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聖書についての質問
2026年01月09日 14:06:38

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“明るい気持ちで年を重ねるには(44)”で、高齢のJWは文句や愚痴ばかり言っていないで、少しは組織の役に立つように努力しなさい、という内容です。」
「高校を卒業する前に楽園が来て、永遠に若いまま、とだまされたJWも高齢者となり、JWもいよいよ高齢者問題に取り組まざるを得なくなったというわけだね。終わりの日は当分来ないことを認めたようなもの。高齢JWはさらに落ち込むよ。」

「100年以上前から終わりはもうすぐ、と言い続けて、高齢者問題など存在しないはずだったのに、今やJWの半分以上は高齢者ですよ。」
「終末カルトから少しずつ普通の宗教に移行して欲しいね。老人をこき使うのではなく、老人が余生を楽しく過ごせるよう配慮する宗教になって欲しいね。」

「2節には、老人というと定番の格言16:31が出ています。そこには“正しい道を歩む人の白髪は美しい冠である。”とあるのですが、訳がヘンですよ。格言は1節が2行からなる形式で書かれているわけで、その形式を無視するのはダメですよ。」
「英語訳ではちゃんと2行からなるようにしている。日本語訳者はただ訳せばいいという程度のやる気しかないということ。」

「英訳を直訳すれば、“白髪は美しき冠/それが正義の道の中に見出されたとき。”です。この訳もヘンです。」
「協会共同訳では“白髪は誉れある冠/正義を行う道に見いだされる。”となっているが、これが普通の訳。意味は白髪になるまで長生きするのは正しい生き方をした人へのご褒美だ、ということ。長寿は神を畏れる人へのご褒美という思想は格言のあちらこちらで見られる。」

「格言3:1-2では“わが子よ,私の教えを忘れてはならない。私のおきてを心から守ってほしい。そうすれば,長く生きて平和な日々を送れる。”とありますね。」
「格言4:10では“わが子よ,聞いて,私の言葉を受け入れよ。そうすれば,あなたは長く生きられる。”とある。長寿は正しい人という証拠なわけで、それゆえ白髪は名誉なわけ。白髪を“美しい”と訳するのはダメだね。」

「2節で高齢の兄弟姉妹を“元気に生い茂る木に例えています。(詩編 92:12-14を読む。)”とありますが、違いますよ。デタラメです。」
「そこには、正しい人は“年を取っても衰えない。元気ではつらつとし”とある。引照聖句は正しいものが繁栄することを言っているだけ。老人を“元気に生い茂る木に例えて”いない。」

「2節では“例えば桜の木は,樹齢1000年を超えても,息をのむほど美しい花を咲かせることがあります。エホバに仕え続けてきた高齢の兄弟姉妹たちは,その桜の木のようにエホバにとって美しく大切な存在です。”とあります。高齢のJWが1000年桜のように美しく大切な存在なわけありません。」
「そんな聖句はないでしょう。執筆者が高齢者を持ち上げているだけ。」

「ベテルでは高齢になったら、退職金も年金もなしに追い出します。ベテルは神の家という意味ですが、神の家は民間企業よりもひどい扱いです。」
「そうだから、せめてものみの塔の記事で高齢者を少し持ち上げてあげようという配慮でしょう。」

「3節に“エホバは高齢の人たちにも大切な役割を与えました。例えばエホバは,高齢のサラが大きな国民の母,またメシアの先祖になると言いました。(創 17:15-19)”とありますが、これもズレていますね。高齢のサラが子どもを産むから、神の働きとわかるわけですよ。若い女性が子どもを産んでも何の不思議でもありません。」
「不可能を可能にして、神は崇拝される。神の奇跡物語の一つに高齢の女性が子どもを産んだ!!というのが定番としてある。似たような話は世界のどこにでもある。」

「3節には、高齢なのに神に用いられた人として、モーセと使徒ヨハネを挙げているのですが、なぜノアを取り上げないのか不思議です。大洪水が起きた時、ノアは600歳ですよ。600歳の高齢で箱舟を作らせられて、かわいそうです。そんなことはもっと若い時に言ってよ、とノアは絶対思ったはずです。」
「ノアは950歳まで生きる。600歳は高齢じゃないんだよ。恐らく、組織はノアの大洪水の話は取り上げたくないんだよ。あれは史実というのがJWの一貫とした立場だけど、そんな証拠がないことは、無学なJWでも知っているからね。」

「4節では“でも,前向きな気持ちがあれば,そういう中でもめげずにやっていけます。 (格言 15:15を読む。)”とあり、引照聖句には“陽気な心の人には毎日が宴会である。”とあります。そんなことはありませんよ。誇張がひどすぎます。」
「格言はどこにでもある通俗道徳が並んでいるというレベルのもの。まじめに受け止める必要はないね。」

「5から8節が“明るい気持ちでいるのが難しいのはどうしてか”です。 高齢JWが明るい気持ちでいられないのはJWだからですよ。JWをやめれば、くだらない集会や奉仕などから解放されて、それだけで気分が明るくなります。」
「そういう不都合な真実は書けないので、一般的な高齢者問題に話をすり替えるわけだね。」

「5節では“例えば,以前できたことができなくなって,がっかりするかもしれません。”とあります。6節では“自分一人でできていたことができなくなって,切なくなることもあります。”とあります。高齢者一般の問題です。」
「介護が必要になるとJWからは見捨てられて、サタンの政府の福祉にたよることになるわけだね。エホバは信者たちがそんな境遇になっても助けてはくれないようだね。」

「7節はJWならではの問題です。“もしかすると,自分の生きているうちに終わりは来ないかもしれないと思って悲しくなるかもしれません。”とあります。終わりがクルクル詐欺に騙されたと絶望している高齢JWのことですね。この宗教の犠牲者です。」
「終わりがクルクルと言われて、開拓者という低学歴低収入の生活を選んだせいで、貯蓄なし、年金ほとんどなしのJW高齢者は結構いるよ。間違った選択をしたことは明らかで、これが明るい気持ちでいられない大きな理由だ。それには全く触れないとはズルい。」

「ここで統治体は謝罪すべきですよ。終わりが間もなく来ると長年だまし続けたことを心よりお詫びします、ぐらいは言って欲しいです。」
「統治体は謝罪しない。統治体は間違えることはない。間もなく終わりが来る。これが統治体の立場。」

「7節では“エホバが待っているのには十分な理由があります。たくさんの人がエホバについて知り,エホバとの友情を育てられるようになるためです。”と、いつもの言い訳を言っています。毎日世界では約38万人生まれています。その人たちがエホバの友達になれるまで待つわけですね。でも英文には“エホバとの友情”という言葉はありません。」
「“エホバと友達”とか“エホバとの友情”という言葉が好きなのは日本語の翻訳者。英文になくても勝手に挿入する。そのせいで、日本のJWという宗教はますます子供じみた幼稚な宗教になっている。」

「8節では“高齢になると,病気のせいでその人らしくない言動が増えてくるかもしれません。”とあります。そんなときは“素直に謝りましょう。”と言っています。いつもは何か言われてもすぐに許しましょうと言っているのに、高齢者にはすぐ謝れというのはヘンですよ。」
「まず統治体からお手本を示したらと言いたいね。絶対謝らないのが統治体なのだから、末端の信者が謝る必要はないよ。ウソを垂れ流しても謝らない統治体を見倣おう。」

「9から13節が“明るい気持ちでいるには”です。  5つのことが出ています。9節は①“周りに助けてもらう。”です。周りの人とは福祉関係の人ですね。」
「JWは高齢の役立たずなど助けたりしないからね。助けるとしたらお金をもらえる時だけでしょう。」

「10節が②“感謝を伝える。”です。10節には“ベテルで高齢者の介護をしているリア姉妹はこう言います。「私がお世話しているある姉妹はよくお礼のメモをくれます。・・・”とあるのですが、これってベテルでは高齢者の介護をするのが普通だと誤解させるためのものですよね。」
「ベテルで高齢者の介護をすることがあるけれど、それは特別な高齢者だよ。それ以外は、不要になったら、高齢になる前に無一文で追い出される。」

「11節が③“人のためになることをする。”で、“エホバが教えてくれている通りに生きれば必ず幸せになれる,ということを伝えましょう。”とあります。これは人のためになりませんね。詐欺です。」
「そう伝えると、なぜ明るい気持ちになれるのか理解できない。もしJWでない人から、あなたはエホバの言うとおりの人生を送ったようだけど、少しも幸せそうじゃないよ、と反論されたら、なんて答えるのかな?」

「12節が④“祈ってエホバから力をもらう。”です。祈りはなんにでも効く魔法です。12節では“イザヤ 46:4を読む。”とあるのですが、これも聖句の誤用です。」
「そこには“あなたが年を取っても私は変わらない。あなたが白髪になっても背負い続ける。・・・”とあるけれど、これはイスラエル国民に向けた言葉。46:3に“ヤコブの子孫よ,イスラエル国民の残っている全ての人よ,私の言うことを聞きなさい。”とあるよ。JWとは関係ないね。」

「13節が⑤“今の状況は一時的だと自分に言い聞かせる。”です。楽園での暮らしを想像して、自らを慰めるわけですね。これはJWならではの明るい気持ちになれる方法です。」
「でも楽園がどんなものか聖書はほとんど何も言っていない。何を食べて、何を着るの?それとも裸でくらすの?乗り物はあるの?電気はあるの?何もわからない。楽園の生活など想像できない。」

「14から17節が“周りはどんなふうにサポートできるか”です。 3つのことが出ています。14節が①“定期的に高齢の兄弟姉妹を訪ねたり電話したりする。”です。大多数のJWはそんなことをするつもりはないでしょう。みな自分の生活とJW活動で忙しいです。16節が②“病院に一緒に行ってあげる。”です。家族がいないJWが多いので、病院にもひとりで行くしかないわけです。病院にどうやって行くかが深刻な問題になっているようですね。」
「いくら楽園を夢見ても、病院に行くのをやめるわけにはいかない。子どもが排斥されたり、JWをやめたりすると、親の方が一方的に関係を断つことが結構ある。孤独な老後になるのも組織の言いなりになって、頼りにできる家族と縁を切るからだよ。」

「17節がJWらしいです。③“一緒に伝道する。”です。真冬でも高齢者を伝道活動に連れ出すわけです。高齢者虐待です。」
「伝道に行かないと、病院に連れて行ってもらえないのだろうね。それで仕方なくJW活動をやっている高齢者はどれくらいいるのかな?」

「最後の18節がまとめです。“最高の日々はこれからやって来ます。その時が本当に楽しみです。”とあります。高齢者を元気づけるのは楽園幻想しかないということですね。これでは落ち込む高齢JWが増えるのは仕方がないですね。」
「来週は介護問題を扱うようだ。JW流のインチキ聖書研究よりも介護の仕方を学んだ方が役立つよ。」

ラハム
2026年01月03日 19:04:06

1,000時間奉仕者さん、これまでよく頑張りましたねえ。
42年以上ですか、わたしたちには長大な時間ですね。
記事は、ライブラリーから読みました。
こんなの、みんな、嘘っぱちに見えますよ…。
わたしは、東松山の東京大会ホールでバプってますが、
研究生に1975年になったので、この2026年にJW関係者になり50年以上です。
2003年の暮れに脱塔しました。
でも、奉仕の僕がやっとのところで、
いくら頑張っても長老にはなれませんでした。
同じ障害の兄弟と、障害者は長老にはなれないのかと、
嘆いたことがあります。
でも、ここまできて、古希も近づき、振り返ると、
まっとうなJWとして生きようと、人間らしくありたいと
自分を押し出したことが災いしたのかなあと、気が付きました。

わたしも、お医者さんを含めて、先生と呼ばれている人たちは、
自分より年上だとずっと思っていたのですが、
いつの間にか、30代、40代の人たちが若者に見えてきて、ショックでした。
現在の総理大臣もわたしより若いなあ。

おととし、入院生活で、
わたしは4人部屋でしたが、わたし以外は90代で、60代だったわたしは、
まるで、彼らの子どものようで、小僧に見えただろうと思ったものです。
でも、上には上がいるもので、
入院患者には102歳のおばあさんがいましたよ、
これにはびっくり!

