#776 2018年04月17日 16:51:37
#777 2018年04月17日 22:27:38
#778 2018年04月18日 16:20:34
#779 2018年04月18日 17:04:15
#780 2018年04月23日 16:35:29
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
#781 2018年04月26日 01:38:50
#782 2018年04月30日 17:22:45
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
#783 2018年05月07日 17:11:50
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
日曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「今週のものみの塔は、“バプテスマ クリスチャンになるために必要”でした。早くバプテスマを受けろ、そうしないと命が危ないぞ、という内容です。4節には、<バプテスマを不必要に先延ばしにする人は,永遠に生きる見込みを失ってしまうかもしれません。>と脅かしています。」
「元の英文は、<A person who needlessly delays getting baptized endangers his prospects for everlasting life. >。“かもしれません”というあいまいな表現はない。はっきりと脅迫している。英文のほうが狂信的だね。それを日本語訳は和らげている。」
「永遠に生きる見込みを危険にさらします、というような訳でしょうか。」
「少し前に“若い皆さん・・・”という、同じような内容の記事があったよね。バプテスマのことを何度も取り上げて、圧力をかける作戦だね。この最初の写真が悲しいね。バプテスマを受けるのがたった3人で、そのうち2人は老人と子ども。」
「手前にもう一人ほんの一部だけ映っていますよ。でも3人もいれば、多いほうですよ。この3人は、4節によれば、<邪悪な世が終わる時に救われます。>」
「この3人中、若いほうの2人は10年以内に辞めるほうに賭けるね。」
「4節で、<ノアが大洪水を生き延びたように,バプテスマを受けた忠節な人たちは,邪悪な世が終わる時に救われます。(マル 13:10。啓 7:9,10)>とありますが、引用されているマルコと啓示の聖句はバプテスマと直接関係ないものですよね。」
「引用されていないけれど、コリント第一10:2,5にはこうあるよ。<みな雲と海とによってモーセへのバプテスマを受けました。・・・それにもかかわらず,彼らの大多数に対して,神はご自分の是認を表明されませんでした。彼らは荒野で倒されたのです。>」
「古代イスラエル人はエジプトから海を渡るというバプテスマの原型を受けたけれど、それは救いを保証するものではなかったという意味ですね。バプテスマのような儀式を行えば、それによって救われるというのは儀式を中心にした原始宗教ですね。」
「イエスのバプテスマについて、6節で<イエスは,神のご意志を行なうために自分を差し出したことの象徴としてバプテスマを受けました。(ヘブ 10:7)>とあるけれど、参照されているヘブライ10:7はバプテスマのことなんか書いていないよ。イエスはバプテスマのヨハネからバプテスマを受けた。これはキリスト教にとって、とても不都合なことなので、時代とともに、この事実をごまかそうとするようになる。」
「つまり、歴史上のイエスはヨハネの弟子として、活動を開始したが、ヨハネの逮捕後あるいは死後、独立していった。これが史実として一番ありそうなことになるわけですよね。でも、後のキリスト教からすれば、なかったことにしたい事実なわけですね。」
「初めに書かれた福音書であるマルコでは、<そのころのこと,イエスがガリラヤのナザレから来て,ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。>1:9 とヨハネがイエスにバプテスマを施したことを淡々と書いているのに、その10年以上後に書かれたマタイになると、ヨハネはイエスをとどめて、<私こそあなたからバプテスマを受ける必要のある者ですのに>3:14 と、ヨハネのほうが格下であるかのようなセリフを言わせる。ルカだと、イエスはヨハネからバプテスマを受けていない。ルカでは、ヨハネは早々とヘロデに捕まって、<さて,民が皆バプテスマを受けていた時,イエスもまたバプテスマをお受けになった。>3:21 とある。イエス誰からバプテスマを受けたのだろうね。」
