#101 2019年12月31日 10:39:09
#102 2019年12月31日 11:23:25
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
ガッツだぜ2さん、読了者なんですね!(変な言い方ですが) そうです、閃きを感じる時ありますよね。やけに気になる聖句があったり。私も神がサタンを使って人間を試したのではと考えました。が、神はそんな嫌な神ではないはずです。
私はエホバの証人の聖書研究が書籍中心で聖書は辞書のような扱いだったので、都合のいいところだけ教えているかもと思って通読を始めました。テレビでカルトとかマインドコントロールの話があったからです。
忙しくなったので後程。よいお年を。
#103 2019年12月31日 15:14:40
- めぐママ
- メンバー
Re: 聖書という書物について
てつてつさん 原始キリスト教 の紹介 ありがとうございます。
キリスト教史 だったか ヨーロッパ 中世史 だったか 忘れましたが 「修道院」の 筆者の教授が 読むように言われた本です。
ク・セ・ジュ文庫 懐かしい響。 買っただけです。
読んでいません。 適当にレポート提出したような気がします。
あのころ難しい本をつぎつぎと課題に出されて クラブ活動 の忙しさ 自宅から 通ってたので 寝坊しては遅刻して、そんな思い出が読みがえります。
乗ってた電車 今は 桃太郎線と呼び名が変わってます。
学生に 読む力 資料から情報を読み取って 自分で考えさせる 指導をしていたのだと思います。 聞き齧りや Amazonの口コミ ネットの エセ情報に踊らされないように 備えをしてくれていたのだと 思います。
親睦 トピがエラくややこしい 事になっています。
人のことには口出ししません。 くわばら 桑原。
オフライン
#104 2020年01月01日 07:36:21
#105 2020年01月01日 08:01:20
#106 2020年01月01日 10:14:42
#107 2020年01月01日 10:17:29
#108 2020年01月01日 10:30:03
#109 2020年01月01日 11:22:29
- てつてつ
- メンバー
Re: 聖書という書物について
最終的に、信徒を獲得する闘争を勝ち残ることができたのは、たった一つのキリスト教集団だった。おそらく、彼らの勝利が揺るぎないものとなったのは、三世紀になってからである。四世紀初頭に、ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教に改宗する際、彼は、勝者の信仰を選んだ。皇帝の死後五十年ほど経ってから、キリスト教は、ローマ帝国の国教になるが、大多数の人間が受け入れたのも、やはり同じ勝者の信仰だった。といっても、当然こうした信仰には、様々なヴァリエーションがあった。異説は、いつの時代にも存在するものである。ひとたび闘いに勝利すると、この集団は、自分たちが正しいと宣言するのみならず、キリスト教が誕生してこのかた、ずっと正しかったと主張した。「正しい信仰」の専門用語は、「正統教義」である
「正統な」キリスト教徒、すなわち闘いの勝利者は、競合する意見に異端のレッテルを貼った。ヘレシーという言葉は、「選択」を意味するギリシャ語から来ており、異端者とは、間違った信仰、非正統的信仰を選んだ人々を指す。勝利が確定する前の、勝ち組のキリスト教徒たちを、何と呼べばいいだろう?私は、後の正統派の先達である彼らを、「原始正統派」と呼び習わしている。二、一二世紀の、原始正統派に属するキリスト教徒の史料が、一番多く残されている。なぜなら、反対勢力の文書ではなく、彼らの文書が、後世のために保存されたからだ。こうした文書の著者には、殉教者ユスティノス、イレナエウス、テルトゥリアヌス、ヒッポリュトス、アレクサンドリアのクレメンス、それにオリゲネスらが名を連ねている。