だから、1,000時間兄弟も頑張ってきて来たんだと、
わたしは尊敬できるんです。たいへんだったと思うのです。

若いメンバーが選ばれて、統治体に参入できたのは、
その若者が現在のメンバーの言いなりになるような、
雰囲気が醸し出されたからではないでしょうか。

レイモンド・フランズのような人物は、
絶対的に参入されたくないでしょうから…。
JWには人間的な良心を発動させようとする人間は、
邪魔以外何者ではないと思います。

正月のほろ酔い加減での書き込みでおかしいところもあるでしょうが、
1,000時間奉仕者兄弟にコメントしたくて書き込みました。
兄弟の書き込みは、楽しみにしています。

1,000時間奉仕者
2026年01月02日 21:21:02

この記事の末尾に「統治体の新しいメンバー」として二人の追加が発表されています。

人が年を取ったなあと実感するのは、プロ野球チームの監督や日本の総理大臣が自分より年下になった時だそうですが、

統治体の成員のバプテスマ日付が自分のより後なのを見ても同じ感覚になります。J・ジェドリー兄弟のバプテスマが偶然、私のと同じ日付だったので、やれやれです。

聖書についての質問
2026年01月02日 14:44:21

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“仲間のために祈ることを忘れないでください(43)”で、仲間のJWのために時々祈りなさい、という内容です。」
「年末年始でもJWには休みはない。過酷な宗教だ。仲間のために祈るわけだけど、もちろん、その中には統治体も入っているので、大会などでは統治体をほめたたえる祈りがこれからますます増えるということね。」

「2025年も何事もなく終わり、JWはさぞ失望しているのでしょうね。」
「2026年こそハルマゲドンだ、と思いを新たにして、JW活動を頑張るぞと決意している人が多いんじゃないの。」

「2025年度の奉仕活動の報告がアップされていますが、日本は昨年より伝道者の平均は213745人で驚くことに26人も増加しています。」
「3分の1はチェックするだけの人でしょう。重要なのは会衆数。2835で昨年より31減少。どんどん減ってほしいね。」

「3節で“私たちはほかの人のために祈るのを忘れてしまうことがあります。どうしてでしょうか。”と問いかけています。サブリナ姉妹の答えは“毎日忙しくて,息つく暇もありません。自分の悩みで頭がいっぱいになって,ついつい自分のことばかり祈ってしまいます。”というもので、多忙を理由としています。ウソですよ。」
「他の人のことなどどうでもいいと思っているからでしょう。それに多忙なのはJWだから。JWをやめれば、生活にゆとりができて、他人のことを配慮できるようになるよ。」

「4から7節が“ほかの人のために祈るのが大切なのはどうしてか”です。  3つ理由が出ています。4節は①“ほかの人のために祈ることには「大きな力があ[る]」。(ヤコブ 5:16を読む。)ほかの人のために祈ると,その人の状況は良くなるでしょうか。良くなることもあります。”です。翻訳がヘンですね。」
「英文ではCan praying for others really affect the outcome of a situation? Yes, it can.(他の人のために祈ることは本当に結果に影響を与えるのでしょうか?はい、そうです。)というもの。それを”良くなることもあります。”と狂信度を弱めている。翻訳者は祈りの力を信じていないね。」

「祈っても、祈らなくても、その人の状況は良くなることがあります。」
「祈った結果は、状況が変わる、変わらない、しばらくしたら変わる、の3つでしょう。それは祈らなくても同じ。」

「読むように指定されているヤコブ5:16には“ですから,互いに罪を告白し,互いのために祈ってください。そうすれば癒やされます。”とありますから、これは病気の人に向けて言っているものですよ。互いに罪を告白し、互いに祈れば病気が癒されると言っているわけです。どんなことでもお互いに祈れと言っているわけではありません。」
「病気に対する古代的な見解が出ているところだね。そんな文脈は無視し、過剰に一般化し、何でも互いに祈れ、とするのがJW流の聖書理解。」

「5節では“でもエホバは,私たちがどれほど強い願いを持っているかに注目していて,祈った通りにしてくれることもあります。”とあります。知りませんでした。100万回祈ると願いが叶うこともあるのですか?」
「そこで、同じことを100万回祈った○○姉妹の体験談が出てくると完璧だったけれど、体験談はないね。祈りによって神の行動を変えられるというのはかなり傲慢な思想。古代宗教の思想。」

「6節は②“ほかの人のために祈ると「温かい思いやり」を育める。(ペテロ第一 3:8を読む。)”です。引照聖句にはそんなことは書いていません。」
「“温かい思いやりを持ち,謙遜であってください。”とあるけれど、他の人のために祈ることは出てこない。」

「7節は③“ほかの人のために祈ると自分の問題ばかり考えなくて済む。(フィリピ 2:3,4を読む。)”ですが、引照聖句には祈りのことは出てきません。」
「他の人のために祈ればこんないいことがあるよ、みたいなことは聖書には書いていない。それでテキトウに聖句を引っ張ってくる。」

「他の人のために祈ると、思いやりが育めるし、自分の問題から一時的に逃れることができると言っています。他の人のために祈ると自分のためになるからしなさいということです。」
「JWは自分が得にならないことはしない人たちなのだろう。それでご利益を強調する。」

「8から11節は“誰のために祈れるか”です。  もちろんJW限定なのですが、そうははっきり書かないところがズルいです。8節では、困っている様々な人に祈りなさいとあります。次がこの記事が一番言いたかったことです。9節では“エホバから責任を与えられている兄弟たちのためにも祈れます。統治体と援助者,支部委員会,ベテルの監督,巡回監督,会衆の長老,援助奉仕者などです。”とあります。これって偉い順番ですね。」
「統治体は神のような人だから、統治体のために祈るとご利益があるんだよ。」

「なぜ彼らのために平信者が祈らなければならないのかというと、9節では“そういう兄弟たちは私たちのために一生懸命働いてくれていますが,それぞれに心配事を抱えています。”というものです。理由としては取って付けたようなもので、説得力がありませんね。そんなに心配事が多ければ、役職を辞任すればいいだけです。」
「平信者の方が心配事を抱えているよ。平信者の寄付で生活している恵まれた身分のくせに、自分たちのために祈ることを要求するというのは、カルトのリーダーそのもの。」

「9節では、“そういう兄弟たちをよく支えている妻たちのためにも祈れます。”とあります。なぜですか?苦労が多いからですか?」
「特権階級だからでしょう。平信者は特権階級のために寄付をし、奉仕し、祈りを捧げる奴隷なんだよ。そうしないと楽園に行けませんと書いてあれば面白かったのに。残念。」

「12から15節が“特定の人のために祈るとき”です。  3つの指示が出ています。12節は①“よく気を配る。”です。“特定の人のために名前を挙げて祈ることもできます。”とあります。」
「統治体の誰かの名前を挙げて、早く天に行って、天の王国でご活躍ください、と祈ればいいわけだ。統治体の老人は早く天に行きたくてウズウズしているよ。」

「13節が②“名前を挙げて祈る。”です。“一度も会ったことがない人のことも,名前を挙げて祈れます。”名前を挙げて祈ることは必須のようです。一度もあったことがなくても。統治体の全員の名前を覚えて、祈れということですよ。」
「統治体だけでなく、日本支部の人の名前を憶えて、実名を挙げて祈ろう。ご利益があるよ。」

「13節では“例えば,エリトリア,クリミア,シンガポール,ロシアなどで収監されている兄弟姉妹のために祈ることができます。”とあります。そう人たちの名前も覚える必要があるようです。」
「こうやって、自分たちは迫害されている=真のクリスチャンだ、という確信を強めさせようという作戦だね。収監されている人たちのために組織は何かしているの?残された家族に金銭的援助はしているの?まさか祈るように呼び掛けているだけじゃないよね。」

「14節が③“具体的に祈る。”です。収監されている兄弟姉妹のことを具体的に祈るようです。15節では“例えば,看守が親切にしてくれるようにとか,自由にエホバを崇拝することを認めてくれるようにと祈れます。(テモ一 2:1,2)また,地元の兄弟姉妹が,収監されている仲間の強い信仰から力をもらえますように,とも祈れます。刑務所での兄弟姉妹の良い振る舞いを見た人たちが聖書に興味を持ってくれますように,とも祈れます。”とあります。」
「最期の例が気になるね。収監されている人たちを使って、信者集めに利用するつもりなの?」

「現在“看守”という言い方は好まれませんよ。刑務官というと思います。」
「看守というときっと嫌われると思うよ。将来JWは唯一の真の宗教ということで政府の弾圧にあって刑務所に収容されるのでしょうから、刑務所の職員の正しい呼び方を教えるべきだね。看守は刑務官の一番下の階級。その一つ上は看守部長、その上が副看守長で、その上が看守長。一番上は矯正監だ。」

「ロシアの刑務所に20年入れられた○○兄弟はその立派なふるまいで、多くの看守をひどく感心させ、ある看守はJWこそが真の宗教だと確信しました。その看守は今ではアメリカに亡命し、長老として奉仕しています・・・、という話が来年当たり出ますかね。」
「そして、その兄弟はまだ刑務所で立派なふるまいを続けています、皆さんその兄弟のために祈りましょう・・・と続くかも。刑務所に入っているJWは組織の宣伝に使えるようだから、組織は釈放されなくても気にしない。」

「16から18節は“祈る時に覚えておきたいこと”です。  16節では“ここまで考えてきたように,祈って状況が変わることもありますが,いつもそうなるとは限りません。”と、過剰な期待をしないように注意しています。」
「最初から期待なんかしていないよ。祈っても祈らなくても状況は変わるときもあれば、変わらない時もある。それぐらいJWなら知っているよ。」

「16節に“私たちが何を必要としているか,私たちが気付く前からエホバは知っています。(マタイ 6:8を読む。)”とあります。やっとマタイ6章が出てきました。そこには祈りについていろいろ書いてあるのですが、今まで全く無視していました。」
「JWにとって都合の悪いことが書いてあるからね。例えばマタイ6:5では“また,祈るとき,偽善者たちのようであってはなりません。その人たちは,人に見えるように会堂の中や大通りの角に立って祈ることを好みます。”とあるけれど、JWは大会などで長々と祈るのが好きでしょう。」

「マタイ6章には主の祈りも出ていますが、これについても全く触れませんでしたね。」
「その祈りは“天におられる私たちの父よ,お名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたの望まれることが,天と同じように地上でも行われますように。”で始まる。これは古代宗教が神を人間の願いをかなえるための道具としてみているのに対し、人間ではなく神の望まれることを行ってください、といって、そのような道具としての神という見方を否定している。JWの神に対する見方は古代宗教と同じようなものだから、主の祈りは触れたくないのさ。」

「18節が結論で、“エホバは私たちが互いのことを思い,互いのために祈ることを願っています。”です。でも、そのような聖句はヤコブ5:16の病人に向けての聖句しかありませんでした。」
「JWは、互いの悪口を言いあったり、批判しあったりと信者同士の関係が悪いので、少しでも良くしたいということじゃないの。」

聖書についての質問
2025年12月26日 14:46:34

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“エホバに心から祈るには(42)”で、JW流の祈り方と主に旧約聖書にある祈りの例を学ぶという内容です。」
「英語のタイトルはHow to Improve Your Prayers(あなたの祈りを改善す方法)で、心から祈ればいいとは言っていない。でも祈りを改善したら、祈りが実現する確率が上がるとも書いていない。それって改善といえるのかな?」

「JW流の祈りというのは、一日も早くハルマゲドン来て、JW以外の人を焼き殺してください、と祈るのかと思ったのですが、そうでないようです。」
「そんなこと祈ったってハルマゲドンなんか来ないからだよ。祈り=お願い事をくどくど述べる、ではない。そんな祈りは古代宗教の祈り。古代宗教では神は人間の願いをかなえるための道具にすぎない。JWにとってエホバもそうかもね。」

