係している本読むとこれらの著者は一人またはそれに属するグループのようでそれだったら納得という感じです
旧約聖書を推理する 135ページ
一九四三年、ドイツの聖書学者マルティン.ノートが、申命記と前期預言者のこれら六書との間に強い統一性があることを示した。偶然にしては、申命記とこれらの書のある部分の語法は似すぎていた。ノートは、これが漫然とした文書の集成ではなくて周到に配列された一つの作品である、ということを証明したのである。それは一つの連続した物語、彼らの土地におけるイスラエルの民の歴史に関する話を流れるように述べていた。それは一人の著者によるものではなかった。そこには何人もによって書かれたいろいろな章節があった(ダビデの官廷史やサムエルの物語など)。にもかかわらず、完成品は一人の人間の作だったのである。
あと質問さんの考える 聖書についてはこの本は読んでおいたほうがいいよという本ありましたらまた教えていただければうれしいです「読めるかどうかはわかりませんが」
以上またよろしくお願いします
追伸
あと面白いなと思ったのは
(列王第二 18:1‐4) …そして,イスラエルの王エラの子ホシェアの第三年に,ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となったのである。2彼は治めはじめたとき,二十五歳で,エルサレムで二十九年間治めた。そして,彼の母の名はアビといって,ゼカリヤの娘であった。3そして,彼はすべてその父祖ダビデが行なった通りに,エホバの目に正しいことを行ない続けた。4高き所を除き,聖柱を粉々に砕き,聖木を切り倒し,モーセの造った銅の蛇を粉々に打ち砕いたのは,彼であった。そのころまでイスラエルの子らは引き続きその[蛇]のために犠牲の煙を立ち上らせていたのである。それは蛇の銅像と呼ばれていた…
のヒゼキヤがモーセの作った銅の蛇を打ち砕く記述ですが 自分がものみの塔で教わったところによるとこの蛇が偶像崇拝的に用いられるようになったため壊されただったと思いますが 旧約聖書を推理するによると銅の蛇はアロン派祭司たちにとって目の上のタンコブまたは商売敵だったのでシロの祭司たちの強力な営業ツールだった蛇を打ち砕いたのではないかということでした
アロン派祭司団にとって、アロンでなくてモーセを亀鑑とするレビ人らは敵だった。モーセの威光にまつわるもので、ユダ国内でもっとも目障わりなのは何だったか。青銅の蛇、「ネホシタン」である。
質問さん>その後まもなくユダ王国は滅亡し、エルサレムの神殿は破壊されます。ダビデの子孫は永遠に王座に就くという神とダビデの契約が成立しなくなります。その時点で、申命記や列王記などの歴史書は史実に合わせるために書き加えられることになります。
推理する 180-
なぜまだ未来に希望があったのか。律法がヨシヤのもとで再び見出され、今やそれがかってないほど実行されるであろうから。申命記家の主テーマー忠誠・律法・一元化・ダピデ契約のすべてはヨシヤ一身に体現された。その矢先、ヨシヤがエジプト勢の矢に難れた。ヨシヤ、この申命記史の頂点をなすヒーロー、は死んでしまった。その22年後、申命記的史書は悪い冗談、いや、いっそ愚かしくみえた。バビロニア勢がユダを潰滅させ捕囚としてしまったのだ。「不滅の」王国は終焉し、「玉座から絶たれることはない」はずの一族が玉座から絶たれた。「ヤハウェが名を置かせる」所は焼け落ちた。さらに、「今に至るもなお」存すると謡われた諸物ももはや無かった。では、ヨシヤで頂点に達する、この明るく希望に溢れた歴史の曼茶羅はどうしたらよいだろうか。版を改めよう、と誰かが決意した。
まず、この記者は捕囚の意味そのものを掘り下げた。木に竹を接いだように、バビロニア勢がユダを征服し捕囚としたというオチを最後にチョコッと付けて、能事終われりとは彼には考えられなかったlそれではまるっきりの尻切れトンボになってしまうだろう。逆に、彼は捕囚の可能性を匂わす文章を史書のあちこちに挾んで、征服と捕囚が今や一篇の骨子となるようにした