初期キリスト教史を専攻する学生には馴染承深い名前だ。彼らは、最終的に正統と認められることになる教義の成立に一役買った人びとである。すべての反対意見を、一度に論破しようとした彼らが果たした役割は決して小さくなく、その結果、導き出された結論はある種の矛盾を内包せざるを得なかった。例えば、エビオン派の教義のうち、イエスが完全に人間だという点は容認され、イエスが神ではないとする点は退けられた。マルキォン派については、イエスが神性を有する存在であるという教義はよしとされ、彼が人間であることを否定する教義は却下された。どうしたら、原始正統派は、このような両極端の説を、同時に主張することができたのだろうか?彼らは、イエスが神であると同時に人間だったと結論付けたのだこれが正統派の見解になった。後にキリスト教信条の形でまとめられたものが、正統派の主要な教義になった。すなわち、神は唯一絶対の存在で、彼は万物の創造主であり、したがって、万物は、たとえ罪という欠陥を抱えていたとしても、本来的に善であるというものだ。神の子イエスは、人であると同時に神であるが、(グノーシス派が主張するような)二つの存在ではなく、一つである。彼は、秘密の知識ではなく、己の血を流すことによって、救済をもたらした。対抗勢力同様、原始正統派は、彼ら特有の見解を正当化する、神聖な権威となる一連の文書類を保有していた。こうした文書の一部は、最終的に正典として認められた
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#110 2020年01月01日 11:30:41
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
パウロや他の弟子の幻覚説、エビオン派が正統キリスト教という説などについての間違いや矛盾点について反論はある程度まとまってはいるのですが、正月で身内が集まってますので詳しい解説はまだできません。
そういったバート・D・アーマンや田川さん、文庫から自分の見解と合うものを持ってくるのは結構なのですが、問題はそれらが、しっかりとした根拠に基づいているかどうかが重要なのです。
#111 2020年01月01日 11:38:16
#112 2020年01月01日 11:49:38
#113 2020年01月01日 12:02:35
- てつてつ
- メンバー
Re: 聖書という書物について
第七章 だれがキリスト教を発明したのか261ページあたりから
「今日一般的にキリストの教えとされるものがどのようにして作り上げられていったのかという話です」
キリスト教の中核は、何といっても苦悩するメシアへの信仰であろう
多くのキリスト教徒にとって、イエスをメシアと呼ぶのはごく当たり前のことなので、なぜユダヤ教徒がイエスをメシアと認めないのか、理解できない。キリスト教の伝統では、ユダヤ教聖書に登場する預言者は、繰り返しメシアが何をして、どのような人物で、何を体験するかといった預言をしており、しかもイエスがそうした預言をすべて満たしていると信じられている。預言によれば、メシアは処女から生まれ(キリスト教徒にとってはイエスもそうだ)、ベツレヘムで誕生し(イエスもしかり)、偉大なる治癒者であり(イエスもしかり)、ロバに乗ってエルサレムに入城し(イエスもしかり)、同胞であるユダヤ人から拒絶され(イエスもしかり)、処刑という恐ろしい死を迎え(イエスもしかり)、死から蘇る(イエスもしかり)。
キリスト教徒からすれば、イエスは、こうした旧約聖書に出てくる預言を、ことごとく体現しているからして、彼がメシアであることは、火を見るよりも明らかである。彼らは、なぜユダヤ教徒がこの事実を信じようとしないのか、不思議でならない。ユダヤ教徒がキリストの言葉を受け入れないのは、どういうわけだ?なぜ信じないのだ?意固地になっているだけなのだろうか?分からず屋なのか?それとも字が読めないのか?そんなに馬鹿なのか?
