#201 2020年01月04日 14:33:42
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
日蓮などは聖書の神と違って、ほいさんの信じる創造者くらい信憑性のないものです。
#202 2020年01月04日 14:38:56
- ほい
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
私は、「創造者がいてほしい」という気持ちが私の願望であることは認めていますよ。
だからこそそれが正しいなどとは主張しないんです。てつてつさんもそうですよ、きっと(違ってたらすみません汗)。
「忠臣蔵」を楽しむのは良いですが、史実の「赤穂事件」とは違います。
今日はこれから予定があるので、ここで失礼します。
#203 2020年01月04日 14:50:26
#204 2020年01月04日 14:51:07
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
聖書という書物について・・・
まず、何から書けば良いのやら・・・・
アノニマスさんとのやり取りの中で、ちょっとある考えが浮かびました。
それを書いてみます。
聖書の各章の中で、ヨナ記は不思議な存在です。閑話休題的と言う人もいます。私も
そう感じていました。イエスもヨナ記の話を持ち出していて、好きだったのかなと
単純に思っていました。それで、知恵の木に関して、アノニマスさんからの助言と自分の考え
を逡巡しているうちに、閃くものがありました。
何のことか整理しますと、知恵の木に関して、神は全知全能なのだから、人間が盗って食べる
事を予知できなかったのかという問題がありますが、そこで私は、神が人間にわざと仕掛けたと
考えてみました・・・・愛ある神ではなかったのかという疑問が生じますが、そこでもう一つ
可能性を考えました・・・・
神は、人間が盗って食べることはとっくに予見しており、あえて食べさせた。それは「赦す」という
知性の面で、高度で難易度の高い業を教えるためだった。人間が後悔して謝罪すれば「赦す」つもり
だった。それは神の一つの特性で重要な部分であり、「赦す」もしくは「許す」というお手本を示し
人間に「赦す」「許す」ことの重要性を教えるためだった。創世記を読むと、人間は言い訳はしても謝罪して
おらず、神が赦しについて教える機会は先延ばしされる事になった。だからこれ以上の罪を重ねさせないため
に楽園を追放する事になり、神の本質を見ることの出来なかったサタンは楽園を追放された。
だから後悔して謝罪する事の重要性を神の、「私は悔やむ」という謎表現で表しているのだと考えました・・・・
ヨナ記は直接神と真っ向からやり合う珍しい章です。ここで、神は「赦す」「許す」事について
ヨナに諭しています。創世記で、知恵の木を植えた神の真の目的の解答が与えられたという訳です・・・・
しかしイエスの登場までは知恵の木を食して楽園追放された理由に対する解答は得られませんでした。
律法学者は博識で、今でいうところの裁判官、弁護士ですが、イエスと違い事の本質を見抜くことはできませんでした。
イエスはおそらくですが、「赦す」ことを神は人間に教えたかったのだという事を民衆に伝えるために「神の赦し」に
ついて伝道したのだと思います。だから説話の中でヨナ記に触れられたりされ、「愛」(赦す心の働きの元となるもの)
について伝道されたのだと思います。
そこで、赦す事がいかに難易度の高いものであるかをさらに説明する聖句が続きます。
ペテロが復活したイエスにどこに行かれるのか尋ねた時、「あなたが見捨てた者たちのところへ」と答えられた
聖句があったと思います。イエスの受難を考えると、あれだけの受難を受けたにも関わらず、なおもそこへ赴き
救おうという非常に難しい心のなせる業があります。
ここで、イエスは死んだではないかという疑問が生じますが、この疑問の答えが伝道の書です。
母の胎内で、骨に魂が入るときという聖句があったと思います。肉体は魂の器に過ぎず、人の本質は魂である
という考えがその当時からすでにあったと読みました。イエスは正しい解答を示すことにより魂を救済したと
考えることが出来ます。肉体は土から取られたに過ぎず、そこに神が命を吹き込んで人になったのだから
滅びゆく肉体は神がその気になればまたこの地上に作り直せる(火星に散骨しない限り)器であり、命の本体は
魂であるという一つの考えが読み取れます・・・・・・・
そこでその考えと魂の救済について、弟子たちによって伝道されたはずでした・・・・・・
しかし、イエスが連行される前だというのに眠りこけたり、余り洞察をしない弟子たちなので、現在に至っているの
ではないでしょうか。
黙示録では、自らの意思で悔い改めを選ばない者たちへの処遇が書かれており、これにて完結です。
#205 2020年01月04日 14:58:56
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
当時のメッセージの伝え方というのは要点さえ伝えれば細部はアレンジしてもよかったという事を読んだ事があります。
確か、「キリストは神か偽善者か」
ジョシュ・マクドウェル著
だったでしょうか。他の本でも読んだ記憶があります。
そういった点を考えると福音書の相違点も納得できます。
