#2351 2021年04月13日 13:12:57
#2352 2021年04月13日 13:48:37
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2353 2021年04月13日 13:49:28
- てつてつ
- メンバー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
旧約聖書のなぞ 長谷川
メルネプタハの碑文について 53ページあたり
第一九王朝末期にメルネプタハというファラオがいた。エジプト屈指の強さを誇ったラメセスニ世の後を継いだファラオである。...
この碑文の中で、メルネプタハは、カナンの地の「イスラエル」として知られる人々を征服した、と述べているのである「イスラエル碑文」としても知られるこの碑文に記された出来事は、メルネプタハの治世五年目、紀元前一二○七年の出来事である。
出エジプトを果たしたイスラエル人は、四○年間荒野をさまよった後、カナンの地に入ったとされている。つまり、出エジプトは、紀元前一二○七年の四○年前まで、つまり紀元前一二四七年までに起こっていなければおかしい、ということになるのである。出エジプトを紀元前一二五○年ごろと考えれば、やはり第一九王朝のファラオであり、メルネプタハの二代前の王であったセティ一世が建設を開始し、その子、つまりメルネプタハの父であるラメセスニ世の時代に完成したピトムとラメセスの建設にもイスラエル人は携われた計算になる。こう考えれば、聖書物語の少なくとも一部とは辻棲が合うために、今日でも紀元前一三世紀が出エジプトの年代とされ、高校の世界史教科書にもそう記されているのである。
48ページあたり
旧約聖書は、出エジプトのときのファラオの名前を挙げていない。また、ヨセフを知らず、イスラエル人を虐げた、先代のファラオの名前をも記録していない。ファラオの名前さえわかれば、出エジプトの時代を特定できる可能性が飛躍的に高まるのであるが、残念ながらどちらも記されていない。ただし、あきらめるのはまだ早い。後者のファラオの正体を明らかにする鍵があるからだ。それは、へプライ人たちを使って建設させた二つの町、ピトムとラメセス(ペル・ラメセスとも)という町の名に隠されている(出エジプト記一章二’一四節)。これらの町をつくったファラオは、エジプトの文献史料から、また考古学的な根拠からも、紀元前一二九一年から三一七八年ごろにエジプトの第一九王朝のファラオであったセティ一世であった可能性が高いとされている。出エジプトは次の代のファラオのときに起こったのだから、それはセティ一世の息子で、紀元前二一七九年から一二二一年ごろエジプトを支配したラメセス二世であったことになる。実際、出エジプト時のファラオをラメセスニ世とする本は、学術書を含めて少なくない。しかし、聖書の記す年代に従うなら、この同定はうまくいかない。すでに見たように、聖書の示す年代によって計算すれば、出エジプトの年代は紀元前一四四五年ごろになるからである。エジプト新王国時代、第一八王朝のトトメス三世の時代に当たるが、このファラオの治世、エジプトはオリエント世界でも屈指の勢力を誇っていた。したがって、聖書の年代の数字がおかしく、聖書が記している時代に出エジプトは起こらなかったか、あるいは、へプライ人が建てさせられたのは、ピトムとラメセスという町ではなかったのか、そのどちらかの可能性が考えられる。このどちらであるにせよ、問題があるのは聖書記述ということになる。結局、今ある資料からは、出エジプトのときのファラオの名前はわからないままなのである。
67ページあたり
唯一言えるのは、出エジプトは聖書の描写そのままの事件ではなかっただろう、ということである。ただしそのどこまでが事実でどこからがフィクションなのか、あるいはまったくのフィクションなのか、私たちにはそれを検証するための十分な道具も資料もない。これが高校世界史の教科書に史実として記載されている出エジプトという「事件」について、現在ある資料から言えることのすべてである。いずれにしても、こういう状態である出来事を、あたかも確実に起こった史実であるかのように、またモーセをまるで歴史上確かに実在した人物であるかのように記載する世界史の教科書には眉をひそめざるをえない。
50ページあたり
出エジプトが史実とすれば、一体どのぐらいの人間がこのときエジプトを離れたのであろうか。聖書は、イスラエル人の脱出の様子を次のように記している。
イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。そのほか、種々雑多な人々もこれに加わった。羊、牛など、家畜もおびただしい数であった。(出エジプト記一二章三七’三八節)
この「六十万人」という数字は現実として考えるにはあまりにも大きすぎるため、考古学者や聖書学者の多くは受け入れていない。アメリカのある著名な歴史学者は、六○万人の壮年男子がエジプトを脱出したのなら、全部で約二五○万人の人々が一時に脱出したことになる、と計算している。男性に加え、妻や子供、老人の数を見積もっているわけだ。これだけの人数が移動するとなると、歩く人間それぞれ前後の間隔を一メートルと計算して横一○列に並んで歩いたとしても、全長二五○キロメートルにも及ぶ人の列になる。また、横一○列だと、幅一○メートル近くになるが、これは日本の道路で三車線分ぐらの幅である。道路が今日のように整備されていなかった時代、常に横いっぱいに広がって歩くことはできなかっただろうから、ところどころで列はもっと伸びただろう。仮に全長二五○キロメートルの列としても、ある地点からある地点まで全員が移動するのには、かなりの日数がかかる。一日当たり三○キロメートル歩いた、と仮定して八日か九日かかる計算だ。この計算だと、モーセが率いるイスラエル人が、割れた海の底を渡り切るのに少々問題が生じる。夜間は行進を休んだと考えれば、全員が渡り切るまでに九日間がかかってしまうかたとえ不眠不休で移動したとしても、全員が渡り切るまでに三日はかかったことだろう。背後にファラオの軍勢が差し迫っているとなると、これはあまりにも長い時間である。...
当時の人口についてもっと突き詰めて考えれば、そもそもそれだけ多くのヘブラィ人をエジプト人が奴隷にしていたとは考えにくい。当時のエジプト全体の人口を合わせても、二五○万人に達していたかどうかわからない。参考までに数値を示せば、ピラミッド建設が盛んであったエジプト古王国時代の総人口を、約一六○万人と見積もる研究者がいる。当時の総人口が一六○万人より多かったとしても、二五○万人という数字は総人口の半数を超えていたであろう。これだけの人数がいれば、へプライ人はもっと早い段階で団結して叛乱を起こし、エジプトを乗っ取ることさえ可能だったかもしれない。こうした点を考慮すると、出エジプトに記された、脱出したイスラエル人の数を文字通りに受け取ってはいけない、という結論に行き着かざるをえない。そして実際、多くの考古学者や歴史家、聖書学者は今日、この数字を額面通りには受け取っていない。
53ページあたり
出エジプトはソロモンが神殿を建て始める四八○年前の出来事とされている。ソロモンの治世は、彼の後に続く王たちの何人かが聖書以外の文献史料に言及され、絶対年代が算定できるため、その治世をある程度正確に計算することができるのである。
多くの研究者が、ソロモンの治世初年を紀元前九七○年ごろと考えている。したがって神殿建設事業が着手された治世四年目は、紀元前九六五年ごろと考えてよいだろう...
この数字を使って導き出される紀元前一四四五年が、数多いファラオの中でも最強の一人として知られているトトメス三世の時代に当たることは、先ほども述べた。トトメス三世はカナン地方をも支配下に組込んでおり、紀元前一四七九年ごろにカナン地方、すなわちパレスチナにあるメギドという場所で大きな戦いを交えたことが、カルナック神殿に刻まれた碑文から知られている。
したがって、このファラオが多数のイスラエル人奴隷たちがエジプトから逃げていくのを、ただ指をくわえて見ていた、とはとうてい考えられない。また、逃亡後のイスラエル人が、当時エジプトの支配下にあったパレスチナ地域で四○年間放浪しているのを、トトメス三世の後継者たちが黙って見過ごしていた、とも思えないのである。
こうした問題から、多くの研究者は、出エジプトを紀元前一五世紀の出来事とは見ていない。代わって今日最も有力とされる年代は、エジプト第一九王朝時代の紀元前一二五○年ごろである。
モーセの誕生の話はサルゴン王のパクリ? 46ページあたり
モーセの時代に近いエピソードを紹介しよう。
これは紀元前三千年紀にメソポタミアの覇者となったアッカドのサルゴン大王にまつわるもので、モーセ誕生より少なくとも一○○○年以上前の出来事である。
私は、偉大な王、アガデ(アッカド)の王サルゴンである。
私の母は、エニトゥという女神官で、私の父を私は知っていなかった。
私の父の兄弟は、山に住んでいた。
私のまちは、エウフラテス川の岸にあるところのアズピラヌである。
エニトゥである私の母は、私をはらみ、ひそかに私を生んだ。
