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トピックレビュー(最新表示)
- アノニマス
- 2025年11月10日 06:13:40
三七ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。三八見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。マタイ23;37~38
四主はその羽をもって、あなたをおおわれる。 あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。 そのまことは大盾、また小盾である。詩編91;4
"主の羽"、"翼"は何をあらわすのでしょう。私はダニエル書にヒントがあると思います。
- アノニマス
- 2025年11月09日 07:07:29
ヘブライ語の真理「エメト」のAI回答
「エメト」の語源は?
AI
アシスタント
ヘブライ語の「エメト」(אמת)の語源は、その言葉自体が持つ「堅固さ」「不変性」「持続性」といった意味合いに由来しており、この言葉がもとになって「アーメン」という言葉が生まれました。
?️「エメト」の基本的な意味
「エメト」は、日本語で「真実」や「真理」と訳されることが多いですが、その他にも「堅固」「不変性」「持続」といった意味を含んでいます。これは、単なる事実としての真実だけでなく、信頼に足る確かさや揺るぎない性質を表す言葉です。
⛪「アーメン」との関連性
よく知られている「アーメン」という言葉は、この「エメト」が語源となっています。聖書では「アーメン」は「まことに」と訳されるほか、「真実」「本当」「正しい」という意味を持っています。このことからも、「エメト」が持つ「確かさ」や「信頼性」といったニュアンスがわかります。
第三一篇 聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌 一主よ、わたしはあなたに寄り頼みます。 とこしえにわたしをはずかしめず、あなたの義をもってわたしをお助けください。 二あなたの耳をわたしに傾けて、 すみやかにわたしをお救いください。 わたしのためにのがれの岩となり、 わたしを救う堅固な城。 三まことに、あなたはわたしの岩、わたしの城です。 み名のためにわたしを引き、わたしを導き、 四わたしのためにひそかに設けた網から わたしを取り出してください。 あなたはわたしの避け所です。口語訳詩編31;1~4
「わたしを救う堅固な城」は「真理」のことでしょうか?
詩編31編に91編で神様が答えていますね
- アノニマス
- 2025年10月31日 09:12:34
https://m.youtube.com/watch?v=vt1zazZR4 … CA6KmV6KuW
映画ひゃくえむの評論なのですが浜崎洋介氏のギリシャ語の真理アレーティアの解説がすごく心に入ってきたのでここにメモさせてください。
四こうした確信を、わたしたちはキリストにより神に対していだいている。五もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない。わたしたちのこうした力は、神からきている。六神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。七もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、八まして霊の務は、はるかに栄光あるものではなかろうか。九もし罪を宣告する務が栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものである。一〇そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのである。一一もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものである。 一二こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、一三そしてモーセが、消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、顔におおいをかけたようなことはしない。一四実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、その同じおおいが取り去られないままで残っている。それは、キリストにあってはじめて取り除かれるのである。一五今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。一六しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。一七主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。一八わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。コリント第二3;4~18
「真理 ギリシャ語」のAI回答
ギリシャ語で「真理」は主に*「αλήθεια(アレーテイア)」*と表現されます。この言葉は「隠されていないもの」という意味合いを持ち、隠蔽を打ち破ってあるがままの存在を顕現させるという古代ギリシャ人の真理の原体験に由来します。
「αλήθεια」の語源と意味
「αλήθεια(アレーテイア)」は、古代ギリシャ語の「lēthē(忘却・隠蔽)」に否定の接頭辞「a-」が付いたものです。このため、「隠蔽からの脱却」や「隠されていない状態」を意味します。
- アノニマス
- 2025年10月24日 06:18:10
イエス様は神の言葉です。神の言葉が心に住んでいる人は神の宮です。神様がイスラエルに与えた律法は神の言葉です。律法学者はイエス様に従って参りますと言いましたがまくらする所がないと答えます。律法を知っている律法学者でも神の言葉を土台としていない、神の言葉が住んでいないということだと思います。個人的考察です。
- アノニマス
- 2025年10月17日 06:03:00
一六神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、 「わたしは彼らの間に住み、 かつ出入りをするであろう。 そして、わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となるであろう」。コリント第二6;16
九わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。 一〇神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。一一なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。コリント第一3;9~11
一六あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。一七もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。コリント第一3;16~17
- アノニマス
- 2025年10月16日 05:49:39
道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。五八イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。ルカ9;57~58
一九するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。二〇イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。マタイ8;19~20
イザヤ66;1とルカ、マタイを洞察すると"まくらする所がない"の意味が解るのでは?
