#226 2017年11月27日 19:34:40
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
三太郎さん、コメントありがとうございます。
私も先日ここに「中庸」について書こうとして、意外に奥が深いことに気づいて断念しました。
仏教の中道と儒教の中庸とは厳密には違うようですが、アジアでは長い歴史のなかで互いに影響しあっている部分もあるように思います。
キリスト教の宗教としてのあり方は、仏教や儒教とは異なる部分もありますが、律法さえ守っていればよいという当時のユダヤ教のあり方をイエスが変えようとしたのは間違いないのではと思います。私はそのような意識改革こそがイエスの最大の功績であると思っています。
残念ながら、人間はよほど考えるのが面倒と見えて、今度は聖書を律法に代わるルールブックにしてしまったのが、聖書にこだわる信仰の怖いところですね。
編集者 iris (2017年11月28日 09:33:52)
オフライン
#227 2017年11月29日 21:29:46
- 三太郎
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
”聖書を律法に代わるルールブックにしてしまった”
うまいこといいますね。そして聖書の権威まで利用している。
ところで、irisさんにお聞きしたいことがあります。
日本人の死生観は、昔と今とを比べると変わったと思いますか?
もし変わったと思われるなら、それはいつ頃からだと思いますか。
この掲示板で過去に討議してたらごめんなさい。
#228 2017年12月01日 01:29:16
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
三太郎さん、コメントありがとうございます。
日本人の死生観ですか、これもなかなか奥深いテーマですね。
「死んだらどうなるか」に関して言えば、古くは黄泉の国に行く、(日本式)仏教が普及してからは善人は極楽(浄土)・悪人は地獄に行く、キリスト教の影響を受けてからは天国に行く、などと考えられていますね。
特に信仰を意識していない一般的な日本人は、死んだ人は天国(あるいは極楽)で暮らしているのかなと漠然と考えているのではないかと思いますが、自分自身が死んだらどうなるのかについては確信が持てない(あまり考えていない)人が少なくないのではないでしょうか。
死生観の変化と言えるのかどうかわかりませんが、「科学的に証明できないことを信じるのは間違い」という考え方が幅を利かせるようになったために、自分自身や身近な人の死後の平安を確信できなくなっているとすれば、それは不幸なことかもしれません。もちろん、死後の苦痛を確信するよりは、よほどましですけれどね。
オフライン
#229 2017年12月01日 01:33:19
#230 2017年12月02日 09:53:57
- 三太郎
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
#231 2017年12月03日 12:37:14
#232 2017年12月04日 19:29:59
- 三太郎
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
irisさん ありがとうございました。
申し訳ありませんが、また私の質問に付き合ってください。
irisさんは、カトリック教会という世界的規模の宗教組織に属しておられますが、信仰のために大きな組織は必要だと思いますか。
私は巨大な宗教組織は必要がないという考えです。
同じ信仰を持った者同士が集まり合うのはいいと思います。
それは少人数のサークル活動的なもので、集い合い、話し合うための簡単な取り決めがあって、参加は自由。
人が集まって何かをしていく以上、経費の発生は避けられませんので、それは有志で集めるといった感じですかね。
集まる人の気持ち次第ですので、宗教団体としての結束は弱いかもしれませんが、その程度のものならいいと考えています。
人間が大きな組織を作ると、宗教組織に限らず必ず階層が生まれ、トップが金や権力を握るようになると、上から腐っていくというのが世の常です。
また、営利団体ではない宗教組織が肥大化していくと、維持・運営にお金がかかり、そのために時間や労力を消耗してしまうため、本来の目的が疎かになってしまうという懸念もあります。
JWなどは組織が大きい上に世と隔絶しているので、独特の閉鎖的なコミュニティを築き上げています。
会社組織の場合、その監視機能として、コンプライアンス部門や組合があって睨みを利かしているわけですが、それでもすり抜けてしまい、結局内部告発で不正が発覚したりします。
大体、大企業の社員なんていうのは、偉くなって窓際に座るようになると天下取ったような気分になり、その日から有識者気取りするようなバカが多いですから。
かつて日本では、寺や神社は共同体の中心としても機能していました。
村の問題を話し合ったり、取り決めを作ったり、祭りの準備をしたり、子供たちが勉強したり遊んだり。
そういう利害関係のない場所が、必ず共同体の中にあったようです。
私自身は、もうどの宗教組織にも入ることはないでしょう。気が向いたらたまに神社でも行こうかなと思うぐらいです。
身近に自分と同じ考えの人がいたら、酒でも酌み交わしながら話でもしたいですね。
時間がある時で結構ですので、ご意見を聞かせてください。
#233 2017年12月06日 23:02:34
#234 2017年12月07日 23:52:10
- 三太郎
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
#235 2017年12月08日 23:05:33
#236 2017年12月23日 08:41:51
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
(他のキリスト教会は「自分たちだけが真理を知っており正しい生き方をしているのだ」というような雰囲気が漂っているところが多く)
なるほどカトリックはよその宗派と違うのですね
少し早いですがメリークリスマス!