「最後に書かれた福音書のヨハネでは、もはやイエスはバプテスマを受けていませんね。福音書でもかなり違いますね。」
「キリスト論が違うから。イエスはどのような存在なのかという根本問題が各福音書で違うんだね。マルコではイエスは普通の人間として生まれたと考えている。マタイやルカは生まれた時から神の子。」
「ヨハネでは、神ですよね。」
「時間がたつにつれて、イエスは人間から神に格上げされていく。」
「JWがいつバプテスマを受けるべきかに関してものみの塔の記事は混乱しているように思えるのですが。」
「9,10節で、エチオピアの宦官とサウロの例を出して、すぐにバプテスマを受けたことを言っている。ところが、12節では、<バプテスマを受けるには,神と神の目的,救いのための神の取り決めについての正確な知識を得る必要があります。>という。また、<それに加え,集会に出席し,良いたよりを伝えて人々を弟子とする活動に定期的に参加することも必要です。>と、どんどんハードルを上げていく。」
「要するに、聖書の中のバプテスマの例では、特別な資格など求められていないのに、ものみの塔ではものみの塔の教義と規則を知っている必要があるわけですね。」
「エチオピアの宦官は、使徒8:36で、<ご覧なさい,水があります。わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるでしょうか>というけれど、JWは、“まずこれとこれの本を読んで、伝道活動をしなければだめです。”と答えるんだろう。」
「そのあとエチオピアの宦官は悲しそうな顔をして去っていった、となるわけですね。」
「14節では、<バプテスマを受けるよう研究生に圧力をかけるべきではありません。>とあるけれど、この記事全体がバプテスマへの圧力そのものだろう。偽善的なところがよく出ている部分だね。」
「アリバイ作りですね。」
「16節に、<以前に別の宗教組織でバプテスマを受けていたとしても,改めてバプテスマを受ける必要があります。(使徒 19:3‐5を読む。)>とあるけど、別の教会で受けたバプテスマが有効だった時代がある。これも教義が変更された例だね。でも、これを正当化するために引用されている使徒19:3-5だけど、不適切だね。」
「ヨハネのバプテスマを受けた人がもう一度バプテスマを受けたという話ですよね。」
「ヨハネのバプテスマはキリスト以前の悔い改めの象徴としてのバプテスマだから、改めてイエスの名によるバプテスマを受けたというだけのこと。JW以外の教会はサタンの教会だから、JW以外のバプテスマは無効だ、とわかりやすく言えばいいのにね。」
「そもそもバプテスマは象徴ですよ。大事なのは信仰心ですよ。単に象徴に過ぎないものを実体そのものかのように過大評価するのは、おかしい気がします。」
「原始宗教なんだよ。象徴と象徴されるものの区別がつかないという点でね。輸血問題と似ている。血は命の象徴だという。そして輸血を拒否して子どもを死なせる。命よりもその象徴に過ぎない血を取り入れないことを重視した、原始宗教ならではの悲劇だ。」
#784 2018年05月14日 17:13:43
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
#785 2018年05月14日 22:34:46
- 翔子
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
>「4節で、<ノアが大洪水を生き延びたように,バプテスマを受けた忠節な人たちは,邪悪な世が終わる時に救われます。(マル 13:10。啓 7:9,10)>とありますが、引用されているマルコと啓示の聖句はバプテスマと直接関係ないものですよね。」
>「バプテスマについてあちこちから聖句を引用しているけれど、ほとんどがバプテスマとは関係のないものだね。バプテスマに関係している引用だと、使徒16:25-33だけど、正しく理解していないね。」
聖書についての質問さんからそう指摘されて、研究記事の参照聖句を繋げて読んでみました。そうすると、本文のバプテスマ云々ではなく別の話題が書かれています。
とりあえず、主題は冒頭に掲載されているペテ一 3:21の省略なしの聖句(全文)だと思います。ヘンテコな省略、単語を抽出して繋ぎ合わせるのはNG!