「4,5節は“ためらわずにエホバに祈る”です。  イエスに祈った人は排斥と言うのかと思ったら、4節には“エホバは私たちの幸せを願ってくれている親友なので,自分の気持ちを何でも自由に話せます。”とあります。エホバ=親友だから気楽に祈っていいよ、と言いたいようです。」
「英文ではa loyal friend who wants us to succeed(私たちの成功を願う忠実な友)だよ。裏切ることのない友と言いたいわけで、親友とは違う。エホバ=親友という神学は日本独自でしょう。全く非聖書的な思想。どうせ親友にするなら、エホバではなく、困ったときにお金を貸してくれる人を親友にした方がいいね。エホバは寄付を要求するだけ。」

「6から10節が“どうすれば心から祈れるか”です。  祈りの改善方法が3つ出ています。7節が①“エホバがどういう方かじっくり考える。”です。これは大事ですね。エホバは気に入らない人間を簡単に殺す恐ろしい神ですからね。7節で、クリスティン姉妹は“エホバの揺るぎない愛について考えると,そういう不安は消えていきます。エホバはどんな時もそばにいてくれます。たとえ私が転んでも,優しく抱き起こしてくれます。”と、全く聖書に基づかないデタラメを言っています。」
「どこの宗教の神のことを言っているのと聞きたくなるね。いったいいつ転んだ時に抱き起してもらったの?」

「旧約聖書の神は最悪のキャラクターです。大量殺戮者、差別主義者、そして歪んだ正義感の持主です。格言13:24の“むちを控える人は子供を憎んでいる。子供を愛する人は懲らしめを怠らない。”や、格言23:13の“少年を懲らしめるのを控えてはならない。むちで打つ場合,彼は死なない。”にみられるように、神は体罰大好きの暴力愛好家です。」
「ホセア13:16はエホバがどういう方かじっくり考える材料になるよ。そこには“サマリアは有罪とされる。神に逆らってきたからだ。彼らは剣によって倒れる。子供は打ち砕かれ,妊婦は切り裂かれる。”とある。子どもや妊婦に対する残虐性は異常だ。」

「8節は②“どんなことを話すか考える。”です。JWは考えるのが苦手ですからね。」
「得意なこと、文章の中から答えを拾い出すこと。」

「9節には夫が末期の脳腫瘍になったアリスカ姉妹の話が出ています。“祈る前に時間を取って頭の中を整理するようにしました。そうしたので,自分のことや夫の病気のことばかり祈らずに済みました。”とあります。自分や夫のことばかり祈ってはいけないわけですか?末期の脳腫瘍という非常事態ですよ。厳しすぎます。」
「そういう時でも、統治体の兄弟が素晴らしい知恵と人格で私たちをいつも正しく導いてくださることに感謝します・・・と、統治体をほめたたえるのを忘れると、ハルマゲドンで滅ぼされるのではと不安になるのがJW。」

「10節が③“じっくり祈る。”です。“時間をかけて祈ることを習慣にしていきましょう。”とあります。やっぱり10秒しか祈らない人がけっこういるわけですね。それならカップラーメンができるまで最低3分祈りましょうと具体的に書けばいいのに。」
「そんなことを書けば、JW嫌いの人たちからバカにされるのが怖くてかけない。ここにある3つの注意事項を見ると、JWの祈りは決まり文句をいくつか並べて短時間で終わる中身のない祈りが多いということかな。」

「11から17節が“聖書に記録されている心のこもった祈り”です。  共感できる祈りを探そうとあります。13,14節がハンナの祈りです。13節には“2つの大きな悩みを抱えていました。子供ができないことと,もう1人の妻から嫌がらせを受けていたことです。”とあります。そして“ハンナは時間をかけてじっくり祈り,心の内をエホバに包み隠さず話しました。そうしたので気持ちが楽になりました。(サム一 1:12,18)”とありますが、ハンナの苦しみはエホバが一夫多妻制を認めていることに原因があります。ハンナは男の子を授けてくださいと祈りますが、これはエホバが男尊女卑だからですよ。女の子ではダメなのです。ハンナの苦しみの元はエホバのせいです。」
「ハンナの夫は2人の妻がいた。古代のイスラエルでは男性は何人でも妻を持っていい。女性の立場や幸福に無関心な神。女性なら、もっとましな神に祈りたいね。」

「サムエル一2章にはハンナの祈りが出ているのですが、ハンナの状況と関係するのは2:5の“子供がたくさんできた人は産めなくなり,子供ができなかった人は7人も産みます。”だけです。後はハンナとは関係ありません。」
「ハンナの祈りは、技巧的な詩で、無学な古代の女性であるハンナが作ったものではない。内容は戦争の勝利を祝うもので、ハンナの祈りとしてふさわしくない。サムエル二22章にダビデの勝利の歌が出ているけれど、内容はよく似ている。ハンナの祈りはサムエル記を書いた人がすでにあった詩をハンナの祈りとして挿入したものと考えられている。」

「サムエル一2:1には“私の角はエホバによって高く上げられます。私の口は敵に向かって大きく開きます。あなたによる救いを喜ぶからです。”とあります。これは戦いについてですね。」
「戦いの詩。角は強さのシンボル。神による勝利を喜び、感謝するという内容。」

「14節の注に“ハンナは祈りの中で,モーセが書いたのと似た表現を使っています。きっとそういう聖書の言葉についてじっくり考えていたのでしょう。”とありますが、これはデタラメですね。」
「古代の特別な地位についているわけでもない女性が読み書きができるとは考えられない。」

「14節では“何が学べますか。たとえ問題が続いているとしても,エホバがこれまでどんなふうに支えてくれたかを考えると,前向きな気持ちで頑張っていけます。”とハンナの話からの教訓を述べています。これは一夫多妻制での妻というハンナの立場は変わらないけれど、願い通り男の子が生まれたのだから、ガンバレというわけです。」
「神は時々祈りを聞いて、願い事を実現させてくれるようだけど、それは権力者の気まぐれ程度のものとしか思えないね。」

「15節はエレミヤの祈りです。“エレミヤ 12:1を読む。”とあり、そこには“しかし,邪悪な人たちが成功を収めているのはどうしてですか。不誠実な人たちが気楽に暮らしているのはどうしてですか。”とあります。それを15節では“預言者エレミヤはある時,悪い人たちがうまくやっているのを見て心が乱されました。”といっています。エレミヤをずいぶん卑小な存在にしています。」
「これは神義論だね。神は正義なのに、なぜ悪人は繁栄しているのかという問いを神に提出した。その答えは12:5の“あなたは,人と走って疲れるのなら,どうして馬と競走できるだろうか。平和な土地では安心していられるとしても,ヨルダン川沿いのうっそうとした茂みの中ではどうするのか。”というもの。」

「つまり、ヨブ記と同じで、ちゃんと答えていないわけですね。」
「神はエレミヤの問に答えず、これからもっと厳しくなるぞ、と叱っているだけ。」

「15節では“エホバが一番いい時に不正を全部なくしてくれることを信じて疑わないようにしましょう。”とありますが、聖書はそんなことを言っていません。」
「何か悪が行われても、エホバを待つ、つまり何もせず泣き寝入りするというのはJWの教義だね。悪人には良い宗教だ。」

「16節は“詩編 42:1-4を読む。”です。これはアッシリアかバビロニアによって捕囚となった人の嘆きの詩ですね。16節では“感情の浮き沈みを経験するかもしれません。でもそんな時こそ,どう感じているかを全部エホバに伝えられます。”と、祈りの中で感情を伝えろと言っています。そして“私たちも祈って気持ちを全てエホバに伝えるなら,考えが整理され,バランスを取り戻し,頑張り続ける力が湧いてきます。”とありますが、詩編42にはそんなことは書いていません。」
「詩編42で強調されているのは“神を待て”だね。JW好みの結論なので、詩編42をわざわざ取り上げたのだろう。」

「詩編には敵を憎み、復讐を願う詩が結構ありますよ。それは無視するのがJWです。詩編94:1では” 復讐する神,エホバ,復讐する神,輝きを放ってください。”とあります。」
「詩編109:6-20もそうだね。そこには“敵の寿命が短くなり,就いていた監督の職にほかの人が就きますように。 敵の子供は父親のいない子になり,妻はやもめになりますように。敵の子供が,さまよう物乞いになりますように。廃虚に住んで食べ物をあさりますように。”とある。復讐を願っているわけだけど、結構細かいことを言っているのがおかしいね。いつものことだけど、子供でも容赦しないことがよくわかる。」

「17節は“ヨナ 2:1,2を読む。”です。“祈りの中で,詩編に出てくる表現をたくさん使っています。よく知っているそういう言葉についてじっくり考えることで,エホバがきっと助けてくれるという希望を持てました。”とありますが、全くヨナ書を理解していません。」
「ヨナは魚の腹の中で“神は答えてくださいました。墓の底から,私は助けを求めて叫びました。あなたは私の声を聞いてくださいました。”と祈っている。これは救われたものが感謝するときの祈り。まだ魚の腹の中に居るヨナには全く場違いで、ふざけた祈り。模範とするような祈りではない。」

「17節には“私たちも聖書の言葉を覚えるようにすれば,問題にぶつかって祈る時にそういう表現を思い出して安心感を持てるはずです。”とあります。要するに聖句をたくさん暗記して、祈りの中で使え、と言いたいようです。」
「“復讐する神,エホバ,復讐する神,輝きを放ってください。”とか、“敵の寿命が短くなり,就いていた監督の職にほかの人が就きますように。”を暗記して、祈りの中で使えば安心感が持てるわけだね。」

「18から20節が“祈ってエホバともっと親しくなる”です。  18節は“ローマ 8:26,27を読む。”で、そこには“祈るべきなのに何を祈り求めればよいのか分からないとき,私たちの声にならないうめきと共に,聖なる力が願い出てくれるのです。”とあるのですが、その意味は“エホバは聖なる力を使って,たくさんの祈りを聖書に記録させました。私たちと同じような問題にぶつかった人が捧げた祈りもあります。気持ちをうまく言葉にできない時,エホバは聖書に記録されている祈りを私たちの祈りと見て,その祈りに応えてくれます。”と、メチャクチャな解説をしています。何を祈ればよいかわからない時は聖書の中の祈りを読めばいいという意味のようです。そんなことをパウロが言うはずがありません。」
「パウロの時代に新約聖書はない。旧約聖書だって、極めて貴重なもので個人で所有している人なんか滅多にいないよ。」

「聖なる力は英文では聖霊ですが、聖霊はある種の人格を持つ存在と想定されているのに、JWでは電力や磁力のようなもの聖なる力としているので、“聖なる力が願い出てくれるのです。”と言った聖句が解釈不可能になるわけですね。」
「ローマ8:15には“皆さんは,聖なる力により奴隷とされて再び恐れを抱いたのではなく,聖なる力により養子とされたのであり,その力によって私たちは「アバ,父よ!」と叫びます。”とある。アバ、父よと叫ぶのは祈りの中でだから、祈りは聖霊との共同作業という思想が見て取れる。ローマ8:26で何を祈ればわからない時に“聖なる力が願い出てくれる”というのも、祈りは祈るものと聖霊の共同作業で、何を祈ればわからない時は聖霊が助けてくれて、言葉が出てくるよ、と言っているのでしょう。」

「20節では“心を整えるために詩編のオーディオ版を聞くことができます。”とあります。詩編がお勧めなのですね。」
「“復讐する神,エホバ,復讐する神,輝きを放ってください。”とか、“敵の寿命が短くなり,就いていた監督の職にほかの人が就きますように。”を何度も聞くと、自然にそのセリフが出てくるので、祈りに困らなくなるわけだね。」

