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トピックレビュー(最新表示)

ささらほーさら
2015年06月27日 12:45:20
けろけろ さんの発言:

あの、人格という言葉をあまり出されないのがよいと思うのですが。

そうかも知れませんね。
ご親切なご指摘ありがとうございます。

これは、聖書がエフェソス4:22~24で
「古い人格を捨て去り、新しい人格を身に着けるように」と述べていることを出したので
「さなぎから蝶に変わるように」変化させることは無理ではないかと述べた流れで使ってしまいました。

その方の持つ人格とは別問題ですね。

けろけろ
2015年06月27日 11:26:24

あの、人格という言葉をあまり出されないのがよいと思うのですが。

反論しなければならない記事は過去にあります。

u-chanさんが「奇跡の詩人」というNHKの番組のことをあげてくださっていますが
目ざめよ
だったと思いますが、同じようにファシリテイテッド コミュニケーションによって
神に献身したと話した脳性まひの女性の記事が取り上げられています。

ファシリティテッド コミュニケーションはアメリカでおもに自閉症の方たちの
コミュニケーション手段としてもてはやされましたが、
介助者の意思が介入しやすいこと、
家族に性的虐待を受けたと訴える人が続出して
大変問題になったものです。

このコミュニケーション手段で話した事柄が
本人の言葉だと証明されたものはないと思います。

ささらほーさら
2015年06月27日 11:05:07
けろけろ さんの発言:

めざめよに書かれている方も特段聖書を学んだから
ということではなさそうな気がします。

そうですね。
人格を変化させることができるとまでは主張していません。
JWは反論が出そうな記事はもともと扱いませんよね。
でも、聖書や組織と関わるなら良い結果になる....という風には結論づけているようです。

ささらほーさら
2015年06月27日 10:34:33

けろけろさん、返信ありがとうございます。

けろけろさんと同意見です。

聖書には「変化させる必要があるし、できる」と書かれています。

でも、私は「全ての人に押し付けるの」は無理、と考えています。

その1人1人にとっては、その状態が自然なのだと思っています。

けろけろ
2015年06月27日 10:30:35

おなまえ間違えてすみません。

ささらほーさらさん

けろけろ
2015年06月27日 10:29:35

お返事ありがとうございます。

はい、私の読解力では「人格を変化させる必要があるけれども、無理」と書かれていように思います。

「問題」とみなすのは世間一般であって、本人ではありません。

周囲と同じようになれと言われることで
苦しみ、自分は人間として何か劣ったところがあるのだろうと考えます。

めざめよに書かれている方も特段聖書を学んだから
ということではなさそうな気がします。

アスペルガー症候群の人たちの特性は
個々により違いますし、この女性はたまたま奉仕や神権学校が好きだったそれだけですね。

私のようにどれほど努力しても、集会や大会で出会う大勢の人たちが
苦手で、座り続けることが拷問に感じる人間は克服することなどできません。

そそらほーさらさんもそのように考えていらっしゃるということですね?

ささらほーさら
2015年06月27日 10:25:54

追記:統合された、陰謀論の検証のトピックから、ずっと先の投稿のように申し上げています。

何を隠そう、私の長男も幼い時から授業中座っていることができず
(その頃は「躾」の問題と教えられていましたから)集会中も辛かったです。
医療機関をいくつも周りいました。
思考パターンも通常の方とはかなり違うのですが、
JWを自然消滅した後、芸術家として歩んでいますので今はそれなりにやっていけています。

ですので、尚更、聖書をそのまま全ての人に押し付けることはできない....と実感している一人です。

ささらほーさら
2015年06月27日 10:07:08

けろけろさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。


けろけろ さんの発言:

私にも発達障害があり、幼いころから
人と思考パターンが違うことで悩み 叱られ たたかれてきましたが

大変な思いをされてきたのですね。

けろけろ さんの発言:

さなぎが蝶に変化するかのごとく 人格を変化させる必要があると
思われているのでしょうか?

そうではありません。
わかりにくい文章だったでしょうか?