つづいて捕囚の記者がしたのが、件の史書を遡ってすでに篇中にある王国滅亡のしかるべき理由を探すことだったヨシア以前に生起していた何かある事、悪虐非道にすぎてヨシヤの改革の試みもとうてい相殺するまでに至らなかった何か、を。見つけた。それはョシヤの祖父マナセ王の物語のなかにあった。Dtrlの物語によると、マナセは父のヒゼキヤ王がやり遂げたあらゆる〃善き事〃を元の木阿弥にしたという。マナセは高き所を再建し・女神アシラ像を設立し・神殿の境内に異教の神々への祭壇を立てる。これは、Dtrlでは、ヨシヤについて物語るための恰好の伏線となった。なぜなら、つづく二つの章で、ヨシヤがもう一度これらすべてを正すからである。彼は高き所をズタズタにし.アシラ像を焼き・異神の祭壇を粉砕する。だが、この度は、新版のDtr2の作者はマナセの罪とその罪の報いとにたっぷり筆を遣った。
では、史謹は以上でジ・エンドだったのか。バビロニアとエジプトへの民の流転をもって、まだ名の知れぬこの人物は、契約の期限切れと民族の終焉と看倣したのだろうか。とんでもない。彼は一条の光明を残しておいたのである。彼の原文への挿入のなかには、ヤハウェが慰れみあり許しある慈悲の神であることを想起させるセンテンスがあった。これは聖書の世界では破格の創見だったとは言えない。JもEもすでに、イスラエルの神は寛仁大度であると描いていたのだ。ョシヤ時代のDtrlもまた然り。そこでDtr2の作者は、民がヤハウェのもとに帰り。悔い改め・異神を棄てるなら彼らの神は水に流してくれるであろう、と読者に強く訴えた。こうして彼は、史書に過去を語らせただけでなく、未来への希望も盛り込んだのである。
#12 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月16日 16:14:42
>山我さんもリベラルですからね
仰天さんは何度かだれだれはリベラルだといってますけど 色々な意味があるようで仰天さんがどのような意味で使っておられるのかはわかりませんが レッテル貼りで使っておられるようでしたら良くないと思います
#13 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2021年01月16日 14:22:06
聖書についての質問さん いつも興味深い書き込みありがとうございます このトピとは関係ありませんが 先日より仰天さんと話し合っている件で 仰天さんのトピで自分が書き込んだ#1953の
>てつてつさんのブログからですが、混合宗教がスタンダード(標準)だったという事はありません。
ブログのリンク先と同じですが 自分はこれらからヨシア以前は混合宗教がスタンダードだったと思っています
それゆえ、皮肉なことに、最も純粋にユダ的であったものがカナン的な異端とされた。宗教的な論争の領域において、古いものが突然異国のものとされ、新しいものが突然正当なものとされた。回顧的神学の驚くべき作品とただ呼ばれることができるものの中で、新しい中央集権的なユダ王国とエルサレムを中心としたヤハウェ崇拝が、いつもあるべきであった仕方としてイスラエルの歴史の中に読み込まれた。
についてご存知のことやご意見ありましたらまた教えていただけるとうれしいです
自分の考えは主に フィンケルシュタインの「発掘された聖書」 や フリードマンの「旧約聖書を推理する」からですが きっと質問さんも読まれておられることと思います
細かいことは忘れましたが 「発掘された聖書」の方はイスラエルがもともと北と南が一緒だったことはなく 北のイスラエルの方がはるかに栄えていたのでアッシリアが目をつけて滅ぼし金品を強奪したのちにそのおかげで田舎だった南のユダ王国が経済発展をとげその機会にもともと混合宗教だったユダ王国のヨシア王の時代あたりに「ヤハのみ運動」というイデオロギーで反対派を粛清しそのイデオロギーの元となったのが申命記や申命記史書であり それらはそうした目的のために編纂されたというものだったかと思います
「旧約聖書を推理する」の方はもっと突っ込んでアロン系祭司たちばかりがいい目を見て自分たちは冷や飯食わされていた シロ系祭司であったエレミヤやその一派が申命記や申命記史書を編纂して自分たちに有利に事を運ぼうとしたというものだったかと思います
それで質問さんにお聞きしたいのは 主に混合宗教がイスラエルのスタンダードだったのかエホバ一神教が最初だったのかと申命記及び史書は上記のような目的で編纂されたのかということです
#14 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月14日 10:31:00
>てつてつさんの載せていた記事のヴェッテの指摘で、「祭儀は中央の一所のみとすると定めた法が存在した証拠はない」
