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#1 2020年01月20日 22:35:51
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
古い言い回しにに拘泥すること
昨年春に「改訂新世界訳日本語版」(2019年版)が出て、半年後には各出版物も順次、引用聖句は改訂聖書の表記に改められました。
“模範的” な現役学生たちは「分かりやすくなってよかった」「前の聖句ではワケ分からなかったところが、あぁそういう意味だったのか!と分かるようになって嬉しい」の旨を述べています。
歌の本も同様です。「聖なる力=聖霊」とか、「み名、み言葉、み子」がすべて「み」を外した表記になって紛らわしくなくなった、などの感想が前面に押し出されています。10年前に出た「エホバに歌う」をやっとこさ暗唱できるようになったのに、歌詞がまるっきり変わってまた覚え直しだ~という我々ロートルの気も知らないで。10年経った分、こちらも10年、着実に年取っているのですから。
私などは文語聖書で第二の話を割り当てられた世代ですから、2019年版の聖書から敬語表現が一掃され、申命記や使徒たちの手紙など命令形で書かれていた所が軒並み「~してください・~しましょう」になっていることに違和感が拭えません。
私はアタマが固いのだと思います。聖書たるもの、威厳のある言葉遣い、格式ある言い回しであるべきであり、安易に世間に迎合するべきではない、という考え方に拘泥しているのです。
組織上でも、分かりやすい例では注解→コメント、研究→聖書レッスン、群れ→グループ、奉仕の僕→援助奉仕者…等々。そんなのより「長老」のほうがよっぽど変更の必要に迫られているヘンテコ用語だと思うんですが。研究生がいちばん面食らう役職名ですからね。20代でも「長老」を名乗れる兄弟たち、いますから。
口語で表記することで、新しい人々を獲得したい趣旨は分かります。でも宗教にはそれなりの「堅さ」「重み」が残されるべきとも思います。国歌や校歌、仰げば尊し、蛍の光などは「読書百遍、意おのずから通ず」的な側面もありますから、若者たちの読解力を侮るべきではありません。
……長くなりました。改訂版が出て9ヶ月、皆さんはこの聖書に馴染みましたか?
#2 2020年01月21日 07:01:24
- 万年研究生
- ゲストユーザー
Re: 古い言い回しにに拘泥すること
私は中学生英語が気になってしょうがありません。
このような表記です
「私は私の友達と私の家で私のゲームを私の友達と昨日やりました」みたいな
声を出して読むと違和感がありすぎです。
あと以前より言っておりますが「謙遜」ではなく「謙虚」としていただきたいですし、謙虚な人を目指して
もらいたいです。
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