「これに相当するもの,すなわちバプテスマ(肉の汚れを除くことではなく,神に対して正しい良心を願い求めること)がまた,イエス・キリストの復活を通して今あなた方を救っているのです。」(ペテ一 3:21)
#786 2018年05月15日 08:03:19
- 万年研究生
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
聖書についての質問さん
いつも思慮に富んだ考察ありがとうございます。
そもそも牢番が学んだ聖書とは何を指しているのかという疑問が研究中に頭に浮かびました。
旧約聖書を学ぶとイエスの教えについての知識が増えるわけでもないでしょうし。
またものみの塔にありました
「気遣いを示す」といった表現も失笑ものでした。
#787 2018年05月15日 09:23:58
- 翔子
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
#788 2018年05月15日 10:23:34
- 万年研究生
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
翔子さん
返信ありがとうございます
「パウロとシラスはエホバの言葉を彼に語ります」という表現も何かおかしいですね。
イエスの言葉でないところは違和感をおぼえます。
#789 2018年05月15日 12:48:36
- iris
- メンバー
Re: アブラハムの神の限界
使徒言行録16章 29~33節(新共同訳)
看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。
看守と家族は「主(イエス)のことば」を聞いて洗礼を受けていますね。聖書ではないです。
今も昔もキリスト教徒にとって大切なのはイエスのことばであって、ものみの塔のトンデモ教義ではありません。
オフライン
#790 2018年05月15日 16:34:01
- 翔子
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
irisさん。
黒崎さんの註解によると、「主イエスを信ずる事が唯一にして完全なる救の途である。『何を為すべきか』の問に対して、律法の行為によらず信仰のみによりて義とせらるる事の真理を提唱せるもの」、「パウロ等は打傷より滴れる血潮すら洗わざるままにその傷の痛さをも忘れて獄守とその家族にイエスの福音を語った。神の愛とイエスの十字架について語ったのである」とのことです。
16章全体から考察しても、「(ヘブライ語)聖書の基本的な真理」ではなく、イエスの犠牲と死から復活について証言したと思います。しかしながら、創世記 3:15を「聖書の基本的な真理」とするなら、「エホバの言葉」でもよいかもしれませんね。
#791 2018年05月21日 17:21:14
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
#792 2018年05月28日 17:07:28
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
#793 2018年05月30日 17:39:58
- 忠野仁
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
ものみの塔の記事って、推測が多いよね。そして、その推測に基づいて結論を導いている。これだと、どんな結論でも導くことが可能となってしまう。聖書に基づいているようで、実は基づいていない。読者は、このおかしな文章に気づかないのだろうか?
あと、論理のすり替えもたまに見受けられる。これは、よく読みこまないと気づかない。
#794 2018年06月04日 17:21:25
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
日曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「今週のものみの塔は、“懲らしめに聴き従って賢くなれ”で、自分を矯正し、子どもを矯正し、長老が矯正しやすいように卑屈な態度をとるように、最後に、矯正を退けるなら悲惨な結果を招くぞと、脅かして終わりです。」
「そのタイトルは箴言8:22,23からの引用だけど、“懲らしめに聞き従え”というのは日本語として変だよ。“懲らしめに従え”でしょう。でも、ここで使われている動詞は“聞く”という意味なので、それを省略するわけにはいかないんだよね。」
「新共同訳では、”諭しに聞き従って知恵を得よ。”ですね。“諭し”だから”聞く”という動詞なわけで、“懲らしめ”とへんな訳をしたのがいけないわけですね。誤訳のつけですね。」
「 Self-disciplineという語が出てきているけど、“自分を矯正する”とへんな訳にしている。普通は“自己訓練”とか“修養”と訳する。自分を鍛えて、優れた人格を形成するように努めることだ。“自分を矯正する”と訳するとその意味が伝わらない。そのため、今週のものみの塔は訳が非常に不正確。責任者出てこい、と言いたいね。」