#237 2018年06月12日 12:59:07
#238 2018年06月12日 21:44:47
- 三太郎
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
irisさん こんばんは
子供にとっては、お父さんがいてお母さんもいるというのが自然な姿だと思います。
聖母マリア崇敬への流れは、バランスが取れていて、ある意味正常かもしれませんね。
日本の場合だと、国産みの神であるイザナギ、イザナミを差し置いて、天照大神(女神とされる)が最高位の神であり皇祖神でもあるわけですが、例えば伊勢神宮にお参りに行って、天照大神を母親として慕う日本人はほとんどいないと思います。もっとも天照大神は太陽を神格化した神ですから、女神というよりはそっちの認識のほうが強いのかもしれませんね。
しかしよくよく考えてみると、日本人は神を父親、もしくは母親に準えるということをあまりしないような気がします。
やはり、八百万の神といわれるように、万物や万象を神格化して畏怖・畏敬の念を抱くのが日本人の神概念なのでしょう。
この概念のルーツは、縄文時代のあらゆる生き物、あらゆる無機物に霊が宿るとするアニミズムにあるといわれています。
日本人だからというわけではありませんが、個人的はこっちのほうが神概念としては自然であり、窮屈感がないと感じます。
いい加減な神様も結構いるし。(笑)
#239 2018年06月16日 12:41:06
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
みなさまこんにちは。
三太郎さんコメントありがとうございます。
日本ではいろいろな神仏が共存していますね。
神話に出てくる神々、万物に宿る神々、仏教から生まれた(広義の)仏たち…
このような多様な神仏に囲まれているのは、ほんとうに幸せなことだと思います。
神話に登場する神さまたちは、とても人間くさくて親しみが感じられます。三太郎さんのおっしゃるとおり、いい加減な神さまもたくさん。
国産み神産み、岩戸隠れ、八俣遠呂智、因幡の白兎、海幸山幸…
日本の神話を知らない方がいらしたら、ぜひ読んでみてくださいね。ユダヤの神話より面白いかも。
オフライン
#240 2018年06月26日 23:38:07
#241 2018年06月27日 13:32:59
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
問. 下線部(a)について、著者の意図に最も近いものを答えよ。
この手の設問、嫌いでした。
正解とされるものが存在するのは知っていても、違う答えを書いて、著者に会ったこともない先生に×をつけさせては楽しんでました。
モノを書く以上、他人に読まれること、読む人に何かのインスピレーションを与えることを目的にするとしても、ただの自分の意図=正解探しクイズにしてほしい人がすべてではないと思います。
進化論トピで日高氏が書いた文章の意図が話題になったとき、一定の「正解」にはなったのかもしれませんが、もし日高氏の意識がどこかに存在してあのやり取りを俯瞰していたら、あれはあれでけっこうおもしろがってくれたんじゃないでしょうか。
も塔のように、印象操作のために著者の意図を捻じ曲げて切り貼り引用する宗教は論外ですが。
#242 2018年06月27日 21:44:44
- 三太郎
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
irisさん こんばんは。
聖書の各々の書は、終始一貫して一個人の霊感によって書かれたというよりは、民族伝承や異教の慣習なども盛り込まれており、irisさんが指摘されたように、時代背景と全く無縁なものではありません。
新改訳聖書のコリント第二 2:17では「私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず...」とありますが、これが本当なら、既に1世紀には旧約聖書の改ざんは日常であったことになります。
66の聖典が成立する過程においても、政治的利用のために都合のいいように書き換えられているというのが通説。
もし、それぞれの書の著者とされている人物に現代の聖書を読ませたら、おそらく「オレはこんなことを書いた覚えはない」と言うでしょう。