そう主張しているのはJWの側です。

私が申し上げているのは、むしろその逆です。
そんな事は無理に等しい→同じように、LGBTを抱えている方に、聖書から学んで変化しろ...は無理難題です。
と申し上げているのです。

実は、私の弟はアスペルガー、その息子は自閉症です。
ですから、聖書の言葉をすべての問題を抱えた方に当てはめることは無理と申し上げているのです。

けろけろ
2015年06月27日 09:33:38

恐れ入ります…ささらほーさらさん

アスペルガー症候群を持つ人が大人になって
自分の特性に気づいた場合、

さなぎが蝶に変化するかのごとく 人格を変化させる必要があると
思われているのでしょうか?

私にも発達障害があり、幼いころから
人と思考パターンが違うことで悩み 叱られ たたかれてきましたが
上記のようなコメントを読むと 情けなくて 体が震えます。

ささらほーさら
2015年06月27日 08:22:09

みなさん、おはようございます。
seiei00rさん、おはようございます。


私も陰謀論検証のトピックで同じように解釈してみました。
そうでなければ、現代の多くの問題に聖書は情報を提供しているようには思えないからです。
以下、一部を抜粋してみます。

ささらほーさら さんの発言:

さて、パウロはローマ人やコリントの人々に手紙で「淫行~同性愛」を強く戒めました。
では、これを広く現代にも当てはめるべきか….という問題が出ていたわけです。
パウロの発言がなぜ必要だったのかを考えてみました。当時のローマやコリントは「不道徳」で知られていました。とりわけコリントに関しては、「コリント風に生きる」とは「不道徳なことを習わしにする」ことを意味するほど、崇拝行為に、また日常生活の中に性的な乱交が横行していました。
それで、クリスチャンとなった人々の中にもそのような人が(しかも大勢)いたために、パウロは戒める必要を感じ、実際に強く戒めたものと思われます。(ローマ1:26~27。コリントⅠ6:9)
では、現代のセクシャルマイノリティーと呼ばれる方々に同じ戒めが同じように通じるのでしょうか。パウロの戒めが、宗教的にも、文化的にも「淫行」が習わしとなっていた地の人々に向けられている….ということは考慮する余地があると思うのです。その「不品行」と「マイノリティ」の問題は、性質そのもの(前の投稿ではメカニズムと書きました)が違うからです。

これは、あくまでも聖書=神からの書物を擁護した場合、
LGBTの問題を全否定せずにどう扱うか....と考えた場合の解釈のひとつです。

でも、正直、現代の多くの(解明されつつあっても)解決できていない問題(LGBT、サイコパスやアスペルガー等の疾患、その他の精神疾患、生来の障害の数々、躁鬱など、とりわけ脳のメカニズムによる疾患)に聖書は十分対応していないのではないかと考えてしまいます。

例えば、アスペルガーの方でも聖書教育によってある程度改善可能とJWの記事では扱っています-2008/9(目)P22~24
しかし、彼女の場合、幼い時から聖書に接し周囲の協力があってこその内容です。
大人になってからそれと解った方が、聖書を読んで、それを自分に当てはめたり祈ったりして人格を「さなぎから蝶に変わるように」変化させることなどできるでしょうか?皆無とは言いませんが、相当困難であることは言わずもがな....ではないでしょうか?
人格障害を持つ方なども同様です。


いつものことですが、も塔は「聖書=絶対」の路線を変えません。
それで、いつも聖書を擁護する例誇張までした記事を提供していますが、
現実の正確な研究結果客観的な考察はしていません。

カレブ
2015年06月26日 23:24:16

思わず「JWIC 物事」で検索してしまいました。
「物事をありのままに考えるエホバの証人」さん ですね。
http://www.jwic.info/anonym.htm#0