「例えば?」
「4節の、Self-discipline is an important part of that growth. を、“新しい人格を身に着けるためには,自分を矯正しなければなりません。”と訳している。原文無視だね。自分で作文している。一つ一つ指摘していったらきりがないけど。」
「1節で、ヤコブ1:5を引用して、<神から知恵をいただく方法の一つは,神の矯正を受け入れることです。>と続きます。ところがヤコブ1:5にはそんなことは何も書いていないのです。引用した聖句とものみの塔の主張が一致しないという例ですね。」
「今日のテーマは“懲らしめに聴き従って賢くなれ”だから、懲らしめと知恵を無理にでも結びつける必要があるのだろう。それが執筆者の力量不足でうまくいっていないわけだ。」
「賢いとか知恵があるとはどのような意味なのですか?」
「聖書の言う知恵は、人生の中でいろいろな選択に迫られたとき神と同じような選択ができることだね。実際的なもので、抽象的で理論的なものとは違う。そのようなものだから、ヤコブ1:5にあるように、<あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての人に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです>となる。それから、愚か者とは不信心な者という意味で、頭が悪いというようなことではない。」
「確かに旧約聖書を読んでも、神とは、宇宙の始まりとは、正義とは、悪とは、といった高度に抽象的で理論的な話は出てきませんね。」
「12,13節で、排斥された娘とその親の話が出ている。その親子は全く関係を断ったようだけど、おかしいね。家族は家族じゃないの?」
「JW.orgの“よくある質問”の、“エホバの証人でなくなった人を避けますか”では、“家族としてのきずなはかわりません。結婚関係,家族の愛情やかかわりは続きます。”と書いていますけど、それをものみの塔の記事で否定しているわけですね。JWによくある二枚舌です。」
「12節で“出版物を調べて,娘や孫と会うための口実を探しました。”とあるけれど、これもおかしいね。出版物って、決して頭が良いとは言えないJWが書いたものだよ。そんなものを調べるのではなくて聖書を調べるべきじゃないの。組織の奴隷だね。それから、孫にもあってはいけないの?排斥されたのは娘だよ、その子どもにもあってはいけないなんて、出版物に書いているの?」
「知らないですね。」
「夫のアドバイスが、“娘は自分たちの手を離れているのだから,エホバの取り決めを尊重しよう”と訳されているけれど、元の英文は、“our child was now out of our hands and that we must not interfere.”で、“子どもは今や私たちの手から離れているし、干渉すべきではない”だよ。“エホバの取り決めを尊重しよう”なんて言っていない。訳した人は干渉すべきと思っているんだろう。命がかかわっていますなどと、いってね。それで訳を変えた。統治体に対する不服従だね。」
「JWから離れた娘に干渉するな、と言ったのですか。この夫はJWの教義を本当は信じていませんね。JWの教義からしたら、戻ってくるようしつこく干渉するのが正しいと思いますけど。」
「そうだね。ペテロ第二3:9を引用して、“神は一人も滅ぼされないことを願っておられます。”と13節にある。干渉しなければ、排斥された子どもをどうやって救うつもりなの?JWの教義だと、排斥された人は滅ぼされるのでしょう。」
「18節で、“カインがアベルに激しい憎しみを抱いた時,神はカインにこう警告しました。「なぜあなたは怒りに燃えているのか。”とありますが、カインはアベルに憎しみをいだいたのですか?事件の発端は、エホバがカインの捧げものを理由もなく嫌ったからじゃないですか。それにもかかわらず、“なぜあなたは怒りに燃えているのか。”と間抜けなことを聞くエホバに怒りを感じたんじゃないですか?」
「カインは神様に怒りを感じたのだろう。カインの殺人もエデンの園の物語も原因を作ったのは神様。カインの話では、神様が捧げものを無視したのが発端だし、エデンの園では、神様が理由もなくへんな木を植えたのが物語の発端。そして、人間が悪いことをすると、エバに向かって神様は、“あなたがしたこの事はどういうことなのか”3:13といい、カインに向かっては、“あなたは何をしたのか。”4:10と同じように驚いている。神様は人間が悪事を働くとは予想していないかのようなんだ。神様は人間を全く理解していない。」
「カインとアベルの話は、エデンの物語と並行関係にありますが、こちらの方は全く後味が悪いですよ。エホバが非常に不公平だからです。アベルはあっさり殺され、子孫も残していない。一方殺人者のカインは神様の保護のもと、結婚をして子孫を残し、都市を建設し、それなりに充実した人生を送る。この話に正義や公平の感覚が欠けています。」
「現代人ならそう考えて当然だ。ひどい話だね。旧約聖書の神様に公平や正義を期待しても無駄だけど、この話に積極的な主張があるとすれば、神様のすることは不条理で理解しがたい、にもかかわらず人間は神様を信頼するしかないんだ、ということだろう。古代では無神論はあり得ないからね。」