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#114 2020年01月01日 14:38:23
- てつてつ
- メンバー
Re: 聖書という書物について
その答えは、実は至極単純である。キリスト教が誕生するまで、伝統的にユダヤ教には、苦悩するメシアの待望論は存在しなかったのだ。
けれど、聖書は、何度も苦しむメシアに言及しているではないかって?ところが、そんなことはないのである。当初から、キリスト教徒は、未来の苦悶するメシアの出現がはっきりと預言されている証左として、旧約聖書の一節を、頻繁に引用してきた。例えば、ひどい苦痛を、時には明確に人びとの罪のために引き受ける人について語られている『イザャ書』五十三章や、『詩編」二十二編などがそれだ。キリスト教徒に言わせれば、これらの記述は、メシアがどのような存在かを明示している。しかし、イエスを信じないユダヤ教徒の反論は、非常に説得力がある。すなわち、ここではメシアについて、一切言及されていないと、彼らは言う。読者自身も、『イザャ書』五十三章や『詩編』二十二編を読んで、確認してみてほしい(関連する箇所については後述する)。「メシヤという言葉は、一度も出てこない。ユダヤ人は、これらの記述は、メシアではなく、誰か別の人間(あるいは大勢の誰か)のことを指していると、伝統的に解釈してきた。
私たちが知る限り、キリスト教成立以前のユダヤ人は、誰一人として他人の罪のために苦しみ、死んだ後に生き返るメシアを待ち望んでいなかった。ならば、メシアとはどのようなものなのか?私たちは、イエスの時代に書かれたユダヤの古文書から、ユダヤ人が思い描いていた多様なメシア像を知ることができる。そうしたメシア像は、イエスとかけ離れていた。
一部のユダヤ人がメシアに求めていたのは、偉大で力強い、戦う王、もしくはさらに強大な地上の宇宙的審判者であることだった。さらに、これとは違う未来の救世主像を思い描いていたユダヤ人もいる
しかし、すべてのユダヤ人の期待には、共通点もあった。彼らは、来るべき時代のメシアは、威厳と力強さを兼ね備え、その絶対的な力で、神の敵を打ち負かし、神の民や他の国々を、厳格に統治する者であることを望んでいた。
ところがイエスはどうであったか?ほとんど知られていなかった、ガリラヤの僻地出身の遊行説教師に過ぎず、ユダヤの律法に背き、反体制分子として礫刑に処せられた男だ。イエスは、ローマ人を追い払うことができず、逆に虫けらのように叩き潰されてしまった。大方のユダヤ人にとって、そんなイエスをメシアと呼ぶことは、笑止千万であり、ほとんど(あるいは実際に)、神への冒濱以外の何ものでもなかった。イエスがメシアだって?礫にされた遊説者が?そんな男が神のメシアだって?へえ、そう。
オフライン
#115 2020年01月01日 14:53:54
#116 2020年01月01日 15:03:18
- てつてつ
- メンバー
Re: 聖書という書物について
278ページあたり
初期キリスト教史を研究する歴史家が向き合わなければならない、最も差し迫った、それでいて強く心を惹かれる疑問は、徹頭徹尾ユダヤ的だったイエスの宗教が、なぜかくも短い期間に、非ユダヤ的宗教へと変貌したのか、ということである。キリスト教は、いかにして、一世紀にも満たないうちに、ユダヤ教の一宗派から、激烈な反ユダヤ的宗教になったのだろうか?
イエスの実際の言動を再構築してみると、その全てが、ユダヤ的な黙示思想の枠組承に、ぴたりと当てはまる。イエスが新しい宗教の開祖だとみなしたのは、後世のキリスト教徒だけである。彼自身には、そのような認識はなかったと思われる。彼の信奉していた宗教とは、すなわち正しく理解されたユダヤ教だった(もちろん、ファリサイ派やサドカイ派らの理解とは違って、という意味で)。後世の信者の一部は、イエスの教えのユダヤ的な特徴を守り通した。だが、キリスト教が別の方向へと向かうにつれ、彼らは異端のレッテルを貼られるようになる。キリスト教の本来の在り方が否定され、糾弾されるとは、初期キリスト教史の皮肉としか言いようがない。エビオン派として知られるキリスト教徒は、イエスが律法を廃止する意図など、さらさらなかったと強く主張していた。イエスは、ユダヤの神が、ユダヤの律法を守らせるために、ユダヤの民に遣わした、ユダヤ人のメシアだった。イエス自身、非常に熱心に律法に帰依していたため、彼の信者は、ユダヤ教徒でなければならず、律法を遵守する必要があった。もし律法が、神の民に属する男たちは、割礼を受けなければならないと言っているのなら、そうしなければならなかった。もし律法が、神の民は、清浄食の規定に従わなければならないと言っているのなら、その規定を守らなければならなかった。もし律法が、安息日を定めているなら、それに従わなければならなかった。エビオン派は、エルサレムの教会指導者だったイエスの兄弟、ヤコブが、このような考えを奨励したと主張した。学者は、彼らの主張は正しかったのではないかと認めている。同様の見解は、『マタイ』にも見られる。なるほど、この福音書は、エビオン派同様、救済の鍵がイエスの死と復活にあると唱えている。だが、同時に、もし天国の王国に入りたければ、律法を守る必要があると、イエスが説いていたことにも触れている。事実、ユダヤの指導者たち以上に、忠実に律法を守らなければならないとされている(『マタイ』五章十七‐二十節)。この福音書では、イエスは、律法の真義を信者に伝える律法の教師として描かれている。彼は、いかなる律法も破ることを許していない。自分に倣い、律法に従うよう、信者に強く求めている。