今回のラハムさんの投稿は、正直なところちょっと意外でした。
irisさんの論法でいくと、ラハムさんはやはり信仰が前提なのかなと感じます。
聖書の改ざんの多くは利己的な理由によるものなのかもしれませんが、もしかしたら、時代の変化に耐えられないという事情もあったのかもしれません。申命記4:2にある「神の言葉に付け加えることも、減らすこともしてはならない」という記述は、もし先見の明があったなら「基本理念は示すが、時と場所と状況に応じて自分たちでよく考えて対処するように」というような補足があってもよかったと考えます。
その意味では、時代の変化に応じてカスタマイズしてきた仏教のほうが先を行っています。
私は人生の「虎の巻」や、人間の深層にある疑問に答えてくれる完璧な文書など、どこにもないという立場です。
現実の世界は刻々と進行し、絶え間なく変化してしています。そこには新しい発見や気付きがあります。
むしろそれらを聖書に織り込み、精錬を繰り返して純化すべきだったのかもしれません。
そして私の聖書観もまた世界中に無数にある聖書観の一つに過ぎません。
#243 2018年06月27日 23:28:57
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
三太郎さんこんばんは。コメントありがとうございます。
私は以前も述べたとおり、社会の状況に合わせて聖典の解釈を修正する必要があるということは、文書として聖典を持つ宗教の宿命だと思っています。仏教では社会の変化に応じてたくさんのお経(新解釈)がつくられ、宗派によって重視するお経が違いますが、キリスト教ではあらゆる文書のなかで聖書だけが特別の地位を占めており、書き換えも禁じられています。文書そのものを書き換えることができないのなら、その解釈を変えるしかありません。そして、適切な解釈を示すことこそが、宗教指導者の役割であると思います。
「正しい聖書の読み方」がわかりにくいのは、信仰のあり方によって聖書の読み方が異なるためでしょう。信仰抜きなら、よほど単純になりますね。
オフライン
#244 2018年06月29日 18:49:17
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
ジョエルさんこんにちは。
国語の読解問題に作品を採用された著者が、自分の作品についての問題を解けなかったとか聞いたことあります。
著者の表現力に問題があったのか、出題者の読解力に問題があったのか、はたまた読解問題などというくだらない問題が存在すること自体が問題なのか、どうなんでしょう?
小説や詩歌などは読者に解釈を委ねる部分も多く、幅広い解釈ができるということが表現の豊かさともつながるでしょうね。
聖書の文書も歴史物語や詩歌や黙示文学など、ある程度自由な解釈が可能なジャンルが多いですから(さらにオリジナルではないので)、「正しい解釈」が存在するとしてもかなり幅は出るでしょう。
論説文の場合は、著者の意図ははっきり書いてあるのが普通じゃないかと思います。著者の意見と自分の意見とをしっかり区別して読む必要がありますが、自分の意見を投影しながら読むと、反対意見の文章でも自分と同じ意見にしか読めません。確証バイアスがかかりますからね。
日高氏は生物学に明るい人しか読めないような不親切な書き方をして、読者が混乱するのを楽しんでいたのでしょうか…
オフライン
#245 2018年07月01日 23:23:11
- サララ
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
聖書は神の言葉ですから神のご意志に沿って洞察するのです。
#246 2018年07月02日 00:52:18
- 通りすがり
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
ヘブライ語聖書が扱っている時代そのものが考古学的に非常に新しい後代の時代を扱っていて、まさに二番煎じだということが明らかなのに、どうしてその“言葉”を“神の言葉”と言えるのでしょうか。聖書の成立からしっかり勉強したほうがいいと思います。
ごく一部だけ紹介しますが、例えばギョベクリテペ遺跡についてじっくり“黙想”したことがありますか?