「最後の21節では、“聖書に記録されているいろんな祈りの言葉を参考にできます。”とまた言っています。組織としては、好き勝手に祈らせると、ろくなことを祈らないと思っていることがよくわかります。」
「統治体の老人は大会や集会でのJWの祈りを聞いて、あまりのくだらなさに呆れているのだろう。それでこんな記事を書くように命じたんじゃないの。」

聖書についての質問
2025年12月19日 14:22:09

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“神の愛はどんなときも変わらない(41)”で、エホバに疑問を持っても、エホバを信じろ、という内容です。」
「神の愛は変わらないかもしれないけれど、神の基準はよく変わるよね。ひげを生やしてよいとか女性はスカートでなくてもよいとか、乾杯をしてもいいとか変わったよね。これからも時代に合わせていろいろ変わるわけでしょう。」

「3節に“エホバは私たちを絶対に見捨てたりはしません。何があっても変わらずに支え続けてくれます。”と断言しています。奉仕活動中に殺されたJWは全世界で結構いますよ。この場合も支えてくれたんですか?支えてくれたけれど無残に殺されたとすれば全くダメな神ということです。」
「2014年に名古屋で77歳のJW活動歴40年以上のおばあさんが、名古屋大学の女子学生に斧で数回殴られ、その後マフラーで首を絞められて殺されて、1か月以上女子学生のアパートのふろ場に放置されたという事件があったけれど、あれもエホバは支えてくれたわけね。」

「4から8節は“エホバが愛してくれていることは聖書の基本的な教え”です。  4節に“エホバから愛されているということを,聖書の基本的な教えと捉えるなら,苦しい目に遭っている自分をエホバは気に掛けていないという考えを振り払うことができます。”とあります。エホバの愛=聖書の基本的な教え、という公式で暗記しろということです。この公式は正しいですか?」
「例えば、聖書は一度たりとも奴隷制に反対していない。従って、奴隷制の容認=聖書の基本的教えとは言える。でも、エホバの愛は基本的な教えではないよ。」

「出エジプト21:7に“人が娘を女奴隷として売ったなら,彼女は男奴隷と同じ仕方で自由の身になることはない。”とあります。つまりエホバは自分の娘を奴隷として売ることを認めています。しかもいつものように女性差別しています。奴隷に売られた娘もエホバは愛しているわけですか?ありえません。」
「出エジプト21:20,21には“自分の男奴隷や女奴隷を棒で殴打してその場で死なせた場合,必ず処罰される。しかし,奴隷が1日か2日生き延びるなら,主人は処罰されない。”とある。もし売られた娘が主人から暴行を受けて3日後に死んだら、奴隷の所有者は処罰されない。この奴隷に売られて、暴行を受けて死んだ娘もエホバは愛しているのかな?」

「エホバって誰かが罪を犯した場合。関係のない人を罰することがあります。愛のある神のすることですか?絶対違います。」
「JWによると、アダムの罪のせいで1000憶人の人類が死んだわけだ。無茶苦茶だね。ノアの大洪水では箱舟にいるものを除いて動物や植物が全滅。愛はない。なぜ罪深い人間だけを抹殺しないのか、理解できない。」

「出エジプトの時、7:3で“私としては,ファラオが強情になるままにし,しるしとなることや奇跡をエジプトで多く行う。”といって、その後長子の皆殺しをします。11:5では“エジプトにいる長男は全て死ぬ。王座に座るファラオの長男も,ひき臼をひく女奴隷の長男もである。家畜の初子も全て死ぬ。”とあります。なぜ奴隷の長男まで殺さなくてはいけないのですか?」
「こう見るとエホバは奴隷は愛していないね。」

「レビ記では姦淫した人、同性愛者は死刑と言っています。」
「神はそれらの人も愛していないね。そもそもイスラエル人以外は無関心だった。」

「6節は“エホバから愛されているか不安になる時”の対処法です。“自分の気持ちとこの記事の主題の聖句,詩編 136編1節を比較してみます。エホバが自分の愛を「揺るぎない」と言っているのはどうしてでしょうか。「神の揺るぎない愛は永遠に続く」という表現が詩編 136編で26回も繰り返されているのはどうしてでしょうか。ここまで考えてきた通り,何があってもエホバが愛し続けてくれるというのは,聖書の基本的な教えです。”と信者を説得しようとしています。詩編136はそんなに重要なものですか?違いますよ。」
「これは古代イスラエルの宗教儀式、特に過ぎ越しの祭りの際に歌われただろうと考えられている。それはこの詩の内容が天地創造→出エジプト→カナン征服を祝った内容だから。この詩はJWとは何の関係もないよ。」

「“「神の揺るぎない愛は永遠に続く」という表現が詩編 136編で26回も繰り返されている”ことを特別な意味があるかのように書いていますが、繰り返しが多いのは詩だからですよ。バカですね。」
「例えば、この詩は
18 力強い王たちを殺した。
神の揺るぎない愛は永遠に続く。
19 アモリ人の王シホンを。
神の揺るぎない愛は永遠に続く。
20 バシャンの王オグを。
神の揺るぎない愛は永遠に続く。
というような構造になっていて、最初の部分を誰かが歌うと、別の誰かが“神の揺るぎない愛は永遠に続く。”と続けて歌うというもの。それが26回になったというだけ。」

「“神の揺るぎない愛は永遠に続く。”という訳はどうですか?意味を付け加えすぎですよ。」
「協会共同訳では“慈しみはとこしえに。”となっている。JWは神の愛はゆるぎないものだと信者に説教したいので、そう訳したのだろう。元のヘブライ語は一語だから、余計な言葉を付け加えずに訳して欲しい。」

「7節で“エホバから愛されているのか不安になる時は,こういう聖句を思い出してください。”とあります。聖句の2つ3つを読めば、どんな不安も解決するようですね。」
「JWは組織の要求事項をすべて実行しないと、ハルマゲドンで滅ぼされるという恐怖と不安をあおる宗教だから、不安でいっぱいになる信者がいるのでしょう。それでこんな記事を書いているわけだ。」

「8節に“心で感じていることと頭で分かっていることを比較して,どちらが信頼できるか考えてみてください。感情は事実ほどには当てになりません。”とあります。ここで言う“事実”とはJW流に解釈した聖句のことです。そんなことよりも自分の感情の方があてにできます。不安はこの宗教に留まってはいけないという心の警報ですよ。」
「JWは理性に対する感情の優位性をわかっていないね。例えば閉所恐怖症は狭いところを怖がる必要はないことは知的には理解しているけれど、それでも恐怖を感じて狭いところが耐えられない。不安感いっぱいの人に聖句なんて何の意味もないよ。」

「9、10節が“エホバが私たちに「愛情を抱いている」ことをよく考える”です。  イエスの登場です。キリスト教の攻撃をしています。10節で“でもイエスは弟子たちに,イエスではなくエホバに祈るべきだと言いました。”とあります。イエスに祈るのは禁止と信者に徹底させたいようです。」
「中南米やアフリカで新しくJWになった人の多くはかつて教会に通っていた人でしょう。そういう人にとってエホバなる神はいかにもインチキ宗教の神の名前のように聞こえて、祈る対象として抵抗があるんだよ。それでイエスではなくエホバに祈れと改めて指示している。」

「JWも昔はイエスに祈っていたんですよね。それが途中で変わった。いいかげんな宗教ということがよくわかります。」
「イエスを崇拝すべきではないと明確に述べられたのは1954年1月1日号のものみの塔の記事から。1950年代にJW訳の新世界訳が出るけれど、そこではイエスを“崇拝する”というのは“敬意を表す”などに変えている。聖書を自分たちの教義に合わせて訳するということは最初からしている。」

「例えば、ヘブライ1:6は“神はご自分の初子を再び世界に遣わす際,こう言います。「神の天使たちは皆,彼に敬意を表しなさい」。”ですが、最後の部分は協会共同訳では“神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ。”です。」
「ここで使われている同じギリシャ語(proskuneó)はマタイ4:9のサタンのセリフである“「ひれ伏して私を崇拝するなら,これら全てをあげましょう」。”でも使われる。ここではちゃんと“崇拝する”と訳している。なぜ“敬意を表す”と訳さないのかな?JWでは、イエスに対してだけ“崇拝する”とは訳さない方針ということがわかる。それはJWにとって都合が悪いから。」

「11から14節は“疑ってしまうのはどうしてか”です。  11節に“エホバの愛を疑ってしまうのはどうしてでしょうか。1つの原因は,サタンがそういう気持ちをあおっているからです。”とあります。サタンは役に立つキャラクターですね。サタンはそんなことまでしているとは知りませんでした。」
「不都合なことはサタンを持ち出せば何でも説明できるようだ。JWという宗教は単純でいいね。」

「その後“サタンは私たちを「むさぼり食おうとして」いて,自分はエホバから愛されていないと思わせようと仕向けています。(ペテ一 5:8)”とありますが、引照聖句には貪り食おうとしているとありますが、エホバから愛されないと思うように仕向けるなど書いていません。」
「そこには“敵である悪魔が,ほえるライオンのように歩き回って,誰かをむさぼり食おうとしています”とある。ライオンが象徴しているものは愛されていないと思わせるように仕向けるような策略家ではない。例えば、詩編7:1,2に“私を迫害する人全てから私を救い,助け出してください。さもないと,誰かがライオンのように私を引き裂きます。助け出してくれる者がいない私を運び去ります。”とある。これがライオンのイメージ。引き裂き、運び去る。」

「エゼキエル19:6には“その雄もライオンの間を歩き回り,若くて強いライオンになった。獲物を引き裂くことを学び,人間さえ餌食とした。”とあります。ライオンは引き裂き、食い尽くす存在です。」
「それなのに、ライオンように歩き回っている悪魔を、“自分はエホバから愛されていないと思わせようと仕向けています。”というケチな詐欺師として解釈するのがJWなわけだ。悪魔ってもっと恐ろしいものでしょう。」

「13節では“罪を受け継いでいるせいで,罪悪感,心配,不安,恥ずかしさなどのネガティブな感情を味わうことがあります。”と、アダムから受け継いだ罪のせいにしています。原罪というのは何でも説明する便利なものなんですね。」
「JWにとって便利なものと言えば、“サタン、罪、不完全”の3つかな。これで大抵のよくないことは説明できると考えているね。」

「13節には不完全も出てきます。“私たちも完全ではなくなったので,エホバが意図していた通りに生きていくことはできなくなってしまいました。それで,エホバから愛されているか疑ってしまうことがあります。”とあります。」
「問題は、不完全とはどのようなことか、完全とはどのようなことか、誰も知らないこと。意味不明なので、なんにでも使える便利な言葉になっている。」

「最後の15,16節は“揺るぎない愛を貫く”です。  15節に“サムエル第二 22:26を読む。”とありまして、そこには“あなたは,揺るぎない愛を示す人に,揺るぎない愛を示す。誠実な人に誠実である。”とあります。エホバは条件付きの愛と誠実を示す神ということです。」
「JWの神学の基本は、神(組織)に服従していれば、楽園というご褒美がもらえ、そうでなければ間もなく来るハルマゲドンで滅ぼされるというもの。ところがハルマゲドンがなかなか来ないので、もはやその神学も維持できなくなっている。」

「つまり、ゆるぎない愛を持っても、持たなくても、死亡してしまえばみな楽園で復活することになっていますので、つらくてつまらないJWをやり続ける理由がないわけですね。」
「大患難が始まってからJWになってもOKというのが今の教義。統治体の奴隷となっていないで、今ある人生を楽しむべきだね。」

「16節はまとめですが“エホバが私たちを愛し,いつも支えてくれるからです。それは聖書の基本的な教えです。”とあります。訳がヘンです。英文では“いつも支えてくれる”とは言っていません。“基本的な教え”とも言っていません。」
「英文ではWe know that Jehovah loves us and will support us. That is what the Bible teaches.(エホバが私たちを愛し、支えてくださることを知っています。それは聖書の教えていることです。)とあるね。頭の悪い日本人JWにわかるように誇張表現を使ったということでしょう。」