かの女はいの籠の中に私をいれ、瀝青でかの女は私の扉を閉じた。
かの女は、私(の身の丈け)に達しない川に私を投げ入れた。
川は私を支えて、私を灌概人(水利人)アッキのところに運んだ。
灌概人アッキは、かれの水差を近づけて(水に漬けて)私をとり出した。
灌概人アッキは、かれの子として私を﹇とり上げ﹈、私を養育した。
一読して、モーセの誕生と少年時代の物語と共通点が多いのは明らかであろう。サルゴンは赤子のときに籠の中に入れられ、川に捨てられたところを、ある人物に拾われて育てられたのである。私たちの手元に残っているサルゴン伝説の写しは、紀元前一千年紀中葉の新アッシリアと新バビロニア時代のものであり、この物語の内容が前二三三四年ごろに生きていたサルゴンの時代にまでさかのぼれるかどうかはわからない。したがって、聖書筆者がこの話からインスピレーションを受けてモーセの生い立ちを描いたかどうか、はっきりとは断定できないが、その可能性は高そうだ。
64ページあたり
歴史学・考古学的証拠は、聖書が記す年代に出エジプトがあったと考えるのがきわめて困難であることを示している。そのため、出エジプトが史実であるとすれば、聖書に記されている物語の中で、その何らかの要素に誤りがあると考えざるをえない。出エジプトはソロモンが神殿を建て始める四八○年前、という年代データが誤りであるとすれば、それを最も現実的な三三○年と入れ替え、紀元前一三世紀の半ば、という数字が得られる。ピトムとラメセスという二つの町が完成したのもこのころのことだから、この解決策が最も妥当であると思われるし、実際のところ、多くの世界史教科書にも採用されている年代である。ところが、ここには一つ重大な問題があるのだ。それは、そのときのファラオがラメセスニ世であったことである。トトメス三世がそうであったように、ラメセスニ世も非常に強いファラオであった。カナンに何度も遠征に行っているし、アナトリアの一大勢力だったヒッタイトと、シリア地方の支配権をめぐって戦争をしたこともわかっている。つまり、このファラオの時代にイスラエルの民が出エジプトをしたと考えるのは、トトメス三世の時代と同じぐらい難しいのである。古代エジプトの諸王朝は、自分が負けたという記録を残さないことで有名である。したがって、イスラエルの民をみすみす解放した、などという事件は記録に残さなかったとしても、不思議ではない。しかし、ここでさらに重要な、そして解決不能な問題が持ち上がる。仮にラメセスニ世が実際に出エジプトを許可し、その後すぐに後悔してへプライ人を追撃したファラオだとすると、彼は海で溺死したことになる。ところが、発見されたラメセスニ世のミイラのどこにも、彼が溺死したことを示す痕跡が見つからないのである。結局のところ、出エジプトは歴史的にその史実性を確認された事件と考えるには裏づける資料があまりにも少ない、と言わざるをえない。同様にモーセが実在した人物であることを示すいかなる証拠もこれまで見つかっていないのである。
78ページあたり エリコについて
出エジプトという事件は、その事件の性格ゆえに考古学的には取りつく島がほとんどなかった。エジプトからの脱出や、荒野における四○年間の放浪生活は、考古学的証拠の発見が非常に難しい出来事なのである。一方、エリコ征服物語はこれとは違う。それは、エリコが、その場所さえわからない葦の海でもなく、天幕を張った荒野でもなく、地図上に存在する一つの、そして確実に同定されている町だからである。
つまり、エリコの遺跡がこの時代に破壊されていたかどうかを確認すれば、そして破壊されていた場合、どのような破壊のされ方をしていたかを確認すれば、この物語の史実性に迫れるはずなのである。そのためにはまず、エリコの町がいつ破壊されたのか、聖書の中でこの出来事がいつ起こったとされているのかを知らなければならない。前章では出エジプトの年代を計算したが、ここでも聖書に記載されている年代データを使って、エリコ征服の年代を考えて計算してみようここで使うデータも前章同様、列王記上六章一節のエルサレム神殿建設開始である。同箇所によれば、ソロモンが神殿を建て始めたのは、出エジプトから四八○年後のことであった。ここでも紀元前九六五年を起点に考えて計算してみよう。出エジプトが起こったのはこの四八○年前のことだから、紀元前一四四五年ごろと計算できる。この後、イスラエルの人々は四○年間荒野をさまよったのだから、ヨルダン川を西に渡り、エリコの町を征服したのは、紀元前一四四五年の四○年後、つまり紀元前一四○五年ごろということになる。果たしてこの時代のエリコの町に破壊の痕跡があるだろうか。...