編集者 てつてつ (2020年01月03日 22:03:02)
オフライン
#117 2020年01月01日 15:07:15
#118 2020年01月01日 15:22:20
#119 2020年01月01日 15:39:15
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
#120 2020年01月01日 15:40:25
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
#121 2020年01月01日 15:41:34
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
#122 2020年01月01日 15:45:45
#123 2020年01月01日 15:59:29
#124 2020年01月01日 16:04:10
#125 2020年01月01日 16:06:46
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 聖書という書物について
まず、てつてつさんは麻原が神格化される事をイエスの場合と同様に言われる事がありますが、麻原の事件から数十年経っても、当時の事を知る人々が多く存在しているのですから真相は知られています。
パウロはイエスの死後数年以内に書簡に記した内容を伝えていますから、その信条を伝えていた時代はイエスの死から僅かしか経っていないのです。
アレクサンドロス大王の伝記で最古のものとされているものは、アレクサンドロス大王の死後400年以上経って書かれていますが、歴史家の間では信憑性が高く評価されています。
パウロ書簡の成立の早さに加え、福音書が数十年後に書かれていたとしても他の伝記と比べると
まさにニュース速報並の早さと言えるでしょう。
ですから新約聖書の成立年代は問題にはなりません。
てつてつさんの主張では、イエスの事を伝える人というのは信者さんである身内の言う事なので信用できないとの事ですが、それを言うならイエスを否定する人々は聖書もイエスも信じたくない嘘だと信じる身内の言う事なのです。
パウロの言葉を見てみましょう。
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。」
次に、クレイグ・L・ブロンバーグ博士の言葉にも注目して下さい。
クレイグ・ブロンバーグ博士は、四福音書と呼ばれるイエスの一代記に関する権威としてアメリカ中に名を知られた人物で、スコットランドのアバディーン大学を卒業し、新約聖書研究の博士号を取得。
その後は、英国ケンブリッジ大学のティンダル校で主任研究員として働き、世界中の優秀な研究者と共にイエスに関する数多くの素晴らしい研究を行っている人です。
その後の十数年間は、エリート神学校として知られるデンバー神学校で、新約聖書研究の教授として教鞭をとっていました。
「イエスの死が紀元30年より前だとすると、パウロの改宗は32年頃ということになります。パウロはすぐにダマスコに案内され、アナニアというクリスチャンと他の弟子に会っています。彼がエルサレムで使徒に最初に会ったのは、35年頃のことでしょうから、この3年間のどこかで、初代教会がすでに信じ、まとめ上げたこの信条がパウロに伝えられたのです。
このコリント人への手紙第一、15章では、私たちの罪のためにイエスが死んだ事実に加え、復活したイエスが出会った人々について詳しく記録されています。そしてその全てが、イエスの死後わずか2年ないし5年以内の話なのです。
ですから、これはアームストロングが主張しているような、40年、あるいはそれ以上たってからの神話ではないのです。
こうした流れを見ますと、まだ書物にはされていないものの、復活に対するクリスチャンの信念はイエスの死後2年から5年以内には構築されたと言って差し支えないでしょう。
これは非常に重要です。
アレクサンドロス大王の500年に対する福音書の30年から60年という比較どころではありません。
2年ですよ、2年!
他の分野では500年でも十分に信用に値すると言われるのです。」
こうした点を見ますと、伝説というのは長い期間で形成されるものですが年月が短い事が分かります。
ですから単なる神話や伝説ではなく事実だったと見るほうが道理にかなっていると言えるのではないでしょうか。