日和見
2015年06月26日 23:15:40

seiei00rさんの文章はJWICの物事さんを彷彿とさせますね。
物事さんは今頃どうしているのでしょうか。
物事さんのコラムもっと読んでみたかったなぁ…

鬼太郎
2015年06月26日 19:14:47

seiei00rさん
新たな観点からの示唆に富む投稿に感謝します。
時代背景の知識は重要だと思います。
言葉の定義の問題は最重要ですね。

seiei00r
2015年06月26日 16:47:43

同性愛の問題を考えるうえで大切なことは、同性愛者であれ、異性愛者であれ、パートナーを愛する感情には違いがないということを、まず書いておきたいと思います。

そうして、もう一点。
これから書く話の前提として、イエス・キリストは「社会的弱者」の味方であったことを、ここに付け加えておきたいと思います。

さて、

聖書と同性愛の問題について、カレブさんの意見では、「聖書の取り決め自体が、時代に縛られたものなので古くなっている」という趣旨のことを述べておられました。
鬼太郎さんからは、「聖書の取り決めはある特定のグループが適用すべき問題(グループ内の規定)なのではないか」という考え方が紹介されていたように思います。

上記の考え方は、示唆に富んだ、非常に優れた考え方だと思います。

そして、「聖書」を絶対視する立場の人間は上記の考えはとらずに、「聖書の取り決めは、時代を超越したものであり、全人類が守り行なうべきルール」であると考えているようです。

ところで、ここであげた三つの意見には、実は、共通点が見いだせます。
それは、「聖書は同性愛を禁止している」という点です。

わたしは、この点が非常に引っかかっています。
というのは、「同性愛者は、パートナーとの関係をあきらめない限り、聖書から益を受けられないのだろうか」という疑問が生まれるからです。

そこで考慮してみたいのは、「パウロの手紙」についてです。
パウロの手紙で同性愛について書かれているのは、「ローマ人」と「コリント(ギリシャ)人」に送られたものでした。

まず、この時代のローマ・ギリシャに関しては、一般的に同性愛はタブー視されていなかった歴史があることを書いておきたいと思います。
ローマ・ギリシャでは同性愛行為が「性的な娯楽」として、または「快楽を得る手段の一つ」として、一般の人も含めて普通に行なわれていたのです。
さらに、この時代のローマ・ギリシャの同性愛に関して今日のLGBTの問題と大いに異なる点は、同性愛が「少年(少女)愛」と非常に深く結びついていた点もあげられます。
この点に関しては同性愛というよりは、むしろ今日の「幼児・児童性愛」に近いものが見いだせます。

こうしたことから、パウロが問題にしていた「同性愛」と、今日の「LGBT」の問題は、実は、まったく異なるものなのではないかというのが、わたしの考えです。
そして、パウロが禁止したのは、そうした「性的な娯楽」「快楽を得る手段」としての同性愛だったのではないかと。

とはいえ、この点のみで聖書が同性愛を認めていると結論づけるのは難しいかと思います。
当然ながら、律法の原則も考慮に入れなければなりません。

現時点では、この問題に関して結論づけることはできないので、聖書と同性愛の問題を考えるとき、そこには「言葉の定義の問題」が存在するのではないかという点を提起して、この投稿を終わりたいと思います。

ささらほーさら
2015年05月30日 14:14:32

こんにちは。

以前ある姉妹がテレビを見ていてびっくりした!と言っていた番組があります。
1,000時間奉仕者兄弟の意図とは違ってしまうと思いますが、参考まで


NHKスペシャル『人体 ミクロの大冒険』第2回「あなたを変身させる! 細胞が出す"魔法の薬"」


ドミニカ共和国のある国では、思春期を境に「性別が変わる子供たちが多い」そうです。
結論としては所謂「ホルモン」の分泌状況によるとのことです。


会員登録すれば、NHKの動画でも見られるかも知れませんが、
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0405/

一部を紹介したサイト(宣伝目的ではありません)がありましたので
http://from4050.jp/wp/%E5%8C%BB%E7%99%8 … %E8%AD%B0/


このようなところまで調査し、踏み込んだ見解を
エホバの証人サイドが出していたがどうかは不明です。


ですが、
男にも女にも成り得る要素を持っているということは
アダムからエバが造られた....という聖書の記述に反することにはならないわけです。

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