1,000時間奉仕者
2025年12月13日 21:18:34

この研究記事のいっこ前に、恒例の「19◯◯年……100年前はこんなでした」の連載が載ってました。

相変わらずノー天気な記事だこと。

期待大ハズレで離脱した伝道者たちの話は最小限にとどめ、頑張ってラジオ塔をバンバン建てた話とか。

* 近年、英語原文から和訳文にするとき、受け取る雰囲気がガラリと変わる大胆な方針転換しているので、しれっと要点が改変されているのに気づかないことがあります。要注意。

聖書についての質問
2025年12月12日 15:25:17

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“エホバは「あふれる喜び」(40)”で、喜びの少ない人生を送っているJWがどうすれば少しでも喜べるようになれるかを組織の立場でアドバイスしたという内容です。」
「楽園のことを考えれば、どんなに苦しい生活を送っていても、喜びが湧き上がってくるという、ウソ話が出てくるかと思ったけれど、あまり出てこないね。」

「1節で、世界の人たちは“むなしさ,やるせなさ,悲しみにのみ込まれそうになっています。エホバに仕えている人たちも例外ではありません。”とありますが、逆ですよ。JWこそ、今頃は楽園で暮らしているはずだったのに組織に騙された!と、むなしさ、やるせなさ、悲しみに飲み込まれていますよ。」
「それはそうだけど、そうは書けないから、まずJW以外の人を誹謗中傷して、JWも例外ではありません、という風に話を展開させるのがJW流の作文術。」

「3から7節が“本当の喜びや幸福感はどこから来るか”です。  3節では“エホバはいつも幸福な方”と断定していますが、そんなことはないですよ。」
「聖書の神は後悔したことが何度かあるよ。創世記6:7では“それでエホバは言った。「私が創造した人を地上から滅ぼそう。家畜や空を飛ぶ生き物や地面を動く生き物も。私はこれらのものを造ったことを嘆いているからだ」。”とある。このとき幸福とは思えないよ。」

「サムエル一15:11では“エホバはサムエルに言った。「私はサウルを王にしたことを嘆いている。”とあります。この時も幸福ではないですよ。自業自得とはいえ、エホバかわいそう。」
「聖書の神はJWの考えるハッピーな神じゃない。けっこう間抜けで、失敗が多く、泣き言を人間に言う情けない神だね。」

「3節では“美しい地球,数え切れないほどの色彩,かわいいしぐさの動物,たくさんのおいしい食べ物。エホバがそういうものを造ったのは,私たちを愛し,生きるのを楽しんでほしいと願っているからです。”と、自然界の一面だけを取り上げた小学生向けのプロパガンダがでています。」
「地球の陸地の割合は29%で、そのうち71%が居住可能とされている。つまり地球の20.6%しか居住可能ではない。地球は神が人間のためにつくったとすれば、それは失敗作。それから動物はかわいいのもいるけれど、不気味で気持ち悪いものの多いよ。食べ物がおいしいのは人間が品種改良したから。たいていの原生種はおいしくないよ。」

「蚊とかダニ、シラミは“私たちを愛し,生きるのを楽しんでほしいと願っているから”造ったのですか?人間を苦しめるためにつくったとしか思えません。」
「毒のある生物が多すぎるよ。クラゲなんか結構危険。楽園想像図で子どもが海で遊んでいるというのがあったけど、クラゲに刺されることはないのか心配だ。キノコには有毒なものが200種類以上ある。楽園でも子どもが食べて死ぬ事故が多発しそう。なんでそんなものを造ったの?」

「4節にテモテ一1:11が引照聖句となっていて、“その教えは幸福な神の素晴らしい良い知らせと一致しており”とあるのですが、“幸福な神”はヘンですよ。」
「協会共同訳では“祝福に満ちた神”で、英語の聖書ではthe blessed Godだね。JWのようなthe happy Godとしているものはないでしょう。エホバ=幸福な神というJWの公式に合わせたJW独自の訳だね。」

「5節では“エホバによって造られたものの中で,イエスほど幸福な方はいません。”とありまして、その理由を2つ述べているのですが、説得力ゼロです。6節では“イエスはエホバが望むことを行うことで,いつも幸せを味わっています。(格 8:30,31。ヨハ 8:29)”とありますが、引照聖句はそんなことは言っていません。」
「聖書は幸せになるハウツーを書いた本じゃないからね。なんかずれているよね。これもJWの幼児化の現れかな。」

「イエスを取り上げた5,6節は不要ですよ。エホバ教なのですからイエスは不要です。キリスト教らしくみせたいからですか?」
「イエスはエホバによって作られたとわざわざ書いてあるから、三位一体を唱えるキリスト教を攻撃したいからじゃないの。」

「7節はバカバカしいことが書かれています。“エホバについて学んでエホバと一緒に時間を過ごせば過ごすほど,そしてエホバに倣えば倣うほど,幸せが大きくなっていきます。また,エホバの望むことを行ってエホバから喜ばれていることを実感すると,幸せを味わえます。”とあります。この論理だとJWは世界一幸福な人たちになりますね。」
「人類の大多数はエホバなんて知らないからね。JWに比べたら不幸のどん底にいるということになるね。でもそう見えないよね。」

「“エホバと一緒に時間を過ごせば過ごすほど”幸福になるようですが、これは誤訳ですよ。そもそもエホバと一緒に時間を過ごすことなんかできません。」
「The more time we spend learning about Jehovah and imitating him, the happier we will be.(エホバについて学び、エホバに倣う時間を取れば取るほど、より幸福になります。)だね。ちょっと複雑な構文になると、翻訳者はまともに訳せない。」

「ここで言うエホバとは組織のことですね。組織の教えを学んで、実行する。組織の望むことを行って、統治体を喜ばせる、と幸せになるといっているようなものです。」
「そう言うと誰もがウソだと思うので、エホバという便利なキャラクターを持ち出す。」

「8から16節が“どんなときも明るい気持ちでいるために”です。  3つのマイナス要素とその対処法が書かれています。8節は、マイナス要素①“つらい出来事。”です。“迫害,自然災害,貧しさ,病気,加齢のためにつらい思いをしていますか。”とあります。JWはそうでない人よりも、つらい出来事は多いですからね。明るい気持ちになれませんね。」
「組織は意図的に信者がつらい人生を送るように誘導している。進学するな、仕事はパートにしろ、結婚は先延ばしだ、子どもはつくるな、伝道をやれ、集会に必ず来い、無給で建設工事をしろ、寄付も忘れるな・・・、と無限の要求がつづく。明るい気持ちでいるにはまずJWをやめること。」

「8節に“聖書にも「心に痛みがあると気持ちが沈む」とあります。(格 15:13)”とありますが、聖書の訳がヘンですね。」
「JWの英語版ではheartache crushes the spirit.(心の痛みは霊を打ち砕く)。いつものように日本語訳では霊は別の単語に置き換えている。」

「9節は“どうしたらまた明るい気持ちになれるか。”で、“現実を受け入れ,感謝の気持ちを持つことが役立ちます。”とあります。バビロン捕囚の話を持ち出して、“現状を受け入れ,物事の良い面に目を向けて感謝する,ということです。たとえ理想的な状況ではなくても,エホバが必ずそばにいて助けてくれます。(詩 63:7; 146:5)”と、調子のいいことを言っています。もちろん、引照聖句は必ずそばにいて助けるなんてことは言っていません。」
「多くのJWはよせばいいのに現状を受け入れているよ。だからいつまでもJWを続けている。」

「9節には事故で体がマヒしたエフィ姉妹の話が出ています。“くよくよせず前向きに生きていくことで,エホバと仲間に恩返ししたいです。”と言っています。エホバは事故に遭うのは防いではくれませんが、事故に遭った後に支えてくれる神様のようです。」
「エフィ姉妹が3年以内に会衆から見捨てられる確率は90%でしょう。組織はエフィ姉妹を組織の宣伝に利用しているだけ。体がマヒしているエフィ姉妹が頑張っているんだから、病気などは頑張らない理由にならないぞ、というメッセージだね。」

「10節には“どんなにつらい状況もずっと続くわけではないことを忘れないでください。砂浜に残された足跡のように,やがてすっかり消えてなくなります。”とポエムが出ています。」
「ポエムなんかダメだろう。終末論カルトらしく、はっきりと、間もなく楽園が来て、全ての苦しみはなくなりますと力強く宣言しろよ。」

「11節で“エホバに嫌われているから問題にぶつかるんだ,と思うことがありますか。”と問いかけています。そんな風に思うJWはいないでしょう。よい事はエホバのおかげ、悪いことはサタンのせい、と考えるように訓練されていますよ。」
「会衆の傲慢な長老や意地悪な姉妹に嫌われているから、問題にぶつかるんだと思うJWは多いよ。」

「12節はマイナス要素②“理想と現実のギャップ。”です。楽園がなかなか来ないことを言うのかと思ったら、それは無視です。“自分の状況では達成できないような高い目標を持つと,落ち込んでしまうことがあります。(格 17:22)”と言っていますが、引照聖句はそんなことは言っていません。」
「そこには“喜びにあふれた心は良い薬になり,打ちのめされた心は体を弱らせる。”とある。心理状態が身体に影響を与えることを言っている。聖書を学んでいるという幻想を与えるために、大した関係のない聖句を適当にちりばめるのがJW流の作文術。それから英語版では心ではなく霊だよ。」

「12節ではホリー姉妹の話が出ていて、“SKEに行ったり,海外で奉仕したり,ラマポの建設プロジェクトに参加したりしたいと思っていました。でも事情が変わって,どれも無理になってしまいました。すごく落ち込みました。”とあります。SKEとか海外奉仕とか建設奉仕はみな組織がヤレ、ヤレと信者に圧力をかけているものですよ。」
「組織は信者に無限に要求し、それに応えられない信者に罪悪感を植え付けて、もっと組織のために自分を犠牲にしなくてはと思わせるわけだね。JW流の信者操作術。」

「13節が“どうしたらまた明るい気持ちになれるか。”です。JWをやめればいいわけですが、そうは書けないので、“自分で勝手にハードルを上げる必要はないのではないでしょうか。 今の状況ではエホバへの奉仕でできることが限られているとしても,できることに打ち込んでください。”と、他人事のように書いています。無責任ですね。」
「信者が自分で勝手にハードルを上げているわけじゃないよ。組織からの有形無形の圧力があって、ハードルを上げないとダメなJWと周りのJWからいじめられるから、ハードルを上げざるを得ない。」

「13節では“それに新しい世界では,期待をはるかに超える素晴らしい奉仕ができるはずです。”とやっと楽園幻想が出てきました。」
「やっと出てきた“新しい世界”。楽園を持ち出せば全ての問題が解決する。なぜ最初からそうしないのか不思議だ。最近は遠慮がちにさらりと触れるだけ。楽園という言葉はもはや今のJWの心に響かないと思っているのかも。」

「14節はマイナス要素③“遊び中心の生き方。”です。それがなぜマイナスになるのかよくわからないです。その根拠として“エバという開拓者の姉妹はこう言います。「とにかく楽しもうとして生きていると,結局いつまでたっても楽しめません」。自分のやりたいことを追求しても満足できず,むなしくなります。”とあるだけです。これって、一人の感想にすぎません。JWとして生きているとむなしくなるだけですという感想は無数にありますよ。」
「“遊び中心の生き方”というのは日本語版だけ。英文ではSelf-indulgence(自己満足)で、自分の楽しみを優先した生き方でしょう。その何がいけないのかわからなかった翻訳者は“遊び中心の生き方”と誰もが悪いと思えるものに変えたのだろう。」

「組織としては、信者が楽しくするのは許せないのですよ。JWは24時間365日組織のために汗水たらして働くべきなのです。でもそうは言えないので、楽しみを追求しても空しいとケチをつけるわけです。」
「JWも昔は会衆で様々な楽しい行事をしていたようだけれど、今はしなくなった。楽しいことがほとんどない宗教になったのはなぜなのかな?組織の奴隷には楽しみはいらないということかな?」