との事ですが、それは当然です。神殿ができるまではイスラエルも高き所でヤハウェを礼拝していたのですから。
ヴェッテの件ですが 山我さんも 14-5ページあたりで
実は申命記という文書はこの,紀元前7世紀末に行われたユダの王ヨシヤの宗教改革に関連していると考えられています。このことを,デ・ヴェッテというドイツの学者が,19世紀の最初に指摘し,それが今でも基本的には受け入れられています。
と書かれていましたね
ヴェッテについてはこれですね
というわけで 自分は全体的な流れとして このころ北のイスラエルがアッシリアに滅ぼされたおかげで急速に経済発展し豊かになったおかげで色々な文書や神殿などの建設などもできるノウハウを身につけた南のユダ王国がヨシア王とヤハウェのみ運動をお題目に自分たちのグループによる中央集権制度を確立しようとしたというのが真相ではないかと思います
中国やその他共産圏で共産主義をお題目に大勢の人を虐殺したのと同じことをしていると思いますが それを背教から清めたと美化しているだけだと思います
またものみの塔の2代目ラザフォードが民主的な方法で選ばれていた各会衆の長老たちを神権的という名目で粛清しすべてベテルからの任命にして自分に全ての権力を集中させたのと似ているかなと思います
#15 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月14日 09:52:24
>てつてつさんのブログからですが、混合宗教がスタンダード(標準)だったという事はありません。
ブログのリンク先と同じですが 自分はこれらからヨシア以前は混合宗教がスタンダードだったと思っています
それゆえ、皮肉なことに、最も純粋にユダ的であったものがカナン的な異端とされた。宗教的な論争の領域において、古いものが突然異国のものとされ、新しいものが突然正当なものとされた。回顧的神学の驚くべき作品とただ呼ばれることができるものの中で、新しい中央集権的なユダ王国とエルサレムを中心としたヤハウェ崇拝が、いつもあるべきであった仕方としてイスラエルの歴史の中に読み込まれた。
#16 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月14日 09:05:23
>「ヤハウェのみ運動」というものがヨシヤの時代に急に起きたような感じで書いておられますが、イスラエルに王が存在する以前は裁き人(士師記)の時代であり、その筆者はサムエルです。(疑い深い人はサムエルではなかった、もしくは書き換えたと独自の空想話を展開するでしょうが根拠もなくきりがないと思います)
先の山我さんは
4ページあたり
ヨシュア記,士師記,サムエル記(上下),そして列王記(上下)です。前にも述べましたように,旧約聖書研究では,これらを全部まとめて,申命記史書という名前で呼ぶわけです。実はこれらの歴史書は,単に中身において繫がっているだけではなく,文書としても一続きの統一体をなしている。おそらく同じ人々が書いた長大な歴史書なのです
といってますね
#17 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月14日 08:08:39
>てつてつさんの考えでは、ヨシヤ王の名前が前から預言されていたので、後からヨシヤの名前を入れたように書いておられましたが、それを言い出したらキュロス王の名前もイザヤ書で150年前から名指しで預言されていたわけですからイザヤ書さえも疑うのでしょうか。
キュロス王はわかりませんがヨシヤについてはキリスト教関連の本よく書いてる山我哲雄さんは以下のようにいってますね
30ページあたり
『祭壇よ,祭壇よ,主はこう言われる。見よ,ダビデの家に男の子が生まれる。その名はヨシヤという。彼は,お前の上で香をたく聖なる高台の祭司たちを,お前の上でいけにえとしてささげ,人の骨をお前の上で焼く』」,と預言したというのです(王上13:1-3)。ここになんと,ヨシヤの名前が出てきますよね。ヨシヤが実際に生まれるのは,300年も後のことのはずなのに。ということは,ヨシヤは,この預言者の預言も成就したということになるわけです。これは明らかに,ヨシヤ時代に書かれた「事後預言」です。実際に起こったことについて,後から預言という形式で書かれたものを「事後預言」と言います。後から書かれた預言だから,的中するのは当然のことなのですね。ヨシヤの宗教改革を正当化するために書かれた文書の一部だから,こういうことが起こるわけです。こんなところから見ても,申命記史書の基本的部分は,ヨシヤの宗教改革をいわばクライマックスとし,おそらくそこで終わっていたと考えられる。ヨシヤ王の功績をたたえるような目的で書かれたものと見なしうるわけです。