「新約聖書では、アベルは信仰の人と描かれていますが、創世記にはそのようなことは一切書いてないですよね。」
「のちの時代の解釈だね。」
#795 2018年06月11日 17:09:41
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
日曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「今週のものみの塔は、“本当の自由を得る”というもので、アダムとエバの物語を限りなく拡大解釈して、人間は神に従っている限り自由だけど、逆らったら自由じゃないと主張しています。そこから、現代の人間はJWの組織に従っている限り、将来自由になるが、逆らったら自由じゃないと主張したいようです。」
「自由について論じているわけだけど、大学1年生のレポートより下のレベルだね。引用しているのが、ワールドブック百科事典だよ。小学生みたい。それから、ある聖書学者の言葉。出典は不明。」
「信者に自由を認めず、髪形や服装にまで口出しし、奇妙な指示でも従え、と要求するJWが自由を論じるなんて、グロテスクですね。自由の価値なんて少しもわかっていない組織でしょう。」
「4節で、“アダムとエバは,今日の人々がなかなか得られない自由を楽しんでいたことが分かります。貧困,恐れ,圧制からの自由です。食べ物や仕事や病気や死について心配する必要はありませんでした。”とあるけど、ものみの塔が神の真の組織なら、なぜこのような自由を得られないのか、疑問に思ってほしいね。」
「JWには、貧困,恐れ,圧制からの自由はありませんし、食べ物や仕事や病気や死について心配はつきないでしょう。これらは、JWの教義がもたらしている面が大きいですよ。」
「ものみの塔の議論の組み立て方はストローマン(わら人形)論法だ。おかしいね。」
「ストローマンというのは、別名架空論法というものですね。実際には存在しない架空のおかしな主張を取り上げて、それを攻撃し、自分の主張が正しいと思わせる詭弁のことですね。」
「例えば2節、“多くの人は社会的,政治的な変化を求めて,反対運動やデモや暴動や革命といった手段に訴えています。”、5節では、“今日多くの人にとって本当の自由とは,結果を気にせず自分のしたいことを何でもすることです。”、10節では、“アダムはエホバからこの命令を与えられたことで,自分のしたいことをする自由を奪われた,と言う人がいます。そのように言う人は,自由意志と,何が良いことか悪いことかを決める権利を混同しています。”」
「多くの人はそのようなことをしていませんし、考えていませんね。ストローマンをでっちあげています。ものみの塔によく見られる論法ですね。」
「統治体は、多くの人は無制限の自由を求めて革命運動をしていると思っているようだね。現実と妄想の区別がつかないみたいだ。それにしてもアダムとエバの話が好きだね。旧約聖書では、エデンの園の物語について論じられることは一度もないし、アダムのことが引用されるのは、家系図を除くと、新世界訳では一度もない。新共同訳だとヨブ記31:33とホセア6:7だけだ。」
「旧約聖書の中では、エデンの話とかアダムがあーした、こうしたなんていうことは誰も関心を持っていないわけですね。アダムとエバのイラストですが、エバの眉毛って自然な眉毛に見えませんし、爪もきれいに誰かに磨いてもらっているみたいです。エバ専用の美容院があったのでしょうね。美容師はアメリカ人ですね。」
「アダムだって利用していたよ。髭が見事でしょう。アダムが木の実を持っているイラストには乳首が描かれている。アダムに乳首があるというのがJWの見解なんだ。生物学的にはない可能性の方が高いでしょう。」
「アダムは通常の人間のように子宮内での発生過程を経ずに、作られたので、乳首やへそといった不要なものは体にないということですよね。」
「9節で、創世記2:17の“善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである”というエホバの言葉が引用されています。でも、アダムとエバは実を食べたその日に死にませんでしたよね。アダムは930歳まで生きています。エホバは嘘をついたということですか?」
「神様が嘘つきじゃ困るでしょう。よくある解決策は「その日」と言う言葉を文字通りに解釈する必要はないとするもの。しかし、3:5「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」という蛇(サタンじゃないよ)の言葉なんだけど、原文は、ここでも「食べたその日に」なっていて、実際食べると「眼が開けた」のは、確かにその日なの。蛇の言葉は字義通り、神様の言葉は字義通りでなくてもいいというのは、筋が通らないよ。」
「「死ぬ」というのは「死ぬべき存在になる」という意味と解釈するのはどうでしょうか?不死じゃなくなるという意味とするのです。」