聖書は出エジプトが起こったのが、紀元前一四四五年ごろである、と計算できる年代データを提供していた。エリコの征服はこの四○年後、ということになる。ところが、紀元前一四四五年ごろは、古代エジプト史でも屈指の勢力を誇ったトトメス三世の時代であった。彼の治世に、大勢のイスラエル人がエジプトから脱出し、そしてエジプトの支配下であったパレスチナ地方へのこのこと出ていく、ということは非常に考えづらいのである。また、ピトムとラメセスという町は紀元前一三世紀に建設されたことがわかっている。そのため、今日、出エジプトが史実であると考える研究者は、それが紀元前一三世紀の出来事と考えている。紀元前一二○七年のメルネプタハの碑文には、パレスチナにすでにイスラエルという人々がいたことが記されているのだから、それよりも少なくとも四○年前、すなわち紀元前一二五○年ごろに出エジプトが起こったことになる。しかしこの年代も、トトメス三世と並びエジプト最強のファラオの一人であったラメセスニ世の時代と重なることになり、大規模な出エジプトが起こったと想定するのは現実的に難しいのだ。いずれにせよ、もし紀元前一二五○年ごろに出エジプトが起こったとすれば、エリコの町が、そしてその城壁が崩壊したのは紀元前一二○○年ごろ、ということになる。しかし、この時代にはエリコの町には城壁がなかったどころか、誰も住んでいなかったのである。
編集者 てつてつ (2021年04月16日 07:19:55)
オフライン
#2354 2021年04月13日 15:49:23
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
てつてつさん、こんにちは。
今は事務仕事の為に書斎にいますので、休憩時間での投稿です。
確かに出エジプトの人数を壮年男子だけで60万とする数字は福音主義の研究者の間でも文字通りの意味ではないという見解もあります。
時間の関係上、詳しくは書きませんが、ヘブライ語での数字の表記方法と、千(エレフ)の解釈によって変わってきます。
もちろん、数字がエジプトを出た実数と異なるからとしても、出エジプトという出来事がなかったという事には直接的にはならないでしょう。
長谷川さんもこのように述べています。
旧約聖書の謎 長谷川修一著
P43
「実は、年代を修正せずに入エジプトの背景となった出来事を想定する研究者もいる。上エジプト(ナイル川の上流地帯)のベニ・ハサンには紀元前一九世紀の壁画が残っているが、そこにはセム系遊牧民が、アビシャルという名の指導者に連れられて歩いている様子が描かれている。この時代はまさに入エジプトの時代と重なる。
ヤコブやヨセフは、このころエジプトに移住してきたセム系遊牧民の首長だったのだと考えれば、入エジプトという出来事をヒクソスの侵入に結びつける必然性はないし、数字を操作する必要も生じない。」
P67
「現在のような出エジプトの物語ができあがったのは、イスラエル民族が異民族の直接的な支配下に入ったバビロン捕囚以後のことであろう。
しかし、こうした考察も現在のところあくまで推論の域を出ず、出エジプトの物語の史実性をはっきりと肯定も否定もできない。」
てつてつさんは、自分の意見を書くのではなくて、引用の範囲を超えた無断転載ではないでしょうかという他の方の指摘は無視して載せておられるわけですけど、イスラエルがエジプトに入ったという事は認められる事でしょう。
長谷川さんも語っておられるように出エジプトが後代の創作だというのは推論の域を出ず、出エジプトの史実性は肯定も否定もできないという事です。
てつてつさんは、どのような思いで長谷川さんの文章を転載されたのでしょうか?