その遺跡は現在のトルコにあたる地域にあり、1万年以上前に「宗教的に発展を遂げていた」ことが明らかになっています。今では荒野ですが、遺跡に記録されている動物の種類から、当時は森が広がる生態系であったことからも、その古さが証明されます。
1万年以上前にすでに宗教的に発展していたその地域が、まさにアブラム(アブラハム)から始まる聖書の宗教的教理の出発点(ウル?)に近いことに大きな意味があろうと思います。アダムとエバの時代とされる時代の前から、すでに人類には宗教的観念も宗教的組織も成立しており、その生き残りか敗者(今風に言えば背教者)であったアブラムのような生き残りが独自の宗教的な組織を打ち立てようと試み、「あるとすればあるもの」(つまり“エホバ”)を取りあえず立てて新たな宗教的民族の構築をはかるにあたり、かつての古代宗教観念を取り入れた可能性はだれにも否定できないはずです。
創世記の天地開闢の順序なども日本のホツマツタエ(少なくとも3万年前)や古事記の天地開闢の順序だっていい線いっているわけだし、特に驚くに当たりません。
もちろん、マタイ以降のギリシャ語聖書は当時流行った“使徒の名前を冠した書物”の一つにすぎず、ユダ・イスカリオテの書やマリアの書なども書かれた中で、とりあえず公会議が(それも背教者ですよね)現在の編纂に決定しただけのものであり、なんの“神性”もありません。(これらはDiscovery channelで特集されました。)
いずれにしても、一字一句神聖で必ず実現するというようなものではなく、いろいろ政治的・民族的な目的があって民衆に広められたものなのだから、それに人生をかけるとか、子供に強制するとか、あまりにも短絡的で思慮に欠けると言わざるを得ません。
そこに書かれている人物の生き方とか語られている内容から、人生のひとつの栄養にする、というふつうの“読み方”で落ち着くことはできないものでしょうか…
#247 2018年07月21日 06:25:36
- サララ改めアノニマス
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
スベンスマルク効果という学説は、ノアの大洪水のあと虹ができた話を説明できると私は思っています。そして「上の水」があると宇宙からの放射線を遮るので年代測定は非常に伸びるとも思っています。
#248 2018年07月21日 09:34:00
- 通りすがり
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
アノニマスさんは半減法のことをおっしゃっていると思いますが,であればギョベクリテペはさらに何万年も古くなる反証になると思います。それに,続々と発見される同遺跡の円形石柱がいずれも大洪水で倒れなかったのが不思議に思います。今回の西日本豪雨(洪水ではなくただ雨が降っただけ)でも何十トンもあるコアストーンが小石のように移動したのは興味深いことです。
さて,私はいつも年代測定法は参考程度にすべきと思っています。JWは年代に疑問を持つよういつも信者を誤導するからです。ですから私は,年代については,各個人がそれぞれ,まずは自分が納得できる古い地層や地形を探してそれを原点にすべきと考えています。アノニマスさんの場合,アダムの時代より明らかに古い地層ってどこかにあるかご存じですか? まさか,宇宙と地球そのものが,できてまだ6,000年,とは思っておられないでしょう? 光には進む速度に限界がありますから,もしそうなら,太陽と月以外,星空の光はまだほとんど届いていないはずです。
地球はプレートテクトニクスや隆起・浸食等で絶えず地層が変化します。その上で,“ここなら私もアダム以前の地層だと納得できる”という地層を見つけてください。そして,それから,その地層の動物の化石をどんどん調べてください。そうすると,その動物の化石の胃から他の動物の化石が見つかります。つまり,アダム以前にすでに地をはうあらゆる動物がエサとして他の動物を食べていたことがわかります。それでも疑う人は,その自分が納得する地層に,動物の「子供」や「卵」の化石が出てこないか調べてください。ゴロゴロ出てきます。つまり,アダム以前から,誕生さえ許されなかった動物や,成長できなかった子供がいることがわかるのです。「動物たちの平和」を標榜する「神」の「愛」はその程度だったとわかります。熊から子羊を守ったエピソードは単なるパフォーマンスだったのです。「かつての楽園」などなく,火山噴火で無残に全滅した動物たちの化石を見つけて驚かれるでしょう。自然の情愛があるなら避難くらいさせてあげたらいいのにと思います。後代にここまで発見が進むとは,聖書創作者たち(アレキサンドリアの70人)も想定していなかったでしょう。まぁ,彼らはローマ帝国に上梓する自国の歴史の内容をライバルのシュメールよりも古くするために登場人物の寿命を数百年かさ増しすることにしか関心がなかったので無理もないでしょう。(例:メトセラ等。)