「しかし、「死ぬ」と言う単語が、旧約聖書の他の部分でそのように使われた例はない。さらに、その解釈が成立するためには、人間はもともと不死でなくてはならないけど、そうではない。命の木の実を食べたら不死になる可能性があったというだけ。」
「そうなんですか?12節で、“アダムとエバは神の指示を無視し,自分の望むとおりに行動しました。その結果,いわば墜落して,自分たちと子孫に罪と死をもたらしました。(ロマ 5:12)”と言っていますよ。参照されているロマ5:12を読むと、人間の不服従(罪)によって人間は死ぬ存在になった、それまでは不死だったとパウロは考えているようですけど。」
「 創世記3:22で「今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」と神様は言って、人間をエデンから追放。これは、神様は人間を不死なものとして創造していないこと、禁止を破った時点でも人間は不死になりえたことを意味していると解釈できる。それで命の木の実を食べて不死にならないようエデンから追放し、ケルビムをおいて守らせた。人間がもともと不死だったら、命の木をなぜ置かなくてはならないの?神様は、いい子にしていたら不死にしてあげるつもりだったかもしれないけど、人間も他の動物と同じ死ぬ存在として創造したというのが、研究者の間では多数説になっている。」
「アダムとエバが禁断の木の実を食べたその日に死ななかったのは、エホバが自分の言ったことを忘れたからと考えるのはどうでしょうか?」
「それが一番いい答えかも。」
#796 2018年06月15日 17:55:51
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
~安息日を守るユダヤ人と原罪クリスチャンの会話~
「食べる『日』に『死ぬ』にはヘブライ語ではそれ以上も、それ以下の意味も、付け足しようがないよ。」
「神は自分の言った通りにしなかったことになるよ?」
「そうだよ。パウロもそうだけど、君たちクリスチャンは聖書を信じるとは言うが、創世記に書いてあることを解釈して押し付けるばかりで、ありのままに読めないのかい。」
「じゃあなんで言う通りにしなかったの?ユダヤ教ではどんな解釈なの?」
「人の解釈に意味も興味もないし、僕に聞かれても困るよ。あえて言うなら、神はunpredictable(気まぐれ)だからね。」
そういう答えもあるみたいです。
#797 2018年06月18日 17:11:52
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
日曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「今週のものみの塔は、“自由の神エホバに仕える”というもので、最後の節に要点がこう書いてあります。“自由を誤用するのではなく,エホバにできる限り仕えるために用いましょう。” 要するに、自由があると思うなよ、組織の命令に従え、ということですね。」
「サッカーのワールドカップの試合の録画を見ようかなと思っていたところなんだけど。記事をざっと読むと、高等教育はダメ、贅沢するな、奉仕活動に専念せよ、建設プロジェクトに参加せよ、こんないつものメッセージがみられるね。となると、エホバは自由の神じゃなくて自由を認めない神だ。JWは北朝鮮国民程度の自由もないように思える。ところで、自由の神エホバなんてどこから来たんだろう?」
「2節に、“「エホバは霊です。 そしてエホバの霊のある所には自由があります」。(コリ二 3:17)”とありますよ。4節には、“「エホバの霊のある所」には自由があります。その自由を楽しむためには,「転じてエホバに向かう」必要があります。エホバとの親しい関係を持たなければならないのです。”と解説しています。」
「コリ二3章からきたの?そもそも新約聖書にエホバなんて出てこないよ。kyrios(主)をエホバと恣意的に訳しているのは新世界訳だけだよ。聖書の改ざんだ。パウロはエホバなんて関心はなくキリストについて論じているというのが、パウロの手紙を理解する上での大前提だから、それを否定してしまうと解釈は滅茶苦茶になる。」
「JWはキリスト教ではなくエホバ教という新種の宗教ですから。コリ二3章12節から18節がひとまとまりだと思うのですが、そこではベールを掛けたとか、ベールが取り除かれるとか、書いていますがどんな意味なのですか?」
「ここは出エジプト記34:29-35に対するパウロの注釈だね。モーゼと自分を対比しているわけだ。モーセはベールを掛けた、しかしパウロたちはそんなことはしないと。」
「出エジプト記のその部分は、モーセが神様と話をして帰ってきたら、顔から光が出ていて、それでベールを顔にかけたという部分ですよね。この部分がもとになって、モーセの彫刻には角があるようになったと聞いたことがあるのですが。」
「光を放つと訳されているqaranは角があるという意味がある。カトリックで使われていたラテン語の聖書はそう訳していた。そんなわけで、有名なミケランジェロのモーセ像にも2本の角がある。現在、角と訳している聖書はないでしょう。」
「そのベールがパウロ時代のユダヤ人の心にもあるとパウロは言ってから、コリ二3:14で、それは“キリストによって除き去られるもの”といっていますね。」