- アノニマス
- 2025年10月14日 06:26:16
イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。これは預言者によって言われたことが、成就するためである。「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう。」マタイ13;34~35
一四すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、一五平和の福音の備えを足にはき、一六その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。一七また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。一八絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。エフェソス6;14~18
エフェソス6;15で"平和の福音"は"足"と結びついています。
一主はこう言われる、 「天はわが位、地はわが足台である。 あなたがたはわたしのためにどんな家を建てようとするのか。 またどんな所がわが休み所となるのか」。イザヤ66;1
地を人、足を福音とすると、人はわが福音の置く台となります。
- アノニマス
- 2025年10月03日 06:19:16
一わたしは今、三度目にあなたがたの所に行こうとしている。すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。コリント2 13;1
一五どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならない。ふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない。申命記19;15
一四神は一つの方法によって語られ、 また二つの方法によって語られるのだが、 人はそれを悟らないのだ。ヨブ33;14
一一神はひとたび言われた、 わたしはふたたびこれを聞いた、 力は神に属することを。詩編62;11
聖書全体を読んでいないと神様が二度語られた言葉を見つけられません。
また、謎解きは二つか三つの根拠を聖書から見つけます。
たとえの言葉はあちらこちらに隠された宝のようです。
- アノニマス
- 2025年09月26日 03:29:53
なぜなら目に見える聖書の文章は基本的情報で洞察力を働かせるために必要不可欠です。
- アノニマス
- 2025年09月26日 03:13:36
四七よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。四八わたしは命のパンである。四九あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。五〇しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。五一わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。 五二そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。五三イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。五四わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。五五わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。五六わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。五七生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。五八天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。五九これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。ヨハネ6;47~59
イエス(神の言葉)は"命のパン"です。それを食べるとは聖書を読んで神についての知識を知ることだと思います。
二六一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。二七また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。二八これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。マタイ26;26~28
聖書を通読することは"契約"に至る第一ステージであると思うのです。
- アノニマス
- 2025年09月16日 06:08:57
一一そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。一二しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。一三だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。マタイ25;11~13
聖書で"知る"は"一体になる"という意味があります。思慮の浅い五人のおとめは神の言葉、神についての知識が心に入っていなかった、神様と一つではなかったと思います。
- アノニマス
- 2025年09月15日 06:16:07
三永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。ヨハネ17;3
彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。七いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました。17;6~7
八なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。17;8
彼らはあなたのものなのです。一〇わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。17;9~10
二一父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。17;21
二五正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。17;25
イエス様{神の言葉)は神様と一つで神の言葉を知って信じる人は神様と一つです。神の言葉が心に住んでいる人は神様の心にも住まわせて頂けるのです。
- アノニマス
- 2025年09月11日 06:08:00
二五イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。二六すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。マルコ1;25
八それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。マルコ5;8
三三すると、汚れた悪霊につかれた人が会堂にいて、大声で叫び出した、三四「ああ、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。三五イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。すると悪霊は彼を人なかに投げ倒し、傷は負わせずに、その人から出て行った。ルカ4;33~35
イエス様が汚れた霊を追い出しても悪霊は戻ろうとします。そうさせないためにはイエス様(神の言葉)に心に住んでもらうことです。
しっかりとイエス様(神の言葉)と一体になるのです。
ヨハネ17章のイエス様の祈りを読んでください。
- アノニマス
- 2025年09月07日 06:55:09
四三汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。四四そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。四五そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。マタイ12;43~45
この聖句で"家"は人のからだや心です。ヨハネ14;1~3も神様の心と思われます。
- アノニマス
- 2025年09月06日 21:33:24
一「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。二わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。三そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。ヨハネ14;1~3