自分の意見の中での引用の形をとるのがベストだと思いますが。
#2355 2021年04月13日 16:18:03
- てつてつ
- メンバー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
自分も今日は天気悪いためお休みです
>てつてつさんは、自分の意見を書くのではなくて、引用の範囲を超えた無断転載ではないでしょうかという他の方の指摘は無視して載せておられるわけですけど、...
てつてつさんは、どのような思いで長谷川さんの文章を転載されたのでしょうか?
自分はこれこれと考えますというようなことはあまり大した参考にならないかなと思い一応調べた方の引用の方が重みがあるかなと思い引用してます 以前ガッツさんが引用の範囲を超えているのではといわれたときには そのページそのままリンクして見れるようにしていたので良くないかなと削除しましたが その後からはしていないのでギリギリ許容範囲かなと思っています 不快でしたらこれも削除させていただきますが 以後このトピに書き込みはできないかなと思います 
>イスラエルがエジプトに入ったという事は認められる事でしょう。
自分も多少の人はエジプトからカナン地方に行った人はいると思いますが 聖書がいっているような仕方で「エジプトに10の災厄を下して モーセを用いて紅海を二つに分けてその中をイスラエル人を通らせて砂漠を40年さまよわせ...」というのは現在はなかったと思っています
>長谷川さんも語っておられるように出エジプトが後代の創作だというのは推論の域を出ず、出エジプトの史実性は肯定も否定もできないという事です。
仰天さんは長谷川さんのこの記述の意味を「出エジプトが後代の創作だというのは推論の域を出ない」という意味にとられてそちらを重要視していると思いますが 自分は長谷川さんは出エジプトは史実ではないと思っているが実証はむずかしいと思っているという意味だと思いました
編集者 てつてつ (2021年04月13日 16:49:06)
オフライン
#2356 2021年04月13日 17:11:30
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
長谷川さんが史実ではないと考えたとしても、史実だと考える研究者もたくさんいるわけですからね。
もちろん、聖書の中では細部で食い違う点も含まれているわけですが、伝わった伝承が複数ある場合に、どちらも正しい可能性があるので、省きたくなく、どちらも保存したという事もあるでしょう。それが一般的に細部の矛盾とされますが、聖書の出来事がなかったという事にはなりません。
カナンの地にイスラエル人が入ってからの人口増加と変化が見られます。
一部、不正確な伝承も入る可能性もありますが、だいたいにおいて聖書の伝承は正確なものだと思います。
イスラエルを代表する考古学者であるA・マザールもこう述べています。
「ベト・シェメシュ、ティムナ、テル・ベイト・ミルシム、テル・ハリフなど南北シェフェラのカナン人の町は、後期青銅器時代の終わりに破壊されている。このため、ヘブロンを除くと、この地域のほとんどの遺跡は聖書の伝承と矛盾していない。」
「我々はすでにハツォルが中期青銅器時代から後期青銅器時代にかけて、事実カナン最大の都市であったことを見てきた。・・・(中略)発掘者は、カナン人のハツォルの終焉はイスラエル人に帰せられるべきだとしている。」
『聖書の世界の考古学』P215
マザールはヘブライ語圏と英語圏では高い評価を得ています。
#2357 2021年04月13日 17:11:47
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2358 2021年04月13日 17:56:46
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
聖書の記述から計算すると(ソロモン王神殿建設開始の時期から数えて)出エジプトは
トトメス三世の頃になるが、トトメス三世の頃はエジプト最強であり、カナン地方まで
支配下においていたため、ヘブライ人が反乱を起こし逃げ延びるのは困難であり、40年間も
パレスチナを放浪しているのを見過ごすとは考えにくい。
壮年男性だけで60万人、家族や家畜をいれて行列を作って移動すると、場合によっては250km
の長蛇の列になり紅海を渡るだけで何日も掛かるので、エジプトが追撃していたとすると逃亡
は困難である。
ヘブライ人が携わっていた港湾都市の名前からしてラメセス二世の頃と考えられるが、ラメセスは
紅海で溺れ死んだはずなのに、見つかったミイラに溺死の跡がない。
聖書の記述から計算した(ソロモン王神殿建設開始の時期から数えて)エリコ攻略の時期に
エリコには城壁どころか人が住んでおらず廃墟だった。
このうち、最も考察が難しいのは隊列が250kmにも及ぶというところだと思います。
ここで何が起きたかは民数記から考えてみたのですが、隊のうち、老年・女子・子ども・家畜は別の安全な
場所にいて、若い男子だけ集めて迎え撃つフリをしてエジプト軍を対岸におびき寄せたのかなと思います。
一度来た道を秀吉のように引き返しています・・・
エジプト軍もそれ以上進軍すれば、地理的に別の大国と軍事衝突する危険があるので、軍を失ったところで
ファラオは深追いしなかったのかもしれません。
実際はもう少し小さい集団が、機転により劇的な脱走を遂げたのだろうと思います^^
#2359 2021年04月13日 18:23:00