「そうだね。それを受けて3:16がきて、新世界訳だけが“エホバに向かうとき、ベールは取り除かれるのです。”とエホバが出てくる。」
「14節でキリストによって取り除かれるといっているわけですから、16節のkyrios(主)はエホバじゃ矛盾してしまうことに気づかないのですかね。キリスト以外ありえないでしょう。」
「当然、今日の聖句である3:17も、“エホバは霊です。 そしてエホバの霊のある所には自由があります”も、キリストのことを言っているのでエホバと訳してはダメね。というわけで、エホバが出てくる新世界訳をもとにした新約聖書の話は、でたらめだらけだ。読むのが苦痛だね。」
「ものみの塔の真ん中あたりからは、いつもの陰気なお説教ですね。」
「8節に、“広告業界は魅力的なタレントを使って,実際には必要のない物を買わせようとします。そのようなわなに掛かって自由を誤用することのないようにしましょう。”とあるけれど、広告業界の真似をしているのがJWという自覚がないみたいだね。JWの提供する宗教こそ必要のないものでしょう。」
「10節の“わたしたちの自由は相対的なものであり,どんな決定にもそれなりの結果が伴う,ということを忘れてはなりません。”というのもJWにこそ当てはまりますよね。JWになるという決定が、ひどい結果をもたらすことを忘れてはなりませんと書いて欲しいです。」
「13節もそうだよ。“今日,ほとんどの人たちは事物の体制の神に思いをくらまされ,宗教的,経済的,社会的に束縛されています。”とあるけれど、束縛されている度合いはJWの方が大きいでしょう。」
「8節の引照聖句のペテロ一2:16は、“自由の民らしくありなさい。ですが,あなた方の自由を,悪の覆いとしてではなく,神の奴隷として保ちなさい。”は、自由を誤用するなという意味なのですか?」
「ちがうよ。聖書の中で自由が語られるときは奴隷制を背景にしていることを理解する必要がある。“自由の民らしくありなさい”というのは、かりに奴隷であっても、クリスチャンなら自由の民らしく振舞いなさいという意味で、自由の誤用などという贅沢なことを問題視しているわけじゃない。ローマ帝国内の初期クリスチャンの状況はそんな生易しいものではないからね。」
「12節では、ノアの家族がまた登場しています。ノアの話はJWの大のお気に入りですね。」
「“箱船を建造し,自分たちと動物のための食糧を蓄え,人々に警告を与えたのです。”とあるけれど、創世記6章には、警告を与えたなんて書いていないよ。」
「ペテロニ2:5の“義の伝道者ノア”から来たんでしょうね。新共同訳では、“義を説いていたノア”と訳していますけど、JWとしてはなんとしてもノアが伝道したことにしたいわけですよ。いつもの教義優先ですね。」
「創世記6:13では、神様は、“いま,わたしは彼らを地と共に滅びに至らせる。”とはっきりノアに告げている。警告を与えて、悔い改めたものは船に乗せろ、なんて言う考えは神様にはない。あるのは皆殺し。」
「ノアの箱舟は余計な人間を乗せるスペースはないでしょう。聖書にある箱舟のサイズは、、動物たちを乗せるには狭すぎる一方、木造船として大きすぎるというどっちつかずのものです。神話だからどうでもいいんですけど。かりに伝道して、乗せてくれと言われたらどうするのでしょうね。困りますよ。神様の意志は全滅なんですから。余計な伝道活動などせず、黙々と箱舟を作ったと思いますね。」
#798 2018年06月19日 09:24:36
#799 2018年06月19日 19:16:12
#800 2018年06月20日 08:16:22
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
皆さんご存知かと思いますが 国民的な人気漫画ドラえもん
主人公?のロボット、ドラえもんはネズミが嫌いなんですね
ネットより引用します
***藤子・F先生は、メインキャラクターに苦手を設定しておくとそのキャラクターが活きて話が面白くなる、との考えを持っていた。犬嫌いという属性が有名となった『オバケのQ太郎』の成功が、藤子・F先生のその考えを確固たるものにしたのだろう。***
ではユダヤ人がヤハウエのキャラ設定するときに偶像嫌いにしたのは何故なのでしょうか、偶像嫌いキャラが明らかになった後でそのキャラクターが活きてストーリーが面白くなったでしょうか?それとも他の作品のパクリ?
「国々の偶像は金銀にすぎず、人間の手が造ったもの。口があっても話せず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかぐことができない。手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せない。偶像を造り、それに依り頼む者は、皆、偶像と同じようになる」
ヒューマノイドと呼ぶらしいですが口も耳も目も手も足も喉も鼻も 計測・通信・制御・機械・ソフトの技術で全てを克服した偶像を作れそうなんですけどね。
マサチューセッツあたりの教会でヒューマノイドマリアちゃん像作ったらどうでしょうか? 目から血を流すくらいじゃ話題性も乏しいでしょうから