#18 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月09日 20:52:35
>JW時代でも聖書記述を裏付ける科学的な証拠は限られていたはずですが、なぜそこまで長老になるまで熱心に信じておられたのでしょうか?
そのころはまだ知識も浅かったので 創造論 聖書の真実性 その他のことについても ものみの塔の説明で信じていたと思います 「聖書は本当に神の言葉ですか」 程度の内容で
あとだんだん時間がたつと もう聖書は神様の本で全て真実 組織も1918年にエホバ神とイエスキリストに任じられているので この組織の指示に従っていけば大丈夫と自分で考えることをしなくなっていったと思います
あと今まで何回か説明していると思いますが 野外奉仕のときに何かのきっかけで奉仕者と607年の話になったのをきっかけに色々調べていくと良心の危機に行き着いて読んでみて組織は偽者だとわかって断絶しました それでもその時点ではまだ聖書は神様の本で聖書と組織は相容れないので断絶したのですが そのあとこの掲示板で色々話し合っていて大洪水はないと思うようになり さらに色々本を読んで聖書の記述は全て真実ではないと思い棄教しました
進化論についてはいくつか本読んでも納得できませんので 消去法で創造しか残っていないと現在まで思っています
>どの宗教でも全てを科学で証明された信仰というものは存在しないと思います。
証明された事を認めるのは単なる事実の確認であり信仰とは違うと思います。
その意味で、完全に証拠の揃った証明された教えというものは今後も出てこないと思います。
自分もそうだと思います というわけで 誰かが何かを信じることについては当人の自由だと思いますし またこれから何かまた自分も信じることができることがあるのかもしれません
#19 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月09日 13:26:13
>とにかく不思議な事、しるしや奇跡、また預言といったものを疑って、そうした神による介入の全てを否定していますね。
天国の人の本で述べられた奇跡も嘘だという感想なのでしょう。
この本の中にはイエスを信じることにより奥さんの血友病がなおった 苦難のときに自分たちが植えたサツマイモはよく育ったがほかの人たちは小さかった 大風が吹いたとき他の畑の小麦は倒れたが自分たちのは大丈夫だった 盲人が見えるようになり 歩けない人が歩き 耳の聞こえない人が聞こえるようになり悪霊を追い出せた 他多くあったと思いますが
全部うそだとは思いません ただ当人がそう感じただけかもしれません ただ 自分がちょっと奇跡として信じるまでには証拠が足りないなと思うだけです
#20 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月09日 10:07:50
仰天さん 天国の人 ざっと読んでみました 若くしてイエスの啓示をうけたと思ったユンさんに対して そうした考えを嫌う中国当局ににらまれ投獄され様々な拷問受けても耐え抜きいろいろあった後にドイツに行くことができ正式に難民として認定され 後に奥さんと子供も一緒にドイツに行くことができ「この間にも色々なアクシデントがあった」この本が書かれている時点では平穏に生活できているみたいな内容だったかと思います
自分は現在は聖書やイエスに対する信仰はないので 残念ながら仰天さんが感じたと思われる感動はありません
ユンさんの考え方についても悪いことがおきれば悪魔のせい刑務所に入れられて拷問受けてもイエスはこうしたこと通して福音を広めさせようとしている など 証人また多分一般的なクリスチャンの思考回路かなと思いました 当人が何を信じるかは自由なので自分にはこれ以上なにもいうことはありません
#21 Re: 親睦・相談 » 「聖書の記述は真実なのか?」 » 2021年01月06日 16:26:28
>てつてつさんは「聖書は何を伝えようとしているのか?」についてはどのように思われますか?