「15節はソロモン王の話です。ソロモン王はありとあらゆる贅沢をしたけれど“むなしさだけが残りました。こう言っています。「見ても目は満足せず,聞いても耳は満たされない」。(伝 1:8; 2:1-11)”とあります。伝道の書の作者はソロモン王ではありません。ソロモン王の時代の何百年後に書かれたものです。」
「伝道の書の結論は、3:12,13に“私はこう結論した。生涯の間,喜び,善を行う。人にとってこれ以上の幸せはない。 人は皆,食べ,飲み,一生懸命働いて充実感を得るとよい。それは神からの贈り物なのだ。”とある。それなのに、JWは、飲まず食わずでも一生懸命働かず、組織の言いなりになって、充実感のないJW活動をだらだらするだけ。これ以上の不幸せはないね。」

「16節が“どうしたらまた明るい気持ちになれるか。”です。他のJWのためにもっと働けと要求しています。“あなたにはどんなことができますか。誰かがつらそうにしているなら,ちょっと声を掛けてみるのはどうですか。悩みを解決してあげられなくても大丈夫です。その人の身になって話を聞いてあげれば,相手は本当にほっとすることでしょう。・・・”と、すべきことはまだまだ続きます。JWは本当に不幸です。」
「そのあとに“一緒に伝道すれば,その人はきっと爽やかな気持ちになるでしょう。”とある。伝道に誘われて、そんな気持ちにならないよ。JWの大多数は伝道なんか大嫌いだよ。」

「最後の17節で“私たちは,お父さんエホバと親しくなればなるほど幸せになれます。”と断言していますが、説得力はありませんね。エホバに関われば関わるほど不幸になります。」
「説得力がないのは、JWのおかげで幸せになったという感動的な体験談がなかったからでしょう。不幸のどん底にいたけれど、たまたまJWと知り合い、聖書を勉強し、集会に行き、伝道するようになったら、それまでの不幸が一気に吹き飛び、今では世界一の幸せを味わっていますという○○姉妹の話をなぜでっち上げなかったのか不思議だ。」

統一教会
2025年12月11日 21:57:05

新世界訳聖書が以下のように改訂されましたので、全員、教えを厳守すること。

◆エルサレム陥落の年は607年ではなく587年である。
◆新世界訳聖書では237回「エホバ」という言葉を使っているが、原本の新訳聖書には「エホバ」という言葉は一回も出てこない。
◆“献血・輸血を禁止する”という聖書の解釈は間違っていた。ガンの化学・放射線治療において、輸血は必要不可欠である。もちろん、“輸血の代替医療”の内容も全くのデタラメである。“代替医療”によって信者が命を落としても、それは自己責任として処理され、ものみの塔は責任を取らない。よって、手術やガン治療等で輸血が必要な場合は素直に同意し、過去にあったような、輸血拒否によって医療従事者を困らせるような幼稚な言動は絶対にしないこと。もちろん献血は素晴らしい社会貢献であるので、積極的に協力すること。
◆聖書研究よりも学校の勉強の方が重要である。極力、子供を大学へ進学させること。できれば博士号を取得することが望ましい。すでに成人していて、大学を出ていない信者は、放送大学等を利用し、なるべく大卒の資格を取るよう努めること。(ものみの塔は信者の生活資金までは保証しない。大学を卒業して正規雇用のまともな職に就き、自立した生活を送ることこそが、まともな社会人であり、まともな人間といえる。)
◆バレンタインやホワイトデーでチョコ等を授受することは個人の自由とする。男性信者がバレンタインデーにチョコをもらったら、必ずホワイトデーでお返しをすること。信者である前に人間として当然の行為である。
◆誕生日パーティーを開催したり、参加するのは個人の自由とする。
◆クリスマスパーティーを開催したり、参加するのは個人の自由とする。
◆選挙の日は必ず投票に行くこと。民主主義国の国民として当然の義務である。
◆嗜むべきスポーツとしては、剣道を推奨する。剣道以外にも、武道を嗜むことは、武士道や礼儀作法を学ぶ上で非常に有意義である。
◆飲み会等で乾杯をする際は、協調性を重視して、自分も杯を掲げ、声高らかに「乾杯!」と発声すること。
◆国旗掲揚の際は協調性を重視して、国旗の方を向くこと。
◆国歌・校歌斉唱の際は協調性を重視して、大きな声で歌うこと。
◆年明けに年賀状をもらったら、礼儀として必ず返事を出すこと。「明けましておめでとうございます」と言われたら、協調性を重視して「おめでとうございます」と返事をすること。
◆“キリスト教”の名前を使わせていただいている以上、自宅に必ずキリスト像を置くこと。
◆喫煙は個人の自由であり、規制はしない。
◆食事の前には手を合わせて、「いただきます」と発声する。
◆マイホームなどの財産を所有したり、起業などの経済活動を行うことは個人の自由とする。
◆なるべく多く貯金すること。(これも前述の通り、ものみの塔は信者の老後生活を保証しないので、自力で老後の資金を貯めておくこと。)
◆婚前交渉は個人の自由とする。一般的に、恋愛経験の無い者は社会で苦労する事が多いため、恋愛経験を積むことは、思慮深い人間になる上で非常に重要である。
◆積極的に地域活動に参加すること。(地域住民と良好な関係を保てない人間が良好な信者になることなどあり得ない。)
◆他のいろんな宗教を尊重すること。特にプロテスタントやカトリックは素晴らしい宗教である。
◆神社仏閣も重要な文化遺産であるので、機会があれば参拝して見聞を広めること。
◆知人から結婚式の招待を受けた場合は、どの様な宗教形式であっても極力参加すること。信仰よりも友情の方が大事である。
◆先祖のお墓参りには必ず行くこと。墓の宗教形式に関係なく、先祖を尊ぶことは大事である。
◆知人が亡くなった場合、どの様な宗教形式の葬儀であっても、極力参加すること。知人やその周りが悲しんでいる時に支え励ますことは、宗教云々よりも人として当然の行為である。
◆開拓奉仕は極力控えること。開拓奉仕をしなくても、エホバのような素晴らしい宗教なら自然に信者は増えるから、ただひたすら待つ。開拓奉仕をする時間的余裕があるなら、仕事や家庭のために時間を費やすこと。
◆諸君が“サタン”と呼んでいる人達は、真実を教えてくれる非常に貴重な存在である。よって、サタンの話は真剣に聞くこと。
◆“排斥”を恐れてはならない。“排斥”こそが、ものみの塔が用いる最大の“脅迫”なのだから。エホバの証人全員が勇気を出して同時に脱会すれば、“排斥”という概念自体が消滅する。ものみの塔で知り合った仲間を大事にしたいなら、全員同時に脱会するべきだ。そうすれば、“排斥”もされず、仲間も失わず、みんな幸せになれる。
◆ハルマゲドンは起こらない。恐怖を植え付けることは、人を洗脳するための常套手段である。
◆死後の楽園は存在しない。楽園に行くためではなく、現世で幸せになることを目的として、世のため、人のため、自分のために頑張ることが重要である。

ジョエル
2025年12月08日 21:07:00

JW聖書の「正しい態度を持つ人」は、研究とか毎週とか言われるとハードル高くて断る人なんでしょうか

全知の神様が救いたいなら救いたい人を好きに救えばいいと思うのですが、そういう乗り気でない人を気軽に会話しながら~みたいなセールストークから始めて数か月とか数年かけて顧客獲得しないと救われない方がハードル高いような


JWというマイナー宗教をかすりも知らない人なんて中国インドイスラム圏に何億どころか何十億といて、最近エホバは聖なるパワーで動かしているはずの信者の活動限界を認めて、大患難?が始まってからでもOKの修正緩和を公表したんじゃなかったでしたっけ?

かすりも知らない人でも容赦なく滅ぼす神様だとウケが悪いし、終わりが来てからでもOKにするとセールス伝道嫌いな信者がもっとしなくなるし、でマーケティングの方向性に困ってるんでしょうね

聖書についての質問
2025年12月05日 13:48:11

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“「正しい態度を持つ人」に出会ったら(39)”で、JWの信者の新規獲得の仕方を説明したという内容です。」
「新しい人をバプテスマにまでに導いたことのあるJWはほとんどいないだろうから、こういう記事も必要なのだろう。」

「このタイトルは使徒13:48の“永遠の命を得るための正しい態度を持つ人は皆,信者となった。”から取っているわけですが、この訳がヘンです。」
「協会共同訳では“永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。”だけど、こちらが正しい。元のギリシャ語は“定められている”であって、“正しい態度を持つ”なんて言う意味はない。」

「同じ使徒の22:10に“私が,『主よ,私はどうしたらよいのでしょうか』と言うと,主はこう言いました。『起きて,ダマスカスに入りなさい。そうすれば,あなたが行うことになっている事柄が全て告げられます』。”とありますが、“行うことになっている”と訳されているのが同じギリシャ語ですね。これはなぜ“正しい態度を持つことになっている”と訳さないのでしょうかね。」
「ローマ13:1に“存在する権威は神によって相対的な地位に据えられています。”とあるけれど、“据えられている”と訳されているのも同じギリシャ語。それなのに使徒13:48だけは奇妙な訳をしているわけで、意図的な誤訳だね。JW訳の聖書は他の聖書とは別物ということだ。」

「3から10節は“良い知らせを喜んで聞く人がいたら”です。  3節には“最初からためらわずに聖書レッスンを勧め,集会に誘ってください。”とあります。これでうまくいきますか?」
「まず、良い知らせなるものを喜んで聞く人など滅多にいないから、状況設定が非現実的。何のリアリティもない。JWの頭の中だけに存在するJWワールドの話にすぎないので、うまくいくんじゃないの。」

「4節が“レッスンを勧める。”で、一つの事例を紹介しています。ある女性がカートに近づき、連絡先を交換し、翌日聖書レッスンが開始し、“その週末に女性は集会に出席し,めきめき成長していきました。”という話です。作り話としか思えません。」
「ウソでも成功例が欲しかったということでしょう。」

「6節では具体的な指示が出ています。“地域によっては聖書レッスンを勧める時,「研究」とか「講座」とか「教えてあげる」という言い方をしない方がよいようです。むしろ,「気軽に会話しながら学べる」というような言い方をするとハードルが下がるようです。”とあります。“講座”ってなんですか?そんな単語をJWは使いませんよ。」
「英文ではBible course(聖書コース)。それをなぜか講座と訳した。」

「模範とすべき誘い文句も出ていますよ。“「みんながふと疑問に思うようなことも,聖書を読むと答えが見つかるんですよ」。「聖書は宗教書というイメージが強いかもしれませんが,なかなかいいことが書いてあるんですよ」。さらにこう続けられます。「10分か15分あれば,結構学べますよ」。”とあります。そして“初めから「毎週」とか「約束」という言葉を使うと,負担に感じさせてしまうかもしれません。”と、セールストークでは毎週とか約束という単語は避けるように言っています。」
「JWの集客戦術は聖書の勉強と称して新規会員を集めるというものだから、あくまでも聖書を前面に出してセールストークをする。その際、断りにくいように簡単、安直、実利を強調すればいいわけだ。」

「7節は“集会に誘う。”で、“初めて会った時から,週末の集会に誘うことができます。公開講演のタイトルや,「ものみの塔」研究で学ぶポイントを伝えると,集会に興味を持ってもらえるかもしれません。”とあります。要するに聖書レッスンを開始したら、考える暇を与えることなく集会に参加させ、後はラブ・シャワー攻撃でしっかり捕まえるという作戦です。」
「早く集会に誘った方がJWになりやすいという市場調査部門からの報告があったのだろう。それでこんなことが書かれているのでしょう。」

「8節では集会へ誘うときの注意事項が出ています。“集会に誘う時,エホバの証人の集会が一般の礼拝とはどう違うかを説明してください。”とあります。JWは主流のキリスト教とは違いますからね。なぜ教会ではなく、王国会館と呼ぶのかと聞かれたらどう答えるのでしょうか?」
「そもそもこの宗教はキリスト教ですか、と聞かれたらどう答えるのかな?エホバ教とはいえないので、真のキリスト教ですとでもいうの?ウソはよくないよ。」