まず,このように各人がそれぞれ自分の地層の年代感を持つことが重要だと思います。そこから,たとえばいわゆる「黒い地層」と呼ばれる全地球を覆った地層について勉強し,世界中の各遺跡との関係性など,第二段階の“研究”に進めばよいと思います。
ほかにも,世界中の巨石遺跡が太陽光との関係で冬至を示す時,あるいはオリオン座の三つ星の位置関係に配列された遺跡が,現代のオリオン座の三つ星の位置関係と少し異なる時,いつもそのずれが地層から考えられる遺跡の成立年代に照らして当時の天体図をシミュレーションすれば合致することなどから,古さにロマンを感じることさえできます。
いずれにしても,測定法でなんでも否定するJWの一つ覚えは,「すべて国家の陰謀だ」と言って真実を隠し続けた,最近死刑者が多く出た宗教と論法が同じです。あそこから人を助けることは本当に困難だと思います。
このサイトはよくできていますので,トップページから2017年の研究記事を探し,化石の記録を読んだりして,気分転換されるのをお勧めします。
#249 2018年07月22日 12:54:03
- akame
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
流れに沿わず申し訳ありません。
こちらのトピも興味深く読んでいましたが、
投稿の機会を逸していました。
宗教はいらない?に関して、私的な感想です。財産や心身を犯すカルト的宗教は論外ですが、
圧政圧力などにより組織的宗教は外見上無くなったとしても「個人的な信仰という意味での宗教」は決して無くならないと思います。
死への恐怖心が現実にあること、生命活動には物理的な分析だけでは解けない部分があること、人生の畝りの中で、多くの方たちはが、映像化や数値化はできないが「何かの大きな存在、見守っている存在を感じる」事象を体験していること(話さないことが多い)等がある為です。
知識や情報で自然に解消するものもあり、それはそれで良いのですが、
こうしたものを、圧力的な雰囲気やある種の唯物的洗脳教育で強引に消そうとすることはには私は反対です。それは、中世の異端審問、魔女裁判と大差ないことになります。
これまで、一部の方たちに、私自身そうした圧力を感じさせていたように思います。
逆説的なキャラを演じることで、カルト組織に身を置いた者としての「加害者としての罪悪感」を紛らしていたように思います。一時期の個人的な切実さからの投稿とはいえ、
「加害者が、専門家気取りで調子乗ってんじゃねえよ!」子供たち
だった訳です。
実に勝手ながら、今は個人的には、他を裁く原理主義的雰囲気から脱すれば、もっと大らかで豊かなサイトになるように感じています。元より自然界は善悪、正誤、白黒を凌駕している訳ですから。
#250 2018年07月22日 23:27:38
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
akameさん、御投稿ありがとうございます。
しみじみと心にしみました。
ものみの塔に出会った私たちは、さまざまな葛藤を経験せざるを得ません。
ことに長い間エホバの証人として生きてこられた皆様の苦悩は、筆舌に尽くし難いものと拝察いたします。
議論の過程では、皆様の傷に触れざるを得ないこともあり、できる限りの配慮はしているつもりですが、申し訳なく思います。それだけの価値のある議論ができたらと願っています。
akameさんのおっしゃるとおり、個人の感情に基づく宗教的体験を否定することは、よい結果には繋がらないと思います。宗教心は人間にとって自然なものだからです。
多くの人にとって、ものみの塔という宗教を使いこなすのが難しいのも、個人的な体験を無理に変容させられることに一因があると思います。
宗教に関しては、唯一の正解はありません。無理に白黒つけずに、意見交換ができるとよいですね。
オフライン