以前からいっているように 時代も作者もちがう著者が書いたものをむりやりくっつけた本を全体で何を言おうとしているのですか という質問自体が成り立たないと思います
もちろんものみの塔をはじめとする色々な宗派の解釈はたくさんあると思います
あと各書については当然それぞれ 歴史を書こうとか 自分の信じていること書こうとか著者の目的あると思います
一例 申命記は当時の宗教指導者たちの利益誘導のために書かれたと思います てつてつのブログ
他 福音書は史実ではなく筆者の神学だと思います
>もしそうならJWがするように旧約新約の両方から都合のいい聖句を拾って話をするのはどうなんでしょう? 作り話の部分の正当性を正確な部分で説明したり、正確な部分を歴史の記録ということで済ませ不正確な部分をことさら強調したり。。。。
聖書って解釈と使い方によって、万華鏡のように変幻するものなんでしょうか???
解釈は教祖の都合によって恣意的に変幻させることができるとおもいますよ
ものみの塔のもっとも基盤となる1914年の教理だって 元統治体のレイフランズさんは以下のようにいってますし
しかし、今日のエホバの証人で、次のことを知る人はほとんどいない。すなわち、ほとんど半世紀にわたって(一八七九年から一九一一○年後半に至るまで)『ものみの塔』その他の出版物に公にされていた年代預言の数々は、先に挙げたすべての教義と基本的に正反対のものだったことである。私自身、ずっとこれには気づかなかった。後になって、五十年近くにわたって『ものみの塔』誌という「経路」が先に挙げた教義内容の一つ一つについて異なった年代を当てはめていたことがわかった。また、その理由もわかった。かって一九一四年について期待されていたことがはずれたため、預言の成就とされる事柄に新たな年代が当てはめられていったに過ぎなかったのである。
というわけで 自分は現在一般にいわれている聖書とは ある人たちがそれぞれの考えで本を書き 後の時代にそれを色々な人が解釈し またそれぞれの信条に合わせてそれを編纂したり 合わせたり省いたりしたもの だと思います 仏典なども同じ経緯をたどっていると思います それでその解釈を信じる人が多ければ宗派になるし小さければ個人的な解釈またはグループと呼ばれるのだと思います
自分は聖書にスピリチュアルなものは全然ないと思っています 人間が自分の考えを書いたものだとおもっています
それで聖書と一口にいっても 自分たちが学んだのは創世記から啓示の書までの聖書と呼ばれるものですし たぶんカトリックの聖書はこれに外典を加えたもの プロテスタントなら新約の部分だけ ユダヤ教ならモーセ5書だけ
などと世界ではもっと多岐にわたると思います
>聖書って「そもそも」なんなんでしょうね?