「ある姉妹の話が出ています。“レッスン生が初めて「ものみの塔」研究に出席した時,「前に立っている人はみんなの名前を知ってるの?」と聞かれました。姉妹は「そうですよ。私たちはみんなの名前を覚えたいと思ってるんです。家族ならお互いの名前を知ってますよね」と言いました。その女性は,自分の教会との違いにびっくりしていました。”というものです。JWはすごいでしょう、という自慢話ですが、司会者は全員の名前を覚えていませんよ。」
「英文では“そうですよ”とは言っていない。覚えるよう努力しているとあるだけ。翻訳者がいつものように勝手に創作した。それからJWは家族ではない。宗教ビジネスの拡張員の集まり。だから、こんなセールストークを休日に集まって学ぶわけだ。」

「8節では“集会の様子を知ってもらうために,「王国会館においでください」の動画を前もって見てもらうのもよいでしょう。”とあります。ますます動画への依存が増えるわけですね。」
「その動画を見てみたけれど、新しい動画が必要だ。男は子どもも含めて皆スーツにネクタイ。奇妙なカルト集団の雰囲気が濃厚だったね。動画ではJWは紙の聖書を使っていたけれど、実際は違うでしょう。」

「9節では“子供を連れて家族で来ることもできます。子供向けの特別なクラスがあるわけではなく,親子で一緒に座って学べます。”とあります。それで子どもと一緒にポルノがどうの、セックスがどうの、性の不道徳とか淫行だとか、ドラッグとかを学べるわけです。」
「子どもに配慮するという思想はJWにはない。JWの集会に子どもを連れて行くのは児童虐待だ。」

「また“高級な服を着てくる必要はない,ということも伝えてあげられます。神にとって大事なのは外見よりも心の中だからです。”とありますが、神はそうかもしれませんが、JWは外見重視です。」
「JWは宗教ビジネスの拡張員だからね。ビジネススーツがいわば制服のようなもの。それにヒゲも本当は好まれない。拡張員らしくないからね。」

「10節では“集会に来てくれたなら,居心地よく感じられるようにしてあげましょう。”とあります。来た人を大歓迎して、自分は皆から愛され、注目され、特別な存在なのだと、承認欲求や自尊心を満足させて、カルトにからめとろうということですね。」
「英文ではdo what you can to make him feel welcome.(歓迎されていると感じられるようできる限りのことをしなさい。)だよ。翻訳者はだいぶトーンダウンした訳に変えている。新しく来た人を熱烈に歓迎するのはカルトの常套手段と知っているからだろう。JWのカルトらしさを嫌っているね。」

「11から13節が“レッスンが始まったら”です。  11節には“相手のスケジュールに配慮しましょう。例えば,約束の時間を守るようにします。”また“最初のレッスンはあまり長くならないようにしましょう。”とあります。すこしずつ時間を延ばしていくわけですね。」
「最初は簡単、安直と思わせるのがポイントだね。」

「12節では“1回目のレッスンから目指したいことがあります。レッスン生がエホバとイエスをよく知り,愛するようになることです。”とあります。エホバ教ですからエホバを愛するのがまず第一なわけですが、その後に“パウロの教え方に倣えます。パウロはイエス・キリストのことを中心にして教えました。イエスについて学べば,エホバをよく知り,愛することができるからです。(コリ一 2:1,2)”とあります。イエスを中心に教えろということですか?これは詐欺的ですね。イエスなんて統治体と同格の存在ですよ。」
「聖書を学びたいという人はエホバ教ではなくキリスト教を学びたいと思っている人が多い。キリスト教のふりをしてイエス中心で行きなさいという指示だね。そうしないとすぐにやめてしまう。」

「引照聖句のコリント一2:1,2には“イエスについて学べば,エホバをよく知り,愛することができるからです。”とは書いていません。」
「イエスを学ぶのはJWをキリスト教と誤認させるため。キリスト教に偽装して、無知な人に近づく。それがJWのセールス戦術。」

「12節の最後に“私たちもパウロに倣って,レッスン生が強い信仰を持ち,優しい天のお父さんエホバとの友情を育てていけるよう助けましょう。(コリ二 1:24)”とあります。パウロはエホバとの友情など一度も言ったことはありません。でたらめがひどすぎます。引照聖句も無関係です。」
「英文でも友達になるとは言っていないけれど、JWはエホバと友達になるという独自の思想をもっている。信者の幼児化にあわせているのか、信者を幼児化したいのでそう言っているのか知らないけれど、聖書をまじめに勉強したい人はここでJWを見限るね。」

「13節で“もし引っ掛かってなかなか納得できない点があれば,そこを飛ばして,後で改めて考えることもできます。”と、JWの奇妙な教えについて来られないようだったら、そこは飛ばせと指示しています。」
「JWの奇妙な教義を、ある程度の知性のある人に納得させるのは統治体でもできないからね。ましてや平の信者にできるわけない。」

「13節には“聖書によると,私たちが覆そうとしている間違った教えは要塞のようです。(コリント第二 10:4,5を読む。注釈「要塞のように強固なものを打ち砕きます」の項目を参照。)”とありますが、ということは既存のキリスト教の教えは間違っているとレッスン生に吹き込むのですか?」
「そうするとレッスン生は逃げていくので、その後に“レッスン生をその要塞から引きずり下ろそうとするのではなく,エホバという素晴らしい「避難所」に連れていってあげましょう。”とあるよ。既存のキリスト教を攻撃するのではなく、エホバ教の方へうまく誘導しなさいという指示だね。」

「うまくいきますか?」
「最初はうまくいくかもしれないけれど、どんな間抜けな人でもこれはキリスト教とは違う、友人を選べとか、クリスマスはダメだとか、輸血は禁止とか生活の細部にまで介入してくる危険なカルトだといずれは気付く。それまでに抜けられないようにするのが良いJWの腕の見せ所なんでしょう。カルトの特徴は簡単にやめられないこと。」

「14から16節は“集会に来てくれたら”です。  15節では“歓迎の気持ちを伝えようとするあまり,相手が引いてしまわないようにします。”とあります。今までは、相手がドン引きするほど、押しつけがましい歓迎が行われてきたということですね。」
「新しい人が集会に来るなんて、滅多にないことだから、興奮しすぎる人が出てくるのだろう。」

「15節に“こんなエピソードがあります。王国会館に来たある男性は,歓迎してくれた兄弟に「こんな格好で来ちゃったんですけど大丈夫ですか」と言いました。兄弟は「みんなきれいな格好をしていて立派に見えるかもしれませんが,普通の人なんですよ」と言いました。”と、ありますが、元の英文にはこんな会話はありません。翻訳者の創作です。」
「元の英文だって、どうせ創作なんだから、それをさらに膨らませたって問題ないという判断でしょう。でもJWは普通の人じゃないよ。危険なカルトの人。ウソはやめよう。」

「さらに“会話の中であまりプライベートなことに立ち入らないようにしましょう。(ペテ一 4:15)”とあります。個人的なことには何でも首を突っ込むJWには難しい注文ですね。」
「具体的に聞いてはいけない項目を書いてくれないと、新しく来た人にあれこれ質問して困らせるJWがたくさん出てくるよ。」

「16節では“エホバの証人ではない人たちへの敬意を忘れないことも大切です。会話やコメントや集会の話の中で,その人たちやその人たちが信じている事について話すとき,ばかにされているとか見下げられているという印象を与えないようにしましょう。”とあります。偽善の勧めですね。でも新しい人が来た時だけ、善人ぶることはできません。」
「JWは自分たち以外は間違ったことを信じている悪魔の手先で、間もなく滅ぼされるけれど、自分たちは神に選ばれた特別な存在で、楽園で永遠に生きると信じている人たちだよ。どうしても会話の端々にそういう傲慢さが出てきちゃうね。」

「さらに“信条や考えを批判しないように気を付けましょう。(コリ二 6:3)公開講演をする兄弟たちには特にそういう気配りが大切です。”とあります。公開講演といってもたいていはいつものメンバーしかいないわけで、馬鹿げた例えとか事実に反したデタラメを喋る人がいるわけです。それに慣れていますので、新しい人が来てもいつもの調子で非常識なことを放言しまくるわけです。」
「それで、最近は講演者が決められた原稿から逸脱することを厳しくとがめられるようになっている。やがて、どこの会衆でも同じビデオを見るようになると思うよ。ほとんどは寝てしまうだろうけれどね。」

「最後の17節では“弟子を育てる活動はますます大切になっています。1日が過ぎるごとに終わりが近づいているからです。”と、終末論カルトらしいことを言っているようですが、当たり前のことを言っているだけですね。」
「1日過ぎれば、1日終わりに近づくのは当たり前だ。終わりに関して、もうこれ以上のことは言えないのかも。終わりが近いので伝道を優先しなさい、というのが終末論カルトの理屈だったけれど、終わりが遠い先なら伝道などまじめにする理由がなくなる。ウソだとわかっていても終末論は放棄できない。」

聖書についての質問
2025年11月28日 14:13:07

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“人を心から敬うには(38)”で、JWの評判が悪いから、家族、仲間、外部の人に敬意を示しなさい、という内容です。」
「JWの中にはカルト教育しか受けてこなかった人がいて、非常識な人がけっこういるからね。そういうJWに世の中の常識を教える必要があるということだね。」

「2節に“また,人を見下したり軽く扱ったりする風潮に影響されることもあります。”とあります。JWこそ人を見下していると思いますが、元の英文をだいぶ変えていますね。」
「Also, we live at a time when it is common for people to be disrespectful.(また、敬意を欠いた態度をとる人が当たり前にいる時代です。)と言っている。翻訳者はこれはウソと思ったので、和らげた表現にかえたのだろう。」

「4から6節が“人を敬うとはどういうことか”です。  小学校の道徳の時間です。4節の内容が難しかったみたいで、翻訳文は元の英文と全然違いますね。“人を敬うことには,その人をどう見るか,その人にどう接するかということが関係しています。”と、長い文章を短くまとめています。」
「結局、敬うことはどういうことかについての説明はないよ。英文ではthe words “respect” and “honor” are related.とあり、respectとhonorという2つの観点から説明しているけれど、これは日本語にない概念だから翻訳しづらいのは間違いない。」

「それは困りますね。4節の設問は“人を敬うとはどういうことですか。”です。その答えが日本語訳にはないなんて。」
「JWがどう答えるか楽しみだね。段落の中にある文を適当に読むのだろうけれどね。英文では“私たちが他人を敬うとき、相手が大切にされ、認められ、尊厳を保てるように接します。”とある。これが答え。」

「人を敬うとは、その人を自分の思うとおりにコントロールしないことが含まれますよ。JWには無理ですね。」
「その人を敬うには、その人の考えや価値観を尊重することが含まれるから、自分の主義信条こそが正しいという独善的なJWには、人を敬うことはできないね。」

「5節では“私たちが誰かを敬うのは,単にその人が立派だからというわけではありません。もっと大事な理由があります。エホバを愛し,エホバに喜んでもらいたいからです。(ヨシュ 4:14。ペテ一 3:15)”とあります。全てはエホバのためのようですが、もちろん引照聖句はそんなことは言っていません。」
「エホバへの愛とか、エホバに喜んでもらいたいというときは、たいてい理不尽な要求をする時だよ。これから納得のいかないことを指示するけれど、文句を言うなよ、文句をいう奴はエホバの敵だ、という意味。」

「6節では早速理不尽な要求が出てきます。“こちらに敬意を払ってくれない人に敬意を込めて接することなんてできるんだろうか。”とあります。答えは、できるというものですが、その根拠として、聖書の登場人物3人があげられます。ヨナタン、ハンナ、パウロです。」
「聖書の登場人物を取り上げるのは、聖書を学んでいるという幻想を維持するためで、記事の内容とあまり関係ない。結論は最初から決まっている。」