しかし、重要なメッセージは各福音書共通であり信憑性は高いでしょう。
そういう観点からのものは読まないで否定的な学者の説ばかり読んでたら公平な調べ方とは言い難く、てつてつさんのように棄教するのも当然でしょう。
#206 2020年01月04日 15:01:42
- がっつだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
長くなりましたが、では「赦す」「許す」ことがなぜ重要で高度な業なのか。これがカオスの本質だと
思います。ちょっと譬えるにはふさわしく無いかもしれませんが、アクセルとブレーキみたいなもので
遊びの部分と言うか、何というかゆとりの部分というか、可能性というか、エントロピーというか
そういうものなのではないかと思います。神は無限の存在なので、常に可能性を孕んでいる。
そしてその事が神の本質であるように思います。
忘れてならないのは無限の可能性を秘めた存在ならば時空にも干渉できるという事です。
これ以上は今は書くのを控えます。
以上、いかがでしたでしょうか。アノニマスさん、ご助言ありがとうございます。
#207 2020年01月04日 15:20:18
- てつてつ
- メンバー
Re: 聖書という書物について
捏造された聖書 77ページあたり
そんなわけで、写本を複製する書記たちはありとあらゆる改ざんをやった。後の章で、それぞれの改ざんの種類についてもっと深く見ていくことにするが、ともかくここでは改ざんが行なわれていたということ、それも広く行なわれていたということを知れば十分だろう。とくに、テキストの複製が始まった最初の二百年間は、ほとんどの写字生が素人だったから、その傾向は強かった。本文批評が取り組むべき主要な問題のひとつは、現存する写本がこんなにも間違いだらけという状況の下で、どうやってオリジナル・テキストをlつまり、著者が最初に書いた通りのテキストをl復元するかということだ。さらに問題を悪化させているのは、ひとたび改ざんが行なわれると、それはそのテキストの伝統の中にしっかりと根を下ろしてしまうという事実だ。実際、オリジナルよりもさらにしっかりと根を下ろしてしまうのだ。つまり言い換えるなら、ひとたび書記がテキストにl偶発的であれ、意図的であれI改寅を加えると、その改鼠が写本の中で恒久化されてしまうということだ(もちろん、他の書記がこれに気づいて元に戻した場合を除く)。その写本を複製する第二の書記は、改寅されたものをそのまま複製することになる(それが正しいと信じているわけだ)。そしてさらに自分自身の改童を付け加えてしまう。さらにその写本を複製する第三の書記は、第一、第二の書記の改鼠を両方とも複製した上で、さらに自分自身の改寅を付け加える。以下同文。改童が修正されるのは、書記がその前任者の誤りに気づいて、これを修正しようとしたときだけだ。とはいうものの、改寅を訂正しようとする書記が、それを正しく訂正できるという保証はない。つまり、これは間違いだと判断したものを訂正しながら、実際にはその訂正の方が間違っていた、という事態もありうるわけだ。そんなわけで、今やテキストには三通りあるということが判った。オリジナル、改ざん、そしてその改ざんを修正しようとして間違ったもの、の三つだ。改ざんは増大し、繰り返される。時には修正されるが、時には改ざんに改ざんが積み重ねられる。それが延々と続いていくわけだ。何世紀にもわたって。言うまでもなく、書記の手許に複数の写本があり、両者を比較対照することによって誤りを正すことができる場合もある。だが実際のところ、これはさらに問題を悪化させてしまう恐れもあるのだ。つまりその書記が、改鼠された方の写本を正しいと思いこみ、それに照らして正しい方の写本を訂正してしまう可能性もあるということだ。可能性はどこまで広がるか判らない。このような問題を抱えた私たちは、いったいどうやって、オリジナル・テキスト、すなわち著者自身が書いたテキストを復元することができるのか?これは途方もない問題だ。あまりにも途方もなさ過ぎて、多くの本文批評家が「オリジナル」テキストに関する議論はやめた方がいい、と主張しているくらいだ。だってそんなものは絶対に復元不可能なんだから。
編集者 てつてつ (2020年01月04日 15:21:57)
オフライン
#208 2020年01月04日 15:22:07
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
もうひとつ。フランシスコ教皇がやらかしましたね。人間の定める宗教的地位は神の目から見れば
意味のないものであることを示してしまいました。
新幹線で滅多刺しになりながらも2人の女性を救った方は魂レベルでクリスチャンであり、肉体は
逃亡を許しても、魂が見捨てて逃げることを許さなかった事例です。
私自身にはそのような崇高な魂はあるように思えないので、ただただ尊敬するのみです。
象にも高度な知性があるようで、東南アジアのある国で、象の群れが復讐にため、村を襲撃しました。
そしてある家を踏み潰そうとして前足を振り上げたときに、中にいた赤ん坊が泣き声を上げました。
象は振り上げた足を下ろし、その家を踏み潰すのを止めました。象にさえこのような高度な思考が
あるというのに、本当に情けなく、また闇の深い事件です。人間も正しい教育を受けられないと