Jayさんは ものみの塔から アダムの創造と堕落 啓示の書の楽園の回復までものみの塔のオリジナルの一貫したストーリーを教え込まれて何かスピリチュアルなものを感じてしまうのでこのような質問がでるのかもしれませんね
オマケ
仰天さん>ヨハネの黙示録/ 02章 04節
「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。 」
たいていこの聖句はキリスト教からはなれてしまったことを嘆く意味で使うと思いますが
真逆の意味「ユダヤ教から離れた」と 田川さんは解釈してますね
というわけで聖句の意味の解釈も人によって様々かと思います
#22 Re: 親睦・相談 » 「聖書の記述は真実なのか?」 » 2021年01月06日 09:19:25
jayさん書き込みありがとうございます
聖書を全体を一冊として論じるのは時代も背景も著者も違うのでかなり乱暴かなと感じますjayさんの以前いわれたようにフランケンみたいな本だと自分も思ってますので
正確な部分もあれば 作り話のとこもあると思います
一例 正確な部分はダビデからゼデキヤあたりまで続く王様の支配した期間などかなと思います おかげでエルサレムの滅んだ年がものみの塔がいう前607年ではないことがわかると思います
作り話と思われる部分 アブラハム時代にラクダはこのあたりで使役されていなかったのでまちがい 出エジプトはなかった ソロモン時代の栄華 ノアの洪水 あと最近では聖書についての質問さんが上げたアサ王の100万人の戦いなどはなかった 等
#23 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年01月03日 11:35:35
#24 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年01月03日 08:33:29
元統治体のレイフランズさんは 油そそがれた残りのものという概念は 作り話 あからさまな虚構で 協会は手紙が届いたり地帯訪問などで注意を払う重要度は協会が定めた地位「支部委員 とか 地域監督」によるのであり 油注がれた残りのものという者たちにはなんの考慮もはらってはいないといってますね それでその概念は現在は信者さんがものみの塔には何か神様と特別なスピリチュアルな関係があるのではないかと勝手に勘違いしてくれるのではないかというもの以上ではないと思います
>「研究」であれ「討議」であれ、それらは名ばかりです。疑問を挟むことを許されないフォーマットに強制的に押し込められてしまい、「組織」に引き込まれてしまいます。やがて、自分の思い、考え、そして感情をも否定され続けた結果、自分を押し殺すようになっていく。組織に順応するにはそうするしかないでしょう。で、世間に順応できない(順応することが許されない)「新しい人格」を持ったJWが形作られます。
協会は
(ローマ 12:2) …この事物の体制に合わせて形作られるのをやめなさい。むしろ,思いを作り直すことによって自分を変革しなさい…
(コロサイ 3:9, 10) …古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て,10新しい[人格]を身に着けなさい…
などの聖句を引用して 自分の考えをいったん白紙に戻して神の王国の考え方「実はものみの塔の考え方」で自分を作りなおすようにといいますが その実態は ものみの塔の体制に合わせて信者を形作ることだと思います
ステーブンハッサンのマインドコントロールの本にでてくる 解凍 変革 再凍結の過程と同じではないかと思います
#25 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年01月02日 17:06:28
jayさん書き込みありがとうございます
>では、JWの中にどれほど本当の意味で聖書を研究し真理を見出そうとした人がいるでしょうか。自分の意見を持つ者がいるでしょうか? ほとんどいないでしょう。皆、書かれたことを鵜呑みにしている(させられている)だけではないでしょうか。唯一絶対の正解(オチ)がないミステリー書、聖書なんですから、自分の推理があってもいいのではないかと思っています。
この聖句と文脈、私はこう解釈します。
なるほど、そういう見方もあるのですね。
私はこう読みました。
ほほう、そうきましたか、私は・・・・。
こういった議論がなされていれば有意義でしょうが、「家庭聖書研究」や「ものみの塔研究」なんて茶番ですからねえ。(自分の考えで注解したならば即聴聞です)
組織の考えはたとえまちがっていたとしてもとにかく一致して従うようにとの考え方だと思います
昔の裁判でのフレデリックフランズやその他の責任者の裁判所での証言
フランズ会長時代の考え方 トップダウンが大切であってボトムはいかん
それでものみの塔は全体主義を非難していると思いますが 残念ながらその実態はナチズムのように統治体を崇拝してる全体主義「エホバイズム」だと思います 気づいていない現役信者さんはかわいそうです