「まずヨナタンです。“ヨナタンは,父親のサウル王からみんなの前で侮辱されました。(サム一 20:30-34)それでもサウルと一緒に戦い,サウルが死ぬ日までサポートし続けました。”とあります。ヨナタンにとってサウルは王であり父ですから、内心はどうであれ敬意を示すのは古代にあっては当然のことです。」
「ヨナタンはサウルを見捨てたとしても、結局殺されるよ。この父と子は運命共同体で、この事例は今のJWに当てはめられない。」

「その後にハンナが大祭司エリに敬意をもって接したことが何か特別かのように書かれていますが、大祭司に平民の女性が無礼な態度をとれるわけありません。JWの女性信者が統治体の老人に無礼な態度が取れないのと同じです。」
「それからパウロはアテネの人から侮辱されたけれど、敬意をもって接したとある。でも、それは伝道活動だからだよ。JWだってそうしているでしょう。」

「JWの大好きな旧約聖書では侮辱されたら負けずに相手を侮辱するのが原則じゃないですか?格言22:10には“あざける人を追い出せ。口論がなくなり,論争と侮辱がやむ。”とあります。JWだって排斥処分とか大好きじゃないですか。」
「例えば、ネヘミア4:4に“私は祈った。「私たちの神,お聞きください。私たちは侮辱を受けています。彼らからのあざけりを彼ら自身に向け,彼らが捕囚にされて略奪品のように扱われるようにしてください。彼らの過ちを見過ごしたり,罪を消し去ったりしないでください。”とある。強烈な報復感情の爆発だけど、これが旧約聖書の思想。」

「7から10節が“家族を敬う”です。  8節に“テモテ第一 5:4,8を読む。”とあり、そこには“まず自分の家族を世話することによって神への専心を示し,親や祖父母から受けた恩に報いるべきである”とあります。そして、“「神への専心」とは,エホバを心から愛して捧げるエホバへの崇拝や奉仕を指しています。”と解説しています。“神への専心”と言う訳はおかしいですよ。そういう言葉は日本語にありません。」
「特殊な用語を作りたがるのがカルト。JWもカルトの一つということ。」

「協会共同訳では“自分の家族を大切にし、親の恩に報いることを学ばせなさい。それが神に喜ばれることだからです。”とあり、“神への専心”など特殊用語など出てきません。」
「JWは余計な言葉を付け加えて、信者の管理統制に使えるように聖書を改ざんする。」

「この聖句はやもめ、つまり未亡人の子供や孫に自分の母あるいは祖母の面倒を見なさいと言っている部分です。家族全般について述べているわけではありません。」
「テモテ一5:16では“会衆は本当に困っているやもめを世話することができます。”とあるけれど、JWの会衆は何もしないでしょう。聖書のつまみ食いだね。」

「8節に奇妙な主張が出てきます。“家族という制度を作ったのはエホバです。(エフェ 3:14,15)それで家族の一人一人を敬うなら,エホバを敬っていることになります。”とあります。この理屈通りなら、この世界を造ったのはエホバですから、この世界の何か、例えばミミズでもオケラでも、それを敬えばエホバを敬うことになります。」
「家族を敬う根拠が見つからなかったということでしょう。それでおかしな理屈を編み出した。聖書が言っているのは父母を敬えで、家族を敬えとは言っていない。」

「9節は“敬うにはどうしたらいいか。”で、“妻に手を上げたり,ばかにしたり,自分は駄目なんだと思わせたりはしません。”とあります。JWの夫は家族の頭だと持ち上げられるせいか、暴力的で虐待的な夫が多そうですね。それから“夫を敬う妻は人前で夫を褒めます。(エフェ 5:33)嫌みを言ったり,けなしたり,小ばかにしたりはしません。”とあります。妻は少なくとも表面的には夫を敬えということでしょうか?」
「JWは見た目重視だからね。妻は人前では、どんなダメな夫でもを敬っているふりをしなさいということでしょう。」

「JWの離婚率は高いですよ。幸せな家族は少ないです。表面的に敬意を示したところで、何の役にも立ちません。」
「正確な統計はないから、何とも言えないけれど、JWの多くが幸福な結婚をしていると考える根拠は思い浮かばないね。宗教優先だから、どちらかが目覚めると結婚生活を続けられなくなるね。」

「10節では、子どもは“親が決めた家族の決まりを守るようにします。(エフェ 6:1-3)親に敬意のこもった話し方をしましょう。(出 21:17)親は年を重ねていくと,子供からのサポートがもっと必要になります。できることは何でもしてあげましょう。”とあります。理不尽なカルト信者の親の命令に従い、そんな親でも敬い、年を取ったら介護しろという指示です。JWの家庭に生まれた子どもは不幸ですね。泣けてきます。子どもに、こういう過大な要求をするのでJWをやめるわけです。」

「マリア姉妹の話が出ています。JWでない父親の面倒を見たという話です。JWでなくても親の面倒を見なさいという指示ですよ。驚きました。JWの親でも面倒を見ないのがJWなのに、JWでない親の面倒を見るわけがありません。」
「伝道第一、王国第一というのを少し修正しようとしているのかも。今からJWが増える可能性のある国や地域は家族重視であることが多い。そういう国や地域で親のことをほったらかしにして、伝道や集会と宗教活動ばかりすれば、JWの悪評が立つからね。家族を大事にするJWと思われたいようだ。」

「11から14節は“クリスチャンの仲間を敬う”です。  12節で“ペテロ第二 2:9-12を読む。”とあります。その中に“偽りを教える人たちは強情でふてぶてしく,栄光ある人たちを悪く言うことを恐れません。”とあるのですが、“「栄光ある人たち」つまり長老たちに不敬なことを言う人たちがいる,と書きました。”と解説していますが、これは間違いですよ。」
「長老たちのことを“栄光ある人たち”と呼んだ例はない。その後ペテロ二2:11では“天使たちは,偽りを教える人たちより強さも力も勝っていますが,エホバに敬意を抱いているので,彼らを悪く言って訴えたりはしません。”と続くことから、“栄光ある人たち”は天使のことを言っていると解釈される。長老のことだとしているのはJWだけでしょう。」

「13節は具体的な指示です。長老は“誰かを正す時も,腹立ち紛れにではなく,優しく穏やかにそうします。姉妹たちも,良くないうわさ話や中傷に加わらないなら,会衆のお互いを尊敬し合う和やかな雰囲気に貢献できます。(テト 2:3-5)私たちはみんな,長老たちに敬意を払いたいと思います。”とあります。姉妹たちはうわさ話や中傷に熱中しているかのような書き方は女性差別ですよ。兄弟たちだってうわさ話は大好きです。」
「JWは元から女性差別的なの。今さらそんなこと言っても無駄。」

「14節はロシオ姉妹の話です。不満はあっても長老に敬意を払えという内容です。長老の成り手がこれ以上不足しないようという配慮ですか?」
「ロシオ姉妹は“問題は兄弟ではなくて私だと気付きました。もっと謙虚になれば人を敬えるようになる,ということも分かってきました。”とけなげなことを言っている。問題は長老にもあるはずなのに、平信者にこそ問題があると思わせようと誘導しているのがイヤだね。」

「14節でテサロニケ一5:12,13が出てきて、そこには“皆さんの中で一生懸命に働き,主に仕えつつ皆さんを監督し助言を与えている人たちに,敬意を払ってください。”とあるのですが、この翻訳はヘンですよ。」
「協会共同訳では“あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを導き、戒めている人々を重んじ、”だね。JW訳はJWの長老を想定して、それに合わせた言葉を選んでいる。テサロニケ一が書かれた時点で、後の時代にみられるようなきっちりとした階層的な仕組みはまだテサロニケでできていないから、“監督”は時代錯誤。」

「15から17節は“エホバの証人ではない人を敬う”です。  16節に“覚えておきたいのは,私たちがエホバの証人ではない人にどう接するかを,エホバはよく見ているということです。”とあります。知りませんでした。この根拠はペテロ一2:12の“世の人々の中でいつも立派に行動してください。”のようですが、ここにエホバは出てきません。」
「JWの評判が悪いので、もっと立派に行動しなさい、と言いたいだけ。エホバがどうのこうのというのは、後からの付けたしにすぎない。」

「16節では“いつもエホバが見ていることを忘れずに,敬意を込めて話すようにします。エホバは私たちが何を言うか,どんな言い方をするかに注目しています。”と、信者を脅迫していますよ。JWはエホバという監視システムによって絶えず監視され、評価されているわけですね。」
「カルトとはそういうもの。恐怖と不安と罪悪感をあおって、信者をコントロールする。」

「17節は具体的な指示です。伝道で、聖書を知らない人に対しては、“私たちはそういう人たちを,エホバにとって大切な人,自分より優れた人,と考えたいと思います。(ハガ 2:7。フィリ 2:3)自分が信じている事をばかにされたとしても,嫌みを言ったりして言い返したりはしません。(ペテ一 2:23)”とあります。JWは自分たち以外は間もなく滅ぼされる人と思っているわけですが、それは改める必要はないのですか?」
「JW以外の人は間もなく滅ぼされるはずだ、JWである自分は選ばれた人間であり、幸せなはずだ、という信念はJWの心の支えだから、それは変えられない。表面的に敬いながら、早く滅ぼされていなくなって欲しいと心の中でつぶやくのが良いJWということ。」

「17節ではまた、“職場ではどうですか。誰も見ていなくても一生懸命働き,職場で会うどんな人に対しても気持ちよく接しましょう。(テト 2:9,10)”とあります。職業人としてはJWの評判は悪いみたいですからね。まじめに働かないし、すぐ休むし、職場の仲間とはよそよそしいし、そのくせ自分の主張だけは絶対に譲らない。」
「だから統治体も心配して、まじめに働けという指示を出しているわけだ。」

「最後の18節はまとめです。“家族に敬意のこもった接し方をする時,家族という制度を作ったエホバを敬っていることになります。仲間の兄弟姉妹を大切にするなら,天のお父さんエホバを敬っていることになります。”とありますが、JW以外の人を敬ってもエホバを敬うことにはならないみたいです。JW以外の人を差別していますね。」
「JWという宗教が非常に偏狭なものということがよくわかるね。人類はエホバが造ったものですから、全ての人類を敬いましょう、それはエホバを敬うことになります、とは絶対言わないよね。」

ジョエル
2025年11月22日 22:54:16

不幸は不幸でもそれを乗り越えた(と思い込まされている)話はこれでもかと大会やらお勉強記事やらに出てくるのに、本当に悲惨で救われなかった話は全く触れようとしない

そういうことは知ってはいても誰も話さない


オメラスの地下牢みたいなコミュニティーでしたね

通りすがりの研究生
2025年11月22日 18:51:45

グアテマラ事件の2日後に海老名で大会が有りました
自分は(その姉妹の為にみんなで祈りましょう)とでも
言うのかな?と思っていたのですが・・・なんも無し
皆さん知らない様で 大会の参加者はお花畑で喜んで
いました。
組織もエホバもダンマリです【神も仏も居留守】

※映画【沈黙 サイレンス】を見て下さい。
これが現実かも?

JWの教えは嘘八百
2025年11月22日 07:22:36

数年前にグアテマラに宣教奉仕に行ってた若い日本人姉妹が
夜中に部屋に忍び込んできた男に殺された事件。

ルームメイトの姉妹と共にあらん限りの声を張り上げ
エホバに助けを求めて男に抵抗したはずだけど
エホバは助けなかった。
黙って見てたんだよね。

エホバの御意思を行っていながら助けてもらえなかった。
生き残ったルームメイトの姉妹はその後日本に帰国して
幸せに集会や奉仕活動を楽しんでいるのだろうか。

再訪問先で殺された姉妹たちは他にも複数いるけれど
中天を飛んでいるみ使いは何してたの。

これ一つ取ってもJW組織の教えは嘘八百。

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