こういう事になるという事例です。
話が脱線してしまいました。
めぐままさん、てつてつさん、アノニマスさん、聖書は難しいです。
#209 2020年01月04日 15:22:55
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
#210 2020年01月04日 20:11:34
#211 2020年01月04日 21:06:57
#212 2020年01月05日 09:21:03
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
#213 2020年01月05日 09:40:58
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
#214 2020年01月05日 10:08:00
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
仰天さん
「パウロ ヤコブ 律法」でググるとすぐに出てくるサイトですね。予習は済んでいます。自分の問いは、守っていたのか、いなかったのかだけで、「あったのでしょう」「と考えることができます」などの理由づけの推測まではお尋ねはしていなかったのですが、ありがとうございます。
「多くのユダヤ人がもはや律法を守ることなく習慣をかえた」訳ではないこと、そしてそのサイトの牧師さんもお認めのように、エルサレム教会はパウロの説いた福音信仰と全く一致していた訳でもない、ということですね。了解しました。
#215 2020年01月05日 10:21:02
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
もはやクリスチャンは律法の下にはいないという見解は変わりません。
守っていた人もいたでしょうが、最終的にエルサレム教会の使徒も殉教したと伝えられているのですから、ユダヤ教のフリばかりいつまでもしていたわけではないでしょう。
見ていたわけでもないのに断言は出来ませんのでそういう表現になるのは仕方ない事です。
ちなみに、誰でも知ってる事でしょうが、エルサレム教会は統治体でもなく特別に優れた会衆というわけでもなかったと思います。
救いに関しては会議でまとまった意見として一致しています。
#216 2020年01月05日 10:26:36
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
トップに出てくるサイトでも自分が参考にならないものは載せませんので、予習済みなら聞かなくても自分の結論は既に出しているはずです。
試すような質問だと思いましたが案の定そうでしたか。
#217 2020年01月05日 10:31:27
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
#218 2020年01月05日 10:38:27
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
エルサレムに住んでいたユダヤ教の影響が激しい場所のクリスチャンは律法の影響はあったでしょう。
それ以外の場所に住むパウロ含むユダヤ人は安息日ではなく週の始めに集まっており、習慣を変えたわけです。
では、ジョエルさんは使徒グループが復活したイエスの伝えた福音に反した思いで全員が律法を最後まで守っていたと思うわけですね?
その理由を解説どうぞ。
#219 2020年01月05日 10:48:39
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
「復活したイエスの伝えた福音」とは何でしょうか?
聖書に書いてある以上の理由?解説?(行間埋め)が必要なのでしょうか。ありのままに読めば、エルサレム教会はパウロの説いた福音信仰とは一致しておらず、ユダヤ人にとって、ジーザスを信じた後も律法は依然として彼らの守るべき伝統であり信仰の一部であり続けていた以外のことは読み取れませんよ。
#220 2020年01月05日 11:06:45
#221 2020年01月05日 11:22:40
#222 2020年01月05日 11:37:17
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
#223 2020年01月05日 12:23:41
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
仰天さん
>使徒もパウロも譲歩しながらも基本的に一致しており、譲れない部分もあり、対立していたといえばそうとも言えるし一致していたといえばそうも言えるのです。
それはその通りで、何から何まで対立していた訳でもなく、異邦人は律法遵守なしでOKでは対立は回避されています。
>ジョエルさんの場合は、エルサレム会議以降、ユダヤ人クリスチャン全員が晩年に至るまで律法を守っていたというのなら説明をして下さい。
聖書から読み取れることはエルサレム会議以降の出来事として書かれているその時点で一致していない、というだけで、晩年に至るまでとか何とかみたいな主張(推測)はしていませんよ。
#224 2020年01月05日 12:27:03
- ジョエル
- ゲストユーザー