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2360 2021年04月13日 20:13:01
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2361 2021年04月13日 21:06:09
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2362 2021年04月13日 21:09:33
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2363 2021年04月13日 21:21:54
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
仰天さんが私に呼び掛けてくださったからですよ。
それに答えたまでです。
それにしてもしつこいですね笑
とりあえず、ここでは仰天さんとてつてつさんとハム太郎さんの
やり取りを見て見識を広めるでいいと思います。
それ以外に必要な事はないでしょう。
こんなところで私の資質などどうこう言っても何にも役に立ちません。
仰天さん、ペーパーで読もうと思ったら品切れでしたので教文館から
取り寄せているのでもう少し時間が掛かります。じっくり読んでみようと
思います。
モトシモベさんも聖書に纏わる何か資料をお持ちですか?
是非、見解を書かれると良いと思います。
#2364 2021年04月13日 21:26:30
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2365 2021年04月13日 21:52:44
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
モトシモベさんも聖書に纏わる何か資料をお持ちですか?
是非、見解を書かれると良いと思います。
一度聞いてみたかったんですよ。
そういえば今まで聞いた事無かったなと思って。
シュウイチさんトピとラハムさんトピ、その他では個人に関するコメント
しか見ていないので。
多分、仰天さんも聞いてみたいと思ってらっしゃるかも。
それで、聖書の内容に関する見解で討論されても良いと思います。
私はそれを見ています。
ハム太郎さんと仰天さんの情報を整理しつつ、田川先生と青野先生の
見解も読みつつ自分なりにまとめています。
私にとって大切なのは聖書に関する情報です。
#2366 2021年04月13日 21:53:18
- 通りすがり
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
ガッツさん、
何故あなたは人にレッテル貼りする同じ基準でご自身の言動を見れないのですか?
モトシモベさんが引用して下さったご自分の書き込みを客観視して下さい。
あなたの書き込みは人格攻撃とは違うのですか?
意思疎通を図ろうにも頑なな態度で聞く耳持たず、では困ります。
#2367 2021年04月13日 21:58:17
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2368 2021年04月13日 22:37:35
- ガp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2369 2021年04月13日 22:44:41
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
>>ガッツさん
なんの説明にもなってやしませんけれども。
人のコピペでは伝わりませんよ。
ついでに。
てつてつさんには書籍からの引用を咎めておいて、自分は人の投稿を流用するんですか?
とことんご都合主義ですね。笑笑
そして、わたしが何を謝れば良いと言うのでしょうか?
わたしは具体的にガッツさんの投稿を引用して尋ねているのですから、同じように出典を示していただかないと分かりません。
なにより問題のすり替えはやめましょう。
#2370 2021年04月13日 23:43:06
- 通りすがり
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
ガッツさんは、
掲示板投稿者たちを見下し、不当なレッテル貼りで八つ当たり。指摘されると拡大解釈をして相手を攻撃。
会話が全く成り立たない。
掲示板投稿者としてどうなんでしょう?
#2371 2021年04月14日 06:22:05
- 私も一言
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2372 2021年04月14日 06:44:57
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2373 2021年04月14日 06:51:53
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2374 2021年04月14日 06:59:39
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2375 2021年04月14日 11:03:32
- YN
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
どんどん見る価値のない
掲示板に成り下がってるな。
閲覧者の皆さん、
この掲示板は見る価値ないのでは?